南郷18丁目の思い出
2012年05月23日
当院のブログに「コメディカルリレーエッセー」を執筆することになったのは、森院長の提案で、平成23年の新年早々宮本事務長から始まり、以後毎週水曜日に掲載するようになった。あれから17ヶ月の間、延べ70人の職員に、今の「札幌徳洲会病院の思い出」を綴ってもらったが、今週号を以って終る。
当院は昭和58年5月「栄通り18丁目」に産声を上げてから、今年で30年目の節目にあたり、来る7月1日には大谷地に「新築移転」する。
今思えば、私が徳田虎雄理事長とお会いして、入職が決まったのは忘れもしない平成15年6月、姫路市(高砂西部病院オープン)で開催された経営セミナー終了後の懇親会場であり、その時の鋭い眼孔と温かい手の感触を今でも覚えている。
御縁があったのか、その年の7月から札幌徳洲会病院の6代目の事務部長として入職させていただいた。
前任者の白井部長(故人)より引き継ぎ受けたことは、ただ一つ「早く病院用地を取得し新病院建築に漕ぎ着けれ」であった。
それからは、江端院長(現名誉院長)共々、土地探しのため、頻繁にあちこちへ足を運んだ。この間、新病院建設候補地は18ヶ所に上った。
徳田虎雄理事長は、当院が土地選定に難渋していることから、東京本部の服部局長(不動産担当)を派遣し、一週間泊まり込みで、札幌市内の土地を探し廻り応援してくれたことが、今では懐かしく思い出される。
建設候補地は最終的に札幌市有地が残り「一般競争入札」で当院が落札し、ようやく「公有財産売買契約」を結んだのは「平成20年10月8日」記念すべき日となったが、引き継を受けてから既に5年の時が流れた。
土地取得後は「新病院建築」に進んだが、これが二転三転し、設計者・施工業者が決まって「病院新築工事請負契約」を交わしたのは「22年10月16日」土地取得から2年も経過した。
それ以降は工事も何とか順調に進捗し、待望の新病院の引き渡し日(平成24年5月31日)が目前となり感無量である。
これからも徳洲会の哲学「生命だけは平等だ」の真理を追究し「患者さんがいい気持ち、いい顔で、帰られるような病院」になるため、自分が何をしたらいいのかよく考え一つひとつ実践していこうと思う。
投稿者事務顧問 矢野 道夫
南郷18丁目の思い出
2012年05月16日
札幌徳洲会病院へ 平成12年に転勤異動して、早12年も経ちました。以前の札幌南青洲病院とでは規模も違い、こじんまりとした中で色々と手づくりの物を作っていたのを思い出し、札幌徳洲会病院でも少なからず、その流れをとりいれては食事を提供していたことなども、今振り返れば思い出の一部分でしょうね。沢山の職員がおり人酔いする感じもあったことも記憶のなかにあります。栄養部門として新しい調理方法へと進化していく中で、体と頭がついていくのが必死です。聞きなれない言葉や、作業工程を把握しながらの毎日で記憶が途切れることが多々あります。現在も進行形で毎日を送っております。   ダイエタリー籍に移ってからは各地の病院や施設の立ち上げ、ダイエタリーへの業務移行にともない応援で入ることが多くなり、各県の栄養室の皆さんと知り合うことも多く、沢山の仲間がいるという力強さや連携を保ちながらきていることに感謝しています。やらなければ進まないことばかりですが、1歩前進しては立ち止まり又進むの繰り返しの12年間でしたが、楽しくすごしてきたなあーと思います。この18丁目の栄養管理室で過ごしてきた中でこんな気持ちでいられることが一番の財産と思い出でしょうか。若い仲間と叱咤激励しながら、大きな夢の実現に、全力投球していきたいです。新病院開設まで後少し、皆で手を取り合って頑張りましょう。
投稿者栄養管理室主任 本村晴美
南郷18丁目の思い出
2012年05月09日
昭和63年12月7日、私は初めて地下鉄南郷18丁目駅の改札を抜けました。
そこには母校の教授が手を振り笑顔で立っていました。
私がこの札幌徳洲会病院の面接を受けると聞き、自宅が近いからとわざわざ付き添って下さったのです。駅から病院までの10分ほどの時間でしょうか。緊張で何を話したかは覚えていませんが、最後に『あなたは母校の名前を背負ってこの病院の職員となるのです。解りますね。後輩のため、少なくとも3年は頑張って下さいね。』こう言われたことだけははっきり覚えています。正面玄関の上の 札幌徳洲会病院 の文字を見ながら、『3年かぁ・・長いな・・続かないかも。』その1週間後、私と南郷18丁目の深くて長い付き合いが始まりました。たくさんの人と出会い、たくさんのことを学び、生と死と向き合い泣いたり笑ったり。人生の前半を南郷18丁目で過ごしました。少し古びた 札幌徳洲会病院 の文字を見るたび、あの頃の引きしまった気持ちに戻ります。そう、毎朝私は21歳の自分に戻れるのです。なんと素敵なことでしょう。でもそれができるのもあと2カ月。新しい病院の玄関をくぐる時、44歳の私は何を思うのでしょう。その答えは次回お話しします。
投稿者医局クラーク副主任 山口 育子
南郷18丁目の思い出
2012年05月02日
平成13年4月に入職し合格が決まった時、上司から「新しく開院する帯広徳洲会病院に行ってもらうことになるかもしれない。」と言われ、いつ異動になるかビクビクしている日々でしたが、気付けば早12年札幌の地で働くことが出来ています。
当時、医事課には自分を入れて7名の新入職員がいました。アナログ時代の徳洲会病院は、今よりも遥かに忙かったように感じます。当直や、日々の業務に追われ、挫折しそうになることも多々ありましたが、同期と励ましあって頑張って乗り越えてきました。あの大変な日々を一緒に過ごし、苦楽を共にした同期職員は12年経った今でも、特別な存在です。そんな同期7名も今や半数以下となってしまい、非常に寂しい限りです。
しかし、感傷に浸っている場合ではありません。新病院開院まで、残すところあと2か月です。札幌徳洲会病院にとって、一番忙しい時期になることでしょう。移転後、病院が大きく生まれ変わるように、自分も少しでも大きく成長できるよう精進していきたいと思います。皆で頑張りましょう。
投稿者医事課副主任 寺井 和也
南郷18丁目の思い出
2012年04月25日
私もこの南郷18丁目という土地は就職するまで足を踏み入れたことがありませんでした。
札幌で生まれ、北区で育った私にとって白石区は全く未知な場所、誰かも似たようなことを書いてましたがススキノから南側へは国境を越えるぐらいの感覚でした。同じ札幌市内なのに、です。そんな閉塞的な私は当然札幌での就職を希望しており、市内の求人だけに絞った結果私は当院の面接を受けることにしました。当時地下にあった会議室での面接、ほぼ忘れていた記憶が蘇って来ると思いきや実際あまり思い出せません・・・。ですが、その後の合格内定通知に興奮したのは覚えてます。

 まず北区からの通勤方法としてバス・地下鉄を選びました。地下鉄乗車時間約30分、つい寝てしまい終点まで直行し駅員さんに起こされる・・・よくありました。次に中型二輪車を選択、天気予報と私の勘やよみが当たらず帰りは雨でズブ濡れ・・・しんどかった。次は四輪自動車を選択、冬の雪の影響で朝の大渋滞・・・いつもヒヤヒヤ。このようなエピソードがあった為仕事帰りに飲みに行った後よく職場徒歩圏内の先輩の家に泊めてもらいました。通勤でやや苦労していた私にとってその出来事はなんと言っても朝が楽!ではなくて、感謝の気持ちがとても大きく、とてもいい思い出となっております。
 そしてなんだかんだで職場付近にアパートを借り徒歩通勤(逆に遅刻ギリギリ)、2年後にはそこを離れ、今は別の区に住み再度マイカーで職場へ。

 思い出は通勤時の話ばかりですが、新病院への通勤時間が今よりも長くなってしまうので新たな苦悩が生まれそうです・・・。しかしながら移転に向けて気持ちは非常にワクワクしています。そして通勤時での思い出話もなんだか終われなさそうです。
投稿者ME室副主任 木下 直樹
南郷18丁目の思い出
2012年04月18日
私事ですが昨年7月に結婚しました。結婚式は妻の実家のある岩手県盛岡市で行いました。
 札幌で生活しながらの、盛岡での結婚式の準備は多忙を極め、いよいよ最終準備に入った頃、私は腹痛に襲われ当院を受診しました。診断は大腸憩室炎。結婚式の1週間前です。抗生剤が処方され、おかゆやうどんなど消化に良いもののみ食べて良いという指示で、様子を見ていましたが、結婚式の5日前、仕事中に怠さを感じ体温を計ると39.0℃を超えていました。フラフラになりながら、その日出勤していた消化器外科の先生に相談し、入院となりました。人生初の入院で、しかも結婚式が間近に迫っている状況で非常に不安な気持ちが強かったですが、回診に来てくれた先生に「結婚式には絶対間に合うようにしよう、点滴を打ちながらでも(笑)」と励まされ、検温に来る看護師さんにも優しく接していただき、なんとか結婚式前日に退院できました。7kg体重が減っていました。
 そして盛岡で無事結婚式を挙げることができ、披露宴の食事も美味しく頂くことができました。結婚式翌日から再び4日間寝込み、新婚旅行には行けませんでしたが、結婚式がある意味一生の思い出になりました。
 消火器内科と外科の先生方、5階病棟の看護師さん方、そして長期休養中に頑張ってくれたリハビリの同僚スタッフには、本当に感謝しています。
投稿者リハビリ室副主任 塙 健一
南郷18丁目の思い出
2012年04月11日
就職してはや11年。バスと地下鉄で通勤した徳洲会病院。就職するまで西区在住の自分は
豊平川を越えて出かけることがあまり無く、白石区の事はあまりにもしらなすぎる場所であり、徳洲会病院の事は全く知りませんでした。医療系の専門学校に通ってはいましたが、病院への就職はあまり考えてなく、卒業式を終えても就職が決まってない自分は、何も考えずに履歴書をだしていました。面接当日は病院の場所も解からず地下鉄の駅員さんに場所を教えてもらいたどり着く事ができ、そして運よく採用していただき、社会人としてのスタートを切ることになりました。実際に働いてみて徳洲会は系列病院をいくつも持ち、老人保健施設も運用している事を知ったのはしばらくたってからのことでした。
 仕事についてからは毎日へとへとになるまで仕事をし、病院と家の往復しか出来ない時期がしばらく続き、そのうちに事務の同期、先輩方と食事(お酒を飲み)にも行けるような時間もでき、そして研修医の先生方、パラメディカルの方々とも一生懸命仕事をし、一生懸命遊ぶ(お酒を飲む)という時期が続き、楽しい時間を過ごしているうちに最愛なる奥さん、長男、長女を授かることができました。今は子育てにへとへとですが、仕事、家庭を一番に考え、新病院になっても一生懸命に頑張りたいと思います。
投稿者医事課副主任 藤橋 良平
南郷18丁目の思い出
2012年03月21日
この病院に入職するまで、「南郷」は大通りから新札幌に行く地下鉄のプレートの中だけに存在するもので、私にとって地上の南郷は架空の町でした。

そんな南郷に就職することになり、十数年。
同じ期間だけ、ほぼ毎日地下鉄に2回乗り、南郷18丁目の地下鉄駅を利用してきました。
しかし、現実の町になったはずの南郷も、私に難題をもたらします。
それは、地下鉄1番出口からと3番出口から、どちらが病院に到着するのに、より短距離か。
という問題でした。

