「ラグビー」 中川 麗
2019年10月17日

高校時代は、ただ、ひたすら顧問の先生の顔色に怯えながら、部活をして過ぎ去ろうとしていた。最後の大会を目前に、いよいよ高校を卒業するんだ。と気づき、途方にくれた。何も持たずに、裸で社会に放り出されるような恐怖感。逃げ出すように、大会が終わるとともに、休学届を出して、ニュージーランドに行った。

もちろん、英語は話せない。ホームステイ先の猫が唯一の友達だった。その猫からダニをもらって、全身に赤い斑点ができた。おそらくかまれただけだが、あまりに美しい調和をもって全身にひろがる斑点に、医師はアレルギーの可能性も否定できない。と見立て、ヒョウ柄の私は、ホームステイ先から出ることになった。かたことの英語で何とか隙間風とともに滑り込んだアパートは、後にスラム街の中心にあると知った。

新居の窓からは公園が見えた。よれよれで泥だらけのTシャツを着た子供達が夢中で走る。胸に抱えられていたのはラグビーボールだった。あっという間に変化する流れとスピードに圧倒された。お隣の3兄弟も選手だった事に気づいたのはしばらくしてからだ。話しかけても返事はない。英語が下手だから通じないか...と、がっかりしたが、不思議とお互い探して、何らかの挨拶をする関係になった。不思議と吹き込むのは隙間風ばかりで兄弟喧嘩が聞こえてくることはなかった。いよいよ、私の英語力だけではなく彼らの聴力にもハンディキャップがあるのでは?と思い始めていた頃、お母さんから、「この子達、オールブラックスに入るために目だけで会話をする練習中らしいの。返事もしなくてごめんなさいね。」と言われ唖然とした。

あの兄弟もそろそろ30歳くらいだろうか?

今、日本のスタジアムを走っているのだろうか?

先月、札幌にて行われた2試合に後方支援病院として参加させて頂いた。

残念ながら怪我をしてしまった選手が当院へ搬送されたが、皆様にサポート頂く中、全員元気に帰国することができました。

ありがとうございます。

ラグビーの世界も救急医療もまだその何たるかを語る程理解はできていない。

ただ、少し似た側面を持つのかもしれない。めまぐるしく変化する流れを読むには、言語化できないことも伝えあえる、信頼できる仲間との阿吽の呼吸が欠かせない。それぞれの専門家としての立場で果たすべき役割に集中しながら、お互いの動きを感じあう。ボールを持っていない人の動きも流れを変える。

よれよれのスクラブで、一所懸命、抱える患者さんを明日へ繋げるべく走ってみる。そんなところが似てるかも。

助けの手を差し伸べてくださる地域の方々と、応援の声に答えられる様、もう少し頑張ってみようか。

今日も、今春加わってくれた新しいスタッフ達が、もくもくと前進する姿に励まされる。

近日、その彼らの後輩の入職も決まる予定だ。

20年後、彼らが走るスタジアムはどこにあるだろうか。どんな夢を繋ぐのだろうか。楽しみだ。

投稿者副院長・プライマリーセンター長 中川 麗
「How?」 小野寺 康博
2019年09月30日

小泉進次郎環境大臣が国連での地球環境に関する会議に参加した際に、二酸化炭素の排出問題に関して日本での火力発電に石炭を使用している点に関して問い質された。

問題は解決されなければならないという認識があることは示すことが出来たが、その解決のための具体的な方法や方向性については答えることが出来なかった。火力発電に限らず、本質的な論議として考えた場合、小泉大臣に向けられた"How?"(いかにして?)という質問は各国の環境問題に携わっている人々にも同様に向けられている問いでもある。

そして、その問いはこの地球という惑星に生活している私達一人一人に向けられている問いでもある。

ここ最近の台風が大型化し易くなっているのは海水温の上昇がその重要な要因となっているという。

大気圏の厚さも水層圏の厚さも地球が直径1mの球体だとするとそれぞれ1mm程になる。

そのわずか2mmの薄い膜の中に殆どすべての生物が息づいている。

海水温の上昇に影響を与えている主たる要因が人類の活動そのものだという分析が本当に正しいのだという前提が成立するのなら、活動の主体である人類がその責を負わねばならないはずだ。

空気中の酸素濃度が20.9%に保たれたままでこの惑星が回転し続けているというとてつもない奇跡の中で我々に向けられている"How?"は今までもそしてこれからも問われ続けるのであろうが、そろそろその答えを出して行くべき期限が迫って来ている状況証拠が目の前に提示されて来ている気がしてならない。

ひとつの可能性としてAIが答えを出してくれるのだろうか?

しかし、演算を得意とするAIには具体的な計算課題をインプットしなければ答えは出せないだろう。課題の設定は、やはり我々人類が行うべき大切な仕事に違いない。

いろいろな考え、アイデアが求められているに違いない。いったい、誰から?誰の為に?

私はあの会議の様子の放映以来、"How?"を考え続けている。考えるだけでは不足だろうという心の奥底からの想いが湧いても来る。

だから、"How?"

投稿者副院長・腎臓科部長 小野寺 康博
「ちょうどいい熱狂」 蘆田 知史
2019年09月27日

札幌でラグビーワールドカップが開催され、はじめて札幌ドームへ観戦に行った。

イングランド対トンガの対戦だった。

そもそもスポーツ観戦というものをしたことがなかったので、どのようなものかと思っていたのだが、開催日が近づくにつれ、段々と楽しみになってきた。2-3日前までは、その日に救急外来に患者さんがこないといいなーくらいの気持ちだったが、当日地下鉄に乗るときには、もしなにかあったら引っ越し中の藤谷先生にお願いしようと思うほど、ワクワクする気持ちがこみ上げてきた。地下鉄の駅をおりてドームまでの道は行列状態だった。歩いている人の中には、イングランドのファンというかイギリス人らしき人、イングランドのユニフォームを着ている人、顔に白地に赤十時のペインティングをしている若者、既にビールを飲みながら歩いている人などなど、気分が盛り上がってくる。試合開始2時間以上前に着席し、観客や練習風景などを眺めている。試合開始前には満員となり、歓声が上がり、スクリーンにスタメンの紹介があり、観客は興奮状態となる。キックオフの瞬間は割れんばかりの歓声となる。イングランドを応援する人がほとんどだ。

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私も高校時代は体重55kgの痩身で足が速く、ラグビー部に所属していた。14番ウイングで2試合に出場し、トライをし損なって函館ラサール高校ラグビー部の歴史を汚した。名誉のためにいうが、同級生にはほんとうに素晴らしい選手がいて、そこそこ強かった。しかし函館にはもっと強いチームがいっぱいあったのだ。そのようなわけで、私は弱いものの味方である。実力に劣るが一生懸命やっているトンガの選手を心からこっそり応援した。イングランドがボールを奪い、トライを重ねる度に胸が苦しくなるが周囲は大歓声である。後半、イングランドが4トライを重ねて勝利を決めた頃、観客の中の日本人から「トンガ!」という応援の声が上がりはじめた。最後の1分、トンガがなんとかワントライを返そうと、何度もボールを継ぎはじめたときには、トンガ!トンガ!の大歓声である。

結局試合はそのまま終わり、トンガの選手の中にはグラウンドに感謝の祈りを捧げる人があった。お互いにユニフォームを交換し、試合の熱狂は終わった。

日本人は昔から弱いものの味方(判官贔屓)の民族であった。そのことを思いだし、やさしい札幌の観客に心が和んだ。

そういえば病院のひともみんなやさしい気持ちで仕事してる。

連休明けの外来では、休み中に調子の悪かった患者さんが、「先生がいないと思って受診しなかった」といっていた。「我慢しないでいつでもきてね」といいながら、心の中でごめんなさい。

まったく素晴らしい1日だった。このチケットをとってくれたひとには一生かけて恩返しするつもりである。

投稿者:副院長・IBDセンター長 蘆田 知史
「五十にして天命を知る」 辻 英樹
2019年09月17日

 今年もリレーエッセイ執筆の季節となった。大体1年に一回同じ時期に順番が回ってくる。今回は50歳を超えて初めてのエッセイとなる。感じていることを書いてみた。

 区切りの年齢となった時、私はいつもあの孔子の言葉を思い出し、その都度自分の境地と比べてきたような気がする。「四十にして惑わず 五十にして天命を知る」 大台に乗った私は、果たして天命を知ることは出来たのだろうか?

 答えはノーである。そもそもこの世の中、「四十にして惑わず」という人もそういないだろう。惑わされてばかりの人の方が圧倒的に多いに違いない。私もそうであった。私がこの忙しい救急病院に来たのが37歳の時。めまぐるしく変化する日常の中、毎日毎日惑わされてばかりだった。であるからまして「五十にして天命を知る」人など、今の日本社会に本当に存在するのか?と思ってしまう。

 今や人生100年時代。超高齢化社会に突入し定年年齢はどんどん引き上げられ、50歳となっても「若手」などと言われてしまう。そんな世の中であるから「五十にして天命を知る」ことなど許されない?背景もあると思うのだ。

 では解釈を変えてはどうだろう。私は今まで「五十にして天命を知る」とは「50歳になったら自分の使命を悟る」というような意味だと思っていた。だからこそ「そんなのまだ無理だ」と思っていた。しかしネットによるとどうもそんな意味ではないらしい。現代と違って孔子の時代は50歳といえばもう老境の時代。つまり「天命を知る」とは今までの生き方ですでに己の限界を知り、諦めよ、ということらしい。この意味なら私でも「天命を知る」ことが出来そうである。髪の毛が薄くなっても、酒が弱くなっても、遠近両用メガネとなっても何も焦ることはなく「諦める」。何事も焦らないで「諦める」ことも肝心なのだ。これが六十:耳順、七十:従心の孔子の境地に入る近道に違いない。

投稿者:副院長・外傷センター部長 辻 英樹
「糸切り歯」 三浦 美文
2019年08月26日

 ネットで昭和の親父言葉、死語なるもの見ていた。使うと年寄り認定されるとか、幾つわかる?とクイズ形式になっていたりします。しかし、悲しいかな知らないものはなく、むしろ懐しく感じられる。実際、親父なのであたり前田のクラッカーです。

 ところで、糸切り歯って分かりますか?若い子の多くは知らないようです。糸切り歯は前から3番目の尖っている歯のことです。犬歯(これも知らない人がいるかも)、八重歯ともいわれます。肉食獣の牙に相当し獲物に致命傷などを追わせる歯です。八重歯は可愛い象徴として取り上げられる時もありますが、これは日本だけです。糸切り歯の由来は、かつてこの歯で糸を切っていたからそう言われています。現代では、歯で糸を切る習慣が無くなったため死語になってきています。

 人間の糸切り歯の本来の役割は何でしょう。咬み合わせや顎の機能から重要な歯で、顎を動かす時にガイドとなる歯です。たとえば、軽く咬み合わせた状態から左右に顎を動かす時にその歯で誘導するのが良いとされています。負担がかかる歯なので根の長さが一番長いです。糸を切るための歯でもなく、八重歯では本来の機能を果たすことができません。糸切り歯の誘導が失われると、それより後ろの歯に過重な負担がかかり悪影響を及ぼすこともあります。それは、奥歯は根の方向に真っ直ぐな力には強いのですが、歯を倒すような横の力には弱いからです。

 軽く咬んで顎を左右に動かしてみて下さい。その時に動かす方向にある糸切り歯を中心に誘導しているかを確認してみて下さい。そうではなく、動かす側と反対の奥の方の歯が当たって、本来接触しているはずの糸切り歯が当たっていない場合は特に注意が必要です。不安な方は、かかりつけの歯医者さんに相談してみると良いでしょう。

投稿者歯科部長 三浦 美文
「奥さんが『スー女』に」 岡 敏明
2019年08月19日

 相撲好きの女性のことを、「スー女」と呼ぶそうだ。実は妻は「相撲大嫌い」で、私がテレビで相撲を見ていると、常に冷たい視線を投げかけていた。

 ところが2年前から突如、スー女に変身。理由はよく分からない。だが相撲のある時期は、突然テレビの前で、一緒に応援するようになった。

 更に、〇〇富士、○○海など力士の名前が出ると、東京農大出身、日大出身、などとすぐ答えられる。変われば変わるものである。しかし「俄か(にわか)ファン」の悲しさ。ある時、取組の前に布のようなものを下に掲げ、土俵の廻りをぐるぐる人が回っている(つまり懸賞金の垂れ幕:正確には懸賞旗)のを見つけ、「あれは何だ」と聞いてきた。懸賞旗といって、1本7万円で応募でき、力士の手取りは1本あたり6万円であることを教えたが、腑に落ちない様子であった。

 いずれにしても、家族の共通の趣味として、相撲はなかなか良いものである。相撲に関心のなかった方も、見だすと家族で楽しめると思います。精神衛生上も、とても良い(競馬と違い、贔屓力士が負けても少しがっかりする程度)ので、お勧めです。

 ちなみに、私の贔屓は横綱の鶴竜関。妻の一押しは北勝富士関ですが、最近妻は逸ノ城関(モンゴル出身の巨漢力士)をも、密かに応援しているようです。

投稿者小児科臨床顧問・血友病センター長 岡 敏明
「先日の思い出」 河井 紀一郎
2019年08月13日

 私は先日、娘とともに北海道立文学館での「歌川広重 ふたつの東海道五拾三次 保永堂版×丸清版」に行って来ました。皆さんもご存知かとは思いますが、歌川広重は、江戸時代 11代将軍徳川家斉のときの町人文化(化政文化)のときに人気であった浮世絵師の一人です。代表作はこの『東海道五拾三次』など。また、「ふたつの東海道五拾三次」のもうひとつは十返舎一九作『東海道中膝栗毛』を指していて、この展示はふたつの東海道を同時に閲覧しながら江戸時代を知る、というものです。実際に行ってみた感想としては、ふたつのバージョンを比較しながら観てみたり、江戸時代の各名所の様子や浮世絵の色を刷る手順などを詳しく知ることができ、この歳になって新しいものを知り、大変興味と関心を持ちました。歴史が好きな娘も楽しんでくれたようです。しかし、展示室はとても寒く、娘と二人、そうそうに帰って来てしまいました。まあ6月の、雨が降った寒い日でしたので、気温が低かったこともあると思われますが、、、。

 ところで、最近は暑い日と寒い日が交互に続いております。みなさま、どうかご自愛ください。

投稿者産婦人科部長 河井 紀一郎
「思い込み」 東 直樹
2019年08月05日

 通常、患者さんとの説明で、「いった」「いわない」とかで、誤解されていることが少なくない。以前勤めていた市立M病院のことである。

 近所の婦人会での井戸端会議のことである。

「最近、胸が苦しいの?。」と40歳代の女性。

「それは、心臓が悪いのでないの?。」

「私、いい医者を知っているわ」

「誰?」

「市立M病院の循環器内科のM先生。」

「それじゃ、いってみるわ。」

 一年後、再び近所の婦人会での井戸端会議。

M先生にかかっているのだけど、よくならないの?心臓は悪くないと言うの。」

「う・・・ん?。」

「それ、胃が原因でないの。」

「それじゃ、検査に行ってみるわ。」

 数日後、検診の結果をもって、市立M病院消化器内科の私の外来を受診した。検診のバリウム検査では、胃噴門部の進行胃がんであった。直ちに、入院し、他の検査で転移はなく、外科で無事手術も終了し、事なきを得た。

 後日、循環器内科のM先生のカルテを拝見する機会を得た。カルテ上初診時、様々な検査で、循環器上異常はなく、「心臓が原因でない、消化管検査を」と、再三再四、胃カメラを勧めたが、「わたしは心臓が悪いので、心臓を診てほしいので、必要はない。」と拒否していたようだ。したがって、カルテには「心臓神経症」と記載されて、一年間通院していた。

 外野はM先生が誤診をしたと揶揄するものがいたが・・・?

 難しい症例である。

投稿者消化器内科部長 東 直樹
「ラベンダー刈り取り体験」 折居 史佳
2019年07月29日

リレーエッセイの順番が昨年と同じ月に廻ってきました。昨年は豊平公園のアジサイを見に行ったのですが、いくら同じ月とはいえ同じお花ではちょっと、と思い、今年はラベンダーを見に行ってきました。

検索サイトで「札幌 ラベンダー」と入れると、ラベンダーの名所がいくつか検索されたのですが、「ラベンダー刈り取り体験」に惹かれ、札幌生活10年目にして初めて羊ヶ丘展望台へ。入場料520円を払い、なかに入ります。駐車場に車を停め、まずは、クラーク博士の像へ。人がいっぱい。記念写真を撮っています。駐車場の周りを見渡してもラベンダー畑らしきところは見当たらず、案内所で聞くことに。建物の裏側に畑があるとのことで、行ってみると、緩やかな芝生の斜面にラベンダー畑がありました。

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ラベンダーはシソ科の植物で古代エジプト時代から芳香植物として、芳香剤や保存剤として、また香り付けとして食用に使用されていたとのことです。ラベンダーの種類も20種類近くあるそうですが、おそらく羊ヶ丘展望台のものは、イングリッシュラベンダー(コモンラベンダー)と呼ばれるものではないかと思います。

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ラベンダー畑の斜面の上の方にテントが立っており、そのあたりに人がたくさん集まっています。斜面をあがっていきますと、テントが刈り取り体験の受付でした。係りの男性が「ひとり50本程度刈り取ってください、一つ目の葉っぱの下をはさみで切って下さい」とはさみと輪ゴムとレジ袋を渡してくれました。刈り取って良い畑は人がいっぱいで一度しゃがんでしまうと左右に移動できないくらい。そそくさと50本ぴったり数えて刈り取り、その場をあとに。帰りに休憩所で、ラベンダーソフトを食べて帰りました。

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刈り取ったラベンダーはポプリにできるそうなので、乾燥させてみました。並べたラベンダーからほんのりとラベンダーの香りがひろがって、初夏の夕方にゆったりとした気分になれました。

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投稿者IBDセンター 折居 史佳
「進撃のゆくえ」 大島 美保
2019年07月22日

今、こどもの影響で読み出した「進撃の巨人」のラストが気になっています。物語は佳境となり、すでにラストも決まっているようです。漫画、アニメが大ヒットし社会現象となったこの物語は作者諌山創氏の処女作であることも驚きです。かつて流行に乗って小説も映画も全作制覇した「ハリーポッターシリーズ」も作者JKローリング女史の処女作でした。天才作家が姿を現す時は、それはそれは鮮烈なものなのですね。

そう言えば、私の地元、旭川出身の大作家、三浦綾子さんも自身初の長編小説で「氷点」を世に送り出しました。小説の舞台が身近で、容易に目前に広がる実感・共感があり、その壮大な人間描写にも魅了され、他の作品を読みあさったものでした。「塩狩峠」、「泥流地帯」の舞台も隣街。ドライブや出張で通りがかった時には、「この場所であんなことが起こったのか~」などと感慨にふけった若かりし頃を思い出します。

「進撃の巨人」は、得体の知れない人類の敵、〝巨人〟に食い尽くされないよう闘う話(あまりにザックリ過ぎますが)で、背景に描かれる人間模様や巨人に象徴される敵は現代社会を取り巻く多くの問題に読み替えることのできる重い話と受け止めています。読んでいて辛く、出口が見えない気にすらなるのですが、読み手の考え方や捉え方はまさに千差万別。とにかくどんな形となろうと楽しみにして、天才作者が導き出した結論を目撃したいと思います。

投稿者小児科医師 大島 美保
「アレルギー科エッセー」 續木 康伸 
2019年06月25日

アレルギーは早めに治療しましょう。治療が遅れると後から大変です。

投稿者小児科・アレルギー科医長 續木 康伸
「羽毛の進化-鳥は恐竜である・後編-」 成田 光生
2019年06月10日
 前回は「恐竜には最初は飛ぶためではなく、保温のために羽毛が生えていた」という話をした。その続きである。最も原始的な羽毛は、根元から多数の毛が多方向にふわふわと生えている、いわゆるダウン(ジャケットに使われる幼弱な羽毛)であった。ただしダウンには保温性はあるものの飛ぶ機能は無く、次世代羽毛として‘赤い羽根募金’の羽根のように、真ん中に羽軸(うじく)がありそこから左右対称に羽枝(うし)が生えている軍配形の羽毛に進化してゆく。そしてさらに最終段階として風切り羽と呼ばれる、左右非対称、つまり前側の羽枝は短く後側の羽枝が倍以上も長い羽毛が完成した。これは鳥が卵を温めている姿勢を想像して戴ければ分かるように、下側に向かって羽枝が長く伸びることにより少しでも地面との隙間を無くす意味で、保温のためには合理的な形である。すなわち一部の恐竜は、卵を温めていたのである。
 恐竜が鳥に進化するに至ったもう一つ大切なポイントが、骨である。恐竜の骨と聞くと化石になった、まさに「石の骨」が思い浮かべられるだろうが、実は恐竜の骨は、中身は軽石のように隙間だらけだったのである。すなわち恐竜にとっては体の軽量化がより大きく進化するための重要な課題であり、恐竜は骨を軽石化することにより、巨大生物となり得たのである。
 ある日、体の軽いやんちゃな恐竜が、わーいわーいと言って手=羽を振り回して遊んでいるうちに偶然、あれ?体が‘浮く’?ということに気づいた。あるいは木登りをして遊んでいたやんちゃな恐竜が誤って木から落ちて、思わずわー!と手=羽を振り回したらあれ?体が‘浮く’?ということに気づいた。たぶんそれが恐竜→鳥が空を飛んだ最初の瞬間なのではないだろうか。何億年も昔、遠い、遠い時代の話である。

投稿者小児感染症部長 成田 光生
「時代の変化」 城田 誠
2019年06月03日
最近時代の変化、昔との変化を感じることが多い。

平成から令和になった。自分も昭和、平成、令和と3つの元号を経験することになった。

先日ニセコに行ってきた。噂通り外国人がたくさんいて、新しいホテルやペンションがどんどん建設されていた。

私は若い頃陸上部に所属していたのだが、最近日本の陸上選手の力の向上が著しい。男子400mリレーは東京オリンピックで本当に金メダルを狙えるかもしれない。自分が昔やっていた男子走り高跳びでも今年日本記録が出て、今のところ今季の世界最高記録である。昔ではあり得ないことだ。

以前から好きだったがビールにはまっている。以前は日本ではほとんどがピルスナーの類だったが、今では日本中に多くのブルワリー(醸造所)が誕生し、さまざまなクラフトビールがあり楽しんでいる。個人的にはHazy(濁った)な苦いビールが好みだ。

自分の仕事でいうと、昔よりも腹腔鏡手術の割合がかなり増えた。時代の変化として低侵襲治療が求められた結果である。おかげさまで私が専門外来をしている鼠径ヘルニアの腹腔鏡手術は北海道で一番の手術件数をさせてもらっている。

あと何年仕事をするのか、何年生きるのかわからないが、時代はどう変化していくのだろうか。好きなビールを飲みながら変化を楽しみたい。

投稿者外科医長 城田 誠
「私のお気に入りの札幌近郊の山々 日帰り可能な山々」 原田 栄志
2019年05月27日
三角山~大倉山 311m
我が家から歩いて登れる山で、マラソンのトレーニングにちょこちょこ登っております。冬でも登る人がおり、土日などは駐車の車の数に驚いたりしておりますが……私は春から秋までしか登りませんが……三角山だけならば30分程度で山頂に立て、札幌の街並みや円山、藻岩山までの眺望が楽しめます。標高は311.0mと低いですが、道もきちんと整備されており、迷うことなく山頂までいけます。登山口は3か所ありますが、トイレ、杖が整備されており駐車場もある山の手が一番おすすめでしょうか。宮の森や小別沢からも登れますが、最初の登りがややきついかもしれません。たまに初冬にはクマ出没にて登山禁止になる事がありますが、、山の手や宮の森の小学校低学年の遠足コースですので幼稚園児~高齢者まで手軽に楽しめる山で私のお気に入りです。ちなみに山頂から我が家も見えます。物足りない人やトレイルランをするにはそのまま大倉山まで縦走がおすすめです。大倉山山頂まで行き、ジャンプ台の上からの眺望も札幌ならではですね。ジャンプ台の横の遊歩道を散歩し、大倉山周辺の高級住宅地のお宅を拝見しながら周遊するのもなかなかです。また本郷彫刻美術館も立ち寄る価値ありですね。


円山 225m
北海道神宮、円山公園を周遊後に原生林の入り口からお地蔵さんを眺めながら、登ります。
夏でも原生林のヒヤッとした冷風を味わいながら(パワースポットの雰囲気を堪能しながら)こちらも最短20-45分程度で山頂まで辿りつけます。こちらも真冬でもかなりの人が登攀しております。途中でエゾリスの巣があり、可愛い姿を目にすることもできます。札幌市内の眺望は円山山頂の方がひらけており、眺めはいいです。


八剣山 498m
本来の名前は「観音岩山」であるが、岩の峰峰が8本の剣に見えることから こちらの名前のほうが有名です。国道230号線で定山渓温泉に行く際に右手に見える山です。果樹園のところからの中央口と駐車場のある南口からで登ります。登山届が必要で、最初やや急登が10分ほどあり、その後中央口&南口からの合流 やや平坦になり、尾根に出ると眺望がひらけます。ごつごつした岩場を登り、最後にすこしロープが付いた鎖場があり、人との交差に神経を要します。40-50分程度で山頂に到着。20-30人が座れる広さの山頂は天気がよければ360度の風景が楽しめ、また標高の割に十分登山した満足感が得られる山です。以前に60歳代の方が滑落しておりますので、低山ですが、十分注意する必要がある山です。帰りに定山渓温泉屋小金湯温泉で汗を流してすっきり帰れるのも魅力ですね。

札幌岳 1293m 
ここからは中級者向けになるかも……5~6時間の登山になります。車で定山渓温泉温泉奥の豊平峡奥、冷水登山口から登ります。以前の台風後を見ながら登り、約1時間で林道を横断、さらに約1時間沢の周囲を上り、冷水小屋で一服。その後約1時間半で札幌岳山頂です。私は以前5月の連休に登ったら、山頂周辺はまだ雪山で、登山道は雪解け水が一杯ながれておりました。熊避けのスズが必須で、また夏場は虫よけスプレーも必要です。


空沼岳 1251m
こちらもやや中級者向け 自家用車がないとやや厳しい山。採石場を横切り、車で行っても最初心配になりつつ空沼岳登山口に到着。登山道手前に小屋で登山届をだして登攀開始。沢に沿って登り 途中青沼、万計沼等を横を通り、万計小屋を経由 山頂へ。快晴ならば360度 支笏湖~札幌市内までの眺望が楽しめる山のはずですが、、なぜか私が山頂に着くときにはガスが出で、一面しか眺望が望めないのです。今度はものすごい快晴の時に登りたいなあと思っているのですが……


黄金山 739.1m
以前増毛の診療所に毎月泊りで診療に行く途中に見えて気になっていた山である。浜益富士とも呼ばれる。国道231号線から見え、国道451号線から登山口がわからず迷った覚えがある。今は薬剤師となった娘と共に登山した思い出の山でもある。自家用車がないといけないが、山頂からの眺望は一見の価値ありと思う。沢に沿って登り30分ほどで水場があり冷水を堪能 その後はひらけた登山道を約1時間程度で 最後に岩場でスリルを味わいながら狭い山頂に到着 帰宅前に浜益温泉で一風呂がさらに嬉しい。露天風呂でさわやかな風を味わえるが、帰りに運転では、特に札幌市内の道路では覆面パトカーやスピード違反の取り締まりにご用心くださいね~。



投稿者整形外科部長 原田 栄志
「蝦夷富士・二鷹・三茄子」 片田 竜司
2019年05月20日
早いもので5月も半分が終わり、気が付けば桜も散ってしまって新緑の季節になりました。今月から元号も新しくなり、身のまわりにも「令和」「R」の文字がチラホラ目につくようになってきています。元号が変わったのがゴールデンウィーク真っただ中だった事もあり、私自身は特に即位の礼などテレビの特番を見ていたわけではなく、なんとなく平成から令和に変わってしまった感が強く、「令和」と言われてもいまいちピンとこないのが正直なところです。
そのゴールデンウィークといえば我が家では、父の誕生祝いを兼ねた温泉旅行が恒例行事になっていて、毎年どこかの温泉に出かけてモリモリ食べて温泉にゆっくり浸かって鋭気を養ってきています。今年は、特に理由もなかったのですが、洞爺湖温泉(しいていえば、洞爺湖温泉にたまたま空きがあった。)に行ってきました。そのたまたま行った洞爺湖が大当たりで、天気が良かった事も幸いして、山頂付近にまだ雪の残る羊蹄山が本当に綺麗に見えました。そもそも洞爺湖から羊蹄山が見えることすら知らなかったので、なんか得した気分です。一富士二鷹三茄子ならぬ蝦夷富士二鷹三茄子といった感じで令和になってもいいことがありますように。



投稿者放射線科部長 片田 竜司
「ジム」 早坂 怜
2019年05月13日

社会人になるまでジムというものに行ったことが無く、興味を持った時期があって、何年か前に1年間だけジムへ行っていたことがありました。東区のア○オ内にあるジムですが、主に筋トレ目的と、大浴場があったのでそれ目的で行っていました。
スタジオもあって、ヨガなど1時間程度の有酸素運動のプログラムが頻繁にされていて、自分もたまに参加してましたが、その中に色々な格闘技の動きを皆でやって脂肪を燃焼させようというプログラムがありました。同じ職場の同じジムへ行っている人から面白いから参加してみなと言われて1~2回だけ参加したことがあります。人気があるプログラムなのか、部屋の中びっしりになる位参加する人がいました。
内容は最初はボクシングの動きで、相手が自分の前にいると仮定して、左ジャブを2回、右ストレート1回、リバーブロー1回行った後に相手と距離をおくためにバックステップするというのを3セット。次が空手の動きで、上段中段下段パンチ、キックを左右で行うのを3セット。最後がフリーファイトの動きで、パンチをして相手がよろめいたところに、足をかけて転ばせて、地面に向かって拳でとどめを刺すというのを3セット。(かなり前なので細かい部分は忘れましたがもう一つ位動きがあったかもしれません)
周りは中年位の女性が多かったのですが、日ごろの鬱憤が溜まっているのか、皆一心不乱に髪を振り乱して、地面に向かって思い切りとどめを刺す動きをしていたのが面白かったです。
内容が面白かっただけでなく、運動自体も結構ハードなのでいい運動になりました。
行く時間が段々無くなってジムはやめましたが、習い事などでそのような格闘技系の動きをして運動しようというのがあれば、いつかまた参加してみたいです。

投稿者麻酔科医長 早坂 怜
「ホルモン」 西條 正二
2019年05月07日
 昨年大好評を頂いた、病院周辺のグルメシリーズ。今回はホルモン屋さんのお話です。
 当院の前を走る国道12号線を江別方向に下り、ひばりが丘周辺まで走ると右手に店舗の壁に店員さんのおおきな顔の書かれたホルモン屋さんが目に入ります。これが大安ホルモン厚別店です。(公共交通機関をご利用の際はひばりが丘駅を下車し、1番出口を北方向に進むと12号線との交差点に差し掛かったところで左手に見えてきます。)
インパクトの強いこの看板、実は大学時代から何度も前を通って気になってはいたのですがついぞ縁なく、初めて食べに行ったのは就職してから。爾来、何度も通うこととなりました。
 店前に立つとホルモンのいい香りが漂ってきます。店内は看板のインパクトとは裏腹に割とこじんまりしており、友達同士、同僚同士食べに来られるテーブル席もありますが、他にカウンター席があり、基本的に一人で食べに行きたい派の私には非常にやさしいお店になっております。
また、焼き肉屋では気になる換気も非常にしっかりしており、職業柄気になる翌日の臭いを気にせずに食べることができます。
 メニューは牛タンなどもありバラエティー豊富ですが、やはりお勧めは大安ホルモン(300円)。この値段で、このヴォリューム、このクオリティ。我が心の故郷、旭川の某ホルモン屋さんを彷彿とさせる食べ応えのある味であります。
 さらに、その旭川の某ホルモン屋さんでホルモンの味を知った私は、基本的にホルモン屋ではホルモンとビールしか頼まない派の人間ですが、この店の締めの盛岡冷麺がまた旨い。
噛み応えのあるしっかりとしたコシのある麺とそれになじむスープが際立ちます。
お帰りの際も、しっかりとした換気が食後、地下鉄での帰宅を可能にし、翌日の勤務も可能にします。
 病院のある大谷地からは少し距離がありますが、ホルモンがおいしくなるこの季節。病院周辺でホルモンが食べたくなった際はお勧めできる逸店です。


投稿者プライマリーセンター医師 西條 正二
「カメムシ」 倉田 佳明
2019年04月22日
また今年も悩まされています。
いつの間にかいるんです、部屋の中に。カメムシが。

一番ひどいのは寒くなってきた秋ですが、暖かくなってきた春にも侵入してきます。我が家は森に面しており、そこからやって来るのだろうと思います。が、どこから入ってくるのか分かりません。多い時には1日に10匹ほど退治します。何とか侵入を阻止できないでしょうか。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」 孫子

ということで、調べてみました。

カメムシとは、カメムシ目(半翅目)に属する昆虫の総称で、ストロー状の口で食物を吸い上げるようになっているのが特徴である。セミやアメンボ、タガメなどもカメムシ目に属する。人を不快にする、あるいは農業害虫としては、マルカメムシやクサギカメムシなどが挙げられるが、逆にハナカメムシなどは農業害虫を駆除してくれる、人にとって有益なカメムシである。

セミやアメンボもカメムシの仲間というのはちょっと驚きです。あと「良い」カメムシもいるんですね。うちに侵入してくるのは、クサギカメムシやスコットカメムシのようで、暖かい場所を好んで、秋や春に家の中に入ってくるとのことです。

駆除としては、発生源となる植物を伐採するのが良いようです。が、さすがに家の前の森を伐採するわけにはいきません。となると、やはり侵入を阻止する方法を考えなければなりませんが、どこから入ってきているのか分かりませんし、今までに忌避剤を試した感じでは、今ひとつでした。どなたか良い方法を知っていたら教えて頂きたいです。

仕方ないので毎日毎日、入ってきたカメムシを捕まえては外に逃がしています。ゴミ箱に捨てたりすると臭いですから。あ、捕まえる時は掃除機を使っていますが、吸った虫をペットボトルに分別してくれるアタッチメントをつけています。間違えても直接掃除機に吸い込んではいけません。その後掃除機を使うたびに、カメムシ臭が部屋中に広がることになります。
投稿者外傷センター長 倉田 佳明
「空不異色 空即是色」 久野 健二郎
2019年04月15日
6等星まで見えるような田舎で少年時代を過ごした私にとって、星空や宇宙は好奇心をそそられる対象であり、図鑑や本を読んでは憧れを抱いておりました。何時かは宇宙に関わる事ができればと考えつつも、その後の努力と能力の欠如により現在の職に至る次第です。

日本時間2019年4月10日22時、世界で初めてブラックホールを撮影した画像が公開されました。
以前から地球規模の電波望遠鏡による観測プロジェクトでその姿が捉えられるであろう事は予測されていたとはいえ、発表会で現実に映し出された画像はたった1枚であっても大変なインパクトを与えたことと思います。

ひとつは観測技術。分解能が視力300万相当で月面上のゴルフボールを地上からみて解像するぐらいと。凄すぎてなんだかよく解りません。
ということは4cmぐらいのものが40万kmぐらい離れて分かるのだから‥と考えてみて、1万キロ先からクレジットカードの厚さがわかる、1000km先から髪の毛を見分ける、100km先から赤血球が見えるぐらいを判別し画像化するぐらいの事なのかと。結局これらも凄すぎてやはり実感からは遠いものです。

もうひとつは、凄いものがやはり本当に存在しているという事でしょうか。
5500万光年もの彼方に(専門家によれば、これでも近いものだと)、太陽の65億倍もの質量と太陽系のサイズを軽く超えるというブラックホールの存在に、少年時代に感じたような、宇宙への畏敬の念を感じつつ思いを馳せております、

ただし随分と眼が悪くなり、空は明るくなりました。
宇宙を見上げながらではなくて、すべてパソコンの画面を眺めながらと言うのは、たいそう風情を欠ところであります。

投稿者麻酔科部長 久野 健二郎
「認知症の治療方針」 和田 好正
2019年04月08日
今回は認知症の治療方針について考察してみます。というのも、認知症の専門医に紹介しても、患者があまり良くならないことが多いからです。周りに、アリセプト10mg+メマリー20mgのフルドーズ処方されて、精神的に不安定になっている方はいらっしゃいませんか。医師の教育制度の問題でもありますが、医師は診断名を見つけ、その病気を治療しようと試みる事が多い傾向にあります。しかしながら、患者や患者の家族は、今現在の病態を改善してくれと願うのです。特に認知症患者を抱えている家族はそうです。

一例を挙げてみましょう。
明治時代、脚気は心疾患による死亡率の高い病気でした。今でこそ、ビタミンB1不足によるものと分かっていますが、当時は原因不明の疾患でした。当時、陸軍はドイツ医学が主流で、コッホによる結核菌の発見等もあり、感染症学が大ブームでした。そこで、陸軍軍医の森林太郎(ペンネーム 森鴎外)は、まじめに、脚気菌の発見に努めました。当然、見つかりません。一方の海軍はイギリス医学で、実践医学を重んじていました。半年や一年も同じ舩に乗っているわけですから、簡単に兵隊が死んでは大変です。そこで、考えました。脚気になるのは、主に下級の兵士で、当時はまだ貧しく、白米が当たると喜んで、白米だけをたらふく食べていました。対照的に、上級の兵士は、白米以外にも色々な食材を摂取し、脚気の発症はほとんどなかったのです。そこで、海軍は、脚気の原因は不明だが、恐らく食事によるものだと考え、兵士全員に同じ食材を摂取させたところ、脚気の発症が激減したのです。このことを、陸軍に知らせたのですが、軍医の森は言う事を聞かず、多くの陸軍兵士が脚気で亡くなりました。文筆家としては優秀だった森も、軍医としては、残念だったという事です。

認知症の治療にも、同じような感覚が必要となってきます。というのは、最終的な診断は、脳の解剖によって下されるという事です。これにより、生前はアルツだったが、解剖でレビーと判明したなんてことは、よくあるんです。ましてや、亡くなってから、脳の解剖を承諾してくれる家族は、ほとんどいません。我々臨床医は生きている人間を診るわけですから、正しい診断よりも、正しい病態把握をし、それに応じた、海軍の医学を実践していったほうが、より有効な治療補助が可能となってくるのです。

具体的には下記のような考え方をします。まず、長谷川式スケールなどで、どのタイプの認知症があやしいか、あたりをつける。次に、その患者の周辺症状を改善する。うつ傾向だったら、元気にし、興奮傾向だったら、抑制する、というやり方です。そこで、ある程度コントロールされてきたら、抗認知症薬の投与を開始する。この際に、重要なのは、少量の投与から開始するということです。このような順で、投与していくと、間違いを起こす確率が減ります。そして、あの悪名高い、増量規定に従わないことです。誰が、何を根拠に考えだしたのか、認知症治療薬すべてに、増量規定があります。しかし、これに従って良くなる患者はいません。少量で効いていれば、その量で、止めておくべきなのです。レビーは、薬剤過敏性が主な症状なのですから、なおさらです。認知症患者は、これから、どんどん増えていきます。特効薬はありません。但し、薬をうまく調整すれば、進行を遅らせる事ができ、医療費の削減にもつながるのです。まさに、匙加減一つです。ちなみに、匙とは医者の事で、江戸時代に漢方薬を調整していたことから、こう呼ばれ、今でも皇室では、医者を、匙と呼んでいます。


投稿者健康管理センター医師 和田 好正
「車の話」 宮城 登
2019年04月01日

 私が初めて買った自動車は1975年式のカローラセダン1200DXでした。カローラの中で最も車格の低い、今では見られない2ドアセダンという形式です。
重量760㎏、71馬力、タイヤサイズ155/82/12、後輪駆動、フェンダーミラー、という仕様です。大学一年生の時になけなしのバイト代を貯めて買いました。
当然エアコンなどは装備されておらず、暑くなるとビニール製のシートと相まって、汗で体がシートに張り付き非常に不快なものでした。夏の間は馬力がなく加速が遅いのと、高速道路で100㎞/hを超えるとシミー現象でハンドルが震える位の不都合しかなかったのですが、冬になると、車体後部が軽いため、上り坂で蛇行したり、坂道発進に難儀したりしました。しかし当時は、ほとんどの自動車が後輪駆動であり大差はありませんでした。ただスバル社だけは当時から四輪駆動車の生産に力を入れており、冬道でスバルレオーネなどに後ろに付かれると、早く抜いてくれないかなあなどと思っていました。次に買う車は四輪駆動車とは言わずともせめて前輪駆動にはしようと深く決意した次第です。

投稿者整形外科部長 宮城 登
「いく人、くる人」 紀野 泰久
2019年03月30日

また今年も年度末となりました。札幌徳洲会病院でも3月には多くの医者が新天地に移動していきます。
外科でも後期研修医の武田智弘先生、外科専攻医の間優衣先生が当院での研修を終えて次の研修病院へと移動となりました。武田先生は1年半、間先生は1年間と決して長い時間ではなかったのですがたくさんの症例を経験していきました。お疲れさまでした。二人は旭川医大の人事で旭川厚生病院に移り研修を続けていく予定となっております。立派な外科医となるよう頑張っていただきたいと思います。
去る人があれば来る人もありということで、4月には新しく研修に西越祟博先生が旭川厚生病院から来ます。当院は臨時手術が多く大変とは思いますが頑張っていただきたい。

さて関係ないですが平成最後の年度末、4月1日には新元号発表とのことですがどうなるでしょうね。

投稿者外科主任部長 紀野 泰久
「女医」 小野寺 麻記子
2019年03月19日

 あまり知られていませんが、当院の歯科口腔外科には女医(=私)がいます。
皆さん「女医」と聞いてどのようなイメージがありますか?
女医さん、ちょっと頼りないな…といったイメージも、優しそうかも…といったイメージも様々あるでしょう。一昔前であれば、マイナスのイメージも多く聞かれましたが、当たり前ですが、女医であろうと男医であろうと善し悪し、がありますので、女医のくせに…というのもおかしいですし、何が何でも女医がいい!なんてわけもありません。
それでもやはり、女医であることが強みとなる場合もあり、歯科の分野でも、女医のニーズは比較的多くなってきたように感じます。
とはいえ、女性の歯科口腔外科専門医は、広い北海道の中でも8名しかおりません(2019年2月現在)。稀少ですね^^
稀少と聞けば、ちょっとは見てみたくなるものですよね^^
病院なのでできればお世話にならないのがよいのかもしれませんが、もしも必要があって受診されることがございましたら、「女医さんで…」とご用命ください!

…と、ここで小さくアピールしておきます。
当科にはもちろん(男性の)経験豊富な口腔外科専門医と歯科補綴専門医という2本の大黒柱が構えており、外科的な治療から補綴(冠や義歯など)治療まで見据えた連携治療にも力をいれております(近隣のかかりつけ歯科とも連携していきます)。私も、患者さんに寄り添う医療を極力心がけ、日々の診察を頑張ります。

投稿者歯科口腔外科医長 小野寺 麻記子
「木星人に会う」 池田 起也
2019年03月11日
宇宙人がいたらどんな見た目をしているでしょうか。水の豊かな地球に生まれた我々は細胞の壁を作ることにより体内の水分を外界から区切り、内部の環境を一定に保ち1個の生命体として存在します。我々の目は驚くほど他との境界に敏感で、子どもはまず輪郭を描くことから絵を描くことを覚えます。

これがガスの惑星である木星だったら? どこかしこにもガスがあり、ここまでガスがあって、ここからはガスがないなんて区別はできません。ここはガスが濃い、あっちは薄いという区別がせいいっぱい。生まれる生命はガスの塊の木星人。ガスの濃い部分が体の中心ですが、指先はだんだん薄くなっていってどこまでが自分でどこから外界か区別できません。境目や他者と自分の区別という感覚がないのだから輪郭の認識や1個, 2個と数えるという概念もありません。彼らから見える世界は地球人とは全く違っていてなかなか理解し合えなさそうです。

同じ地球人ならどうでしょう。アメリカのテロでワールドトレードセンターに飛行機が衝突する映像を見て西側諸国が涙を流す一方、中東の村では歓声と喜びの涙が溢れるのを見たことがあります。お年寄りや小さい子供も含めて。宗教や言語が違うだけで世界はこんなにも変わります。

じゃあ日本人同士なら理解しあえるのかというとお袋の味は家々で違うし、常識というものは各家庭によって全く違います。人生において何に重きをおくか、医療に何を求めるかも人によって全く異なります。限られた時間で、患者さんと分かり合い、最も意に沿う治療を行う。とても難しいことです。

投稿者外傷センター医師 池田 起也
「標準治療 の落とし穴」 浅賀 浩孝
2019年03月04日
標準的な患者様においては最善の治療法。 要すればそれが標準治療です。

標準治療でググれば、拒否・癌・乳がん・小林・代替治療など(皮膚科関連ではアトピー)が関連するキーワードとして上がって来る。 その是非が話題にされている証左です。主要な疾患では 科学的な根拠(エビデンス)に基づき 診療ガイドラインが策定されており、診療科によらず診断が確定的であれば、普通に標準治療が選択されるでしょう。当科においても基本的に標準治療が選択されます。 全くの初診であれば尚更です。

ところが既に他院で(或いは他科で)標準治療中にも関わらず その結果(主に治療の効果)に満足できず 多くの方が当科に足を運ばれます。よくよく話を聞いてみると、先ず基本的なスキンケアの指導が十全に為されていないケースが殆ど。 標準治療にもスキンケアの重要性は明記されているものの、その指導に多くの時間を割いたところで直ちに診療報酬が得られるわけで無いばかりか、それで治ってしまったら医者も薬も要らんだろうちゅう事ですわな。 治しきれるものを治しきらないケースはまだしも、治し得ないものに対し延々と不毛な治療が繰り返されているケースもしばしば目にします。もう20年近く 此の地で診療に携わってきた当初から気になっていた事ですが どこも経営は大変なのでしょう…

話を元に戻すと、患者様は皆それぞれ個性的で 標準的でないのがむしろ当たり前なのですから、推奨度は低いながらもガイドラインは代替治療を禁じてはいないのです。標準治療と代替治療は必ずしも相反するものではありません。 実際 私はよく漢方薬を処方しますが 標準治療だけでは効果不十分なケースはもちろんの事、そもそも標準治療を用意できない 西洋医学的診断不確定のケースにも使い回せて とても重宝しております。 皮膚が治った後も 服用すると全身の調子が良いと言って来られる方も少なくなく 望外の喜びです。

思いの一割も伝えられぬ文才のなさに嫌気がさしてきた 中途ではありますが この辺で筆を置きたいと思います。

投稿者皮膚科部長 浅賀 浩孝
「プライマリセンター」 木島 真
2019年02月18日
 私はプライマリセンターの医師として夜間の救急医療や臓器専門医の対象とならない主に高齢者の診療に携わっています。80代や90代の高齢者が感染症などで入院してきますが、患者さんの入院前の生活の状態によって同じ肺炎だとしても回復の過程は異なり、肺炎が治ったとしても、ベッドで寝て点滴を受けている間に元の体力まで回復できなくなることがしばしばです。また食事摂取の力も低下して生命維持に必要な栄養や水分摂取ができなくなり、延命的な栄養補助をするかどうか本人やご家族と話し合っていかなければならないこともあります。

 こういった入院患者さんの治療は、肺炎などの感染症に対する抗菌薬治療のみならず、もともと飲んでいる内服薬で体に負担になっていたり副作用を起こしかねないものを薬剤師と相談して取捨選択したり、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士といったスタッフにもとの生活に復帰できるように積極的にリハビリテーションを行ってもらったり、看護師には薬物投与だけでなく、食事介助、排泄、気道吸引といった医療処置と介護処置の量を見極めてもらい、医療ソーシャルワーカーと共にもとの生活環境、療養環境に復帰できるかどうか、できない場合には今しばらくの療養を療養病院に転院してもらうように調整したり、場合によっては延命治療を行うかどうかや看取りをどうするかといったことなどを、上記の多職種からなる医療チーム全体で日々相談しながら、できる限り患者さんやご家族に納得していただけるように日々取り組んでいます。

投稿者プライマリセンター部長 木島 真
「心に響いた言葉 その弐」 斉藤 琢巳
2019年02月12日
・なべおたま・・・福井大学医学部総合診療部教授 林寛之先生の発案した語呂
るほど」「強になります」「っしゃる通りです」「かに」「たご指導お願いします」
ふと目にしたWebのページで知ったこの語呂は一般社会で発案されたものだと思っていた。しかし、どうやら医師、特に研修医のための語呂らしい。教えられ上手の研修医になるため、あるいは、ぶっきらぼうな上司に対する必殺の呪文として紹介されている。そういえば昔「なるほど~」と事あるごとに発声していた研修医君がいたなあ。そんな彼も立派な泌尿器科医として当院に派遣されており、私の相談事にも応じてもらっている。私も研修医の頃にこの語呂を遵守していればもっと出世していたかも・・・・。

・人は判断力の欠如により結婚し、忍耐力の欠如により離婚し、記憶力の欠如により再婚する ・・・フランスの劇作家アルマン・サラクルーの名言
これを見たときは、なるほどうまいことを言うなと、うなってしまった。結婚話も離婚話も、身近な人だったり芸能人だったり枚挙にいとまがない。そのすべてにおいて判断力や忍耐力が欠如していた故の・・・とは思わないが、該当するケースも多々ありそう。身近な例でもいろいろと感慨深いケースがゴロゴロしているが、詳述する訳にもいかないのでこの辺で筆を置く。自分としては、忍耐力を向上させるべく精進したい今日この頃である・・・・。

投稿者外科医長 斉藤 琢巳
「ホモサピエンスの心」 関山 伸男
2019年02月04日
七百万年前に人類はチンパンジーと共通の祖先から分かれたと考えられている。人類は地上生活に適応して進化し、チンパンジー類は樹上生活に適応して進化した。人類は、豊かな森の生活が上手な類人猿に森での生活を奪われて、森の周辺の疎林や草原に追われた。樹上生活において足の構造が類人猿よりも劣っていたためと思われる。地上に降り立った人類の最大の特徴は直立二足歩行と犬歯の退化であるとされる。直立二足歩行は生物学的に見ると大変不利な移動方法で、肉食獣などに簡単に負けてしまう。
生物学的に不利と思われる直立二足歩行は食物を持ち帰るための手の働きを確保するために必要であったと考えられるが、肉食獣に滅ぼされなかったのは子供を生む数が多かったからとのことである。すなわち食物を集めるものと子育てをするものに役割分担がなされて子供の数が確保されてきたために滅びなかったものと思われる。家族単位の生活が確立したため、仲間内での雌をめぐる争いが無くなり、犬歯もいらなくなった。
さらに、弱いものは集団で生活をすることによって肉食獣による犠牲から生き残る数を確保したものと考えられている。このような弱い生き物が家族単位で集団を形成維持するには多くの問題を解決していかなければならず、そのために大脳が大きくなったと結論されている。しかしわれわれホモサピエンスに至って言葉や話したり文字を使って知識を記録したりするようになったため大脳はかえって小さくなったといわれており、事実ネアンデルタール人の方が大脳は随分大きい。もちろん部分的に見ると情報処理の前頭葉は大きくなっているとの事であるが。
一方で言葉や文字は物事を抽象化してしまっており、お互いに意思の伝達が容易になったように見えても、かえって心の中が十分に伝わらなくなってきたようにも思われる。ネアンデルタール人が生きていたらホモサピエンスとは違った心の伝達方法が見られたかもしれない。
とりあえず現状ではわれわれホモサピエンスは他人の心の中に入り込むことは出来ないでいる。そのために幼い子供を虐待したり平気で他人を殺めてしまっており、そこまで行かなくても無意識のうちに他人の心を傷つけることは日常茶飯事である。薄井はナイチンゲールの考え方を科学的看護論として理論的に仕上げた中で、このようなホモサピエンスの頭の構造を見通しており、少なくとも他人との関わりを持とうとする人達であれば、他人を理解する方法としては他人との遣り取りの中で他人の心を自分の心の中に再現してみることが必要であり、このような方法を訓練しなければならないと述べている。
このような相手の心を知ろうとする手段を持たないでマニュアルやガイドラインに頼る関係をとるならば、他人に対して良かれと思う気持ちは一方的な押し付けになりかねず、余計なお世話となってしまうに違いない。ホモサピエンスの心は千差万別に仕上がるように進化してしまったのである。

更に詳しく知りたい方へ:
(1)「ヒトの起源を探して」イアン・タッタソール、大槻敦子訳 原書房
(2)「絶滅の人類史」更科 功 NHK出版
(3)「科学的看護論」薄井坦子 看護協会

投稿者内科診療科部長 関山 伸男
「Ressentiment contre la voiture(車に対する怨恨)」 小笠原 卓
2019年01月28日
 僕の(人生における)一つの夢は、カッコいいセダンタイプの車に乗ること…。

