「『群れ」の話-イヌは群れる、ネコもトリもサカナも群れない-」 成田 光生
2019年12月16日

 そもそも「群れ」とは何だろう?生物学的に「群れ」は、幼体から成体までを含む複数の家系による共同生活体であり、そこには'リーダー'が存在する。この意味で「イヌ科の動物」は、「群れ」を作る。古来、'野犬の群れ''ジャッカルの群れ'などとして「群れ」という表現がイヌ科の動物についてしばしば使われるのは偶然ではない。さらにこれと対極としての'一匹狼'という言葉が存在するのは、そもそもイヌ科の狼は「群れる動物である」ことを前提にしているからである。

 これに対し、「ネコ科」の動物は、「群れ」を作らない。よくサバンナなどで数頭のライオンが'群れて'いる映像を見るが、あれは1匹のオスを中心にして数匹のメス、そしてその子どもたちという'単独の家系'が集合している「ハーレム」と呼ばれる集団であり、「群れ」ではない。また'野良猫の群れ'という言葉も聞いたことがない。よく公園などに野良猫が集まっているのは、そこにいると餌があたる確率が高いという個々のネコの判断から集まっているだけであって、それぞれのネコは別行動である。

 小さなトリやサカナは種族を保存するのに都合が良いので本能的に「巨大な集団」を形成しているが、実は個々は別行動でありリーダーも存在せず、意外なことにこれは生物学的には「群れ」ではない。ちなみに岩波の国語辞典(第四版)を引いてみたら、「群れる」の項には「鳥が'群れて'飛ぶ」という例文が出ていた。文系ならこれで良いのかもしれないが、理系的には「鳥が'集団で'飛ぶ」が正しい。

 我々ヒトの集まりは...ただ生きるためだけに集まっている「大いなる個の集団」ではなく、あくまで共同生活体としての「群れ」であることを願いたいものである。

投稿者小児感染症部長 成田 光生
「学会発表」 東 直樹
2019年12月09日

昭和63年3月に医学部を卒業して、30年以上経過した。珍しい一症例や症例を集めて検討して、年数回のペースの割合で学会にて発表してきた。

最初のころ、上司(いわゆる上級医)と相談しながら、発表の予行をして、問題点や想定される質問に対して、討論を重ねて答えを準備する。ただ、時折問題症例に対する質問の答えを用意することが難しい場合がある。

20年前の症例である。症例そのものは珍しいのであるが、問題点があった。

発表の予行練習中のことである。

「E先生、症例そのものはいいですが、手術の選択の点で、質問されたら困る点があります?」

「うーん、まあ大丈夫でないか?」とE先生。

「でも、T病院のM先生は必ずそこを突いてきますよ。」と私がいうと、

「その発表演題の座長はわたしだから、困ったらこっちを見ろ。助け船を出して、フォローするから」とE先生。

「そうですか・・?」と(不安な)私。

「大丈夫、大丈夫。」とE先生。

発表本番である。発表演者は私、座長はE先生。発表後、T病院のM先生から、予想通りの質問がきた。答えは用意されていない。

ちらっと座長のE先生を見た。

私に見られたE先生、さっと視線をそらして、反対側の向こうを見た。

(やられた!!!)

仕方がないので、もしかのために用意していた苦し紛れの返答で逃げ切る。質問したM先生、しぶしぶ了承した。

終了後、

「出来、質問の答え、よかったじゃないか!」とE先生。

「え?(見捨てたくせに)。」

「大丈夫、大丈夫。OK。」とE先生。

(どこが大丈夫なのだろうか?)