1番出口ルートは、長い地下コンコースを歩き、階段を2つの踊り場を挟んで地上に出た後、とんでんを横目に見ながら、サイクリングロードにかかる橋を越えて、病院の正面玄関に至るルートです。
そして3番出口ルートは、改札を出てすぐ左手にある、エスカレーターもある階段を、踊り場1つを越えて地上に出て、横断歩道を渡り、自転車置き場を抜け、ルーシーの駐車場を通って、病院の裏口に至るルートです。
入職当時は何の疑いもなく、当時の病院の案内に記載されていた「1番出口から徒歩5分」
に従って、1番出口から病院へ通っていました。
ですが、それを話すと3番出口派から、「絶対に遠い」「コンコースが長い」と、総攻撃を受けるのです。
それではと、第3出口ルートに変えたのですが、これもこれで、人に話すと
「遠回りだ」「横断歩道を挟む分、時間がかかる」とこんこんと諭されます。

じゃあどうすればいいだろう? やっぱり検証してみるべきか?
実際に距離を測るとどう? 単純に、両方時間を計って比べてみればいい?
と、思いはしましたが、元々私にとっては架空の町だったのだから、
わからないことの一つくらいあってもいいような気がする。
と、未だ解決しないまま、朝は第1出口から出て、帰りは第3出口に帰っていく生活を続けています。
投稿者院長秘書副主任 高橋 美樹子
南郷18丁目の思い出
2012年03月14日
 私が初めて南郷18丁目に来たのは平成6年、札幌徳洲会病院の採用試験でした。
当時、臨床工学技士という職種は、まだ新しく比較的求人が多かった為、同級生の大半が
採用試験を受け、そのまま合格でした。そんな中、ここ札幌徳洲会病院は求人2人に対し受験者3人でした。とてつもない緊張の中、ルーシーの駐車場を歩き、病院を見上げた事を思い出します。あれからあっという間に17年、良いスタッフに恵まれ、ここに就職できて本当に良かったです。
 就職後約10年南郷18丁目周辺に住んでいましたが、思い出はやはり焼鳥屋、夜10時に仕事が終わった後、仲間とたわいもない話をしながら飲む生ビールと焼き鳥は格別でした。
 そして一番の思い出は、この病院で2人の娘が生まれたことです。産婦人科、小児科とてもお世話になりました。初めて就職し娘たちが生まれた病院がこの地に無くなるのは、とても切ないですが、場所が変わっても札幌徳洲会病院は変わらないので少しでも役に立てるよう精進していきたいと思います。
投稿者ME室副室長 斎藤 喜博
南郷18丁目の思い出
2012年03月07日
私がこの南郷18丁目に足を踏み入れたのは9年前のことです。当時、徳洲会の系列病院で働いていた私に札幌徳洲会病院への転勤の辞令がありました。それまで勤めていた病院よりもだいぶ規模も大きく、緊張と期待感を持って通い始めましたが転勤してからわずか1ヶ月で鹿児島へ応援。今考えるといい社会勉強にはなりましたが、当時は驚きました。
それから数年、たよれる先輩や上司、同僚、現在当院にはいない先生方や先輩方、他部署の方々などたくさんの方々に仕事やプライベートでお世話になりました。自転車で公園を激チャリ、湖や河、雪山で横のりやキャンプ、昨年は札幌ドームのマラソン大会にも参加しました(遊びばかりですが・・・仕事の思い出もありますよ)。
この「南郷18丁目の思い出」というお題をいただき、最初は「これだ!!」といったようなことが出てきませんでしたが、思い返してみるとたくさんのことが次々と出てきます。
新しい大谷地での最初の思い出は南郷18丁目からの引越しという大きなものになるでしょうが、それ以降も良い思い出を多く作れるような病院にしていけたらと思います。
投稿者検査室副主任 林 光昭
南郷18丁目の思い出
2012年02月29日
私が、当院の就職試験を受けるため、初めて南郷18丁目を訪れてからもう20年以上経ちます。
もともと道外出身であった私は、それまで大学で4年間生活していたのが小樽であったということもあり、札幌といえば札幌駅、大通周辺しか訪れたことが無く、南郷18丁目というのは初めて聞く名前でした。
当院に勤め始めてから5年間はここ南郷18丁目で住んでいました。
その頃からここには生活用品ならほぼ何でも揃うルーシー札幌(当時はまだコープ札幌大谷地店と呼ばれていましたが・・・。)やコンビニ、ほか弁、居酒屋等何でもあり充実した生活を送ることができました。
とても馴染み深い土地であったため、これまで何度か新築・移転の話が出たときも、是非同じ場所でと願っていました。
今年、大谷地へ新築・移転となりますが、新しい土地でも地域の方々に愛される病院であって欲しいと願っています。
投稿者薬局主任 酒井 宏満
南郷18丁目の思い出
2012年02月22日
こんにちは。医事課の山内です。
今回はこの病院での大変だった出来事を書きます。
それは水漏れ(作業)です。「水漏れ(作業)?」と思いますが、当院では何でも屋こと事務系の仕事です。以前はあまり起こりませんでしたが、最近では建物・設備の老朽化で度々起こります。その中でも、朝に起こる(発見)される、水漏れ作業が一日を左右するので大変です。作業は、清掃担当の「水漏れ」と言う号令と共に作業が始まります。何が大変かと言うと、朝は人数が少ないので一人二役で作業をし、水で滑り転倒、バケツを持って腰痛を発症する肉体的ダメージに、汚水を全身に浴び、ワイシャツも汚れる精神的ダメージがあるからです。そんな日は、何でも屋の事務系でも一日仕事にならず、正直辛い物があります。今では机の右下には、ワイシャツとドライヤー等の水漏れグッズを常備しています。
 新病院では、水漏れは無くなると思うのであと少しの辛抱ですが、皆で力を合わせやり遂げた達成感は多少ながらあります。しかし、これ以上大変な出来事は増やしたくないので、その為にも現病院にはあと少し頑張ってもらいたいと思います。頑張れ病院!!
投稿者医事課副主任 山内 秀則
南郷18丁目の思い出
2012年02月16日
南郷18丁目の思い出と言うことですが、この病院に勤務して約20年(人生の約半分)、思い返すと色々な事が頭をよぎります。さらに勤務して数年は南郷18丁目にある病院のマンション(当時で築十数年)に住んでいたこともあり、この街は私の人生の1ページに刻まれております。
そんな南郷18丁目の思い出と言うことですが、先に出たマンションから一つ・・・。就職して3ヶ月は学生時代住んでいた琴似から通勤していましたが、業務にポケベル待機(当時は携帯電話がありませんでしたので・・・)があることで7月に病院が運営するマンションに引っ越し住み始めました。外観に比べて中は結構きれいで、22歳の独身男性が住むには申し分ない部屋でした。ただ一つ問題が・・・。実は入居初日よりガスが壊れていたのかお湯が出ないのです。当時シャイだった私は誰にも相談できず、修理代は自分が支払うものだと思っており、蓄えがなかったのもあって、とりあえずはそのままにしていました。お湯が出ないと言うことはシャワーが『水』です。水シャワーも7?8月まではとても気持ちいいのですが、9月になると寒くてもう地獄です。とうとう限界に達し10月頭に総務に相談したところ、「もちろん病院が全額修理費用を出すよ。それよりすぐ言ってくれれば良かったのに我慢させてゴメンネ。」と優しく声を掛けてくださいました。そんな声を掛けてくださったのが現在当院で事務長をやっております宮本事務長でした。このように当院のスタッフは本当に心温かい人ばかりで、それが大変居心地良かったためか、今日まで働いてこられたのかなと思います。
街に目を向けると、病院のまわりは想像以上に飲食店が多く、安くて美味しい店がたくさんあります。若い頃は遅くまで仕事をしたその足で、飲みに行くということも多々ありました。またルーシーには昼食・夕食などを購入しに週に数回行き、今でも大変お世話になっております。
そんな南郷18丁目とも7月に新病院が大谷地に移転することにより、この街から離れることになります。この街で過ごせる時間は刻々と迫っており、あと僅かではありますが、今以上に思い出を作っていければと思うと同時に、新天地の大谷地でも期待と不安を背負いながら、たくさんの思い出を作り、地域に親しまれるより良い病院を築く一員になりたいと思います。
投稿者検査室主任 和田 直樹
南郷18丁目の思い出
2012年02月08日
昭和の頃から現在の病院に勤めて、ずいぶんたちます。その間、18丁目界隈もずいぶん様変わりしました。新しく出来る店、つぶれてしまった店…その中でも、自分にとって一番大きな出来事は、札幌ドームの建設でした。18丁目界隈ではありませんが、プライベートを一変させたのです。自分が小学生ぐらいの時のことだったと思います。たぶんTVで見た光景だと思いますが、自分と同じぐらいの少年が、お父さんと一緒に、楽しくジャイアンツ観戦をしている光景です。ポップコーンをほおばりながら、ずいぶんと楽しそうで、とてもうらやましく感じたことを、今でも覚えています。当時、プロ野球観戦は夢でした。ところが、札幌ドームの建設に伴い、ファイターズが札幌を本拠地にすることになりました!南郷18丁目からシャトルバスも出ていますし、夏場であれば自転車で20分もあれば、ドームに行くことができます。移転当時、自分にも小学生の男の子がいました。自分の夢だった野球観戦が、息子と行けるなんて、それはもう夢のようでした。よく、息子に病院まで来てもらい、野球観戦にいったものでした。仕事が終わって仲間と観戦に行くことも、何度もありました。息子の手がかからなくなった頃には、もっともっと観戦に行けると思っていたところに、病院移転となりました。移転先が決まり、最初に思ったことは、『ドームが遠くなる…』でした。改めて、南郷18丁目界隈の魅力を再認識することとなりました。仕事帰りの居酒屋に事欠かないことなど、仕事が終わった後のアフターファイブには、とてもとても、いい場所でした。何より、札幌ドームへの交通の便がいい!
投稿者放射線副技師長 大野 千尋
南郷18丁目の思い出
2012年02月01日
自分が札幌徳洲会病院に入職したのはこの病院の新棟が増築される頃でした。もう十数年も前のことです。喜びも悲しみも新棟と共に歩んできました。南郷18丁目には数々の思い出があります。
ひと仕事が終わった後みんなで串鳥さんに行って美味しい焼き鳥とビールを頂きました。「赤とう」さん(親しみをこめて略称で呼ばせていただきます)では美味しい焼き肉を頂きました。そうそう土筆さんも歓送迎会でお世話になりました。また南郷通り沿いのつかささん、大変お世話になりました。もちろんつぼ八さんを外すわけには行きません。しゃべりすぎて翌日からの業務に支障をきたしたこともありました。そして忘れてはいけないのが札幌生協、ルーシーさん。ポテチからうがい薬まで、果ては送別会で看護師さんにわたす花まで、挙げればきりがありません。ミスタードーナツさんで長時間語り合ったこともありました。
大谷地に移転した後、また新しく素敵なお店に出会えるか心配です。みなさん大変お世話になりました。今後ともよろしくお願いします。
投稿者ME室副主任 永田 直樹
南郷18丁目の思い出
2012年01月25日
地元の秋田を離れて北海道に来たが、すでに同じくらいの時が経つ。幼少期、学生時代に過ごした生まれ故郷は大切な土地であるが、一人暮らし、就職、結婚と自分の責任で決めて過ごしてきたこの北海道の土地は、今後ますます自分の中で大きな存在となっていくであろう。
大学を卒業して徳洲会病院に入職したが、挫折しそうなことも何度もあった。当時は手書きの処方箋で解読するのに時間がかかった。受診する患者様の人数も多く、夜の12時近くに帰宅することもあった。しかしグループ病院として、他の病院で働く機会にも恵まれ、多くの人と出会い、仕事だけでなく人生の経験も多く積み重ねることができた。自分に負けたくない一心で諦めずに働き続けたことが、今の原点になっているはずである。
入職当時より新病院の話があったが、もうすぐ10年が経つ。あっという間に過ぎた10年であったが、今年ようやく病院の移転を迎える。一つの節目となるが、この南郷18丁目での経験を生かし、昔の自分に恥じないよう、成長し続けていけるよう、そして地域の皆様に貢献できるよう、働き続けていきたい。
投稿者薬局副主任 浅利 伸朗
南郷18丁目の思い出
2012年01月18日
私が札幌徳洲会病院に入職してから、今年で12年目に突入致します。
学生の頃に長く感じていた年月も、社会人となってからはあっという間に過ぎ、
気づけば11年が経っていました。

