「コロナの禍中で」 関山 伸男
2020年09月23日

 COVID-19がパンデミックに世界を席巻している。奇しくも今年はナイチンゲール生誕200年の記念すべき年である。顧みるに少なくとも人類がホモサピエンスに進化してからでも感染症による種の滅亡の危機は繰り返されてきたに違いない。いま遥か昔のそれらを考えるすべはないが、現代科学の発展から見るとずいぶん昔と思われている今から2世紀前のナイチンゲールの時代の感染症の実態と予防の手立てくらいは知ることができる。ナイチンゲールの著した看護覚え書によれば、わずか200年前のロンドンでは毎年10歳以下の子供が25千人も死亡しており、その原因はひとえに家庭衛生の欠陥であると言い切っている。それは、家庭での清潔への取り組みが不十分であること、室内の換気の不足、食事や衣服についての不注意、家の壁塗りや床の清掃の不備、などであろうと。この中で特筆すべきことは、死亡率の高さは子供病院が不足しているためではなく、この清潔への取り組みが不足しているいとの見方である。犬は犬から猫は猫から生まれてくるように病魔は病魔から生まれてくるといった、現代で言えば感染症の概念をすでに持っており、病魔を断ち切るには環境の清潔を実現することが必須であるとしている。 そして、この時代と現在の感染症予防についての方法論にほとんど違いはないのに驚くが、わずかな違いとしては現在には手洗いの代替としてのアルコールが存在していることくらいであろうか。

 現在渦中のコロナに対しての世界の対応はどうであろうか。歴史を顧みないと思われる専門家のすったもんだの結論として、ようやくマスクをかけて手洗いをして換気をよくするなどなどの予防法にたどり着き、200年前の看護覚え書をほうふつとさせる状況となっている。ちなみにマスク着用の効用は、主な感染ルートと考えられる手指から鼻や口への直接のウイルスの伝達をブロックすることにあると強調するべきである。手洗いはこのブロックを補完するもので、もし手洗いでウイルスを除こうとするならば日に何百回も手洗いをしなければならなくなるであろう。もちろん通常のマスクが直接ウイルスをブロックできる訳もないから、少しでも飛沫を避けるために人との距離を保たねばならないのは言うまでもない。

 それにしても、ナイチンゲールは、看護覚え書は看護を学ぶ教科書を目的としたものでもなく、看護をすることを教えるために書いたものでもないと冒頭に述べていて、この本は他人の健康について直接責任を持っている女性たちに考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものであるとも述べている。ナイチンゲールは看護に関連して膨大な著作を残していて、中でも看護覚え書は看護の本質に言及したバイブルのような位置付けにも感じられる中で、一見随分謙虚な書き方と思われる。しかしナイチンゲールは時とともに時代遅れになると思われる教科書のようなものを避けて、いつの時代にも役に立つような問題解決に対するヒントを与えるものとしての書物であることを意図しているものとも捉えることができ、この深い洞察による表現は言い得て妙である。現在も読むたびに新鮮で、現在の世の中の諸問題に照らして考えさせられるのはこのような意図によるものであろうか。

 ナイチンゲールの考え方が科学的に理論構成されて、看護が学問的な裏付けのもとに成り立ものであることを証明した科学的看護論は薄井坦子によって表出されたが、ナイチンゲールが、"医師は生きる力を患者に供給するように処方する、そして看護がそれを供給する"と言っているように、医学と看護学が医療という車の両輪とならなければならないと考える中では、この科学的看護論による看護をもう少し丁寧に実践してほしいものである。

投稿者消化器内科主任部長 関山 伸男