 僕の車に対する想いは少々複雑だ。よく言われる様な”車好き!”という訳ではなく車に(異常に)執着しているといった方が適切か。その想いを持つに至った経緯を少しだけお話ししたい。
 事の発端は、大学生の時に自分の車を手に入れることができなかったことに始まる。交通機関が今一つの田舎の大学であったため、同級生のほとんどが自分の車を持っていた。看護学科の学生も一定数持っていた。世間一般のイメージでは、医学生は(裕福で)、親に買ってもらった外車(か高級車)を乗り回し…なのだろうが(?)、外車どころか愛車もない(自転車はある)。「車なんて学生のうちは贅沢だ」と反論される方もいらっしゃるだろうが、是非想像してみてほしい。最上級生になって、部活の車出しの時に、新人1年目の看護学科の学生に車に乗せてもらう肩身の狭さを…(先輩ッテ車持ッテイナインデスネw)。バイトで稼いで親と交渉する方法もあったが(実際バイト代を貯めれば中古車くらいは買えた)、父親に「学生のうちに車は持つな」と厳命され、それ以上言い返せず交渉すらできなかった自分の気の弱さが口惜しい。
 そういうことで、働き始めたら“絶対高級車を買ってやる!!”と意気込んでいたが、当然激務で車を買いにいく余裕もなく、子どももどんどん増え、結局働き始めて5年、自分名義ではあるが、自分の車ではなく、妻用の車(軽自動車)を買えた。アレ?自分の車は?
 自分の車が買えないことに苛立ち、一時期車の雑誌を毎月買って「車欲しいアピール」を毎晩の様に続けたが、働いたお金は生活費にどんどん消えていくため、アピール虚しく購入できず。
 その後しばらくしてセカンドカーとして購入したのは、家族全員が乗れる大型車。うん、これじゃない、僕が欲しいのは。自分が所有したいと思う車は、もっさりした大型車ではなく、セダンタイプの車なのである。その後も色々物入りで、当面は現在の車を利用するしかない状況である…。
 この境遇を不憫に思ったのか、子どもの養育が終わったら「あなたの好きな車を買っていいよ」と妻は言ってくれている。すごく嬉しいコメントだが、待てよ…。養育が全て終わった時点で、自分は50歳を超えている。50代でホクホク顔をしながら、初めて高級車を購入するのはどんな感じだろう?運動機能も今より落ちているし、若い時に車を運転する時に感じるような感動はもはや無いのではないか?そもそも車に対する屈折した思いが残っているだけで、車を運転する喜びなど、実際にかかる金額ほどないのではないか?もっと言えば、今現在本当に自分は自分の理想の車が欲しいのか?などと疑問に思ってしまうのである。

 どこかの偉い社長さんが“若い者は車を買わない”とか研修医が“僕、ポルシェに乗ってます”といったコメントを聞くと、いまだに一瞬顔がひきつる。でも実際問題として、お前は50過ぎで好きな車を購入するのか(できるのか)と言われると、まだわからないとしか言いようがない。
 
夢は叶わないほうが楽しいのかもしれない、とも思う次第である。


投稿者小児科医長 小笠原 卓
「瞬間2題」 杉浦 千尋
2019年01月22日
『ダージリンへ、カンチェンジュンガを見に行った』

標高8586メートル。エベレスト、K2についで世界第3番めの高さの山である。ダージリンは予想通りの雨と曇の毎日だった。日がな山の方向に椅子を向けて日々を過ごしていた。

いつものように真っ白の雲ばかり。もうそろそろ諦めて帰ろうかと思い始めた頃。やっぱり雲ばかり。雲の切れ間もその向こうにまた雲。と思った瞬間。何か少しキラキラ輝く感じが…雪か?どうやら雪壁だ。ん?さらに雲の切れ間をたどって上を見上げると。雪を頂いたとんがり頭が見えていた。

なんのことはない、自分の想定していた仰角よりもはるか上に顔を出していただけのことである。ひょっとしたら何日も前から。何度か同じ状況があったのかもしれない。大きすぎて見えてなかっただけの話である。

自然の壮大さの前に、想像力の貧弱さを教えられた瞬間。目には入っていても見られない、自分の勝手な思い込みの怖さを悟らされた瞬間。


『アトスに行った』

ギリシアのなかにあって、独立国のように修道院が管理している半島である。女人禁制。女性が立ち入れない場所は、日本の土俵上だけではなさそうだ。

入域にあたっては事前に入国許可証を取得する必要がある。宿はない。電気もない。半島のあちこちに散在する修道院を訪れて宿坊のように泊めてもらうため、お金を使うところはない。食事もお祈りも修道僧と同じ生活だ。慎ましくゆったりと流れる時間は心地よい。

一晩経てばまた次の希望する修道院に日中歩いて移動するが、それも未舗装の曲がりくねった道と風音だけ。中世にタイムスリップしたのではないかと錯覚するようだ。海辺の修道院、崖の上の修道院、要塞のような修道院とそれぞれが個性的で、大抵の修道院は10世紀頃のイコンを所蔵していて、見せていただけることろもある。

俗世間を捨て、生涯そこから出ることのない修道僧達。すでに生涯を終えた修道僧たちの骨が山積みとなったカタコンベ。夕暮れ時に窓辺から海を眺めて、ラジオで外の世界との接点に集中する修道僧がいた。そして修道院の秘蔵のイコンを見せるからといって、修道院の薄暗い片隅に連れていき、スキンシップを求める修道僧。

生涯をかけた修行の大変さと、人間の業、煩悩の奥深さを垣間見た瞬間。

投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「メディカルイラストレーション」 松井 裕帝
2019年01月15日
 皆さんはこの聞きなれない言葉をご存知でしょうか?そんな私も最近知ったのですが・・・。医学の世界では誰しも学生時代の解剖学書の中の図譜に代表される多くの出版物に必ず登場する絵画のようなリアルな図から単純化した線描写の図まで幅広くあります。医師となってからも外科医であれば手術手技書などで必ず出てくる為、我々にとっては切っても切り離せないものであります。その図譜の多くは、イラストレーターによって書かれたものがほとんどですが、中には絵心に優れた医師自らが描いたものがあります。医師自らが描いたものは非常に的確で、イラストを見ていると実際に手術を行なっているかのような感覚に囚われるものがあります。

 私も実は小さい頃、好きな漫画のキャラクターを描くことが好きで、出来の良い絵を大事に飾っていたりしました。図工や美術の時間に絵を描くことや、彫刻刀で版画の原盤を作る、木材を掘って絵を描くなど、大好きでした。高校、大学となるとそんな時間はほとんどなくなってしまいましたが、医師となった時に先輩の先生の中には、絵を描いて説明してくれたり、手術記録に記載するイラストが非常に分かり易いなど、再び絵を描くことの重要性に気づかせてくれました。絵を描くことと、手術の上手い、下手は一見全く関係ないような気がするかもしれませんが、実は頭にあるビジュアルがより明確でないと、絵を描くことはできません。名医は絵心もあるというのは“当たらずも遠からず”ではないかと。

 最近、絵を描くことを再び始めようと思い、休日に自分の子供を誘い、自分の手や家族の顔などのスケッチを始めました。ただの遊びと思う事なかれ!自分の子供ももしかしたら、名医となる日が来るかもしれない。と親バカを発揮する今日この頃です。

投稿者外傷センター部長 松井 裕帝
「ソツ啄(そったく)の機」 小野寺 康博
2018年10月22日
ソツ(口偏に卒業の卒と言う字が私のコンピュータには無い):雛が殻の内側から殻を破ろうとして鳴き始めた音や様を言うらしい。

啄:親鶏が殻の外からつついて孵化させようとする時の音や様を言うらしい。
「逃してはならないチャンス」のことを言うらしい。元々は禅宗の用語らしい。
「ソツ啄の機」なんて滅多には無い代物とつい考えてしまう。
私もつい最近まではそう考えていた。

でも、もう還暦を過ぎてしばらく経つと、本当にそんなんでいいんだろうか?と思うようになって来た。

「逃してはならないチャンス」というものの捉え方が実はとても重要なのではないかのかなとつらつら考えるようになって、ふと「そんなの毎日そこら中にあるのではないのか?」と思うようになった。
なにげなく過ごしている日常の中で、ハッと気付いたら漫然とテレビの前に座ってリモコンで番組を切り替えながら時間単位の貴重な時が流れ去っていることに臍を噛んでしまったりする。

ついこの間に新年を迎えたばかりで、雪もようやく融けて新しい草の匂いに浮き浮きし、段々日が長くなって来たなあと新緑の木々の香りの中でなんとなく嬉しい気持ちで帰途についたり、今年の夏は結構暑いなあと夜中も窓を開けっ放しで寝ていたと思ったら、札幌では珍しい強い地震で車庫が開かなくなり、なんだか今年は強い台風が多いなあと思って新聞を見たり、テレビを観たりして北海道には来ないで欲しいなあなんて思っていたら、「あれ、もう来年の年賀ハガキを申し込む時期がそろそろ来るなあ」とあまりの時間の経過の速さに唖然とする始末。

動体視力が衰えて来ているのか、貴重な機会が目の前を通り過ぎていることにすら気付かないでいるような気がしてならない。

なんのための「逃してはならないチャンス」なんだかも捉えきれていない自分に傍観者でいる気分になることがある。
「人生百年時代」とは誰が言い出したのか知らないが、このままうかうかしていると仮に百年生きていたとして、「あっ」と言う間の時間の流れの中で、いつのまにかAIで動く自動運転の「乗り物」の中で自分がどこへ行こうとしているかふっと忘れてしまって外を呑気に眺めている高齢者を想像してしまいそうな気がして、そんな流れに抗う白髪の浦島太郎を夢想してしまうことがある。

流れに身を任せるというのも一法ではあると考えるが、どこに辿り着きたいのかせめて目的地みたいなものがあるはずではないかと思案しつつ、流れの中でさりげなく方向舵を切って行けるようにと思い、筋トレをし、野菜をなるべく多く食らい、読書に勤しむようにと「心がけて」いる今日この頃である。

投稿者副院長 総合内科・腎臓科部長 小野寺 康博
「シロウトの時代、プロの時代」 蘆田 知史
2018年10月10日
今年度のノーベル医学生理学賞は、京都大学の本庶佑教授、米国テキサス大のジェームズ・アリソン教授が受賞した。受賞の内容は、免疫チェックポイントとよばれる分子PD-1、CTLA4の発見であり、これらの研究が癌の免疫療法を可能とするオブジーボなどの治療薬に結びついたためである。
これらのことは報道に詳しい。

私は1983-1988年の間、大学院生として免疫学の勉強をしていた時期がある。このころ、本庶先生は京大の教授として既に有名であり、T細胞レセプター遺伝子のリアレンジメント機構の研究でマサチューセッツ工科大学の利根川進教授とともにノーベル賞を受賞するのではないかといわれていた。
この研究ではノーベル賞を逃したが、その後のPD-1の研究で見事に受賞に輝いた。

大学院の時代、私はよく同僚といろいろな話をした。いまの研究は果たして学位論文になるのか、やってもやっても結果が出ないのはテーマが悪いのではないか、などよく愚痴をこぼしながら、来る日も来る日も細胞を培養し、マウスに注射し、電気泳動を行い、そんな日々を過ごしていた。このころ、指導教官に、「どうせ私たちのような大学院生はプロの研究者にはなれないと思う。臨床に戻ったら全く違う仕事をして、患者さんの内視鏡検査なんかの助手をするだけだから」と愚痴をこぼしたことがある。そのときに指導教官の先生、「アシダ、それは違うぞ。」といわれた。「これからの医学研究はシロウトの時代なんだ。研究のテーマは広く臨床をみている医学者が見つけ出し、自動化された研究機器をつかって患者の治療に直接結びつくような研究が行われる時代がきている」と話された。私はその言葉に感銘し、大学院を卒業した後も炎症性腸疾患についてのいろいろなことを研究テーマとして大学病院の生活を過ごしていた。その結果、いくつかの研究成果は後輩によってあらたな研究に繋げられ、現在のIBD診療に役立つものも出てきている。

現在私はシロウト研究者の時代を過ぎ、プロの臨床医としてがんばっている。本庶先生の生涯は報道で見る限りプロの研究者の根性と執念に満ちているように見受けられる。私もまだまだ臨床医としてがんばらなければと思うこの頃である。

投稿者副院長 IBDセンター長 蘆田 知史
「ダイエットの話2」 辻 英樹
2018年10月02日
 今も昔も変わらぬダイエットブームである。カロリー制限食品やRIZAP、腸内細菌、サプリメント、水ダイエットに、スレンダートーン。ネットやテレビを見ればそれこそ星の数ほど出てくる。最近はダイエットで名を売る芸能人?も存在して、面白く時に真剣に体験談を披露してくれる。「これでこんなに痩せたんだ!」きっと世間の関心も一昔前よりずっと高いに違いない。

 実は5年前、私はこのリレーエッセイで自分自身の「ダイエットの話」をした。私には40歳過ぎの頃に行ったダイエットの成功体験がある。やり方はいわゆる糖質制限。ご飯にパン、パスタにラーメン、砂糖の入ったジュース、コーヒーetc. これらの糖質を全て排除する。そして軽い散歩程度の運動を毎日行ったところ、半年弱で約13キロの体重減に成功した。「簡単じゃん。」そう思ったのが運の尽き。その後甘い誘惑に負けてしまい、またまた体重が微増してきたところまではエッセイに書いた。
 では前回から5年後、私の体重はどうなったのか?維持できたのか?また再び痩せることができたのか?それとも・・・・? 私を知っている人ならご存知であろう。見事にリバウンドしてしまったのである。ああ本当に情けない。原因は・・・「いつも美味しいものをお腹いっぱい食べたい」この単純な誘惑に勝てなかったのだ。私は負けてしまったのである。
 「短期間のプチダイエット」ならこの5年間でそれこそ10回はやった。成功体験があるのでやり方はいつも同じ。1か月位で3-5キロくらいなら簡単に痩せられる。これがいけない。また簡単に3-5キロ増えてしまうのである。「先の事はわからないんだから、美味しいものを今食べなきゃ損だよな」とか言ってまた食べちゃうのである。その都度後悔する自分がいる。「またダイエットやろ」その繰り返しの5年間であった。
 この5年間でわかったこと「自分はやっぱり食いしん坊で太りやすい体質である」「自分はいつでも痩せられるという自信がやっぱり良くない」「私という人間は基本的に変わらない」悔しいがこの3点である。私が尊敬する野球人野村克也さんは「進歩とは変化することである」と言っている。そこをいくと私は全く進歩していないという事になる。来年50になるトシだしもう仕方ないのか?私の体重が確実に減るにはどうすれば良いのか?問題はダイエット方法云々ではない。何か根本的な事を変えなきゃダメなんだろうな、と思うのである。

投稿者副院長 外傷センター部長 辻 英樹
「厚生労働省の愚策」 和田 好正
2018年09月25日
健康診断センター勤務の和田です。

厚生労働省には、我々の貴重な税金で高い給料もらっている公務員がたくさんいます。中でも、医師免許を持ちながら、実際の医療にほとんど関わる事無く、実践医療を知らない医者たちが、約250人もいます。これらの人間に、日本の医療が牛耳られているのですから、たまったものではありません。

一例を挙げてみましょう。
ある製薬会社から、『トレリーフ』という薬が最近出ました。パーキンソン病治療のレボドパ作用を増強するとの事です。薬価は、25mg錠で、1,115.90です(今日の治療薬 2018 P 958)。神経内科領域の薬で、知らない方も多いかもしれませんが、この薬剤の一般名は、『ゾニサミド』といいます。同じ会社から、同じ一般名の薬が、『エクセグラン』という薬剤名で古くか発売されています。抗てんかん薬で、薬価は、100mg錠で、29.80です(今日の治療薬 2018 P 921)。同じ薬剤なのに、薬効が新しいというだけで、こんなに薬価が跳ね上がるなんておかしと思いませんか。製薬会社、厚労省、有名大学教授などが、絡んでいるとしか思えません。医療費を削減せよと言っている横でこんなことをしている。他にも調べれば出てくると思います。

少子高齢化社会を向かえ、少なくとも我々は、地道に適切な薬剤使用に留意する必要があると思います。傷は消毒しない、認知症治療薬はむやみに増量しない、効かないインフルエンザワクチンは打たない等、医療費は削減可能です。厚労省の役人にだまされないようにしましょう。

思えば聖徳太子は、随から律令制度を輸入したとき、科挙制度(公務員に相当)だけは、日本の国柄に合わないとして、導入しませんでした。非常に先見の明があったと言わざるをえません。江戸末期までは機能していたのですが、明治に入り、時代は帝国列強主義時代へ突入し、これに対抗する形で、公務員制度を導入してしまいました。現在は、その最悪な成果が花開いているように感じます。夏目漱石が、『こころ』で吐露した、明治への嫌悪感、三島由紀夫が、晩年に嘆いた、極東の端に金儲けだけに汲々としている小さな国にならなければいいのですが。

投稿者健康管理センター医師 和田 好正
「誕生」 中川 麗
2018年09月22日
7年前の3月11日、父の誕生日。
生まれ故郷の福島が揺れた。
大切なものがたくさん海に連れ去られた。
その時、日本に生まれたのは絆だったという。

今年9月6日、母の誕生日。
第二の故郷となった北海道が揺れた。
混乱して大切なものを見失いそうになり、緊張に包まれた。
その時、暗闇の中に見えたものは光だったのかもしれない。


同じ屋根の下で働いているにも関わらず、なんとなく疎遠になってしまっていた人とも一丸となった。
私は、安心して頼れる人に恵まれている幸せ者だとわかった。
そして、家族や友人だけではなく、患者さん、地域の方々も、理解し、手を差し伸べてくださった。

みなが、ちょっとずつ我慢し、もう一歩踏み出した先に、光や日常が戻りつつある。


今年、4月9日、私の誕生日、4人の研修医が各部署に配属された。
複数の研修医が就職するのは、実に10年ぶりのことだ。
病院が揺れた。

来る、4月9日、さらに彼らの仲間は増える。
慣れた日常に変化がもたらされる。
彼らが衝突しながら切り開く道、その先には何が待っているのだろう。


若さと活力にあふれた彼らが生み出すもの
それは、きっと、この病院、そしてこの土地の希望だろう。

彼らがそれぞれの分野で、活躍する基礎を身につけられますように。
地球のはしっこ、宇宙のはて、どこにでも飛び出せる脚力といい出会いに恵まれますように。
そして、いつまでも、さまざまな角度からこの星を照らす希望でありつづけますように。

みなで、ちょっとずつ我慢し、もう一歩踏み出して、彼らの成長を支えながら、恩返ししてゆけたらと思います。

投稿者副院長 プライマリセンター長 中川 麗
「野球観戦」 三浦 美文
2018年08月28日
先日、家族で日ハムの試合を札幌ドームに観に行った。時間がある時には試合開始まで余裕を持って行き、ビールを飲みながら食事を取り練習から観ている。
 
その日もドーム前でバスを降り階段を登って北3ゲートへ向かう。あれ?いつもより並んでいる人が多い。何かを貰える日だったかな?と思いながら、時間を潰すためにグッズ☆ジャムへ入る。フラッグ、風船、帽子なんかを買い外へ出るがあまり動きがない。南ゲートの方が混んでいないと思いそちらへ向かう。北2、1ゲート、西ゲートを過ぎて南ゲートが見えた。あれ?こちらの方が凄い感じがする。しかも一部のゲートが開いていない。東ゲートは閉鎖していたので結局ドームを一周して最初にいた北3ゲートから入場した。そんな訳で、その日は入場までに少し時間がかかってしまい食べ物とビールを買って席に着いた時には試合開始までそれほど余裕がなかった。まずビールを一口飲み、食事を取っている途中で国家斉唱となった。

食事も終わり、いよいよこちらも臨戦体勢のはずが。その日はいつもと少し違う野球観戦となった。席は実況席の左横でシーズンシート用の赤いカバーが掛けてある席のすぐ上だった。我々の席の2列前にレアードと書かれた黄色いTシャツを着た外人3人組、その2つ右側にアルシアのユニホームを着た明らかに南米女性の二人連れ、さらに2例前には3番のユニホームを着た家族、その右隣りには25番のユニホームを着た家族(明らかに関係者)が座っている。ちなみに私は8番を着ている普通のおじさんですが。

その日もビールを2杯、3杯と飲みながら一喜一憂しながら盛り上がっていたのですが、どうもいつもと勝手が違う。2列前、4列前が気になってしょうがない。特に、その選手が出てくるとどんな行動を取るのか、席を立って移動しようものなら、ずっと目だけは追ってしまい何を観に来たのか分からない。私がドームで観戦する時の勝率は割と高く「勝利の女神」と呼んでいるのですが、こんな事をしていたせいか、その日は負けてしまった。

ファンの皆様、この次からは真剣に応援しますのでお許し下さい。なお8月26日の観戦時、マルチネス選手、清宮選手、鶴岡選手の活躍で勝利しました。試合も残り少なくなりましたが、最低でも2位になってクライマックスシリーズを札幌ドームで戦って欲しいものです。がんばれ僕らのファイターズ。

投稿者歯科部長 三浦 美文 
「リレーエッセイ」 續木 康伸
2018年08月23日
アレルギー科の続木です。

当科では全てのアレルギーを診療しています。

完全予約制ですので、ご希望の方は病院までお電話ください。

投稿者小児科・アレルギー科医長 續木 康伸
「函館マラソン」 早坂 怜
2018年08月13日
自分は函館が地元ですが、昔は大きなデパートがたくさんあり、よく休みになると遊びにいったものですが、数年前に西武百貨店がつぶれて、来年ついに駅前の棒二森屋もつぶれてしまいます。

また、函館は日本三大夜景の一つでしたが、日本新三大夜景では、長崎、神戸、札幌となってしまいました。人口もだんだん減ってきていて、徐々に廃れていってるなーと何だか悲しい思いをしていたのですが、この前函館マラソンに参加してみました。

函館マラソンは数年前からフルマラソンも始まったばかりですが、かなり力が入っていて、まずコースが函館中を周り、観光気分を味わえるのと、応援も湯の川近辺のホテルの応援がすごい豪華だったり、駅前の老人達の踊りがあったり、ラジオ局のDJっぽい人が選手一人ひとり応援してくれたり(多分ラジオで流れている)、エイドフードも、海鮮丼や塩ラーメン、ミルクチョコレート、抹茶ショコラ、五勝手屋の洋かん、チーズオムレット、カステラ饅頭と、函館名物がたくさんでてきます(途中でお腹が痛くなってきます)。マラソンをしていながら函館を観光しているような気分になれるので、今まで参加した大会の中でもかなり楽しい大会でした。

ネットを見ると、やはり観光名所としての意地があるようで、ランナーの意見を取り入れながら毎年より良い大会にしようとしているみたいです。

函館マラソンで函館中を走ってみて、まだまだ函館も捨てたもんじゃないなーと思ったので、人口の減少など深刻だと思いますが、何とかして盛り返してもらいたいものです。

投稿者麻酔科医長 早坂 怜
「アジサイを見に行ってきた」 折居 史佳
2018年08月06日
「そろそろリレーエッセイの順番が廻ってくるなあ」と思い「また、札幌のお花事情をレポートしようかなあ」ということで、7月中旬のある雨の日、豊平公園にアジサイを見に行って来ました。

駐車場に車を停め、ウェブサイトからプリントした園内地図を頼りにシラカバ林を目指して歩くと、すぐにたくさんのアジサイが見えてきました。
   

ネットで調べましたら、このアジサイは「ホンアジサイ(セイヨウアジサイ)」といって、日本を原産国とするガクアジサイが18世紀にヨーロッパに持ち込まれて品種改良され、その後日本に逆輸入されたもののようです。アジサイは土壌のpHによって色が変わるそうで、このことから花言葉は「移り気」ですが(花言葉はこのほかにも「乙女の愛」などいくつかあるとのこと)、この日に見たアジサイは、降りしきる雨の中、誰かが見に来てくれることを「一途に」待っているように見えました。
    

シラカバ林から緑のセンターに向かうと、そこでは別のアジサイ「アナベル」が出迎えてくれました。


アナベルは北米原産のアジサイで、色は白かピンク。こちらはホンアジサイに比べ花が大きく、はつらつとして見えました。


投稿者IBDセンター部長 折居 史佳
「ランドールのことなど」 関山 伸男
2018年07月30日
 ひさしぶりにリサ・ランドールの“ワープする宇宙”を読み返してみた。10年ほど前に初めて読んだ著作であるが、今読んでも新鮮である。それは理論物理学の歴史や方法論は普遍的な内容であるからと思われる。以前は純粋に理論物理学の体系を知るのに最適な書物として読んだが、今回読むにあたっては看護のバイブルとも云える科学的看護論(薄井坦子著)がなぜ難しいものとしてイメージされているのかを知りたい等の思いもあった。このランドールの著作は、数式等は使わずに話が進められており、多くの分野の人に理論物理学への興味を満足させるように意図している優れものである。もちろんこれを読んで理論物理学を改めて勉強しようというような大それた考えはないが、自然現象への取り組みと思考方法は多くの平易なたとえ話とともに実に思考の糧となる。

 ランドールは、自然現象を学問として捉えようとすると大きな山に例えられると説き、山を征服するルートを模索するには二つの方法が考えられるとしている。ひとつは麓から段階を追って登っていく方法で、ニュートン力学や相対性理論、量子力学、更には標準理論と呼ばれるモデルを使っての研究であり、もう一つは頂上を想定してそこから下に降りていく研究の仕方である。後者には“ひも”理論(超ひも理論)などである。現在、ようやく麓から登っていく実証的な理論と頂上から降りてくる霧の中の理論が余剰次元やブレーンワールドといった理論を仲介につながろうとしている。このような山の例えは科学的看護論でも理論の本筋として取り上げられており、この場合は山の頂上は極められており、看護の本質として“看護とは生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえることである”と掲げられている。そのすそ野から麓はナイチンゲールの看護覚え書をはじめとした著作週によってうめられている。この山登りのルートは薄井による科学的看護論によって懇切丁寧に仕上げられている。

 ランドールによれば、自然現象を観察してモデル化するには記述の手段が定式化されていなければならないとされ、理論は次元によって記述されなければならないとしている。すなわちわれわれの現実の世界は3次元空間と時間の次元を加え4次元時空で記述されている。しかし、理論物理学では山の頂上のひも理論に至るにはこの世の中を4次元では表現できなくて、10次元ある11次元の方向から見なければならず、巻き込まれた余剰次元やブレーンワールドなどの発想を取り入れて解決しようとしている。すなわち次元の考え方は、時空を離れて、ものの特性を表現する手段としても考えられる。薄井は人間の特性を捉えるためには四つの方向から見る事が必要としているが、まさしく4次元的見方と思われる。

 ランドールはまた、山を登ることはこの世の中を微細に見ていくことに通じており、新しい理論が構築されることは、その前の理論をさらに微細な世界に広げることであると言っているが、その新しい理論はそれまでの理論とは似ても似つかない中身を呈しているとしても、理論はしっかりとつながっていることのたとえとして、人間の体の構造を例に挙げており、人間は一皮剥くとその中味はまず表面の見た目とは大きく異なっていて、いくつかの器官が並んでおり、さらには臓器が器官を構成していて、もっと微細に見ると臓器は細胞からなっており、その細部をみると染色体や遺伝子に行き着くもので、いずれも各段階は前段階と見た目は大きく異なっているが、きちんと無駄なくつながっているとたとえている。

 このような考え方はとても有用で、ひとの対象特性を捉える際のからだの構造の見方といったところで多くの示唆を受けるものである。病気が起こす症状などの現象は、身体の表面を見ていてもわからないが、それを知るためには、その下の器官の状態、その器官を構成している臓器の状態、等といった段階を丁寧に追っての検討が必要であるということであろう。さらに言えば、病気を持ったひとを捉える際に臓器レベルのみを考えて検討することは、理論物理学の世界を捉えるのにニュートン力学を無視していきなり相対性理論から始めるようなものであって、説明がとても難しくなることの例えであろう。

 ランドールの解説では山の麓から登っていきつつあるニュートン力学、相対性理論、量子力学、標準理論、大統一理論、等を経て、この世を構成する粒子の超対称性と、山の頂上から下ってくる超ひも理論をつなぐ世界は、二次元膜上に展開するブレンワールドモデルによって説明している。ブレーンワールドでは重力子以外の粒子はこの膜に付着しており、この膜の表面から離れることはできないと考えられ、世の中には異なる理論体系をもつかもしれないこのようなブレーンワールドが無数に存在しており、ブレーン間ではたとえそれが重なっていても隣のブレーンを感じることも覗くこともできないとされ、唯一その間を自由に動くことのできる重力子のみがこのような世界の情報交換を担っているのかもしれないとしている。さすがにランドールもこのような考え方についての現実のわれわれの世界におけるたとえ話はされていなかったが、科学的看護論では薄井はすぐ隣のひとであっても他人の認識には見ることも入り込むこともできないととらえており、ブレーンワールドのたとえと同じような存在と考えられかと思う。しかし看護には患者の認識を知ることがきわめて大事であると説いて、それを知る対応法としては患者の認識を外から推論するのではなくて、看護師の頭の中に患者の認識を再現するといった考え方で解決を図るように説いている。

 理論物理学の世界では、新しい理論が提出されると、そこには表面からは伺い知れない人体の中を見るように、それまでとは似ても似つかない世界が展開されるとランドールは言っている。新しい理論を知ってそれを理解するには新たな言語を学ぶと同じような努力が必要ということであろうか。科学的看護論も看護学における新しい言語と受け止めて、事例検討などの実践を繰り返して学ぶことが習得への早道であり、そのような中では真に必要なものは難しくはないであろう。


投稿者内科診療科部長 関山 伸男
「めまい」 室田 千晶
2018年07月23日
めまい。
時々患者様からの訴えのある症状の一つだ。
そういったときは脳の検査をさせて頂き、特に異常がなければ、「お薬を出しておきますので、これを飲んで、お家で安静にしていてください。続くようなら脳神経外科、神経内科、耳鼻科などを受診してみてください。」とこれまで何度も言ってきた。

ゴールデンウィーク中のある日、朝5時くらいに目を覚ました。トイレに行くため起き上がろうとするが立てない。もう一度立とうとすると、布団の上で転んでしまった。周りがぐるぐる回っているような感覚、なんか気持ちも悪い。
「めまい?」
とりあえず這ってトイレに行き、布団に戻り安静にした。

2時間程安静にしていると、少し落ち着いた。
この日は回診当番だったので、準備をして病院へ行った。
カルテの確認をするためパソコンの画面を見ていたら、まためまいに襲われた。
異変に気づいたもう一人の回診当番の外科医に点滴をしてもらったが一向に良くならない。動けない、動きたくない。結局入院を勧められ、回診当番は回診される患者になってしまった。
一晩入院して動けるようになったので、翌日病室からそのまま出勤した。
幸いなことにそれ以降、めまいは起きていない。

今回の一件でめまいがとてもつらいことがわかった。めまいの患者様には、これまで以上に優しく接することができると思う。
でも、緊急を要するめまいでない限り、「お家で安静にしていてください」と、これからも言い続ける。
1泊2日の入院費は、びっくりしてめまいを起こしそうになるから。

無理をしてでも家に帰ればよかった・・・。
いざというときのために保険にも入らなきゃ・・・。


投稿者外科医長 室田 千晶
「祭りのあと」 松井 裕帝
2018年07月17日
 西日本豪雨による甚大な被害が連日報道されていますが、大雨の当時仕事で現地に滞在しており、深く大きな悲しみを感じています。また、死刑という制度に対する賛否両論はありますが、オウム事件関係者の死刑執行、全員救出というフィナーレを迎えましたがしっかりと検証が必要であると感じたタイの洞窟閉じ込め事件、色々考えさせられる出来事が続いております。

 こんな時に、元気や感動を与えてくれるのが、スポーツですね。ロシアW杯の日本の快進撃、錦織圭選手の全英オープンでの快進撃、連日寝不足になりながらも、テレビから離れられない方々も多かったことでしょう。勿論、私もその一人であります。ソチオリンピックでの日本選手団の活躍に連日、大いに感動していたのが遠い昔のようです。

 そして、そんな一大イベントが終わってしまって、これからどうしたら良いのかとお悩みの方々、これからはJリーグです!ご存知とは思いますが、イニエスタ(スペインの至宝、メッシも所属するバルセロナの大スター)、トーレス(イニエスタと共に2010年W杯優勝メンバーであり、バルセロナのライバルチームのアイドル)がJリーグに参戦してくれます。彼らは、西日本豪雨の報道を聞いた際に、 “被災された方々へのメッセージ”を送って、すでに心は日本にあるようです。一流アスリートは心も整っていますね。

 9月には札幌ドームで両チームと、我らがコンサドーレ札幌との試合が予定されています。日本代表の活躍により、Jリーグも盛り上がること間違いなしです。みなさん、是非スポーツの感動を現地で観戦してみてはいかがでしょうか?また、ロシアW杯中に現地で試合観戦した日本人の、自分達が出したゴミを自主回収している姿が海外メディアから絶賛されたことも我々日本人の評価をあげています。いつも観戦後にはやっていることではありますが、使用前よりも綺麗にする気持ちでスタジアムを使用しましょう。


投稿者外傷センター部長 松井 裕帝
「スペイン」 佐藤 和生
2018年07月09日
5月に学会でスペインに行き
バルセロナでサグラダ・ファミリアを見てきました

これを設計したガウディさんは
電車事故で亡くなってしまったそうです

サグラダ・ファミリアはまだ完成していませんが工事は順調に進んでおり
2026年に完成する予定でまだまだでかくなるようです

なかなか行く機会もありませんが
完成したらまた来てみたいと思いました



投稿者外傷センター医長 佐藤 和生
「カメラ」 東 直樹
2018年06月25日
私は消化器内科医師である。
消化器内科医である以上、カメラすなわち内視鏡検査を日常診療の一環として施行している。原則、内視鏡検査を速やかに行うことが肝要とされている。とはいうものの最初からスムーズに施行できたわけでない。

 昭和63年3月に札幌医科大学医学部を卒業して、医師国家試験に受かった後、札幌医科大学第一内科(現在の消化器内科講座)に入局した。初年度は先輩の管理下で上部内視鏡検査(いわゆる胃カメラ、この後便宜上胃カメラとします。)を10数件施行する(こなす)ことが通例とされていた。
しかし、私の場合に当時の上司(いわゆる上級医)K藤先生が胃カメラをすべて施行するので、私の分が回ってこない。また、今では当たり前に胃カメラは電子スコープであるが、当時は大学病院しか電子スコープがなかった。他の病院はまだグラスファイバーからなるファイバースコープであった。ファイバースコープは術者しか見えないのである。電子スコープであれば、現在の様にテレビなどのモニター画面に映るため、大勢の皆でモニターをみて、議論したり、若年者の医師の指導についてもモニターを示しながらできる。当時は術者自身が最新式の電子スコープを使えたいので奪いあい状態であった。研修医の指導どころではなかった。

平成元年6月にM市立病院内科に移動した。いわゆる研修である。当時、一期先輩のS谷先生が
「今度来る研修医は大学で30件以上胃カメラをしてきた強者だ。」
と嫌味な噂を流していた。実際には私自身、胃カメラは3件しかしていなかった。
当時のM市立病院の上級医のF先生(前回、「泥棒」のエッセイで登場)は
「30件でなく、3件?」
「はい。」
「え???」
「なんだ、初めから指導するのか・・」とトーンが下がる。
その当時、私の担当の胃カメラの施行日は月曜日と水曜日の2回であった。月曜日はF先生と、水曜日はK副院長であった。
最初の月曜日の朝、内視鏡室で胃カメラの開始である。当然、電子スコープでなく、ファイバースコープである。ファイバースコープは術者一人しか観察できない。他者に見せるならレクチャースコープを装着するが、術者には観察視野の光量が減り見えにくくなる。
突然、ストップウオッチが渡された。
「何ですか?」
「5分だ。5分経って、カメラが入らなかったら交代!」
無茶苦茶である。これが指導か?。当時は、なかなかカメラを飲ますことができなく、よく交代したものです。水曜の胃カメラが終わったら、疲れ果てて一週間が終わった気がしました。胃カメラ施行医のストレスである。
その2週間後、心窩部痛で来院した70歳の胃潰瘍の患者さんが入院して私の担当になった。当時は現在の様に、ヘリコバクターピロリ菌の除菌も強力な酸分泌抑制剤もなく、2週に一度、改善を確認するために胃カメラをしては、粘膜保護剤を調整したものです。半年後、この患者さんが胃カメラのあとで
「先生、胃カメラ上手になってきたね。はじめは下手でひどかったね。」
と笑って言われたときは本当に頭が下がる思いでした。その頃から、胃カメラの観察&技術も向上し、胃カメラをするストレスも消退してきた。

そんなある日、89歳の女性の平坦型の早期胃がん(Ⅱb)の症例に遭遇した。一緒にF先生と観察して、確認しました。翌日副院長回診の後に、K副院長が
「お前がⅡbを見つけたって(10年早いぞ)?怪しいから、俺がチエックする。」となんとF先生と観察した2日後にいっしょに観察しなければならなくなった。いざ、胃カメラ施行中に胃カメラを覗きながら
「これがⅡb?(本当か?かなり怪しい)。一応生検しておくか?」後日生検結果が癌であり
「これが癌か。Ⅱbか。東はカメラがしつこいからな?」と胃カメラがしつこいK副院長に言われてしまった。K副院長は別名「覗きのK」の異名を持つ。一度、大腸内視鏡検査で50個以上のポリープを12時間かけてしつこくポリペクトミーをしたそうだ。その間ファイバースコープを覗くように見るためにそのような異名がついたそうだ。

という感じで、研鑽(?)を積みかさねて、現在まで約2万件以上の胃カメラをするに至った。今となれば楽しい(?)思い出です。



投稿者消化器内科部長 東 直樹
「スマホが・・・」 紀野 泰久
2018年06月19日
5月中旬のこと。病院に向かおうと車に乗った。いつものようにシガライターに接続した充電器にスマホをつなぐ。あれ?充電のLEDがつかないなぁ。ここのところUSBコネクターの接触が悪かったからなと思いつつ何回か抜き差ししてみる。やはりだめだ。コードの方がだめになったかな。病院に着いたらほかのコードで試してみよう。

病院についてほかの何本かのコードで試したが充電できない。スマホ側のコネクターが死んだ。5年も使っていたから仕方ないかも。

仕事を終えすぐにドコモショップへ。ショップで試してもらったがやはり充電できず。保証期間も過ぎていたので新しい機種に機種変更となるようだ。USBコネクターがダメなためWiFi経由でデーターバックアップ。会員番号やIDなどをその間に控えていく。バックアップが終わった時点ではもう充電40%を切っていた。

新しい機種を持ち帰りアプリ入れ直し会員番号などを入れていく。え、ここで問題が。お財布携帯としてEdyを以前から使っていたがIDでは移行できない。何回か繰り返すができない。え、え。どうやるんだ。パソコンからEdyのサイトを見ると一度センターに預け入れしないと残高移行ができないようだ。古いスマホの電源を入れ家のWiFiにつなぎ預け入れの作業を行う。充電は20%を切っている。あせる。結局作業が終わったのは10%を切ったところだった。

あー、ビックりした。時間との勝負だった。お財布携帯を使っている人は一度残高移行の方法を確認しておいたほうがよいであろう。ふーーう。

投稿者外科部長 紀野 泰久
「大食い家系 ?蛙の子は蛙?」 遠藤 香織
2018年06月11日
我が家は全員そろって大食いで、エンゲル係数は非常に高いです。

今も私はBMIが低いわけではないのですが、乳児の頃は更にひどく、完全母乳なのに体重が+2SD(平均と比較し、非常に太っている指標)になり、母が慌ててスイミングに通わせて、やっとすっきりした体型になったそうです。

第一子の4歳児は乳児の頃に体重が+2SDでぷっくりしています。2018年1月に第二子が生まれ、また体重が+2SDになってしまいました。私も基本的には母乳育児なので、何が乳児の体重を増加させているのかわかりませんが、自分に含まれる遺伝子は乳児期に体重増加をもたらすようです。

自分のダイエットもかねて、子ども達とスイミングに行くことにしていますが、やはりスイミングをすると体型がすっきりしてきて、第一子はやっと+1SDになりました。「この垂れたほっぺはいつ無くなるんだろう??」とはらはらしています。

今年は第一子が幼稚園、第二子が保育園デビューし、二人とも風邪を引き、早々と私もうつされて、健康管理に気をつけています。

最近、農家の息子という配食サービスにはまり、1食400kcalで塩分控えめ、管理栄養士さんが作った美味しい料理を息子と平日の毎夕食で食べています。お母さんの手料理は・・・というと、土日だけ手料理の手抜きママです。
しかし、気づくとお腹が鳴っている自分や、炊飯器を開けてご飯を食べてる子どもや、口をパクパクしてミルクをねだる赤ちゃんの様子を見ていると、我が家は質よりもたくさん食べる方が重要なのかな?と、悩んでしまいます。

皆様も体重管理にはくれぐれも気をつけて、変形性関節症の予防に気をつけましょう!


投稿者整形外科医長 遠藤 香織
「ピラティス、始めました・・・」岡 敏明
2018年05月28日
以前から、「筋肉と脳は鍛えられる!」と個人的には考えていた。しかし、鍛えるための具体的な方法が判らず、最近は著しい体力低下と脳力低下を、日々感じるようになってきた。幸い4月から、少し時間的な余裕が出来そうだったため、これを機会に、何か身体と腦に良いことを始めよう、と考えた。

すると偶々、江別市で開かれるスポーツ教室の中に、「ピラティス教室」なるものがあることを発見。応募したところ当選となり、4月から江別市内の某体育館で、毎週金曜の夜、ピラティス教室に参加することになった。

ピラティスとは、1920年代にドイツ人従軍看護師のジョセフ・ピラティスさんが開発した、身体のストレッチや筋力強化、そしてバランス強化を目的としたエクササイズである。

実は生まれてこの方、こういった「教室」に参加するのは初めてで、初日はかなり緊張。しかし30代から60代くらいの参加者が30名程で、男性も4~5人いて、少しホッとした。

また、途中で挫折するかも・・・、との心配もあったが、今の所金曜日の夜に3回、連続で出席 (残り12回!)。マットやボールを使ったりしながら、毎回約1時間のエクササイズをしている。今の所筋肉痛もなく、かなり楽しい。そしてレッスンが終わった後は、「頭がすっきりし脳にも良い」様な感じがして(思い込みかもしれない)、大変満足している。

ピラティス教室でのエクササイズ終了後は急ぎ自宅に帰り、入浴。その後のハイボールが、とても「うま~い!!」。
ということで、8月まで毎週金曜日の夜は、ピラティスとハイボールです。ハイボールは余計ですが、身体や体幹を鍛えると、脳にも良いような気がします。皆様も、何か始めませんか。

投稿者小児科臨床顧問・血友病センター長 岡 敏明
「将棋観戦とAI, IA?」 久野 健二郎
2018年05月07日
小学3年生ぐらいで将棋を覚え、しばらくは家庭内や友達とかなりの対局をしておりました。初めは思いつくままに駒を進め一時間で何局も指していたものも、次第に指し手が遅くなり一局に時間がかかる様になった中学生ぐらいからは飽きっぽさから熱も冷め、今の棋力はさっぱりです。

当時の将棋情報は月刊や季刊の雑誌か日曜のNHK番組が専らでした。その後に週間の将棋新聞が発刊され(2016年で休刊とのこと)タイムリーな情報が新鮮でした。

一昨年にとあるプロ棋士が対局中に将棋ソフトを不正使用しているのではとの疑惑からタイトル戦参加停止、後に冤罪として将棋連盟が謝罪するという混乱があり、どうなってしまうのかと思われた将棋界ですが、昨年は中学生棋士である藤井聡太現六段による驚異の29連勝と羽生善治永世七冠の誕生で世間の注目は大きく回復したと思われます。

最近はインターネットでのリアルタイムな中継に加え、注目の対局では場合によっては複数のプロ棋士が登場して状況の分析解説が行われており、より楽しい時代になって来ました。

加えてここ最近の盛り上がりに大きな役目を果たしているのが、AI(artificial intelligence:人工知能)による状況分析であるかと思います。
昨年には将棋ソフトが現名人に2連勝しました。その将棋ソフトも新開発されたソフトには全く歯が立たない状態とのこと。いろいろな考えや想いはあるでしょうが恐らくほとんどの、と言いますかたぶん全ての人類より既にAIの方が強い時代になっているという考えが大勢を占めるかと思います。
現在はAIがリアルタイムで現状を数値化して評価したり、予想される指し手を示したりします。将棋の変化はすこぶる多いのですが、答えが決まる最終盤などは一瞬で数十手数もの勝ちへの道筋を表し、まさに人間業ではありません。

ただし、かなりの確率で最善もしくは有効な指し手を示すであるコンピューターの思考結果をみるだけでは、アマチュアレベルの人では多くの人がそれほど楽しめないのではないかと推察します。凄い正解だとしても、どのくらい凄いのかがやはり、プロ棋士による解説がないと感じることができないのです。
「こんな手、人間は刺せませんよ」と解説された手を藤井六段や羽生竜王がスッと指してしまった時は、私の頭の中でどよめきが沸き起こり、最高に面白い瞬間です。今までになかった観戦スタイルになってきたかと感じております。

AIの発達は将棋に限らず、様々な世界、医療の世界にも加速度的に大きな関わりを持つことは間違いありませんが、なんだかAI対人間みたいな構図で示される事が多いかと思います。しかしながら、しばらくの間は知性や知能を人工的に置き換えるものではなくて、アシストして増幅するもの、Intelligence Assistance や Intelligence Augmentation であればより楽しいかなと考えております。


(第76期将棋名人戦七番勝負 第二局 佐藤天彦名人 対 羽生善治竜王 の解説をちらちら眺めながら、、、)

投稿者麻酔科部長 久野 健二郎
「5年日記」 片田 竜司
2018年04月23日
ここ数年、物事がなかなか覚えられず、せっかく覚えてもすぐ忘れてしまう(思い出せない)。歳のせいとはいえ、なんともやるせない気分になる。

脳の老化防止にいいのでは、という思い込みと妻のすすめで、2年前から5年日記なるものをはじめてみた。日記や作文が大の苦手だったので、最初のうちは苦労の連続だったが、なんとかここまで一日も欠かさず続けることができた。今年で3年目に突入し、われながら感心である。とはいっても、書いている内容はだいたい決まってきて、その日の出来事、天気のこと、家族のこと、仕事のことなど・・

ここで5年日記について簡単に説明をすると、あらかじめ5年分の日付が入った分厚い手帳といったところで、1ページが五段に分かれていて、同じページに5年分の同じ日の出来事を書く様式になっている。つまり、今日の出来事を書く欄の上の段には、昨年の同日の出来事が、さらに上の段には一昨年の同じ日の、といった感じである。

3年目ともなるとこれを読み返すのが意外と面白くて、そういえば去年はこんな事があったなぁとか、あれからもう2年も経ったのか、などその日の出来事を書きつつ、上段の日記を読み直すと時々結構ツボにはまることもある。
先日の休みの日は、「午前はキャポの割引券をもらいに行って、昼は娘とサイゼリアでランチ、ワインを少し飲んで、いい気分。夕食は家族で手巻き。日本酒を少し飲み過ぎた。」ふと上段をみると、去年も全く同じパターンで、やっぱり飲み過ぎている!!もしかしたら日記を書くのも悪くないかもしれないが、休みの日の行動パターンにもっとバリエーションをもたせたり、酒の量を減らしたほうが、脳にはよっぽどいいのでは、と思う今日この頃である。

投稿者放射線科部長 片田 竜司
「通勤雑感」 宮城 登
2018年04月17日
春になり通勤の風景も変化してきました。歩道では雪が解け、冬にまいた滑り止めが堆積しています。この滑り止めですが、冬には歩道の脇に置かれた砂箱にビニール袋に詰められて積んでありました。確かに昔は砂だったと記憶しておりますが、今の滑り止めはよく見ると直径3から5㎜位の顆粒状の砕石のようにみえます。いつごろからこのような形状になったのでしょうか、記憶にありません。

また二里川沿いの土手にはいっせいにフキノトウが生えてきて、土色の背景にあざやかな黄緑色が良く映えます。以前より、フキノトウからどのように食卓にあがるフキができるのか疑問に思っていましたが、調べてみるとフキノトウには雄花と雌花があってこれが交配して種ができるようです。しかしフキ自体は交配が終わった後にフキノトウの地下茎が伸びて別の場所から生えてくるとのことです。既にご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、自らの恥をさらけ出す次第となりました。今後も同様のことがあるでしょうが、今さらながら何でも調べるようにしたいと思っています。


投稿者整形外科部長 宮城 登
「○○沼にはまる」 金田 眞
2018年04月09日
沼とは、Wikipediaによると湿地の一種で、池や湖との区別は明確ではないが、一般に水深5m以内の水域だそう。湖沼学上では、水深が浅く水底中央部にも沈水植物の生育する水域と定義されるようです。ただ、底なし沼という言葉があるように、足を突っ込むとそのままどんどんはまって沈んでいくというような恐ろしいイメージもあります。

さて、自分の趣味や子供の誕生をきっかけに一眼レフカメラを購入したあと、よりいい写真を求めてF値の低いレンズや単焦点、そしていよいよとなると、なかなか手の出ない赤いレンズや白いレンズ(わかる人はわかる)などを奥さんに黙って買ってしまったり・・・これを「レンズ沼にはまる」と言います。なかには安い「撒き餌レンズ」もあって、まさか「沼」にはまるとは思っていない人を誘い込むので要注意です。ちなみに私は、撒き餌レンズを友人に買わされましたが、それ以降は踏みとどまりました。

最近、マラソンの世界ではシューズがクローズアップされています。ドラマ「陸王」では薄底シューズが“主役”でしたが、現実世界では某メーカーの開発した厚底シューズを履いたランナーが世界で大活躍中です。従来のシューズと比べてエネルギー効率を4%良くするらしく、日本でも先日の東京マラソンで日本新記録を出した設楽選手などの有名選手がそのシューズをこぞって履いています。市民ランナーには回ってこない品薄シューズですが、自己記録更新を目指している私たちとしても手に入れたい代物です。中には並行輸入品をかなりの高額で購入している人もいるようです。
先日は別メーカーがSub2という名の入った、フルマラソン2時間切りを目指したシューズを発売しました。そのシューズを早速履いてフルマラソンのベストを大幅に更新した知人(ウルトラマラソンの日本代表選手)があまりにも絶賛し、「金田さんの走りに絶対合うよ!」との誘惑が・・・売り切れてしまう前にと思わずポチッとしてしまいました。
シューズは消耗品なので何百キロか走れば使えなくなるのですが、いろんな魅力的なシューズが発売になるたびに、自分の力不足を棚に上げ、このシューズならタイムが伸びるはずだのなんだの言って、次々と買い漁るようになると「シューズ沼にはまる」ということなのかもしれません。

きっと、「レンズ沼」にはまらなくても良い写真を撮るアマチュアカメラマンはたくさんいることでしょう。「シューズ沼」にはまらなくても速い市民ランナーも多くいることでしょう。
ただ、絶対的に足りない走力を少しでも助けてくれるなら、そしてこれで目標を達成できる可能性が少しでも高くなるなら、所詮は趣味の世界ですが多少は沼にはまってもいいですかね?大蔵大臣殿。


投稿者小児科主任部長 金田 眞
「猫派? 犬派?」 原田 栄志
2018年04月02日
近年、岩合光昭さんの写真展やNHKのテレビの影響で猫派が犬派を上回ったとの報道もありました。多分、どちらも好きという方も多いと思います。私は、完全に猫大好き派ですね。我が家には今8歳の猫 メイクーンとソマリのハーフの雄猫です。名前は娘が命名し、“そら”くんです。



今は去勢されているので、ニューハーフになるのかもしれませんが。最初1年は去勢しないで、春を迎えたら、自宅内のあちこちにマーキングされて大変でした。ソファーやら、和室の布団やら、子供部屋のベッド、寝室のベッド等にマーキングされて、全部捨てて買い替える羽目になりました。なので近くの動物病院で去勢手術を受け、その後はめったに問題行動は起こさなくなりました(たまに家内が長期不在で、油断すると大変なことが起こることがありますが…)。ただ、長毛種なので、自宅内をこまめに掃除しないと抜けた毛が家中に舞い、食事中も隠し味として味わうことになります。一応、毎日我が家の嫁さんがブラッシングしているのですが…故障したルンバのかわりが欲しいと思う毎日ですね。猫としてはかなり大型になります。(約10㎏あります)