という感じで、研鑽(?)を積みかさねて、相変わらず発表しています。今となれば楽しい(?)思い出です。

投稿者:消化器内科部長 東 直樹
「ラグビー」 中川 麗
2019年10月17日

高校時代は、ただ、ひたすら顧問の先生の顔色に怯えながら、部活をして過ぎ去ろうとしていた。最後の大会を目前に、いよいよ高校を卒業するんだ。と気づき、途方にくれた。何も持たずに、裸で社会に放り出されるような恐怖感。逃げ出すように、大会が終わるとともに、休学届を出して、ニュージーランドに行った。

もちろん、英語は話せない。ホームステイ先の猫が唯一の友達だった。その猫からダニをもらって、全身に赤い斑点ができた。おそらくかまれただけだが、あまりに美しい調和をもって全身にひろがる斑点に、医師はアレルギーの可能性も否定できない。と見立て、ヒョウ柄の私は、ホームステイ先から出ることになった。かたことの英語で何とか隙間風とともに滑り込んだアパートは、後にスラム街の中心にあると知った。

新居の窓からは公園が見えた。よれよれで泥だらけのTシャツを着た子供達が夢中で走る。胸に抱えられていたのはラグビーボールだった。あっという間に変化する流れとスピードに圧倒された。お隣の3兄弟も選手だった事に気づいたのはしばらくしてからだ。話しかけても返事はない。英語が下手だから通じないか...と、がっかりしたが、不思議とお互い探して、何らかの挨拶をする関係になった。不思議と吹き込むのは隙間風ばかりで兄弟喧嘩が聞こえてくることはなかった。いよいよ、私の英語力だけではなく彼らの聴力にもハンディキャップがあるのでは?と思い始めていた頃、お母さんから、「この子達、オールブラックスに入るために目だけで会話をする練習中らしいの。返事もしなくてごめんなさいね。」と言われ唖然とした。

あの兄弟もそろそろ30歳くらいだろうか?

今、日本のスタジアムを走っているのだろうか?

先月、札幌にて行われた2試合に後方支援病院として参加させて頂いた。

残念ながら怪我をしてしまった選手が当院へ搬送されたが、皆様にサポート頂く中、全員元気に帰国することができました。

ありがとうございます。

ラグビーの世界も救急医療もまだその何たるかを語る程理解はできていない。

ただ、少し似た側面を持つのかもしれない。めまぐるしく変化する流れを読むには、言語化できないことも伝えあえる、信頼できる仲間との阿吽の呼吸が欠かせない。それぞれの専門家としての立場で果たすべき役割に集中しながら、お互いの動きを感じあう。ボールを持っていない人の動きも流れを変える。

よれよれのスクラブで、一所懸命、抱える患者さんを明日へ繋げるべく走ってみる。そんなところが似てるかも。

助けの手を差し伸べてくださる地域の方々と、応援の声に答えられる様、もう少し頑張ってみようか。

今日も、今春加わってくれた新しいスタッフ達が、もくもくと前進する姿に励まされる。

近日、その彼らの後輩の入職も決まる予定だ。

20年後、彼らが走るスタジアムはどこにあるだろうか。どんな夢を繋ぐのだろうか。楽しみだ。

投稿者副院長・プライマリーセンター長 中川 麗
「How?」 小野寺 康博
2019年09月30日

小泉進次郎環境大臣が国連での地球環境に関する会議に参加した際に、二酸化炭素の排出問題に関して日本での火力発電に石炭を使用している点に関して問い質された。

問題は解決されなければならないという認識があることは示すことが出来たが、その解決のための具体的な方法や方向性については答えることが出来なかった。火力発電に限らず、本質的な論議として考えた場合、小泉大臣に向けられた"How?"(いかにして?)という質問は各国の環境問題に携わっている人々にも同様に向けられている問いでもある。

そして、その問いはこの地球という惑星に生活している私達一人一人に向けられている問いでもある。

ここ最近の台風が大型化し易くなっているのは海水温の上昇がその重要な要因となっているという。

大気圏の厚さも水層圏の厚さも地球が直径1mの球体だとするとそれぞれ1mm程になる。

そのわずか2mmの薄い膜の中に殆どすべての生物が息づいている。

海水温の上昇に影響を与えている主たる要因が人類の活動そのものだという分析が本当に正しいのだという前提が成立するのなら、活動の主体である人類がその責を負わねばならないはずだ。

空気中の酸素濃度が20.9%に保たれたままでこの惑星が回転し続けているというとてつもない奇跡の中で我々に向けられている"How?"は今までもそしてこれからも問われ続けるのであろうが、そろそろその答えを出して行くべき期限が迫って来ている状況証拠が目の前に提示されて来ている気がしてならない。

ひとつの可能性としてAIが答えを出してくれるのだろうか?

