ご存知のとおり、今年日本中を席巻した「きつねダンス」の原曲が「What does the fox say?(きつねは何て鳴くんだ?)」である。そこで問題、じゃあWhat does the rex say?(ティラノサウルス)レックスは何て鳴くんだ?
恐竜について化石からはほとんど情報が得られないものの一つに「鳴き声」があり、このような場合には現世の動物から類推せざるを得ない。映画などでよく見かけるのはティラノサウルスが空に向かってガオーと「ほえる」光景であるが、実はこれはほぼ有り得ないと考えられている。つまりこの「ほえる」という行動には、原理的に声帯と横隔膜が必要なのである。が、現世の動物でこれらを持っているのは実は哺乳類だけで、恐竜の直系の子孫であると考えられている鳥類は、このような発声装置を持っていない。それでは鳥類はどのようにして鳴いたりさえずったりしているのかと言うと、管楽器のように、のどにある「鳴管(めいかん)」と呼ばれる管に空気を通して声を発しているのである。
そこから類推すると恐竜にも鳴管があり、そこに空気を通して「鳴いて」いたのではないかと考えるのが自然である。そして鳴管も単純に体の大きさに比例していたはずと考えると、ティラノサウルスのような巨大恐竜の鳴管は相当太く、かなりの低音で「コーコー」あるいは「ゴーゴー」と「鳴いて」いたのではないかと推測されている。この点鳴管は残念ながら化石として残らないので、間接的ではあるが、鳴くからにはその声が仲間には聞こえていたはずだということに注目して、化石の頭骨に残っている「内耳」の構造からその機能を解析した研究がある。それによると、やはりティラノサウルスはかなりの低音も聞こえる能力を持っていたらしい。低音ほど遠くまで届くことを考えると、仲間同士の通信手段としても合理的である。
大昔ティラノサウルスは人間(もちろんその時代には存在しないが)には聞こえないような超低音で「コーコー」と鳴いており、それを感じることのできた他の恐竜たちは震えあがっていたのかもしれない。
♪What does the rex say?♪
'コーコー、コッ、コッ、コゥ、コーコー、コッ、コッ、コゥ'
♪What does the rex say?♪
'コーコー、コッ、コッ、コゥ、コーコー、コッ、コッ、コゥ'
札幌東徳洲会病院の外科医 河野 透先生が逝去された。11月初旬のことである。
河野先生は旭川医科大学の4期生で、私の一年先輩だが、学生時代からお互いを知っており、医師になってからはいままで40年近く同じ分野で仕事をさせていただいていた。私もつまらないことでは先生のお役に立ったこともあるかもしれないが、河野先生には本当にお世話になった。訃報を聞いて愕然とし、言いようのない喪失感が押し寄せ、ご自身の病気に勝てなかった先生が本当に残念な思いで悔しかった。
河野先生は、大学院時代は肝臓が専門で、肝臓の再生と神経の関係を研究され、大学院修了後も消化管神経生理学・病理学の分野で米国留学された。私や同僚が旭川医大第三内科で炎症性腸疾患診療班を立ち上げてまもなく河野先生が帰国され、旭川医大第二外科でもっぱら潰瘍性大腸炎やクローン病の患者さんを担当していただくようになった、その後30年以上にわたってこの分野での仕事を続けられてきた。旭川医大で仕事をしていた当時、内科的に治療困難となった患者さんの手術のため、玄関から出ていこうとした河野先生を引き止めたり、ゴルフ場から呼び戻したり、夜中に手術を頼んだりすることが本当によくあった。河野先生はそんなときにも文句も言わずに淡々と手術をやってくれた。中学生の女の子の手術をやってもらい、その後その子が結婚して子供が生まれ、河野先生に見せに来たこともあるなど、患者さんの思い出は数え切れない。
写真は2000年 旭川医大患者会で公演している先生