後ろ姿は狸にそっくりで、以前夏休みを利用し家族旅行(キャンプが中心)で、ニセコに行き、ニセコ比羅夫でゴンドラに乗って山の上に行くときに、見知らぬ人に“狸ですか?”と言われ、円山動物園の狸を見に行きました。本当に後ろからの姿は色合いといい、そっくりでした。娘は元来は、犬派でした。祖母の家(私の実家)では以前は代々 犬を飼っており、名前はいつも“ジェロ”でした(何代か忘れましたが…)そのため、小学生3年生以降は学校から帰ると、夕方は必ず兄弟の誰かが散歩に連れて、近所を歩かないといけませんでした。(子供のお手伝いとして義務でした)。でもお散歩の途中では、必ず糞をする瞬間があり、、それがたまに道路のど真ん中で始まったりして、、車が来そうになり、、 無理矢理道路の端っこまで引きずるはめになったりして、、 ある程度高学年からは近所の公園や駐車場の草むらに立ち寄り、持って言ったスコップでその場で埋めたりする知恵がつきましたが、、 そうでないとビニール袋を持参して、回収、自宅の庭に持ち帰り埋めるという作業があり、、私個人は犬派ではなくなった気がします。また、小学生になった時点で借家住まい~自宅住まいとなり、初めてペットとして猫を飼いました。名前は私がつけて、“トニー” なんでトニーだったのかは忘れましたが、寒い中古物件のお家で木造築30年で隙間風の吹くお家で、お風呂場も凄い寒いお家でした。なので猫のトニーと布団に一緒に入って寝るのが日課でした。が2年目くらいに母親のお腹に赤ちゃんが出来たということで、猫から赤ちゃんに病気が移る可能性が大きいとのことにて、急遽、自宅で猫を飼うことが出来なくなったと、、父親が猫は処分しなくていけないと、、車で連れていかれてしまいました。その後は代々犬を飼うこととなり、犬の散歩は子供たちのお手伝いとなった次第です。家内は一人暮らしの時代にインコ 名前はいつも“ピーちゃん”を飼っていましたが、、逃げていったり、ドアに挟まれて死んだりして、 そのたびに次の“ピーちゃん”が来ていたそうです。娘が出来て、“犬が描いたい それも大型犬を飼いたい“と小さいころはずっと言っておりました。(先日のロシア女子フィギュアスケート選手、ザギトワさんが秋田犬欲しいと言っていたのと同じように)



でも、自宅を新築した後に、宮の沢のゼビオにスポーツ用品を買いに行った折に、隣のペットショップを何気なく覗き、今の“そらくん”とそのそのお姉さんの子猫に出会ったのです。それまでは猫を飼うならば、アメリカンショートヘアか ロシアンブルーがいいねなんて言って眺めていたのですが、、一目ぼれ状態で、可愛いねと飼う気になっていました。嫁さんに“買って(飼って)もいい?”と恐る恐るお伺いを立てて、、急遽飼う事となりました。“子供たちの世話だけで大変なんだから、猫の世話はあなたが責任持ってしてね”と言われ、、 (でも、その後布団を捨てたり、、マットレスを捨てたり、買い替えたりと結局、色々お世話になる羽目になりましたが)

今では家内の下僕状態で、、大体いつも家内がいるときは、そばにいる状態です。私といえば、爪切り、お風呂入れ、その後のドライヤーでの乾燥作業等 嫌なことをするせいで、嫁さんが長期不在のときのみ足元にすりすりされる状態です。現在は次男が夕食時に猫のおやつをあげる習慣になって 家内>私>子供の順位が 最近では家内>子供>私の順番に変更になってきました。



以前は子供の友人達が小学生時代に、我が家に遊びに来ると、無理矢理猫を捕まえては皆で抱っこしたので、子供達が来ると、大急ぎで階段を駆け上り、2階のベッドの下か 吹きぬけの柱の上に逃げて行っておりました。そのたびに捕獲されて、、また逃げて、、でも、最近では年なのか、だんだん逃げなくなり、逃げてもすぐに捕まり、釈放を待つようになりました。先日も 横浜から娘が帰省しましたが、、覚えているのか悟りを開いたのか、全然逃げませんでした。娘は犬派から最近では猫派に鞍替えして、“そらくんに逢いたい”“半分にして持ち帰りたい”と連日の様に言いながら、また横浜に帰っていきました(ペット禁止のアパート住まいなので、そらくんの写真だけお持ち帰りで)
今年で11才のなり、人間ではぼちぼち高齢者です。完全に家族の一員となり、食事の際もちゃんと隣の席に座り、猫用のおやつをねだる毎日ですが、、そんなそらくんは我が家のみんなの癒しの存在です。お願いだから、ガリガリといたずらはしないで、いつまでも皆に癒しを与えてね。 



投稿者猫大好き派の整形外科部長 原田 栄志
「片岡球子」 河井 紀一郎
2018年03月26日
日本画家・片岡球子(1905~2008)は札幌出身の女流画家であり、その画風は鮮やかな色彩、大胆な造形、画面からほとばしるエネルギーがあり、ときに破天荒とも評されたほど型破りな作風で知られています。

そんな片岡球子の作品を見たのは十数年前、芸術とかには何の興味がなかった頃、実家に帰った時にでした。その当時、定年していた父が色々な仕事をしながら画商もしており、球子に惚れ込み作品を買い集めていました。その1枚(めでたき富士 西湖の富士)を家の居間に飾っていたのを見たのです。

確かに鮮やかな色彩、大胆な造形であり、エネルギーを感じるものでした。
それ以来、私も球子の作品に興味を持ち始め、父から球子の作品が手に入るのを楽しみにしてました。そんな父も高齢になり画商を辞め球子の作品を売ってお金にすると言いだしたので格安で全部私が引き取ることにしたのです。

ところが我が家はそれほど大きくなく、全部で十数枚ある作品全てを飾るのは無理なため、私の部屋は球子作品の倉庫と化しています。せっかくの球子作品が日の目を見ないのは勿体無いので病院機構側が許して頂けたら産婦人科外来に飾ろうかなと思案中です。

もし展示することが出来たら見に来ていただければ思います。



投稿者産婦人科部長 河井 紀一郎
「最近のこと」 城田 誠
2018年03月12日
最近、パソコンの調子がわるい。最近でもないか、ここ2年くらいだましだまし使っている。
ずーっとMacユーザーであり今後もWindowsにはかえるつもりはない。また次もマックだろう。仕事でもよくパソコンを使うので買い換えたいのだが、なんとなく変える際の作業も億劫である。でもそろそろ・・・ね。

最近、クラフトビールにはまっている。お店で樽生飲むのはもちろんおいしいが、いろいろ見比べてビン・缶のクラフトビールを買って家で飲むのもまたうまい。いろいろなIPAを買っている。

最近、世の中でハラスメントが話題である。ネットで調べたら40種類以上のハラスメントがあるらしい。何をしてもハラスメントになりそうでこわい。対人恐怖症になりそうだ。

最近の仕事の方は・・・
おかげさまで多くの鼠径ヘルニア・下肢静脈瘤の患者様が当院での手術治療を希望され私の外来を受診されている。インターネット情報はすごいなと思いますが、遠方から飛行機で来院される患者様もいらっしゃる。ありがたいことです。

安全かつ確実な手術をこころがけております。これからもずっと。

投稿者外科医長 城田 誠
「山岡家」 西條 正二
2018年03月05日
札幌徳洲会病院のグルメと言えば、食べログで3つ星を獲得しているレストランさくらを始め、タリーズコーヒー札幌徳洲会病院店、ローソン札幌徳洲会病院店があります。いずれもよく利用させていただいておりますが、今回は向かいのラーメン屋の話をさせていただきたいと思います。

当院の道路を挟んで向かい側にあるのが山岡家大谷地店です。何を隠そう私は大の山岡家信者で、大学時代は週3回くらいのペースで食べておりました。我が部では部活後に山岡家旭川高砂台店に行ってラーメンを食べ、高砂温泉に入ることをゴールデンコースと呼んでおりました。

山岡家と言えば醤油が有名ですが、私のおすすめは塩。特ににんにくを多めに入れてたべると二日酔いやちょっとした風邪程度なら翌日には治すことができます。

問題は強烈なにんにく臭で、にんにくを入れたラーメンをスープまで飲むと、吐く息どころか枕までにんにくの臭いが付くため、医師になってからはなかなか足が遠のいておりました。
しかし先日、連勤つづきで疲れがたまっていた折に翌日休みの日があり、久しぶりに山岡家の塩ラーメンにんにく入りを食べに行きました。

チケットを買い待つこと五分、出てきた塩ラーメンににんにくを投入。
(゜д゜)ウマー !
通い詰めた旭川高砂台店よりもややまろやかな旨味が口の中に広がります。スープまで堪能した後、ラーメンに数年来のご無沙汰を謝し、店を後にしました。

翌日の枕がニンニク臭を放っていたことは言うまでもありません。
院内の皆様、今後院内でにんにくの香りがしても他意はありません。少し疲れ気味の信号なのでそっとしておいていただきたく存じます。

投稿者プライマリセンター医師 西條 正二
「来た時よりも美しく 残すものは感謝のみ」 斉藤 琢巳
2018年02月20日
今回はマナーに関するお話です。私がマナーを語るのもなんですが、ご容赦願います。
以下、自宅や職場で日頃感じている実例です。

・洗面台
我が家は6人家族。うち女性が3人、いずれも長髪で毛量豊富。皆洗面台で髪の手入れをしますが、その後の抜け毛の散乱具合といったらものすごい。排水口もすぐつまる・・・。床は毛髪だらけ、マキタのコードレスクリーナー(18V)が大活躍です。

・便所
おそらくオート洗浄の普及に伴っての事と思いますが、水が流されていない状況に遭遇することがあります。私(と家族)は水を流す習慣がなくなるのを恐れて自宅のオート洗浄をoffにしました。

・浴槽のふた
帰宅してフロに入ろうと浴室に入るとすごい湿度・・・・・。湯温も下がっている・・・・。
おふろからあがる時にはふたを閉めましょう。

・トイレットペーパーやディスポの帽子、マスク
最後のひとつを手に取った人は是非つぎの物品をセットしましょう。

・湯沸しポットの水
カップめん お湯が切れたぞ 半分で 

・パソコンのログインしっぱなし
なりすます 機会(機械)がいつも そこかしこ
勝手にログオフするからいいのだけど・・・・。悪用されても知らないぞっと。

・共用の机
仕事をしながら飲食するのがダメな訳ではないけれど、後始末はしましょう。

・行きつけのBarの知人のボトル
いつも勝手に空けてしまってごめんねS嶋先生
次の人の事を考えられるような人間でありたいものですね。

「自分が最初に見た時よりも、世界をいい場所にすべく努力しよう」
Robert Baden-Powell(ボーイスカウトの創始者)

投稿者外科医長 斉藤 琢巳
「私の胃カメラ事始め」 佐藤 康永
2018年01月29日
私が初めて胃カメラの検査を見学したのは,平成2年医学部5年生のときの臨床実習のときでした.モニターに映し出される綺麗な消化管の画像に感動し,亡父が消化器外科医であったことと写真好きということが影響したのか,平成4年6月母校の大学病院消化器内科に入局しました.

実際に,胃カメラを始めるようになったのは,初期研修期間が間もなく終わろうとする
平成5年12月のことでした.当然のことながら最初から上手に検査などを行えるはずは
なく,まずは内視鏡検査練習用消化管モデルを使い,先輩方より内視鏡検査の手ほどきを受け日中の仕事終了後に内視鏡室で練習するという日々を送っていました.

<内視鏡検査練習用消化管モデル>
箱の中に胃が入っているということで研修医の間では『箱胃(はこい)』と呼んでいました.


(高研社ホームページより引用,一部改変)

それから,約1ケ月後・・・初めての胃カメラを行うことになりました.患者さんによっては『内視鏡は苦しい』と言われて敬遠されるような方もいる訳ですから,当時研修していた大学病院では,(胃カメラを)患者さんに行う前に研修医同士がお互い検査を行い,その苦しさを共有するといったことが行われていました.私のpartnerは,大学入学時から同期だったX先生であり,まずは私が被験者(内視鏡を受ける立場)…胃カメラは通常であれば数分で終わるのが普通ですが,1時間程度かかり当日は空気でおなかが一杯になり食事もノドを通らなかったのを今でもはっきり覚えています.翌週,私が検査する側となり被験者はX 先生でした.初めて胃カメラを手にして過緊張状態,『箱胃』で充分練習したはずなのに『箱胃』では生じることのない蠕動を初めて目の当たりにして内視鏡が思うように進められない…検査が終わった頃には,やはり時計の長針が一周していました.

早いものであれから24年.現在では週に15件程度の胃カメラを行わせて頂いています.
未熟であった私をスキルアップさせて頂いた各病院のスタッフの方々には心より感謝申し上げます.


投稿者消化器内科医長 佐藤 康永
「羽毛の進化-鳥は恐竜である・前編-」 成田 光生
2018年01月22日
学者ならずともちょっとした古生物ファンであれば,いまどき「鳥は恐竜である」と言っても‘そんなの常識でしょ’であるが,一般の方々にはまだまだ耳新しい話かもしれない.そう,間違いなく鳥は恐竜と同類の生き物であり,さらにその恐竜の中でも「獣脚類(じゅうきゃくるい)」と言って,かの有名な‘暴君王’ティラノサウルスと非常に近い仲間から進化してきたのである.ここで生物の世界においては,鳥類を代表して「スズメ」と呼ぶことがある.一方,草食竜の代表として良く知られている恐竜にトリケラトプスがあるが,これは「装飾頭類(そうしょくとうるい)」と言って,実は進化論的には獣脚類とは結構離れている.生物としては,ティラノサウルスとトリケラトプスよりも,ティラノサウルスとスズメのほうが,よほど近いのである.生き物は,決して外観や大きさで判断してはならない.

 さてこれも古生物ファンにはよく知られていることであるが,一部の恐竜には,羽毛が生えていた(ティラノサウルスに羽毛が生えていたかどうかについては直接的証拠は無く,議論のあるところである).この羽毛の役割は,最初はたぶん飛ぶことではなく,保温だった.恐竜がどの程度体温を保持できていたのかはほとんど分かっていないが,少なくとも恐竜はそれ自体あるいは卵を保温する必要があった.そこで保温性の高い羽毛が役に立ったのである.この羽毛にも興味深い進化が見られるのだが,この先は次の機会に譲る.

投稿者小児感染症部長 成田 光生
「白髪」 倉田 佳明
2018年01月15日
私は学生時代から白髪がありました。いわゆる若白髪です。たいして多くもなかったので全く気にしていなかったのですが、20代後半、30代になるにつれ、徐々に白髪は増えていきました。特に横の部分の白髪が多く、目立つようになってきました。

35歳頃だったでしょうか。さすがに気になったので、試しに白髪染めをしてみました。思ったよりも自然な感じで違和感なく、自分としては気に入りました。周りは気付かなかったのか、それとも気付いていたけども気を遣っていたのか、何も言われなかったので、とぼけて染め続けました。

見た目は確かに良いのですが、髪を切る度に染めるのは結構面倒ですし、頭皮に悪い気もします。しかし一旦染めると、やめるタイミングは難しいのです。髪を切った時に染めないと、見た目変ですし(自分で変だと思っているだけなのでしょうが)。

そんな状態で数年過ごしたある時、妻の「いい加減やめたら?」で、染めるのをやめました。最初こそ違和感がありましたがすぐに慣れ、今では「ロマンスグレー(古っ)」を自負して堂々としています。

が、しかし… 今度は「子供のことを考えて、染めた方がいいんじゃない?」と妻が言い始めました。おじいちゃんみたいだと、子供が馬鹿にされるかも知れない、と。やめろと言ったり、染めろと言ったり、何だかなぁと思いますが、妻はともかく、子供に言われたら、また染めてしまうかも知れません。会った時に黒髪になっていても、髪のことには触れずに、そっとしておいて下さい。

投稿者外傷センター長 倉田 佳明
「おひとり様」 小笠原 卓
2018年01月09日
僕は一人で食事をすることが苦手である。おひとり様で外食に行こうとすると、たとえ好きな物を食べていても、何となく寂しくなってしまう。喫茶店で小一時間、時間を潰すだけで一苦労だ。コーヒーを頼みゆっくり楽しめればよいのに、周りの視線が気になるというか、「あの人“ぼっち”みたい」と言われているような気がして楽しめなくなる。ついつい時間をしきりに気にするような芝居をしたり、「あいつ遅いなぁ」なんて(待ち人もいないのに)つぶやいてしまったりする。
 しかしその一方で、一人で気ままに好きな食事やお酒を楽しみたいという強い欲求もある。集団で食事をする時は、往々にして自分の望まない店に連れられて行くことがある。こういうのは精神上よくない。年齢も40に近づいてきたことだし、そろそろ「おひとり様でも外食を楽しめるようになりたい」と、ふと思い始めた次第である。
 というわけで、まずは自分がどのレベルの「おひとり様」に耐えられるのかを客観的に把握する必要があると判断し、自分の中で“ぼっちレベル”を設定した。これは自分の個人体験に基づいた独断と偏見による評価方法であり、一般の人々が感じる「お一人様」を想定したものではないのであしからず。“ぼっちレベル”は以下のように5段階に分けられる。
 
 “ぼっちレベル1”:ラーメン屋に一人で入る事ができる。
 “ぼっちレベル2”:喫茶店やパスタなどの比較的おしゃれな店に一人で入る事ができる。
 “ぼっちレベル3”:焼き肉店、鍋物の店に一人で入る事ができる。
 “ぼっちレベル4”:飲み屋やカップルの多い店に一人で入る事ができる。
 “ぼっちレベル5”:あらゆる店に一人で入り、楽しめる。

 ラーメン屋はこの評価法のとっかかりである。週末コツコツと「1人ラーメン」の場数をこなしたため、ぼっちレベル1は既に到達済みだ。ただ悲しいのは「知らない店に入りづらい性格のため、店がなかなか増えない」ことだけだ。大丈夫、今後どんどん増えて行くだろう。多分。喫茶店は、現在かなりソワソワするものの、大丈夫、これも入れる。クリアだ。焼き肉は…昔、肉に飢えていた20代は食欲に負けて一人でも入れたが、今はダメだ。「1人焼き肉」は今の自分には厳然たる壁であり、他人の目を気にせずにはいられない。しばらく「1人焼き肉」はしていない。
 …とすると、現在の自分はレベル2止まりか。せめて3は欲しいところ。
 レベル4、5は実は現在の自分の理想を記載したものである。カップルの目も気にせず、自分の好きなお酒を時には飲みたいという願望である。レベル5は今の自分にとっては、神レベルである。レベル4との違いは、「一人で楽しめる」という事。レベル5に到達している人は自分の人生を十分に満喫し、自分の内面の自由を豊かに発揮できる人だと思う。どうすればなれますかねぇ?

 自分の中で“他人と過ごしたい欲求”と“自分の好きなように過ごしたい欲求”の間で相剋する心理状態があることを見つけたため、日常の場面に照らし合わせて、少しだけ記述してみた。

投稿者小児科医師 小笠原 卓
「言葉探し」 杉浦 千尋
2017年12月25日
1998年に公開されたスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン(邦題)」という映画がある。1944年のノルマンディー上陸作戦に端を発する物語である。ある事情によりミラー大尉にライアン一等兵の救出命令が出された。一兵卒の救出に命を賭す意義に疑問を感じつつも、多くの犠牲を払いライアンのもとに辿り着いたミラー分隊。だが、ライアンは他の仲間を置いて自分だけ去るわけにはいかないと後方への移動を拒否する。仕方なくライアンとともに前線に残ることになった分隊だが、そこにドイツ軍の戦車が…

“Earn this.”

これがミラー大尉の最後の言葉そしてライアンに対する命令だった。
その時ライアン一等兵は応える言葉を持っていなかった。

それから何十年かたち、家族、孫たちに囲まれて、初めてミラー大尉の墓前にやって来たライアンが口にした言葉が

“I only hope, in your eyes at least, I earned what you did for me.” 

だった。

この3時間近い映画も、この”Earn”という一語に集約されるのではないか。
でも、しっくりとくる日本語が見当たらない。

“Earn”といえば、私の中では、受験英語風に「(働いて)金を稼ぐ、儲ける、生計を立てる」とか「(名声、評価を)得る」というような、金銭や名声絡みの何か少し生々しいニュアンスを持っていたからである。
ストーリーの流れからの意味としては理解できていても、自分にとっては何か場違いな感じのする言葉として、どうしても違和感を拭いきれなかった。

それでは訳本ではどうなっているか?と確認してみたところ、“Earn this”は「それに見合う、ひとかどの男になれ」という訳になっていた。だが、これではどうもしっくりこない。最後の言葉にしては冗長過ぎる感が拭えない。
そして“I only hope …”に関しても、「それだけのことに見合う、ひとかどの男だったろうか?」と訳されており、これまたどうもしっくりこない。
Earnしろと命令され、その使命に応えたか?という文脈での意味としては成立するのだが、最後の力をふりしぼって発する簡潔さが無いのだ。

自分であれば、“I only hope … ”に関しては「あなた(方)の恩に報いることができただろうか…」とでも訳して落ち着けるかなとも思うが、”Earn this”の2語にふさわしい、しっくりした日本語がなかなか見つからない。
「無駄にするな」では少し弱い。自分が望まなかったとしても、それを受け入れざるを得なかった多くの仲間たちの運命を背負って生きろという積極性に欠ける。

救出の原因となったライアンの兄弟の犠牲、ミラー大尉達の犠牲、さらに、その時の状況を形成したすべての犠牲からEarnしろという、ライアンだけではなく、すべての生き延びた者たちへの重層的なメッセージとして解釈できなくもない。

あと1つで完成するジグソーパズルの、最後の1ピースが見つからない様なもどかしさ。
自分だったらそんな状況で、どんな言葉を選ぶのだろうか? と自問しつつ、まだ言葉探しは当分続きそうだ。
投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「コード・ブルー」長尾 知哉
2017年12月18日
「寄席でも選挙でも、真打ちは最後に上がるもんだ。」
 参議院議員選挙で最下位当選した立川談志の名言である。

長野県は全体が「山」であり、人々は「平」と呼ばれる盆地と山あいの集落で暮らしている。救急車は山あいを縫うように走り平に下りるか、山越えを強いられるかであった。救命救急にとっては「時は金」ではなく「いのち」である。かくしてドクターヘリが配備されることとなった。

「先生、ヘリ、乗ってもらうから。」
救急部長はすれ違いざまにわたしに伝えた。わたしには妻と乳飲み子がいる、乗り物酔いする、高いところが苦手、など話したのだが、
「うん、大丈夫。先生、何でもできるでしょ?」
救急部長の言葉は答えになっていない。

こうして全国で10機目となる「信州ドクターヘリ」の運用開始となった。しかし、鳴り物入りで始まったものの全然出動要請が来ない。前例がないので救急隊は要請を逡巡していた。早朝から意気揚々と出番を待っていたドクターが日没とともに消沈し運行終了を迎える日々が8日も続いた。

9日目。小雨降る梅雨冷えの日がドクター陣最後、わたしの出番であった。午後になっても要請は来ず、当直室で昼寝をしていたまさにその時であった。
「ドクターヘリ、エンジンスタート!」
PHSがけたたましく鳴った。
「オ、オレかよ・・・。」
ヘリポートへ向かうとヘリはプロペラを回し、病棟の患者は何事かとヘリポートを眺める。ヘリはわたしを迎え入れるとそのまま浮き上がり霧雨の空を軽井沢に向けて急行した。別荘の屋根からの転落外傷だった。ミッションを終えた途端に次の要請、再びわたしは飛んだ。救急隊は気づいたのだ。これからはヘリが医師を連れて迎えに来てくれることを。

ドクターヘリは全国に配備されドラマにもなった。信州ドクターヘリも出動4000件を超えた。しかしこれだけは変わらない。

信州ドクターヘリは、わたしから始まった。
寄席でも選挙でもヘリでもそうだ。やはり真打ちが飛ばないと始まらないのだ。

最後にドクターヘリにまつわるQ&Aを。
Q1)新垣結衣や戸田恵梨香のようなフライトドクターはいたの?うらやましい。
A1)まだ救急に女性医師がほとんどいなかった時代でドクターは全員男性だった。
Q2)比嘉愛未のようなナースはいたの?
A2)いた事に、しておきましょう。
Q3)じゃあ、山下智久は?
A3)今はヘリを降りて札幌にいるみたい。「ヘリだろうが歩いて来ようが、救う『いのち』は同じだ」って。彼のスタンスは変わらない。

投稿者外科・乳腺外科医長 長尾 知哉
「ある一冊の随筆集」 辻 英樹
2017年09月25日
今,手元にA5版の薄い随筆集がある.Yさんから数年前に「お礼に」ということで頂いたものだ.自宅の本棚に置いてあったのだが,先日部屋の掃除をしたときに見つけてふと読み返してみた.

Yさんはご主人,ご友人と長年登山を楽しんでいる,実に美しい心を持った60台の女性である.登山中に誤って転倒し,手首を骨折してしまった.麓の病院で応急処置を受け,当科に紹介となり私が手術治療をさせて頂いた.そして今回の療養のことを以前から自らが所属していた同人誌にしたため,主治医であった私にこの小冊子をどうぞ,とくれたのである.

Yさんはとても前向きな方である.骨折そのものの痛み,これから手術を受けるという不安,楽しみにしていた北アルプス登山をとりやめなくてはならなくなった口惜しさ,そして登山仲間のご主人,ご友人に対する申し訳なさ,そんな様々な負の感情があったに違いない.しかし治療期間中を通じて,後悔とか,後ろ向きな発言をYさんの口から私は一度も聞くことはなかった.また登山をするという前向きな目標,日に日に患部が回復していくことの喜び,そして我々医療者に対する感謝の気持ちを常に口にしておられた.外来診察の際には,逆にこちらの方がいつも清々しい気持ちにさせてもらった事を今も鮮明に思い出す.あたかも自然と触れ合い対峙するかのようにありのままを受け入れ,そして前向きな気持ちを持って行動するという事が,どれ程周りの人達に良い影響を与えるのか,という事を私も深く感じたのである.
人間は往々にして我儘で自己愛に満ちた生き物である.自分が犯してしまった不慮の過ちも,つい自分は悪くない,他人のせいにしたい,時には投げやりになるという感情をしばしば持ってしまうものだ.理屈ではわかっていても,そんなやり場のない憤りというものはあって然るべきだと思うし,そんな感情を受け入れて治療に前向きになってもらうのも医師の仕事であるとは思っている.しかしこのYさんに限ってはそんな必要は全く無く,むしろ会うたびにこちらの方が「ありがとうございます」と言いたくなるような,そんな方であった.

今一度この随筆を読み返してみた.最初読んだときは気づかなかったのであるが,綴られている内容の多くは応急処置してくれた医師や看護師の事,そして連日通院して治療してくれたリハビリスタッフとのやりとりである.主治医である私が登場するのは最後の一文だけなのである.つまり患者さんにとっては「ケガをして一番辛い時に最初に診てくれた方」「治療中より多く顔を合わせている方」が如何に大事であって,むしろそれらはたまにしか会わない主治医以上に大きな存在なのかもしれない.いや,きっとそうなのであろう.

投稿者副院長 辻 英樹
「知ってますか?」蘆田 知史
2017年09月20日
「生活機能チェックリスト」って知ってますか?

平成22年8月に厚生労働省老健局が定めたチェックリストで、主として要介護状態等となるおそれの高い状態にあると認められる65歳以上の者を対象として実施する二次予防事業の対象となるかたをスクリーニングする目的で作成されたチェックリストです。二次予防事業とは、対象者が要介護状態等となることを予防することを通じて、一人ひとりの生きがいや自己表現のための取組を支援し、活動的で生きがいのある生活や人生を送ることができるよう支援する事業で、地域包括支援センターでその人にあったサービスや相談を行います。介護保険で要介護認定をうけていない方が利用するサービスが用意されており、老人福祉センター、健康づくりセンターで実施するものや、保健師、理学療法士、歯科衛生士、栄養士が家庭訪問する相談もあります。

これらの事業は、おもに区役所や保健センターなどが広報し地域包括支援センターが窓口となっている事業であるために、病院ではなかなかこのチェックリストを用いた相談などが行われておらず、高齢者医療にくわしくない先生ではご存じでない方も多いと思います。(私もそうでした(^_^;))しかしこのチェックリストを実施することで、現在そのひとが抱えている問題を明らかにできる可能性があり、このことが介護保険の認定や老年者にみられる疾患の診断の手がかりになることがあると思います。

引用したチェックリストは白石区役所の作成によるものです。




投稿者副院長 蘆田 知史
「伊予国一宮 大山祇神社」 小野寺 康博
2017年09月05日
今年の7月の下旬に久しぶりに「夏に夏休み」を3日間取った。
西日本を襲った長期間の記録的な大雨の後でどうなることかと思ったが、関西空港から新大阪に出て新幹線に乗り、降りた広島県福山市は正真正銘の梅雨明けの真夏だった。

福山市駅前から愛媛県今治市行きの高速バスに乗って瀬戸内海の島々を繋ぐいくつかの大橋を渡って大三島にたどり着いたが、空には典型的な夏の積乱雲が陣取って鷹揚に出迎えてくれた。
元々、神社が好きで学会等の出張の折りにも時間が取れる時は近くの由緒ありそうな神社を訪ねてはいた。
綺麗に掃き清められた境内に足を踏み入れるといつも何かしら凛とした雰囲気が漂う中で自分の中の何かが整えられて行くような感覚に浸る。

この度、大山祇神社を訪ねたいと思ったのは2冊の本がきっかけだった。
1冊目は小林 秀雄の「考えるヒント」。そして、2冊目は森沢 明夫の「海を抱いたビー玉」。
「考えるヒント」の「平家物語」の一節に那須与一が来ていた鎧についての一文があったが、「萌黄縅(もえぎおどし)」という表現があったが若武者が好むタイプの鎧の色だというのは後で調べて判った。
興味が湧いたのは、小林が大三島の大山祇神社の宝物館を訪ねた際に目の前の甲冑が小林の心のうちで捕らえている「平家物語」という文学の姿そのままだという感じだと言う下りだった。
松岡 正剛が「17歳のための世界と日本の見方」の中で、「語り部」を「物語の専門集団」と表現しているのは面白いと思ったが、盲目の琵琶法師が「平家物語」のような長い長い物語を琵琶を伴奏しながらずっと語り継いで来れたのは盲目の人は聴覚と記憶力が極めて優れていたからではないかと推測しているのは更に鋭い指摘だと思う。

「平家物語」の文体は和漢混淆文と呼ばれ、和文調と漢文調とが交錯した雑然とした奇妙な文体だと小林は言うが、「平曲」が肉声で聞けなくなり「平家物語」という活字本を目で辿るようになってから使われ出した文体には違いないとも記載しているその小林は「奇妙な文体」から彼の心の中で琵琶法師の音声をある程度以上想像あるいは再現出来ていたのではないかと思ってしまう。法師の肉声をどの程度まで再現出来ていたかは定かではないとしても、往時の鎧の色のイメージを数百年という物理的な時間が経過した後の眼前の鎧のくすんだ色からでさえも源平の時代の情景を含めてありありと再現出来ていたのではないかと思い、自分もそのまねごとをしてみたいと強く思っての愛媛行きだった。
ちなみに、私の「平家物語(上巻、下巻)」は本棚に積ん読になったままだ。
宝物館の中は冷房がしっかりと効いていて蛍光灯に照らし出された鎧や刀からは一種独特の光彩が放たれているようだった。
鹿の皮をなめして色を染め丁寧に仕上げられた鎧の精巧な造りに嘆息しながら見入っていた。数百年前の屋島の海で身に着けていた鮮やかな萌黄縅の色は勿論、那須与一が放った鏑矢の音はついにイメージ出来なかった。

もう一冊の森沢 明夫の「海を抱いたビー玉」は、久しぶりにほのぼのとし、かつある種の切なさすら感じる読後感があったが、前半部分でやはり大三島の大山祇神社が出て来る。
メルヘン的な次元を越えて心に残ったのは「主人公」のいすゞ自動車のボンネットバスと神社の「三千年も生きて来た楠たち」との対話の下りだった。
樹齢が千年以上もあると思われる大木が御神木として神社の境内に存在しているのは有名な神社では珍しくはなく、むしろ「そういうところ」が神社という聖域になっているのだろうと考えていた。
我々人間が何千年の大木と表現するのは容易いことだが、ずっと生き続けて来て今もそこに存在しているということ、生き続けて来たということは成長し続けて来たという結果の大木なのだと考えると、まだ日本という国が文字として歴史に記載される以前から「そこに在った」存在そのものに畏敬の念を抱かざるを得ない。

伝え聞いた話によると、御神木にはむやみに触れないほうが良いとのことだ。柵などでしきりがあるのは、そういう理由なのかと考え直した。敬愛して少し離れて憧れ拝するので十分だと考えた。
日本の総鎮守である大三島の大山祇神社を訪ねる事が出来たこの夏はとても印象に残る夏だった。

投稿者副院長 小野寺 康博
「小谷アンディです」 代筆 小谷裕美
2017年08月29日
ボクは、小谷家のアンディと言います。ミニチュアダックスフントという種類だそうです。ただし、生まれつきミニチュアというには大きめの体のようです。
本名は、LAKE LEGEND JP'S BE AMBITIOUS (レイク レジェンド ジェイピーズ ビー アンビシアウス)といいますが、今までこの名前で呼ばれたことはありません。この夏、日本ハムファイターズは「HOKKAIDO be ANBITUIOUS」で頑張っていましたが、ボクの親戚ではありません。生まれは、2001年7月10日に兵庫県の芦屋というところで生まれ、1ヶ月くらいで旭川に引っ越し、サロマに住んでいた小谷家の養子となりました。






そのあと、2003年に札幌へ引っ越し。仮住まいだったので、ボクの居間の壁には汚れやキズ防止のシートがはってあり、他の部屋への自由な行き来ができない、不自由なところでした。ただし、近所の豊平川の河原に連れて行ってくれたときは、自由に走り回ることができました。






そして、いま住んでいる家に引っ越してきて、もう10年以上になります。家を建てる時に、居間の階段下にボク専用の部屋を作ってくれたので、そこを寝室にしています。
先日16歳になりました。人間でいうと80歳だそうです。毎日夕方には散歩に行くのですが、最近、長時間の散歩は少し体力的にきついです。テレビ前には、昼寝に最適な簡易ハウス(コストコとかいうところでもらってきたらしいです)が設置してあり、普段はここで家族の様子を見ながらくつろいでいます。もう一ヶ所、窓の下の暖房前にも休憩所がつくってあります。






さて、今日も一日、食べて、寝て、散歩して、寝よう。

投稿者副院長 小谷 裕美
「The 5th annual meeting of Asian organization for Crohn’s and colitis(第5回アジア炎症性腸疾患学術集会)に参加して」 折居史佳
2017年08月14日
本年6月16・17日に韓国・ソウルで開催されました第5回アジア炎症性腸疾患学術集会に参加して参りました。この学会は日本・韓国・中国が中心となり、アジアの炎症性腸疾患(IBD)の臨床・教育・研究に関する活動を行う組織です。第1回目の学術集会は2013年に東京で開催され、その後、年1回の集会を行っています。

今回の学術集会は3つの会場で、講演が約90題、ポスター発表が約350題ありました。韓国、中国、日本のほか、台湾、インド、トルコ、タイ、マレーシア、フィリピン、ロシア、からの発表もありました。

日本もそうですが、アジア各国でもIBDの患者さんが増えており、治療法、検査法などの発表、また、チーム医療についてのセッションもありました。

私は2014年の学術集会に続いて2回目の参加となり、当院での炎症性腸疾患における偽膜性大腸炎の合併についてのポスター発表をしてきました。日本からも多くの若い先生が発表されており、とても刺激を受けて帰って参りました。日本から発信したことが他国で生かされることがあれば良いなとも思いましたし、なによりも、自国の患者様によりよい医療を提供できるようひきつづき努めて行きたいと決意を新たにいたしました。

(学会場の写真)




(2015年安倍首相が訪韓した際に食事をしたというお店で、カルビチム定食を食べました)




(ラインフレンズストアでお土産を購入)


投稿者IBDセンター部長 折居史佳
「クロアチア」 佐藤 和生
2017年08月07日
昨年
セミナーで
クロアチアに行ってきました

街はきれいだし
物価は安いし
食べ物はおいしいし
治安もよいし
いいところでした



投稿者外傷センター医師 佐藤 和生
「『医食同源』って?」 紀野 泰久
2017年07月25日
「医食同源」ってテレビや健康雑誌でよく出てくる言葉ですが、実は日本でできた言葉だそうです。私も最近本で読んで知りました。東洋医学関係の言葉だと思っていました。

もともと東洋医学には「薬食同源」という言葉があります。唐代の『黄帝内経・大素』では「空腹ヲ満ストキハ食ト言イ、病ヲ治ストキハ薬ト言ウ」と書かれており、つまり食べ物はおなかを満たすときは食だが病気を治すときに食べると薬になるということです。周代では医者の最高位を「食医」といい王の飲食を管理し、その次が「疾医」(内科医)、「瘍医」(外科医)、「獣医」で獣医以外は食による治療を行った。東洋医学では「未病」という考え方があり病気になる前に食で治すという考え方があります。

さて本来の「薬食同源」ではなく「医食同源」が有名になったのでしょうか。1972年NHKの「今日の料理」で新居裕久医師がはじめて使ったようです。健康長寿と食事の主題で「薬食同源」の思想を紹介するときに「薬」では科学的な「薬物」のイメージがあるため「薬」を「医」に変えた「医食同源」という言葉を作ったようです。「病気になって薬を飲む前に毎日の食事で病気を防ごう」という考えが日本人の機微に触れたようで一気に広がりました。今では本場の中国に「医食同源」という言葉が輸出されています。

ただここ最近は「医食同源」が拡大解釈されているようで、これを食べれば病気にならないとか健康になれるという広告が多いと思われます(特に健康食品)。当然一つのものばかり食べると偏食になり、あるいはその食品に含まれるある成分が過剰になったりして逆に体調を崩したりするので、バランスの良い食事をしたうえで食するのが良いかと思います。

投稿者外科部長 紀野 泰久
「看護におけるからだの見方」 関山 伸男
2017年07月18日
薄井による「科学的看護論」は、看護学の存在を科学的に立証した。広い意味でも狭い意味でも他者、とくに病者に寄り添うことは科学的な裏づけに基づいた方法論によって支えられているとの慧眼は、看護学を科学の分野での学問体系にまで押し上げた。看護覚え書の著者であるナイチンゲールが表出した看護に対する思いは、ゆうに一世紀半を経過しているが、ひとつの身体が四肢を持ち、二つの目と耳を持ち、一つの口を持つ、等と言った人間の本質がはるか昔の人類の創世期から変わることが無かったように、看護も変わることなき普遍的な存在であることを感じさせている。医療の中での位置づけとして、薄井によって医学と双璧をなす学問体系として仕上げられた看護学は、ある意味では医学以上に科学的すなわち理論的な体系をなしていると言える。

看護学が医学とは異なった学問体系であるならば、当然のことながらからだの見方も医学とは違った見方が出来上がってくる。薄井はこの面でも早くからこれに気がついており、科学的看護論の実践を進める上でのからだの見方を二冊の本に纏めている。

医療の実践の中では、医師は医学に基づいて患者の病気に注目して治療をする一方、看護師は看護学に基づいて病気を持った患者のすべてに注目して看護をする、という分担ができあがってくる。看護のためのからだの見方とはどのようなものであろうか。
看護の本質とは“生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえることである”と定義している。このことを実践するには病気以外のからだの部分も正しく把握していなければならないことを意味している。すなわち看護を実践するためには病気の部分と他の部分の関係をきちんと理解していなければならないことも意味している。看護実践の際の“もてる力を引き出す”との言葉は、まさしく病気の部分の残された力とともに他の部分の力を活用するとの意味合いをも含んでいる。すなわち“看護における病気の見方”とは、病気の成り立ちの本質を知ることと共に病気の部分と他の部分の関連を理解することであるといえる。

病気の成り立ちの本質とはどのようなことであろうか。医学におけるたくさんの病気や病名は理論的に四種類の異常に抽象化できるということで、ひとつは運動の異常、二つ目は腫脹、三つ目は欠損、四つ目は増殖、である。一方、からだは多くの管腔構造から成り立っており、上記の4種類の異常は管腔の内面に発生する現象と捉えることができる。すなわち病気とは管腔内に発生する異常現象で、この異常を四種類に抽象化することによって、病名にとらわれることなく患者の病態を推察ことができることになる。

次に、病気の部分と他の部分との関連を理解するとはどのようなことであろうか。症状とは病気の際に患者の全身に出現する異常と言うことができるが、上記四種類の異常から直接症状を説明することは難しい。四種類の異常が臓器レベルの異常として記述されることは治療を目的とした医学の捉え方であるが、臓器の異常が分かってもなお全身にあらわれた症状を正しく説明することは難しい。臓器の異常は隣の臓器に異常を及ぼし、更に隣の臓器に異常を及ぼすと考えられるが、そのような異常の連関はそれらを包含する器官の異常として考えることができ、器官レベルの異常が直接に全身の症状と結びついていると考えられる。すなわち器官レベルでの機能の状態の把握が全身の病態の把握に直接連なっているといえる。器官についてはからだの中を六つの器官に抽象化すると考えやすい。①は感覚器と神経系を含めた統合器官、②は循環器官、③は呼吸器官、④は消化器官、⑤は泌尿器官、⑥は生殖器官、の六つである。統合器官は循環器官の血液のよって栄養され、血液は呼吸器官の酸素と消化器官の栄養素によって維持され、代謝された老廃物は腎臓から排出され、次世代は生殖器官にて育まれる、等といった関係にある。器官の捉え方としては単なる臓器の羅列ではなく、器官の中での各臓器の役割や働きを知っておくことが“持てる力”の把握に役立つと考えられる。消化器官であれば、入り口出口である口腔や肛門は随意の部分であって他は不随意であること、役割から考えて血液に栄養素を供給する小腸が器官の本質部分であること、その前後の胃は食物を溜めながら少しずつ小腸に送り出すという相反する働きを担っていること、大腸は残渣を溜めて水分を吸収して便を作るが、胃も含めて物を溜めるところには異常が発生しやすいこと、等が容易に分かる。また、小腸のような器官の本質部分が欠損すると生命維持には多大な困難を来す。

他の器官についても同じように役割と働きを理解した上で病気を持った人の病態を考えると、たとえば胃潰瘍と診断されて、腹痛があって嘔気を伴い、食欲が落ちている患者さんの病態はどのように考えることが出来るであろうか。胃潰瘍は四種類の病気の中では管腔壁の欠損と考えられるので、欠損した部分では胃液の浸透による腹痛が生ずるし、出血による血液は上部化管内の異物として感受されるために嘔気を生ずる。医師の治療としては胃液の中の刺激物質である酸分泌を抑制する抗潰瘍の投与と吐き気止めの処方がなされるが、それによって症状が治まったとしても潰瘍が直ちに治ったわけではないところに看護の出番がある。症状がなくなることは危険信号を遮断することであり、出血などの観察をさらに丁寧に行わなければならないことになる。食事が許されても食欲が無い場合には、胃潰瘍の存在が直接に消化管の機能を落としているのであれば食形態の変更等も考える必要があるし、病気に対する心配や不安が交感神経の機能亢進状態をもたらして消化管機能の抑制状態を招いているのであればこれに対応しなければならない。内視鏡検査の結果で潰瘍が瘢痕化して退院したとしても、貧血などの他の器官の機能低下がまだ回復していない状況がみられたり、潰瘍の成因が日常生活に起因するとすれば、これも看護の関わりを必要とする。

このように、看護に役立つ病気の見方は、看護学に基づいた看護の実践に役立つものでなければならないが、それには看護の実践に必要なからだの理解が、その病態を反映するものでなければならない。

もう少し詳しく知りたい方のために:
科学的看護論 第3版 薄井坦子著 日本看護協会出版会
ナースが視る人体 薄井坦子著 講談社
ナースが視る病気 薄井坦子著 講談社
器官レベルでの病態の把握 関山伸男 季刊「綜合看護」第41巻3号~第43巻3号

投稿者消化器内科部長 関山 伸男
「歯科口腔外科医の目線」 小野寺 麻記子
2017年07月03日
私は歯科口腔外科で仕事をしています。

歯医者さんを想像するかもしれませんが、歯科の領域でも外科的なこと、平たく言えば歯を抜いたり、歯茎を切ったり、できものをとったり….ということをしています。(たまに舌が痛い、顎が痛い、などもみますが…)

人付き合いする中で、歯科医であることを話す必要があった場合にはよく「やっぱり口元見ちゃう?」「前歯が差し歯だとやっぱり分かるの?」と聞かれることもありますが、それはあまり口腔外科の職業病には当てはまりません。

職業病なのかはわかりませんが、私は子供の外傷には非常に敏感になります。
私には小学生の娘がいますが、暴れん坊盛りのこの時期、毎日目が離せません。自転車でガタガタ道走ったり、ソファで飛び跳ねたり、お箸や歯ブラシ咥えたままふざけてたり、寝っ転がって歯磨きしたり…それが一歩間違うとどんなケガにつながるか。どんな治療が待ち構えているか、想像つくだけについ口うるさくなってしまいます。そして、「こんなことになるんだよ!」ということをおぞましく話してしまうので嫌われます(笑)。

一緒に遊んでいるお友達にも、風呂屋で他人の子を見ていても「あ、あぶないっ」と常にヒヤヒヤしている状態。当人にしてみたら「だーいじょうぶだって、こんなの」と言われてしまうかもしれませんが、真面目な話、お口のケガはとても辛いものです。食事する、話するなどの日常生活に直結する場所ですから。

不慮の事故はしかたないとしても、常日頃、危険予測をすることが大事なこと。子育てにおいては「未然に危険要素を取り除く、減らす」ことは過保護とは違って、保護者の義務だと思うのです。

とはいえ―
つい先日遊びにきた救急医の姉が、アイロンかけしている私の横を娘がうろちょろしているのを見て。「アンタね!こういう風にして子供がヤケドとかするんだよ!」と一喝されてしょげる私でした…目線が違えば気になるところも違うものですね。気をつけまする

投稿者歯科口腔外科医長 小野寺 麻記子
「ビール Beer Bier Biere」 黒川 泰任
2017年06月26日
札幌ではもちろん1年中ビールがおいしく楽しめます.
地ビールや大手各社の見学コース最後の樽出しビールは格別ですが,わたしのお気に入り3大ビールを紹介します.

1.ベルギーのHoegaarden
薄い黄色.日本では「フーハーデン」と,なぜか英語読みで知られていますが,北フランドル=南オランダのビールで,「フ-ハーデン」と発音します.小麦の白ビールで,コリアンダーの風味が心地よいのですが,ぎゅっと冷やしてレモンを搾って一気飲みします.

2.これもベルギーのAffligem
銅に近い金色.「アフリゲム」.900年以上続くゲント(ヘント)の修道院ビール.ペールエールで,適度な苦み,こくとフルーティーさが同居した,何とも贅沢なアルコール濃いめのビール.

3.ミュンヘンのAugustinerのLager Hell
明るい黄金色.バイエルン公国ミュンヘンのビールは世界一ですが,その中でも地元民のお気に入り1番のヘレスビール.さわやかなホップの香り.

どれも名前を聞いただけで飲みたくなります.
見かけたら,ぜひ味わってみてください.

