「Ressentiment contre la voiture(車に対する怨恨)」 小笠原 卓
2019年01月28日
 僕の(人生における)一つの夢は、カッコいいセダンタイプの車に乗ること…。

 僕の車に対する想いは少々複雑だ。よく言われる様な”車好き!”という訳ではなく車に(異常に)執着しているといった方が適切か。その想いを持つに至った経緯を少しだけお話ししたい。
 事の発端は、大学生の時に自分の車を手に入れることができなかったことに始まる。交通機関が今一つの田舎の大学であったため、同級生のほとんどが自分の車を持っていた。看護学科の学生も一定数持っていた。世間一般のイメージでは、医学生は(裕福で)、親に買ってもらった外車(か高級車)を乗り回し…なのだろうが(?)、外車どころか愛車もない(自転車はある)。「車なんて学生のうちは贅沢だ」と反論される方もいらっしゃるだろうが、是非想像してみてほしい。最上級生になって、部活の車出しの時に、新人1年目の看護学科の学生に車に乗せてもらう肩身の狭さを…(先輩ッテ車持ッテイナインデスネw)。バイトで稼いで親と交渉する方法もあったが(実際バイト代を貯めれば中古車くらいは買えた)、父親に「学生のうちに車は持つな」と厳命され、それ以上言い返せず交渉すらできなかった自分の気の弱さが口惜しい。
 そういうことで、働き始めたら“絶対高級車を買ってやる!!”と意気込んでいたが、当然激務で車を買いにいく余裕もなく、子どももどんどん増え、結局働き始めて5年、自分名義ではあるが、自分の車ではなく、妻用の車(軽自動車)を買えた。アレ?自分の車は?
 自分の車が買えないことに苛立ち、一時期車の雑誌を毎月買って「車欲しいアピール」を毎晩の様に続けたが、働いたお金は生活費にどんどん消えていくため、アピール虚しく購入できず。
 その後しばらくしてセカンドカーとして購入したのは、家族全員が乗れる大型車。うん、これじゃない、僕が欲しいのは。自分が所有したいと思う車は、もっさりした大型車ではなく、セダンタイプの車なのである。その後も色々物入りで、当面は現在の車を利用するしかない状況である…。
 この境遇を不憫に思ったのか、子どもの養育が終わったら「あなたの好きな車を買っていいよ」と妻は言ってくれている。すごく嬉しいコメントだが、待てよ…。養育が全て終わった時点で、自分は50歳を超えている。50代でホクホク顔をしながら、初めて高級車を購入するのはどんな感じだろう?運動機能も今より落ちているし、若い時に車を運転する時に感じるような感動はもはや無いのではないか?そもそも車に対する屈折した思いが残っているだけで、車を運転する喜びなど、実際にかかる金額ほどないのではないか?もっと言えば、今現在本当に自分は自分の理想の車が欲しいのか?などと疑問に思ってしまうのである。

 どこかの偉い社長さんが“若い者は車を買わない”とか研修医が“僕、ポルシェに乗ってます”といったコメントを聞くと、いまだに一瞬顔がひきつる。でも実際問題として、お前は50過ぎで好きな車を購入するのか(できるのか)と言われると、まだわからないとしか言いようがない。
 
夢は叶わないほうが楽しいのかもしれない、とも思う次第である。


投稿者小児科医長 小笠原 卓
「瞬間2題」 杉浦 千尋
2019年01月22日
『ダージリンへ、カンチェンジュンガを見に行った』

標高8586メートル。エベレスト、K2についで世界第3番めの高さの山である。ダージリンは予想通りの雨と曇の毎日だった。日がな山の方向に椅子を向けて日々を過ごしていた。

いつものように真っ白の雲ばかり。もうそろそろ諦めて帰ろうかと思い始めた頃。やっぱり雲ばかり。雲の切れ間もその向こうにまた雲。と思った瞬間。何か少しキラキラ輝く感じが…雪か?どうやら雪壁だ。ん?さらに雲の切れ間をたどって上を見上げると。雪を頂いたとんがり頭が見えていた。

なんのことはない、自分の想定していた仰角よりもはるか上に顔を出していただけのことである。ひょっとしたら何日も前から。何度か同じ状況があったのかもしれない。大きすぎて見えてなかっただけの話である。