今でこそ南郷18丁目は勝手知った場所ですが、入職する前はまったく来たことが
なかったので、どんな所なのか、何があるのか、さっぱりわかりませんでした。
ですが、勤務し始めてからは仕事帰りや当直明けなどに、先輩・同期・後輩・他部署の
方々と食事に行く機会も多く、楽しい時間を過ごした思い出があります。
最近の話では、3年程前から南郷18丁目に自分の馴染みのお店も出来ました。
仕事帰りに食事に行ったり、お酒を飲みに行ったりして、いつの間にか気兼ねなく入れる、落ち着ける場所になりました。昨年の年越しもそこで過ごしました。今思えば、3年連続そのお店で年越ししています。

都合の良いことに、私の頭には楽しい思い出の方が多く、大谷地でも良い思い出が
出来ればと思います。
投稿者総務課副主任 日笠 健治
南郷18丁目の思い出
2012年01月11日
私の南郷18丁目の思い出は『面接遅刻事件』です。

それは今から12?13年前、札幌徳洲会病院の採用試験を受けた時のことです。一次試験で筆記・集団面接を受け、数日経過し学校から二次試験の日程の連絡がきました。この電話が全ての始まりでした。二次試験は個人面接で、時間を“17時”と伝えられ、面接日の16時30分頃病院に着き、受付前の椅子に座りました。17時を過ぎても声がかからず、このまま待っていてもいいのか不安になり、受付の方に話かけました。そして職員の方が言った次の言葉に驚愕しました。「面接の時間は“15時”だった」と。病院側では学校に面接時間を“15時”と伝えたが、学校側が“夕方の5時”だと勘違いしてしまったのです。その日は運よく最後の方の面接中で、私は次に呼ばれることになりました。
面接の部屋に入るなり、面接官の方々に「どうしたの?面接の時間に来ないから心配したよ」と言われ、既に頭が真っ白になっていた私はどんなことを話したのか覚えていません。
帰り道、不採用を確信した私は学校に事情を報告し、謝罪の電話をしてもらいました。

あれから十数年経ち、こんなに長く働くとは夢にも思っていませんでした。今年の6月には新病院の開院予定もあり、南郷18丁目から離れることになりますが、新たな病院で私のような事件がおきないことを願っています。
投稿者医事課副主任 似鳥 朋美
南郷18丁目の思い出
2011年12月28日
今年4月、15年ぶりに札幌徳洲会病院に戻ってきました。
入職は、平成8年の1月。採用試験の結果の電話が鳴りすぐに病院に呼ばれ「明日から来れるかい」という言葉に「随分急だな」と思いながら、翌日初出勤。初日は今考えても記録的な大雪で、当時総務(課長補佐くらい?)の現事務長宮本さんに連れられ、夏用の革靴のまま、ママさんダンプを持って、膝上まで降った雪原(駐車場)の数10m向こうにある当直者の車を掘り起こしに行ったことを強烈に覚えております。
その後、職員寮(ライラックハイツ)に引っ越し、なぜか真上に住むのは、高校時代の同級生であり、卒業後、健康的な海水浴場に麻雀卓を一緒に持ち込むことに賛同してくれる稀有な友人、検査技師のW君。
今は改善された?ようだが、住んでいたのは端の部屋で冬は異常に寒く、夜中に部屋に帰るとペットボトルが寒さでつぶれ、ダウンジャケットのまま布団に入ったこともしばしのサバイバル生活でした。
そんな南郷18丁目での寒修行?や不思議な縁が、それからの波乱万丈、徳洲会生活の始まりだった気がします。

入職から半年ほどが過ぎ、老健コスモス〈開設〉に異動。その後、老健徳洲苑なえぼ〈開設〉→帯広徳洲会〈開院〉→西野クリニック→〈閉鎖・事業転換〉→健康デイサービス徳洲会札幌西〈開設・移転〉→ケアタウン徳洲会札幌西〈開設〉→そして札幌徳洲会
その間、経理が主ではありましたが、責任者や営業活動、ごみ庫の掃除役からネズミ取り、除雪車も運転しました・・・医療と介護を行き来しながらいろんなことを経験させていただきました。

その中から学びえたことは、「困っている人の役に立ちたい」という心は人間の本能に近いものと感じました。
古くなったこの病院も、おそらくは先人達の他人には想像しがたいご苦労の上に今があるのであろうことに敬意を払い、感謝しなければと思っております。より多くの方々の「困っている」に応えることを仕事としていることに誇りを持ち、新病院移転を機に、建物が新しくなるだけではなく、より心地よい病院に生まれ変わることが「南郷18丁目で奮闘してきた多くの方々」への報恩になるのではと思っております。
投稿者経理課係長 佐竹 秀幸
南郷18丁目の思い出
2011年12月21日
お題が「南郷18丁目の思い出」とのことですが、仕事が終わるとまっすぐ自宅に帰ってしまうような引きこもりにとっては、思い出もそれほど多くはないかもしれません。

それでも、一番の思い出といえば、やはり南郷18丁目駅の階段でしょうか。

入職して3年目くらいの冬、さぁ、今日も頑張って仕事しよう!と分析器の前に立った
矢先に、たった1回のしゃっくりが私の右肺を突き破りました。
結果、私はそのまま入院となり、肺の気胸を起こした部分を切り、無事退院となりました。
当然仕事にもすぐに復帰しましたが、どうも何か違います。特に通勤時の南郷18丁目の長い階段がひどく辛くなったのは今でも良く覚えています。実はこのとき、こっそり検査してみると今度はバセドウ病になってしまっていました。まぁ、人生こんなものです♪

あとは、向かいのタバコ屋さんでしょうか。

昔は良く昼休みに、当直の夜中にとしょっちゅうタバコを買いに行っていました。
ですが、喫煙場所以外禁煙となり、自販機が夜中は売ってくれなくなり、敷地内禁煙になり…と、今ではあまり利用する機会がなくなってしまいました。非常に残念です。

でも禁煙はしません。

そんなこんなで、もう年の瀬です。皆様が健やかに新年を迎えられますように。
投稿者検査室副主任 近藤 浩嗣
南郷18丁目の思い出
2011年12月14日
南郷18丁目は私にとって就職するまであまり馴染みのない地域でした。
札幌徳洲会病院に就職し周辺地域を知るにつけおいしいお店が多々あり、
なんて誘惑の多いことかと思いました。
当直が終わった日の朝、帰り道でお店に引き付けられ、気が付いたらケーキやパンを
買っていました。(仕事の後はお腹がすいて・・・)。
そんな思い出があるここともあと半年。
病院を建て替えると聞いた時はこの場所で立て替えるのかと思い喜んでいました。
後に場所が大谷地になると聞いた時には少し残念に思ったのを覚えています。
場所が変わっても徳洲会病院である事に変わりはありません。
また新たな気持ちで仕事をしていきたいと思っています。
周辺地域の皆様本当にお世話になりました。
そしてこれからもよろしくお願いします。
投稿者副薬局長 板谷 真理恵
南郷18丁目の思い出
2011年12月07日
早いものです。札幌徳洲会病院に就職してから15年が過ぎました。
本当にあっという間だったと思います。
しかし、南郷18丁目に初めて足を踏み入れたのは、その3年前。
それは大学1年生の時、大学祭の出店のチケットを売るために、先輩方のいる病院を回る際、札幌徳洲会病院の担当が自分でした。
ドキドキしながら先輩方にチケットを売り、快く買っていただいたのですが、ただ一人忙しかったのか、非常に冷たい扱いを受け、『ずいぶん怖い先輩がいるな・・・』と言うのが札幌徳洲会病院に対する最初の思い出です。
まさか自分がそこに就職するとは・・・・
それから3年、入職当事は非常に緊張の毎日でした。
働いてからは、その怖いと思った先輩も全くそうではなく、非常に優しく今でも大変お世話になっています。
そんな人との出会いがたくさんありました。自分にとって南郷18丁目の札幌徳洲会病院とは、たくさんの思い出を与えてくれた場所、と感謝しております。
その札幌徳洲会病院が新しく生まれ変わります。
新しい場所で、どんな人との出会いが待っているのか?今から楽しみでなりません。
自分も役職者として、病院や患者様、後輩に対して少しでも貢献できるよう努力していきたいと思います。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
投稿者放射線科主任 藤川 大作
南郷18丁目の思い出
2011年11月30日
新卒で“札幌徳洲会病院”に入職して15年以上になります。
南郷18丁目には、仕事だけでなくプライベートでも本当にお世話になりました。 
上司に怒鳴られ、先輩に泣きつき、同僚に助けられ・・・ここでの思い出は、語りつくせません。22時に仕事が終わってから飲みにいける所もたくさんあり、家で過ごすより職場周辺にいる時間の方が本当に多かったです。不規則でしたが続けてこられたのは、病院が居心地良かったからだと思っています。 

病院の周囲も様変わりしましたが、当院もだいぶ変わったと思います。 カルテのシステムはもちろんですが、玄関や会議室、更衣室なんかは今の使っている場所が、3カ所目です。 新しい病棟が増築され、駐車場も立体駐車場になりました。 

新病院の近くに信号がほしいとか、店舗や住環境など大谷地周辺に望むことはたくさんあります。 新病院周辺の今後10年の変貌が楽しみです。 

冷たい冬の風が入り込む待合室も、今年で最後です!
投稿者病歴管理室主任 吉原 奈穂子
南郷18丁目の思い出
2011年11月22日
私がここ、札幌徳洲会病院で仕事をさせて頂く事になりましたのは約16年前札幌東徳洲会病院に在籍していた時に突然、転勤の辞令があり、「1週間後に札幌病院へ行ってください」と言われ、考える間も無く、気が付いたらここで仕事をしていたという感じでした。

私は生まれも育ちも札幌ですが、白石区にはあまり縁がなく足を運ぶ事もさほど有りませんでした。しかし生活拠点をこちらに移すと住みやすい良い街だと短期間でわかりました。地下鉄の沿線で、安くて美味しい飲食店が多いのと病院の裏にはコープルーシーが有り、仕事で着る1000円のYシャツ1500円のネクタイは品物も良いし、100円ショップも有り、ATM、郵便局、近くですべて用がたせるのである。この住み慣れ親しんだ南郷18丁目も後、約半年で病院移転の為、離れる事になるのは淋しくも有ります。

新病院は地下鉄大谷地駅から徒歩7分の所に移転します。旧病院からの便利なシャトルバスも計画しており患者様には今までと変わりなく安心してご通院して頂ければと思います。TPP加盟による医療費の影響も大きいとは言われておりますが「命だけは平等」の理念を、私は忘れる事はないでしょう。
投稿者医事課係長 田中 伸弥
南郷18丁目の思い出
2011年11月16日
ここ南郷18丁目はといいますか白石区は私にとって初めての就職、初札幌暮らしと初めてづくしの場所です。
最初の頃、病院まわりは何があったかな?と思い出してみるとモスバーガー、ジーンズショップ、ハーベストと今はすっかり様変わりしてしまっています。
そんな中でもずっと変わらずにあったお店、トキワ。
「おいしいオムライスがあるよ」と連れていってもらったのが始まりで、すっかりここのオムライスの虜になってしまいました。オムライス以外もおいしかったのですが、やっぱりオムライスの味が恋しくなってしまうためその後はオムライスしか注文していません・・・きっとお店の奥さんにも「オムライスの子」と思われていたと思います。そのトキワも今年閉店してしまいました。もう食べられない思うとかなり残念です。