投稿者脳神経外科部長 黒川 泰任
「アレルギー外来」 續木 康伸
2017年06月19日
アレルギー科は完全予約制で行っていますが、通院中の患者様の急な悪化はお電話頂き、担当医師がいるかご確認の上で受診ください。

全国でもアレルギー科は予約が大変混み合っています。関東、関西に転勤の際には、受診3~4ヶ月前のご予約をおすすめ致します。

投稿者アレルギー科医長 續木 康伸
「スリランカのカレーを食す」 杉浦 千尋
2017年06月12日
スリランカへは口腔がん予防プロジェクトのため、年に2回ほど訪問するようになって15年近く経ちました。ただ夜中に到着してその朝には移動、検診と始まり、帰国当日の午前中まで検診は続き、夜中の便で帰国するというタイトなスケジュールのため、訪問回数は多くても、観光地のことは余りよく判りません。ただ、場所は何処であれ、食事はしないわけにはいかず、スリランカのカレーはよく食べています。正しくは、カレーしか食べていません。日本ではカレーライスかライスカレーかで話題になることがありますが、スリランカではライス・アンド・カレーと呼んでいます。

スリランカのカレーと言えば、スープカレーと思っている方も多いのではないかと思いますが、実際は随分とバリエーションがあります。まず、メイン(炭水化物)となるものでは、お米、粉物、麺等あります。米(ご飯)だけでも白米、赤米、匂い米と色々と種類があり、その料理の仕方も、普通に水で炊いたもの、ココナッツミルクで炊いたもの、ブリアーニといってインド風のピラフのようなものといろいろあります。粉物ではクレープ風のホッパー、その真ん中に卵の入ったエッグホッパー、小麦粉の鉄板焼き風ロティ、タミール風ドーサ。麺風では米粉をそうめん風にしたストリングホッパー、変り種としてはマカロニ、食パンもカレーで食べることがあります。

カレーの具は混ぜて料理されることはなく、1種類のみで、それを複数混ぜて食べることになります。具の種類はチキン(骨付きぶつ切り)、チキンレバー、ビーフ(硬い)、フィッシュ(煮干し、鯖のぶつ切り、モルディブフィッシュ(鰹節)、鰹のぶつ切り、その他川魚、何でも)、海老、ジャガイモ、インゲン、オクラ、ドラムスティック(モリンガの実)、ジャックフルーツ、ニンニク、ダール(レンズ豆)、カンクン(空芯菜)等ほとんどなんでもありです。具も違えば、ベースとなる香辛料もそれぞれで違うため、これが朝昼晩と3食続いても飽きることはありません。

こんな具合に毎食消費していくわけですから、日本のカレーのように煮込んで一晩寝かしておくということはありません。
それに必ずつく付けあわせが、玉ねぎ、ライム、唐辛子を和えたカッタ・サンボル(鰹節フレークの和え物)やポル・サンボル(ココナツフレークの和え物)。さらにおまけにパパダン(餃子の皮のから揚げ風)やから揚げ唐辛子がつくこともある。

カレーは小ぶりの容器に入って出てきて、スプーンが添えられています。これらをを平らなプレートに盛ったメイン食材の上にかけて、それを右手でお好みに合わせて混ぜて食べることになります。

現地の人たちを見ていると、チキンの骨も魚の骨も器用に右手の指だけを使用して選別除去し、本当によく捏ねてから食べています。そんな現地の人たちが綺麗に上手に食べるのには秘密があります。それは比率です。スープカレーですから、山盛りのご飯(メイン)に本当にスプーン2・3杯程度を加えるだけです。それを3,4種類。日本の感覚でカレーの比率を上げると、ただでさえパサパサなご飯がスープでさらにパラパラになってしまい、上手に指先でまとめられません。基本的にメインの炭水化物をたくさん食べるためで、カレーはあくまでも和えるため、香りをつける程度にして、とにかく捏ねることがコツのようです。ですから、食べ終わった後のお皿の上にはカレー(スープ)が残ることなく、指の跡が残るだけです。現地ではテーブルクロスが敷かれ、ナイフ、フォークが出てくるようなレストランでも現地の人は素手で食べています。旅行者でも素手で食べれば、現地の人たちとの距離感は一気に近くなります。

日本人はお寿司は手で食べるのが当たり前で抵抗感はないと思いますが、カレーを手で食べるとなると、意外とハードルが高く感じるのではないでしょうか。
皆さんも一度思い切って、自宅で右手だけで食べてみてください。慣れてくると、カレー屋さんに行っても、手で食べたくなるかもしれません。

投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「40」 谷澤 和之
2017年06月06日
歳です。まだ39ですが今年ついに大台に乗ります。
若かりし頃40歳と言えばもっと大人のイメージだった気がしますが、そのイメージとかけ離れた自分にびっくり。
それはさておき中年デビューに際して今年はなにか新しいことでもしようと思いました。

まずはマラソン…あ、フルはさすがに無理なのでハーフですがどこかで参加してみるつもり。
ただこれでは普段しているジョギングの延長なので、もう一つ山登りも計画中。道具はある程度揃えたのであとは週末の天候次第。今週末行けたら初チャレンジの予定。熊に会いませんように。

あと色々考えてますがどこまで実行できるか。
暖かい地域でマリンスポーツってのもいいなあ~

老けないようにこの一年大事に過ごします。

投稿者眼科部長 谷澤 和之
「アクアリウムのススメ」 小笠原 卓
2017年05月30日
相変わらず生き物と共存する生活を送っている…。

昨年の春はカナヘビを2匹越冬させられず失ってしまった。その失意も癒えぬまま、日々をなんとなく過ごしていたとき、昨年7月に大通公園の祭りで子ども達が金魚を6匹すくってきた(正確にはオマケでもらってきた)。お祭りの金魚と言えば“すぐ天に召される”生き物の代表である。僕は帰宅した子どもそっちのけで、すぐさま初心者用の水槽を買い、手厚く飼うことにした。
幸いこの金魚達は、生命力もあったためか、たどたどしい初心者の水質管理を物ともせず、たくましく生き延びた。そして今、6匹全て体長8?10cm程まで巨大化し、水槽内の水草を食い荒らし、一部の金魚に関しては、餌をやれば、餌だけでなくこちらの手を喰いちぎろうとするくらいに凶暴化している。多分もう屋台の金魚すくいの網ではすくえないだろう。

皆様にオススメしたいのは、このような荒々しい金魚ではなく、コリドラスという種類の淡水熱帯魚だ。初心者でも飼いやすく、最低限の水質と水温を確保すれば、金魚とも一緒に飼うことができる。生存性も高い。元々は金魚の飼育を第一に、近くのペットショップに足繁く通っていたが、次第に他の淡水魚に心を引かれるようになり(恐らくここまでがアクアリウム初心者のテンプレ)、最終的にコリドラスに心を奪われるようになったのだ。奥さんは呆れ顔でこう言う「いったいどっちをメインに飼っているの?」と。結局現在は、コリドラス・パレアタス(通称青コリ)2匹、コリドラス・ステルバイ3匹、コリドラス・ジュリー3匹に、金魚4匹(2匹は里子に出した)、ヒドジョウ2匹、スジシマドジョウ1匹、ミナミヌマエビ3匹が水槽の中で共存している。



上写真は (愛しの)コリドラス・ステルバイ
アクアリウムは奥が深い。昨年の7月の時点では水槽の種類さえも、一体何があるのかわからなかったのだが、今は、水槽の立ち上げ、濾過装置の種類・しくみ、水質・水温管理、水換えの頻度など一般的な淡水アクアリウムのやり方は会得した。ただし初心者だったため遠回りをしながら学習していき、よけいにお金がかかった。つい最近LEDライトを購入し水槽上部に装着した。夕食時は愛しの魚達がライトアップされ、竜宮城さながらの舞いを披露してくれる。その姿をみていると、浮き世の疲れが何となくとれる。

そしてふと、こう思う。「次はどの魚を増やそうかな…」と。

投稿者小児科医師 小笠原 卓
「電子カルテシステム更新に向けて準備中」 加藤 久晶
2017年05月22日
もうすぐ病院の電子カルテシステムが更新されます。
新しいシステムは現状のシステムにおける改善希望点が反映されるため、今以上に使い勝手の良いものに変更されていきます。

私自身は昨年当病院に入職したばかりで現システムを覚えて間もないので、せっかく覚えたシステムから早々に新システムに変更させられていくことには少なからず戸惑いもあります。
とは言え一人抗うことも出来ませんので、新しいもの、特に機械に関して今一つ積極的になれない私も、必要にせまられてシステムの練習をしています。

ちょっと大げさな話になりますが、そもそもパソコンを使うようになったのも、十数年前に勤務した病院が電子カルテを導入していたため、強制的にパソコン操作、キーボードを打つという作業に慣らされました ( もっともその頃は、カルテはパソコンで記載して、検査結果などは紙で配布されてくるなど電子カルテと紙カルテが併用運用される時代でした )。

さらに今にして思えば携帯電話にしても、研修医の頃勤務した病院が昼夜を問わず呼び出しの多い病院であり、連絡手段として携帯電話を持つことを半ば義務付けられてのことでした。
仕事での使用は日々のことであり、知らず知らずのうちに「それなりに」使いこなしていけるようになり ( 携帯電話にしてもパソコンにしても、その能力の 3% 程しか活用出来ていないと思いますが )、改めて「慣れ」ってすごいなと思います。

現在新しいシステムを病院職員全員で習得中です。
私が主に勤務する救急外来は限られた時間との勝負という場面も時にはありますので、そのときに「コンピューター入力」という壁に阻まれないよう、しっかりとシステムを勉強して準備をしたいと思います。

投稿者救急科部長 加藤 久晶
「勧誘」 東 直樹
2017年05月17日
通常、体調の悪い緊急性のある患者さんは午前中に来院することが多い。平日の午後の外来は午前中と異なり、悩ましい主訴を持つ患者さんが少なくない。以前勤めていた市立M病院のことである。

「体がだるいのです」と40歳代の女性。
「今日、朝から○○病院、××病院、・・に受診してきたのですが、改善しないのです。」
「○○病院、××病院、・・と市内&市外7か所の病院にかかってきたのですか?」
「そうです」
「(物理的に無理だ!)問診で、T症でないと思ったが、精神科に行ってくれるかな・・?」
「眠れますか?」
「眠れませんので、睡眠剤をほしいです」
「なら、睡眠剤処方のプロの精神科に相談するとよいですよ」
「そうですか?」
「紹介状を書いておきますので、受診してください」
2週間後、「紹介状の返事を持ってきました。」返事にはやはりT症であり、今後当科でフォローアップしますとのこと。
「調子はどうですか?」
「よくなりました」と笑顔で返事をしている。
「薬が合ってよかったですね。今後は精神科のM先生に診てもらってくさい」と笑顔で終診となった。悩める患者さんがいて、このようなことを数回繰り返していた。

ある日、市立M病院の医局全体の歓送迎会で、座った席の周りにたまたま(?)精神科の医師たちが座っていた。当時精神科の医師は市立M病院分院にあり、分院に往診に行かなければ医局全体の歓送迎会でしか会うことはない。
「東先生こんにちは」
「こんにちはM先生。いつもお世話になっております」
「こちらこそ、いつも紹介をいただきありがとうございます」と満面の笑顔である。
「ああ、あの噂の東先生ですが、いつも紹介をいただきありがとうございます」と精神科のY部長が満面の笑顔で、「こういう機会がなければ会えませんね」
(噂の?)
「噂とは?」
「最近、分院の医局で、一人では、なかなか精神科外来の受診のハードルが高く、受診してもお話ししてくれなかったり、再び来なかったりすることが少なくないのです」
「そんなものですか?」
「家族や親族に連れられてくる人が多いのですが、一人で受診する人が多くないのです」
「へえー。そうなんですか」
「東先生から紹介される人は、緊張しないで素直にお話してくれるので助かるとお聞きしています。」と満面の笑顔でY部長が答える。
「先生の話し方が上手だと思われます」(なんか褒められている?)
「ところで、うち(精神科)に来ませんか?」
「え?」
「うちの同門でも、札幌医大内科から転向した先生がいますので・・・」
(あながち冗談と思えない・・?)
「うちの同門のS先生のことですか?」
「知り合いですか?」
「先輩です」
「SLEの精神症状が出た患者さんの時は、内科的にも精神科的にもコントロールが不可能だったので、大変苦労しお世話になりました。」とY部長が満面の笑顔で答える。
「ところで、うち(精神科)に来ませんか?東先生はセンスがある。」と周りの精神科の先生は微笑み返しをしている」
「胃カメラのできる精神科医もいいですよ」と冗談には聞こえない・・?
「機会があれば・・?」と言葉を濁す。
「待ってますよ」と言われて別れた。

後日、上司のK副院長にこのように言われたことを話してみたら、
「おまえは担がられているんだよ。騙されているんだ。それとも転向するのか?精神科はよっぽど、人がいないのかなー」と一笑されてしまいました。
「いえ・・・?」
しばらく、夢にも出たのだが・・・?瞑想していると思い出すことがある。
「あれはどういう意味だったのだろう??」

投稿者消化器内科部長 東 直樹
「オペ場詩人」 長尾 知哉
2017年05月08日
「酒場詩人(厳密には俳人であり詩人ではないのだが)」吉田類の会に行った。わたしは酒をほとんど飲めないし、飲まないので会場でもウーロン茶オンリーである。400人くらいの人がメシ食って、吉田類と乾杯するだけの会である。それだけでは本当にグダグダなので、最近はある市町村の食材でコースが振舞われ、その地にちなんだ俳句コンテストが行われている。

その日のテーマは平取町、俳句のお題は「平取町」、「トマト」であった。ゆっくりと考えればよいと思っていたが臨時手術でオペ場(業界では手術室のことをこう呼ぶ)に呼ばれた。俳句どころではなくなってしまった。

手術は終わり句を考えるも平取とトマトがピンと来ない。あわててネットで平取町のページを開く。日高にある人口5000人程度の町。沙流川が町に注ぎ二風谷はアイヌ文化の拠点。スズランが群生する幌尻岳。寛政11年創建の義経神社。源義経が奥州から北方へ逃れたとされる義経伝説の地が平取である。義経はこの北の地で風に吹かれるスズランを眺めなにを想ったか。などなど「ネット吟行」をしていたら、義経のまとう緋縅は「ニシパの恋人」で有名な真っ赤に熟れたトマトの色そのものだった。

締め切りぎりぎり投句し吉田類と乾杯。会の終わりはいよいよ結果発表。奇をてらった句から思わずうなる句まで優秀作が発表されていく。サイン本からホテルの食事券まで賞品もさまざま。そしていよいよ最優秀作。

義経の 緋色まといし トマトかな

酒場詩人とオペ場詩人がパークホテルのステージで邂逅したところで会はお開きとなった。

投稿者外科医長 長尾 知哉
「バイリンガル」 松井 裕帝
2017年04月25日
以前からずっと,語学力を身に付けたいと思っており,色々試しては挫折を繰り返していたのですが,最近Podcastの『バイリンガルニュース』という番組を聴いて学んで?います.

この番組は日本人の女性(マミさん)と日米ハーフの男性(Michaelさん)が様々なジャンルの時事ネタ(政治,環境問題,宇宙,医療,etc.)を紹介(マミさんが日本語で,Michaelさんが英語でそれぞれ記事をスピーチしてくれます.)し,それに対するコメントを二人が英語または日本語でコメントするといった番組です.リスナーの中には爆笑問題のお二人や,今をときめく最先端の研究者やタレントさんもいらっしゃるとか!!

自分の英語リスニング能力が低いため,なかなか聞き取れないことも多いのですが,医療系ネタは単語がいくらかわかることもあり,割と聞き取れたり,内容が理解できることが多い気がします.他のジャンルはなかなか聞き取れず,悔しい気持ちがするのですが,割と飽きっぽい自分が半年以上も継続してほぼ毎日聞いています.日課のような感じになっています.

英語の勉強もさることながら,いろんなジャンルのネタを日本人目線ではなく,欧米人目線で紹介してくれるため,日本の政治的なネタも違った感じで聞くことが出来てなかなか楽しくなってきたような気がします.

バイリンガルというと,日本語と英語など2カ国語を完璧に使いこなしているような人達と考えがちですが,番組内でも日常会話が何とか出来ることで十分と彼らに言われると,何だかとても敷居が低くなった気がしてきます.勝手に英語を完璧にはさせなければ喋ってはいけないなどと,敷居を高くして自分を苦しめていたようです.自分のおイマイチ文法の英語も機会があれば,積極的に話してみないとね!と思う今日この頃です.

投稿者外傷センター医長 松井 裕帝
「お産難民」 名和 正行
2017年04月10日
この原稿の締め切り間近だが、ここ2週間ほど分娩が多く毎晩の様に泊まり込んでおり、特に面白いネタも考えつかない。近隣の同業者が閉鎖した影響だろうか最近の忙しさは初めての経験だ。

地方で「お産難民」が問題化して久しいが、大都市でも他人事ではなくなってきている気がする。安全最優先でがんばろう。
投稿者産婦人科医長 名和 正行
「ランニングは身体にいい?悪い?」 金田 眞
2017年03月21日
CK 14,342U/l
具合の悪そうな患者さんの血液検査をしてこの数字を見ると、間違いなく焦ります。
この数字は、自分自身が2015年のサロマ湖100kmウルトラマラソンを走った翌日に血液検査をした結果です。CKは筋肉が壊れたときに上昇しますが、正常値がせいぜい200くらいなのでとんでもなく高いことになります。

大学を卒業してからというもの全く運動せずに20年近くたっていましたが、2012年からランニングを始め、フルマラソンも何度か走っていたので100kmもきっと走れるだろうという根拠のない自信のもと、ウルトラマラソンにエントリーしたのでした。

朝5時にスタートし50kmくらいまでは大丈夫でしたが、後半の50kmは地獄で足が痛くて痛くていつ棄権しようか、と思いながら走ったのが忘れられません。13時間の制限時間ぎりぎりでなんとか完走はしましたが、ゴール後は歩くのもままならず、次の日は仕事をしたものの体調がいまいちで、血液検査をしたところこの数値でした。他には肝機能も悪化・・・。1週間後にはほぼ正常化しましたが、いかにウルトラマラソンが身体に負担がかかるかを証明したようでした。

これに懲りたはずだったのですが、のど元過ぎればなんとか・・・今年のサロマ、エントリーしてしまいました。定員が3550名で先着順なのですが、全国にはちょっとドMな人(?)が大勢いるため、いわゆる「クリック合戦」が繰り広げられます。ネットがなかなか繋がらずにエントリーできない人もおり、今年も申込み開始から30分足らずで定員に達しました。

全国各地で開催される人気のマラソン大会はすぐに定員に達します。東京マラソンはあまりに人気で競争率10倍をこえる抽選を突破しないと出場できません。健康維持、レース完走、ベストタイム更新など、目標はいろいろと思います。ランニングを日課としているかた、またこれから始めようと思っているかたにひとことだけ。

身体にいいのはある程度までのようです。

お前が言うなと言われそうですが、身の丈に合った距離、ペースで楽しく走りましょう!

投稿者小児科医長 金田 眞
「収斂(しゅうれん)進化」 成田 光生
2017年03月13日
皆さんはエビとカニとどちらが進化した生物であるか,ご存知だろうか.そんなこと知らなくても寿司は美味い,と言わずに少し考えてみてください.(この間10秒)

ずばり,エビが進化したのがカニである.すなわち中生代白亜紀(約1億年前)にはすでに今のエビと完全に見分けのつかないエビが出現しているが,カニの出現は新生代第三期(約6000万年前)頃である.カニをひっくり返して見ると腹の部分に,‘褌(ふんどし)’と呼ばれる蛇腹状の構造がある.これがまさにエビの尾に相当する部分で,すなわち水中を泳いでいたエビが,何千万年もかけて尾を腹の部分の裏側にしまい込むように進化して,水の底を歩けるようになったものが,カニである.

なぜそんな面倒くさいことをしたのか?それは(カニに聞いてみなければ分からないが)たぶん,外敵から身を守るためである.単純に考えて,水中に全身をさらして泳いでいるよりは,底を這って岩陰に隠れて身を守る方がよほど効果的である.それが証拠に,タラバやタカアシのように巨大なカニは存在するが,巨大なエビは存在しない.大きくなったとしてもせいぜいイセエビ程度であるが,彼らは水中を泳ぐのではなく,まさに岩陰に隠れて生活している.ではなぜ横に歩くのか?これも(カニに聞いてみなければ分からないが)たぶん,その方が狭い隙間にもぐりやすいからである.ちなみにカニの正式な分類は,節足(せっそく)動物門(どうぶつもん),甲殻(こうかく)亜門(あもん),十(じゅっ)脚目(きゃくもく)(エビ目),短尾(たんび)下目(かもく)(カニ下目)となっており,やはりエビからカニが分かれたことを示している.

それでは,こちらは結構有名な話であるが,毛ガニやズワイガニと,タラバガニや花咲ガニはどこかが微妙に違うということはご存知だろうか.そんなこと知らなくても寿司は美味い,と言わずに少し考えてみてください.(この間10秒)

ずばり,毛ガニやズワイガニは正真正銘の‘カニ’であるが,タラバガニや花咲ガニは,‘カニ’という名前は付いているが実は節足(せっそく)動物門(どうぶつもん),甲殻(こうかく)亜門(あもん),十(じゅっ)脚目(きゃくもく)(エビ目)-ここまでは‘カニ’と同じだが-その次が異尾(いび)下目(かもく)(ヤドカリ下目)に属する‘ヤドカリ’なのである.ここでヤドカリがカニと最も大きく違うところは,ヤドカリはその名のとおり貝の殻を借りなければ生きていけないのと,「縦に歩く」ことである.つまりヤドカリは,そこら辺に普通に落ちている貝の殻以上には大きくなれない-それじゃあ,つまらない-ということで,脱皮によりいくらでも大きくなれる殻を自分で作り,岩陰に隠れやすいように横歩きもできるようになったのが,タラバガニや花咲ガニなのである.そこで気づいてみると,その姿は毛ガニやズワイガニとそっくり同じものであった,というのは決して偶然ではない.

このように,もともとは別の生き物が環境に適応して生き残るために進化した結果全く同じような形態にたどり着いたことを「収斂進化」と呼ぶ.他に収斂進化の代表例としては,T‐レックスとゴジラが挙げられる(なわけないだろ).ちなみにタラバガニは,外見は8本脚であるが,腹の中にあと2本の脚があり(だから十(じゅっ)脚目(きゃくもく)),横だけでなく縦にも歩くことができるなど,エビやヤドカリから進化してきた名残をちゃんと持っている.

ふーん,でも結局,「そんなこと知らなくても寿司は美味い」...ちゃん,チャン.

投稿者小児感染症部長 成田 光生
「剃刀(かみそり、ていとう)」 斉藤 琢巳
2017年03月06日
断っておくが、私がカミソリのようにキレる男だという話ではない。今回は愛用しているカミソリのハナシ。

私は髭が濃い。そして電動カミソリが嫌いである。もっぱらカミソリで剃るのだが、かなり長いことG社の三枚刃を愛用していた。この刃、切れ味がよく、肌がつるつるになるので愛用していたのだが、小生の髭が硬くて太いせいなのか、2~3回の使用で切れ味が落ちてしまい、血だらけになってしまう。しかも替え刃が結構いいお値段で、一個250円くらいする。なんとかならないものかといろいろ探していたら、いいのがありました。メスでおなじみ国産F社のカミソリが。

その名も「サムライエッジ」。大好きなバイオハザードに出てくる拳銃と同じ名前ではないか。早速サツドラ、ツルハへ探しにいくが、取り扱いなし・・・。あちこち探して結局イオンでget。後で判ったが、サンドラッグにも取り扱いがありました。早速使用してみると、深剃り感はG社に及ばないものの、及第点以上はある感じ。そしてなにより驚くのはその耐久性。平気で数ヶ月持ちました。今までの替え刃代は何だったの?くらいの耐久性です。カミソリにお金がかかるなぁという御仁や、旦那のカミソリ代が高いなぁなどと思っている奥方に大変お薦めです。国産だし。なんといってもF社製なので、気分は執刀医!

投稿者外科医長 斉藤 琢巳
「冬の通勤」 宮城 登
2017年02月20日
私は病院には地下鉄を利用して通勤しています。自宅から地下鉄駅までは徒歩10分位です。夏場はほんの散歩にもならない距離で問題はありませんが、冬になると度々難渋することがあります。今年の様に真冬日が続くと、歩道の雪はカチカチの氷となり、滑らないようにゆっくり歩く必要があります。

一応、歩道には滑り止めの砂が撒かれていますが、場所によってムラがあり、途切れているところがあるので常に足元を確認しながら歩くことを余儀なくされます。さらに、最大の難関は横断歩道です。発進時のタイヤの空転によって磨き上げられたミラーバーンは最も歩行に注意を払う場所と考えています。したがって、私は冬には歩行者信号が点滅を始めた場合には、その横断歩道には進入しないで停止し次の信号を待つことを信条としています。先日も、小走りで横断歩道に突入した学生が転倒したのを目撃したばかりです。

一方、気温が上昇すると雪はとけてザクザクの湿雪となり、所々に水たまりもでき、それもまた歩きにくいものです。地下鉄の運行は天候にかかわらず正確ですが、歩行速度の低下は否めません。その分、早めに家を出るようにしてはいますが、時に乗車予定の電車が発車するのを駅の階段から眺めていることになるのは楽しいことではありません。

投稿者整形外科部長 宮城 登
「虫垂炎になってしまった」 片田 竜司
2017年02月13日
つい先日、虫垂炎になってしまい、手術をするはめになってしまったので、そのときのことを書こうと思います。

数日前から、なんか体調がわるく、だんだん腹痛も強くなってきたので、詳しく検査してみたら、なんと虫垂炎でした。虫垂炎はそんなに珍しい病気ではなく、誰もがなる可能性はあるので虫垂炎になったとしても、なんら不思議ではないのですが、いざ自分がなってみると、「まさか自分が」との思いが強く、なんかはずれくじを引いたような気分でした。

考えてみれば、生まれてこれまで大きな病気もしてこなかったので、「本格的」に病院にお世話になるのは、初めてのことで、よく知っている内科の先生の診察に始まり、造影CT検査、麻酔、手術など初めてのことだらけで、麻酔から覚めるときの寝起きと少し違った妙な感覚とか、術後の大変さとか、患者さんの気持ちが少しは理解できた気がします。わたしの場合、腹腔鏡手術だったので、術創はおへそに小さな傷があるだけなのですが、術後はこれがけっこう痛くて、腹筋を使う動作がつらく、咳やくしゃみなんかしようものなら最悪です。また、今回の経過中、食事がほとんどとれなくなってしまったことで低栄養になってしまったらしく、血液データに思いがけない異常値がでてしまいました。まあ、よくいわれることですが、今回いろいろ経験してはじめて健康であることののありがたさが思い知らされました。それにしても虫垂なんてほんの10センチ足らずの、しかも消化にはほとんど関与しない、どうでもいいオマケみたいな臓器のくせに、ここまで体調をくずされるとはおそるべしです。

その後は、順調に回復し数日の入院ののち、今は元気に仕事に復帰できています。お世話になった先生方、病院スタッフのみなさま、本当にありがとうございました。

投稿者放射線科部長 片田 竜司
「肺癌学会に参加して」 伊藤 喜代春
2017年02月06日
昨年の暮れにひさしぶりに、肺癌学会に出席する機会があった。

開催地が、北九州の博多でもあり、20年以上ぶりでもあり、楽しみでもあった。12月の19日から21日まで開催されが、寒い北海道と違い北九州は、心地よい暖かさで観光地にも行きたい気分になったが、そうも行かず、ホテルに向かった。そのホテルは、その当時、新聞、テレビでにぎわした駅前どおりに面した地下街が崩落した場所にあった。何か不安な感じがしたが、滞在時は、何もおこらず、一安心した。

ここ十数年程は、肺癌患者さんの診断には関わってきたが、呼吸器科一人になってからは、治療には関与せず、ほとんどの患者さんを北海道がんセンターに紹介している。その故、肺癌治療の最先端の診断、治療がどこまで進んでいるのか、興味津々であった。

近年の肺癌治療は、画期的な展開をみせている。従来の抗癌剤と違って分子生物的薬剤としてイレッサが開発されて以来の薬剤である。免疫チェックポイント阻害であるオプジーボである。この薬剤は、最初は、皮膚癌(メラノーマ)の治療薬として1995年に開発されたが、その後、肺癌、腎臓癌に適応を広げている.治療効果は、従来の抗癌剤と比較すると5年生存率は、20%程、高くかなりの治療効果がみこめる。しかし、数回投与して完治するわけでは無い。2週間に1回点滴するが、患者さんが亡くなるまで治療を継続する。最近は、胃癌の治験も始められているようだ。

この薬剤は、従来の抗癌剤と違って正常細胞を破壊すること無く、癌細胞のみを破壊する。その作用機序は、かなり複雑である。重篤な副作用としては、間質性肺炎があるが、慎重に投与すれば、致命的な問題は避けられるようだ。
問題は、この薬剤が、高価格であることである。オブチーボは、100mg73万円で体重60キログラムの患者さんが、1年間使うと薬剤費は、約3500万円になる。オポジーボは、やがてやってくる超高額薬時代の入り口にすぎない。将来、社会保障費の高額薬剤の比率が上がってくると国民皆保険制度が、崩壊することにもなりかねない。

投稿者内科医師 伊藤 喜代春
「銀杏と中毒」 大島 美保
2017年01月30日
 秋深くなると平地でも紅葉が美しくなり、犬の散歩も楽しみになります。今シーズンは降雪もはやく、赤や黄色に白が映えて目の保養でした。公園のイチョウ並木では、近所のご夫婦なのかレジ袋片手に仲良く銀杏を拾っている姿が微笑ましい感じでした。

 イチョウの実、銀杏は鮮やかな黄色でサクランボみたいに丸くて可愛らしいのに、一種独特の悪臭を放つため、その季節になると周辺は『ん?』と眉をひそめたくなる空気が漂います。私の子供の頃は自宅の石油ストーブの上に金網を載せて殻ごと煎ることもありましたが、臭いし不味いし全く好きになれませんでした。それなのに、年を経るとどうしてこうも嗜好が変わるのでしょう。焼き鳥屋で塩焼きをみつけると注文し、茶碗蒸しにはアクセントとしてなくてはならないと感じるようになりました。

 しかし、食べ過ぎは禁物!銀杏を多量に食べると中毒症状が出るので注意が必要なのです。銀杏には、体内で補酵素として働くビタミンB6と構造が似る物質が含まれていて、それがビタミンB6の作用と競合するために、結果として脳内伝達物質のGABA産生を抑制し、嘔吐、意識障害、けいれんを引き起こすようです。なんだか難しい話になりましたが、食用なのに食べ過ぎると中毒になるのですね。その中毒量は小児で7?150個、成人で40?500個ということです。しかし幅があり過ぎ!?で、なんだか気になります。少し調べてみました。一歳児が20?50個食べて痙攣発症が数例、引きこもりの20代男性が50個で痙攣、50代男性が150個を酒の肴にして痙攣、などの症例報告があり、昔は死亡例もあったようです。あの癖のある実を、幼児がよくそんなに食べられるものだ、と驚きますが、体の小さい小児にとって危険なのは納得です。年の数以上は食べないようにした方が無難です。ちなみに加熱しても毒性はかわりありませんのでやはり注意が必要ですね。

 本格的な冬になってからは、銀杏もひと雪ごとに落下していきました。時々落ちていないかチェック!10個も拾えたら大収穫でちょっと嬉しい。我が家では一人10個まで、と決めて塩焼きにして楽しみました。

投稿者小児科医師 大島 美保
「海」 城田 誠
2017年01月23日
私は小樽の生まれで小さい頃は海のすぐ近くで育った。幼少期はかけっこで1分。夏は毎日、家から裸足でとびだし海へザブンと飛び込んだ。祖父が漁師であったため祖父母や母も毎日海へ行くから、私が海へ毎日行くのも当然だった。おかけで4歳の頃には浮き輪なしで泳いだり潜ったり。

その後小学校入学前に祖父母宅から引っ越したが、やはり海までは10分。少年野球をしていたが、夏休みは練習のあと毎日海へいって汗を流す??のが日課だった。中学生になっても海水浴。

高校生になると毎日海には行かないが、家から2-3分歩いた小高いところからは毎日海を眺めることができた。

大学に入り旭川へ。さすがにこれだけずっと海の近くにいたので、海のない町へ行くとしばらくは落ち着かなかった。たまに小樽にかえると海があり安心できた。

大学を卒業して札幌へ。さすがに研修医は忙しくあまり海にはいけない。夜にドライブでたまに見る程度。

その後沖縄にほど近い離島医療を2カ所で経験することができ、また海が身近にあった。一つ目の離島は妻と暮らし、二つ目の離島では長男も一緒だった。南国の海は北海道のそれとは違い非常にきれいだった。やはり海と潮の香りで心がおちつく。

我が家では妻も息子も娘も皆南国好きである。今までの家族旅行のほとんどは南の海だ。家族は単に南国が好きなのだろう。私は南国の雰囲気も好きだがやはり海がおちつくのだ。

またいつか海の近くに住みたい。潮の香りと心地よい波の音に囲まれて。

投稿者外科医長 城田 誠
「雪道は大変」 木村 雅美
2017年01月16日
道路幅は半分、ツルツル滑って、はい渋滞。事故でも起こると大渋滞。

で、今シーズンはいきなり大雪だったりしたので、とくに大変。札幌の除雪は、かなり頑張ってくれているとは思うのですが…う~む。車の通勤では所要時間が読めない!交通量が少ない、もっと早い時間に通勤すれば良いのだけど、早起きしたくない!

結果、ちょっとだけ早起きで地下鉄通勤しています。地下鉄駅に行くのが大変だとか、面倒だとか、いろいろ不満はあるかもしれないが、いつも定刻通りの運行が何より有り難い。地下鉄を導入した先人に感謝するのみですね。

札幌オリンピックが契機だったと記憶していますが、当時の人口を考えて十分な利用者数を見込めないと赤字を予測した運輸省(現・国土交通省)が難色を示したとか。どうやら、赤字が続いた時期もあったらしいが、もう地下鉄無しでは札幌の交通網は考えられない。将来を見据えたプランって大切ですね。もう少し延伸しないかな?とか、環状にならないのかな?とか、勝手な想像もしていますが、とにかく雪の影響を全く受けないのがすばらしい! と感じます。

あっ、そう言えば一度だけプチ雪害の経験がありました!私が大学生の時、東西線に乗っていたら止まったことがありました。なんでも大雪と風?で送電が途切れた、とか車内放送された記憶があります。20~30分だったかな~???でも、基本的は雪に強い唯一の交通手段ですな。

と、絶賛して、自分を納得させて、明日も地下鉄通勤です(きっと)。駅まで歩いて運動にもなるし、前向きに考えよう…。

投稿者外科部長 木村 雅美
「歳とともに、時間の流れが早く感じられるのはなぜか」 倉田 佳明
2016年12月26日
2016年ももう終わりです。毎年この時期には、1年って早いなぁと感じます。と言いますか、どんどんと1年が短くなっているように感じます。歳とともに、時が経つのが早く感じられるのは、皆さん同じではないでしょうか。

調べてみますと、ポール・ジャネ(Paul Janet)というフランスの哲学者が、この現象を説明しており、ジャネの法則と呼ばれています。

「時間の心理的長さは年齢に反比例する」

例えば、10歳の1年と比べて、50歳の1年は5倍速く感じるということです。確かに、10歳の子供にとっての1年はそれまでの人生の10分の1を占め、とても長く感じるのでしょうが、50歳にとっての1年はそれまでの人生の50分の1に過ぎず、短く感じるというのも分かる気がします。子供のように新たに経験することが多いと、たくさんの出来事があったと感じて、時間が長く、逆に毎日同じような生活で、新しい経験がないと、時間が短く感じられるのでしょうね。ジャネの法則が科学的に正しいのかどうかは知りませんが、なるほどと納得できる説だと思います。

私は大学を卒業してから、20年になります。医師として働くのは、せいぜいあと20年くらいでしょうか。半分が過ぎました。でも残りの半分は、今までの半分よりも短いでしょう。時間はないんですね。いろいろと頑張らないと。

投稿者外傷センター長 倉田 佳明
「22日」 三浦 美文
2016年12月19日
禁煙推進学術ネットワークでは毎月22日は「禁煙の日」としています。これは、数字の2が白鳥(スワン)に似ている事から、スワンスワン(吸わん吸わん)で禁煙を、との事です。札幌徳洲会病院も10月より、毎月22日を「札幌徳洲会病院 禁煙の日」としました。皆さんも、22日が来たら少しでも喫煙や受動喫煙の害について意識して頂ければと思います。詳細については禁煙推進学術ネットワークのホームページにアクセスしてみて下さい。

昔(私が子供の頃)、周りにはタバコを吸っている人が多く、祖父はキセルで刻みタバコ、父親も祖母も親戚のおじさんもおばさんもタバコを吸っていました。小さい頃、夕食の時はあぐらをかいた父親の膝の中に居り、タバコの煙の中(副流煙の中)で食事をしていたようなものです。小学生になると、よく近くのタバコ屋(自動販売機はない)へお使いに行かされたものでした。お金を握りしめながら走ってタバコ屋へ行き「おばさんショートピース2つ下さい」。今では考えられない事です。豆腐屋へ豆腐を買いに行くのと同じ感覚でした。いつしか時は過ぎ、親父は心筋梗塞で入院したのを期に禁煙しました。今度は私自身がタバコを吸うようになりました。何も考えていませんでした。友達も皆吸っていたし、二十歳になったらタバコを吸っても良いのだと思っていただけですから。

大学生の頃は、普段からの付けが回り試験前にはタバコを買いに行く時間も惜しむほど追い込まれ、シケモク(一度消したタバコを再度吸うこと)しながら机に向かっていました。仲間とはタバコの煙ムンムンの中で徹夜マージャンをしていました。ショップ(ショートホープ)はちょっとシブいとか、マイルドセブンは皆が吸っているから無くなったときに便利だとか、缶ピースは缶を開けた(蓋に付いている爪を少し内側にずらして、ぐっと押し込みながら回すと蓋のアルミがとれる)時の香りが良いとか、金が残り少なくなればゴールデンバットがあるとか。

卒業後は大学の講座に残りました。医局員の多くは喫煙者で、一年目の当番に、医局会での灰皿出しと後片付けもあったくらいですから。ある日、同部屋の先輩と禁煙しよう(どうしてそうなったのか覚えていないが)という事になりました。その頃から夜の咳き込みも多くなっていたので良い機会でした。意地の張り合いが始まりました。その先輩が吸うのを見てから「俺の勝ちだね」って言いながら顔にタバコの煙を吹きかけてやろうと頑張っていました。しかし敵もさることながら、いまだに吸っていないので私も禁煙中です。喫煙歴は10年ほどでした。今考えると、どうして禁煙できたのか分かりませんが、飲みに行く回数が減ったこと、パチンコに行かなくなったこと、マージャンをやらなくなったことが良かったのでしょうか。現在、我が家ではタバコを吸う人はいません。 

最近、東京オリンピック・パラリンピックを見据えて受動喫煙防止の強化策なるものが検討されています。日本は禁煙に関しては遅れているそうで、現在行われている分煙は効果が上がらず時代遅れとも言われています。他のオリンピック開催国と同水準とするために法制化まで検討しているようです。もしそれが成立すると、公共の場では喫煙できなくなり、それに違反した場合は罰則が適用される可能性があります。また、飲食店内が禁煙あるいは喫煙場所を別に設置しなければならなくなれば、小さなお店は死活問題になるとも言われています。先日の忘年会での3次会、このお店に喫煙場所を作る事はできないなと思いながら飲んでいました。

愛煙家には肩身の狭い話ばかりですが、喫煙は単なる嗜好だけでは片付けられない事が問題です。今月も間もなく22日が来ます。タバコの害について少しでも意識してみてはどうでしょう。当然ですが、札幌徳洲会病院は敷地内全てが禁煙になっています。

投稿者歯科部長 三浦 美文
「階段登りとカントコトロ(講堂)登山」 岡 敏明
2016年12月12日
食後の血糖値上昇が血管障害を進行させ、認知症の発症や心筋梗塞など、様々な病気に関与する、と言われている。また最近、スタンフォード大学から「階段を1段上がる毎に、平均4秒、寿命が延びる」ことが報告されている(らしい)。このため、朝食後、昼食後には毎日、病院8階にある「カントコトロ」(講堂)まで、登り降りしている。さらに人目がない時には、ダッシュや屈伸運動も加える。知らない人が見たら、かなり怪しい行動と思われるかもしれない。

病院8階のカントコトロの近くには2か所、眼下に札幌の市街や山々、空などを一望できる見晴らしの良い場所がある。それぞれ、第1展望台、第2展望台と勝手に名前を付け、日々眺望も楽しんでいる。
病院外でも、駅やビルの中、競馬場などで階段を見つけると率先して登る。ただ千歳空港のJRと出発フロアーまでの階段は長く、途中に休みを入れないと、かなり苦しい。しかし、ここでも必ず数名は階段を登っている仲間がいて、心強い。ということで、足腰に問題がない方は、ぜひ普段から階段登りを心がけ、実践されることをお薦めしたい。急がず、ゆっくり、それぞれのペースで。

ところでカントコトロの意味は、アイヌ語で「天空の湖」とのことです。確かに、8階講堂横の「展望台」から眺める空や山々は、それぞれの季節、天候で違った色合いを見せ、心が癒されます。当院に来られた方は、エレベーターを使ってでも登頂され、天空からの札幌の四季を、是非楽しんでみて下さい。

投稿者小児科主任部長 岡 敏明
「ポケモンGOやってみた。」 片田 竜司
2016年11月28日
7月の配信以降、社会現象にもなったポケモンGO、スマホゲーム未体験の中年男が試しにやってみた結果、みごとにはまってしまいました。ポケモンGOに関しては賛否両論で、マイナスの側面については、ながらスマホによる交通事故などおおくのメディアなどで取り上げられているように、問題点はいくつかあるとは思われますが、今回は、プラスの側面について、ポケモンGOを実際にやってみて感じた点を書いてみたいと思います。

ポケモンGOは、ゲーム内においてポケストップというものがあり、そこでアイテムなどがゲットできます。このポケストップがこの近辺では、公園に設定されていることがおおく、必然的に公園に行く回数が増えるわけなのですが、そこでリスやキツネなどの小動物や植物などの自然にふれあう機会が増えたことが、自分にとって非常に良かったと感じました。とくにリス(エゾリス?)は動物園かペットショップに行かないと見ることができないと思っていたので、公園とはいえこんな住宅地に野生のリスがいるなんてちょっと感動しました。バーチャルな世界のポケモンを探していたら、リアルなリスやキツネに遭遇したわけで、なんとも変な感じがします。ちなみに、リスに出会った公園は、かげろう公園、厚別公園陸上競技場で、キツネは大谷地神社ウラのサイクリングロードです。ポケモンGOを始めなければ、これらの場所にはなかなか行く機会がなかった訳で、いい想い出になりました。さすがにもう雪が降ってしまいましたので、今シーズンは終わりにしようと思いますが、また来シーズン、リスに出会える日を楽しみにしたいと思います。

投稿者放射線科部長 片田 竜司
「結婚式」 中川 麗
2016年11月21日
この時期になると、大学生時代、忘年会で出し物をするように先輩から言われて頭を悩ませたことを思い出す。「悲しいとき~」と次々ちょっとほろ苦いepisodeを披露し笑いをとる芸人さんのネタを真似させていただいたことがある。あれからすでに20年近く経つという事実にびっくりだが、「悲しいとき~」はいつも幸せの絶頂で起こりうる。

先月、私たちの秘蔵っ子ドクターが結婚した。みんな浮き足立って、「悲しいとき~」が繰り広げられた。

「悲しいとき~ 結婚式で職場のおっさんとおばさんが張り切って歌うとき~」
最初は、おばさんのソロ、その後、おじさんのソロ、しだいにおばさんがハモリはじめて、少しずつ主旋律をおばさんがもらい、おじさんがハモリ、彩る。その歌を暖かく包み込み、ペースを作るのは、副院長のピアノ。
どうしても、お祝いの気持ちを表現したかったのよ、許してね。それぞれの勤務が許すタイミングと場所を求めて、あちこち奔走、最後は毎晩のように丑三つ時に練習したんだよ。

「悲しいとき~ 結婚式にスピーチを準備しないできた上司が結婚式そっちのけでずっと台本作ってるとき~」
こだわり星人の求めるレベルが高かったもので、歌の練習が厳しすぎて、寝る時間もなかったの。36時間寝てない状態で参加だったのよ。式そっちのけでずっと台本作ってたけど、ずっと二人の幸せを願ってた2時間だったの、わかってね。
会場に着いて初めて披露宴最後の挨拶だって知って焦ってたのよ。お父様のご挨拶の後でどうしようか、冷や汗よ。そして、お父様のご挨拶は感動的だったじゃない?言葉や話した内容というより、その込められた気持ちに感動した後だったから、緊張したのよ。

「悲しいとき~ 結婚式で職場のおばさんがブーケを奪って帰ったとき~」
恥ずかしいから、参加しないって言ったのよ。でも、司会の方に、さあ、中川先生も参加してください。ってアナウンスされてしょうがなかったのよ。で、みんなが遠慮してポトっと床におちたブーケ、実習に来てくれたことがある先生が拾って、義理でくれたのよ。別に拾ってとって来いとか、私がとるから、みんなだめ。とか言ったわけじゃないのよ。

ごめんね、秘蔵っ子。愛情の示し方が上手じゃなくて、困ることも多いだろうけど、心からおめでとう。言い訳にしか聞こえないかもしれないけれど、歌いながら、思ってました。こうして、ソロだったそれぞれの人生が、ハモリはじめて、一曲の人生が奏でられてゆく。その人生の一部かも知れないけれど、こうして札幌徳洲会病院として、支えられることは幸せだし、共にすごせて感謝してます。二人で美しい曲を紡いでいってください。すばらしい人生を。

おめでとう!

投稿者プライマリー科医長 中川 麗
「プライマリー科の御紹介」 田辺 康
2016年10月05日
私は札幌徳洲会病院のプライマリー科に所属しています。プライマリー科とは耳慣れない名前ですね。名付けの親は前院長の森先生です。要は 『よろず科、総合診療科』、門戸を広く開いて出来るだけ色々な患者さんの入院のお世話をする科なのです。

医療には外科とか内科とか、更には内科でも消化器内科とか循環器内科とか科目を細分化し門戸を狭くして其々の科の扱う疾患を制限してきた歴史があります。患者さんを細かく疾患によって仕分けして担当する科に振り分ける事で、専門性の高い医療を効率よく実施出来るという考え方ですね。

しかしながら、患者さんによってはその仕分けが旨く行きません。例えば、病気を一種類では無くて何種類も抱えていた場合には、はて、どの科が担当するのか悩ましい。また、病気はすぐに診断がつくとは限りません。現代の医療をもってしても診断まで数週間を要することは稀ではありません。その診断が付くまでの間、どの科が担当しましょうか。それから、そもそも病気と言えるのか、グレーな患者さんも居るのですよ。お酒を飲みすぎて具合が悪い人とか、単なる老衰と言える人だって、一人暮らしで寂しいだけの人だって救急車に乗ってやって来ます。

そういう、どの科が担当するべきかハッキリしない患者さん達を誰が、どの病院が診るのでしょう?
病院が1つしかない様な田舎なら、他に行きようが無いのでその病院が診るでしょう。
でもここは札幌です。病院はたくさんあります。そこへ持ってきて医者は収入に恵まれやや忙しい仕事です。 「面倒な患者は他所へ回してしまえ、誰かがきっと診てくれるだろう。」 そういう心理が働きがちです。事実、札幌市とその近郊の救急隊は、そういう 『面倒そうな』 患者さんの受け入れ病院を見つけるのに大変な苦労を払っています。いわゆるタライ回しに遭うからです。

徳洲会病院はそういうタライ回し患者さんの受け皿になるべく頑張っています。24時間医療の質を落とさずに診療する為に、ほぼ全職種が当直しています。医療以外の様々な問題をお手伝いするソーシャルワーカーや地域連携室が強力です。救急外来のスタッフは気持ちを奮い立たせて、厄介そうな患者さんを受け入れます。『ゴミ屋敷の中に、し尿にまみれて意識朦朧とした独居老人が倒れていて、足も折れていそうです。』 そんな報告を救急隊から受けても 『待っていました』 とばかりに。

そうやって救急車で来られた患者さんの実に多くが, プライマリー科に入院しています。
ここでは白衣の天使達(今時は白衣の王子達も混じって)が本当に頭の下がる献身的な看護を繰り広げているのです。

プライマリーという単語には「基本、第一」という意味が有りますが、常に医療者としての基本理念を貫く事がプライマリー科に冠せられた使命だと思っています。 言うは易し、行うがは難しですが。

ー病院の第一の条件は患者に害を与えないことであるー   フローレンス・ナイチンゲール

投稿者副院長 田辺 康
「ヒットポイントと経験値」 蘆田 知史
2016年09月27日
この1?2年自分の年齢を感じることが多くなった。白飯もたくさん食べられなくなったし、関節もあちこち痛い。車のハンドルも重くなってきた。ゲームでいえば、敵を倒して経験値を稼いでも、ヒットポイント(HP)が増えなくなった老騎士や魔法使いというところだ。ゲームの世界ではこのようなキャラクターは、主人公がまだほやほやで若いときには助っ人として役に立つ。しかし物語の後半では、成長した若いキャラクターにとって変わられ、後方でお呼びがかからない生活を送るのである。
医師になってからの経験は、大学病院生活の長かった私にもじわじわと溜まってきた。重症の患者さんには第6感が働くことも多くなった。臨床経験というのはバカにできないものだなと思う。しかしゲームと同じで、老キャラはよっぽどちゃんと勉強しないとレベルが上がらない。医師というのはやっかいな仕事である。


ファイアーエムブレムのジェイガン
知っている人は極めてまれ

投稿者副院長 蘆田 知史
「ハーメルンの笛吹き男」 小谷 裕美
2016年09月20日
1284年、ドイツのハーメルンに、色とりどりの布で作った服を身につけた男がどこからかやってきて、お金をくれたら、町が困っているネズミを退治しますよ、と申し出たそうです。町の人々がそれを約束したところ、ネズミ捕りの男は笛を取り出し、吹きました。すると、町中の建物からネズミが出てきました。ネズミたちは男にぞろぞろとついて行き、町外れにあるヴェーザー川の中に入り、すべて溺れてしまいました。約束通りネズミを退治してくれたにもかかわらず、町の人々は男に金を払いませんでした。男は一旦町から立ち去りましたが、その年の6月26日、再び赤い帽子に狩人の格好をして現れました。男が笛を吹くと、今度はネズミではなく町中の子供たちがでてきました。そして、町のすべての子供が男の後について、東の門から出て行き、山を越え、どこかへ消えて行きました。二人の子供だけが、男について行くことができず、町に帰ることができました。子供達は男についてほら穴に入っていき、ほら穴を内側からふさいでしまった、とのことでした。この日、合計130人の子供が町からいなくなり、二度と帰ってくることはなかったそうです。(グリム童話より)



ドイツの北部、ニーダーザクセン州に、人口5.6万人ほどのハーメルンという都市があります。有名な、メルヘン街道の途中にあるこの町には、本当にあったことに基づくといわれる、ネズミ捕り男の物語があります。日本では、笛吹き男となりますが、原語では、Rattenfaenger(Ratten=ネズミ、Faenger=捕捉者)で、ネズミ捕り男(の物語)、となります。そしてハーメルン市は自らを、Rattenfaenger Stadt、ネズミ捕り男の都市、と、称しています。1976年、私は、幸運にも、ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の交歓学生として日本の高校生3名のうち一人に選ばれ、4週間のドイツ滞在を経験することができました。アラスカのアンカレッジ空港経由で、20時間以上かかってアムステルダムに到着。そこからケルン・ボン空港へ飛び、案内役のドイツ人高校生、モーリシャス、アイスランド、カメルーン、トルコ共和国、エジプトなどから来ていた高校生と合流しました。はじめの2?3日のことは、時差ボケで記憶が欠落していますが、1週間の首府ボン滞在ののち、ハーメルンでの2週間のホームステイ、1週間のミュンヘン滞在とハーメルン滞在中のベルリンへの旅行が予定されていました。ハーメルンについての事前の知識がほとんどなく、町に着くと、「ネズミ捕り男の都市ハーメルン」、と書かれており、意味がよくわからぬまま市庁舎を訪問。市長から歓待を受け、ネズミ形のパンとネズミのリアルな実物大ぬいぐるみを頂戴しました。そのときもらった市のパンフレットを読み、ようやく上記の伝説を知り、由来に納得しました。市内には、「1284年、聖ヨハネとパウロの記念日。6月の26日。色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に、130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった」と記された、1300年頃のステンドグラスがあり、史実をもとにした物語だろうと想像されます。滞在中、日曜日には、市の中心部で行われるネズミ捕り男の劇を観ることができました。現在でも、春から秋までの毎週日曜日にはこの劇が行われているとのことです(写真)。ハーメルンに滞在したのは、日本人3名のほか、アイスランドの2名、モーリシャスの2名、カメルーンの2名の高校生でした。アフリカ人、日本人は、当時、この町では珍らしかったらしく、どこへ行っても好奇の目で見られていました。特に、ふつうにドイツ語を話す東洋人(日本人)が珍しかったようです。このときの経験が、いまでも思い出深いものとなっており、今回、リレーエッセイでハーメルンのことを紹介させていただくことにしました。

引越しや、部屋の片付けの折などに、ドイツ滞在の資料や、このときドイツで買ったみやげなどが出てきます。また、10年に一回くらい、ハーメルン市長にもらった、妙にリアルなネズミのぬいぐるみが荷物の中から登場し、おお、こんなところにいたか、とびっくりさせられますが、最近見かけなくなっています。あのネズミ、そろそろ出てくる頃かな。納戸の片付けでもしてみるかな。

投稿者副院長 小谷 裕美
「T型人材」 小野寺 康博
2016年09月12日
話は、「100年の難問はなぜ解けたのか」という本から始まる。
このエッセイのテーマとの関連性があるとの印象を持って、あくまで私論として私の感想と観想を試みようと思う。
その難問とは、世紀の難題である「ポアンカレ予想」のことだ。

「単連結な3次元閉多様体は、3次元球面S3に同相である」
専門外の一般人には全く意味不明な内容だが、言い換えると「この宇宙空間はドーナツ(の表面)状ではなく、球面状である」ということになるらしいが、これでも良く理解出来ない内容だ。この宇宙の構造を決定する数学的な問題なのだろうという大雑把なレベルでの理解でも導入部分としては十分だと思う。
1904年にアンリ・ポアンカレによって提出されたこの数学上の難問は102年後の2006年にロシア人数学者グレゴリー・ペレルマンによる証明が確認され、決着がついた。

では、ペレルマンはこの難問にどのように挑戦したのだろうか?
「問い」が在るところに「答え」があるはずだが、その問題を解くためには「考え方」という方法が必要になる。問題解決のための「武器」と表現したらゲーム感覚で捉えた場合には更に刺激される表現かも知れない。
その武器として当時有力視されていたのは、位相幾何学(トポロジー)だった。
対象の「形」のみを議論するための新しい言葉として大数学者オイラーが創始し、ポアンカレ自身が強化した「考え方」だ。そう、「武器」とも表現し得る。
数学の主流である「多様体」研究(ポアンカレ予想もそのひとつ)の最強武器とされ、ほとんどの数学者達はトポロジー研究の先に「ポアンカレ予想」の答えがあるものと考えていた。というより信じていた。
ところが、ペレルマンはその難題に別の武器で攻め込んだ。

数学では傍流であった「特異点空間」の視点と「物理学」的な手法だった。
彼はその二つの専門性をどのように身につけたのだろうか?
ペレルマンは幼少期から数学や物理学の才能に秀で、生地ロシアで英才教育を受けた新進気鋭の数学者であった。
ソ連崩壊と共に26歳で渡米したが、どうしたわけか多くの有名大学からのオファーを全て断って3年でロシアに戻った。
その間にリチャード ハミルトンによる微分幾何学である「リッチフロー方程式の利用」という新しい手法に出会ったのだった。この聞き慣れない方程式は、物理学の超基礎とも言うべき熱方程式に似たものらしい。
彼は、ロシアに戻った後も秘密のうちに「ポアンカレ予想」の研究に没入した。
そして、7年後の2002年に「ポアンカレ予想」の証明に?がる画期的な論文を発表したのだった。

ペレルマンは、問題解決の方法の中に二つの専門性を駆使して史上最大級の難問を解き明かしたのだった。「T字」を一歩進めた「Π(π、パイ)字型人材」になり得た希有な存在なのだと思う。
ここで二つの「問い」を設定してみたいのだが、一つ目の問いは、彼が如何に自分の中に「二つの専門性」を持つに至ってΠ型人材となったかの経緯は冒頭でその一部を述べたが、これこそが彼の極めて優れた素質の上に蓄積された努力の結果として得られた着眼点でもあり開花した業績のプロセスであったに違いないと考える。今後、この難問への別な解法が現れる可能性がゼロでは無い事を期待しつつ、ペレルマンの解法の数学的な美しさの程度に関してはこの際問わないことにしたい。
私が注目したいのは、むしろ二つ目の問いである。
このエッセイのテーマにも?がる結論的な部分かも知れない。
彼の論文発表から「予想」から「定理」へと最終確認のための検証を他の数学者達が4年間をかけてどのように行ったのかという点だ。

検証を可能にした彼らのその検証へのアプローチこそが「T型人材」の真骨頂を発揮した結果と考えると、私は個人的なペレルマンの天才性もさることながら、むしろワクワクするものを後者に感じる。
そして、T字の縦線が専門性を示し、横線が他の専門性を有する人と?がる手と腕だと表現し得るなら、検証した数学者達は横線を強力に張れる「T型人材」であり、トータルではΠ型と同等以上の検証がなせたのだと考える。
横線を、力を入れないで長時間他のT字と?がる形での肘を下に曲げた形と想像すると、T字をひっくり返すと「山」になる。裾野の広さがその山の高さを保証する基礎ならば、そういった安定感のある横線同士が肯定的な意志の下に?がった結果は「山脈」かと勝手に想像しては独り悦に入る。
このような山脈が各界に現れて来ると期待しつつ、自分自身も今は低いながらも環の一部を構成する山となりたいと思いながらこのエッセイを終了したい。

投稿者副院長 小野寺 康博
「『ザ・ベストテン』ノスタルジー」 辻 英樹
2016年09月07日
 つい3か月ほど前,ふらっと立ち寄った本屋で『ザ・ベストテン』(ソニーマガジンズ)という本を見つけ,迷わず買ってしまった.『ザ・ベストテン』・・・そう,30年ほど前に放送されていた久米宏と黒柳徹子司会のあの人気歌番組について書かれた本である.何しろ全盛時には平均視聴率35%前後だったとのことだから,おそらく40歳を過ぎた方であればこの番組を見ていない人はいないのではないだろうか.私は昭和44年生まれの47歳.昭和50年代に小中学時代を過ごし,大の歌謡曲好きだった私は,この番組を見るのが本当に楽しみで楽しみで仕方なく,毎週木曜夜9時が今か今かと待ち遠しかったものだ.