自然の壮大さの前に、想像力の貧弱さを教えられた瞬間。目には入っていても見られない、自分の勝手な思い込みの怖さを悟らされた瞬間。


『アトスに行った』

ギリシアのなかにあって、独立国のように修道院が管理している半島である。女人禁制。女性が立ち入れない場所は、日本の土俵上だけではなさそうだ。

入域にあたっては事前に入国許可証を取得する必要がある。宿はない。電気もない。半島のあちこちに散在する修道院を訪れて宿坊のように泊めてもらうため、お金を使うところはない。食事もお祈りも修道僧と同じ生活だ。慎ましくゆったりと流れる時間は心地よい。

一晩経てばまた次の希望する修道院に日中歩いて移動するが、それも未舗装の曲がりくねった道と風音だけ。中世にタイムスリップしたのではないかと錯覚するようだ。海辺の修道院、崖の上の修道院、要塞のような修道院とそれぞれが個性的で、大抵の修道院は10世紀頃のイコンを所蔵していて、見せていただけることろもある。

俗世間を捨て、生涯そこから出ることのない修道僧達。すでに生涯を終えた修道僧たちの骨が山積みとなったカタコンベ。夕暮れ時に窓辺から海を眺めて、ラジオで外の世界との接点に集中する修道僧がいた。そして修道院の秘蔵のイコンを見せるからといって、修道院の薄暗い片隅に連れていき、スキンシップを求める修道僧。

生涯をかけた修行の大変さと、人間の業、煩悩の奥深さを垣間見た瞬間。

投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「メディカルイラストレーション」 松井 裕帝
2019年01月15日
 皆さんはこの聞きなれない言葉をご存知でしょうか?そんな私も最近知ったのですが・・・。医学の世界では誰しも学生時代の解剖学書の中の図譜に代表される多くの出版物に必ず登場する絵画のようなリアルな図から単純化した線描写の図まで幅広くあります。医師となってからも外科医であれば手術手技書などで必ず出てくる為、我々にとっては切っても切り離せないものであります。その図譜の多くは、イラストレーターによって書かれたものがほとんどですが、中には絵心に優れた医師自らが描いたものがあります。医師自らが描いたものは非常に的確で、イラストを見ていると実際に手術を行なっているかのような感覚に囚われるものがあります。

 私も実は小さい頃、好きな漫画のキャラクターを描くことが好きで、出来の良い絵を大事に飾っていたりしました。図工や美術の時間に絵を描くことや、彫刻刀で版画の原盤を作る、木材を掘って絵を描くなど、大好きでした。高校、大学となるとそんな時間はほとんどなくなってしまいましたが、医師となった時に先輩の先生の中には、絵を描いて説明してくれたり、手術記録に記載するイラストが非常に分かり易いなど、再び絵を描くことの重要性に気づかせてくれました。絵を描くことと、手術の上手い、下手は一見全く関係ないような気がするかもしれませんが、実は頭にあるビジュアルがより明確でないと、絵を描くことはできません。名医は絵心もあるというのは“当たらずも遠からず”ではないかと。

 最近、絵を描くことを再び始めようと思い、休日に自分の子供を誘い、自分の手や家族の顔などのスケッチを始めました。ただの遊びと思う事なかれ!自分の子供ももしかしたら、名医となる日が来るかもしれない。と親バカを発揮する今日この頃です。

投稿者外傷センター部長 松井 裕帝
「ソツ啄(そったく)の機」 小野寺 康博
2018年10月22日
ソツ(口偏に卒業の卒と言う字が私のコンピュータには無い):雛が殻の内側から殻を破ろうとして鳴き始めた音や様を言うらしい。

啄:親鶏が殻の外からつついて孵化させようとする時の音や様を言うらしい。
「逃してはならないチャンス」のことを言うらしい。元々は禅宗の用語らしい。
「ソツ啄の機」なんて滅多には無い代物とつい考えてしまう。
私もつい最近まではそう考えていた。

でも、もう還暦を過ぎてしばらく経つと、本当にそんなんでいいんだろうか?と思うようになって来た。

「逃してはならないチャンス」というものの捉え方が実はとても重要なのではないかのかなとつらつら考えるようになって、ふと「そんなの毎日そこら中にあるのではないのか?」と思うようになった。
なにげなく過ごしている日常の中で、ハッと気付いたら漫然とテレビの前に座ってリモコンで番組を切り替えながら時間単位の貴重な時が流れ去っていることに臍を噛んでしまったりする。

