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看護部リレーエッセー

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「私が看護師になった理由」 在宅医療室主任 熊谷 志信

投稿日時:2011年4月19日 08:15 火曜日

そうですね、中学生の進路を決める時には 【看護師になろう】って決めていましたね。今考えると何故なんでしょう?
ただ、自分はOLとかは全然むいてないと思っていました。
会社に行き事務仕事をして帰宅・・想像できなかったですね。もっとクリエイティブな仕事?中学生では想像もつきませんでした。
ただ1つ、何故だか分かりませんが、結婚しても子どもができても働ける自分でいたかった。もし、何かあっても食べていける力を持っている自分でいたかった。
それには、手に職を持つのがいいだろーなーって漠然と考えたんです。
で、手に職って何があるの?ですよね・・中学生の浅知恵では そんなに幾つも考えられるわけがありません。
そんな時小学生入学前の自分を思いだしました。
小さい頃の私は、虚弱体質でよく肺炎を起こしたりして、1年の半分位は入院生活 あとの半分は通院と言う様な生活を送っていたのです。これだ!と思いましたね。
何がなんだか良く分からないけど【看護師になろう】と思った瞬間です。
両親もこの子は突然何をいいだすの・・・あなたはお世話をするよりされる方じゃないの?と少し呆れ顔でしたが、あーでもない・こーでもないと屁理屈と並べて説得にあたった結果、まぁ 好きな様にやってみなさいって事で、それから先はただひたすらに看護師になるべく一直線でしたねー(笑
今では、あの時突っ走って良かったと思っています。看護師になって良かったって、思っています。

投稿者:在宅医療室主任 熊谷 志信

「私が看護師になった理由」 内視鏡室副主任 原 美希

投稿日時:2011年4月13日 08:53 水曜日

こんにちは、内視鏡室の原と申します。
このエッセイを書かせていただくにあたり、思ったこと・・
「このエッセイってどんな方が読んでくださっているのだろう」ということです。
地域の住民の方でしょうか、看護師になりたいと思っている学生さんでしょうか、
はたまた当院に入院されている患者さまのご家族でしょうか。
どなたであっても、当院に興味を持っていただき、本当に嬉しい限りです。

さて、本題に入りたいと思います。
私は、小学生のころ苫小牧という街に住んでおりましたが、そこで出会った小学校の担任の先生たちは
とても個性にあふれ、素晴らしい先生ばかりでした。
学級歌を作詞・作曲し、毎朝歌う仁丹の匂いのする先生
通学時遊びに夢中になり2時間目終了後にたどり着いても、まずは楽しかったか?と聞いてくれる先生
定期演奏会を開催し、自慢のフルートを披露してくれる先生
愛妻の作ったお菓子を、給食時間に誇らしげに配ってくれる先生  など
本当に記憶に残る先生ばかりで、その影響か高校に入るまでは、学校の先生になりたいと思い、
教育大学に進学しようと思っていました。
私の通っていた高校は、看護師になりたい生徒が多く、2クラス分は優に超える程でした。そのなかで、高校2年にもなると将来について熱く語る友達がどんどん増え、当然看護師志望の子も周囲に多く、看護師の素晴らしさを毎日のように耳にする環境でした。
そして、親友の子がある日・・教育大学に看護の先生になれる科はないの?と私に尋ねました。
そうか、私は人と接することは好き、看護師の先生も悪くないな。何年も先の話だと思うけど・・と思ったのがきっかけでした。
しかし、命を預かる大変な仕事です。母親は心配し、止めた方が良いと最後まで言っていました。
看護師になり十数年経った今でも、いつ辞めるの?いつでも辞めていいのにと心配しています。
辞めていいと言われると、負けられないと思う私の性分を知ってのことでしょうか(笑)
そして今では、小学校の頃に出会った素晴らしい先生達にも負けない程の、素晴らしい先輩や仲間に
出会うことができ、日々刺激を受けながら勤務しています。
その先輩にいつか追いつく事が出来るように、頑張りたいと思う毎日です。