 さて,この本,当時この番組のプロデューサーであった山田修爾さんという人が書いたものである.2008年の発行だからちょっと古いけれど,番組の企画段階から,中継時の裏話(生放送!),当時の歌手との交遊や黒柳徹子との対談もあり読んでいてとても楽しい.そして極め付けは昭和53年から平成元年までの12年間(全603回)の全ベストテンランキングである.「SACHIKO/ばんばひろふみ」「道化師のソネット/さだまさし」「愛はかげろう/雅夢」「Ya Ya(あの時代を忘れない)/サザンオールスターズ」「瞳はダイヤモンド/松田聖子」「雨音はショパンの調べ/小林麻美」「悲しみにさよなら/安全地帯」・・・口ずさんだだけで修学旅行の風景とか,一緒にいた友達とか,家族との時間・・・などがさっと頭に浮かぶから,小児期の記憶,そして歌の力というのはすごいものだ.

 私が欠かさず見ていた昭和54年~58年くらいまでのベストテン曲はほとんど歌う事が出来る.我が病院の手術室では有線放送を聞くことが出来て,看護師は気をつかってくれるのか1990年代の曲をよく流してくれる.もちろん1990年代もよく音楽を聴いたから嬉しいのだけれど,1980年代,いやいや1970年代の曲もよく知っていたりする.曲に合わせてつい鼻歌を歌ったりすると物珍しい目で見られるから、かなり控え目にはしているけれど・・・.
 「ノスタルジー」と書くと「昔はよかった」みたいで,それだけでもう自分はオッサンの域に突入しているのだが,きっとのんびりした良い時代だったのかな,とも思う.インターネット,携帯電話はもちろんこの世に無く,ビデオデッキ(CD,DVDではなく!)ですらあまり普及していない時代.夜には家族全員が1台のテレビに向かって同じ番組を見ていた,そんな時代.一緒に見ながら親父に「こんな歌どこがいいんだ?」なんて言われたものだけど,当時の歌はオヤジになった自分が今聞いてもいい歌が多いと思う.歌謡曲もニューミュージックもそしていわゆる当時の「アイドル」もみんな「ザ・ベストテン」に出て,どの曲も「名曲」として今もテレビやラジオで流れていたりする.やっぱりノスタルジックな気分になってしまうのも仕方ないよ,と思う.

 「歌は世につれ,世は歌につれ」と言うが,歌の素晴らしさは時を思い出させてくれることにある.耳にすればその当時の事をまざまざと思い出すことが出来るものだ.ほろ苦い思い出もあるけれど,多くは楽しかった思い出だ.この世知辛い時代,そんな過去を時に思い出して笑っていたいし,何時の人生も友達と歌とよい思い出(体験)があればいつでも前向きに生きていけるだろう,とすら思う.今現在流行りの曲もあと5年や10年もたてば「名曲」と言われ,誰でも懐かしい思い出と共に蘇ってくるに違いない.

投稿者副院長 辻 英樹
「ポリフェノールって」 紀野 泰久
2016年08月31日
 『買ってはいけない』という本を覚えていますか。十数年前にこの食品には何々という添加物が含まれており発癌性があるといったことで脅かし、結構話題になりました。私も結構、影響を受けていましたがいつからか「これじゃ食べるものがないぞ」ということで気にしなくなりました。しかしこれ以降コンビニ弁当などに保存料(ソルビン酸など)の表示が消えていきました。そのかわり保存料ではなく、アミノ酸とかpH調整剤という表示がされるグリシン(これは日持ち剤としても有用です)が使われるようになりました。『買ってはいけない』は2014年に10巻目が出ているようですが、ここ最近またこの種の添加物が入っているから危ない系の本が売れており、またその反対本もうれています。

 その中でここ最近の話題は機能性表示食品。トクホ(特定保健用食品)は含まれている成分の保健効果が実際の科学的な実験データで検証され審査されるのに対し(国からのお墨付きがある)、機能性表示食品は含まれている成分の安全性と科学的根拠を示せば国の審査、認可の必要がない。誰かがその成分に関して論文を出していたら、それがひどい論文であろうと機能性表示食品として売られてしまうので注意が必要です。健康被害があっても国は補償してくれないかも。

 トクホ、機能性表示食品で多いのはおなかの調子を整える難消化デキストリンですが、結構多いのはポリフェノール。健康に良いということでワインがいいとかチョコレートがいいとか話題になり、私もあまり考えず体にいいものとしか認識がありませんでした。なんか植物のあく成分、色素なのかなぐらい。ポリフェノールという言葉の意味もあまり考えてなかったのですがある本でポリ=たくさんの、フェノール=ベンゼン環(化学でやったでしょう、炭素が六つくっついて六角形になったやつ)に水酸基(OH)がついたもの、と分かりなるほど。今5000種類ほど見つかっているとか。その中で有名なのは目に良いアントシアニン、お茶に入っているカテキン、大豆のイソフラボン、ゴマのセサミン他色々。トクホ、機能性表示食品以外の健康食品の宣伝も目につきます。テレビ、ラジオ、最近は新聞。インターネットする人なら自分で検索するのでここに引っかかるパターンが多い。広告ではいかにもその成分が効いたように書いていますが、「これは個人の感想です」とか「学術的に報告されています」といって論文の出典が記されている。論文はあるがいい加減なものかもしれないが、読めてもある程度専門知識がないと判定できない。効果がはっきりしたら食品ではなく薬になってしまうので過大な期待は持たないようにした方がよいとおもいます。コンビニなどで売っているサプリも取り過ぎ(健康「食品」なので服用の目安しか書いていない)には気をつけましょう。

投稿者外科主任部長 紀野 泰久
「調和」 三浦 美文
2016年08月22日
 調和とは、全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。と出ています。

 現在、リオのオリンピックで寝不足の人も多い事でしょう。調和と言えば、シンクロナイズドスイミングのマーメイド達の一糸乱れずの演技には目を見張ります。日本のチームも健闘して銅メダルを取りました。圧巻なのは、やはりロシアの演技でしょう。フリーでは99点を越え、満点をつけるジャッジもいたそうです。水上の演技もさることながら、時折映し出される華やかな水上の演技を支える水中の動きがまたすごいものです。水上に飛び出すために、矢倉のような陣形が組まれ一気に上の人が飛び出します。しかも、プールの底に足を付けずにあんなに高く飛び出るなんて信じられません。
 
 咬み合わせも調和がとれていることが大切です。その調和をみだす歯の接触関係には、上下の歯が接触していないこともそうですが、早期接触や咬頭干渉というものがあります。早期接触とは、上下の歯を咬み合わせずに下顎をリラックスし、その状態からゆっくり閉じて行く時に一部の歯だけが当たり、さらに咬み込むと顎がずれるような接触のことです。咬頭干渉とは、上下の歯を咬んだ状態で下顎を前や左右に歯を滑らせるように動かす時にスムーズな動きを阻害する接触のことです。下顎を前に動かすときには前歯が、左右に動かす時には動かす側の犬歯(糸切り歯)が中心となって誘導するのが良いとされています。特に、前に動かす時には奥の方の歯だけ、左右に動かす時には動かす側と反対の奥歯だけで誘導している状態は注意が必要です。咬み合わせの調和を乱す原因となる早期接触や咬頭干渉があると、必ずではないですが歯や顎の関節や顎を動かすための筋肉に症状が出る場合があります。例えば、それらの接触がある歯がしみたり、咬むと痛かったり、ぐらぐらしてきたりします。また、顎の関節がガクガクしてきたり、顎を動かす時や咬んだりする時に顎の関節や筋肉が痛くなったりもします。もしそのような接触や症状がある場合には一度歯医者さんで確認してもらうと良いでしょう。本当なら、かかりつけ歯科を作って定期的に咬み合わせも確認してもらうのが良いと思います。何故なら、咬み合わせは変化するからです。
 
 バランスのとれた食事を取るためにも咬み合わせは大切です。咬み合わせのみならず、心身ともに調和のとれた状態でいることが健康の秘訣と言えるでしょう。

投稿者歯科部長 三浦 美文
『8月15日』 中川 麗
2016年08月16日
幼稚園で一番好きだったのは、母の歌とうさぎちゃん。
 小学校で垣間見て圧倒されたのは、版画や絵画の世界。
 中学校で夢中になりむさぼり読んだのは、冒険物語。
 高校で日本を飛び出して知ったのは、母国の美しさ。
 大学で泳ぎ始めて知ったのは、学問の奥深さと恐怖。
 働き始めてやっと感じはじめたのは、
 今をつくり出した歴史への畏怖の念。

 恥ずかしながら、私は、目の前のことに没頭し、自分勝手に生きてきた。視線の先には、常にその時々のマイブームしかなく、なかなか空を見上げることもせず、隣にいる人すら大切にし損ねてきた。比較的海外との接点が多い人生だったにも関わらず、本当の意味では世界に目を向けることもなく、歴史への理解もない。本物の社会人や国際人にはなれていない。
 それは不器用だからだと思っているが、もしかしたら、問題の本質は、臆病がゆえに頭をもたげて周りをみる勇気が無い事にあるのかもしれない。

 しかし、恵まれた人生ではある。素晴らしい出会いが多く、豊かだ。特に、一生懸命生きる人との出会いが多い事に感謝したい。私は足元にも及ばないほど、頑張って生きている人達だ。そういう一生懸命生きる人達と共に過ごす時間は、格別である。
 彼らは、歴史や世界を理解する勇気と能力を持ち、常にそのアンテナを張り巡らせている。地球の上で自分が担う役割を感じながらも、目の前のことに集中する強さを持っている。歴史上、終戦の日であったり、解放記念日であったり・・・さまざまな呼び方をする特別な日、8月15日の重さと意味をそれぞれの感情をもって抱きしめる。その上で、彼らはいつもとかわらない。黙々と目の前のことを大切に、一生懸命、力強く生きる。

 娘達と孫に目を細めた日であり、
 熱を出した認知症の母親を救急受診させた日であり、
 眠い目をこすりながら診療した日であり、
 戦地から無事に帰って同士と語り合った日であり、
 酔いが覚めて読み直し、息子の成長に驚いた日であり、
 その驚きとねぎらいをラインで送った日であり、
 尊敬する父の言葉が何より嬉しかった日である。

 最近、思う。もしかしたら、彼らはこうして、一筆一筆、丁寧に人生を描いてゆくアーティストなのかもしれない。

 世界の平安を願う言葉が書けるほどの視野と思慮を、私は持ち合わせていない。でも、いつか彼らのような視点で世界を観てみたい。絵画全体のバランスと整合性を冷静に見つめながら、情熱的に今を一筆にのせる。そんな知恵と勇気を持ちたい。

投稿者プライマリー科医長 中川 麗
『ポケモンGOにご用心!?』 松井 裕帝
2016年08月01日
皆さんこんにちは。やっと夏らしさが感じられ、ビアガーデンも始まり、短い夏を満喫している今日この頃です。

 ところで、人気が過熱しているスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」をご存知でしょうか?ポケモンGOは現実世界を移動しながら、スマホの画面上の地図のなかに潜んでいるさまざまなポケモンを捕まえてコレクションするゲームであり、見つけたポケモンの姿はスマホのカメラ機能で映し出された実際の風景と合成して表示され、ポケモンが現実世界に存在しているかのような感覚を演出しているのだそうです。さらに各地域のランドマークとして知られる施設がゲームで利用できる道具を入手できる場所や、ポケモン同士を戦わせる場所として指定されているのだそうです。このためスマートフォンの画面を見つめた利用者たちの格好の目的地となっており、施設の本来の目的そっちのけでゲームに興じる利用者たちのマナー違反への懸念が拡大しているのです。

 また、すでに配信が始まっているアメリカではポケモン探しに興じている利用者を狙った強盗事件が起きています。強盗犯はアイテムを使ってポケモンをおびき寄せ、そのポケモンを狙って集まった利用者に対して強盗を働いていたのです。セキュリティー大手による発表ではすでにポケモンGOの偽アプリが43種類確認されているそうです。

 そんなこんなで、世界的な大流行、任天堂の株価が好調に推移といったおめでたい話題とともに、ご紹介したようなトラブルの報告も紙面を賑わせているポケモンGOが7月22日いよいよ日本での配信がスタートしたのです。これに合わせて、日本政府がすでに注意喚起を発表しています。利用される方は一度、読んでみてはいかがでしょうか?
 ポケモンに夢中になったことのない自分はやや冷めた目線、斜めから見ていますが、この夏の話題の中心になることは間違いないポケモンGOです。皆さん、ニセモノに注意して、マナーを守って楽しんでください。自分は、まだやるつもりはありませんが(笑)

投稿者外傷センター医長 松井 裕帝
『遺品整理』 大島美保
2016年07月25日
 小さい頃、長期休みの度に遊びに出かけた伯父と伯母の家。子供のいなかった学者夫婦の家は本だらけで、独特の木の香りがする仙人のすみか。物心ついた頃からそんな場所だったその家を相続した。

 この家、もらってもどうしたらいいの・・・何年も放っておいたが、壁の隙間にスズメバチが巣を作り、天井のクロスは剥がれ落ちてきた。床は虫の屍骸でスリッパ必携。勝手知る母が元気なうちに、と重い腰をあげて遺品整理を業者さんに依頼し、母と二人で作業に立ち会った。

 特集番組で見たことのある片付けの現場は、衣類や書類、生活用品など、手際よく袋にまとめられていく。飾り棚に並ぶ土産品の数々は外国ものか国内ものか?確信がもてるのはマトリョーシカくらいか。茶器や絵画の中には高価なものがあったりして・・・と、つい勘ぐってしまう浅ましさ。数百円?数千円の値しかつかず、逆にほっとする。
 そんな中出て来た懐かしいトランプと麻雀セット、所々に私たちも登場する古いアルバム。ちょっと不思議な場所だったけれど、やっぱりこの家の一員でもあったんだ。がらんどうになった古い家。たいして感謝を伝えられずにお別れしたのに、こんな立派な空間をいただいてしまったね。

「お母さんも色々片付けなきゃねぇ」
 そのときが来れば、娘である私が中心になってやるのだろう。順番違いの親不孝はしたくないが、このご時世、先のことはわからないし、母はびっくりするほど元気だ。立つ鳥跡を濁さず、ではないけれど、母娘で生前整理を意識するいい機会になった。確実に時は流れている。

投稿者小児科医師 大島美保
『交通安全』 木村 雅美
2016年07月04日
みなさん運動していますか? 学生時代の競技の延長で、仕事に就いてもそれなりにトレーニングしてきたつもりだった。が、当然の如くだんだん運動できる時間も減り、筋力アップの予定がいつの時点からか、維持すらままならない状況となり、気付かぬうちに老化との闘いに変わりだした。 スポーツ選手ですら、30過ぎれば衰えを感じるのだろうから、一般人には回避不能なのだろう。

もう競技をしているわけでは無いのだから、あまり頑張る理由もないのだが、何かやらねばと、どうにも焦ってしまう自分がいる。でも筋力トレーニングだけだと飽きるし、ランニングは年々関節に疲労感が残るようになってきた。 で、9年程前からたまの休みにロードバイクに乗り始めた(自転車だけど、そうは呼ばない!)。前任地は地方都市で、程よく厳しい峠道もあり、良いトレーニングになっていた。休日とはいえ、交通量を考慮して早朝に乗っていた。早朝の峠道は、貸し切りに近く爽快でストレス発散に最適だった。たが昨年、久しぶりに札幌生活になったら、かなり早朝でもなければ交通量の多さは如何ともし難く、自転車には厳しい場面によく遭遇する。何とか交通量が少ない、あるいは十分に道路幅(&路肩)の広い道を検索しているものの、基本的には恐ろしくて「こりゃダメだな」と思い始めている。バイクを車に乗せて遠くに出掛けて、そこで乗るパターンもありだが、時間がかかり過ぎて、滅多にできそうに無い(疲れた後の帰り道の運転も心配…)。

一方で平日の通勤時間は、車を運転していても、歩いても、通勤自転車が多いしマナーが悪くて、とても恐ろしい。歩道でそんなにスピード出すな! 車道を逆走(右側通行)するな! などなど。最悪な例では、スマホ片手に歩道を爆走し、横断歩道で信号無視なんてヤツも時々みかける。困ったものである。ロードバイク乗りとしては、こんなひどいヤツとひとまとめで語られたくないのだが、自転車は交通ルールを守っていても、自動車にも歩行者にも邪魔者にしか感じら得られないのだろうな。 現行の交通ルールは、歩道・車道の過密具合を想定していない時代のものなのだろう。歩行者と一緒では接触すれば凶器以外の何ものでもなくなるし、本来の区分である車両として振る舞うと、どう考えても危険に曝されることが多い。車道を走行していると、現行ルールはおよそ自転車を守ってくれそうにないと思える。
きっと基本は譲り合いなのだろうな。みんなで仲良く共生できないものだろうか? 歩行者・自転車・自動車と区別するが、すべて人間が移動している姿なのだから。

すり減ったタイヤの交換は済ませ、後は乗るだけにしたが、そんなこんなで今年はまだ一度も乗れていない。
う?む、まずいな。

投稿者外科部長 木村 雅美
『スロージョギングのすすめ』 桑原 稔
2016年06月28日
みなさん元気にお過ごしですか?
毎日健康に楽しく生活をしたいというのは誰もが望むことだと思います。毎年1歳ずつ歳を重ねるごとに老化を感じている方も少なくないのではないでしょうか?そんなあなたにおすすめしたいのがスロージョギングです。
スロージョギングとは早歩きと同じスピードでジョギングをすることをいいます。ゆっくり走るので疲労度はそれほど高くないのですが、ほどほどにカロリーを消費することができます。効果はカロリー消費以外にもいろいろあります。

・体力増進
・筋力の維持
・生活習慣病の予防
・デトックス
・脳の活性化
・足裏刺激
・気分転換

などなど。
実際私も20歳を過ぎてからぶくぶくと太り、メタボまっしぐらという感じでした。体力の衰えも感じ始めたため、2年前からスロージョギングを始めました。すぐに効果は出てこないのですが、続けるうちに徐々に体が変化しているのを実感しました。特に感じるのは体脂肪が減り体が軽くなったことでしょうか。体重が減少しメタボから少しずつ脱出しております。あとは、日常生活で疲労を感じることが少なくなったと思います。いろいろなメリットがあるので健康寿命を延ばしたい方はぜひ試してみてください。
大事なポイントは

・無理をしないこと
 頑張りすぎるとつらくなってしまい長続きしません。自分の体力に合わせてゆっくり楽しく走りましょう。

・すぐに結果を求めないこと
 スロージョギングを始めてもすぐに効果はでてきません。結果が出ないからと言ってすぐにやめないようにしましょう。
興味のある方はスロージョギングで検索してみてください。

投稿者麻酔科部長  桑原 稔
『タクシー通勤は贅沢?』 倉田 佳明
2016年06月13日
冬の間はタクシーで通勤しています。もちろん、そのタクシー代が職場から支払われるわけもなく、すべて自腹。そんな話をすると、「リッチだねぇ」とか「ブルジョアだねぇ」(古い…)とか、必ずと言っていいほど驚かれます。でも本当にそうでしょうか?

 我が家にはいわゆるファミリーカーが1台あります。交通の便がさほど良くないところに住んでいるので、その1台は家族として必要なものだとして、もしマイカー通勤するとなると、通勤のためだけにもう1台購入しなければなりません。車を1台購入して維持するのと、タクシー通勤するのと、どちらがお得なのでしょうか。

 車を購入・維持する場合、車両代以外にも実はいろいろな費用がかかります。仮に、諸費用込みで250万円の一般的な乗用車を購入し、10年間で乗りつぶすとしたら、車両代だけで1年あたり25万円。これに(1年あたり)自動車税が39500円、任意保険を安めに設定して5万円、車検(法定費用込み)が2年間で10万円だとして年間5万円、駐車場(自宅は無料だが職場近くで必要)が6万円、ガソリン代が4万円。合わせると、年間50万円!(これでも安めに試算) 実際には、これにタイヤ代や何かあった時の修理費などもあるので、もっとかかることになります。

 一方、タクシー通勤の場合、当然乗る距離によって大きく運賃が変わってきますが、私の場合は片道1000円前後、往復で1日2000円。ということで、マイカー通勤の50万円は、250日分!のタクシー運賃になります。実際にタクシーを使うのは雪のある時期だけなので、タクシー通勤の方が断然お得ということ。つまり私に言わせれば、マイカー通勤している人の方がリッチだしブルジョアなんです。

 なんて考えてこれまでタクシー通勤をしてきましたが、少し遠方に引っ越すことになり、タクシー代が高くなってしまうので、さすがに車を購入しました。ほぼ通勤にしか使いませんので軽を。車で通勤すると…やっぱり便利ですね、何かと(笑)

投稿者外傷センター部長 倉田 佳明
『鼻うがい』 中明 結花
2016年06月06日
麻酔科医の中明(なかめい)です。昨年このコーナーでヨガの勧めと題して書きましたが、今回はヨガの浄化法のひとつである「鼻うがい」について簡単に書きたいと思います。

鼻がつーんとして痛いのでは?と思いますが、やってみると意外とそうでもありません。確かに多少はつんときますが、それを上回る効果と気持ちよさがあります。やり方は簡単で、生理食塩水程度の濃さの食塩水を片方の鼻腔から流しこみ、反対側から出す。反対側も同じように行う。鼻から吸い同側鼻腔から出す、口から出すなどといったやり方もあるようですが、私は片側鼻腔→反対鼻腔で行っています。最後に鼻をかむ時の要領で片鼻ずつ水を出し切る、以上です。

効果は人それぞれのようですが、鼻炎やアレルギーなどの他、広い意味で自律神経のバランスを整える効果があると思います。人間が元々持っている力を呼び覚ますイメージです。また、鼻はプラーナ(気、生命エネルギー)や邪気の入り口とも考えられていますので、一日の始まりに気を整える意味合いもあります。

少しでも気になった方は今すぐに実行することをお勧めします。容器はアマゾンで数百円で手に入りますし、youtubeでは動画を見ることができます。

気持ちいい朝が始まりますよ。

投稿者麻酔科医師 中明 結花
「『とも喰い』の生物学」 成田光生
2016年05月30日
現在は売り土地になっているが,かつて私の実家は旭ヶ丘高校の門の前にあり,昭和30年代にはまだ周囲は野原に囲まれ,天然の池が点在していた.春先には毎年のようにそこら辺の池からカエルの卵を捕ってきては孵化させ,オタマジャクシから足が生え(足が先なのだ),手が生え,小さなカエルになるまで飼っていたものである.その途中で必ず観察されるのが「とも喰い」で,これは餌を十分与えていても起こる.食べたオタマジャクシはあっという間に他より見た目にひと回り大きくなるので,すぐにわかったものである.

 「とも喰い」と聞くと何となくえげつない響きがあるが,これは実は生物学的には非常に「合理的」なシステムなのである.まず自然界では当然全ての個体が生き残れるわけではなく,種を保存するためにはより強い個体が生き残らなければならない.「とも喰い」の勝者は,仲間の犠牲のうえで,強い子孫を次の世代に継承する使命を負っているのである.

 また生物にとって最も効率の良い食物は,その種に必要とされる蛋白,脂質,無機質などが全てバランス良く配合されている食物,すなわちその種そのものなのである.カマキリのメスは交尾が終わると,最初の行動として,すぐそこにいるオスを食べるという(実際に見たことはないが).これも決して残酷な話でもなんでもなく,次の世代を託すべき受精卵に最も良質な栄養を確実に十分量供給するための最も効率の良い方法なのである.

 より原始的な生物にプラナリアというのがある.大きさは不定で,形は休止しているときは正円形で,動くときは体を延ばしてナメクジのような格好になる.これもまた昭和年代の話になるが,南21条で現在市電の車庫があるあたりの藻岩山麓側の斜面の脇水にはプラナリアが大量にいて,これも採集して観察できたものである.プラナリアは再生実験(体を切っても切ってもそれぞれの断片が完全な個体に再生する)であまりにも有名であるが,飼っていると,これもかなりの頻度で「とも喰い」をする生物である.プラナリアの「自切(自分で体を分裂させる)」と「再生」については多くの研究報告が有るが,「とも喰い」の合目的性(なぜ「とも喰い」が必要なのか)に関する研究は,見当たらない.
 「とも喰い」はその生物にとって種の保存のために選択された一つの手段であり,一歩間違うと種を滅亡させかねないヒトの「戦争」とは根本的に意味が違うのである.また「とも喰い」という行動は,高等な生物にとっては必要の無い現象であり,縄張り争いで「けんかする」などというのとは次元の違う問題である.あくまでも誤解なきように.

投稿者小児感染症部長 成田光生
「人、人、人、そして行列」 宮城 登
2016年05月23日
 先日、横浜で開催された日本整形外科学会に出席した。1か月以上前から横浜駅付近のホテルは部屋が取れなくなり、仕方なく新横浜駅最寄りのホテルから会場に通うこととした。幸いホテルのすぐ近くに地下鉄駅があり、現在地下鉄通勤の私は軽い考えで、翌朝地下鉄駅に行った。しかし、首都圏の通勤ラッシュの洗礼は想定外のもので会場に着いた頃にはすでに疲れ切っていた。

 さて学会のほうも盛況であり、多くの人でにぎわっていた。通勤ラッシュで痛い目に会っていた私は一計を案じ、前のセッションを早めに抜け、ランチョンセミナーの会場に向かったが、セミナー会場の前にはすでに長蛇の行列ができていたのである。何とか行列に並び、満席に近い会場で空席を見つけてすわり弁当を食べながらセミナーを聞き、これからはさらに早めに行動を起こそうと考えていたのであるが、その考えが実に甘いことであると知ったのは学会最終日のことであった。学会最終日、今までのこともあり、飛行機の時刻にも余裕を持たせ、あくまで自分の判断で最終セッションを早く抜け出し、会場前の空港行きリムジンバス乗り場に行ったのだが、リムジンバスは2便先まで満席であり、タクシー乗り場にもあやしい雰囲気がただよっていた。慌ててタクシー乗り場に行った私は、結局タクシーで空港まで行くことを余儀なくされたのだった。この教訓を次回に生かそうと思うのだが、その時にはもう忘れているのだろう。

投稿者整形外科部長 宮城 登
「心に響いた言葉」 斉藤 琢巳
2016年05月16日
人は壁を沢山造る。しかし、橋は十分ではない。アイザック・ニュートン

職業柄、初対面の方とお話する事が多々あるが、最初はどうしても失礼の無いようにと、全方位壁の状況からスタートする。二言三言話す中で相手との距離感を測りながらくだけた感じになっていくのだが、まさに壁をひとつずつ取り払うような感覚である。残念ながら相手によっては最後まで壁を取り払うことが出来ないこともある。最近は壁を取り払うとともに、橋を架けるイメージを持つようにしている。


「好きな仕事を探すより、好きな大人を探してその人がしている仕事をすればいい」
中谷彰宏 中学時代がハッピーになる30のこと PHP研究所

中学生の娘たちに買った本の中に書いてあった言葉だが、僕自身の進路選びのことを思い出し、なるほどと思った。20数年前の学生時代、進むべき診療科を選択する時期である。当時から外科系志望で、泌尿器科、耳鼻科、整形外科等も選択枝に挙がっていた。その中から現在の道を選択したのは当時在籍していた一般外科の医師達のことを好きになったからである。野蛮でおっかない感じの人が多く、カンファレンスでは真剣に討論するあまり怒声や野次などもよく聞かれた。学生にも歯に衣着せぬ物言いで語るのが印象的だった。スマートではないが無骨で人間くさいところに惹かれ、将来その集団の中に居たい!と思ったことが今につながっている。

投稿者外科医長 斉藤 琢巳
「科学的看護論を読む」 関山 伸男
2016年05月09日
今年も看護の週間の直前の原稿依頼である。看護職にない著名人達が定めた看護週間がまた今年もあたりまえのようにやって来る。しかし今年は少し感慨が改まっている。昨夜初めて知ったことであるが、日本国憲法の第9条は時の総理大臣であった幣原喜重郎氏がマッカーサー元帥に強く要請して成文化されたもので、アメリカの発想によるアメリカから押し付けられたものではないとの内容であった。レベルは大きく異なるが、看護職にない人たちが看護週間を定めたように伝えられてはいるが、これにはやはり看護職の方々の後押しや情熱があったからであろうか。

 それにしても世界中とまでは言わなくとも世の中のあらゆるところで看護がなされているが、いまだに看護が看護学に基づいた看護理論を実践しているとは思われない。看護はナイチンゲールを始祖として学問としての体系を醸してきたが、近年に至って理論的に再構成されて学問としての立場を明確にし、医学に対峙するサイエンスとしての看護学が成立しているのである。それを明記したのが薄井坦子氏の“科学的看護論”である。

 科学といえば相対性理論や量子力学などに始まる素粒子の統一理論は、一見複雑そうに見える世界を構造化してシンプルに本質を記述する美しさを見せる。そして、我々がかろうじて理解できるのはこの美しい本質があるというところまでで、その本質から実験を組み立てたり現実の世界に応用するなどの事は不可能である。ところが科学的看護論は看護が構造化されて、その本質を“看護とは生命力の消耗を最小とするよう生活過程をととのえることである”と定義されるとともに、そこから出てくる実践は、前述の素粒子論などと違って誰にでも正しく行えるように組み立てられていることである。医学でも病気が構造化されてガイドライン等が作られているなかで、ともすれば個別性が忘れられた内容になっていたりするが、科学的看護論ではあくまでも看護の個別性を実現する中身となっているのはすばらしいサイエンスである。心不全を治療するのではなく、心不全を持った60歳の高血圧症と肺気腫をもった独居の女性・・・・・・の看護を描き出すのである。

 このような看護実践が実現しないのは、一番にはこのような看護を評価しての医療費体系がなされていないからで、看護の日が看護職ではない人たちによって制定されたように、良い看護の実践には看護職でない人たちの認識の高まりが必要なのかも知れない。しかし、良い看護を実践すると今でも収益率は間違いなく上がるのも事実ではある。

投稿者消化器内科部長 関山 伸男
「子供は鏡」 金城 綾美
2016年04月18日
子供は親の鏡、ってよく言いますよね。でも自分が子供という立場であった頃はそんな風には思わなかったんです。親を写している?いやいや、似てないでしょって。でも自分に娘ができて気づきました。子供は親の鏡です。最近2歳になったばかりの娘、ふとした動作、口調、癖、笑い方や表情までそーっくり!!どきっとさせられる事も多々あり。あっ、見られてた…とか(笑)無意識で真似をしているのか、意識して真似をしているのか。ただ赤ん坊でも親の事はよく見てるんだなぁと思わされます。ふと親の立場から子供の立場に戻り親を見てみると…ちょっとした事が、あー親子だなっと気づかされる瞬間があります。
 
そんな仕草と同時にその場の鏡でもある子供。親が怒った顔をしていれば子供は不機嫌な顔になるし、泣いていても転んでも親が笑っていれば子供は笑う。最近強く感じて子供の前では笑っていようと…心がけてはいるけれど…。
 
自分の娘がこの母親をみてどう感じどう成長していくのか、3ヶ月から保育園に突っ込まれ、すでに50回以上の飛行機を経験し飛び回っている娘は日々たくましく成長しています。親は子の鏡では決してないが、子は親の鏡、と強く思う今日この頃、鏡がいつまでも綺麗に輝き続ける事を願いながら、子供をみて我が身を振り返る日々です。

投稿者外傷センター医師 金城 綾美
「春を探して」 折居 史佳
2016年04月11日
札幌はまだまだ寒い日が続いています。長期予報によると、4月の気温は高めの予想のようですが、少なくともこの文章を書いている4月のはじめは、冬のコートに戻ってもいいかな、と思うほどです。
本州では(ずいぶんおおざっぱな言い方ですが)、桜も咲いているとのことで、札幌でも春の兆しを探索しようと思い、まずは、ネットで検索!
札幌市公園緑化協会のホームページに行くと、札幌市の公園が紹介されており、それぞれの公園の現在の状況がわかります。つぎに、札幌市公園緑化協会の「さっぽろ花劇場」のサイトに行くと、「公園NEWS」で、各所の状況が一目でわかるようになっていました。ぬかるんでいそうなところはちょっとー、と思い、大通公園西2丁目の花壇に出発!
テレビ塔を「見上げ」で写真を撮っている観光客を尻目に、2丁目の花壇を目指すと、、、咲いてました!クロッカスが。東側の花壇はまだつぼみばかりでしたが、西側の花壇ではだいぶん花が咲いていました。Wikipediaによるとクロッカスは、耐寒性秋植え球根植物、ということで、このお花ちゃんたちの球根も越冬したんですね。


東側はこんな感じ。まだあんまり咲いてません。



西側はけっこう咲いてます。



アップで撮ってみました。可愛らしいですねー。


人間の作ったものにも美しいものはたくさんありますが、このクロッカスのような自然のものには、その形、色合いなど、何とも言えない美しさがありますね。札幌にはたくさんの公園がありますが、緑化のお仕事をされている方々のおかげで、私たちも自然を身近に感じることができて、本当にありがたいことです。この文章を書きながら、「さっぽろ花劇場」のサイトを再訪すると、日曜日にもかかわらず公園NEWSがどんどん更新されていて、それにもびっくりしました。
この文章が掲載されるころには東側の花壇もだいぶん咲いていることでしょう。花壇の中央には、チューリップらしき葉っぱが見えましたので、チューリップが咲いた頃にまた、いってみようかと思います。

投稿者IBDセンター部長 折居 史佳
「手術解剖セミナー(於バンコク)」 齋藤 丈太
2016年04月04日
去る3月18日・19日の2日間、タイ・バンコクでCadaver-surgical-approach-Semminarをやって来ました。今回は当院外傷センターで企画し、札幌徳洲会病院の援助のもと、ひっそりと開催いたしました。

手術手技は日々進化しており、手術手技の習得・維持、向上のためには技術の修練を必要としますが、その機会はいまだ極めて少ないのが実態です。これまでは学会や大学で主催しているセミナーに参加するか、つてを頼って他院へ手術の見学をしに行くしかなかったのですが、解剖セミナーは抽選倍率が高く、日程や高額の参加費の関係で、なかなか参加できる機会がありません。また、手術見学は日程や先方の受け入れの問題でこれもなかなかに大変です。さらには、国内での実習は、諸般の事情により最近やっと開催されるようになったばかりです。こういった事情で、プライベートでのセミナー開催を企画したところ、思いのほか当院の臨床教育に対する理解があり、開催することが出来ました。初回の為いろいろ改善点もあり、非常に有意義な実習となりました。なんとか定期的に開催し、民間病院でも教育頑張ってますよというところを見せられたらと思います。

最後にコース開催に理解と協力をしてくれた札幌徳洲会病院、何より異邦人である我々に貴重な献体を御提供頂いたチュラロンコーン大学とタイ国のご厚意に感謝して筆をおかせていただきます。ありがとうございました。

投稿者外傷センター部長 齋藤 丈太
「砂蒸し温泉体験」 川崎 能道
2016年03月28日
今年になって、徳洲会病院の関連病院である山川病院に応援のため出張に行ってきました。初めて山川といわれたときに、それがどこの県にあるのかもよくわかりませんでした。

山川は、九州の鹿児島県の南にあり海に面していて、鰹節の生産量が日本一だそうです。市町村合併でいまは山川町から指宿市山川の地名です。山川病院の玄関からは「薩摩富士」の別名をもつ開聞岳がみえます。また、病院から10kmぐらいで指宿温泉があります。指宿温泉といえば砂蒸しで有名です。指宿市に行くのは今回が初めてです。一度砂蒸しを体験してみることを勧められたので行ってきました。指宿温泉に砂蒸しが体験できる「砂蒸し会館 砂楽」があります。夜8時半まで受け付けていますので、勤務終了後、生まれてはじめて砂蒸しを体験してきました。初めに受付で、入浴料を払って(平成28年1月当時 1080円でした)、浴衣をもらいます。更衣室に行って、下着を脱いで肌に直接浴衣をきて、海岸の砂浜にある砂蒸し場に行くと、係りの人に案内されて、人が横になれるように掘ってあるところに横になると係りの人が体の上に砂をかけてくれます。10分から15分くらいが目安とのことです。柱にある時計を見ながら横になっていると砂の重みを感じます。次第に体全体があたたまり10分ぐらいで暑くなり砂を払って起き上がりました。そのあと浴室にもどり砂を流してから、大浴場に行き温泉にはいるという流れです。

指宿市の観光ガイドをみると指宿温泉の大きなホテルに宿泊しても砂蒸し風呂は体験できるようです。一度体験されることをおすすめします。

投稿者内科部長 川崎 能道
「5年日記はじめてみた。」 片田 竜司
2016年03月14日
最近、年のせいか物忘れがだんだんひどくなってきました。「あーここまででてきているのに、あれだよ、あれ!」的なやつで、人の名前とか、ものの名前とか思いだせそうで、なかなか思い出せない。しばらくして、ふとした瞬間に思い出したり、簡単なヒントで思い出したりする。これらは専門用語で「想起障害」とか「追想障害」というそうで、加齢による正常の変化で、いわゆる認知症などの病的な状態ではないそうなのですが、若い頃はもっとしっかり思い出せたはずなのにと思うと、なんともやるせない気分になります。

そこで、先日、思いつきで5年日記なるものをはじめてみました。日記をつけることが物忘れ予防に効果があるかどうかはわかりませんが、少なくとも、その日あった出来事を思い出す作業を毎日することになるので、物忘れ予防に少しはいいのではないかと勝手に解釈しています。と、ここまではよかったのですが、いざ日記をはじめてみたものの、元来、わたしは日記とか作文は大の苦手で、小学校の夏休みの時ですら、日記をつけた記憶が全くありません。5年日記なので、1日分はほんの3から4行なのですが、毎日変わり映えのない生活をしていると、苦手意識とあいまって、なかなか思うようにすらすら書けず、半分苦行のようになってきています。

そんな、わたしにとっては苦行のような日記なのですが、そのおかげで、変わり映えのない生活にも、少しだけですが、ハリがでてきたように思います。その日の寝る前に日記を書かなければならないという意識がどこかにあるので、日記のネタを探すべく、周囲のものごとや出来事にこれまでよりより関心を持つようになったように思います。とくに天気は、日記のはじめに書かなければならない(?)ので、昨日たくさん降った雪が、今日はあっという間に溶けてしまったとか、そのせいで道路がつるつるになってしまったとか、あの必要以上に太いタイヤの自転車はこんな冬道でも滑りにくいのだろうか等々・・これまでは、正直、どーでもいいと感じていたことにも少しは関心が向くようになり、毎日通る通勤の風景も視点や観点を変えることで違って見えたりするので不思議です。

わたしにとって日記はダイエットと同じくらい長続きする要素がまるでないのですが、なんとか頑張って5年後をめざしてみたいと思います。

投稿者放射線科部長 片田 竜司
「何時でも何処でも歯磨きを」 岡 敏明
2016年03月07日
歯の健康維持は大切だ。40歳頃から急に目覚め、食後10分以内に何時でも必ず、歯を磨くようになった。
さらに、フロスで歯垢を取る、普通の歯磨きペーストで磨く、歯齦の再生に良いと宣伝されている(やや高価な)歯磨きペーストを使用し電動ブラシで磨く(自宅の場合)、液状含漱液(某社のモン○ミンなど)を使用、最後に水で含漱する、といったように、だんだん手が込みだし、時間も掛かるようになった。かなり、タイヘンである。

さらに、駅やホテル、学会の会場、競馬場、飛行機の中でも昼食後10分以内に歯磨きを欠かさない。逆に磨かないと気持ちが悪い。これはやはり度が過ぎていて、病的かもしれない。しかし同好の士も必ずいて、学会会場の洗面所などで、同じような歯磨き「仲間」に出会うこともある。そんな時、目が会うと、心の中で、互いに、エールを送り合う。

いっそのこと、「全日本何時でも何処でも歯磨き連盟(略して全日本何時・何処歯磨き連盟」のようなものを立ち上げることも、妄想したりする。そして、なんとなく肩身の狭い洗面所での歯磨きを、何時でも何処でも堂々とできるよう、社会に向けて提言する、などの活動を夢想している。

しかし、こんなに頑張っていても、虫歯はできる。残念である。さらに最近は年齢のせいか、歯齦が退縮気味である。歯茎の退縮を復活させる歯磨きペーストを、是非、発明して欲しい。しかし、この方面の研究は、たぶん、あまり行われていないように思われる。 

という訳で、歯の健康増進に良い秘策が何か有ったら、是非、教えてください。そして、皆様も、きれいに歯を守るため、日々の歯磨きを、共に頑張りましょう。

投稿者小児科部長 岡 敏明
「TV star」 長尾 知哉
2016年02月29日
グレート・トーゴー、デューク・ケオムカ、ミスター・モト、ケンドー・ナガサキ(コバヤシではない)。昭和プロレスの日系レスラーのリングネームである。

その手の話ではない。ディーンフジオカ、である。ここ最近テレビ、雑誌では見ない日がないほどの人気者。診察室での会話にも出てくる。五代さまはいなくなってしまったが、あさの夢に出てくるだけで視聴率が3%上がったという。8時15分の有働さんはいつも涙目。

かく言う私も、朝の連続テレビ小説に出演したことがあるのだ。その点ではディーンフジオカと同じ、むしろ先輩、芸能界で言うと「兄さん」である。かれこれ10年ほど前、チョイ役というよりエキストラではあるが。

以前勤務していた病院を使ってのロケ、医師役が必要なのでエキストラを出してほしいと。オーディションでも一本釣りのオファーでもない、たまたま私が当番だっただけである。
休日の手術室を使ってロケは行われた。主役の女優とあんなことこんなこと・・・、セリフは?演技指導もない、それって私は生まれながらのactor(役者)?などと考えていたが、あいさつを交わしただけであっけなく撮影はスタートした。朝ドラなので当然ラブシーンはなく、台本にはセリフもなかった。やはりエキストラである。

手術室なのでマスクを着けている。目しか出ていないじゃないか。カメラは私に向けられそのままズームイン。NHKもわかってらっしゃる。私のアップをお茶の間に届けるつもりだ。生まれながらのactorは大きく見得を切った。「ゴーヤーマン」のキーホルダーが出演料だった。まあ、役者の最初はこんなもんだ。

放映当日、テレビの中の私は大見得を切っていた。セリフはないが堂々たる演技である。「名優は目で演技する」とはよく言ったものだ。日本の4人に1人は私を見ている、それも2日連続だ。「あの医師役は誰?」と女性誌が取材に来る、写真週刊誌も狙っているだろう。これじゃ夜も出歩けない。

すべては杞憂だった。ただ、「長尾ロス」は確実に訪れた。手術室を主とする院内の一部と田舎の両親に。

投稿者外科医長 長尾 知哉
「東日本大震災 その後」 佐藤 康永
2016年02月15日
今年1月、札幌では滅多に経験することがないような強い地震がありました。
眩暈を感じるような長い揺れから、平成23年の東日本大震災の時の地震を、ふと
思い出しました。

早いもので、あれからもうじき5年を迎えようとしています。私が、この病院に入職
する前に勤務していた病院が宮城県女川(おながわ)町にあります。女川町は、宮城県の
東部にある震災前の人口が約1万人の町です。リアス式海岸で有名な三陸海岸の最南端に
位置しており、町には潮の香りが漂っていました。当時勤務していた病院からも港を
間近に望むことができ、内陸で生まれ育った私には新鮮なものがありました。震災時に
は20メートル近い津波が町を襲い壊滅的な被害を受けています。震災から半年経った頃
に訪ねていますが、町の至るところに瓦礫が散らばり鉄筋コンクリート造りの建物が根
こそぎ倒壊している光景に愕然としたのを覚えています。

あれから4年経った昨年3月、久しぶりに町を訪ねてきました。瓦礫は、すっかり
片付き広大な更地が広がっていました。高台に上ると、真新しい石碑が立っていま
した。『千年に一度の巨大地震』と呼ばれた東日本大震災の教訓を後世に語り継ぐ目的
で地元の中学生が企画製作したものです。『千年後の命を守りたい』――――未来に向け
ての心に響くメッセージでした。

女川町は、震災で不通となっていた鉄道が昨年ようやく開通し、その後徐々に街が整備され始め、だいぶ変わってきたようです。遠くからですが、今後の町の復興を見守っていきたいと思います。





投稿者消化器内科医長 佐藤 康永
「リレーエッセー」 室田 千晶
2016年02月09日
通勤で車を運転する。少し前から車の調子がよろしくなかった。AT車なのだがマニュアルモードもついている。冬道ではエンジンブレーキを多用するのだが、なんだかうまくスピードが落ちない。変だな、おかしいなと思いながら運転していた。
ふとインパネの表示をみるとマニュアルに切り替わっていない。シフト周りを見てみるといつもついているランプが点灯してなかった。
ようやく何か壊れている事に気づいて、ディーラーに持っていってみてもらった。接触不良とかかなと思い30分ほど待っていると、整備の方から原因がよく分からないと。「詳しく調べるのでもう1、2時間ください。ご飯を食べたらすぐ作業にかかります。」とのこと。えっ、あー、ご飯は食べますよね、お昼だし。と思いながら待つこと1時間。
ようやく原因が分かったが、シフトのあたりを交換しなければいけないとの事。
しかも部品がなくお取り寄せに最低2週間はかかるそうだ。
ないものはしょうがないので、少なくともあと2週間はいつも以上に安全運転を心がけようと思う。

投稿者外科医師 室田 千晶
「薬」 東 直樹
2016年02月02日
日常診療で外来にて投薬処方をするが、仕事や生活習慣でコンプライアンスがうまくいかないことがある。
たとえは、朝一回の薬を処方しても、薬の袋に朝食後と書いてあると、朝ご飯たべなかったから服用しなかった。という患者さんがいる。糖尿病の患者さんならともかく、高血圧の患者さんで朝ご飯を食べなかったので服用しなかったというのである。それで血圧が上昇し、血圧が上がって心配で受診することが少なくない。
「食事に関係なく朝飲んでください」とお話すると
「朝ご飯を食べなくて、飲んでいいのですか!!。」
「いいですよ」といって安心される。
ただ、多忙な?仕事で服用し忘れる(怠薬する)ことがある。

30歳のOLの患者さん。他の先生から甲状腺機能亢進症の精査加療の目的で私の外来に紹介されました。新患の甲状腺機能亢進症(バセドウ病)で治療を始めました。忙しいとのことで4週分の薬を処方するが何故か余る。一日一回朝食後の飲み薬であるが、4週後受診するのでなく、6週後に受診してくる。
「きちんと飲んでいるのですか?」
「きちんと飲んでいるのですが、何故か余るんです。」
「きちんと飲んでください。甲状腺機能亢進したままで、よくありません。」
「わかりました。頑張ります」
・・・・・・・・・・・・・
また4週後受診するのでなく、6週後に受診してきた。
「きちんと飲んでいるのですか?」
「きちんと飲んでいるつもりですが、つい、朝食後だとうっかり飲み忘れるんです。」
「一日一回服用の薬ですから、飲まないと効果がないですよ。それなら起きてすぐ飲むことにしましょう。」
「なるほど、それならわすれないですよね。」
で、4週間分処方した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
それからまた何故か4週投与でなくなるのに、薬が余っているため6週後受診した。
「きちんと飲んでいるのですか?」
「きちんと飲んでいるんですが・・?。朝起きると、急いで出勤するため、薬を飲み忘れて、仕事に行ってしまうから・・。あ、忘れてしまった。と。」
「それならカバンに入れて、出勤後あるいは途中で服用してみてはどうでしょう・・?」
「なるほど、それならわすれないですよね。」
と賛同して、4週間分処方した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、今度はどうですか???。期待できるかな??
このように忙しく?仕事をしている患者さんの定期的な服薬が難しいことがある。服薬指導の難しさを痛感することが少なくありません。

投稿者消化器内科部長 東 直樹
「2016年展覧会」 黒川 泰任
2016年01月25日
東京は世界有数の「美術展」開催都市です.たとえば過去にモナリザやミロのビーナスが来日したこともあります.
絵画といってもそのジャンルは限りなく広く,人々の好みは様々で,鑑賞する個人にとって「あたり」,「はずれ」はありますが,今年は間違いなく「あたり」の年です.

2016年,今年前半の目玉展覧会を挙げてみます.

フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展
2016年01月14日~03月31日
森アーツセンターギャラリー

レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦
2016年01月16日~04月10日
江戸東京博物館

ボッティチェリ展
2016年01月16日~04月03日
東京都美術館

オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展
2016年4月27日~8月22日
国立新美術館

アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
2016年7月13日~10月10日
国立新美術館


東京訪問の機会と数時間の余裕があったら,ぜひ鑑賞してみてください.