ついこの間に新年を迎えたばかりで、雪もようやく融けて新しい草の匂いに浮き浮きし、段々日が長くなって来たなあと新緑の木々の香りの中でなんとなく嬉しい気持ちで帰途についたり、今年の夏は結構暑いなあと夜中も窓を開けっ放しで寝ていたと思ったら、札幌では珍しい強い地震で車庫が開かなくなり、なんだか今年は強い台風が多いなあと思って新聞を見たり、テレビを観たりして北海道には来ないで欲しいなあなんて思っていたら、「あれ、もう来年の年賀ハガキを申し込む時期がそろそろ来るなあ」とあまりの時間の経過の速さに唖然とする始末。

動体視力が衰えて来ているのか、貴重な機会が目の前を通り過ぎていることにすら気付かないでいるような気がしてならない。

なんのための「逃してはならないチャンス」なんだかも捉えきれていない自分に傍観者でいる気分になることがある。
「人生百年時代」とは誰が言い出したのか知らないが、このままうかうかしていると仮に百年生きていたとして、「あっ」と言う間の時間の流れの中で、いつのまにかAIで動く自動運転の「乗り物」の中で自分がどこへ行こうとしているかふっと忘れてしまって外を呑気に眺めている高齢者を想像してしまいそうな気がして、そんな流れに抗う白髪の浦島太郎を夢想してしまうことがある。

流れに身を任せるというのも一法ではあると考えるが、どこに辿り着きたいのかせめて目的地みたいなものがあるはずではないかと思案しつつ、流れの中でさりげなく方向舵を切って行けるようにと思い、筋トレをし、野菜をなるべく多く食らい、読書に勤しむようにと「心がけて」いる今日この頃である。

投稿者副院長 総合内科・腎臓科部長 小野寺 康博
「シロウトの時代、プロの時代」 蘆田 知史
2018年10月10日
今年度のノーベル医学生理学賞は、京都大学の本庶佑教授、米国テキサス大のジェームズ・アリソン教授が受賞した。受賞の内容は、免疫チェックポイントとよばれる分子PD-1、CTLA4の発見であり、これらの研究が癌の免疫療法を可能とするオブジーボなどの治療薬に結びついたためである。
これらのことは報道に詳しい。

私は1983-1988年の間、大学院生として免疫学の勉強をしていた時期がある。このころ、本庶先生は京大の教授として既に有名であり、T細胞レセプター遺伝子のリアレンジメント機構の研究でマサチューセッツ工科大学の利根川進教授とともにノーベル賞を受賞するのではないかといわれていた。
この研究ではノーベル賞を逃したが、その後のPD-1の研究で見事に受賞に輝いた。

大学院の時代、私はよく同僚といろいろな話をした。いまの研究は果たして学位論文になるのか、やってもやっても結果が出ないのはテーマが悪いのではないか、などよく愚痴をこぼしながら、来る日も来る日も細胞を培養し、マウスに注射し、電気泳動を行い、そんな日々を過ごしていた。このころ、指導教官に、「どうせ私たちのような大学院生はプロの研究者にはなれないと思う。臨床に戻ったら全く違う仕事をして、患者さんの内視鏡検査なんかの助手をするだけだから」と愚痴をこぼしたことがある。そのときに指導教官の先生、「アシダ、それは違うぞ。」といわれた。「これからの医学研究はシロウトの時代なんだ。研究のテーマは広く臨床をみている医学者が見つけ出し、自動化された研究機器をつかって患者の治療に直接結びつくような研究が行われる時代がきている」と話された。私はその言葉に感銘し、大学院を卒業した後も炎症性腸疾患についてのいろいろなことを研究テーマとして大学病院の生活を過ごしていた。その結果、いくつかの研究成果は後輩によってあらたな研究に繋げられ、現在のIBD診療に役立つものも出てきている。

現在私はシロウト研究者の時代を過ぎ、プロの臨床医としてがんばっている。本庶先生の生涯は報道で見る限りプロの研究者の根性と執念に満ちているように見受けられる。私もまだまだ臨床医としてがんばらなければと思うこの頃である。

投稿者副院長 IBDセンター長 蘆田 知史
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