クローン病の手術では、現在東徳洲会病院の前本先生が30代のとき、再発すると普通の吻合部では内視鏡が通らずにこまるので、なんとかしてくれと河野先生にお願いしたことがあった。その結果河野先生が考えたのが、現在Kono-S式吻合法として知られている術式である。この方法がクローン病患者さんの再手術リスクを劇的に減らしたことは、私と河野先生が旭川医大で仕事をしているときにデータを出して明らかにした。その後河野先生は国内のみならず海外でもこの術式を実技して紹介し、世界中で行われるようになった。
よく外科医は目の前の患者しか救えないなどと揶揄されることもあるが、河野先生は私達の目の前の患者さんも救い、目の前にいない多くの患者さんのためにも仕事をされていたのである。
河野先生とは旭川医大に炎症性腸疾患センターをつくろうと目論んで、国会議員に陳情に行ったこともあった。研究のためにいろいろな人とあったりもした。思い返せば本当に助けていただいたことが多かった。
先生の手術は、若い人に受け継がれ、今後も多くの患者さんを救うことは間違いない。残された私は、大切な先輩・仲間・友人を失った自分に喝をいれながら、仕事を続けていこうとあらためて決心した。河野先生はまだまだやりたいことがいっぱいあったと思います。戯言だがいつかきっと先生とはまたあえるような気がしている。そのときはもっともっとうまくやりましょう。
徳洲会病院 リレーエッセイとしては適当な題材ではないかもしれませんが、書かずにはいられませんでした。ご容赦ください。
私は革製品が好きで、財布などの小物から、かばんなどの比較的大きなものまで、革を使った製品を好んで使っています。その「革」についてお話ししようと思います。
「かわ」といっても、「皮」と「革」では意味が違います。
「皮」は、動物(人間を含む)の皮膚そのもの、あるいは加工されていない、動物の体から剥がされたそのままの状態のものをいいます。皮を加工して、つまり鞣して、製品として利用できるようにしたものが「革」です。
鞣す(なめす)とは、皮から汚れや毛、脂肪などを取り除き、コラーゲン線維に鞣し剤を結合させて、腐敗しない、安定した素材である「革」に変化させることをいいます。鞣し方にもいろいろありますが、大きく分けて植物タンニン鞣しとクロム鞣しがあります。
植物タンニン鞣しは古くからある手法で、植物から抽出したタンニンを用います。手間がかかるため、これを行う業者(タンナー)は徐々に減っており、また値段もやや高価になってしまいます。しかし革の持つ風合いや、経年変化を好む人は少なからずいて、自分もその一人です。欠点としては水に弱いことや、定期的な手入れが必要なことでしょうか。
一方のクロム鞣しは、鞣し剤として塩基性硫酸クロムを用いたものです。時間と手間がかからず、発色の良い、比較的水に強い革ができます。手入れも植物タンニン鞣しほど必要ないので、多くの製品に使われていますが、革らしい経年変化などはあまり楽しめません。
どちらの鞣し方が良いとか悪いとかではなく、製品の用途や使う人の好みで決めれば良いと思いますが、個人的には植物タンニン鞣しの革が好きです。
世の中の大半の物は、新品の時が最も良い状態で、あとは時間とともに古ぼけて、魅力がなくなっていきます。でも中には、きちんと手入れをしてあげれば(あるいは放っておいても)、使っているうちに味が出て、どんどんとかっこ良くなっていく物があります。ジーンズとか、外壁や塀に使われるレンガとか。
植物タンニン鞣しの革もそのひとつ。使い込んで、手入れをしてあげると、革は徐々に艶やかになり、色の深みが増していきます。くったりとした柔らかさが出て、道具としても使いやすくなります。
そうやって「育っていく」革製品を使っていると、どんどんと愛着がわいていきます。
そして気づくと、革製品だらけの沼にはまっていくのです。
今回はいつも大変お世話になっている院内にあるタリーズコーヒーの宣伝をさせていただきたいと思います。
当院には2012年に現在の大谷地東地区に移転した際に院内にタリーズコーヒーができました。当時は大谷地東地区にはシアトル系コーヒーチェーン店がほかになく、コロナ禍以前は近隣の企業等からも来店される方も多く、院内施設であると同時に地域に根ざした店舗として賑わっておりました。