投稿者脳神経外科部長 黒川 泰任
「未完成であるがゆえの完成」 小笠原 卓
2016年01月18日
僕の小学校時代はファミコン全盛期であった。その中で印象に残ったゲームがある。

 「ドラゴンクエストIII」だ。

 有名な作品なので皆さんもストーリーは知っているかもしれない。16歳を迎えた主人公が勇者となり、仲間とともに長い旅の末、魔王バラモスを倒す。しかしその後、悪の大元である魔王ゾーマがいることを知り、大地に開いた大穴から異世界へ旅立ち、これを討伐する。
 ゾーマを倒した後、自分の故郷に帰りハッピーエンドとなるはずだが、ダンジョンをぬけ、外に出ると画面が揺れ…「そらの うえのほうで なにかが とじたような おとが した!」というメッセージが現れる。
 つまり元の世界へもどる出口が塞がれてしまい、そのまま勇者一行は、異世界(アレフガルド)で生きて行く羽目になるわけである。この一節に、子供心にかなり驚愕したのを覚えている。
 元々主人公に、自分の名前をつけてプレイするスタイルなので、主人公にかなり感情移入していた。故郷に帰る幸せさえ許されない理不尽な事実に憤りを覚えることもさることながら、不運を表情も変えず(ファミコンなのでキャラクターの表情はあまり表現されていない)、従容と受け入れる主人公の姿にも苛立ちを覚えた。
 お前はさびしくないのか?勇者だから我慢しているのか?…と。果ては、自分の家に帰りたくない何か社会的な理由があったのか?などとも考えたりした。

 あの頃のゲームは、今思えば説明不足や理不尽さが目立った。だからこそ「自分ならこうする」「自分ならこう考える」という余地があった。現在の作品はどうだろう?かなりストーリーが作り込まれて完成されている。完成されているために疑問をはさむ余地がないように思える。予定調和であり、裏を返せば空想する自由がない。
 
 “未完成であるがゆえに完成する”というケースだろうか。

 ゲームの話に限らず、実際の人生の局面でも、そういう事例は時折みられるようである。そんなことをふと思った。

投稿者小児科医師 小笠原 卓
「年末年始」 谷澤 和之
2015年12月28日
少し前まで正月なんてまだ先と思っていたら気が付いたらもうこんな時期。
やっと今年(2015年)の年号を間違えずにかけるようになったと思ったらもう年越しなんですね。

それはさておきこの時期の楽しみと言ったらおいしいものを食べること。最近毎日3食レトルトカレーの生活ですが、年末年始はいくらかおいしいものを食べたい。
焼き鳥食べてビール飲んでー、お刺身食べて日本酒飲んでー…

しかし一番の気がかりはやはり太ること。もともとおデブだったので少しの油断で簡単に太ります。普段節制できていてもお酒が入ると意志も記憶も薄くなり…なぜか翌朝買った記憶のない食べ物が冷蔵庫に鎮座してるという結構なホラーを体験します。この前は冷凍庫に大量のハーゲンダッツが。サンタ?と思ったらちゃんとお買い上げのレシートもありました。お酒って恐いですね。

と悩んでも仕方ないので良いダイエットはないものかとググるとたくさん出てきました。
・糖質制限ダイエット
・8時間ダイエット(食事する時間を8時間に限る)
・食べる順番ダイエット
・MEC(Meet,Egg,Cheeseの頭文字)ダイエット
・置き換えダイエット
・おにぎりダイエット
と色々ある。その他「この食べ物はダイエット効果がある!」系なんて山ほど。
けどどれもイマイチ決め手にかけるんですよね。実際に上の三つくらいは普段からちょっと心がけてますが、やり方の問題もあれ、痩せたかと言うとせいぜい現状維持。
しかも「おいしいものが食べたい」を前提にして食べるものに制限て本末転倒だな…


結論:今年も年明けにまた頑張ろう

2016年、手術手袋のサイズが変わってませんように。
年末年始はほどほどに楽しみましょう。


投稿者眼科医長 谷澤 和之
「睡眠時無呼吸症候群」 後平 泰信
2015年12月21日
よい睡眠が妨げられる身近な病気に「睡眠時無呼吸症候群」が挙げられます。日本には約300万人いると言われ、寝ている間に舌が喉の奥に落ち込んで空気の通り道を塞ぎ、呼吸が止まってしまうことによって何度も頭が起きてしまう病気です。

症状は睡眠中の大きないびきや呼吸の停止、日中の眠気が挙げられます。その他にも、集中力が落ちたり、夜中にトイレに何度も起きてしまう方もいます。
この病気が疑われた場合、自宅で行う検査、入院で行う検査を行い診断します。機械をつけて寝ていただくだけで、簡単に診断でき、体への負担はありせん。
治療法としては、現在最も効果的で、日本で約35万人の方がCPAPという機械を使って治療をしております。お部屋の空気をCPAPが取り込み、圧をかけてマスクから体に送りこみ無呼吸を予防します。体にとって負担は全くなく、治療を行うと元々あった無呼吸やいびきが消え、日中の眠気や疲れがとれ、快適に生活できるようになります。またその他の治療法として、マウスピースによる治療も普及してきています。

睡眠時無呼吸症候群によって引き起こされる身近な問題として、交通事故が7倍も起きやすくなります。また、高血圧、狭心症、突然死などが起こりやすくなり、脳卒中に関してはなんと3.3倍なりやすくなってしまう怖い病気です。

気になる方はしっかりと病院を受診し、検査・治療を受けられることをお勧めします。是非私までご相談ください。

投稿者循環器内科 後平 泰信
「絵のこと」 杉浦 千尋
2015年12月14日
外科系の手術には手術所見は付きもので、手術の重要な部分、部分では絵(イラスト)を添えることが多い(かった?)のではないでしょうか。又、手術に限らず、診察でもA4の用紙に原寸大で絵を描く(口腔外科で扱う頸部から顔面、口腔内にかけての領域は範囲的にも丁度収まる)ように指導もされてきました。スケッチやデッサンの本も買い込んで勉強もしたことがあります。

その結果判ったことは、芸術家でのないため、技術的な上手い・下手はあまり関係ないと言うことでした。大切なのは対象をしっかりと観察することでした。絵は本人が見た(理解した)こと以上には描けないのです。解剖学的な理解が無くてもダメですし、見るところを見ていなくても絵は描けないし、ましてや手術はできないのではないでしょうか。

ところが、最近は電子カルテが普及し、中々絵を描く機会が少なくなっていて、そのことを少々危惧もしたりしています。デジカメで写真を撮って、コピペで何となく立派な体裁ができ上がってしまうのですから、便利な物です。写真は確かにその場面の全体を万遍なく写しているのかもしれませんが、情報に強弱、重軽が無いのも困りものではないかと考えたりもします。術者が必要と判断し、強調したい部分の情報は、写真ではその他不要の情報の海の中に消えてしまって、丁度「ウォーリーを探せ」と同じ状態なってしまいかねません。

それが絵では術者が必要と判断(意図)する情報(のみ)を描くため、写真に比べてシンプルかつ判りやすい事がほとんどです。実際に、口の中の3次元的に複雑な位置関係も、写真では狭くて陰になってしまう部分も、絵では省略や強調、デフォルメ等で理解しやすくなることが多い(似顔絵でも、対象の特徴を理解すれば、時に写真よりも雄弁な事が多い)と思います。
先に述べたように、絵を書くためには対象をしっかりと見なくてはならず、さらに情報を「取捨」しなければならず、結果として病態をスケッチすることは「診る」ための良いトレーニングだったと今になって思っています。
自分がどういう視点で対象を観察し、何を認識し、その中から何を取捨選択するのか?
絵を描く側にはそんなこと問われているのかもしれません。
逆に言えば、絵を見られるということは、どういう眼で対象を見ているのかを見透かされているのかもしれません。

たかが絵、されど絵。
久々にスケッチの練習でもしようかしら。


投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「骨と歴史」 坂 なつみ
2015年12月07日
私たち整形外科医がメインで扱っている臓器、骨と、他の臓器の違いはなんでしょうか?それは、「後世まで残る」という点です。他の臓器はミイラにでもならない限り残りません。日本でいえば、東京、増上寺の徳川家の墓は昭和33-35年にかけて調査され、何人からの将軍の身長や顔の想定などがされています。

最近された発見として有名なのはシェイクスピアの作品にも登場するリチャード3世です。彼の遺骨は2012年イギリスの駐車場の地下から発見されたのですが、歴史書に書かれている通り、脊椎には側弯症(背骨が強く湾曲する病気です)があり、頭蓋骨には致命傷になったと思われる傷がみられました。このように、歴史に身体的特徴が残っている人物や、戦いで負った傷が分かっている人物については遺骨調査で更にいろいろなことがわかります。怪我をした後、それが治った人物の場合は当時の治療まで推測できてしまいます。最近では4,000年前のエジプトのミイラもCTスキャンなどを使用することで骨の様子がわかってしまいます。

というわけで、私たちも数千年先まで気が抜けません。


投稿者外傷センター医師 坂 なつみ
「初めての入院」 城田 誠
2015年11月30日
私は今までの人生ではおおむね健康で、滅多に風邪もひかないほど。そんな私が11月4日に緊急入院したのです。
11月3日にタイヤ交換でタイヤを持ち上げた時に腰から脚にかけ痺れ、激痛が走りました。この日は休日だったのでベッドで休んでいましたが、夕食の際にも激痛で食べることが出来ない程でした。翌日4日になっても激痛と痺れで歩くのもやっとの状態でしたが手術を3件組んでいたため妻に車で送ってもらいなんとか病院に到着。普段1?2分で着く手術室まで5分以上かかって移動し痛みをこらえて何とか1件目が無事終了。一旦仮眠室のベッドで休み午後から2件目。この時は相当顔色も悪かったようです。再度ベッドで休憩後に夕方3件目の手術。この際には痛みと痺れ呼吸も乱れ限界が近づいてきていました。この状況を聞きつけた院長(麻酔科医)が手術中にわざわざやってきて緊急入院となったのです。
自分で歩くことは出来ずベッドのまま病室へ。いつも仕事で見慣れた空間のはずが主に天井しか見えない状況でした。翌日整形外科の先生に診てもらい腰椎椎間板ヘルニアでけっこう大きく出ており麻痺症状もあった為、11月9日に手術を受けました。

入院中は初めてのことだらけ。もちろん医療者としてはいつも通りのことなのですが・・・
以下は感想

痛みは肉体的にも精神的にもかなりつらい。術前は痛みで食欲がなく数日点滴生活。
全身麻酔はすごい。寝て目が覚めたら(自分ではほんのちょっとの時間にしか感じていません)手術が終わっていた。目覚めもスッキリ。
膀胱留置カテーテル(しっこの管)はやはり痛かった。思ったほどではなかっものの。
電動ベッドは非常に便利である。家にも欲しいくらいだ。
動けなかったので寝たままシャンプーをしてもらった。自分で入浴できない患者にはとても嬉しいひと時である。これを含め看護師さんたちの優しい笑顔・看護でいつも気持ちが癒された。とてもとても感謝している。どうもありがとう。


術後経過は良好で11月18日に退院し早速仕事復帰をしました。この間手術や外来診察をキャンセル・変更し皆様には御迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。
まだ痺れや痛み、筋力麻痺も少し残っている状態であまり無理はできませんがやれる範囲で頑張っていきます。

月並みですが健康は大切である。


投稿者外科医長 城田 誠
「天 地 人」 小野寺 康博
2015年09月29日

エッセイのテーマとしては少し大げさな感じの題名かも知れない。
たまに自分の頭の中の視点なり視野のストレッチを少しばかりしてみたい気がした。
この夏も「観測史上初」とか「数十年振りの?」といった表現で始まる異常気象の報告が新聞、テレビで相次いだ。
ここ数年というか新しい世紀に入ってからその頻度が徐々に増して来ているように感じるこの手の派手な気象上の変化は一体どうしたわけだろう?と薄々気付いてはいたが、最近は特に気になる。
昨年の秋にも早朝の4時頃から携帯電話から何度も避難勧告の通報がなされる程、札幌を流れる複数の河川の水量が満ち溢れた。こんな事は私がこの街に住み始めてから40年以上が経つが初めてのことだ。
夏の北極海の氷が消失してしまうほど地球が温暖化して来ている影響の現れには違いないのだろうが。北極海は表層海流や深層海流を介して世界の海と?がっているからシロクマやアザラシの住処が無くなるだけで済まずに様々な生態系にも影響を及ぼしているに違いない。勿論、話は北半球だけの話では済まないはずだ。日本に限らず、北半球の世界の国々は北極の氷が融けた結果として寒気団の位置の緯度変化やそこから生じる気圧変化の影響で夏の更なる高温のみならず時ならぬ低温や局地的に大気の不安定さを増してしまう変化が起こり易くなっているという説明への理解は比較的容易な気がする。
6000年前の縄文時代に「縄文海進」という海面上昇があったそうだが、その時は今より平均気温が2度上昇していて海面が4メートル上昇していたという。気温上昇に関する予測では今世紀末には現在より6度以上上昇されると報告されているが、そうなると世界の平均海面が8メートル程も上昇し、東京湾は埼玉県まで拡大するという。
平成に入って間もない頃、徳洲会の若手医師の集まりというのが関西の高槻市で開催された際に神戸の学会に行っていた折りに是非参加するように言われて参加した。その際に、当時の徳田理事長から会場の医師達に「ここに直径1メートルの地球があるとすれば大気圏の厚さはどのくらいか判るか?」と質問され、一瞬会場全体が静まり返った。光速度から始めてもそもそと計算した結果、結局約1mmの厚さになる事実に行き着いた。1mm。
1969年に人類が初めて月面に足を降ろした時の驚きと感動は当時中学生であった私にとってとてつもない感動であったが、もうひとつ大きな感動というか不思議な感覚で見入ったものがあった。
月から映った青い色をした地球の姿だった。
「なんて綺麗なんだろう。」という想いが観た最初の印象だった。
月という別な天体である宇宙空間から自分達が住む青色の惑星の姿を初めて映像で捉えた瞬間の気持ちは今でも忘れられない。
直径1メートルの地球の1mmの厚さの大気圏。更にその下の約1mmの水層圏を含めても薄い膜の中に全ての生き物が生かされていることになる。
隕石の衝突で絶滅した恐竜をはじめとした生物の生存が極めて厳しい状況になった原因は隕石の影響による太陽光の遮断だと言われている。
「天 地 人」、太陽の光が毎日届いている現在の状況が続く限りは、古代から多くの人間がこの言葉の中に多くの想いを巡らせることが出来た掛けがいの無い人間生活が営まれ続けるであろうと思うし、そうあって欲しい。
次世代以降の子供達に引き継げるものとは何なのか。国土の有り様から天災には元来強い我々日本人かも知れないが、人為の影響についてはこれからどうやって最小限にして行くかの工夫に関しても次世代以降に引き継いで行くべき知恵がまだまだ沢山あると信じている。
まずは、車に乗る時間をなるべく減らして行くようにしようと考えながらなかなか実行出来ていない自分を反省しながらこのエッセイを書いている。

投稿者副院長 小野寺 康博
「ほんの少しだけ、戦争を知っている私」 田辺 康
2015年09月14日
5年前から国境なき医師団の外科医として年に2から3回、3か月間ほどを世界の紛争地域で過ごしています。そこでは、戦闘が日常です。


車の残骸で遊ぶ『戦争しかしらない子供たち』


紛争地では日本では殆ど経験しない重傷な怪我の患者さんや、戦争で心に傷を負った人々が溢れています。
何も悪い事をしていないのに、毎日爆音とともに生活し、死が隣り合わせで、極貧の生活を強いられる。市民の方々は、さぞかし辛いだろうと思います。同じ地球に生まれたのに、何という不公平でしょうか。しかしながら、そこに生活している方々は礼節を失わず、外国からはるばるやってきた我々を心から歓迎してくれ、感謝の笑顔で一杯なのです。


イエメン人の少年は回診に行くたびに満面の笑顔で迎えてくれました


「私達は、毎日精一杯生きています。しかし将来に希望を持つ事は難しい状況です。日本は70年も戦争をしていないのですね。とても素晴らしい事です。どうぞ、私達の事を日本の皆さんに伝えて下さい。そして、皆さんと同じ平和がこの国にも訪れる様に祈って下さい。」戦争の真っただ中にあったパレスチナの青年の言葉です。

この夏、大勢の医学生が札幌徳洲会病院に見学に来てくれました。清々しい札幌で将来の自分を見据えよう、と日本全国から集まってきた、希望にあふれた医学生達。そんな彼らに、度々、こうした現在の戦争の話をしました。
医療者は病気に苦しむ人達に寄り添いたいと思います。かつて東北大学の医学生であった魯迅は筆の力で中国という国を治療するのだ、と決意し、医師の道をあきらめて文筆家となったといいます。道は違っても、人の為世の中の為に頑張ろうという気持ちは、きっと色んな形でこの世界を変えてゆくはずです。学生諸君の純粋な気持ちに触れる事は本当に有難い経験でした。


紅葉が色づき始めた病院。


投稿者副院長 田辺 康
「『青空文庫』ご存知ですか?」 小谷 裕美
2015年09月07日
青空文庫(あおぞらぶんこ)とは、日本国内において著作権が消滅した文学作品、あるいは著作権は消滅していないものの著作権者が当該サイトにおける送信可能化を許諾した文学作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館です(Wikipediaより)。著者の没後50年を経て著作権が消滅した作品や、著者自身により無償閲覧可能とされた作品等が電子化され、基本的に無料で閲覧可能となっています。ですから、登録されている作品は、明治から昭和初期のものがほとんどですが、これが意外と楽しめる作品が多く、全く飽きることがなく、ついつい、到底読むことができない量の作品をダウンロードしてしまいます。

かの食通、北大路魯山人の随筆は、札幌市内の地下鉄、JRでの移動時に最適の分量です。「すき焼きと鴨料理」では、漫画に引用された鴨料理の店「ツール・ダルジャン」での逸話、ソースなしの鴨を持って来させ、手持ちの醤油とワサビで食し、「この方がうまい」とのたもうたエピソードを、地下鉄新さっぽろから大通りまで移動中に楽しめます。「塩昆布の茶漬け」は、わずか数ページの作品なので、お腹が空いたときのJR新新札幌から札幌駅間あたりに最適です。「・・昆布は京都の松島屋、東京ならば築地魚河岸の特産店、日本橋室町の山城屋とかが取り扱っているものだ。・・・醤油はヤマサくらいでよかろう。・・・直火ではなく湯煎で煮つめるのである。」という魯山人の語りは、丁度良い食前酒代わりとなります。

時間がたっぷりあって、ディープな次元に沈みたい時は、夢野久作の名作「ドグラ・マグラ」なんていかがでしょう。初めから読まなくても、開いたページには頭のメリメリ感がたっぷりの世界が広がっています。もっと時間がある方には、吉川英治「三国志」全12巻が。また、紫式部作、与謝野晶子訳「源氏物語」56巻が用意されています。大正・昭和生まれの青春を語るには、倉田百三「愛と認識との出発」・「出家とその弟子」や、阿部次郎「三太郎の日記」も読むことができます。夏目漱石や島崎藤村、下村湖人、短編・長編・詩集など、もう読みきれません。

翻訳の著作権の関係から、海外の作品には少し弱いようですが、ダンテ「神曲」、森鴎外訳・ゲーテ「ファウスト」、坪内逍遥訳シェイクスピア「ロミオとジュリエット」といった作品も読むことができます。

いかがですか? iPhoneで読むのであれば、「豊平文庫(有料アプリ、わずか360円也)」で読むのが手軽かと思い、おすすめです。また、Android アプリにも、青空文庫ビューワーがあるようです。スマートフォン、iPod、iPadなどに用意しておけば、文庫本を何冊も持たなくても、電車・バス・飛行機での移動中など、いつでも図書館気分を味わえること請け合いです。

最後に、2003年以降、米国政府は日本政府に対して、著作権の保護期間を「個人の場合は死後70年・法人の場合は公表後95年」に延長することを要求しており、2015年以降、とくにTPP参加後は、現状の雲行きが怪しくなっていることを付け加えさせていただきます。

投稿者副院長 小谷 裕美
「電脳時代」 蘆田 知史
2015年08月31日
「将棋とは、棋士が一生懸命智恵を絞り、あらゆる可能性を考えて対決し、結局羽生が勝つゲーム」と誰かがいった。それほど羽生善治将棋名人は強い。現在プロの将棋の試合=棋戦は、同じプロ棋士が何人もよってたかって解説し、 衛星放送やネットで中継されることが多くなった。このような試合では、次に指す手というのは、大抵解説担当の誰かが予想し、その後どうなるかという解説が続くのが普通である。しかし羽生名人の指す手は、時折同業プロの誰もが予想できないことがあり、そのために相手を打ち負かしてしまう。まさに人間離れしている天才といえる。

最近、羽生名人の棋戦以外でも同じように同業プロの誰もが予想できない手が時々指されるようになった。それは人間のプロ棋士と、コンピュータプログラムの試合の話である。現在将棋では人間とコンピュータプログラムはほぼ五分五分の勝負である。このコンピュータプログラムはどのようにできているかというと、遙か昔に人間に勝ったチェスプログラムのようにすべての指し手の可能性をしらみつぶしに調べる、という方法をとっていない。コンピュータプログラムは、これまで人間同士が指した膨大な将棋のデータ(棋譜という)をデータベースとして取り込んでおり、この場合にはこの手を指してどっちが勝ったというデータを元に指し手を選択するという方法をとっている。指せば指すほどデータが増えて強くなっていくという、いわゆる人工知能プログラムとなっているのだ。

この方法による人工知能が容易に他分野でも応用されるのは想像に難くない。実際、東京の大学病院では、医療情報システム、すなわち電子カルテに記載された看護記録をデータとして取り込み、このような記載がある患者さんにどのようなリスクが潜むのかということを見出すシステム作りの研究が始まった。医療情報システムにある電子データは、将棋の棋譜と同様に病気と人間との戦いの記録である。これまでは、このようなデータはいわゆる医療従事者の経験として、感働きとして医療の現場では生かされてきた。今後は人工知能システムが、このような経験値を誰でもが使えるように医療のやり方を変えるだろう。

新しいコンピューターシステムとプロ棋士が対決する棋戦がはじまった。プロ棋士の代表はトーナメントで決まる。この棋戦に羽生名人は参加しない。他のタイトル戦が忙しいからだ。人工知能と羽生名人のどちらが強いのか、いまは誰もわからない。しかしコンピューターは羽生名人の将棋をもとに学習している。電脳は果たして師を超える日がくるのだろうか。


投稿者IBDセンター長 蘆田 知史
「登山」 川崎 能道
2015年08月24日
年に数回、夏山登山をしています。5年前にふと富士山に登ろうと思い始めて、登山靴を購入するところから、準備を始めました。現在は、目標の富士山登山に向けてトレーニング中です。藻岩山を手始めにニセコのアンヌプリやイワオヌプリなどの道央の山や、黒岳などを登っていますが、年々体力が落ちているのを感じています。

高校生の時に、研修でクラスの皆と十勝岳を登った時は、普通のスニーカーで走って登った記憶があるのですが、いまは無理だろうなと思います。毎年、トレッキングポールやハイドレーションシステム(歩きながら水を飲める便利な道具です)、コンプレッションウエア(圧迫されたタイツ)などの新兵器を購入して今度こそと思って登山するのですが、道具の進歩に体力が追い付かない状態です。体力は登山用品店には売っていません。今年の7月に、トレーニングで羊蹄山を登ってきましたが、登山ガイドの本の往復8時間を大幅に超える11時間以上かかりました。下りで雨に降られて、登山道がぬかるみ、不安を覚えながら登山口にたどり着いてホッとしました。その時は、足も痛く、もう山登りはすまいと思いましたが、数日たつと次はどの山に登ろうかなと思い始めているから不思議なものです。

これが今の登山ブームの理由なのかもしれません。

投稿者内科部長 川崎 能道
「生」 黒川 泰任
2015年08月17日
なま 生 について 考えてみました.


生ビール       draft Beer

生魚         raw Fish

生中継        live Telecasting

生テープ(死語)   virgine Tape

生米         uncooked Rice

生肌         naked Skin

生クリ-ム      fresh Cream

生ギタ-       acoustic Guitar

生ゴム        crude Rubber

生コン        ready-mixed Concrete

生コーヒー豆     green Coffee Bean

生ゴミ        kitchen refuse


むずかしい!!!!!


投稿者脳神経外科部長 黒川 泰任
「ヨガのすすめ」 中明 結花
2015年08月10日
こんにちは。麻酔科医の中明です。今日はヨガについて書きたいと思います。
みなさんはヨガと聞いたら何を思い浮かべますか?おそらく大半の方は、何やら不思議なポーズをとるエクササイズのようなものをイメージするでしょう。たしかにそれも一面です。実際、体幹筋はつきますし、柔軟性も増します。しかしもっと大切なのは、内面への効果であると私は思っています。
ヨガのポーズをとっている時は深い呼吸をします。それが出来る範囲で力みのないポーズをとるのです。上手くできないからといって周囲の人と自分を比べる必要はなく、ただ事実を受け入れ、呼吸を見つめます。すると次第に心が落ち着いてきます。
私たちは普段の生活の中で意識して深い呼吸をすることはあまりないのではないでしょうか。逆にいつも何らかの情報が入り、それを咀嚼する間もなく次から次へと新たな情報が入り続ける。それが多くの現代人の生活です。
もちろんヨガでなくても良いと思います。何も考えずに自分の内側に心を向ける時間を、たった5分でもいいから毎日作ることができれば、次第に心が平穏になっていくことに気づくでしょう。
また、ご高齢の方や体力に自信がない方も安心してヨガを行うことができます。シニア向けや椅子に座って行うクラスもあります。
ここまで読んで少しでも興味がわいた方、新たにヨガを始めてみませんか。


投稿者麻酔科医師 中明 結花
「マイブーム」 執行 寛
2015年07月21日
リレーエッセイの原稿の依頼があり、何を書こうか考えが全然まとまらず、今日(7/16)はお笑い芸人:ピースの又吉君が芥川賞を受賞しましたとか(おめでとうございます。快挙です!)、台風が四国に上陸しましたとか(北海道は?)、などテレビでは流れていますが、「どうしましょう」ということで。「そうだ!」最近の楽しみというか、マイブームについて書きたいと思います。

それはいろいろなLiveを、(できれば家族と)見に行くことです。当院に赴任してから早いもので5年目となりました。前任地がやや田舎だったため、(オホーツク地方の方、すみません。)なかなか好きなアーチストのLiveなどを観る機会がありませんでした。(札幌はすごく恵まれていますよね)。取りづらいチケットを何とかしてとるのもマイブームです。ぴあなどの会員になって先行抽選に応募したり、発売開始の時間直後に何度もTELしたり、時にはファンクラブにも入ります。入手困難でどうしても見たい場合は、多少値は上がりますが、様々なオークションでも購入するというスタンスで行きます。

でもLiveは本当にいいですね。先々月はミスチルのコンサート(北海きたえーる)に行きました。みんな一生懸命で本当に素晴らしい楽曲の数々でした。アラフィフのおっさんの僕ですが、盛り上がって汗かいて、ウルウルして大変感動しました。9月下旬には浜田省吾のチケット(ニトリ文化ホール)が2枚、何とか取れましたので、子供たちには留守番してもらって妻と出かけて来たいと思います。思い出の曲が色々とありますので今から大変楽しみです。

「いいLiveは明日への活力」ということで、忙しい中でも、時間を作って是非、皆様も大好きな方、ご家族と出かけてみてはいかがでしょうか?深夜に急いで書きましたので乱文で失礼いたします。それではまた。

投稿者耳鼻咽喉科部長 執行 寛
「蟲との日々」 小笠原 卓
2015年07月13日
僕には子どもが3人いる。男子(ダンゴ)3兄弟である。やんちゃな彼らは日々蟲と遊び、蟲から色々なことを学んでいるようだ。
 
毎年夏になると、子ども達とクワガタを探しに近くの森にでかける。自分の幼少期よりも蟲が少なくなったようで、なかなか見つからない。それでも去年は苦心してメスのクワガタを5匹捕まえた。今年は是非オスのクワガタを捕まえたい。
庭でヒシバッタ(小さめのバッタ)を捕まえるのはお手のもの。先日長男が紅色のヒシバッタを捕まえ、「レアだ」と言って虫かごに入れていた(レアかどうかはわからないが)。しかし去年は、当初飼うためにつかまえたヒシバッタ達は、その後に捕獲したカナヘビの餌になっていた。今のところ「レア」なヒシバッタは餌にはなっていない。
せっかく捕まえたクワガタを木に登らせて、手の届かないところに登って行き、そのまま飛んで行った事件もあった。息子曰く「木に登りたがっていたから」とのこと。飛んで行ったクワガタはきっとその後自由を謳歌したことだろう。

三男坊は2歳になったばかりで最近やっと語彙が増え始めた。この前近くの公園を一緒に散策していたら、突然地面を指差し、「エビ!!」と叫んだ。何のことかよくわからず、指差している場所をみると、ワラジムシがチョコチョコ歩いていた.三男坊はワラジムシの名前を正確に言えるはずがないので、一番似ていると思ったエビと勘違いしたようだ。

現在地球上で最も繁栄している生物は蟲である(と僕は思う)。ヒトが一番繁栄していると思うのは人間の傲りである。そんな小さな隣人達と身近に接し、親しんでいる僕の子ども達は実り多き時期を過ごしていると、ふと思った。

投稿者小児科医師 小笠原 卓
「ピクピクしている」 三浦 美文
2015年07月06日
職業柄、その人の口元をまず見てしまう。テレビを見ていても、「この人の前歯は補綴物(作り物)だな」とか。また、「この女優(俳優)は口元が変わった気がするな」、「滑舌が悪くなったな」とか。きっと、前歯を治療した(治療中)に違いない。あくまでも個人的な感想ですが、「何故こんなに歯を白くするのだろう」と思われる芸能人もいます。歯だけが浮き出たように目立ち、自然感がなく作り物って感じがし違和感があります。繰り返しますが、あくまでも個人的な感想です。
 
地下鉄などに乗っていて何気なく周りを見る(探しているのかも)と、「あっ、また見つけた」。何も食べていないのに、頬の少し後ろの部分がピクピク動いているのです。「あーあ、噛みしめている、噛みしめている」。よっぽどストレスが溜まっているのかな?私は勝手に想像してしまいます。これは無意識のうちに起こっていて、本人は気付いていない事が多いのです。頬の少し後ろやこめかみに手をあてて、ぐっぐっと食いしばってみて下さい。筋肉(咬筋や側頭筋)が盛り上がって力が入っているのがわかります。

ところで、普段は上下の歯は接触している(接触している方が良い)と思いますか?安静空隙と言って上下の歯の間に2mm程度の隙間があった方が良いとされています。歯は咬むためにありますがそれは食事の時の話です。重い物を持ち上げる時や力が入るときには当然食いしばります。歯ぎしりや噛みしめは寝ているときにも起こりますし、ストレスがかかったりするとその頻度が増加するようです。口の中に食べ物がない状態で、噛みしめたり(軽く接触する事も含む)歯ぎしりをしたりすると、歯や歯周組織、筋肉や顎の関節に負担がかかり痛みなどの症状を引き起こすことがあります。歯ぎしりや非常に強い噛みしめがある時に歯に見られる一般的な変化として、歯の表面にあるエナメル質のひび、歯の水平的あるいは垂直的な破折、前歯の先の部分の鋭角化、咬み合わせ部分の摩耗や窪み、歯の根元がえぐれるなどが挙げられます。これらが原因で歯が痛くなったりしみたりする事もあります。人間の中で最も硬い組織であるエナメル質が磨り減るのですから相当な力が働いています。しかし、歯ぎしりを無くす特効薬は今の所なく、対症療法(マウスピースを入れる、歯を接触させないように意識する)で対応しているのが現状です。一方では、歯ぎしりはストレスのはけ口ではないかとの考え方もあり、詳細はまだ解明されてはいませんが色々悪さをする事は間違いありません。

歯ぎしりをしている人は、前述したように歯が磨り減っている事が多い(食いしばりのみではあまり減らない)です。前から3番目の歯は犬歯と言って本来は尖った形をしています。この先が磨り減って平になっている人は歯ぎしりをしている可能性が高いです。また、口の中の頬っぺたの内側や舌の側面に圧痕(歯の形に合った凸凹の波打った白い線)ができている人がいます。こんな場合にも噛みしめている可能性が高いです。普段から上下の歯を合わせないように常に意識をして生活すると、くしばりなどの癖は無くなりませんが上下の歯が接触する時間はかなり短くなります。それにより歯、歯周組織、顎の関節そして顎を動かす筋肉などへの負担が少なくなります。

今までに数多くの患者さんの口の中を診てきましたが、私よりも舌の側面が凸凹している人を見た事がありません。自分ではそれほど感じていませんが、ストレスがかかっているのでしょうか。リラックス、リラックスですね。最後ですが、周囲にはピクピクしている人が案外いますよ。

投稿者歯科部長 三浦 美文
「最近の橈骨遠位端骨折治療について」 辻 英樹
2015年06月29日
橈骨遠位端骨折は、多くは中高年の特に女性の方(稀に男女を問わず若い方も)が,屋外あるいは屋内で手をついて転倒,転落した際に手首の少し上(体に近い方)に起こるものです.高齢化社会を迎えて大腿骨近位部骨折(足の付け根)、脊椎圧迫骨折(背骨)と並んで近年非常に増加している骨折であります。この骨折の既往のある患者さんは本当にたくさんおり、もし医療関係者の方であれば「コーレス骨折」という言葉をご存知の方も多いでしょう。 

さてこの骨折の治療についてですが、実はここ数年で劇的に変化してきています。ほんの5-10年ほど前までは、約1ヶ月から1ヶ月半のギプス固定、あるいは手術治療が選択されたとしてもワイヤーによる固定後のギプス固定、創外固定(骨のピンを挿入して体の外枠で固定する)といった「術後も手関節を固定して骨癒合させる」治療が一般的でした。元々骨は癒合しやすい箇所で、また例え多少変形を残して骨が癒合したとしても、その後それほど患者さんは困ることのない、いわゆる「予後のよい」骨折とされてきたのです。しかし前述のように患者さんは「ギプス固定や創外固定で手関節が動かせない」期間を過ごさなければならなかったのです。

そこで近年登場し、現在爆発的に使用されるようになったのが「ロッキングプレート」というものです。従来から使われてきたプレートはスクリューがプレートに固定されることはなく、骨がもろければ(=骨粗鬆症)全くスクリューが固定性をもたず、特に高齢者の橈骨遠位端骨折に使用されることは殆どありませんでした。しかし「ロッキングプレート」はプレートとスクリューが「ロック」することで、骨粗鬆症であっても良好な固定性が得られるので、術後ギプスで手関節を固定する必要が殆どなくなったのです。
その骨折の型により、現在でも術後ギプスをしたり、創外固定を止むを得ずしなくてはならない場合もあります。しかし「一人暮らしで、すぐにでも身の回りのことをしなくてはならない」という患者さんも増えている現在、この術後ギプス固定の必要がない「ロッキングプレート固定による骨接合術」は確実に患者さんに福音をもたらしている、と言っても過言ではないでしょう。

橈骨遠位端骨折において、もはや時代は「半年後には治っている」治療から「術直後から快適に過ごすことができる」治療に変わってきているのです。


投稿者外傷センター長 辻 英樹
「4本足のニワトリ」 杉浦 千尋
2015年06月22日
随分前になるが、大学生にニワトリを描かせたところ、4本足のニワトリを描く学生が少なからず居た。と話題になったことがある(それに関連してか、旭川医科大学の入学試験の中で、ニワトリとハエを描かせた年まであったらしい)。

犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになるといった類の話だろうと思って聞き流していた。

ある年、たまたま最高学府の最高学年の学生達と接する機会があった。その時ほんの思いつきで、なに気なくニワトリを描いてもらったことがある。
すると、居たのである。4本足のニワトリが。しかも全学生の1割弱の確率で。
味を占めて、次の年も描いてもらった。そして又その次の年も、更に次の年も。
どの年も4本足のニワトリは健在だった。面白いように常に全学生の数パーセントは必ず「4本足のニワトリ」を描いてくれた。

都会暮らしで生きたニワトリを見たことがないかも知れないが、教科書の写真等で目にしたことはあるはずだし、それに鳥類だし・・・

理解には苦しむが、かと言って、わざわざ華厳の滝へ出向いて「不可解」と嘆くほどのことでもあるまい。
どうやら、そんな人は確実に一定数存在するようだ。

来年も「4本足のニワトリ」は健在なのだろうか。
今度は4本足作者に少しインタビューしてみようかしらん。

今から来年が楽しみである。


投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「子供叱るな来た道だもの」
2015年06月15日
今年の4月頃だったでしょうか、保育施設開設にあたって周辺住民が反対しているというニュースを散見しました。合わせて、とある公園ではボール遊び禁止というニュースも話題になりました。これらを見聞きして、思い起こしたのはこの一節です。

『子供叱るな来た道だもの、年寄笑うな行く道だもの』

子供らの元気いっぱいで遠慮のない泣き声や笑い声、その声をほほえましく感じるか、騒音としか思えないかはその時の状況によって変わるのでしょうが、もうちょっと、もうちょっと、温かく見守れないものだろうかと感じてしまいました。皆周りに迷惑をかけながら成長してきたのだから・・・
反対する住民の思いは子供の声だけではなく、送迎の保護者マナーや迷惑駐車にも思いは及んでいるのでしょう。その気持ちもわかりますが。でも・・・ね・・・。

我が家には小学6年生の息子がいます。放課後や小学校の振替休日には、我が自宅は児童遊戯スペースと化します。多いときは友達が10人近くやってきて、彼らの遊び声やゲームの大音量、迷惑駐車に遭遇します。
うるさいことこの上ないです(´Д`。)。そんな時は、子供らが外に遊びに行くのを、家路につくのを待ちながら、私は自室でヘッドホンつけてやり過ごしている次第です。


写真のお題「迷惑駐車」


車を入れられないじゃないか!( ̄□ ̄#)


ちなみに、この一節には続きがあるそうで、

『子供叱るな来た道だもの、年寄笑うな行く道だもの、
来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、通り直しのできぬ道』

含蓄のある一節で、いろいろと考えさせられます。


投稿者麻酔科部長 出内 なつ子
「侮れない、こども番組」 小野寺 麻記子
2015年06月08日

子持ちにはあまり見られないが、私にはもうすぐ5歳になる娘がいる。なので、一緒にこども番組を見ることもしばしば…
しかし、このこども番組、よく見ると全く侮れないものも多いのだ。凝った内容や、大人にとってもためになることが含まれていたりする。何となく聞いたことがあっても、今改めて聞くと、「へぇ~、そういうことなんだぁ」と意外に勉強になったりして。それに挿入歌なんか、よくよく聞くとなんてステキな歌詞なんでしょう!と思わず励まされたりもして。いやはや、子育てしているつもりが、自分が育てられていたりしてー
そのこども番組で、ふと耳に入ったのが「さつまいもは皮まで食べるとオナラがでにくい!」というもの(お食事timeの方、お許しを…)。
これは看過できないーなにを隠そう私は芋が大好きなのである。道民なのでジャガイモはもちろん好きなのですが、サツマイモも「めっちゃ好き」なのである。サツマイモのためには金をいとわない…といっても過言ではない。そして、好みはネットリ系。現在まで自分の中のトップに君臨するのはやはり蜜芋と言われる「安納芋」。糖度は生でも15度を超え、焼くとなんと35度以上にもなるつわものくん。あー、秋が待ちきれないっ!
― 話は戻るが、お芋を食べると、やっぱり気になりますよね、オナラ…
で、解説によると、サツマイモのデンプンは吸収しづらく、胃や小腸で消化しきれなくて大腸までたどりつき、発酵してオナラがでる仕組み(まぁそこまでは何となくわかる)。しかし、さつまいもの皮付近に含まれる「ヤラピン」という成分が、デンプンを分解する働きがあり消化を促してくれるため、オナラが出にくくなるのだとか!というわけで、皮まで残さず食べてみよう(農薬とかの心配がない良質なおいもさんで)!
話は変わるが、サツマイモにまつわる思い出話をひとつ。「にんじん芋」ってご存じだろうか? 以前勤めていた職場が浜松だったのだけど、そこの職場の事務官さんが「ここらの名産なんだけど、あんまり手に入らないのでお一つどうぞ」と何やらネトネトした物体の入ったパックをくれたことがある。
こういうの↓


なんじゃこりゃ?と一瞬思った。「にんじん芋っていうんです。ここらの名産。スライスして干してあるの。あぶると甘みが増して美味しいですよ」。名前はにんじんでも、サツマイモ。サツマイモでは珍しい「β-カロテン」を多く含んでいて、焼くと人参のような色になるのが名前の由来らしい。ごっちゃんです!!と、ありがたくいただいた。うま~いぃ♪
そして残りは”あぶり”用に...と取っておく。しばし仕事をして頭も疲れ、ちょっと小腹がすいたので、「そうだ!にんじん芋をあぶろう」とワクワクしながら医局のトースターにポイポイッ~っと放り込み、スイッチon
焼けるまで新聞でも読みながらしばしお待ちを…と、10秒後。目の前のガスヒーターの電源が消えた…はて?もしやー??
その直後…「ねー、ボクのパソコン突然消えたんだけどー」と大声で叫びながら部屋の奥からズンズン近づいてくる医局長。私の顔をにらみつけて、医局長「もしかして…ブレーカーとばした?」。私「(しらーん)?」エヘっと微笑んだ瞬間、タイマー終了のトースターが元気よく「チーン!」。
そうだった、この手のトースターって電源切れてもタイマーだけ回っているのよね…
医局長がピクッと冷たい視線で振り返り、パカっと開けられたトースターには私の楽しみにしていたあぶり芋ちゃんが鎮座していた。
「もうボクやる気なくした。帰るっ!」プンプンっと去っていったその手に中には、あぁ、私のあぶり芋ちゃん達が―  という、悲しくもくだらないイモ話だけが残るのでした。   

投稿者歯科口腔外科 医長 小野寺 麻記子
「薬剤耐性とは,ばい菌とカビの戦いである」 成田 光生
2015年06月01日
 最近,「多剤耐性緑膿菌」とか「多剤耐性アシネトバクター」など,かなり専門的な細菌名が,一般紙の紙面にちらちら見られるようになった.ここで言う「多剤」とはもちろん抗菌薬のことであり,すなわち抗菌薬がほとんど効かない「薬剤耐性菌」が,そこら辺にちらちら出現している,ということである.そこで今回は「薬剤耐性」とはそもそも一体何なのか,話題として取り上げてみた.ちなみに「抗菌薬」と言うのは,以前は「抗生剤」と言われており,微生物の中でもあくまでも「細菌(ばい菌)」を殺す薬であり,同じ微生物でもばい菌よりもはるかに小さく,全く別の生き物である「ウイルス」を殺す薬ではない.そして実際には「かぜ」の原因のほとんどは「ウイルス」であり,したがってほとんどの「かぜ」に「抗菌薬」は必要無い.現在も一般的には「抗生剤」と呼ばれる場合が多いし,その方が通りは良いのだが,本稿では正確を期して「抗菌薬」と呼ぶこととする.決してインフルエンザに使うような,「抗ウイルス薬」の話ではない.

 閑話休題,抗菌薬と耐性菌は,そもそもはカビとばい菌によるそれぞれの生存をかけた戦いなのである.何億年も前の地球の土の中,養分のきわめて少ない環境でいかに生き延びるか,微生物同士の戦いが始まった.この点,ばい菌とウイルスはともに人間に病気をもたらす微生物ではあるが,それだからと言って,決して仲良しではないのである.言わば「エイリアン対プレデター」の関係であり,ある種のカビは自分の周囲に余計なばい菌が近付かないよう,ばい菌を殺す物質,今で言うペニシリンやセファロスポリンのような抗菌薬,を産生する能力を身につけ,栄養分の独占を企てた.それに対してばい菌もむざむざと負けてはおらず,遺伝子変異を起こすことや抗菌薬を効かなくする遺伝子を身に着けることでカビに対抗してきた.そして現代,何億年も前から地球の土の中で繰り広げられてきた戦いが舞台をヒトの体に移して,繰り広げられているのである.すなわち薬剤耐性というのは,長い時間をかけて細菌が身につけてきた「生きるための知恵」なのである.

 それではその薬剤耐性が,なぜ最近になりとりたてて問題になってきたのか?その全てとまでは言わないが最も大きな原因は,間違いなく抗菌薬の乱用である.今述べたように薬剤耐性は言わばばい菌の生存本能であり,ヒトがカビに代わって手を変え品を変え抗菌薬を使い続ければ,「多剤」に「耐性」となる菌が出現してしまうのは当然の帰結である.言い換えれば,「耐性」は攻撃されなければ発動しない性質であり,抗菌薬は本当に必要な場合に必要な薬剤を用いる,「抗菌薬の適正使用」が医療側に求められている.と同時に一般の方々も,「かぜには抗生剤」などという‘迷信’にとらわれず,いっそのことかぜに対して安易に抗生剤を出す医者には,「私の病気に本当に抗生剤は必要なのですか?」と聞き返せるくらいの‘目’を持って戴ければ幸いである.今回は「エッセイ」と言うより「提言」みたいになってしまったが,真の意味での「耐性菌対策」は,医療側,患者側,両者の感染症治療に対する共通理解無しには,前進しないものなのである.

投稿者小児感染症部長 成田 光生
「旭川の旭山公園」 折居 史佳
2015年05月18日
はじめまして。IBDセンターの折居と申します。昨年の11月から札幌徳洲会病院に勤務しています。今回、このリレーエッセイを書くにあたり、これまで書かれた先生方のエッセイを拝見したのですが、仕事以外のことを書かれている方が多く、私はひとさまにご紹介できるような趣味もないので、どこかに行ってその見聞記みたいなものを書こうかな、と考えました。
札幌には、旭山記念公園という眺めの美しい、素敵な噴水のある公園がありますが、私の生まれ故郷の旭川にも旭山公園という名前の公園があります。動物の行動展示で有名になった旭山動物園に隣接し、山の斜面にある公園です。札幌の旭山記念公園とは違い、(良く言えば)「自然そのままの形を生かした」公園です。GWより少し前にこの公園を訪問しましたので、そのときのことを書きます。

私が、まだ小学校にあがるかあがらないかの頃だったと思います。私の祖父母が東旭川というところに住んでおりまして、その家に何かの理由で預けられたことがありました。そのとき祖父が私を旭山公園に連れて行ってくれた思い出があります。その当時、旭川にはまだ路面電車が走っており、祖父の家から旭山まで行くのに、路面電車に乗っていったこと、路面電車の停留所が道路の真ん中にあって、そこまで祖父に手を引かれて道路を渡ったときに、車にひかれるんじゃないかと恐ろしかったことを覚えています。旭山公園に着いたあと、祖父が「この山にはお地蔵さんが八十八あるから、そのお地蔵さんひとつひとつにかたくりの花を供えて行こう」といって、旭山公園の斜面に咲くかたくりの花を一輪一輪摘み取っては、八十八体のお地蔵さまに供えて廻りました。子供ごころに、山の斜面に咲くかたくりの花がとてもきれいだったこと、番号のついたお地蔵さまを順番通りに廻っていくのがとても楽しかったことを覚えています。(いまはきっと、花を勝手に摘み取ったりしてはいけないのだと思いますが、40年前の話ですので。)

これまで旭山公園を訪れたのはこれ一度きりで、そのあと、旭山動物園が有名になりテレビで放映されたりするのを見るたび、旭山公園ってまだあるのかな、かたくりの花はまだ咲いているのかな、とぼんやり考えたりしていました。
今回このリレーエッセイを書くにあたり、是非もう一度旭山公園に行って、かたくりの花がまだ咲いているのか、お地蔵さまがまだあるのか確かめてみたいと思い、訪問しました。

訪れたのはまだ少し寒い晴れた日の午後、さくらはまだつぼみで、咲いてはいませんでした。旭山動物園を目指して車で走り、旭山動物園のあたりをうろうろしているうちに旭山公園にたどり着きました。入り口のあたりに公園の整備をされているかたがいて、お聞きしましたら、公園の中ではかたくりの花が咲いているとのことでした。
公園の中に入っていくと、お地蔵さまが点在しており、そのわきには、かたくりの花が咲いていました。

  




もうすこし公園の奥に進んでみましたところ、そこには、なだらかな山の斜面に、木もれ日のなか、ひっそりと咲くかたくりの花たちが。

  




この日は時間の都合で八十八のお地蔵さまは廻ることができませんでしたが、40年前にタイムスリップしたような時間を過ごすことができました。
旭川でかたくりの花、というと、男山自然公園が有名ですが、旭山公園でも昔と変わらず、かたくりがきれいな花を咲かせていました。
最後になりましたが、公園内にはこんな看板が。



お出かけになる方は、クマにもご用心ください。


投稿者IBDセンター部長 折居 史佳
「七輪」 倉田 佳明
2015年05月11日
3月に北陸新幹線が開通し、金沢・能登方面の話題が多くなっている。そんなニュースを見ていて、うちにある七輪を思い出した。
 能登半島、そのかなりの部分が珪藻土と呼ばれる土でできているらしい。(Wikipediaなどによると)珪藻土とは、単細胞の小さな藻類である珪藻が化石化してできた土で、超多孔質構造になっている。そのため軽く断熱性・湿度調整能力に優れており、コンロやレンガ、建材などとして活用されている。能登半島は珪藻土の「名産地」なのだ。
 我が家には10年程前に買った能登産の切り出し七輪がある。切り出し七輪とは、練って型で押し固めて作った七輪ではなく、ブロック状の珪藻土をそのまま切り出して形成し、焼いて作った七輪のことだ。型押しと比べ多孔質構造が保たれているため、丈夫で軽く、断熱性に優れ、強力な遠赤外線を放出するので、おいしく焼け上がる(ということらしい)。
 旬の秋刀魚なんかはもちろんおいしいが、滴り落ちる油で煙と炎がひどいので、ここぞという時以外はあまり焼かない。お勧めは二枚貝(ホタテももちろん良いけど、白貝が安くておいしい)、シイタケ、あと意外かもしれないがプチトマト(油断して頬張ると口の中を火傷するので注意)。仕上げは、ホイルで包んで余熱で作るじゃがバター。
 なんて分かったようなことを書いているが、実際にはガスコンロで焼いたものと、七輪で焼いたものの違いが分かるほど、繊細な舌を持ち合わせてはいない。でも炭を起こして七輪でじっくりと焼いて、というスローフード的な工程が、おいしく感じさせてくれていることは確かだと思う。
 そろそろまた外で七輪ができる季節。何とか暇をみつけて七輪とともに至福の時間を過ごしたいと思う。


投稿者外傷センター部長 倉田 佳明
「エッセー?」 谷澤 和之
2015年04月27日
昨年の10月からこちらに来ましたので、初のエッセー担当です。
内容はなんでも!ってことなので、自分の大好きなお酒について。不謹慎ですが。

もともと学生時代、ビールは一口で「まずっ」となってました。周りは一気したり、うまいうまいと飲んでいたり、何が旨いのか理解不能。
仕事をするようになり、ちょっと飲むようになって、それでもご飯大好き、お酒なんて…けど人からの勧めであるものを飲んで価値観が変わりました。
「十四代」
有名でベタで恥ずかしいんですけど、これを飲んでからお酒って美味しいなと。
いまでは焼酎(当然ロック。キ六が最高)・ハイボール・ワインなんでも飲むように。日本酒の好みも東北系のすっきり甘めからいまは不老泉という古酒に近い濃いぃものに好み移り変わり…今後も新しいものに挑戦していく予定。
休日はふらっと見つけたお店で一人飲みしてちびりちびりと。たまに記憶が曖昧なまま気が付くとちゃんと家にいることもあり、翌日反省したり。
けど色々美味しいお酒飲んで思うに、みんなと楽しく飲むのが一番うまいってなって、クラシックさえ飲めればそれで満足したり。そういやアピアにエビスバー出来てたなー


あ、まとめると人の価値観(味の好み)て少しずつかわり、徐々に成長していくのだというお話?です。
診察も医者になりたてのころから、同じ病気でも同じ説明していることはなく少しずつ説明変えてます。こう言ったほうがわかりやすいかな、こう言うと誤解されているんだなって常日頃考える毎日です。

何度か受診いただいている患者さんもいるかと思いますが、この前と言ってること違うなと思っても許してくださいね。

さ、週末はどこに飲みに行こうかな


投稿者眼科医長 谷澤 和之
「ナイチンゲールのことなど」 関山 伸男
2015年04月20日
              
 F.ナイチンゲールの名前を聞いたことのない人はいないであろう。しかしナイチンゲールを語れる人は少ないようである。“群盲象を撫でる”の例えのごとく、ナイチンゲールの全容は計り知れない大きさと内容を秘めているからと思われる。ナイチンゲールは生涯に膨大な書き物を残しているが、それらによって、優れた看護の理論家、優れた管理経営者、優れた統計学者、優れた建築家、優れた政治家、等の多く才能が語られている。

 ナイチンゲールの書物を読んで驚くことは、19世紀の社会現象を語っているのではあるが、そこに現れた問題の対処法が実に現代にも通用するような内容で語られていることである。看護師には仕事に見合った生活の維持できる賃金を払うべきであることや、時間外手当の支払い、看護師の休憩室の整備、等のほかに、本来の看護をするための看護師の仕事の無駄を省くために、当時は誰も考えていなかった荷物運びのリフト(エレベーター)の設置を行ったり、ナースコールを設置したりしている。

 もっと驚くことは、ナイチンゲールの使う言葉である。ナイチンゲールの書き物の中でも比較的読まれていると思われる“看護覚え書”を初めて読んだ時には、それまで培ってきた医療のイメージが根底から覆されたようなショックをうけた記憶がある。

まず“看護覚え書”の、“はじめに”のところで“この覚え書きは看護の考え方の法則を述べて看護師が自分で看護を学べるようにしようとしたものではない。ましてや看護師に看護をすることを教えるための手引書(マニュアル)でもない”と書き出しており、“これは他人(ひと)の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものである。”と断っている。のちに分かったことであるが、ここに書かれたヒントをもとに自らひとりひとりの患者の看護を考えなさいということであり、時代を超えたナイチンゲールの考え方の普遍性が読み取れるのである。

このように、書かれているヒントが普遍性を持っていたため、100年余りを経た私にも大きなインパクトを与えたものと思われる。そのひとつは、“病気とは回復過程である”との言葉である。ナイチンゲールがどこからこのような言葉を得たのかはわからないが、私が医師になってそれまで病気とは回復過程であるなどと云った言葉で教育されたことは無かったし、考えもしなかった。ナイチンゲールはこの言葉を解説して、“つまり病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力の現れであり、それらは何週間も何か月も、ときには何年も以前から気づかれずに始まっていて、このように進んできた以前からの過程の、そのときどきの結果として現れたのが病気という現象なのである”と一般化している。そうなのである、我々医療者は患者さんの“回復過程”を支える存在であり、患者さんを取り巻くすべての人が“回復過程”に関わっているのである。患者さんの回復過程を知るには、薄井の科学的看護論で体系化されたように、その人の、発達段階、病気の種類、健康の段階、社会関係、等の情報も求められるであろう。

もうひとつ日々の診療の中で常に意識してしまう言葉は、“看護とは、患者の生命力の消耗を最小とするように整えることを意味すべきである”との言葉である。これは、“看護”を“医療”と言う言葉に置き換えても不自然ではないような気がする。ナイチンゲールは患者さんをよく観察すると、“その病気に避けられないと考えられている一般的な症状や苦痛などが、実はその病気の症状などではけっしてなくて、まったく別のことからくる症状であることが非常に多い”と述べて、別のこととは“新鮮な空気とか陽光、暖かさ、静かさ、清潔さ、食事の規則正しさと食事の世話などで”、これらが欠けるために引き起こされている症状が非常に多いと述べている。胃癌があるから苦しいのではなく、食べられないから苦痛が現れるといった場合であろうか。