 南郷18丁目の皆様、長い間お世話になりました。少し離れてしまいますが、よかったら大谷地にもいらしてください。あ!!病院にかからず健康なのが一番ですが・・・

 来年、大谷地に移転したらまた新しい出会いを求め散策していきたいと思います。
大谷地の皆様よろしくお願いします。
投稿者総務課主任 中島 典子
南郷18丁目の思い出
2011年11月09日
南郷18丁目に来たのは採用時の面接の時、この時が初めてでした。
当時はちょうど新館の改築作業中で、正面玄関がブルーシートで覆われていました。
団地の真ん中の病院で横には大きな駐車場の大型スーパー、近くに大きいネオンのパチンコ店。
周囲に大きなマンションが建ったり、コンビニやパン屋がなくなったりしても初めて来たこの街の
印象は僕の中では今もあまり変わってはいません。

南郷18丁目だけでの思い出って実はあまりないのかもしれません。
手術して入院した時も、夜遅くまで残って仕事していた時も、羊のいた焼き肉屋に行った時もいつも誰かがいて、この土地で地域でお世話になった人たちとの思い出が僕の中では南郷18丁目の思い出になるのかなとか思います。
「一は全、全は一(いちはぜん、ぜんはいち)」、この前読んだマンガに書いてありました。
人は一人では生きていけなかったり、植物は太陽が必要だったり、ウィルスさえも宿主細胞が
必要だったりと、結局はすべてのものはつながっているってことなんですけど・・・。
ちょっと哲学的過ぎましたか、あまりにも印象的な言葉だったので思い出してしまいました。

来年6月にはいよいよ新病院がオープンです、新しい土地で少しでもいい思い出が増えるよう
お世話になった皆さんに感謝しながら、地域の方々にも少しでも還元していけるようがんばっていきたいです。
投稿者放射線科副主任 高崎 芳郎
南郷18丁目の思い出
2011年11月02日
私が南郷18丁目に初めて足を踏み入れたのは入職日の2日前、ツベルクリン反応を受けに来た時でした。当時は車にカーナビなどついていなく、地図を片手に慣れない札幌の街をドキドキしながら運転してきたのを覚えています。その時見た「札幌徳洲会病院」は、忙しそうという印象しかなく、私はやっていけるのかしら?と思ったような気がします。
そんな私が10年以上ここで働き続けてこられたのは、やはり同期や職場の仲間がいて支えてくれたからだと思います。
南郷18丁目は、そんな仲間と時には愚痴を言い合ったり、時には意見の食い違いで衝突したり、時には道端で患者さんに会ってお話したりと、かけがえのない思い出がいっぱいです。
 
来年には大谷地に場所を移し、そんなかけがえのない素敵な思い出が更にたくさんできればいいと思っています。
そして、地域の方々にもここにできたのが札幌徳洲会病院で良かったと思ってもらえる病院になるよう努力していきたいと思います。
投稿者薬局副主任 杉村 ゆかり
南郷18丁目の思い出
2011年10月26日
私が南郷18丁目を働く場として踏み入れたのは、1998年からになる。
それまでは数カ所の地域で働き、私としては南郷18丁目が働く地になるとは考えてもいなかったが、一番長く居着いた地になった。

13年前、ある知り合いから札幌徳洲会病院で病理検査を立ち上げるから、やらないかと誘いがあったのが始まりだった。悩みに悩みこれを逃したら、病理を一から立ち上げることなど、一生経験することはないだろうと考え決断をしました。忙しさに追われあっと言う間の13年が過ぎ、思い返せば周りの環境も様子も大きく変化したんだなと気づきました。

私自身、新築移転は2度目の経験になるが大きな経験をさせてもらっていると思っています。新築移転した病院は今より施設も機材も充実し、地域の皆様に最良の医療を提供し信頼される病院になるよう努力していきたと思います。
投稿者検査室副技師長 藤岡 学
南郷18丁目の思い出
2011年10月19日
私がこの札幌徳洲会病院を知るのは実は就職活動をしてからになる。
当時、大谷地にある某大学に通い、ありきたりの学生生活をおくっていた。友人もこの病院の近所に住んでいて、よく遊びに行っていたのだ。
それにもかかわらず、自分が健康で病院とは縁のない生活を送っていただけに、このような住宅地に囲まれた所にあるとは思いもよらなかった。
そして、平成11年4月、この病院での社会人として新たな一歩を踏み出した。

年月の経つのは早いものである。今までのことを振り返ると、南郷18丁目界隈の環境の変化とともに、周囲の人に支えられてここまで歩むことができたのだと確信している。
今まで大きな病気なく元気に働いているのも、ひょっとしたら、病院にいるおかげなのかもしれない。

来年は新しい病院が大谷地に生まれる。
病院の移転により、ここ南郷18丁目の周辺は新たに変化するだろう。便利な条件がいくつもあるだけにここから移動するのはちょっと寂しい気持ちもするが、新しい病院が地域にとって大きな役割を果たし、将来的にはその周辺の環境をもかえるにちがいない。
自分にとっては母校の近くにまた通勤することになるが、これは何かの運命なのかもしれないと感じている。

いよいよだ。
投稿者医事課副主任 堀内 信行
南郷18丁目の思い出
2011年10月05日
その日より前の週の金曜日、友人達に就職が決まった事と来週の月曜日から研修として南郷18丁目に出勤することを告げ祝福を受けました。就職を決めて、4月の入社式までのんびり過ごそうとした計画は脆くも崩れ、遊び呆けていた友人たちから注がれたビールは苦味3割増しでした。

平成8年1月8日。今から15年前、札幌のその日の朝のことを覚えている人はどれくらいいるでしょうか。札幌徳洲会病院への就職が決まり、スーツを着てネクタイを締め、カバンを担いでドアを開けると、腰の高さまで積もった雪があたり一面を覆っていました。記録的な大雪の日が初出勤とはと自分のツキのなさを呪いつつ、30分も遅れた路線バスでも、初出勤の緊張から早めに出かける準備をしていて遅刻せずに済んだことに、ちょっとした閃きとめぐり合わせの妙を感じていました。初めての業務が除雪だったのも今ではいい思い出です。

道東の田舎から進学のため札幌に移り住み20年弱、現在は故郷での生活よりも札幌、特に勤務先である南郷18丁目での生活のほうが長くなりました。
多くの地域の皆様に支えられた、札幌徳洲会病院は平成24年6月に厚別区へ新築移転いたします。一般に働き盛りと言われる30代から40代を病院の歴史でも一大イベントと考えられる、新築移転のシステム担当として迎えられるのは、初日の閃きを今も持ち続けながら仕事を続けてきためぐり合わせと捉え、新しい地域の皆様に愛される病院作りに尽力したいと考えております。

厚別への初出勤日は大雪の心配もありませんし。
投稿者システム管理室主任 吉原 聡
南郷18丁目の思い出
2011年09月28日
南郷18丁目に足を踏み入れてから18年目を迎えついに去年この界隈に永住することに
決めました。これからもここが全ての中心となり最高の思い出もさらなる希望もこの
地から生まれて自分のささやかな生活に彩を添えてくれると願っています。
札幌徳洲会病院に入職してから今までを振り返るといつも仲良くしてくれる職員の仲間
がいて常に支えられていた気がします。仕事だけではなく私的な時間も『趣味や遊び』
『正しい酒の飲み方(?)』など多くの方に貴重な経験をさせてもらい社会人としての気構えや新しい観点を教わりました。
この恵まれた環境に感謝しながら来年大谷地に移転する新病院でも良い思い出を作り
最良の医療が提供できるよう努力していきたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
投稿者放射線主任 万年 敦也
南郷18丁目の思い出
2011年09月14日
某年3月。未だ春と呼ぶにはほど遠く雪の残る道すがら。
当院の採用試験を受けるため、緊張と不安と共に初めてこの地に降り立ったあの日からかれこれ数年間。
私と南郷18丁目界隈との関係は、その間も大きく変わること無しに今も続いている。
通勤の為に地下鉄駅を使い、ちょっとした日用品を買うためにルーシーに立ち寄り、仕事帰りに空腹で倒れそうな時には気軽に利用できるファーストフード店に足が向く。
そんな毎日を繰り返してきたように思う。
こうして一文にしてしまうと何と単調でつまらない毎日なのだろうと思われるかもしれないが(実際単調なものであることは否めないのだが)、そこには日々様々なエッセンスがちりばめられていた。
嬉しかったことも、楽しかったことも、苦しかったことも、悲しかったことも。
その全てがここ南郷18丁目と共に、今も私の中で息づいている。
それらは決して美談でもなければ、脚光を浴びるような派手派手しいものではないのだが、間違いなく私にとっての思い出なのだ。
当院が大谷地に新築移転するまで残すところ数ヶ月。
日常という名のかけがえのない思い出は、きっとまだまだ増えていくのだろうと思わずにはいられない。
投稿者検査室副主任 川端 珠美
南郷18丁目の思い出
2011年09月07日
道南の田舎町から進学のため都会の札幌北区へ。
そんな田舎ものが地下を通る乗り物に慣れたものの、ほぼ南北線のみの乗車客。
就職面接のため、未知の地域、東西線・・・そう『南郷18丁目』へ足を踏み入れる。
そのときからのお付き合いです。
人生の約3分の1を過ごし、社会人として勉強させてもらっているこの地域を
第2のふるさと言いたい・・・とは言い切れませんが、候補としてあげておきます。
医療従事者として『札幌徳洲会病院』で働かせていただき、酔っ払いとして『つぼ八』さんで一度痛い目をみて、日本ハムfightersファンとして『札幌ドーム通い』に重宝している・・・、未知の地域だったのにやっぱり十数年も生活していると思い出っていうものは自然と創られているんですね。
来年は病院移転のため、新たな地域に足を踏み入れます。
笑顔がでる思い出がそこでもいっぱい創れることを期待します。
投稿者放射線科副主任 植木 力
南郷18丁目の思い出
2011年08月31日
私が札幌徳洲会病院に来て早いものでもう間もなく17年目を迎えます。
引っ越してきた時はまだ20代で子供も2歳と0歳で右も左もわからず知り合いも無く、果たしてここで生活できるのか?馴染めるのか?すごく不安な気持ちでしたが早いもので子供たちも生意気な口をきく程に成長しました、自分も40代になり家族全員事故なく大病も無く何とか成長してきました。
私達は「この地域に育てられたんだな!」と思っていますが、病院も同じでこの地域で28年を無事に迎える事が出来て育ててもらいどれだけこの地域に貢献出来たのか?必要とされているのか?
来年は、隣の大谷地に引っ越しますが引続き南郷18丁目・白石区の医療と福祉に微力ながら貢献しつつ新しく行く大谷地・厚別区にも貢献できるように、より良い病院作りをして行きたと思います。
投稿者資材課係長 渡場 義幸
南郷18丁目の思い出
2011年08月24日
地下鉄の階段を登りきると、左は銀行とバスターミナル。右手には比較的大きな交差点。目の前の横断歩道を渡り左折し直進。居酒屋、コンビニ、ドラッグストア、パチンコ、ケンタッキー。どこにでもある地下鉄駅周辺の光景。コープ札幌ルーシー店を右方向に確認。その駐車場を横切ると札幌徳洲会病院が見えてくる。同時に僕の住んでいるマンションも視界に捉えることが可能だ。僕にとって南郷18丁目は働く場であり、日常生活を営む場でもある。
 僕の好きな18丁目の景色、それは自宅の東向きの窓から見える何気ない風景。春、夜明け。目覚めてカーテンを開けるとだんだん空が白んでくる。空の水色と朝日の朱色のせめぎ合い。夏、暖かい夜。紺色の空の下、テラスに出てスパークリングワインを傾けながら横目にみる病院。いつも誰かがそこにはいる。秋、夕暮れ。すずめが止まるナナカマドの木。夕日が全てを赤く染める。冬、早朝。目覚める時間はまだ夜明け前。一面の雪を闇が包む灰色の世界。一日の始まりを待つ張り詰めた静けさ。
 今、南郷18丁目が“生活の場、働く場”。から“生活の場、通勤路”に変わろうとしている。役割を終えてひと時の眠りに着いた病院。アイラを飲みながら眺めるその姿は僕にどの様な感慨を起こさせるのだろう。それとも何をも感じさせないであろうか。
投稿者医事課主任 柏木 真志保
南郷18丁目の思い出
2011年08月18日
「南郷18丁目」というと 「仕事先」を連想しました。  
仕事先の1回目は治験の会社にいた頃、南郷18丁目界隈のクリニック担当になり、週に2,3回通勤しました。2回目は約3年前より当院へ入職してから 通勤しています。
治験をとりまくCRCの環境も1回目に通勤していたときと今とでは随分変わりました。改めて月日と治験業界の流れの速さを感じています。
「思い出」といってもぱっとでてこないのですが、隣に生協や銀行、コンビニがあって仕事帰りに寄れるのですごく便利なこと、GCP実地調査のあと打ち上げした居酒屋、地下鉄駅から病院までのサイクリングロードや病院窓から見える近くの公園の木々で季節を感じることが思い浮かびます。
新病院になったら周りの環境も変わることになりますが、どんどんグローバル化している治験の環境変化にもおいていかれないようにがんばります。
投稿者治験センター 副主任 小倉 美智代
南郷18丁目の思い出
2011年08月10日
「南郷18丁目の思い出」といわれて考えても、思い起こされることが余りに少ない。
考えるほどに迷宮入りしそうだ。若い頃から記憶を巻き戻ししてみると、病院に入職と同時にこの街に移り住みました。若い頃は病院がとても忙しく思え、日々時間に追われ自分のやるべき仕事で精一杯。患者様のことまでは考えられませんでした。それでいて、先生・スタッフの活気?熱気?があったように今振り返り感じています。今がそうじゃないわけではなく、自分が歳をとったせいで現在は気後れしているせいだろうと自身に言い訳します。その当時から現在進行形で頑張っている先生達もその頃は相当に若く、昼夜患者様の治療に追われていた様に感じますが、それもまた楽しかったいい思い出です。・・・現在は違う意味で(新病院に向けて)皆が無我夢中で試行錯誤しながら頑張っています。私自身も遅ればせながら、若いスタッフに付いて行きたいです。プライベートにおいて、この街は私のフィールドである海・山へのアクセスが良く、家族の出来た今現在でもこの街にいますが、家族共々満足しています。その仲間が怪我をした時も、当院の外傷の先生たちは時間外でもいやな顔もせずに診察してくれ、公私共々この街・この病院に漬かっています。
私はこの病院に来て、この街を知り、仕事の仲間にも恵まれ、プライベートの友人、家族も出来たように思います。若い時と違い熟年・老年に向け、患者様の気持ちに耳を傾けながら歩みたいと思います。
投稿者ME室主任 安藤 偉子
南郷18丁目の思い出
2011年08月03日
私が南郷に住みはじめてから、約10年が経ちました。
今では、すっかり第2の故郷と言えるほど、この地域に溶け込んでいます。
思い返すと、この10年沢山の思い出があります。
中でもとても強く記憶に残っているのが、勤め先であるこの札幌徳洲会病院に夜間救急で受診したことです。
5年前、病院のサークル活動でバスケットボールをした際、開始数分でアキレス腱を切ってしまい、現場にいた職員の方に当院の夜間救急に連れて来てもらいました。
いつもお世話になっている医事課の方や看護師さんに、「どうしたの?」「大丈夫?」と声を掛けて頂き、安心したのと同時に恥ずかしいやら申し訳ないやら複雑な気持ちでした。
診察室のベットで横になりながら待っていると、先生や看護師、スタッフがバタバタと走り回りながら診療している姿を見て、益々申し訳ない気持ちになりました。
そんな中、みなさんにやさしく声を掛けて頂いた事を、今でも感謝しております。

