「将来の夢」 吉原 聡
2022年08月31日

「お父さんは将来何になりたいの?」

私には年の2つ離れた二人の息子がおり、それぞれが年中組なった頃、全く同じ質問をされて、少し驚いた記憶があります。その時の質問が冒頭のそれです。

毎晩風呂上がりに「コイツの為に生きてるってもんよ」などと江戸っ子でもないのに、べらんめぇ口調でビールを煽り、休みの日にはソファに寝そべって、野球中継相手にボヤき、なんとも張りのない生活を送っている五十路手前な父の将来を悲観しての言葉かはわかりませんが、少し逡巡してこう答えました。

「漫画家だよ」

高額当選者として悠々自適に暮らすといった夢もへったくれもない、ましてや叶いそうもない答えを伝えて、息子たちや嫁から軽蔑の視線を浴びるもの一興かとも考えましたが、そこは偉大な父親をあえて演じ、自分の子供の頃の夢を咄嗟に口走りました。

叶っていないので偉大であるかどうかは別として、子供の頃は本当に漫画家を目指していました。人より少しだけ体が大きく、人より少しだけ足が早かったので、周りからは体育会系の部活を強いられ「面倒くさい」と心のなかで呟きながら仮面部員を演じておりましたが、本音は家で漫画を読んでアニメを見て、映画を見て、絵を描いて、プラモデルを作るインドア生活に強く憧れ、実際部活が終わったあとや休みの日には、部屋にこもって絵を描くのが何よりも幸せな時間でした。当時、アニメや漫画愛好者は今ほど市民権を得ておらず、ひっそりと楽しむことを常とされておりましたので、(少なくとも自分の周りは)、ネット配信等で自由に鑑賞できる環境や、自慢気にコミケの戦利品を紹介する戦士の姿が夕方のニュースで流れたり、ジャパニメーション羨ましいぞと海外のギーグたちから羨望の眼差しを向けられる現在の環境の、なんと幸せなことよと思ったりして、今の若人達が堂々とアニメーションを貪り消費できるのは、先人達の密やかでしかし力強い歩みが積み重ねられた歴史の賜物であると強く、強く思うのであります!!・・・・少々、話が逸れました。

当時は、藤子不二雄A先生の「まんが道」に触れ、自分で手描きの漫画雑誌を作成しようと考えたこともあります。(未遂に終わりましたが)少年ジャンプの好きな漫画を模写して学校の友人に無理やり見せたり、夏休みの自由研究で読んだ伝記や物語を一枚の大きな模造紙に漫画として描き起こし、学校の廊下に貼ってもらったことも有りました。真剣に美術を習うため、それなりの進学も考えましたが、見事親に反対され、ささやかな抵抗とばかりに大学生の頃、講談社の新人漫画賞に応募し奨励賞を受賞、その賞金でセガサターンを購入し、バーチャファイターを朝までプレイしていたというエピソードも今となっては、酔ったオヤジの与太話と息子たちや嫁に呆れられるのがオチでして、いつしか漫画家になる夢は潰え、なんとなく毎日を過ごして、気付けばサッポロクラシックとゴルフをこよなく愛するアラフィフ二児の父となっておりました。

 

進路を反対した親を恨んでもいませんし、波乱万丈の未来を憂いて別の道に進ませたのも、体育会系の部活を強いたのも、親の立場になった今なら理解できます。と同時に、漫画家として活躍されている(た)方々には、その強烈な才能の輝きと意志の強さ、そしてなにより良き理解者として応援した(であろう)ご家族に対して、改めて畏敬の念を抱かざるをえません。

二人の息子には、自分の夢をしっかりもって、それに向かって努力してもらいたいと思いますが、向かう先がYoutuberとかだったら、いやちょっと待てと、漫画家を夢見ていた自分が咎めるのもおかしな話でしょうか。

ホコリを被っていた、ペンタブレットをPCに接続し、Amazonで買ったドローイングソフトをインストールしつつ、ビールを飲みながら偉大な父親像について改めて考えてみました。

「お前たちの夢が叶うのを見届けるのが将来の夢だよ」

・・・・・偉大なる父親へ至る道のりは長く険しい。

投稿者事務次長 吉原 聡