「この国の不寛容の果てに」 村上 智明
2020年03月09日

活字中毒の気がある。引っ越し作業中についつい古新聞に読み耽ってしまう、そういった類である。小説から漫画まで、あまりジャンルは問わない。

毎年年末に、1年間に読了した本を振り返りランキングを作っているが、昨年は"掃除婦のための手引書"が一位を独走していた。しかし最後に逆転したのが"この国の不寛容の果てに"である(ジャンルが全く違うので比較するのもなんだが)。これは現在判決公判待ちである相模原障害者施設殺傷事件をめぐって、雨宮処凛氏(北海道出身)が6人の識者と行った対話集である。この事件の加害者は事件後から公判中を通して、全くぶれることなく"障害者を排除する"という自分のとった行動がいかに正当であるかを主張している。この事件について多くのマスコミが、個人の問題という視点から記事を書いている。しかし柳田邦男氏はこの事件に関して"被告個人の特異性だけに着目するのではなく、歴史的・社会的な背景に踏み込まなくては意味がない"と朝日新聞にコメントしている。まさにこの本は個人ではなく、この加害者を生んだ社会の問題としてこの事件に取り組んでいる。医療の進歩は、永続的にケアを必要とする患者の増加を招いている。小児科領域でも"医療的ケア児""移行期医療"という言葉が飛び交う場が多くなってきた。そんな状況を考える上で必読の書である。

投稿者小児循環器部長 村上 智明
「日本の土地制度史」 和田 好正
2020年03月02日

健康診断センター勤務の和田です。

皆さんは、学生時代、歴史の勉強は好きでしたか。私は大嫌いでした。私にとっては、何年に何が起こったという記憶だけの学問だったからです。歴史の面白さ、ダイナミズムに接するには、歴史の流れ、ストーリー展開を理解しなければなりません。そこで、今回は、日本の土地制度に焦点をあてて、考えてみましょう。歴史は、どの部分に焦点をあててみるかが、面白いんです。

平安時代から鎌倉時代、朝廷貴族から武士の時代への流れの中で、最も大切な事は何か、それは「公地公民制が崩れる中で、私有地獲得競争が起きてきた」ということです。はじめは、貴族の代表選手である藤原氏が、「荘園」という形で私有化を進めていました。「荘園」とは基本的に開拓地ですが、その名の通り、別荘で、税がかかりません。このため、朝廷に納められるべき税が、だんだん減っていったのです。貴族は「荘園」の私有が認められますが、武士は下級に見られ、いくら土地を開拓しても、正式な所有者になれないという不公平が生じてきます。そこで、武士の権利、つまり土地の私有権を「地頭」という形で認めさせたのが、源頼朝でした。だから、初めはその根拠地である東国(東日本)に主な勢力を持つ限定的な政権でしかなかった。だからこそ頼朝は中央(朝廷)から東国に派遣される大将、征夷大将軍であるという形をとった。その征夷大将軍が、現地の臨時基地(幕府)で軍政を敷いている、というのが幕府政治の基本形なのです。

しかし、これを不満とした後鳥羽上皇が幕府を倒そうと「反乱(承久の乱)」を起こして失敗したため、鎌倉幕府の政治は西日本にも及ぶようになった。ただし、この時点でも日本の土地はすべて武士が支配しているのではなく、荘園つまり天皇や貴族の所領もかなり多く残っていた。特に都に近い大和国(奈良県)等は、寺社の荘園のほうが多かったくらいだ。それを室町時代あたりから、武士が次々に侵蝕し奪っていった。そして、日本の土地の大半を自分の物にしたのが、戦国末期であった。だからこそ、その最終勝者である豊臣秀吉は「太閤検地」つまり全国的な土地台帳を作成することができた。

それから300年たって武士の政治(幕府政治)が終わる時に幕府側が何を行ったかと言えば、大政奉還と版籍奉還である。「大政」は「日本の統治権」、「版籍」は「土地と人民」とういうこと。いずれにしても、「(献上)差し上げる」のではなく、「奉還(天皇家にお返しする)」になっているのは、こういう経緯があるからだ。ざっとまとめてみましたが、日本の土地制度を歴史の流れで見るだけで、これだけ面白い。つまり記憶にも残りやすい。こういう歴史を学びたいものである。

投稿者健康健康管理センター医師 和田 好正
「鼻血」 小笠原 卓
2020年02月17日

 幼少の頃、よく鼻血を出していた。よくというか今思えばかなり頻繁に出していた気がする。連日大量に鼻血を出していた時期もあった。夜間に出血することが多いため、枕元には常時ティッシュの箱が置いてあり、止血に使用したティッシュで小さいゴミ箱が朝には一杯になることもあった。頻回に鼻出血をきたすため、小児科および耳鼻科によく通院していた。実際に血液の凝固機能を調べたこともあるようだが正常だったらしい(結果は知らない)

 鼻血に関して子どもの頃に恐怖した内容が2点ある。今となってはどちらも馬鹿な話だが、当時は比較的深刻に捉えていた。

 一つ目は、夜大量に鼻出血した時の翌朝に出てくる凝固塊に関しての着想である。鼻血を出したことがある人ならわかるかもしれないが、出血した血の塊が凝固塊(コアグラ)となって鼻の詰め物などに大量に付着するのである。子ども心に、これは「レバー(肝臓)」ではないかと考えた。鼻からなぜ自分の肝臓が出てくるのかは定かではないが、レバーが何らかの機序で鼻から出てきているのではないか。鼻と腹腔内がもしかすると血管を通じてつながっているのだろうかなどと夢想した。しかし、こちらは子どもでも馬鹿げた話だとすぐに捉え直し、何なのかはわからないが、鼻血の副産物のようなものが付着しているのではないかと判断した。