来年、大谷地に新病院が建ちます。今までは建物が古いため、何かと患者様にはご迷惑をお掛けしていると思います。
現在、建設中の新病院はより大きく設備もグレードアップします。
今まで以上に快適に、より安心して医療を受けて頂けるための準備がもうすぐ整います。
日々「はやく建たないかな?」と思っていますが、逸る気持ちを抑えつつ、「りっぱな病院だね」と言ってもらえるよう、開院するその時に向け準備していきたいと思います。
投稿者視能訓練士副主任 木村 清矢
南郷18丁目の思い出
2011年07月28日
わたくし事ですが、札幌徳洲会に勤務させて頂き20年に成りました。
自分を社会人として育てていただいた職員、地域の皆様に感謝いたします。
二十歳の頃、私は東西線で学校に通っていました。地下鉄で毎日通過していましたが南郷18丁目には降りたことがありませんでした。当時、徳洲会に入院した事が南郷18丁目の想い出のはじまりです。気胸という病で入院したのです、肋骨の脇からチューブが出ている他は特に不自由の無い入院生活を過ごしました。入院中は5階病室から窓の外ばかり見ていました。一戸建て以外の建築物は、ほぼ見えません。まだマンションもまばらでサッポロドームもない、住宅地と丘に“寂しさ”を感じました。
学校卒業後、就職して家庭を持ちました。今度は転倒して病院にお世話になったのです。窓の外ばかり見ていた前回とは違い、近くの書籍・ファーストフード店・CDレンタル店等を知っていましたので、家族が見舞ついでに用を足してくれました。思い出のひとつですがこの時、南郷18丁目周辺には私が学生の頃に、北大周辺まで地下鉄で行ったモスバーガー、白石まで通ったケンタッキー、レンタルCD、みよしの餃子(ルーシー店)などがありました。

来年、徳洲会病院が新しく生まれかわる大谷地、地下鉄駅には少し遠くなります。病院が引っ越す事で、バスの増便・路線の充実、住宅の整備、スーパーの出店など、“ご近所が活性化してくれたらいいな!”と、今から期待しています。
投稿者医事課主任 金田 卓也
南郷18丁目の思い出
2011年07月20日
私が札幌徳洲会病院にやって来て早15年が経ちました。
当時、地元の道東から都会の札幌にやって来るのは、超弩級の方向音痴の私にとっては、
一代決心であり、とても緊張していたのを覚えています。
当時、私の毛髪はおばさんパーマをかけ、みょうに膨張しており、そんな私を快く採用して下さったのが、当時の医事課長(現・帯広徳洲会病院・事務長)山本課長でした。
とても感謝しています。
そして現在に至りますが、相変わらず方向音痴ぶりは健在で、ごく最近も新札幌周辺でプチ迷子になり、来た道を引き返し通常の倍の時間を要し用事を済ませたぐらいです。
そんな私が今度、新病院建設に伴ない大谷地周辺で迷子にならない訳もなく、今から不安な毎日を過ごしております。
新病院移設後、ウロウロしている私を見かけた、私を知っている方々は“あーまた迷子になっていやがる”と暖かく見守って下さい。
できる事なら、そのまま現土地に建ててほしかった・・・・・
投稿者経理課副主任 種市 一学
南郷18丁目の思い出
2011年07月14日
私が南郷18丁目を訪れたのは、20数年前の就職の面接にやって来たのが最初でした。
地方から出て来て、札幌で学生時代を過ごしていたのが北区だったため、行動範囲に入っていない白石区はまったくわからない地域でした。
当時の札幌在住の友人に聞くと、南郷通りという大きな通り沿いに進んで行くと急に大きめの建物が少なくなって寂しくなるところで、やたらでかい生協を増築している所だと説明を受けた記憶があります。
実際のところ、18丁目より大谷地側は確かに建物が少なかったですが寂しい感じはなかったです。
当院に就職した翌年に工事中だった大谷地生協は「ルーシー」と改名してオープンしています。
今で言うところの郊外型複合施設の先駆けですが、建物の上にプールがあるのを見て「すげ?やっぱ都会だなー」と田舎者発言をして笑われた思い出があります。

それからウン十年が経ち、たくさんの思い出がある南郷18丁目から厚別区の大谷地に来年6月に病院を移転します。
新しい地域で新しい思い出が出来るのも楽しみにしています。
投稿者放射線副技師長 石垣 周一
南郷18丁目の思い出
2011年07月06日
就職するまで札幌には住んでいなかったので南郷18丁目というと、就職して一人暮らしを始めた土地というイメージが強いです。当時は同僚の子と仕事帰りによく食事をしに行った楽しいことや、また冬には私が住んでいるアパートの水道が凍結し大変だったこと、さらに私が住んでいた地区の向かい側が清田区に変わってしまうなど変化もあったという記憶があります。また就職前のことですが、北野の知人宅に遊びに行き、帰り迷子になって大変だったという思い出もあります。さらに道を聞いた人に緑の徳洲会の看板を目印に帰るように言われたことを今でも覚えています。
それから十数年、今私が住んでいたアパートの近くはずいぶん店舗が変わってしまいましたが、アパートと隣の家は今も健在でそこだけ時代が変わらずにいるようでほっとします。
 新病院ができると今の病院も変わってしまうんでしょうね。なんせ古いから。きっと立て直されてしまうんでしょうが、昔私の道標になったこの看板は、リニューアルしてもいいのでいつまでも緑の看板で残ってほしいなと思います。
投稿者栄養管理室主任 澤田 千恵
南郷18丁目の思い出
2011年06月29日
 この地区に生まれて来月で32年。小学校時代、今は分かりませんが当時は無意味に校区外へ出ることは禁止されており小学校の先生からもそのことは耳にタコが出来るくらい言い聞かされていました。しかし、校区外であった南郷18丁目付近は冒険公園やルーシーなど、日が暮れるまで外で遊んでいた僕には魅力的な地域で、内緒で友達と何度か遊びに来たことを覚えています。(怖いお兄さんたちに声を掛けられ逃げた事もありましたが…)
 ある日、中学校の授業中に○○君が肺気胸になりお見舞いに来たのがこの徳洲会でした。大きなマンションが建つ前は家から徳洲会を見ることができましたが、当時の僕には遊ぶところではないので全く魅力的ではない場所でした。
 しかしながらそれ以降も、お餅がお腹に詰まって苦しんでいる母や、冬に我が家へ遊びに来た時に玄関前で氷に足を滑らせ腕を骨折した母方の四女、日ハムファイターズの限定のお弁当を買いに走り札幌ドームで転倒し足を捻挫した母方の三女、これまた冬道の氷に足を滑らせ足を骨折した母親の双子の姉、生後三カ月で入院することになった愛しの我が長男などみんなが徳洲会のお世話になり、大人になるにつれ僕の中で地域に貢献しており魅力的なのは遊び場だけではなくなっていました。
 そんな私自身も大学時代に徳洲会に実習でお世話になり、その理念に共感し働かせて頂いて10年が経とうとしています。遊び場には負けないくらい魅力的な場所であるよう、これからもその一員として仕事に励んでいきたいと思います。
投稿者薬局副主任 福野 和治
南郷18丁目の思い出
2011年06月22日
私はH4.4月、当院に入職しました。
当時、里塚(清田区)に住んでいた私にとって、南郷18丁目に縁はなく札幌徳洲会病院も、知らない病院のハズでした。医事課(受付や会計をする部署)に入職し自分のカルテを作成する為に一応、名前を検索したところ、同姓同名、同生年月日のカルテが出てきました。そこにいたのは、昭和61年10月、高校3年生の私でした、サッカーで足を痛め土曜の深夜に受診していました。こんな時間にやっている病院を探し、親がつれてきてくれた様です。カルテを見てみると、゛Mo゛というサイン・・・当時、当院での研修期間が終了したはずの若かりし頃?の森院長ではないですか!!当直のお手伝いにでも来ていたのでしょうか?今と違って文字がきちんと読めます。(院長先生すいません)
覚えていないので、「思い出」とは言わないのでしょうが、南郷18丁目=札幌徳洲会病院との縁は知らないうちに出来ていました。地域的に来る事もなく、名前さえ記憶になかった病院に入職し、20年がたとうとしています。
投稿者医事課係長 西村 真樹
南郷18丁目の思い出
2011年06月15日
南郷18丁目の思い出と言うテーマ・・・
やはり「札幌徳洲会病院」これでしかないとおもいます。
私は新卒で徳洲会病院に就職し札幌に住みはじめました。この病院で働き、食事をいただき、月に数回は泊まっています。
時間だけをみても人生の半分をここで過ごしている様に思います。 この病院で育てられたと言ってもいい様なものです。
正直に言うと「札幌徳洲会病院バンザイ」です。
今、震災等で大変な状況にある方々は多数いると思いますが、どのような状況の中でもそれぞれ個人がやるべき仕事はたくさんあると思いますので、それを少しずつこなしていければと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
投稿者放射線副主任 笹井 拓人
南郷18丁目の思い出
2011年06月08日
私は、結婚を機にこの街に移りました。約20年も前の事です。
(当時は私も若かった…可愛かった…やせていた…)
私にとっての思い出の場所は、息子が通っていた「たかだ保育園」です。
昔は、ボロボロ(?)だった保育園も息子が卒園後に建て替えられ、子供達が恐れていたねずみばぁさんが出る薄暗い布団部屋もなくなり、全ての部屋に明るい日差しが差し込む素敵な保育園に生まれ変わりました。
色々な行事を通して、子供の成長を感じさせてくれた保育園にとても感謝しています。
私は、保育園にいくのが大好きでした。目を輝かせて話し掛けてくれる子供達が、とても可愛くてたまりませんでした。そんな保育園での思い出が、私にとっての18丁目の思い出です。