 ナイチンゲールを看護に導いたものはどのような経緯であろうか。ナイチンゲールは貴族で大地主の家に生まれて多くの上流社会の人々や当時のトップクラスの学者の中で学問を学んだ。当時新たな学問として発展してきていた統計学なども身に着けていて、今でもナイチンゲールは統計学者とみなされることもあるほどであるが、そのような目には病気が原因のある現象であることを見抜いており、これを看護の背景として取り込んでいる。このような医療における看護の役割は治療を担う医師とは全く別の次元での存在であることの本質も見通してもいたのである。しかし、ナイチンゲールと云えども看護に使命感を感じてから、実際に行動を起こすまでには16年の歳月を要しているのである。1800年代の病院は不衛生そのもので、看護婦はいやしい身分の職業であったので、母親や姉は頑強に反対をしたため、長い間に渡ってナイチンゲールは看護の実践を受けることができなかったのである。しかし、それまでナイチンゲールと親交を持った多くの著名人の計らいで32歳にしてようやく希望していたドイツのカイゼルスフェルト学園に赴くことができたのである。もちろん、ナイチンゲールは幼少時から広大な自然に恵まれたエンブリー荘やリハースト荘等の大邸宅で、入れ替わり立ち替わり出入りする大勢の親族の中で過ごして、多数の赤ん坊や病人の姿を目にしており、自然に看護に連なる考えを身に着けたものと思われる。さらには、ナイチンゲールの才能を見抜いた父親が当代一流の学問を次々と教え込み、各界の名士とも交流を図った。まさに20世紀を前にした19世紀の自然科学の萌芽を身に着けたのである。そのような中で医療を見渡した時に、看護ということがきわめて大切な分野であるべきであろうと見通したことはまさに慧眼である。33歳でハーレー街の傾いた淑女病院を任され、看護を充実させる中で斬新なアイデアを実践して瞬く間に立て直しを図った。このような経緯を通してナイチンゲールはすでに各界の注目を集める存在となっていったのである。34歳になって、クリミヤ戦争が勃発、戦地での野戦病院における看護婦の必要性が次第に理解されてくる中で、当時の陸軍戦時大臣がナイチンゲールに戦地の野戦病院への看護婦の派遣を依頼するところとなった。クリミヤへの派遣のくだりはナイチンゲールの話としては別項を設けなければならないが、今回、ひとつだけ触れておきたいことは、ナイチンゲールの派遣された野戦病院は、現在のボスボラス海峡のトルコのイスタンブールの近くのスクタリという村の野戦病院であった。ちなみにクリミヤは黒海を挟んでスクタリの対岸400kmの彼方にある半島であり、スクタリのような戦場から遥か離れた場所でも地獄絵図の状態であったのである。2年余りの戦争ののちに終戦を迎えてナイチンゲールも帰国したが、この時の陸軍内部の矛盾や対立、看護婦同士の争いや、ナイチンゲール自身の病気などによって心は深く傷つけられ、その後長い間トラウマとなって心がさいなまれた。しかし、ナイチンゲールの真摯な揺るぎのない看護をうけた兵士たちは帰国後にナイチンゲールを心からたたえ、ナイチンゲールは好まなかったが白衣の天使像は英国中にまたたくまに広がった。

クリミヤの地獄からようやく回復をみたのは齢38歳になってからで、この年に、われわれ医師にも感銘を与える“看護覚え書”を執筆し、出版したのである。

ナイチンゲールの残した多くの文章の中でも、看護覚え書はもちろん看護の普遍性を内在した名著であるが、現在、他の多くの膨大なナイチンゲールの文章も取り込んだ上で、ナイチンゲールの考える看護を理論的に体系化した薄井の“科学的看護論”は、看護実践には最も役に立つ中身であろう。


投稿者内科診療科部長 関山 伸男
「人間観察とバランス」 城田 誠
2015年04月13日
私の職業は医師である。患者さんとお話しながらいろいろ聞き出し観察することも仕事のひとつである。しかし私は外科医であり、内科や小児科の先生ほどは観察が上手ではない。看護師さんたちと比べて聞き出し上手でもない。

しかしながら職業柄というか人間観察をしている自分に気づく。
患者さんはもちろん、同僚、親戚、友人、全く見知らぬ人々・・・いろんな人がいるものだ。几帳面、だらしない、まじめ、積極的、ひかえめ、楽観的、前向きなどなど。

その中で最近とくに気になっていることというか気に障ること・・・
人には厳しいくせに自分に優しい人がいること。もちろん、だれもが無意識に自分には優しくなるものだとは思うが、その域を超えているかな。自分に非があるとはほとんど思っていない。相手の非だと思っているらしい。最悪である。
本当に困ったものであるが、「人の振り見て我が振り直せ」であり勉強にもなると受け止めたい。これから気をつけよう。

一方、人にも優しく自分にも優しい人もいる。優しいのは良いかもしれないが、これはこれでどうかと思う。
やはり厳しさも必要なんだろうな。

優しさと厳しさのバランスはむずかしい。自分もいい年になったが、まだまだ上手に振る舞えそうにない。
仕事の話にもどるが、患者さんの治療方針を決める時にもやはり優しさと厳しさ、すなわち治療で得られる恩恵とその一方で降りかかるリスク(危険)のバランスが大事なのだが、これがまた難しい。医師にも難しいのだから患者さんはもっと難しく悩むだろう。なので一緒に悩んで決めましょうね。


投稿者外科医長 城田 誠
「他人に言いにくい趣味」 岡 敏明
2015年04月06日
「他人に言えない趣味」というと、怪しい感じもあり、ぎょっとされるかもしれない。それ程ではないが、時と場所、相手を選んで話さないと誤解されそうな趣味・・・として、競馬がある。これまで自分としては、お酒はそれなりに飲むが、その他は小児科医として、ほぼ間違いのない真面目一筋(?)の人生を送ってきた(と思う)。
しかし15年くらい前、静内の病院に出張で行っていた際に、獣医さんで牧場主でもある方と知り合いになり、それが縁で、競馬を楽しむようになった。学会や研究会などの仕事のない休日は、何らかの形で馬券を買ったりしている。最近はインターネットで馬券を購入できるため、自宅でスポーツ新聞を片手にテレビを見ながら、応援している。夏には札幌競馬場でもレースがあり、時々、知り合いの獣医さんに馬主席を取って頂き、夏の陽射しを浴びながら札幌競馬場で楽しんでいる。

一方奥さんは、「休日にテレビ中継を見ながら、興奮している夫の姿を見るのは耐えられない」と言い、避難のため街に買い物に出かけてしまう。だいたい馬券は当たらない事が多く、私自身は平静を装っているが、街から帰ってきた奥さんは、私の機嫌が悪いのを感じ取り、「耐えられない!!」と、日々嘆いている。
時々、新聞やテレビで「ギャンブル(競馬、競輪)にのめり込み、会社の金を使いこんだ」というような報道があると、奥さんは「ほーら」と、勝ち誇ったようにいう。やはり世間的には競馬のイメージは、良くない。
このため、なるべく、ひっそりと、しかし機嫌よく、長く競馬を楽しみたいと思っているが、あまり他人には言いにくい趣味である。 

というわけで、夏の札幌競馬場でうろうろしている私を見かけても、怪しまず、どうか、そっと暖かく、見守っていて下さいね。


投稿者小児・血液科部長 岡 敏明
「外国人観光客をみて思ったこと」 片田 竜司
2015年03月23日
最近の日本旅行ブーム(?)、円安の影響もあって、札幌でも、外国人観光客の姿をみることは、珍しくなくなりました。私自身はとくだん強い“嫌外国人感情”を持っているわけではないのですが、すこし派手めなファッションの複数人のグループで、大声で会話している様子(最初は喧嘩しているのかと思った)は、文化の違いとはいえ、どうも苦手で、そういう団体をみると、つい、知らず知らずのうちに距離をとってしまいます。

先日、札幌駅前の家電量販店に買い物に出かけた際にエレベーターに乗ったときのこと。やや小太りの髪の毛は薄毛で目は細くつり上がっている感じの中年のおじさんが、エレベーターが混んでいるにもかかわらず、大きなリュックサックを背負ったままで周囲を気にすることなく、しかも、ひきつづき同じように大きなリュックサックを背負った4~5人とともにどかどかとエレベーターに乗ってきました。外国人観光客の方々なので、まあ仕方がないと、半分あきらめていたところ、予想通り大きめの声で会話をはじめましたが、驚いたことに、なんとその言葉はバリバリの日本語でした。

その帰りの地下鉄で、おそらく観光で来たと思われる30代くらいのカップルがとなりに座りました。格好は、とても上品(決して派手ではなく)で、やはり大きなリュックを持っていたのですが、今度は周囲にじゃまにならないよう足もとに置いて、おもむろに取り出したスマートフォンが、なんと中国語版。楽しそうに会話をはじめたのですが、小声で、注意して聞かないと、中国語だとわからないくらい。

公共の場で周囲への配慮が足りない外国人観光客だと思っていたグループが、実は日本人で、品のいい日本人観光客と思っていたのが、実は、中国人観光客だったわけです。
わたしは、画像診断医なので、いわゆる形態診断には、そこそこ自信があるつもりだったのですが、人を見る目は、まだまだのようです。先入観や思いこみが強すぎると、思わぬ落とし穴におちるということは、よく経験することなので、今回もまんまとひっかかってしまいました。やっぱり、人は見かけで判断しちゃだめですよね。


投稿者放射線科部長 片田 竜司
「お勉強」 斉藤 琢巳
2015年03月16日
日経メディカルを眺めていたらこんな記事が目に留まった。小学生女子が将来なりたい職業で初めて「医師」が1位となったそうな(日本ファイナンシャルプランナーズ協会、2013年調査)。保育士、パティシエを抜く快挙?である。ちなみに我が家の小学生女子はデザイナーか建築家になりたいそうであるが、親としては安定していて高収入で安全で・・・などといろいろ考えてしまう。就活を見据えた場合、学業成績が気になるところであるが、あまりに机に向かわないので「勉強せい」と言ってしまうこともままある。そんなとき「なぜ勉強しなくちゃならないの?」と問われ答えに窮する。「将来的に職業の選択枝が増えるよ」なんて事をいうのだが、まだしっかりとした目標が定まらない中では今ひとつ説得力に欠ける。自分の事を振り返っても小学生の頃に医者になろうとは思っていなかった。ではいったいこの世にはどのような職業があるのだろうと思い、webで少し調べてみた。職業一覧的なページがhitして300以上の職業が五十音順に出てきた。大体の職業はイメージがつくが、中には何だろこの職業というのもチラホラとある。自分がいかに狭い世界で生きてきたかを感じるとともに、子供たちも限られた職業しか知らないのだろうな、なんてことを考えた。デザイナーでも建築家でも文句はないのだけれど、もうちょっとお勉強してくれないかなあ・・・・・・。


投稿者外科医長 斉藤 琢巳
「“外科”の博物館」 坂 なつみ
2015年03月09日
世界には色々な博物館があります。医療に関するもので有名なものは、タイのいわゆる「死体博物館」と言われるもの(若干不謹慎な名称ですが、昔の地球の歩き方にもこの名称で載っていました)や、日本でも東大の医学博物館、寄生虫博物館などがあります。

特にタイの博物館は、日本では考えられないレベルのものが公開されており、文化の違いを実感するのですが、今回ご紹介するのはイギリス、エジンバラ大学に付属するにあるSurgeons’ hall museum(外科に関する博物館)です。私たちは現在、患者さんがくると当然のように麻酔をしたり、縫合をしたり、消毒をしたりしていますがそういったことが可能になったのは、わずか150年程度前のことです。また我々が治療の対象としている骨折も、少しでもひどければ四肢切断をしなければ、生命さえ危うい状態になっていたのでした。この博物館では、医学の中でも特に「外科学」の発展に焦点をおき、昔から使用されていた外科器具、絵画などが展示されています。エジンバラ大学自体の歴史は500年もあり、この博物館が一般公開になったのも1832年と歴史があります。そして現在も12£の入場料で誰でも入れます(2015年9月まで改装のため休館)。展示内容は、医療関係以外の方でも見学可能な程度にされており、子供用の教育スペースや動画がみられるスペースも用意してあります。よくみてみると、ナイチンゲールについての愚痴を述べている当時のイギリス軍将校の手紙などもあったりして大英帝国医療の歴史の深さを知ることができます。

こういうところに行ってしまうと、せっかくの旅行なのに仕事から離れられなくなってしまうのですが、つい行ってしまう私はある意味歴女なのかもしれません。


投稿者外傷センター医師 坂 なつみ
「異文化交流」 上田 泰久
2015年03月02日
数年前、ドイツの大学病院で数ヶ月勉強をする機会がありました。その時、急な予定の変更で、1ヶ月だけ違う都市の大学病院で勉強することになり、ドイツ人とルームシェアすることになりました。日本ではあまり馴染みがないですが、ヨーロッパではかなり普通な事のようで、同居人は大学生の男の子と福祉関係の仕事をする女性でした。僕の部屋はというと、夏休みで1ヶ月程留守にする、女子大生の部屋でした・・・。これまた日本ではありえない事だと思いましたが、あちらではいたって普通の事のようで、戸惑う僕の事などお構いなしに、家主は鍵を僕に渡してバケーションに出かけて行ってしまいました。僕を含め3人でルームシェアしていたのですが、はじめの数日間はなんと一人ぼっち。そのうち一人、また一人部屋に戻ってきて、3人での暮らしが始まったのですが、「30過ぎのアジア人がドイツの女子大生の部屋に寝泊まりしているのは何か変だぞ!!」と思いながらも同居人と楽しく暮らす事ができました。キッチンでは辞書を片手に会話をし、ライン川の横の草むらでの食事に誘ってもらったり、なかなか一人住まいでは味わえない交流をさせてもらいました。ドイツの家では、キッチンに洗濯機が置いてあったり、彼らは朝でも夜でもカリカリの固いパンにチーズを乗せて食べるのが好きだったり、一緒に暮らしていないとなかなかわからないなーという経験をいっぱいさせてもらいました。今度ヨーロッパで開催される学会で発表する機会をいただきました。あわよくば現地に住んでいる人の家に数日間居候させてもらって、異文化交流を図ろうと画策しています。


投稿者外傷センター部長 上田 泰久
「ブロック」 工藤 雅響
2015年02月23日
麻酔科の仕事の一つに『ブロック』と呼ばれるものがあります。
腰や肩・頸部の痛みが強い患者さんにも行ったりします。
そのような患者さんは神経が圧迫されているために痛みがあり、
安静にしていても痛くてつらい状況なことが多いです。
そこで、『ブロック』をして、神経の痛みと炎症を取ります。

当院には何人かの『ブロック』によく通ってくれる患者さんがいます。
ブロックをした後手術室で休んで頂き、症状の変化をみるのですが、
その間におしゃべりに花が咲くことがあります。
『ブロック』するまではつらい痛みと闘っている患者さんが、少し楽になるのでしょうか、時折笑顔も見られます。

話す内容は多岐に渡ります。
ほとんどの患者さんが人生の先輩ですので、人生についての教えも頂けます。

治療という名の『ブロック』を勉強させて頂き、さらに、人生の教えも頂ける。
若輩者の自分には、とってもありがたい時間です。

皆さんの痛みが少しでも楽になるように、日々頑張ります。


投稿者麻酔科医長 工藤 雅響
「リレーエッセー」 桑原 稔
2015年02月16日
冬の寒さが身にしみる今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか。
前回のリレーエッセイではソチオリンピックが近かったこともあり、カーリングの魅力をご紹介いたしました。
今回も懲りずにカーリングの魅力をお伝えしようと思います(前回とかぶる部分もありますがご了承ください)。
カーリングは氷の上でストーンと呼ばれる石を滑らせ、目的の場所に近づけて点数を獲得するという競技です。一見簡単なようにも思われるかもしれませんが、点数を獲得するための戦術がいくつもあり、スポーツでありながらかなり頭脳を使う競技となります。別名氷上のチェスとも呼ばれております。
ただしチェスと違うところはどんなに戦術が良くても思い通りに石を運べない可能性があるというところです。つまり、戦術、ショットの正確性両方が必要となります。
細かいルールや戦術はここでは省きますが、それらを知れば知るほどカーリングの面白さは倍増してきます。インターネットでも簡単に検索できるので興味のある方はぜひ調べてみてください。ほかのスポーツと比べて試合の流れがゆっくりなので、選手と同じように考えながら観戦することができます。
現在日本カーリング選手権が行われております(2月8日?15日)。この文が掲載される頃には終了していると思いますが、3月14日?22日には世界女子カーリング選手権が札幌で行われ、日本カーリング選手権の優勝チームが出場することになっております。世界レベルのカーリングを間近に見るチャンスです。これを逃す手はありませんよね。
しかし、仕事が・・・。
という訳で行けそうな方は私の分もぜひ日本チームを応援して頂きたいと思います。
ちなみに日本チームの試合は全てテレビ放映される予定になっているようです。
丁寧な解説もつきますので観戦に行けない方もテレビで応援しましょう!


投稿者麻酔科医長 桑原 稔
「リレーエッセー」 関 敏雄
2015年02月10日
病院が厚別東に移転して2年半が経ちました。地域密着型とはよく言ったもので、移転により、産婦人科としてカバーする地域が変動するもので、栄通り18丁目当時は、月寒東、栄通り、南郷通り、北郷といった地域からの患者さんが大半でした。しかし車で5?6分程度の距離の移転でしたが、厚別に来てみると、それまでの地域はめっきり少なくなり、新たに厚別、北野、北郷、平和通りといった地域が多くを占めるようになりました。自宅からの利便性がそうさせているのでしょう。

一方で、厚別に移ってから感じたのは、里帰り分娩が随分多くなったことです。里帰り分娩の間い合わせの電話にスタッフが多くの時間、対応している場面を見受けするし、また扱うことも多いのです。分娩台帳をパラパラめくってみると、例えば10月はさいたま市浦和区、東京国分寺市恋ヶ窪、沖縄県宜野湾市、東京足立区小台、夕張郡長沼町、桧山郡江差町、小樽市桂岡、千葉市稲穂、函館市粱川、神奈川県秦野市南矢名、東京都練馬区中村、埼玉県越谷市、東京都中野区新井。
11月は仙台市青葉区、苫小牧市沼ノ端、千葉市稲毛区、茨城県つくばみらい市。
12月は東京都世田谷区太古堂、東京都練馬区大泉、福岡市西区姪浜、静岡県袋井市、室蘭市中島町などなど。北は北海道(当たり前か)南は九州、沖縄から来ていました。
この里帰り分娩は月により10%から時には30%を占めるときもあります。
ナーンデかな?!って別に当院が全国津々浦々に知られているからではなく、厚別辺りに実家のある娘さん達が各地にお嫁に行って、分娩を機に戻ってきているっていうだけのことでしかないのですが。ただ多くの方がインターネット検索で調べて来たということも聞きます。以前は口コミ、口コミと言われていましたが、現在ではインターネットの情報が重用されるようで、時代は変わったなと感じます。
今さら遅い!!か。


投稿者産婦人科部長 関 敏雄
「無題」 佐藤 和生
2015年02月02日
先日
朝起きたら

はっ!!!?(゚Д゚)

ガクガク((゚Д゚))))
ガクガクブルブル((((゚Д゚)))))))
ガクガクブルブルブルガタガクガク((((((゚Д゚)))))))))))

僕の枕元で生活している



ロボット兵の首が落ちていました。

ムスカかぁーーーーーー!!!!!!(´・Д・)」


投稿者外傷センター医師 佐藤 和生
「初」 佐久間 明洋
2015年01月26日
タリーズコーヒー。おしゃれである。街で見つけても、自分が入るのは勇気のいるお店で、入ったことはなかった。
新病院内にタリーズコーヒーがある。やはりおしゃれである。店員さんもさわやかで好感度抜群だ。先日、レジに人が並んでいなかったときがあり、ふと気が向いて入ってみた。「いらっしゃいませ。」と数人の店員さんからさわやかに言われ、やや動揺しつつもメニューを見る。違いのわかる男ではないので、とりあえずブラックコーヒーを探すが難渋。途中、「?はいかがでしょうか?」とさわやかに提案されるが、これはハンバーガー屋で経験済みなので、お断りできた。本日のおすすめ的な項目を発見、注文する。ここで緊張をゆるめてしまった。見慣れないサイズ項目を提示され、どれにするか聞かれ、大きく動揺する。「一番大きいものを…。」となんとか答え、コーヒーをもらい、そそくさと店を後にした。
初タリーズは、ほろ苦い思い出です。

投稿者放射線科医長 佐久間 明洋
「表現の自由」 松井 裕帝
2015年01月19日
表現の自由って、どこまでなのでしょう?定義は難しいですね。今の時代、特に。
ソーシャルネットワークを通じて、あらゆる人が気軽に自分(自分の発言)を発信できてしまうのは、素晴らしいことですが、相手がどう受け取るかを考えないと・・・。

最近の、行き過ぎた問題が目に付きますね。
ハリウッド映画「ザ・インタビュー」
パリで起きた新聞社などの連続テロ事件


自分の発信したメッセージが今の世の中、誰が見ているか見えない、わからない
自分の予想を超えて拡散してしまう、予想外の反響を与えてしまう

発言・メッセージには送る側と受け取る側との両者の存在があるわけで、言葉の解釈が難しく誤解されてしまうことも・・・

例に挙げた事件は、明らかに相手が割と明確で、しかもともに挑戦的なメッセージが込められており、表現の自由といってもかなり過激な部類ですが・・・

ところで自由とは?
中国では本来、「自由」は、好き勝手や自由気ままという意味で用いられた。日本も当初は、二条河原の落書の「自由出家」や「自由狼藉」のように、中国と同じ用法で用いられていたが、福沢諭吉がリバティを訳するに際して、仏教用語より「自由」を選んだそうである。

英語では「フリーダム; freedom」と「リバティ; liberty」がともに自由と訳されるようである。フリーは古英語の「fr醇Vo」に由来し、気ままさや傲慢さが含意される場合があるそうである。一方、リバティはラテン語「liber」の「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」という意味から、英語の「liberal(形:自由な)」や「liberty(名:自由)」の語源となったようで、こちらでは自由の消極的側面 (しなくてよい)が強調されているようである。

表現の自由とは、個々の言論活動を通じて、自己の人格を形成していくことと、政治的意思決定に関与していくという民主政に不可欠なこと、がある。この表現の自由は、精神的自由権の一種である。

何だか、よくわからない定義ですが、現代において自由という言葉の解釈を考えると、自由はなんでも好き勝手どうぞ、ではなくて、何らかのルールの上に存在するものであるようです。

全くの自由は必然的に頽廃(たいはい)を意味する。  ハーバード・リード

人間を自由にできるのは、人間の理性だけである。人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。  トルストイ

自由とは、とても奥が深いものである。
最近の事件を目の当たりにして、改めてモラルを持った発言・メッセージをしないといけないと痛感している今日この頃です。


投稿者外傷センター医長 松井 裕帝
「僕の外来日常診療」 伊藤 喜代春
2015年01月13日
僕の外来は、呼吸器症状の咳、痰外来だ。ほとんどは、風邪症候群であるが、風邪が長引いて肺炎を疑われる場合は、胸部単純写真を撮り、肺炎の診断がついた場合は、外来治療か入院治療になるが、高齢者の場合は、基本的には入院していただいている。若年者でも重症の方は原則入院で、入院できない場は、外来で点滴治療している。3日間より5日間ほどの点滴で受診してすぐに点滴することにしている。基本は、ほぼ毎日、白血球数、CRPをチェックする。外来治療の場合は、入院と違って、慎重を要する。悪化することもあるからだ。その他、気管支喘息、慢性閉塞性肺疾患である。気管支喘息は、ほぼ吸入ステロイドで解決する。痰が持続していて、写真を撮ると気管支拡張症、慢性気管支炎の患者さんに出くわすことが、胸部写真で異常がなくとも痰が長らく持続している患者さんにクラリス(マクロライド系の抗生剤)を処方すると長らく痰に悩まされた患者さんに痰が減ったと言って喜ばれることがある。その時は、あらためてクラリスに感激する。クラリスは、気道の浄化と共に気道の分泌を抑制してくれる。気管支喘息の治療は、ほぼ吸入ステロイドで解決する。

検診でチェックされ胸部異常陰影の精査で受診する患者もなかにいる。9割がたは、異常はないのであるが、検診の精査なので胸部CTを撮ることにしている。単純写真で正常と判断されても微小病変は、見逃される危険もあるからだ。2cmほどの小型陰影で腺癌である場合は、手術してみると進行癌である場合があるので、大きさだけでは予後は決めれない。最近も50歳代の男性でがんセンターで手術をしていただいたが、進行癌であった。術後、化学療法を施行しているとの返事をいただいた。健診での異常陰影の精査目的の場合、即、癌センターか他の呼吸器専門の病院に紹介するかは、かなりの確率で肺癌が疑われる場合には紹介するが、若年者での胸部異常陰影は、3か月ほどの経過をみる。還暦を過ぎると気力、体力ともに衰えてくるもので、僕にとって手に負えないと思われる呼吸器疾患は、紹介している。肺癌、鑑別困難な異常陰影精査で検査する経気管支的肺生検は、施行することがなくなった。肺癌、難治性肺疾患、珍しい症例に遭遇した場合は、北海道がんセンター、札幌呼吸器科病院、KKR札幌医療センターに紹介することが多くなった。


投稿者内科医師 伊藤 喜代春
「私の宝物」 倉 秀美
2014年12月29日

来年で医者になって30年となります。尊敬する父の仕事ぶりを日々目の当たりにし、この仕事しかないと小学生の頃より感じておりました。

医者になった1年目は大学病院で整形外科の医局で基礎を学びました。当時は2年目から所謂地方出張が始まりました。最初の赴任地は釧路日赤病院でした。ギプスも満足に作成できず、患者さんの診察も知識の乏しさ故に失敗の連続でした。落ち込む日々の中で私の気持ちを察して外来や病棟の看護師さん達が励ましてくれました。温泉に誘ってくれたり食事やカラオケなどにも連れて行ってくれました。彼女たちと過ごした時間は本当に貴重なものでした。外来での患者さんとのトラブルでは私の代わりに長い時間をかけ患者さんとお話して下さり、また入院中の患者さんの急変時の適切な対処など多くの点で支えられました。彼女たちは私の宝物です。彼らの中で私の心の中に今でも忘れられない人がいました。通称「水戸チャン」と呼ばれた看護師さんでしゃがれた声の持ち主でいつも何故かにこにこしていました。「水戸チャン、どうしていつもにこにこしていられるの?」と聞いたら、彼女は「情けは人の為ならずでしょ。にこにこしていたら相手は嬉しいでしょ。ほら施しと同じ。私も良いことしたなと嬉しくなるしょ。」と言いました。
そうか。本当にそうだな。と思いました。その後診察の時は患者さんに対して笑顔で接しようと思いました。そして一生懸命患者さんの訴えなどに耳を傾けました。すると段々患者さんの症状・所見が見えるようになり、自分に自信がでてきました。実りの多かった1年3か月の釧路での生活は終わり、滝川市立病院へと転勤しました。滝川に移って5か月ほどたった時何故か「水戸チャン」に会いたくなり連絡してみました。でも連絡がつかず同僚の看護師さんに聞いたところ子宮がんでそれもかなり悪く治療のすべもなく亡くなったとのことでした。悲しくて悲しくてあのしゃがれた声が聞きたくてどうしてと泣きはらしました。
その時私は宝物を一つ失いました。

その後大学に少し戻り道立江差病院・室蘭日鋼記念病院・洞爺協会病院・札幌中央病院と先輩に絞られながら知識と手技を身に着け経験を重ねてきました。その間約6年間の間に多くの患者さんの治療に携わりまた多くの患者さんや看護師さんとの出会いがありました。忘れられない患者さんの一人に5歳の女の子がいました。当時私は医長として洞爺協会病院に赴任しておりました。女の子は車にひかれ救急車で来院しました。右大腿骨骨折と右大腿部から下腿にかけての広範囲の挫傷で車に引きずられたためアスファルトで擦れ熱傷のようになっていました。彼女はとても気丈ですごく痛いはずなのに必死で我慢をして泣きませんでした。大腿骨が骨折していたので膝上に太い鋼線を骨に刺して牽引しました。子供の骨なので骨癒合も早いと考え牽引治療で粘ることにしました。挫傷の傷はかなり広範囲で痛々しく現在ではとても良い皮下組織の補填剤がありますが当時はなく創洗浄処置を繰り返しました。私は努めて笑顔で接するようにしましたが、彼女の我慢ずよさが切なく心苦しく感じていました。皮膚状態は改善しましたが最終的には形成外科を紹介しました。大腿骨は無事骨癒合しました。退院の時彼女は色紙のような紙に「大好きな先生、ありがとう」と私の似顔絵を描いてくれました。涙がでました。嬉しかったのと頑張った彼女が愛おしくて泣きました。色紙と彼女は私の宝物となりました。

その後約2年間メイヨ-クリニックというアメリカで最も歴史のある病院で肘の研究を手伝わせていただきました。色々な手術見学もさせていただき貴重な経験をしました。世界的に有名な先生の手術で術野にいれていただいた時はとても感激しました。肩の手術で腱板という肩の腱の断裂の縫合手術でした.先生は丁寧に英語で説明してくださり腱は多くの糸でがっちり縫合すること。多ければ多い方が良いとお話されました。その時は20本の糸で縫合していました。腱の部分は糸で真っ黒になっていました。私の眼に焼き付けてきました。私の宝物となりました。

日本に戻ってから徳洲会病院で診療に携わってきました。東徳洲会と合わせて約17年になります。その間多くの患者さんと出会い、治療に携わりました。患者さんにお会いするのは私の心をわくわくさせます。その元気なお姿に喜びを感じ、暫しの近況報告を聞き、また調子の悪い箇所があればできる限り適切に対処してあげようと考えます。東の患者さんで現在も時々診察に来て下さる患者さん達がいらっしゃいます。遠くからしかも冬は雪で大変であり、お気の毒に思います。でも元気なお姿を拝見すると安心します。暫くお会いできないと心配になります。不思議とそう思っておりますと受診して下さいます。私の宝物です。滝川や美唄や遠別や岩内から受診して下さる患者さん達がいらっしゃいます。わざわざ遠方から来てくださいます。嬉しいです。私の宝物です。私は患者さんの治療をする立場ですが、実は私の方が彼らに助けられ勇気や元気をいただいている気がします。

最近は老眼メガネのお世話になり、体の動きも遅くなってきました。まだまだ頑張りたいですし私の診療に来て下さる患者さんを大切にしたいと思います。私の宝物ですから。

投稿者整形外科医師 倉 秀美
「訃報」 長尾 知哉
2014年12月22日
 
 誰が言ったのかは知らないが、「西日本で2番目に進級が楽」と言われていた大学に通った。ちなみに1番と言われていたのは京都大学であり、ほっといても自ら学び試験はうまくくぐり抜けることのできる集団である。

 楽に進級させてもらっていたかはわからない。ただIC学生証で出席を管理され、4年生の夏あたりから病院見学という就職活動、国家試験は3日間、といった6年間を過ごす現在の医学生に比べ圧倒的に時間に余裕があったことは事実である。ヒマ(という表現が適切かどうかは微妙だが)はあってもカネがない。昼前に起きて、テレビ見て、本読んで、ビデオ見て、明け方に寝るといった毎日だった印象がある。

 物書きにも憧れていた私はこのころ、医師でもある渡辺淳一の医学小説をよく読んでいた。時代背景は古くなってしまったがこれから自ら感じるであろう、生と死にまつわるひとの生き方を彼の筆致は教えてくれた。テレビをつけるとやしきたかじんが軽妙なトークと切ないおんな歌を大阪の電波から届けてくれた。放送が終わる真夜中になるとビデオをつけ、義理と唐獅子を背中に背負い、一人で切り込む高倉健や組織の不条理に一人で抗う菅原文太の映画を見つつ夜が明けた。

 私の6年間を埋めてくれた彼ら、この1年でみんな遠くへ行ってしまった。それも、ふと去っていった。いろいろな別れ方があるけれど、この手の別れ方が一番こたえる。

 しかし、それでも来年はもうすぐ来る。残された私は彼らの残像を胸に、来年という新しい旅に出なければならない。


グッバイを鞄に詰めて冬の旅 吉田類


投稿者外科医長 長尾 知哉
「セブンサミット」 川村 直之
2014年12月16日
医局のboardに三浦雄一郎さんのエベレスト登山に同行した大城先生の新聞記事が張っていた。記事にはキリマンジャロ登山が山にはまったきっかけと書いてあった。
言わずとしれたエベレスト(ネパール・中華人民共和国、8,848m)はアジア大陸にあって世界の最高峰、キリマンジャロ(タンザニア、5,895m)はアフリカ大陸の最高峰でその他ヨーロッパ大陸のエルブルース(ロシア連邦、5,642m)、北アメリカ大陸のマッキンリー(アメリカ合衆国、6,194m)、南アメリカ大陸のアコンカグア(アルゼンチン、6,959m)、オーストラリア大陸のコジオスコ(オーストラリア、2,228m)、南極大陸のヴィンソン・マシフ(南極半島付近、4,892m)の合わせて七大陸の各最高峰7山がseven summitsと言われている。
これはアメリカ合衆国のアマチュア登山家で大富豪でもあったバスという人物が提唱し実際に登って著書にもなっている。これに対して無酸素単独登山でも有名なメスナーはやっかみか「オセアニア」を全体とみなしてバスの登っていないニューギニアの「カルステンツピラミッド」(4880m) を最高峰とすべきと提唱している。コジオスコがスキー場で頂上直下までリフトがあって夏は車椅子でも押して登れると揶揄されているが大陸にあると定義するとコジオスコを7summitsとするのに分がある気がする。
しかし、大陸の定義もあいまいで自分が小学校の頃、大陸は五大陸でオーストラリアは亜大陸であって南極は大陸とは教わらなかった。
因みに植村直己さんが世界で初めてfive summitsを制覇した人だと思うがその頃は七大陸の概念がなく五大陸が一般的でモンブランがヨーロッパの最高峰でエルブルースはアジアとされていたし。
ヨーロッパとアジアをコーカサス山脈で境界するのが一般的な定義でエルブルースはその東端に位置していてヨーロッパかアジアかは純粋に地理的に定義されるのでなく政治的にも影響されるのだろう。キリマンジャロもイギリス植民地領(現在のケニア)とドイツ領タンガニーカの境界線に位置していたが、後に、アフリカ最高峰だと知ったドイツ皇帝は、イギリスに国境線の変更を要求しドイツ皇帝の誕生日のプレゼントとしてイギリスからドイツへと割譲された。
このため、当初直線だった国境は、キリマンジャロ付近で大きくケニア側に湾曲した形になっており、山麓部分も含めた山体すべてがタンザニア領となっている。
自分が学生時代タンザニアは鎖国政策をとっておりキリマンジャロ登山は困難だった。この7 summitsを全て登頂した人を7 summiterとして憧れと畏敬の対象になっている。
北海道からは女性が第一号のはずで決して根っからのclimberではないのが自分にも少し可能性あるのかなどと夢をみている。

投稿者消化器内科部長 川村 直之
「うさぎ」 中川 麗
2014年12月01日
両親の話しでは、幼稚園生の私は、大きくなったら何になるの?
という質問に、「うさぎちゃん」と答えていたらしい。

うかつだった。

両親はおしゃべりだ。
30年以上たった今も、ことあるごとに、親戚に言う。友人に言う。
元彼にも、元々彼にも、元々々彼にも・・・。

うかつだった。

しかし、うさぎちゃんが寂しさに弱いというのは、本当だろうか。

今、こうして、研修医に怖がられる私も、少し、別れには弱いようだ。

この仕事は、とにかく別れが多い。
プライベートな別れはさておき、
患者さんは元気になったら、退院。
力及ばず、眠りにつかれる方も少なくない。
研修医は育ったら卒業。
同僚はみな、どこかの時点で、キャリアアップのために部署や職場をかえてゆく。

特に、冬から春にかけては・・・別れの季節だ。

最後に旅行をしたのは、そんな別れの季節だった。
オーストラリアで行われた勉強会に参加した。
オペラハウスを見てきた。

柔らかい光が反射し、晴れた空と紺碧の海に映えた。
思わず息をのむほどの美しさ。って、きっとこういう時に使う日本語だったんだぁ。

うっとり眺めた建物は、当時、無名だった建築家によって設計されたそうだ。彼は、生まれも育ちもオーストラリアではなかった。彼の設計案は図面ではなく、アイディアを書き留めたデッサンであり、建築設計競技の一次審査で落選した。しかし、その自由な発想とアイディアを審査員の一人が強く支持し、最終選考に復活させたとされる。以降、何年もかけて、デザインは少しずつ形を変えながら、建設可能な図面へ書き換えられ、着工された。建設は、大幅に予算を上回り、時間もかかった。そして、デッサンが採用されて10年後、建築主である州政府がかわった時、彼は解雇され、自国、デンマークに戻ったという。

10年かけて取り組んできた仕事から離れる時、彼はどんな気持ちだったのでしょうか。
オペラハウスのガイドさんに尋ねました。

「彼の気持ちは彼だけのものだから、分からないよ。でも、彼は、後押ししてくれる人を失い、時代の流れの中で行き止まった。そういう時にできることは、祈ることだけだと思う。そのアイディアが形をかえながらも育まれ続けることを心から願う時、自分がどこにいるかなんて、些細な問題になるんだと思う。彼は、完成を心から祝ってくれた。それだけは確かだよ。」

その後、彼はシドニー大学の名誉博士号やオーストラリア勲章を授与され、高齢で旅行ができなかった本人に代わり、息子さんが受け取られたという。

こんな風に夢中になることができる仕事に私も出会いたいと思った。
そういう沢山の人の手を経ながらも育まれる価値がある仕事に関われたらいいなと願った。
たとえ、設計図がなくても、心が呼ばれることに取り組んでみよう。
帰国後、プライマリ科に就職を決めた。

そこには、一生懸命なスタッフがたくさんいた。

プライマリ科がある5西を率いる師長さんは、とっても厳しかった。
私が未熟なこともあり、スタッフは自分のために何かをする余裕はなかった。患者さんを中心にかけずり回っている。自分のための一呼吸の余地もない状況下、師長さんには、よりいっそう憎まれ役をしてもらった。退院した後に、何度も患者さんやご家族に電話し、アフターケアをしてもらった。

ずっと、私の尻ぬぐいに追われてきた。

12月、師長さんが5西病棟を離れる。
これからは、病院全体の患者さんの退院後をサポートする。
私の師長さんから、病院の師長さんになる。

正直、私は、うさぎになっている。

しかし、頑張りたい。それが一番の恩返しだと思うから。

5西病棟は、新しく熟練の師長さんも迎える。
少しずつ形を変えながらも、すてきなオペラハウスをつくっていきたい。
残してもらったものを大切に、新しい師長さんとみんなで、育んでいきたい。
頑張りたい。

でも、うさぎ。
投稿者総合診療科医長 中川 麗
「こころにうつりゆくよしなしごと」 鈴木 智亮
2014年11月25日
ある日、寝ようと布団に入ったときにふと、
「人は何故ずっと生きられないのか」
「人は死んだらどうなるのか」
と考え始め、怖くなり眠れなくなって大声で泣いていると、
母がそっと抱きかかえてくれて
「人は、いつかは必ず死ぬ。だから皆精一杯生きるのよ。」
と教えてくれました。

人の寿命は確かに、生まれたときから運命で決まっているという話もあり、
それは死神の目を持っているとわかるそうですが、
それを得るには自分の寿命を半分失うそうです。

寿命により亡くなった場合は、流石の神龍でも蘇らせることはできません。

しかし、閻魔大王でも予想していないくらいの不遇の死となると、
幽体となり、行き場所がなく現世を彷徨うこともあるようです。

兎に角、自分の信じるものを賭して残りの人生を完遂する、には
「生きようとする意思は何よりも強い」ことを再認識する必要があるでしょう。

「こんな俺を愛してくれてありがとう!!」
最期にそう言えれば・・。


上記は、それぞれ有名な本からの引用にございます。
すべておわかりになられた方は、まぎれもなくjumperです。


投稿者外傷センター 鈴木 智亮
「芸」 東 直樹
2014年11月10日
芸は身を助けると言いますが・・・・・?
以前勤めていたN病院の話である。
赴任しての外来初日、9時に内科外来に行くと、1番目の患者Hさん(72歳、女性)が座っていました。
開口一番「私の体には歴史があります。」と朗々と今までの手術・受診歴を語り始めました。10分、20分、30分・・なかなか話が終わらない・・。45分を過ぎた頃に、採血などで現在の病状が安定して落ちついているため「すみません・・。次回は来週でもよいですか」と言って渋々了承して、話を中断して終了しました。毅然とした御婦人で、毎週通院して語って(?)くれました。肥満傾向で肝機能障害を認めていましたが、肝生検で脂肪肝と診断し、経過は良好に推移していました。

1年後、突然、右上腹部痛が出現し、腹部超音波検査&腹部CT検査で胆嚢炎を認め、タール便を認めたため、緊急上部内視鏡で、十二指腸のVater乳頭から暗赤色の胆汁の排泄を認め、出血性胆嚢炎と診断して、外科で緊急開腹手術を施行しました。術後経過もよく、内科に転科し、リハビリを続けていました。
ところが、内科に転科して、全身状態が改善しましたが、徐々に「力が入らない。やる気がしない」と手術前と比べて、意欲がすっかり落ちてしまいました。また、リハビリの作業療法士のM主任から、「最近、本人のやる気がなく、リハビリが進まない・・。」と言われ困り果ててしまいました。
風の噂で「昔、茶道を教えていた?」との情報が入り、ダメ元で「お茶を点ててみませんか・・。」とお話しすると。
「何年も茶を点てていないのでやりたくない・・。」
「面倒くさい・・」という始末。
M主任から、「私、昔から一度茶道を習ってみたいと思っていたから、Hさんのリハビリにもなるなら少し教えてもらえないかな・・。」との申し出もありました。またN病院には昔からリハビリ用の茶室があり、現在も使用可能とのことでしたので、一計を案じ、
「リハビリのM(さん)主任が、茶道の指導をされたいとのことですが・・。」
「ちょっとなら・・・。」と渋々了承してもらいました。
「最初は月一回程度からと・・・」と。
徐々に、すこし笑顔が出てきて、幾分改善傾向が出つつありました。

ある日、Hさんから「茶を点てるので、今度来てください」と言われました。
数日後、茶室に行くと、病衣でなく、和服できちんと身構えた(?)にこやかなHさんがいました。
「先生、私の弟子(M主任)が茶を点てるので、見ててください。」
「え?」
後に聞いた話で、Hさんは表千家の師匠であり、病院の近くのN地区のホテル・旅館の女将はすべて彼女(Hさん)の弟子とのことでした。近頃は、高齢のため引退して、何年も直接の指導はしていなかったようでした。M主任は何十年ぶりの弟子さんで、ホテル・旅館の女将から「今も指導している?最後の弟子か?」と驚かれたようでした。

「始めてください。」とHさん。ぴーんと張り詰めた空気の中で
「はい。」とM主任。
「そこ!」と手厳しい。
「まあ、いいでしょう。」と普段の寝転んでいるHさんと異なり、眼光は鋭く、かなり厳しい言葉が飛ぶ・・・。
一時間後、「今日が彼女(M主任)の初めてのお手前で、練習の成果を見てもらいました。いかかですが?」「茶はどうでしたか・・。」と感想を聞かされました。
後で、M主任に聞くと、Hさんの元で指導をうけていましたが、かなりしごかれいるようでした。
「次回は2週間後に。」とHさんに言われました。
「え?(参ったな)。」
「今度、名誉院長のT先生はどうですか。」
「T先生は私も好きですので、是非お願いします。」と、たまらず名誉院長のT先生の名前を出し、T先生に頼み込んで快く参加してもらいました。後に「久方ぶりで、茶を点ててもらったが、いいものだな・・・。また、行かせてもらうよ。」と感謝されました(T先生すみません)。
その効果と、指導の成果?もあり、(何の?)リハビリの効果も相まって、数ヶ月後に無事元気に退院しました。今後の在宅でひとり暮らしは難しいので、グループホームへ移っていきました。
 芸とプライドについて考えさせられました。また、ライフワークという言葉がありますが、改めてその必要性を実感しました。


投稿者消化器内科部長 東 直樹
「災難に会う時は会うが宜しく候」を越えて
2014年09月08日
私が生まれ育った実家には神棚と仏壇の両方があるという一昔前の日本の家庭ではありがちな宗教環境であった。
もの心がついた時から親達が両方に手を合わせていたのでなんの不思議も感じないで過ごしていた。勿論、それらが宗教の一部であるとすら思ってもいなかった。
実家は禅宗(曹洞宗)でしかも実家の隣が禅寺であったから、幼い頃から寺の何かの催しの時とかに近所の子供らと紙芝居で坊さんの話を聴いていたりした。
私の祖父は仏壇には先祖の月命日の時くらいしかお参りはしなかったが、神棚には毎日祈っていた。
その姿が子供心にもあまりにも一心不乱なとても生真面目な雰囲気に感じられたので、ある日ついに聴いてみた。「じいちゃんは、毎日何を拝んでるの?」と。
答えは意外にとてもシンプルだった。「天下泰平。家内安全。」と。
時々町の神主さんがやって来て祝詞(のりと)を奏上し、その中に「なんとかのオオカミ」という言葉が入って来るので「きっとこの神棚には狼さんが祭られているんだろう」なんて全く勝手な想像をしていた。
仏壇の前に座ると中学生くらいからは禅宗の在家信徒のための「修証義」というのを時々読まされた。ほとんど意味もわからず脚のしびれを我慢して読んでいた。その意味を理解しようと試み出したのは高校生になってからだ。
高校はミッションスクールに入ったのでカトリックの信者である「ブラザー」が愛想良く笑顔で挨拶する環境の中で聖書にも親しんだ。
国語の漢文では時々論語も学んだ。老子も一部あったように記憶している。
「天網かいかい粗にして失わず」とか。
考えてみれば少しずつではあるが、神道、仏教、儒教、道教、キリスト教の何らかの考えなり影響を意識しない中で受けていたように思う。

先の東日本大震災では、過酷な環境下でも礼節を失わない被災者の態度に世界が驚嘆したという記憶は今も鮮烈に残っている。
日本人の精神構造を形成している基礎に神道やら仏教やら儒教、道教が混在して独自の文化や民度を創り上げて来たと感じている。
しかし、取り返しのつかない大きな悲しみの中でも何故あそこまでの冷静さが保てるのだろうか?と、自分が同じ立場に立たされたら本当に同じように出来るであろうかとしみじみ思ったものだ。
ついこの間も、広島で土砂崩れが起こって多くの貴重な人命が失われた。
心よりご冥福をお祈り致します。
日本は地震、台風等自然災害が起こる頻度の多い国土を有している。
その中で、和食がユネスコの世界無形文化遺産に選ばれるような文化を持っている。自然の恵みと脅威との両方に上手く対応し、創造して来た集大成であろうと思う。それは、日本のどこの地域にも見受けられる姿だと思う。
日本人の自然そのものに対する心持ちや態度、考えを下地にして大変な目に遭った経験やら苦労から学んで努力の末にたどり着いた結実であろうと思う。

先日、テレビでサンフランシスコの地震対策の放送を観たが、被災しても実際の災害の程度が少ないのは地域住民同士のコミュニケーションの程度が強い地域だと分析していた。国内での移住の頻度が多い米国では、特に大都市やその周辺では共通の問題であるそうだ。各コミュニティでの住民同士のコンタクトの密度の保持と日頃からの備えが被災の内容を大難から小難あるいは無難にしてくれる可能性を増すようだ。
一休さんは「災難に会う時は会うが宜しく候」とおっしゃっているが、因果律の法則から逃れられない時はそうして腹をくくるしか無いだろうが、良いアウトカムを生み出す良い因を日頃から用意しておくと百丈禅師が言っていた「不昧因果(因果を昧まさず)」の教えにも背かないかも知れない。
生き延びるのみならず、益々弥栄え(いやさかえ)を創り出して行こうとするならば、人間がこの地上に存在するために必要なエネルギーと食料、水、衣服、住居の確保を今後も十全に行っておくというのが必要条件であるし、人間同士のコミュニケーションの保持は更に必要な条件であろうと思う。

歴史家のアーノルド J トインビーが歴史の分析の中で「ある文明の崩壊は、外部からの侵略によって起こったことはひとつも無く、全ては内部崩壊から始まっている」と語っている。
支那文明とは一線を画し13世紀に確立したと言われる独自の日本文明を定義する歴史家達が存在するが、その文明の貴重さについては知る人ぞ知ると言う内容であるのは、その理由の片鱗を冒頭に述べた通りの現われの中に見い出すことが出来ると考える。


投稿者副院長 小野寺 康博
「ウは宇宙船のウ(R Is for Rocket)」 小谷 裕美
2014年09月01日
次に、「スは宇宙(スペース)のス(S Is for Space) 」。そして、「華氏451度」。さらに、「火星年代記」。と、まずはレイ・ブラッドベリの作品を並べてみました。ブラッドベリ(1920-2012)は、アメリカ合衆国の小説家(SF作家、幻想文学作家、怪奇小説作家)、詩人、と紹介されています。上の4作品は、SF的ですが、宇宙を駆け巡るヒーローは登場しません。火星人や未来人は登場しますが、腕が4本あったり、足がたくさんある頭足類型だったりはせず、ごく普通の地球人型?の描写となっており、いわゆるスペースオペラとは異なる味わいがあります。その他の作品は、短編集としては、「10月はたそがれの国」、「黒いカーニバルなど」。また、長編では、「何かが道をやってくる」、「塵よりよみがえり」といったタイトルのものがあります。これらは、SF風のものもありますが、SFではなく、ファンタジーやミステリー、日本風に言うと奇譚、といった雰囲気となります。「たんぽぽのお酒」、「猫のパジャマ」、となると、タイトルだけではジャンル不明ですが、いずれも現実でありそうな、幻想的な独自の世界に読者を引き込んでくれる小説たちです。2014年に刊行された文庫版の「猫のパジャマ」は、2008年版の「猫のパジャマ」に、2012年のブラッドベリ最後のエッセイ「連れて帰ってくれ」を合わせて文庫化されたものです。最近、彼の新しい作品が発表されなくなっていましたが、この本で、2012年に彼がこの世を去ったことを知りました。「連れて帰ってくれ」の中で、彼は、11歳の頃、エドガー・ライス・バロウズの「<ターザン>シリーズ」と「<火星>シリーズ」を読み、火星の赤い光に向かって、「連れて帰ってくれ!」と願った思いを語っています。「火星年代記」は、1999年から2026年までの火星での出来事をとりまとめた短編集ですが、作品には、火星の文明、火星への地球人の進出、火星人との出会い?、などが、幻想的に、冷笑的に語られています。きっと、ブラッドベリは、92年間縛り付けられていたこの地上から解放されて、火星に帰り、新しい火星の歴史を築いているに違いありません。

投稿者副院長 小谷 裕美
「空港とその規模」 黒川 泰任
2014年08月25日
1964年に一般日本人の自由海外渡航が許可されたそうですが,近年は外国旅行も手軽で,また気楽にいけるようになりました.

実際日本は決して国土の大きな国ではありませんが,空港,飛行場の数はとても多く,かなり便利な国といえます.

 一方,アメリカ合衆国は広大な国ですから,空港の数もそれなりにあり,規模も大きなものが多いです.
広さや発着便数や旅客数,扱い荷物の総重量等,何が空港規模の世界一を決めるかは難しいところですが,滑走路の規模は重要な目安でしょう.アリゾナ州のデンバー国際空港はこの意味で間違いなく世界1 or 2と思われます.現在運用している滑走路が,3658m(12000 feet)のものが5本,4877m(16000 feet)のものが1本と6本あり,驚きます.数もすごいですが,長さも他国の主要空港と比べても,長くなっています.これはこの空港が海抜1655 mの高地にあり,特に夏に気温が高くなると,気圧がより低くなり,浮力(揚力)が著明に小さくなるからです.
 それでは,この意味で日本で一番規模の大きな空港はどこでしょう?頭に浮かぶのは羽田=東京国際空港でしょうか!
 羽田はD滑走路が完成して,3000mが2本,2500mが 2本の4本となりました.2本しかない成田や関西空港よりは断然大規模です.日本一??????
 ところで,北海道の玄関,千歳はどうでしょうか?正確には,航空自衛隊基地の千歳飛行場と民間の新千歳空港は別扱いされているのですが,管制は共通で,敷地も往き来できる共通の飛行場なのです.千歳は民間側に3000 mが2本,自衛隊側に2700mが1本,3000mが1本あり,しかもこの3000m滑走路には900mの過走帯があり,4000mに匹敵するものです.
 来る東京オリンピックにむけて,おそらく成田や羽田はさらに拡張されるでしょうが,そう,今のところはまだ千歳が日本一なのです.

 というわけで,北海道には気づかない日本一がまだまだたくさんあります.独立してもやっていけそう!!!!!