 二つ目はもう少し深刻な着想である。すなわち出血多量でいつかは死ぬのではないかと考えた。子どもの時に人体の図鑑で、"牛乳瓶7本半の出血があると命が危ない"という記載があった。これは一気に失血した時に限っての話だと思うが、当時は急性失血と慢性失血の区別がつくはずも無く、夜な夜な鼻血をだす度に、「これで一昨日から数えて牛乳瓶半分は出血した。先週からは1本半くらい出ているから、そのうち7本半に到達して来月あたりには死ぬのかもしれない」と怯えた。よい子にしますから、鼻血で僕を殺さないでください.........と神にお願いしたかどうかは定かではないが、とにかく累積鼻出血量が致死量に達するのに怯えた時期があったのは確かである(当然この頃、人間は出血していても、毎日しっかり体の中で血液が作られていることも知らなかった)

 しかし予想に反し僕は死ななかった。小学校高学年で耳鼻科にかかり鼻粘膜の血管を焼いてもらってからは全く鼻出血なく今に至っている。慢性的な鼻炎が背景にあったことと、鼻をいじる癖があったことが鼻出血を頻繁に繰り返した原因と今は思っている。

 止血の基本は圧迫止血である。幼少時、頻回に鼻出血を経験し、病院に頼らず自分自身で工夫して止血の基本を体得した。そのことが医者になった今、意外に役に立っているようにも思えるのである。

投稿者小児科医長 小笠原 卓
「器の味」 杉浦 千尋
2020年02月12日

人の好みは十人十色とよく言われますが、食べ物関係では日常的に実感する熟語でしょう。

口コミの評価を信じたり、絶対においしいからと知人に勧められて訪れたラーメン屋で、えっ?これが?そんなに絶品?と疑問を感じた経験はだれしもあるのではないでしょうか。

先日、時々試飲会を催す近所の酒屋さんが、酒器による飲み比べのイベント開催をしていました。同じものが器でそんなに味が変わるものか?と素朴な疑問で興味半分、冷やかし半分で行ってみました。

目の前に3種類の酒器(平杯、猪口、大ぶりのワイングラス)に注がれた日本酒が用意され、いよいよ試飲。

・・・

結果は、あれまあびっくり、目から鱗の酒器の世界。日本酒道(ってあるのかな?)の奥深さを知ることになりました。

同じお酒が、飲む器によってこんなに違って感じられるとは驚きの経験でした。

知識として知っていても、未経験の者にとっては青天の霹靂状態でした。

家に戻ってグーグル先生に尋ねてみると、形、大きさ、素材等で色々と違いがあるとのことで、その理由を詳説したサイトもたくさん有るようでした。

ワインだとなぜか「正しい」グラスの選び方みたいな、「正しい」「間違い」としてジャッジをしてしまいがちな印象(思い込み)があるのですが、日本酒に関しては「正」「誤」ではなくて、どんな「酒器と酒との組み合わせ」を「楽しむ」かといった、一酒十色の世界を「あなたのお好みで」と許容してくれる懐の深さを感じます。

色々と違う銘柄の酒を飲み比べるのも良いですが、同じ酒を違う酒器に注ぎ、目の前に並べ、器を味わうのも乙なものでしょう。

投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「1日札幌体験型観光」 今村 恵
2020年01月27日

沖縄から移住して1年が経とうとしています。

雪が思ったより少ないようで、これからいつ豪雪になるかとドキドキする日々です。

生活に慣れるのにあっという間に時間が経ち、

札幌のことすらまだまだわかっておらず

1月始めに「1日札幌体験型観光」をしてみました

北海道神宮参拝

円山伏見稲荷神社に急遽神社巡り

円山の高台にあるレストランでランチ

南区のPOST-O-KANで浦島久写真展

カーリング体験

と札幌というものを1日でいろいろ詰め込んで体験しました

新しい発見がたくさんありました。

北海道神宮は三が日をちょっとすぎた後でしたが、すごい車の渋滞でした。

わたしたちは「Akippa」というサービスを使い楽々に駐車

自分のもつ空いたspaceを駐車場として提供するマッチングサービスです。

初めて使いましたが、提供者・利用者win-winのサービスで快適な参拝時間の演出に貢献してくれました!

ふと訪れた伏見稲荷は静粛で美しくて円山の平和を創造している雰囲気でした。

浦島久氏は「Jewelry Ice」の名付け親で、英語の先生・英語教室の経営者でありながら趣味で始めた写真で、今は写真家としても有名な方です。

その先生の写真展が札幌南区のPOST-O-KANという場所で始めて開かれました。

旧郵便局をアレンジして「南区のよさを発信する場」をコンセプトに今は存在しています。

店内の木と石のやさしいナチュラルな雰囲気と、

芸術的なJewelry Iceの写真のコラボレーションに魅了されました

北海道にはこんなにも綺麗な場所がたくさんあるんだろうなという期待も膨らみました

「あったらいいな? この問題を解決しないと!」

というものが形やサービスになっていたり。

「伝えたい思い」がつまったものが形になっていたり

理由もなしにただただ長い年月見守ってくれている存在だったり。

アンテナをはるといろんなものと遭遇して、世界が広がった感じがします。

北海道は広大で、たくさんの出会いが待っていそうです。

IMG_0218.jpg

投稿者プライマリセンター医師 今村 恵