さて、子供が大きく成長した後は…
放射線科の受付嬢(!?)から「ちょろっと行きませんか?」とお誘いメールが届き、仕事をさっさと終わらせて、5時ダッシュ!!
冷たいビールを求め、イキイキとした軽快な足取りで18丁目界隈の居酒屋へ…
「ジャンボ焼き鳥つかさ」は、よく行くお店のひとつ。新しく設置された看板を指差し、「あれは私達が飲んだお金でつけた!」と豪語し、何かあるといつも寄り道してしまいます。ちょろっとのつもりが、楽しくていつも飲み過ぎてしまうんです…反省…

南郷18丁目に住んでいる限り、きっと楽しい思い出は増え続ける事でしょうね…

投稿者健康管理センター副主任 岡野 友美
南郷18丁目の思い出
2011年06月01日
幼少の頃より厚別に育った私は、成人して札幌徳洲会病院に入職するまで「南郷18丁目」は白石や札幌都心部に向かう際の通り道程度の印象しか持っておらず、大きなダンボールの工場があったこと位の記憶しかありませんでした。しかし、まっすぐ、北側の国道12号線まで出ると、路線バスの回転場があったり、「白石百貨店」(という名称だった思いますが)や洋裁学校あったり、とわりと大きな建物があり、当時の厚別と比べると賑やかだった印象は持っていました。
その後、「南郷通り」が整備されたり、市営地下鉄が「白石」駅から「新さっぽろ」駅まで伸延されたりしましたが、だんだん自転車やバスを使用しなくなる年齢になってくるとすっかり「南郷18丁目」付近を通ることもなくなりました。
地下鉄「南郷18丁目駅」を利用したのは、学生の時、病院実習のため札幌徳洲会病院・薬局に訪れた時でした。地下鉄の駅ができたことでバスターミナルや銀行、大型店舗などが立ち並び、昔の記憶しかなかった私はあまりの景色の変貌に一瞬、病院の方向を見失うほどでした。
入職して二十年経過してからも、病院周辺は新しい店舗、住居などが激しく入れ替わり立ち替わりしてずいぶん変わっているようです。病院が移転してもどんどん変わっていくのかと思うと楽しみでもあります。
投稿者副薬局長  岡部 幸男
南郷18丁目の思い出
2011年05月25日
私がこの「南郷18丁目」の地に初めて着たのは、当院に就職する為の面接の下見に来たときでした。それまでは、実家が札幌の中央区ということもあり、地下鉄「東西線」大通りから新札幌方面に向かって乗るということがなく、「大通り」を超えてどきどきしながら「南郷18丁目」を目指しました。本当に未知の世界でした。
 「南郷18丁目の思い出」と改めて聞かれると、この病院に就職してまもなくの頃、なれない仕事にぐったりとして病院を後にする毎日を送っていました。そんなとき、同じく入職したばかりの看護師さんと共に病院から地下鉄へと向かう途中にある和食レストラン「とんでん」で遅い夕食を取りながら、グチをこぼし、お互いに励まし合ったりしていたことを懐かしく思い出しました。
 現在も地下鉄通勤をしていますが、仕事が終わるとまっすぐ帰宅する毎日です。地下鉄では、ほとんど本を読んですごしています。そのため、帰り道にある書店「文教堂」には、週に2回は足を運んでいます。大谷地に移転してしまうと、帰り道の楽しみが減ってしまうと、考えるとちょっとさみしい気もします。今現在、「大谷地」は未知の世界です。新病院開院とともに、新たな楽しみを見つけたいと思います。
投稿者ME室副主任 林 聖子
南郷18丁目の思い出
2011年05月18日
私は自動車の運転免許を持っていないので、移動の足は地下鉄・自転車と、文字通りの自分の足(徒歩)のため、「南郷18丁目」というと地下鉄の駅名が真っ先に思い浮かびます。思い浮かぶのですが、地下鉄南郷18丁目駅に関する思い出というのは特になく、その前後の南郷13丁目駅ならば南郷7丁目駅との間のサイクリングロードの桜並木の見事さ、大谷地駅ならばそこから出ている新千歳空港との連絡バスに関する思い出などを書くことができるのですが、南郷18丁目駅に関しては、大通駅との間の片道料金が南郷13丁目駅までは240円なのに、次の南郷18丁目駅で280円に上がるのが少しくやしいとか、土曜・日曜・祝日ならばドニチカキップ(500円で1日乗り放題)を使えば大通?南郷18丁目間の往復が60円お得とか、南郷18丁目駅と南郷13丁目駅は隣同士なのに、文字の「18」と「13」・耳で聞く「ジューハッチョーメ」と「ジューサンチョーメ」が似ていて紛らわしいとかいうことしか思いつきません。
駅名が紛らわしいといえば、地下鉄東豊線には、札幌東徳洲会病院の最寄り駅の「新道東」のように「○○東」という駅名が多くて紛らわしく、私も東徳洲会病院に行く時に「新道東駅」ではない「○○東駅」で間違えて降りてしまったことがあります。
「南郷18丁目の思い出」というお題で、地下鉄の駅以外にも何か書くことがありそうなものですが、「地下鉄南郷18丁目駅」しか思い浮かびませんでした。というわけで、「南郷18丁目の思い出」は私にとっては難しいお題でした。
投稿者検査室副主任 田辺 裕
南郷18丁目の思い出
2011年05月11日
H7年2月の深夜、私は当院に運ばれました。その時のERは増築前だったので今とは全く違う場所にありました。狭くてかなり古びており、カーテンで仕切られていました。まだ幼かった私は痛いのと不安で何が何だか分かりませんでした。当時当直だった外科の山口先生に診ていただき、深夜でしたが先生も看護師さんも本当に優しく接してくれて、ほっとして泣いてしまった事を覚えています。
学生時代の病院実習は当院、そして就職先も当院。気が付けば入職して13年が経ちました。同期が次々と辞めていく中、未だ残留しています。
このエッセイを書くにあたりネタ探しに院内を見渡すと、普段は目にとまりませんが、あちらこちらの壁に傷があり、天井には雨漏りの跡があります。うちの部署も天井から水が噴き出し、ずぶ濡れになってパソコンを運び出したこともありました。それらの修繕した跡を見るたびに「頑張れ徳洲会!」という想いがこみ上げます。
新病院の移転先は私の生まれ育った厚別区。これもまた・・・何かの縁でしょうか。
白石区から厚別区へ。用途地域も変わりどんな統計が出せるかと今から楽しみにしています。
 「新病院」・・・来年の6月になれば、ここ白石区の徳洲会は「旧病院」と呼ばれるのでしょうか。真新しい空間で働くことへの期待もある半面、何となく寂しい気もします。
投稿者病歴管理室副主任 三森 悦子 
南郷18丁目の思い出
2011年05月06日
この5月1日で当院は開院28周年を迎えました。と同時に私も勤続28年を無事迎えることができました。
他の方々も触れておりますが、当時病院横のマンションはなく土のグラウンドだったり、隣接するルーシーも新館側がなかったりとかなり広々としていたと記憶しております。
また高い建物が少なかったため豊平川の花火も見ることができ自然そのものでしたが、今では高層マンションが立ち並ぶ都会となりました。
入職するまで南郷18丁目を訪れる事はありませんでしたが、今ではすっかり生活の基盤となり、近くの美容室とクリーニング店は28年間今でもずっとお世話になっております。
おそらく新病院が大谷地に移転してもこれまで通りお付き合いさせていただくと思います。
とても愛着のあるこの病院も28年もの歳月を送ってきたため老朽化が激しくなり水漏れ等後を絶ちません。なんとかあと1年1か月持ち堪えてほしいものです。
人生の中で2度も新しい建物で働けるということは、滅多にない幸せなことだと感じております。
初心忘るべからず、南郷18丁目でのたくさんの経験を今後の新病院に生かしていきたいと思います。
投稿者資材課係長 樋口 千恵
南郷18丁目の思い出
2011年05月02日
私は札幌徳洲会病院で働くようになって10年になります。それまでは、千歳で働いていて恵庭に住んでいましたが、札幌徳洲会病院への転勤に伴って南郷18丁目近辺に引越しをしてきました。引越しするまでは、南郷18丁目に来ることがなかったため土地鑑もなく当初は戸惑うこともありましたが、病院の近くにはルーシーや飲食店も多数あり、南郷18丁目での生活に慣れるのにもそれほど時間はかかりませんでした。
また、私がこの病院に勤務する頃には増改築により現在の病院の状態になっていましたが、以前は駐車場も広かったと言う様な話を聞いた事がありました。年数を経て建物もだいぶ古くなってきてしまいましたが、いよいよ来年の6月に新病院へ移転することとなり、大谷地へと場所を移すことになりました。長く勤務していた土地を離れるのは寂しい気持ちもありますが、新病院では土地も広くなるため、患者さんにも職員にも今よりも喜ばれる良い病院になると思います。新病院へ移転しても、この土地で学んだことを活かしていきたいと思っています。
投稿者薬局副主任 竹内 正真
南郷18丁目の思い出
2011年04月27日
私が札幌徳洲会病院に入職したのは平成6年4月です。私が初めて札幌徳洲会病院に来たのは、同じ年の3月中旬だったと思います。当時、私は東京の学校に通っていて、入職の面接のために南郷18丁目に来ました。実家は札幌近郊ですが、南郷18丁目というより白石区に来たことはほとんど無く、地図を見ながら親の車を運転して病院に着たことを良く覚えています。
 初めて病院を見た感想は『大きな病院』って感じでした。その当時の病院はまだ新棟も無く、現在と比べるとかなり小さかったのですが…。ただ、病院前の駐車場はかなり広かったです。
 病院周辺では南郷通沿いのファミリーレストラン『とんでん』の向かいにある『なか卯』は、当時『モスバーガー』で、その向かいのマンションはレストラン『サンマルク』だったはずです。でも、病院の隣りにある生協『ルーシー』は当時と変わっていません。
 来年、札幌徳洲会病院は1駅隣りの厚別区大谷地に新築移転します。移転してから10数年経った後、『新築移転時の南郷18丁目はどんな所だったか?』と聞かれても答えが言えるように、現在の南郷18丁目周辺の状況をしっかりと頭の中に焼き付けておきたいと思います。
 新築移転まで1年と少し、これから大変な事がたくさんあると思いますが、みんなで力を合わせて頑張っていきましょう。
投稿者放射線主任 馬場 貴之
南郷18丁目の思い出
2011年04月13日
今年は8年ぶりに眼科に新入職員が配属されました。
4月になると毎年30?50名前後の方が入職しますが、皆さん緊張した面持ちで清清しい印象を受けます。毎年この時期になり、新入職員の姿を見るとこちらまで気持ちが引き締まる感じがします。
私が新入職員だった13年前は、まだ眼科は開設されていませんでした。
入職後、2ヶ月で眼科を立ち上げる必要があり、さらにその4ヶ月後には当時まだ珍しい近視レーザー手術(現在は中止)を行う予定がありましたので、新人の自分にはプレッシャーで不安の毎日でした。その時期は開設に向け朝早くから、夜遅くまで残り同僚に「お疲れ様! 6時間後にまたね」と家路につく日も少なくなかったと思います。地下鉄通勤をしていましたので、「南郷18丁目」の看板を見るたびに気が重くなっていたことを思い出します。
その後、紆余曲折を繰り返しながらも、現在では先進医療「多焦点眼内レンズ」の施設基準取得し、昨年度は過去最多の手術件数となりました。「道民雑誌 クオリティ」「いい病院2011」にも掲載していただき、これからも地域の皆様に貢献できるよう、邁進していきたいと思います。
最後に、この度は東日本大震災により、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に対して心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
投稿者視能訓練士主任 富樫 輝夫
南郷18丁目の思い出
2011年04月07日
雪がとけて春の訪れと共に新年度が始まりました。新入職者が揃い新しい体制がスタートしました。今年度は「南郷18丁目」で働く最後の1年となります。
 私は平成23年1月よりリハビリテーション科の責任者となりました。この冬はスタッフが不足している中で過去最高数の患者様がリハビリを受けられました。
 私たちは患者様が怪我や病気になり、以前のような生活に戻るためにリハビリテーションを行います。スタッフはその患者様の怪我や病気を治す手助けをし、さらには仕事復帰や以前の生活に戻れるように運動内容を考え、動作練習を行い、生活環境を整えるなど頭を悩ましているのです。スタッフが担当する患者様が増えるほど業務が増えると同時に、患者様一人に対してたずさわる時間が減少してしまいます。その現状が今です。患者様の増加とスタッフの不足。これを改善することが私の仕事だと考えます。
 これから「新病院」ができて心機一転、質の高いリハビリテーションを実施できるよう、スタッフの増員と仕事量の見直しをはかり、患者様にとって、そしてスタッフにとって理想の体制を作っていくことが私の使命だと思います。我々スタッフは患者様と一緒に怪我や病気から回復できるようにお手伝いをさせてもらいます。一度見に来てください。素晴らしいスタッフ達が一生懸命働いている姿を。
投稿者リハビリ室主任 中田 敦
南郷18丁目の思い出
2011年03月30日
私がこの病院に入職したのは、今から20年前の平成3年4月1日でした。雪がうっすらと残る春間近の風景だったことを覚えています。8時までに出勤予定でしたが、7時頃についてしまい、病院の周りを時間をつぶす為に歩き続けていたのが昨日の事の様に思いだされます。
一般の社会では当然の転勤や移動なども、幸か不幸かわかりませんが札幌病院・医事課一筋、20年を迎えました。入職当時は我が医事課も現在の半数の人数(現在約30名)で業務をこなしていましたが、何せ人手が足りず激務の毎日でありました。その為か、離職率も非常に高く、志半ばで離職をされた方々を横目で見ながら、正直羨ましい気持ちになったこともありました。では何故自分がここまで頑張ってこれたのだろうと考えると、一つだけはっきりと言える事は、年中無休24時間診療を掲げ、他にはできない医療を実践しているからであると思います。24時間診療を行うと言う事は簡単なことではありません。医師はじめ看護師、検査技師、放射線技師、薬剤師、臨床工学士、そして事務とさまざまな職種で365日当直を置き業務を行う必要があります。どんなに時代が進歩してもこれだけは徳洲会が存続する以上変わらないことなのです。すなわち人材は宝です。患者さんを大切に、そして職員を大切にしていかなければ、徳洲会が存続して行くことはできないでしょう。
現在はマスコミ等でよく耳にする医師不足が話題となってなっています。当院も例外ではなく、頭を悩ませています。医師不足の為、みなさんのご希望に添えない事もあるかと思います。今は院長を中心に一致団結し、患者さんを断らない為にはどうしたら良いか、試行錯誤し頑張っております。
当院は近隣の皆さまに支えられ、新病院が建設できるまでに成長できたと考えております。新病院に移りましても変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。
投稿者医事課長 沼田 圭介
南郷18丁目の思い出
2011年03月23日
私が徳洲会グループに入職して今年で23年目になります。
平成元年8月、東区の札幌東徳洲会病院に入職し医事課、総務課に所属して、平成6年5月、白石区南郷18丁目の札幌徳洲会病院 総務課に転勤となり、平成16年12月に厚別区にある介護老人保健施設コスモス 総務課に転勤、平成19年6月豊平区に新規開設した有料老人ホーム、ケア付き住宅徳洲会に転勤、その後、平成20年10月に再度、札幌徳洲会病院 研修委員会事務として転勤となり、平成22年6月医療連携室に異動となり現在に至ります。札幌徳洲会病院には合わせて約13年間の勤務をしています。
私にとって「南郷18丁目の思い出」は一言で言うと「生命を生き長らえた場所」です。平成15年12月札幌徳洲会病院で勤務中に、意識喪失し倒れましたが、職員の方々に助けられ、心臓病がその時初めて分かり、ペースメーカーを体内に埋め込み一命をとりとめる事ができました。又、平成22年12月に札幌徳洲会病院で勤務中に同じように、医療連携室内で意識喪失、たまたま職員の方が部屋で倒れている私を発見していただき、左上腕骨骨折だけで一命をとりとめる事ができました。白石区南郷18丁目、札幌徳洲会病院に勤務していたからこそ、職員の皆様方に助けていただいたお陰で、今の自分が存在します。皆様、ありがとうございました。
それぞれの場所で色々な思い出はありますが、この南郷18丁目は、病院立地条件としては、色々な面でいちばんよい環境であると思います。交通面では、地下鉄南郷18丁目駅から徒歩5分、通院、入院、お見舞い、通勤にも便利である事。買い物面では、全道1位、全国2位の売り上げの生協ルーシーがあり
食事面では、病院近隣徒歩圏内にファミリーレストラン、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、居酒屋、焼肉屋、ラーメン、カレー屋とほとんど揃っています。近隣には、金融機関、郵便局もあり、患者様、ご家族、職員にとってもあらゆる面で恵まれた、他には無い最適な環境です。
又、いちばんの重要な事は、近隣、町内会の皆様方、医療機関の皆様方の多大なる、ご協力、ご理解をいただいた事が、28年間白石区南郷18丁目に札幌徳洲会病院が存続できた理由であると思います。来年6月、厚別区大谷地東1丁目に新築移転し、地下鉄は大谷地駅が近くとなります。札幌徳洲会病院が生まれ育った地域「白石区南郷18丁目」近隣の皆様方を中心に巡回送迎バスを計画しています。新転地は、一からのスタートとなりますが、これから近隣の方々、町内会の皆様方にご理解、ご協力をいただき、他の医療機関との連携を強化していきたいと考えております。どうか今後共、よろしくお願い申し上げます。
投稿者医療連携室係長 小山内 康晴
南郷18丁目の思い出
2011年03月16日
「南郷18丁目の思い出」・・・・・通称、「なんぱち」ですか。
地下鉄駅はよく利用しましたよ! 近隣の飲食店やコンビニ等もほぼ行きました!特に生協ルーシーのお惣菜コーナーが大好きでお弁当などよく買っていましたが、住居が18丁目付近ではないうえ、車通勤の私にとっては南郷通近辺を走ることは通勤時のみであり、土地自体にはあまり未練はありません・・・・。
 「病院」の思い出・・・・私が徳洲会グループに入職して今年で22年目になりますが、最初に入職したのが札幌徳洲会病院(昭和63年)でした。当時はもちろん新館や増改築部及び地下部もなく、立体駐車場もありませんでした。今では考えられませんが、車通勤者も病院敷地内に駐車しており、駐車場料金を給与から控除するようなこともなかった時代です。入職してまだ若かったせいもあり、当直時に事務所で焼き鳥をして食べたり(一階に焼き鳥のにおいが充満してかなりあせった)、当直明けで病院敷地内の片隅で車の改造をしたりと、ここに書けないようなことがまだまだたくさんあり、仕事は辛かったけど楽しいことがいっぱいありました。
その後、7年程勤務して他院に転勤となり(札幌徳洲会病院→静内病院→札幌南青洲病院→札幌徳洲会病院)、2年前にまた札幌徳洲会病院に帰ってきたのです。幸運にも大中小規模病院で勤務ができ、「医事課→資材課→医事課→総務課」と違う畑で仕事をさせて頂いたおかげで、その部署の大変さや施設によって異なる異常なストレスやプレッシャーを味わう事ができました。
さて、偉そうなことが言える立場ではございませんが、「南郷18丁目」の地域住民の方々、病院は、大谷地に新築移転してしまいます。受診はさることながら、皆様から接遇等色々なことを教えていただき学ばさせていただきました。皆様が当院に対する思いはさまざまかと思いますが、これからも、地域密着医療を忘れずに頑張っていきたいと思います。
今後は、地域の皆様と一緒に、「大谷地東1丁目の思い出」を・・・・・・