しかし、演算を得意とするAIには具体的な計算課題をインプットしなければ答えは出せないだろう。課題の設定は、やはり我々人類が行うべき大切な仕事に違いない。

いろいろな考え、アイデアが求められているに違いない。いったい、誰から?誰の為に?

私はあの会議の様子の放映以来、"How?"を考え続けている。考えるだけでは不足だろうという心の奥底からの想いが湧いても来る。

だから、"How?"

投稿者副院長・腎臓科部長 小野寺 康博
「ちょうどいい熱狂」 蘆田 知史
2019年09月27日

札幌でラグビーワールドカップが開催され、はじめて札幌ドームへ観戦に行った。

イングランド対トンガの対戦だった。

そもそもスポーツ観戦というものをしたことがなかったので、どのようなものかと思っていたのだが、開催日が近づくにつれ、段々と楽しみになってきた。2-3日前までは、その日に救急外来に患者さんがこないといいなーくらいの気持ちだったが、当日地下鉄に乗るときには、もしなにかあったら引っ越し中の藤谷先生にお願いしようと思うほど、ワクワクする気持ちがこみ上げてきた。地下鉄の駅をおりてドームまでの道は行列状態だった。歩いている人の中には、イングランドのファンというかイギリス人らしき人、イングランドのユニフォームを着ている人、顔に白地に赤十時のペインティングをしている若者、既にビールを飲みながら歩いている人などなど、気分が盛り上がってくる。試合開始2時間以上前に着席し、観客や練習風景などを眺めている。試合開始前には満員となり、歓声が上がり、スクリーンにスタメンの紹介があり、観客は興奮状態となる。キックオフの瞬間は割れんばかりの歓声となる。イングランドを応援する人がほとんどだ。

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私も高校時代は体重55kgの痩身で足が速く、ラグビー部に所属していた。14番ウイングで2試合に出場し、トライをし損なって函館ラサール高校ラグビー部の歴史を汚した。名誉のためにいうが、同級生にはほんとうに素晴らしい選手がいて、そこそこ強かった。しかし函館にはもっと強いチームがいっぱいあったのだ。そのようなわけで、私は弱いものの味方である。実力に劣るが一生懸命やっているトンガの選手を心からこっそり応援した。イングランドがボールを奪い、トライを重ねる度に胸が苦しくなるが周囲は大歓声である。後半、イングランドが4トライを重ねて勝利を決めた頃、観客の中の日本人から「トンガ!」という応援の声が上がりはじめた。最後の1分、トンガがなんとかワントライを返そうと、何度もボールを継ぎはじめたときには、トンガ!トンガ!の大歓声である。

結局試合はそのまま終わり、トンガの選手の中にはグラウンドに感謝の祈りを捧げる人があった。お互いにユニフォームを交換し、試合の熱狂は終わった。

日本人は昔から弱いものの味方(判官贔屓)の民族であった。そのことを思いだし、やさしい札幌の観客に心が和んだ。

そういえば病院のひともみんなやさしい気持ちで仕事してる。

連休明けの外来では、休み中に調子の悪かった患者さんが、「先生がいないと思って受診しなかった」といっていた。「我慢しないでいつでもきてね」といいながら、心の中でごめんなさい。

まったく素晴らしい1日だった。このチケットをとってくれたひとには一生かけて恩返しするつもりである。

投稿者:副院長・IBDセンター長 蘆田 知史