投稿者:内視鏡室副主任 原 美希

「私が看護師を目指した理由」 透析室主任 齋藤純子

投稿日時:2011年4月5日 14:58 火曜日

今回でリレーエッセイは、3回目になります。テーマが「私が看護師を目指した理由」ということですが・・・。このことに関しては、常に考え悩みのもとになっていることでしたので、テーマが来た時は「えっ!!」と驚きと「やっぱりきたか」という気持ちでした。
私が看護師を目指した最初のきっかけは、高校の進路決めの時です。自分は英語が好きで、英会話にも通っていました。本当は語学関係に進学をしたかったのですが、母に進路のことで相談をすると、資格は一生もので、絶対将来役に立つし、家計的にもそこにしか行かせる事ができないと言われました。一時期は悩みましたが、親の反対を押し切って自分の気持ちを優先する勇気はありませんでした。それからはがんばるしかない、自分が決めたことだからと言い聞かせ、進学となったわけです。進学してからは苦労の連続です。私は全寮制でしたので、学校でも日常生活でも集団行動が余儀なくされます。でも、今思うと、3年間過ごしたことで、仲間や先輩・後輩の関係が人を思いやる気持ちを育ててくれたのだと感じています。
現在、看護師となって20年が経とうとしています。ここまで続けられたのは、どうしてだろうかと考えた時、家族の支えと、患者さんからの感謝の言葉であり、笑顔があったからと思います。未だに看護師に向いてないかもしれないと悩みながらではありますが、思いやりの気持ちと感謝の気持ちを忘れずに業務をしています。看護師になったきっかけは人それぞれではあると思いますが、看護師であるなしに関わらず、仕事をする上で自分の信念を持ち続けることが大切だと思っています。

投稿者:透析室主任 齋藤純子

「私がケアマネになったわけ」 介護センター室長 南 靖子

投稿日時:2011年3月29日 11:23 火曜日

私の元職場は2階、当時は関先生と木村副看護部長と東海林師長の下、のびのびと助産師(産婆さん)をしておりました。その時の仲間が「ケアマネを受けよう」と受験票を用意しくれたことがケアマネ人生への始まりでした。
 当時の看護部長から「介護センター準備室への異動について、2?3日後までに返事を頂戴」とまさかのお話…。「なんとまぁ、お産から高齢者介護への異動かぁ、異動命令なのだ!」と思い込み承諾しました。
 準備室へ異動してから数ヶ月、無事に平成12年4月を迎え介護保険制度がスタートしその後看護部長はじめ皆さんでお祝いをしてくださいました。そこでの話。「うちの病院には7人もケアマネがいたのに、誰も準備室を引き受けてくれなかったの」とまさかの事実。異動命令ではなく、まったくの私の思い込みで異動だったのです。
 それからかれこれ11年、人生異なもの味なもの。さまざまな方と出会い、知識も、態度も、そして体重も大きく育ちました。ケアマネ人生は楽しいです。

投稿者:介護センター室長 南 靖子

「私が看護師になった理由」 ICU師長 大島 由加子

投稿日時:2011年3月15日 18:43 火曜日

 私が、看護師になって早いもので、23年目になりました。こんなに時間が経ってしまった事に驚きさえ感じます。看護師になろうとはっきり決めたのは、18歳位でしょうか?!
当時、私は、大学に行って英語の先生になる目標を持って、猛勉強をしていました。しかし、父が病気になり経済的な問題で、大学進学を諦めることになりました。親に負担をかけないで、就職か進学か悩んでいた時に、進路担当の先生が「働きながら学んで手に職を就けられる看護学校がある。きっと合格出来るから」という勧めに、素直に進学を決めたということが理由といえば理由です。
あの時、あの先生の勧めがなかったら、現在の私はいなかったと思います。今思えば、自分に合った素晴らしいアドバイスだったと、思います。
看護師になって良かったことは、困っている人を助ける事ができる事だと思います。
あの当時、女性の専門職といえば、「看護師・美容師」この2つしか知らない自分でしたが、今となっては、看護師で良かったし、これからも医療の現場で患者様と向き合い続けたいと心から願っております。そして、患者様に様々な事を教えてもらい、学んで行きたいと思っています。
長い年月で病院は、自分の中で仕事の場、学びの場、生活の場と、たくさんの時間を費やす場所になりました。なにより私にとって、大切な仲間がいる場所になったというのが本音です。
どうぞ、患者様、スタッフの皆様これからもよろしくご指導お願い致します。

投稿者:ICU師長 大島 由加子

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