投稿者総務課長 田中 文昭
南郷18丁目の思い出
2011年03月09日
 平成11年、ご縁があって、当院ではじめてのソーシャルワーカーとして採用して頂きました。介護保険が始まる頃で、準備を通して、院内・院外の皆様にソーシャルワーカーの存在を知っていただくことが出来ました。それから、あっという間に10年を越してしまいました。当時から、新築移転の話があったくらいで、はじめは、2階に廊下の隅を仕切った一角を作っていただきました。机と椅子しか置けない相談室でしたので、相談に来てくださった患者様には、不自由な思いをさせてしまいました。
 現在は、ソーシャルワーカーが4人となりましたが、建物が広がるわけがなく、相談のスペースがないのは同じです。患者様、ご家族様には申し訳なく思います。部屋は狭くても、心は広く!?フットワーク軽く、階段を昇り降りして、こちらから患者様のところへ出向き、お話を伺うように心がけています。もしかしたら、病院内のあちこちに出没しているのはソーシャルワーカーが一番多い?と思っています。(誰か、若くないのに・・・と言いましたか?)
 新築移転後は、正面玄関のすぐ近くに立派な相談室を作っていただく予定です。中身も立派な器に負けないよう励みます、もちろん院内、院外へ出歩きます。
投稿者医療相談副室長 上井 奈穂美
南郷18丁目の思い出
2011年03月02日
20数年前の3月下旬、何日だったのかは遠い記憶の彼方ですが、まだ20代だった私は大洗?苫小牧航路のなんと就航便のフェリーで、愛車と共に南郷18丁目にある札幌徳洲会病院を目差していました。4年間勤め、第二の故郷と思えるほど好きになった湘南サウンド発祥の地、チャコ海(サザン)・烏帽子岩の茅ヶ崎を、ちょっと古くは加山雄三の茅ヶ崎を、社会人として初めて勤務し色々教えてもらった先輩や仲間達のいる茅ヶ崎病院を、感謝の気持ちと後ろ髪を引かれる思いで後にし、大洗(茨城県)からフェリーに乗船しました。就航便ということで、船内では樽酒が振舞われており、おかげでぐっすり眠ることが出来ました。 朝、目を覚まし港に近づくと、まだ明けきらぬ寒空の中、たしか地元(苫小牧)の中学生の吹奏楽部の皆さんが、演奏で出迎えてくれたのを覚えています。そして、苫小牧から、ちょっぴり不安な夏タイヤでしたが(当然冬タイヤは持っていませんでしたので)高速を通り無事病院に到着、それから今日迄、20数年間この地でお世話になりました。
茅ヶ崎時代は野球部に所属しており、まだ徳洲会が10病院だった頃の“徳洲会ソフトボール大会”の優勝ピッチャーだった(ちょっと自慢です?)私は、札幌転勤後も、ゴルフ部と野球部に入り、夜明けと共に早朝ゴルフ・早朝野球、その後に出勤ということも珍しくありませんでした。 ゴルフ部では毎年、泊りがけでゴルフツアーも開催されていましたが、その日が間近にせまったある日の早朝野球で、センターライナーを追った私は、雨降り後の凸凹のグランドに足をとられ転倒し、足を骨折してしまいました。 とても楽しみにしていたゴルフツアーの当日は、午前6時頃、病院に集合し出発していくゴルフ部の面々を、当院の病室の窓から恨めしげに見詰めていたのも、今となっては思い出の一つです。
そんな、思い出の南郷18丁目を後にしますが、大谷地に出来る新病院に向けて色々大変そうですが、もう一分張りしてみようと思います。
投稿者ME室長 木戸 智康
南郷18丁目の思い出
2011年02月23日
早いものでここ(南郷18丁目)で生活するようになって20年以上経ちますが、
病院の周りも昔にくらべておおきく変わりました。はじめのころは地下鉄を降りると
生協(ルーシー)とパチンコ大王しか目に入りませんでしたが、今はたくさんマンションやお店ができました。生活の糧としていたハーベストが無くなったのは非常に残念です。ただルーシーは相変わらず繁盛しているようですね。毎週食料品の買い出しに行き、お世話になりました。
このあたりは交通事故が多くて、よく患者さんが病院に運ばれてきましたが、昔は南郷通りで暴走族の抗争がよくあり、とんでもない集団が血だらけで運ばれてきたのを思い出します。血気盛んというか手に負えないというか、医師ともどもあきれはてていました。
いまは、さすがにあまり見かけなくなりましたが、当時の徳洲会のイメージとしては、1番先に浮かんできます。
投稿者放射線技師長 小野崎 慶一
南郷18丁目の思い出
2011年02月16日
今からちょうど28年前の昭和58年の今頃、私は初めて地下鉄南郷18丁目駅1番出口に降り立ちました。その年5月1日オープンを控えて新築工事の真最中だった当院の採用試験を受けるためでした。実家は札幌でしたが西区にあり、学生時代は旭川で過ごしていたため、それまでこの地域とは全く縁がありませんでした。駅から試験場である現場のプレハブ建物までの泥道を不安いっぱいで歩いたことが今でも鮮明に思い出されます。
入職してからはいつも終電で帰るため、基本的に家と病院の往復だけでした。そんな中でも独身時代は野球部の朝野球試合の時、西区から朝早起きして来られないため、前日に近所の居酒屋や焼肉屋でたっぷり飲んで病院の倉庫の空きベッドに泊まり込みました。結婚してからは、子供を病院のつぼみ保育園と白樺幼稚園に預けたため地域の各所で行われる園内行事に参加したりもしました。夏の当直時は改装前のルーシー駐車場から盆踊りの曲が延々と流れてくるため、夜中じゅう頭の中をその曲が巡っていました。病院祭のチラシを大量の汗をかきかき根性で1軒の漏れもなく地域に配ったこともあります。生活の拠点は常に病院であり、私の中にはいろいろなたくさんの思い出が、人生の半分以上を関わってきた病院と南郷18丁目近辺に詰まっています
新病院ができ何れ移転する予定にはなっていますが、移転してもお付き合いの残る方はいらっしゃるでしょうし、大好きなラーメン屋もありますし、ご迷惑かもしれませんがまだまだこの地域との関わりはなくならないでしょう。
投稿者健康管理センター室長 岡部 俊彦
南郷18丁目の思い出
2011年02月09日
 私が、札幌徳洲会病院に入職し、20数年が経過しました。入職当初は地下鉄通勤で、平岸から通っていました。地下鉄を降り地上に出ると、それ程大きなマンションもなく、病院の屋上に掲げている緑の看板が直ぐに目に飛び込んできました。しかし、最近では病院周囲にも、高いマンションができてなかなか遠い場所からでは、病院を直ぐに探し出すのも難しくなってきています。
今の病院の隣(放射線科側)はマンションがあり駐車スペースですが、入職したてのころは、グランドがあり昼休みや、日の長い夏の仕事帰りにはよくキャッチボールをして汗を流した記憶があります。また、病院の向えにもお店の名前は忘れましたが、美味しいラーメン屋さん(現在は職員の更衣室)があり、給料がでたあとなどは良く食べていました。
(引っ越しでお金もまったくない状態でしたのでラーメンが自分へのご褒美的な感じだったでしょうか)普段は病院の食堂で、昼は勿論、夜も週の半分は病院食でしたので、今よりも少しスリムだったような気がします。平岸に住んでいた約2年間は、部屋の流しのガス台のスペースにはテレビを置いてしまい、そこに住んでいる間はテレビの場所は移動することもなく、自炊すらしなかった状態でした。
 冬になると、子供が小学校低学年位(現在5年生)までは、病院の直ぐ傍にある東月寒公園で、そり滑りやスキーをしにきていました。大型スーパーも近くにあり、買い物も便利で、凄く環境が整った住みやすい土地です。大谷地に移転後は、南郷18丁目は通勤の途中となり度々立ち寄らせて頂きますので宜しくお願い致します。
投稿者臨床検査技師長 斎藤 和司
南郷18丁目の思い出
2011年02月02日
私にとって、南郷18丁目の駅が最寄の駅となったのは、この病院に2代目の責任者とし
て転勤してきた時でした。地下鉄からも程近く、目と鼻の先にルーシーがあり、とても
便利なところだと感じたことを思いだします。
前任者もいろいろな思いをこめて業務を行ってこられたことと考え、その後は、この恵まれた環境を生かして、スタッフと精一杯頑張ってきました。
気がついたら、徳洲会栄養部会を動かしている施設になっていました。
管理栄養士、栄養士、調理師などの研修センターとして当院から全国への応援や転勤など数々。今後も、スタッフが振り返った時に、札幌徳洲会病院で働いていたことが誇りに思える様にしていきたいと思います。