しかし、昨年からのコロナ禍では院内に入ることも困難になり、客足は非常に少なくなってきていましたが、最近は緊急事態宣言の解除もあり、徐々に来店いただける方も増えております。
今のメニューではおすすめは↓です。普通のさつまいもチップスと異なり、若干カカオ風味です。またクリスマスに向けて12月よりハリー・ポッター味のドリンクも発売になるそうです。
病院にお立ち寄りの際はお時間が許せば是非お立ち寄りください。
劇画家のさいとう たかお氏がことしの9月に享年84歳で逝去された。
1968年から始まった「ゴルゴ13」シリーズは2021年7月で単行本201巻目となり、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。
53年間の長きに亘って描かれ続けて来たゴルゴ13、デューク東郷は国籍不明のA級スナイパーとして世界を股にかけて活躍して来たが、サザエさんと同様に劇画の中では彼は年を取っていない(ように見える)。
デビュー当時の彼の年齢が20歳代後半位だとすると2021年には80歳近くになっているはずだ。
このシリーズを沢山読んでいるわけではない。
しかし、劇画の中では白髪が増えているわけでもなく老眼になって来ている様子も無い。運動対応能力に衰えは観られない。聴力も良さそうだ。
これから述べようとするのは、あくまでも私見であって原作者の名誉を傷つけるような意図は決して無い。
以下は、全く想定や想像の域を出ないいわゆる架空の話と捉えて欲しい。
仮にゴルゴ13、デューク東郷のような人物がこの地上に存在するとすれば、あれだけ緻密な思考と実行が可能な彼であれば年を取らない何らかの索を講じているに違いないと夢想する。
一体それらは何なんだろう?
ひとつには、かなり優秀なジムトレーナーが付いていて極めて適切なトレーニングを継続している可能性が高い。
持久力の維持のために走り込みまで行かずとも速歩くらいは毎日数kmは実践しているかも知れない。
筋トレなんかは十数種類位のメニューをこなしていそうだ。
サウナとかも使っているかも知れない。
食事も三大栄養素をバランス良く摂取しているのは勿論、天然ビタミンやミネラルの類いも適切に摂取しているに違いない。
睡眠時間も7〜8時間は取っているのではないだろうか?
アルコールは飲んでいそうだが、深酒はしていないと思う。
タバコはまだ吸っているのだろうが、機会飲酒ならぬ機会喫煙のレベルではないだろうか?
知力の維持の工夫はどうしているのだろう?
正直、判らない。NHKの教育テレビとで外国語の勉強を続けている?
いやいや、彼は既にマルチリンガルだからそんな事は必要ないだろう。
国際的に有名な大学の大学院教育をインターネットで受けている?
しかし、一体何の科目を?
動体視力の維持にバッティングセンターに定期的に通っているのかも知れない。
本人が聴いたら一笑に附されそうな内容ばかりだろう。
実際のところは彼が何をどう実践しているのかは全く判らない。
私の中では、謎のままである。
「人生百年時代」と言うフレーズが当然のように行き交っている。
確かに50年前と比較すると「老人」の感覚が随分と違ったものになって来てはいる。
「高齢者=老人」という等式が成り立たないヒトも増えて来ている。世界中で。
この半世紀の間に、特に先進国では人間を取り巻く環境が寿命の延長に繫がる様々な要件の中で大きな変化が観られているのは事実だろう。
「老化」という概念自体の見直しや再検証が為されて来るに違いないと考える。
ゴルゴ13は劇画という二次元の中の人物だが、三次元プラス時間経過という軸の中で常に変化している現代人にとって、仮に物理的、生物学的制約が種々在ったとしても寿命限界を延長して行くという傾向は今しばらくは続くに違いないと考える。
さて、自分はどのような高齢者で在ろうとしているのか、本格的な模索が始まった様な今日この頃である。