「推し」とは-深い愛着があり他の方にもお勧めしたいと思う人物や物を指す表現とされている。現代用語として定着し、いまでは「○○推し」「推し○○」など何にでもつけれる汎用性の高いパワーワードとなっているが、社会問題ともなっている過度な推し活には不安感を覚えることもある。
それでも、「推し」が日々の生活を彩り、もたらされるハッピーな効果がいかに大きいかは想像に難くない。最近では、生活にハリや刺激を与えるという観点から、認知症やフレイルの予防などにもつなげていく自治体の取り組みもあるほどだ。
私はあまりものごとへの執着がないので「○○好き」はあっても「推し」はないと思っていたが、ひょんなことから先日、私にもれっきとした「推し」がいたことが判明したのである。
彼女との出会いは数年前、コロナ禍で外出制限があった頃だった。自宅で過ごす時間が増えストレスも溜まりやすくなっていたので、当時流行し始めていた自宅エクササイズをやろうと一念発起して宅トレクリエイター竹脇まりな氏のYouTube動画を見ながら宅トレを開始。これまでダイエット目的で何度かエクササイズを試みたことはあってもほぼ三日坊主で、健康グッズも買いあさってはすぐに飽きて放置している状態。毎年健康診断の問診票に「1ヶ月以内に運動をはじめようと思っている」をチェックし続ける、いわゆるやるやる詐欺状態の私。どうせ3日でやめるだろう...と(自分を含め)家族のだれもが思っていた-
それがなんと! 1年以上も続いた奇跡!!
彼女の動画は映え要素に重きを置かず等身大で飾り気がない。そして常に明るく前向きで、くったくのない笑顔を向けてくれる。今の自分のまま、好きなやり方でできることだけでもいい、一緒に頑張ろう!とテロップで励まされ、お手本と同じ動きにはこだわらず、上手にできなくてもかっこわるくても自分がやれる・やりたい動きを全力でやる。ここキツーいっ!!というところでタイミングよくテロップが入る(『ギャー』『きつー』『昇天★』『きついけど楽ちい~』など(笑))。一緒にもだえながらもあっという間に時が流れていくのである。いつしか私はダイエットや健康のために運動を続けるということを抜きにして、ただ彼女と画面を通してコミュニケーションをとるために1年間エクササイズを続けていた。トレーニング系YouTube動画は数多く配信されているので、他にも試してみても不思議と続かなくて、彼女だけが(運動時の)私の気分を上げてくれる特別な存在で、まぎれもない「推し」だったのだ。そして、何と言うことでしょう!楽しく推しと運動をして、腸活レシピをいるうちに、7kgほど痩せて体も軽くなっていた。あぁすばらしきかな、推し活!
そしてウィズコロナからアフターコロナへと変遷する中で、私の体調(体型)も変化していった...肘の手術をしたり、四十肩をこじらせたり、ヘルニアでの腰痛などで苦しみ、リハビリに通うこと1年以上。トレーニングはなかなかできず気分はみるみる落ち込み、逆に体重とストレスはみるみる増えていった。先日1年ぶりに受けた健康診断では「腹囲がちょっと...去年とだいぶ変わっていて。はかり間違えかもしれないのでもう一度はかりますか?」と言われ、うなだれながら小さく「いいえ...はかり間違えではないと思います」と応えた自分の脳裏には久しぶりに彼女の笑顔が浮かんでいた。
そうだ!また推し活を始めよう。
卒業して北大整形外科に入局しました。
当時は、臨床研修もなくそのままストレートに整形外科の研修がはじまった。
大学病院では、下肢班、股関節班、脊柱班、上司班の研修を行いました。
その後は比較的大きな病院で研修を行いました。卒後5年時に下肢班に属しました。
それなりの技術を習得し、比較的大きな市中病院に勤めることになりました。。
各班(脊椎・上司・下肢)とそろっており、専門分野の手術を担当していました。
2003年4月、当時、社会保険総合病に赴任しました。研修医も含め、5人の体制でした。
このころから、公的病院の人手不足が気になるようになってきました。
2年が過ぎた頃から人数が減少し、研修医との二人体制となり、最後は一人になりました。一人でできる手術だけとなり、院長からも売り上げの減少を言われるようなっていました。
大学からの意向もあり、2014年4月に苫小牧市立病院に移動しました。ここも二人体制で、週2日の研修医の応援、外来派遣などでしのいでいました。病気のため上司が辞め、一人になりました。札幌から近場の苫小牧も科によっては人手不足になっています。
今回は、家庭の事情もあり、2021年4月に当院に入職しました。高齢化の波は逆らえませんが、専門性をもって働いています。
追伸
年20回程度ゴルフを行っています。60歳を過ぎて、飛ばなくはなりましたが、その分曲がりも小さくなり、スコアもまとまってきました。
リレーエッセイの順番は、年のはじめころに1年分が発表になります。先日ローテーション表が配られ、「今年の私の順番は〜」と、表を見たところ、なんと3番目!すぐではないですか!これでは取材に行く時間がございません!