この南郷18丁目にある札幌徳洲会病院には歴史があります。
私が少し残念に思うのは、現在の隣接地に新病院が建ってほしかったということです。
きっと、南郷18丁目周辺の住民の方々が一番この病院を理解し、温かい目で見守ってきてくださったので今があると考えるからです。
そのことを、院内での医療講演、近郊での講演、町内会の方々とのふれあいの時に強く実感します。
今後は、少しはなれた所へ移転いたしますが、皆様が「行ってよかった」、「また今度も行こう」、「困っている知人がいたらすすめよう」といっていただける病院作りの一端を担うことができればと考えています。
投稿者栄養管理室室長 山元 美惠子
南郷18丁目の思い出
2011年01月26日
はじめまして薬局の宮越です。26年前夜中に一本の電話が鳴り、「君はうちの病院でいいな。」と当時の五十川事務長からの採用試験の結果を伝える一言で札幌徳洲会病院での仕事が始まりました。札幌東徳洲会病院が開設するために募集があり応募して、てっきり札幌東徳洲会病院に就職かあるいは採用されないかのどちらかと思っていた矢先に考えてもいなかった札幌徳洲会病院での勤務に驚きと採用する人一人一人に電話している事務方のトップの姿勢とこんな時間まで働いていることに更に驚かされたのを覚えています。入職してからもいろいろな事務長と仕事を一緒にさせていただきましたが、徳洲会の事務長は、いつも朝早くから夜遅くまで仕事をしていて仕事に厳しいばかりだけでなく、気配りも忘れない方ばかりです。その中で自分にとっての一番の存在は亡くなられた白井事務長ではないかと思います。自分がどんなに遅く帰ろうとしてもいつも事務長の席に座って仕事をされている。着任早々トラブル発生で一緒に解決、困った時はいつでも相談に乗ってくれて、トラブルがあるとすぐ一緒に奔走してくれていつも助けてもらってばかりでした。最後は事務長の送別会もトラブル発生で出席できず、何の恩返しもできなかったことが心残りです。
思い出というよりこれが僕の南郷18丁目の心残りです。
投稿者薬局長 宮越貴之
南郷18丁目の思い出
2011年01月19日
私は札幌徳洲会病院に入職し、ちょうど9年が経ちました。
前職は銀行に勤めておりましたが、実は勤務が東札幌だったということもあり、仲間といっしょにこの南郷18丁目近くのある居酒屋に頻繁に飲みにきておりました。そうです、病院に再就職する前にこの近辺で徘徊していたのです。
拓銀と道銀の合併がプレス発表されたドサクサに私は銀行を辞めたのですが、まさか第2の職場が南郷18丁目のこの札幌徳洲会病院に決まるとは夢にも思いませんでした。何かしらの縁を感じました。
年に一度の18丁目町内会主催の新年会にも主席させていただいておりますが、みなさんとても良い方ばかりで、家族のような暖かさを感じます。私はこの南郷18丁目は第2の故郷のように感じています。
又私事ですが、特に家庭的なことについてなのですが、この札幌徳洲会病院に勤めることになり、この南郷18丁目に来たこの9年間は、私の人生の中で良いことばかりの至福の9年間でした。
ですからこの地を離れ、大谷地に移転するのは正直言って寂しい気がすると同時に、考えすぎかもしれませんが、運が尽きてしまうような感じもいたします。
この札幌徳洲会病院は、特に南郷18丁目の地域のみなさまに支えられ発展してきたことは言うまでもありません。当然のことですが、この病院跡地についてもみなさまに恩返し出来るような活用方法を考えておりますので、ご指導・ご声援をお願い申し上げます。
投稿者事務次長 今川英伸
南郷18丁目の思い出
2011年01月12日
昭和60年秋、面接を受ける為にひどく緊張しながら、地下鉄南郷18丁目駅から病院に向かって歩いていたのは憶えています。ただ五十川事務部長、佐々木英制院長(当時)の前で何を話したのかは憶えてはいません・・。
入職当時の18丁目界隈はまだ淋しく、道銀の支店名が南郷18丁目店ではなく流通センター前支店と呼ばれているように、それほどお店も多くなかったように思います。 
病院のまわりも、今とは景色が全然違っていました。病院横にドゥロワイヤルなどのマンションはまだ建設されておらず、なんと野球用グランドでした。病院側壁面には緑色の防御ネットが張り巡らされており、まだ若かった自分は、昼休みには食事もそこそこに、同僚・先輩達とキャッチボールやノック・フリーバッティングなどをして遊んでいたものです(今となってはスペース的にも体力的にも考えられないことです)。
当時の病院の状況も少しお話ししたいと思います。佐々木英制院長先生の下、少ないDr数にもかかわらず医局は一致団結していた・・ように思います。佐々木院長は外科医でしたが、内科医不足のため内科外来をこなされていました。電子カルテなどはもちろん無く、佐々木先生の丸い字体で書かれたカルテ記載が懐かしく思い出されます・・。
どこの部署も人が足りなく大変な状況でしたが、事務の勤務も非常に大変で、当直回数が月に6?8回でしかも一人当直、夕診担当(22時まで)も同じくらいの回数、レセプト期間はAM2?3時までが当たり前でした。ICUはまだベッド置き場で、よく勝手に泊り込んでいたものです。
ただ、現在のように病院も徳洲会グループも利益だけを追求する感じが薄く(自分が下っ端で知らなかっただけかもしれませんが)、理念に共感して集まった職員が多かったように思います。また勤務は大変だったけれど、皆燃えて働いていたようにも思います。
今後、新病院に移転はしますが、初心は忘れず「18丁目の想い出」を熱く抱きながら、これからも頑張って行きたいと思います。
投稿者事務長 宮本 浩義