ということで、少し前の話ですが、たまたま目撃した自然現象について書かせていただきます。
2024年1月中旬のある朝のことでした。ふと太陽の方を見ますと、太陽の上の方に柱のようなものが見えるではありませんか。
「これは、もしかしてサンピラー!? サンピラーって、すごく寒いところでみられるものなのでは?札幌でも見られるの?」と思い、後日ネット検索してみました。
「ウェザーニュース」から引用しますと、「サンピラーは日の出や日の入りの時、太陽から垂直に炎のような光芒が見られる現象です。光の柱のように見えることから、『太陽柱』とも呼ばれます。空気中に浮かぶ六角形の板状の氷の結晶に太陽の光が反射することで見られますが、氷の結晶の向きが揃っている事が条件となります。そのため、空気がよく冷えていて、上空の風が弱い時に空気中の氷の結晶が豊富で向きも揃いやすく、サンピラーが見られることがあります」とのことです。
私は旭川市の出身ですが、サンピラーといえば名寄、というイメージでした。サンピラーパーク、とか、温泉とか、昔は、サンピラーラーメン、なんていうのもあったような気がします。今回調べたところ、北海道各地でサンピラー目撃の報告があるようですね。この日の札幌はマイナス7度くらいでしたが、もっと寒いところでないと見られないと思っていましたので、ちょっと感激でした。神秘的というか、なんだか神々しい感じがしました。
将棋に関心のある読者はどれ位の割合であろうか?
今、将棋が注目を浴びている。タイトルの全てを獲得して八冠を達成した藤井聡太の活躍が将棋を知らない人にも驚きと感動を与えている。藤井聡太の将棋は面白い。プロの棋士でもAI(コンピューター)と対戦すればかなわないが、トッププロでも驚くAIに近い手を指すことがあり神の手とも表現されることが多い。1988年18歳で名人経験者4人を破り、NHK杯で優勝した羽生善治九段の登場と似たワクワク感がある。1996年25歳で羽生は七冠を達成するが藤井はまだ22歳である。今後の活躍に期待するとともに私は将棋アプリで藤井の棋戦を中心にリアルタイムで楽しんでいきたい。言い過ぎかもしれないが、野球界の大谷翔平と同様に同時代を生きていることに幸せを感じる。
レベルは違えども私はというと小学生で将棋を覚え、年上のいとこと将棋に熱中した楽しい時期を記憶している。勝ち負けに目先がいき、定跡を覚えるのが苦手では強くなるはずがない。それでも詰め将棋は得意な方で劣勢を挽回して勝利した時の喜びはひとしおである。かといって、将棋の大会に参加したことはなく、インターネットでお酒を飲みながらレーティング上位者と対戦しては負けることが多くなかなかレーティングも上がらなかった。縁があって、40代の時に北海道新聞の夕刊に連載されたプロ棋士との駒落ち戦に参加する機会に恵まれた。深浦康市九段との飛車角2枚落ちの手合いであった。当時苦手な駒落ち定跡もそれなりに勉強して実践に望んだのだがいいところなく完敗してしまった。現在は自宅のパソコンで将棋ソフト"激指"で仮想女流棋士と飛車落ち将棋を楽しんでいるがほとんど負けることが多い。
PS いまだに海水魚飼育は続けています。現在は、トロロ藻というものが繁殖し撃退に手こずっています。
人生にはある日突然目の前の曇りが晴れて遠くを見通せるようになったような気がする時がある。"進化の技法"という本はそのような気持ちにさせる一冊である。
生物は変化する。その変化が生存に好都合であれば進化したと認識する。このような生物の変化は遺伝子におけるDNAの変異による。この本によればDNAの変異は何かを目的におきるものではなくて、ただやみくもに変異を行っているように見えるという。その結果生物に新たな構造の変化が起きたとしても当初は役に立たない変化かもしれないと。たとえば魚の浮袋がのちに酸素を取り込んで陸上生活を可能にしたり、魚の鰭が陸上に上がる前に手足に変化して陸上生活を可能にしたり、目的を持った構造の変化以前におきた構造の変化から目的の機能の変化を取り出したこれらの例などは進化と呼ばれるにふさわしいかもしれない。このような構造の変化はDNAの変異によるが、想像も難しいが数万個のDNAが一度に変異することがあった。昆虫が変態するようになった時や、哺乳類が卵生から胎生に変わった時などは、数万個のDNAが一度に変異を行って新たな構造を獲得したということである。46億年の生物の歴史の中で起きた、たった1回の信じられないような出来事である。
さてそのような生物の進化の歴史の中で人間が生まれたのも壮大な遺伝子の変異の産物であることは言うまでもない。人類がチンパンジー類と別れたのが700万年ほど前と考えられており、この時に始まった人類としての変化が直立二足歩行と犬歯の縮小と言われている。犬歯の縮小は食性の変化と考えられているが、直立二足歩行は諸説が並立しており、定説はまだ確定していない。"進化の技法"に準ずれば何の目的もなく直立二足歩行が生じた可能性は"有り"ということになるが、その構造的変化はどのようなものであろうか。DNAの変異が何個関わっていたかは分からないとしても、見た目が変わったところは脚が長くなったところであろう。直立二足歩行は脚が長くなったための機能の変化とも言える。ゴリラもチンパンジーも四足歩行を遂行するために腕の方が長い。人類は脚が長くなって四足歩行が出来なくなったためやむを得ず二足歩行に移行して、さらにしっぽのない人間がバランスをとるために直立したと考えられる。
直立二足歩行が人類の生存に有利であったのは言うまでもないことで、それはその後の歴史が証明している。自由になった手を使っての防御には最初はおそらく動物の骨や木の棒などが上手に使われたであろうし、固定した住処に骨髄などの栄養の入った骨などを運んだりしたであろう。偶然に脚が長くなったために直立二足歩行をせざるを得なくなった人類のその後の歴史を見ると、偶然に脚の長くなった事が直立二足歩行を選択させたとの話は妙に納得できる説とも考えられるがどうであろうか。
(参考文献)
「進化の技法」(みすず書房)ニール・シュービン著、黒川耕大訳。
「絶滅の人類史」(NHK出版書房)更科 功著。