投稿者脳神経外科部長 黒川 泰任
「私達が治療するのは「症状」や「病気」だけではありません」 續木 康伸
2014年08月18日
私達が治療するのは「症状」や「病気」だけではありません。

その治療は、2年後、10年後、30年後の未来のお子さんやあなたへ。

当科はスタンダードな検査・治療を希望される方が対象です。
当科の治療は、各アレルギー疾患治療ガイドラインを基本とした最もスタンダードな治療と免疫療法です。

詳細はこちらから

投稿者小児科・アレルギー科医長 續木 康伸
「色」のイメージ 辻 英樹
2014年07月22日
以前、骨折治療学会で演題発表する為、熊本に来ていた。学会発表と言えば、PowerPointやKeynoteによるスライドプレゼンが一般的である。学会、研究会バブルと言われて久しい。確かにいろいろな会が沢山ありすぎることも事実なのだが、最近スライドを自分で創る事、そればかりでなく他の人が創ったスライドを見聞きする機会が本当に多くなった。
 
そのような機会が多くなった理由の1つは、誰でも簡単に上手にスライドを創る事が出来るようになったからである。そして、「目立つプレゼンと目立たないプレゼン」「わかりやすいプレゼンとわかりづらいプレゼン」の差はそのスライドの文字、大きさ、配置、背景、そして演者の表現力によるところが大きい。しかし文字や背景の「色」も大きく関係しているのも間違いないことであろう。

私の恩師、石井清一(札幌医大整形外科名誉教授)先生は当時の札幌医大整形外科の教室員に対して「学会の予演会や論文校正を通じて医師を教育する」という強い考えを持っていらした。学会前の医局での予演会は毎日夜遅く、地下鉄の終電の時間まで続いたものである。私も指導を受けた一人であったのだが、石井教授はどうもオレンジ色が好みのようで、スライドの大事なところを「オレンジ色にしなさい」と言われたのはおそらく私だけではない筈だ。

 さて、私は外傷整形外科医である。「色」に関連することでパッと頭をよぎるのは、患者さんの患部の皮膚の色である。受傷時や術後、組織に血が通っている指先や皮膚のあのピンク色(患者さんの個人差があるのだが)を見ると心が安定する。逆に血行が通っていない暗い白色や紫に近いうっ血色の皮膚を見ると、ひどく心は動揺する。これらの「色」ほど外傷整形外科医の心を揺さぶるものは無いのである。

 「色」の勝負、というと私は野球のユニフォームがパッと頭に浮かぶ。特にプロ野球のユニフォームの色が引っ掛かる。どうも各球団はコロコロとチームの「色」を変えがちなのではないか?と思うのだ。西武はあの水色に近い青色を着なくなってから調子が良いとは言えないし、中日の青も最近紺色がかって変になってきた。反対にロッテは文字がピンクだったユニフォームから黒を基調にしたものに変えて強くなった。DeNAは横浜時代に優勝した青色の余韻を引きずり過ぎているようにも思える。うーん、ところで日本ハムのチームカラーって何色なんだろう?

やはり12球団で私が一番気になるのは巨人のオレンジである。「巨人=オレンジ」となったのはいつから?多分ジャビット(マスコット)が派手なアクションをやりだした頃だろうか。同じジャイアンツでも米国のサンフランシスコジャイアンツのオレンジはもう少し濃いオレンジだ。こちらの方がもっと強そうなのにな、と思うのは私だけではないと思うのだが。

 日本サッカーは先のW杯でやや不本意な成績に終わってしまった。しかし日本サッカーにはあのライドブルーと白を基調したチームカラーが脈々と流れている(20年程前に一度赤色のユニホームだったことがあると記憶しているが)。如何に成績が振るわなくともあの青色が変わることは今後もおそらく無いと思っている。是非またあのライトブルーがW杯の舞台で大きく躍動する姿を見たいものだ。


投稿者外傷センター長 辻 英樹
「旭川ラーメン」 執行 寛
2014年07月14日
自称、ラーメン大好き人間です。最近はスタッフの皆さんに「太った」「腹がでた」などなど、いろいろ言われますので、「炭水化物は極力控えめにしなくては」とは思っておりますが、中々止められないのが現状です。私は旭川生まれで、大学も旭川医大出身ということで、一度は食べてほしい旭川ラーメンのお勧めのお店を2軒ご紹介します。(「よし乃」、「梅光軒」や「青葉」「橙ヤ」などはもちろん定番で旨いのですが、札幌でも食べられますので今回は省きます。)

○味噌といえば:「ラーメンのふるき
 旭川医大の近くにあるラーメン店です。私が学生の頃はまだ丼物とかいろいろメニューがあり、出前などもしてくれたのですが、そのラーメンの人気に火が付き、今では専門店としてやっています。周囲には住宅や団地しかないようなあまり目立たない場所にあるのですが、いつも行列ができている繁盛店です。(すごく混んでいるときは店舗裏のふるきさんの自宅の居間で頂いたこともあります)。人気の味噌は甘辛い濃厚スープに中太のちぢれ麺がよく絡んで、もやし、にんじん等野菜もたっぷりで大変美味で珠玉の一杯です。



○醤油といえば:「蜂屋
 旭川ラーメンの老舗店です。駅近くの買物公園沿いの本店と5条店があります。特徴的な焦がしラードが豚骨と魚介のダブルスープにとても良くあっており、その独特のvisualと深い味をだしています。ややくせがあるため好き嫌いが分かれるようですが、私は大好きな醤油ラーメンで絶品です。(脂の濃さは「濃いめ」と「普通」を店員さんが注文の際に聞いてくれるのでぜひ2種類を食べ比べるのもよいかと思います。



まだまだ、他にもいろいろなお店があるとは思いますが、今回は以上で紹介を終わります。
旭川方面にお越しの際は是非立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
また、皆様も美味しいお勧めのお店がありましたら是非教えて下さい。情報交換いたしましょう。

投稿者耳鼻咽喉科部長 執行 寛
「日本酒」 三浦 美文
2014年07月07日
人には好みがあるので、「そうですか?」などと言わずに最後まで読んでみて下さい。
 私には自宅で好んで飲む日本酒が何種類かあります。それらは、枯山水、魚沼、千石場所そして獺祭です。今ならインターネットでいつでも注文できるのでしょうが、そこまでして飲むほど「飲んべえ」ではありません。
 枯山水は、15年以上も前のことお盆に妻の実家に行ったときに地元の酒屋さんで勧められ、それ以来飲んでいます。決して高い酒ではないのですが、どこの酒屋にも置いてある訳ではありません。山形の出羽桜酒造のお酒で、燗酒のようですが私は冷やで飲んでいます。
 次に千石場所です。これは5年ほど前、増毛に甘エビを買いに行ったときに國稀酒造で勧められたものです。増毛町がニシン漁で栄えていた時に千石場所と呼ばれた事から命名されたようです。美味しかったので近所の酒屋を探しましたが、この酒も見当たりませんでした。あるとき偶然、平岡のジャスコの中にある酒屋で見つけ、嬉しくて思わず数本まとめ買をしてしまいました。しかし、販売期間が限られているのか棚に並んでいることは殆どありません。
 3種類目の魚沼は、酒好きの兄に教えてもらった酒です。新潟の白瀧酒造の酒で、決して高い酒ではないけれども美味しく、緑色の瓶の辛口魚沼を好んで飲んでいます。これはいつでもあり、気が向いた時に買って飲んでいる酒です。
 最後に獺祭(だっさい)です。この酒は最近ブームなのか分かりませんが、この読めない文字を見かけることが多くなりました。それとも、気にしていなかっただけなのかもしれませんが。この酒は、1年ほど前に福岡で学会があり、友人の親類のお店が小倉にあるとのことで、そこまで足をのばした時に勧められたお酒です。山口県の旭酒造の酒で、今までの日本酒と違った味わいがあり好きになりました。この酒は結構値段が高く、お正月にだけ買ってチビチビと飲んでいます。今年、安倍晋三首相がヨーロッパを訪問したときに、お土産として持って行った銘柄です。私は、磨き二割三分という種類を飲んでいるのですが、首相のお土産は、「その先へ」というグレードでかなり高価なものです。一度は飲んでみたいと思っています。
 とりとめもなく書いてきましたが、最後までお付き合いありがとうございました。皆さん、くれぐれも飲み過ぎには注意しましょう。


投稿者歯科部長 三浦 美文
「30年以上も前の話:ある物取り物語」 杉浦 千尋
2014年06月23日
1988年のソウル・オリンピックの随分前の事。まだ再開発も進んでなく、小さな家々がビルの谷間に密集していた頃の話です。
お隣の国でもあり、下関からのフェリーも学割で往復数千円とういうこともあり、ほんの思い付きでチョイと遊びに行った時のことを話しましょう。
以外に思ったのは、前夜に出港したフェリーは夜中には既に釜山に到着し、時間調整の後釜山港へ入港したことでした。当時日本から釜山へ帰る人達の多くは、高く売れるからとのことで「バナナ」と「炊飯器」を山ほど抱えている人達が数多く乗船していました。その人達が下船するやいなや、逆ダフ屋のような買手が群がり傍目にも大層繁盛していたようでした。

さて我々はと言えば、釜山から韓国の京都と言われる慶州までバスに揺られて辿り着いたのが午後も少し回った頃のことでした。先ずは今宵の宿探しということで旅館を探して歩いていると、人通りの無い狭い道の向こうから歩いてくる男が一人。はじめは少し警戒したものの、こちらは男二人連れでまず乱暴はされまいと思ってすれ違う、まさにその時「日本人ですか?」と。出た。経験的には観光地で片言の日本語で近付いてくる人は、かなりの確率でコチラにとっては有難くない人の事が多い。こちらが無視していてもかまわず話しかけてくるので、いい加減にあしらっていると「おじさんが札幌の琴似に居ました。」(*1)というのです。わずかの会話の中からこちらが北海道から来たことを知って出てきた言葉でしょう。そして「私はソウルから観光に来ました」とも(後から思えば自分も同じ観光客ですよとの暗示)。まあ凶悪な物取りでは無さそうだし、せっかくだからと宿探しのお手伝いをお願いしてオンドル付きの安旅館を見つけてもらうこともでき、大満足の一日目を過ごすことが出来ました(*2)。
(ここで後々響いてくる伏線はその後の予定((高速バスでソウルに行って、板門店を見て帰る))を話してしまったことでした。この時点でX作戦が始まったのでしょう)

次の日は慶州を観光しましたが仏国寺や石窟寺の話は割愛。さてと明日はソウルに移動しようかという日の夜に例の男から旅館の部屋に電話がかかってきたのです。「ソウルに住んでいるし、明日ソウルに来るのならまた安い旅館を探してあげますよ。」と。変にぼったくられるわけでも無く汚い宿でもいいからまあありがたい事だと、情けないことに、その時はすっかり警戒レベルを下げてしまっていたのです。打ち合わせ通り、ソウルの高速バスターミナルで待っていた「彼」(「例の男」から昇格)は、やはり希望する明洞地区の安い旅館を探してくれて、その日はそれでお終い。次の日は仕事があるから夕方からなら付き合えるとの事だったので、これまた地元の穴場を教えてもらおうと調子に乗って落ち合う約束をしたのです(*1)。
この際、定番の景福宮や南山公園、明洞、南大門等は本題とは関係ないので割愛。さて夕方に落ち合った後は飲食代はこちら持ち(付きあわせてしまって悪いね。埋め合わせにごちそうします。くらいの対応)。で、韓国ならではの屋台料理に始まり居酒屋では法酒を楽しみ、果てはディスコまでお付き合いしてもらって(ここでは警戒感ゼロから既にかなり身近な存在に変容)その日も大満足。
その間、板門店までの予約が必要なチケットも手に入れてもらい、ニュースでよく目にする軍事境界線の真上に位置する共同警備区域を訪れたりもしたが、やはり本題では無いので帰らざる橋や北の秘密トンネルは割愛。
ある日、彼は休日だということで地下鉄でソウル大学まで行き、案内してもらったのが初めて日中を一緒に過ごした日でした。「まあせっかく来たから記念写真でも撮りましょうか?」と彼から誘われ、忘れかけていた警戒アンテナが反応したのです。写真を撮って上げると行ってカメラを構え、少しずつ後ろに下がりながらそのままダッシュしてカメラを盗む盗人が居ることを知っていたからです。相棒とはさり気なく警戒を再確認したものの、不穏な行動もみられず普通に撮影して終了。じゃあということで、こちらからも彼に「一緒に撮りましょう」と誘っても、のらりくらりの断るばかり。嫌がるものを無理に撮る必要も無いだろう、と何のこだわりもなくあっさりその日も終了(*3)。
明後日には帰るという夜はまたもや飲み明かし、次の日の朝は二日酔いに効くというソンジヘジャンク(牛凝血塊スープ)の専門店のような屋台を教えてもらいこれまた堪能することができました(この時点では警戒感ゼロ)。
さていよいよ明日は帰国。釜山へ移動という日、「釜山行きの高速バスターミナル付近の宿の方が朝のバスには都合が良いですよ」との助言で、夕方に落ち合って、明洞から漢江を渡ったところにあるバスターミナル付近の安宿を、これまでと同じ様に探してもらう事にしました(*4)。

最後の夜に一緒に夕食でも如何ですか、と誘ったものの、今日は用事があるからと彼はやんわり辞退されました。最後に付け加えの様に、安宿で風呂が無いので疲れて居たら近くに銭湯があるからそこへ行くと良いとのアドバイスをもらい本当に「さようなら」をしたのです。これまで色々と疑ってかかっていたものの、親切に色々と案内してくれて本当に有難う。なんてお礼を言ったくらいにしておりました。
連れと一緒に近くの料理屋で韓国最後の夜の腹を満たし、最後に教えてもらった銭湯に行って汗を流し、後はゆっくり寝てバス、フェリーに乗って帰国するだけ。
と思って宿に戻ったら、何か様子が違うのです。
部屋の様子が。荷物の様子が。
安宿とは言え、一応施錠は出来る扉がついている。それにもかかわらず、荷物の中のニコンの一眼レフが無い。財布は有る。でも金が無い。正確には無いわけでは無い。ソウル?釜山間のバス代分だけ残してある。後は無い。当時学生でもあり二人合わせて日本円で6万円程度が財布から抜かれていたのです。
すわ泥棒事件とばかりに大騒ぎ。しかしフロントに行っても老婆一人(*4)で英語はわからず、ハングルのみ。埒が開かないと騒いでいるところに、同宿している老人が片言の日本語で間に入ってくれて判ったことは、ずっとフロントに居たけれど「不審者の出入りは無かった」。ただ我々が銭湯に行った後に「一緒に居た友達(例の彼;おばあさんにしてみれば我々の友人に見えても不思議は無い)」が来て、「友達が忘れ物をしたから部屋を開けてくれ」と頼まれたから部屋を開けた。というのが事実と判明したのです(風呂に入れば5分、10分では戻らないことは火を見るより明らかで、我々が銭湯に入ったことを確認してから事に及んでのでしょう)。
帰国前日のしかも夜の10時。警察に行って騒いで調書をとっても捕まる訳もなく、また意味もない。一文無しになっていれば帰ることもできないため大騒ぎするしか方法は無いのでしょうが、憎いくらいにバス代だけは有る。いや、残してくれていたのです (*5) 。
こうして悔し涙を飲みつつ韓国1週間の旅は終わりを告げたのです。
負け惜しみでは無いつもりですが、1週間の手間暇をかけて仕込んだ物取り物語。頭の下がる泥棒との邂逅のだったのです。
地団駄踏みつつホウホウの体で釜山に戻り、下関からはヒッチハイクで札幌に戻り反省会をしたのは言うまでもありません。

携帯電話も無い時代に、これほど付かず離れずの絶妙の間合い(こちらは自覚もなくうまいこと泳がされ)を保ちつつ、心の機微にピッタリと息を合わせて駆け引きした彼を、我々は「あの泥棒さん」と呼んでいます。考え方一つで、1週間ガイドを雇った思えば腹も立ちません。
案外「あの泥棒さん」の方が、一週間もかけて仕掛けた上がりが6万でがっかりしているかもしれません。
被害にあっても「アッパレ」と言わしめる。そんな嘘のような本当の話。
また機会があれば是非韓国に行ってみたいものです。

反省点
*1;具体性で警戒心を和らげ親近感を増す効果。気が付かないうちに心理的距離を縮め、間合いを詰められる。やはり何らかの利害関係が無い訳がない。
*2;この顛末の伏線;スケジュールに合わせて旅館を通じてコンタクトが取れる。スケジュールは他人に教えない。
*3;これが今後のお役に立つお手軽反省点。顔写真を写されるのを嫌がる不審者は限りなく本当の不審者。この時も顔写真があれば警察に渡すこともできたのです…
*4;安宿の宿命。セキュリティー、コミュニケーションはあてにできず。そのリスクも含めての安宿と肝に銘ずべし。
*5;一文無しになっていたら帰りたくても帰れないから、警察に申し出て事を大きくするしかないが、周到にも片道のバス代だけを残しているところが心憎い。しかも最後の最後の瞬間に絶妙なタイミングを見計らって…、取られたにもかかわらず、思わず「有り難い」となりました。


投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「テニス」 出内 なつ子
2014年06月16日
3年前からテニススクールに通っています。
テニスを始めるに至った顛末を...

3年ほど前の旧病院時代、階段を2階分上った後、患者さんに麻酔の説明をしようとしたときのこと、息はゼーゼーそして鼓動がドキドキドキ......話していても息絶え絶えで声が続きません。 別に駆け登ったわけではありません、普通に階段を上っただけなのに!
動悸息切れは、なかなか収まらず、当時ジャストフォーティーだった私は、身の危険を感じました。このままだとヤバイ...( ̄0 ̄;)

さらに過去を振り返りますと、大学卒業後、運動とは全く縁のなかった生活。医師1年目から、車通勤。麻酔科を専攻してからは就業時間の大半を手術室内で過ごし、運動とは無縁。16年間も身体に負荷のかからない生活を送っていたのですから、身から出た錆、当然と言えば当然です(*_*)
何か運動しなければ......心肺機能を高めなくては.........
と、一念発起し、始めたのがテニスです。

実は大学時代、硬式庭球部に所属し、週3回の練習を6年間続けていました。
まぁヘタクソでしたね。ラケットにボールが当たるとネットかホームラン。まともにラリーも続かない。サーブも入らない。と、ダメダメづくしだったのですが、テニススクールに通い3年が経ち、週1回のレッスンと圧倒的に練習量が少ないのに、サーブはきちんと入る、ストロークもイイ感じ、この違いは何なんだろう(・_・?)

コーチの教え方が上手なのはモチロンなんでしょうが、それだけではない、何が違うのか? 自己分析しますと、自分の頭が違うんだという結論に至りました。
やみくもにラケットを振り回していた大学時代と比べると、頭で考えることができるようになったということです。コーチのアドバイスを頭で理解し、それを身体に伝える能力、上手くいかなかったときに自己修正する能力が20代のころは発達途上だったのでしょう。

ともあれ、テニススクールに通い3年が経ちます。ラリーも続くようになり、試合形式もできるようになりました。振り回されれば息はあがりますが、ちょっと走るくらいは平気になりました。テニススクールに集う医療関係者以外の人たちと話すのも楽しみの一つとなっています(^o^)


投稿者麻酔科部長 出内 なつ子
「お口の中はきれいにしましょう」 小野寺 麻紀子
2014年06月05日
歯の衛生をうたった「虫歯予防デー」は6月4日でした。
虫歯に限ったことではござませんが、お口の中の病気は治療ももちろん大切ですが、何より「予防」が大切です。それには日常のセルフケアが一番大切ですが、歯科医院で受ける専門的口腔ケアも予防のため大切な要素です。みなさん、かかりつけ歯科での定期的な口腔ケア指導をぜひ受けましょう。
種こそ異なりますが、ここ札幌の円山動物園では今週末にカバの歯磨き実演などのイベントが開催されるようです。こどもの絵本などではカバといえば、おおぐちを開けたイラストが散見され、我々歯科医療従事者も時々幼児相手に「カバさんみたいにおっきくアーーーン!」などと声かけしたりしますが、実際のカバはそんなにフレンドリーではないし、動物園ではたいて水の中に沈んでいたりして、鼻や背中の一部しかみれなかったし、のっそりたちんぼしているのがほとんど。週末の歯磨き実演でやっと、念願の「カバさんのアーン」がらみれるチャンスかもしれません。時間のある方は足をお運びください(注:私は動物園関係者ではありません…)

話は変わりますが、お口の中にはたくさんの細菌がいます。口腔内の常在菌は数百種類も存在し、細菌密度としては体の中でもっとも高いと言われています。最近ではテレビのCMなどで「プラーク」という言葉が使われていますが、これは歯の表面などにべたべたとつく歯垢というもので、細菌とその産物の塊です。歯垢1mgの中には数億の細菌が存在すると言われています。楊枝の先にチョロッと取ってみれるかわいらしい歯垢も、目を顕微鏡に変えてみれるとしたら何ともおぞましいものです。

数年前、テレビで「コモドドラゴン」という生物の特集をやっていました。早口言葉の練習になりそうな、このコモドドラゴン、正式にはコモドオオトカゲというは虫類で、体長約3m、体重90kgくらいの肉食オオトカゲ。腐肉なども食すため口腔内は非常に不衛生で、おぞましいほどの細菌を口の中で飼っているとそうです。コモドドラゴンは、自分より大きな獲物も何のその、無理して戦わずのこぎりのような牙で噛みついたらさっさと退散、放置― その数日後に弱って死んだところを確保しゆっくり食すらしい。

無駄な体力を使わないとても頭脳派な動物なのだ…と思って感心し、ちょっと調べてみると、少し前まではコモドオオトカゲに毒があるわけではなく、その口腔内に複数種の細菌が存在し、増殖した細菌が噛み傷から入り込み敗血症に陥って死に至る…と考えられていたそうで、やはり口腔内の不衛生は恐るべし!と歯科医師としては衝撃的でした。でもここ数年で、科学的にもコモドドラゴンが毒牙を有することが証明されたそうです。数年前、私の興味をグッと引き寄せたこのコモドドラゴン、日本では唯一札幌円山動物園で展示されていて、当時北海道を離れていた私は戻ってきたらコモドドラゴンに会いに行こう!!と思い密かに愉しみにしていました。
しかーし。そのコモドドラゴン、2010年に祖国インドネシアへ帰国されてしまいました…会えず仕舞い。とても悔やまれます。
こんな風に悔やまないためにも、いろいろ新しい施設も増えたことだし、暖かくなったことだし、動物園にちょこちょこ足を運びましょう?(注パート2:私は動物園関係者ではありません…)


投稿者歯科口腔外科医長 小野寺 麻紀子
「Jeju(済州)の想い出」 成田 光生
2014年05月26日
Jejudo(済州島)行きの修学旅行生が大勢亡くなった痛ましい旅客船転覆事故が大きく報道されたが,やはりJejudoは日本で言えば沖縄のような,韓国の人達にとって憧れの南国リゾートのようである.私は平成24年10月12?13日,韓国の小児アレルギー・呼吸器病学会(Korean Academy of Pediatric Allergy and Respiratory Diseases)の2012年総会に特別講演者として招待され,Jejudoに行く機会が有ったので,その時のことが思い出される.
 
 私が行ったのは,Jejudoの中でも港や空港やリゾートホテルなどが集まっている繁華な韓国側の海岸ではなく,そこから島を横断した反対側,空港から車で約50分も走った日本側の海岸に,ホテルがたった1件そびえ立つ,Haevichi(ヘビチ)Hotel and Resortであった.ホテルは完璧なリゾート仕様で,その周辺は岩がごろごろの海岸と,プール・ジョギングコースなどの他には何も無く,館内にもレストランが1件とほんとに小さなショップが有るのみ.空き時間は日がな裏の海岸でカニやヤドカリなど‘海洋生物の観察’に費やすこととなった.



韓国・Jejudo,Haevichiホテルアンドリゾート.



Haevichiホテル裏の海岸.灯台と海女の像.


ホテルに着いた日の夜はウェルカムパーティ.韓国でも学会の懇親会は通常は立食であり着席は例外だそうだが,ここはリゾートということもあり,パーティは着席であった.そしてなんと,料理はSashimi(ちゃんとローマ字表記)がメインディッシュでご飯を食べる,基本的に和風のコース料理だった!きっと韓国の人達にとってはJejudoに行って日本食を食べるのが一つのぜいたくなのであろう,地元の先生方にとってもウニのスープなどはソウルではとても高くてなかなか口に入らないと言って,喜んでいた.それにしてもJejudoまで行って,‘刺身定食’を食べて帰って来るとは(まあよく考えるとJejudoは四方を海に囲まれており,当然といえば当然か).



Jejudoの「Sashimi定食」.ネタは鯛やヒラメに,ハマチに似た赤身の魚で,日本とほぼ同じ.画面向こう側に何種類ものキムチが添えられているのが,やはり韓国.



Jejudoの夜明け.海の向こう側,九州は指呼の間.


翌日は朝6時過ぎにJejuで日の出を仰いでから,早朝のモーニングレクチャー,午後の特別講演と,2つの仕事をこなし,講演終了後はそのまま空港へ,飛行機はJejudoを離陸するや水平飛行にうつる間もなく15分も経たないうちに北九州市上空を通過,夜8時には,成田の地を踏んでいた.本当に韓国は近い.距離と同じくらい近い国となることを,切に祈る次第である.


投稿者小児科医長 成田 光生
「アンパンマン」 倉田 佳明
2014年04月28日
先日、といっても半年ほど前のことだが、「アンパンマン」の作者である、やなせたかしさんが亡くなった。アンパンマンのことはもちろん知っているし、子供がまだ小さいこともあって、登場キャラクターには結構詳しかったりする。しかし子供の頃に歌った、あの「手のひらを太陽に」の歌詞が、実はやなせさんの作だったことを知ったのは、割合最近のことだ。

 やなせさんは戦争で中国に派兵されたり、弟さんを戦争で亡くしたり、漫画家として長年日が当たらなかったりと、決して順風満帆な人生を歩んできたわけではないそうだ。そういった体験が、「生と死」「何のために生きるのか」「正義とは」といった、彼の作品の根底に流れるものを形作っているのだろう。「アンパンマンのマーチ」や「手のひらを太陽に」の歌詞をあらためて読んでみると、そのことが良くわかる。

お金持ちになれる正しい原則は
良心的な、おもしろい仕事をすることです。

 著書「もうひとつのアンパンマン物語」の中にある、やなせさんの言葉だ。「生と死」といった重いテーマではなく、もっと現実的に、仕事を成功させるにはどうしたら良いか、を諭したものだと思う。(決してお金に執着している訳ではないと信じている)

 医師として、良心的な仕事をしているだろうか。おもしろ可笑しい仕事ではないにしても、患者さんから感謝され、あるいは同業者から関心を持って見てもらえるような仕事をしているだろうか。それができていたら、自分の仕事は大成功なのだと思う。(ついでにお金持ちになれたら良いな、とも思うけど)


投稿者外傷センター部長 倉田 佳明
「おら、日高の山ン中に住んでいる熊なんだ。」 大江 公則
2014年04月21日
おら、日高の山ン中に住んでいる熊なんだ。

 昔の静内町、今で言えば新ひだか町三石のところでおらの家族らしい熊の子連れが人様に見つかって“熊が出たー”ってこの前騒がれたけど、あそこは山のしっぽがのびた先に無人駅があって、俺たちにしてみればけっして人の住むところっていうわけじゃーないんだ。
人間様からみたら、道路も造ったし、昔々に人間が山ン中に入って馬小屋やら家やらを作ったんで人里って事になるのかな。
昔は随分と人がいて、こんな山奥まで住んでいたんだって思ったさ。今じゃその廃屋のあたりを鹿どもがうろついているけどね。
 
 冬眠から覚めたんだけど今年はやけに寒い年で、4月になっても浦河あたりですら雪が降るほどなんだから山には食べるものがあんまり芽を出していなくって、はらぺこでしんどいから近くの沢へ降りて、蕗のとうやらを食べに行ったらしい。
あいにくと普段は車がそんなに山ン中を走っていないのに、道路から偶然見つけられちゃったらしい。腹減ると不用心になるわな~。
 
 まあ、家族っと言ったって、母ちゃんや子供達と一緒に暮らしているわけじゃ~ねえ。浦河の日赤病院で仕事している医者みたいに週末あたり必死に札幌の家族のところへ帰って子供に顔見せして、忘れられないようにしなきゃなんないのと違って、子供を作るためのナニをするだけの関係だから気楽なもんよ。
あそこらへんの牧場っていう囲いで飼われているサラブレッドだって、競馬レースで優勝したごくわずかのエリート様が種付けに母ちゃんのところへいらっしゃるだけで、その後は会うこともないから自分の子供の顔を見ることもない俺たちとたいした違いはないわな。
 
 もっとも俺たちヒグマはひ弱なもんは生き延びることなんぞ出来ないから、父親になるにはそれなりのガタイと強さがなきゃ、メスに子供を産んで貰うこともできないそうさ。
それよりゃ、母熊なんて俺たちオスよりよっぽどおっかねーど。
偶然に山道なんかで知らず知らずに小熊のそばを車が通ろうなんて危ないことしたら、母熊は子供が危ないって早とちりして車に向かってつっかかってくる事だってあるんだからな。
まるでどっかのPTAのお母ちゃんみたいだ。本人には悪気はないし、当然のことだと思うんだろうけど、周りのひとから見ると、モンスター母熊ペアレントなんだろね。
小熊があんまし過保護にされちまったら、自分でえさを手に入れることが出来る大人の熊にはなれないんじゃないかな。
俺たち野生動物には親離れって時期があるんだけど、人間様にはあるんかね~。
ニートって人種が居るらしいけど、おれたち熊と違って飯を食うのに仕事ってもんを手に入れなきゃなん無いにもかかわらず、不景気で仕事が無くて親元から離れられないなんて、親離れがしたくても出来ないのって何か不自然だな。
 

 このまえ、洞爺湖ってところの島で増え過ぎちまった鹿の大部分を間引きして、島の草木の成長とバランスがとれるようにしたと報道していたらしいけど、それって30年前にすでに言われていたことをやっとやったって事なんじゃない? 

 鹿の連中は木の新芽を食っちまうから、木こりのおっちゃんたちは害獣だと昔からずっと役所に嘆願してたけど、林業なんてすぐにはお金にならないもんだから、お役人さまや政治家様にとっては旨味のない事なんだろうね、全然やってくれなかったらしい。
ちょんまげの時代は鹿を捕まえるのはオオカミかアイヌの人たちだったのに、オオカミは絶滅させられちゃうし、明治になってアイヌの人たちから鹿猟の道具を政府が取り上げちまったんで、鹿が野放図に増えちゃったんだろう?

 アイヌの人たちなんてすごくかわいそうなんだ。猟師さんなのに弓矢持ったらだめ、鉄砲持ったらだめ、川にあがってくるシャケも食べるために捕ったら駄目って言って、無理矢理畑仕事をやらされたんだって。
しかも良い畑のある、元々住んでいた土地から無理矢理移動させてさ、その土地はなんにも知らない入植者たちに売っちまったり、宮内庁や陸軍の大きな牧場にしてしまったんだって。
そのためにご先祖さんの頃からずっと住んでいた土地に戻ることも出来なくなってしまったんだって。
あの人達は鹿を神様が食べ物としてくださった大事なものと考えて、少なくなりすぎないように、生まれて一年経たない子鹿をポイユック(獲ってはいけない食べ物)と呼んで、獲ってもいい鹿であるユック(食べ物)と分けて猟をして、しかも沢山のルールを作って鹿の数をきちんとコントロールしてたんだそうな。

 今、北海道のあちこちの町では増えすぎた鹿を捕まえて、フランス料理の高級食材として売り出そうとしてるけど、都会まで運ばなくちゃないし、味を落とさないようにしなきゃなんないんで結構苦労しているみたいだな。
日高の人のなかで、俺たち熊や鹿を自分たちで獲って食べる人たちが居るんだけど、魚と同じで苦しい思いをさせたら不味くって食べられない肉になっちまうから、獲るのに技術が必要なんだそうな。

 鹿ってのはお馬鹿さんだから、林道で車に驚いたら、道のど真ん中に突っ立ってしまったり、逆に車の方へ走ってきて体当たりして、車をぶっ壊してしまうんだって。
しかも交通事故で、痛いから死んじまっても、肉は不味くて食べられなくて皮ぐらいしか使い道が無いらしい。壊れた車は当たられ損ってこった。

 俺たち熊の場合は、獲ったら胆嚢が漢方薬になったり手のひらが中国で食材になってものすごい金額になるらしいんだけど、肉の方は“熊肉は臭い臭い”って言って味噌漬けにしないとたべられないんだってよ。
おれっちは自分のにおいが臭いって感じないぞ!いろいろなモンを食べる人間の臭いの方がずっと臭いから、おれたちゃ風上から来る人間に気付くんだ。
人間は俺たちの臭いは判らないから、ばったり出会って“あっ!”って驚くんだろう? 
 

 ところで僕たちの皮なんて、今は何に使えるのかな?
ごわごわがちがちで、昔だと山歩きでの敷物に良かったんだって聞いたけど、今の登山の格好ってカラフルでファッショナブルだから、熊の皮を尻にぶらさげるなんて、格好悪くってやらないだろうな。

 使い道のないって話になっちまったんでついでに言うけど、原子力発電所のプルトニウムって、猛毒で何百年も長持ちする産業廃棄物なんだってね。
どう処理したらよいか分かんないゴミなのにお上ってところはそいつを増やす事を考えているんだって。
震災のあと3ヶ月くらいしたら、津波によって海に流れ出た沢山のゴミが浦河の沖に漂っていて、漁師さん達が仕事にならんって怒ってたよ。

 ゴミばかりじゃなくて福島原発から海に流れ出る放射性物質も太平洋全体に広がり続けているンだろうけど、海岸線を回って町の沖合にもいつか流れてくるんだろうな。
捕れた魚類を調べたけれど放射能汚染はないんで町の人たちはほっとしていたけどね。
原子力発電所って、人の住んでいないところへ作るものなんだろけど、日本にそんなところ、有るわけないじゃない。
後からやってきて、何か起きたら元々住んでいた人たちが立ち退かされるって、今の福島で起きているらしいけど、120年ほど前にアイヌの人たちがそのころの政府からやられたことを、いまの人たちがおんなじようにされちゃうって事なのかな。

 お役人様、政治家様の120年の進歩ってなんだろうと思うと、なんか悲しくなっちゃうね。
大きな事故がもし北海道で起きたら、おれたち熊も立ち退きにあうんかな。今の内にカナダ当たりに移住した方がいいのかな~。
カムチャッカ半島を泳いで渡ってシベリア経由で歩いてくのにはちょっと遠いな~。


投稿者血液浄化センター長 大江 公則
「母乳から考えさせられること」 名和 正行
2014年04月14日

ユニセフのポスター アフリカにて撮影
 
赤ちゃんには母乳をあげようというキャンペーンである。もちろん母乳の良さについては各方面で説かれているためここでは触れないが、このポスターの意図するところは日本とは少し事情が違う。この地域では水道がある訳ではなく、井戸や川で水を汲まねばならない。当然ながらきれいな水ではなく、季節によってはコレラなど流行する。しっかり煮沸していない水で粉ミルクを用意すると当然ながら赤ちゃんは大変な事態になってしまう。だからなるべく母乳を推奨している訳だ。
世の中が便利になる反面、自分の置かれている環境への感謝を忘れてしまいがちだ。授乳中のお母さん方をみるとふとこのポスターを思い出す。


投稿者産婦人科医長 名和 正行
コンサドーレを(も?)応援しましょう 3
2014年04月07日
このリレーエッセーも3回目となり、同タイトルでpart 3となりました。さすがにネタ切れの感もありますが、頑張って(?)書きたいと思います。
一昨年にロンドン、昨年にサンフランシスコへ行く機会がありました。そのときにロンドンではサッカーを、サンフランシスコでは野球とアイスホッケーを観戦しました。ロンドンではアーセナルとチェルシーのホームゲームを、サンフランシスコでは野球はジャイアンツ、アイスホッケーはシャークスのホームゲームを観たのですが、各競技の世界最高峰のプレーを間近で観られたのはいい思い出です。そして競技はそれぞれ違いますが、観戦するという意味でイギリスとアメリカの違いを肌で感じることができました。イギリスでは試合開始直前までスタンドはがらがらでみんな席に座らず、スタンド裏のバーやレストランで酒を飲んだり、食事をしたり、いったい何しに来たの?って感じですが、試合直前になってようやく席につき…そして、いざ試合が始まるとスイッチが入って拳を振り回して大声を張り上げたり、タオルを掲げて立ち上がったり、それぞれが自分勝手に応援するのですが、しかしそれがいつの間にかまとまり始めて、最終的にはスタジアム全体での大合唱となり、味方チームを鼓舞し、敵チームを威圧して、とにかく勝つぞ!という熱気がありました。一方、アメリカではスタジアムの音響、電光掲示板、アトラクションやイベントなどが派手で、何よりアメリカ人がみんなハイテンション!試合中、常に歓声とブーイングを繰り返し、コスプレして応援する人もいれば、隣に座っている知らない人とハグしたりダンスしたり…勝ち負けも大事ですが、スポーツイベントの盛り上げに観客も一役買っている感じでした。日本はどんな感じでしょうか?まずはやはり試合観戦中心、勝利のために一生懸命応援するグループと静かに競技やイベントを楽しむグループにはっきり分かれていて、それぞれが別々に楽しんでいるといった感じでしょうか。野球は試合時間が長いですし、真面目な(暗い?)日本人の気質にこの観戦スタイルはサッカーのほうが適していると思います。こじつけでしょうか?
今年のJリーグも開幕して1ヶ月ほど経ちました。夏にはあの小野伸二選手も加わりますが、個人的には小野選手抜きでも(J2レベルでは)戦力もなかなかで今年はいけるぞ!と開幕前から思っています。あとはスタジアムを埋め尽くして選手を後押しするだけです。ということで、過去2回と同様に以下の文で締めさせていただきます…日ハムファンの方もぜひ札幌ドームや厚別競技場に足を運んでコンサの試合を観戦してみませんか?ひょっとしたら試合後には“サポーター”になっているかもしれませんよ(笑)


投稿者眼科部長 河原 温
「リレーエッセー」 関山 伸男
2014年03月24日
日本における西洋医学に祖の一人である高木兼寛がイギリス留学から帰国したのは1880年11月5日である。高木兼寛については、今は、当時の軍隊内で蔓延していた脚気が食事の要因によることを証明したことで有名であるが、もちろん医師としても当時の日本を代表する名医であった。ロンドンのセントトーマス病院医学校を首席で卒業して、日英両国で名を馳せた逸材でもあった。セントトーマス病院では彼は医学を学んで、医師としての力量を高めることに専念したのはもちろんであるが、医師を含めた最先端の医療体制もつぶさに本質を捉えている。時あたかもイギリスでは看護を専門職として体系化したナイチンゲールの考えを実践しつつある時期でもあり、医療の実践の中で、医師とともに看護師が大きな役割を担う存在であるのを驚嘆の目で見ている。ちなみにナイチンゲールがセントトーマス病院内に付属看護学校を創設したのは、高木兼寛が同病院に留学する15年も前のことで、まさに医療の中の医師と看護師の役割は相補的となりつつある頃であったものと思われる。高木がのちに“医療は医師と看護師が車の両輪となってことを進めなければならない”と説いて、日本で最初の看護学校を設立し、医学校(慈恵医科大学)を創設したのはセントトーマス病院での見聞がもとになっていたのであろう。

さて、高木兼寛が没して今年で93年目になるが、医療の中の車の両輪はどうなっているのであろうか。医学は一見科学的な学問と思われているが、いまだ科学的に体系化はされてはいないと考えている理論家もいる。一方、看護学はナイチンゲールの膨大な考えを科学的に体系化した理論“科学的看護論(薄井坦子)”が既に完成しているが、なお広く実践がなされているとは云いがたい。医学の科学的な体系化はともかく、科学的に体系化がなされた看護学は読むだけでも素晴らしく、実践するとすぐにでも素晴らしい看護が出来そうに思われるが、なお時間が必要なのであろうか。

高木兼寛が脚気は食事要因であると統計的に証明したあとも、なお50年近くも認めようとしなかった医学界の権威と称する人たちが存在したことと重ね合わせて心が痛むばかりである。それは、誤った食事を食べ続けることを強要されて脚気を発症して亡くなった数万の陸軍の一兵卒のように、間違った看護理論を強要されて日々苦労している看護師の方々を思っての心の痛みである。

投稿者内科診療科部長 関山 伸男
「ラパヘル」 城田 誠
2014年03月17日
今、外科医としての仕事の中で力をいれていることの1つ
(いや全ての仕事に力は入れているのですが・・・)

それがラパヘルです
正式名称は腹腔鏡下鼠径部ヘルニア手術ですが、腹腔鏡のことを英語でラパロと云うので略してラパヘル

従来の股の付け根を5-6cm切開する手術方法よりも痛みが少なく早期に運動も出来る方が多いことと、両側のヘルニアでも一度に手術できるのが利点であります。
昨年手術した患者さんの中には、術後1週程度でゴルフのラウンドをしてきたといっていた強者もいました。従来法ではそんな経験はありません。
すごいなラパヘル

当院には鼠径部ヘルニアの専門外来があり、私 外科城田が担当しております。

https://www2.satutoku.jp/spatient/detail_02.html

ラパヘルに興味がある方は上記アドレスにアクセスしてみて下さい。


投稿者外科医長 城田 誠
「小児科医のアンチ・エイジング:その? ろれつが回らん編」 岡 敏明
2014年03月10日
3、4年前から、急に「ろれつが回らなく」なった。外来で、お母さんにお子さんの病状を早口で説明していると、なんだか言葉がもつれる。まずい!
それだけではない。口笛がうまく吹けない。やばい!! あわてて、脳のMRI検査もしたが、異常なし。やれやれ。でも・・・。
ふと、口の周りや舌などの筋力が低下しているためではないか、と思いついた。
そこで口周囲や、舌の筋力増強作戦を開始。まず、「あいうえお」を大きな声で発声する。早口言葉や、競馬の言い難い馬名を、早口で言う。「きゃりーぱみゅぱみゅ」と何度も言ってみる。変顔をする。すると・・・なんだか、少しずつ、「ろれつが回る」ようになった(気がする)。口笛も吹ける。やった!!!
ただ、病院の中で、こんなことをしていると怪しまれるので、もっぱら行き返りの車の中でやっている。結論として、「筋力は鍛えられる」ことを改めて感じた。(60歳過ぎで、同じような症状がある方は、是非、試してみて下さい。)
ということで、もし車を運転しながら変顔をしていたり、大口を開けている人がいても、どうか驚かないで下さいね。
投稿者小児・血液科部長 岡 敏明
「めんどうくさいこと」 片田 竜司
2014年03月03日
このホームページの医師リレーエッセイのコーナーは、札幌徳洲会病院に所属する医師により持ち回りで、年に1~2回順番が回ってくる。本来の業務とはあまり関係がなく、また、昔から筆無精の私にとっては結構面倒くさい作業である。
以前、某テレビ番組でタレントの所ジョージさんが、「面倒くさいことこそが幸せなのだ」と言っていた。面倒くさいと思っていることは、それをやりたくても出来ない人がいるということを考えれば、そう思えるだけでも幸せである、といったことらしい。なるほど~と感心した。
決して楽とはいわないが、自分のやりたい仕事ができて、やりがいを感じている職場で、この面倒くさいリレーエッセイを担当できることは、幸せなことなのだろう。きっとそうに違いない。感謝しなければ。
でも最後に、所さんが「でもやっぱり、めんどーくせーって言いながらやるけどね。」と言っていたのが笑えた。

投稿者放射線科部長 片田 竜司
「S○NYの悲劇」 斉藤 琢巳
2014年02月24日
先日、S○NYタイマー(S○NY製のタイマーの事ではない)なるものを経験したのでその報告を。大きな声では言えないが、私はテレビゲームが大好きである。携帯ゲーム機全盛の世の中であるが、テレビの前に座してするゲームが大好きである。本格的にはまりだしたのは大学時代、N天堂のファ○コンでメタル○アとかDQ、FFなんかをやり込んでいた。その後もスーパーファ○コン、P○1と変遷していき、ここ最近はP○2を愛用していたのだが昨年1月、アスペクト比4:3の時代ではなかろうと、P○3を購入。ここ一年くらいは調子良く遊んでいたのだが、今月まさかの電源落ち・・・。購入してちょうど1年ちょっとの絶妙なタイミング!!!これが噂のS○NYタイマー?購入時の書類を確認すると保証は1年で延長保証は付けていない・・・。症状に再現性があり、どうしようもないのでP○クリニックなるところへ送った。それほどヘヴィに使用した訳でもなく、間違った使い方をした覚えもないのだが・・・・。洗濯機や冷蔵庫、掃除機なんかは延長補償を付けたりしているが、あまり値の張らないゲーム機には付けていなかった。う?ん、残念。今後はS○NY製品には補償延長サービスを付けるようにしようっと。

追記:意外にも(失礼!)S○NYの対応は良く、発送の4日後には修理品(基板交換)が戻ってきた。しかも無償扱いで。S○NYさん、ありがとう!

投稿者外科医長 斉藤 琢巳
「ソチオリンピックなど」 竹之内 豪
2014年02月17日
平成26年2月12日時点でソチオリンピックが開催されています。
4年に1度の祭典なのでなんだか特別な大会である気分になります。まして、出場選手にとっては、人生をかけてきているのではないかと。
たまたま、ソチオリンピック前に上村愛子選手の特集を見ました。今までの経歴から、トレーニング内容や、競技についての思いやオリンピックにかける思いなどをまとめられていました。強い意思で、自分には想像もつかない過酷な鍛錬を積み、さまざまな葛藤、挫折を乗り越えてきていることがわかります。17歳からオリンピックに出場され、結果を残し、ソチオリンピックを競技人生の集大成と位置づけて臨んでいるようでした。
そういうことを知っていると、なんとなく肩入れして応援してしまします。上村選手が滑り終えてからの涙に思わずもらい泣き・・とはなりませんでしたが、感動しました。大舞台で力を十分に発揮するには、十分な準備を行い、極限まで自分の体を鍛き、十分に納得した上で望んだ結果ではないかと思います。
体格に恵まれない日本人が技術で勝負し、結果を残していくことはとても誇らしい限りです。

同じときのニュースに日本のベートーベンのニュースがありました。ゴーストに作曲させ、実は聞こえていただとか・・これも同じ日本人・・・

この駄文を書いているときは、ソチオリンピックの真只中です。
上村選手ののみならず、オリンピック選手はそれぞれにドラマがあると思います。皆さん頑張ってください、応援しています。
投稿者循環器内科医師 竹之内 豪
「体調管理」 工藤 雅響
2014年02月03日
冬の真っただ中ですが・・・夏休みを頂きました。
本当は年に1回7月?9月の間にとるという規定があるのですが、
どうしても日程の調整がつかず、いまさらですがお休みを頂きました。
子供がこの春中学生になるので、これからはそれぞれ忙しくなるだろうと思い
大奮発して海外旅行へ行きました。
場所の名前は伏せますが南国です。
時期は雨季だったので午前中は大雨が多かったですが、
しっかり晴れると肌がびりびりと痛くなるくらい熱かったです。
太陽の下にいると照りつける日差しが熱く、曇ったり雨が降るとむんむんと湿度が上がり、
いつも汗をかきながら過ごしていました。
日焼け止めを塗っても汗で取れてしまうので、行って3日目くらいで塗るのをやめました。
ある日、朝から大した熱くもないのに、変な汗をかいていましたが、
「湿度が高いから・・・」くらいに思っていました。
その後晴れたので海へ行って、なれないことに夢中になって取り組んでいると
1時間くらいで頭がぼーっとしてきました。
これはいかんと思い、屋内に移動し水分補給をしましたが、ふわふわぐらぐら・・・
部屋に戻って、冷たいシャワーを浴びて横になったものの、気分がすぐれません。
全身は赤く熱感著明・・・

『熱中症』になりました。

医者の不養生と言われれば、本当に情けない限りです。
せっかくの旅行中に、半日近くベットから動けなくなってしまいました。
今回は、初めての場所にも関わらず、自分を過信し、その環境をなめていたこと、
また、予防策を何も打たなかったことが、その敗因でしょう。
やはり、予防と体調管理は重要です。

インフルエンザが流行ってきている今日この頃、
うがい手洗いの徹底を今年は心がけています。



投稿者麻酔科医師 工藤 雅響
「2014年の最初の読書」 二村 謙太郎
2014年01月29日
・GIVE & TAKE 『与える人』こそ成功する時代
・プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える

を読了しました。
他者的思考でギバーになることが自分の(世の中の)成功につながる。
けっしてテイカーにはならない。マッチャーでもだめだと。つぶれるギバー
もダメだと。強い信念をもって今年は良いギバーになる第一歩の年にしたい。
ひとにものを伝える機会が増えてきた。お偉いさんの行っていることではなく、ビックデータをもとにしたエビデンスでもなく、自己の体験を感動とともに相手に伝え、共感を呼ぶ、そんなプレゼンテーションを目指していきたい。
年始にいい出会いに恵まれました。これだから書店通いはやめられない。


投稿者外傷センター 二村 謙太郎
「2014ソチオリンピック」 桑原 稔
2014年01月20日
 北の大地に冬が訪れ、厳しい寒さが身に染みる今日この頃です。特にここ最近の極寒地獄は長時間外にいることを許さない冬将軍の驚異的なパワーを感じさせます。
しかしその強烈な寒さを吹き飛ばす熱いイベントが来月始まります。冬季オリンピックは皆さんご存知4年に一度の冬の祭典です。長野オリンピックはもう16年前になりますがスキージャンプ、スピードスケートなど思い起こすといまだに心が熱くなる、そんな印象に残る大会でした。2014年ソチオリンピックはどんな大会になるのか今から楽しみで仕方ありません。
 ソチはロシアのリゾート地として知られ、冬季に限らずあらゆるスポーツが行われております。冬季オリンピックが行われる地域は極寒の地と思われがちですが、ソチの気候は温暖で2月の平均気温も9.9度と比較的暖かいようです。
ソチと日本との時差は5時間で日中に行われる競技が日本の夕方に放送されることになります。これは日中仕事に追われる私にとっては大きなことで、仕事の後に放送が始まり就寝時間まで十分に堪能できそうです。競技によっては朝3時ごろまで続くものもあるようですが睡眠時間を削ってでも(仕事に支障が出ない程度に)見ようと意気込んでおります。
オリンピックに興味ある人ない人、ある人もどの競技に興味があるかさまざまだと思いますが、私はある競技を特に注目しております。それはカーリングです。興味のない方もぜひ一度見ていただきたいと思います。
 カーリングはウインタースポーツの中ではスピード感もなく、どちらかというとマイナーな競技に分類されると思います。しかしその戦略性、駆け引き、大逆転もありうるゲーム性は随一ではないでしょうか。お互いのチームがストーンと呼ばれる石を8回ずつ投げ、中心に近い方のチームに得点が入り、それを10ゲーム繰り返すという比較的単純なルールです。カーリングは別名「氷上のチェス」とも呼ばれ、戦術が大きく結果に影響します。しかしチェスと違うのは、駒を思い通りに置くことができない可能性があるというところにあります。どんなに優れた戦術を立てても氷の上を滑らせるストーンは思った通りの軌道を描くかどうかわかりません。そこには氷の状態を読む能力も必要になります。氷の状態によってストーンの止まりやすさ、曲がりやすさが変わるからです。同じ会場でもレーンによって氷の状態は違いますし、同じレーンでも試合中に氷の状態は変わっていきます。氷の状態をどれほど早く正確につかむことができるか。それも結果に大きく影響します。
 今回日本からは女子の北海道銀行フォルティウスが参加します。オリンピック最終予選の最終試合は午前3時まで生放送されておりましたが、次の日の仕事を忘れて見入ってしまうほどの好ゲームでした。オリンピックでもよりエキサイティングなゲームを期待しております。ちなみに、放送中は解説者が丁寧でわかりやすい説明をしてくれますので初心者でも十分理解できると思います。ぜひ一度見てください。
投稿者麻酔科医長 桑原 稔
「こまったちゃん」 大原みずほ
2013年12月21日
 外科医の仕事は、病気(もしくはケガ)で困っている人に、手術したり点滴したりお話をきいたりして、元気になってもらう手助けをすることです。つまり困っている人を助けるのが仕事なので、自分自身が誰かを困らせるようなことはしないように心がけています。そもそも、おとななので、当たり前のことですが。
 しかし、物心つくまえのこどもというのは恐ろしいもので、私も幼少時に両親を困らせたことがあったようです。(当の本人は、あまり覚えていません。)

 母を困らせたのは、1歳になるころのこと。
 ある日、当時住んでいたマンションのベランダで、母は洗濯物を干していました。ちなみに3階です。おそらく、私が外に出てこないようにガラス戸をしっかり閉めていたようです。このころ、よちよち歩きを覚えた私は、部屋に母がいないのに気付き、よちよちとベランダのほうへ。ベランダに出るガラス戸のところまでたどり着くと、ガラス越しに母の姿を確認。しっかりと閉まっているガラス戸に、中から鍵をかけ、戸締まり完了・・・。そして、満足したのか、リビングのお昼寝マットにもどって眠りに落ちたのでした。ベランダに締め出された母。もちろん、当時は携帯電話もありません。私はぐっすり眠っています。呼んでも全然起きません、というか、呼んで起こしたところで鍵を開けるとは到底思えません。父が帰宅するのはまだ何時間も先です。困った。そこで母は、ベランダの柵に登り(3階です)、おとなりさんのベランダに侵入(知り合いの部屋です、念のため)して、部屋の中にいる奥さんに助けを求め、無事ベランダを脱出しました。おとなりの奥さんはさぞ驚いたことでしょう。そしてマンションの管理人さんに玄関の鍵を開けてもらい部屋に入ると、私は夢の中。怒ることも、叱ることもできず、ただただ困らされた母。その後、我が家ではベランダに出るときはガラス戸を少しだけ開けておくようになったのは言うまでもありません。

 父を困らせたのは保育園の帰り道で。
 いつも保育園の行き帰りは父の自転車のうしろに乗せてもらっていました。おしゃべりで歌うのが好きだった4歳か5歳の私は、両親が好きだった、加藤登紀子さんの「百万本のバラ」、や、高橋真梨子さんの「桃色吐息」を自転車の後部座席で熱唱。夕暮れの住宅街に響きわたる、「さーかせーてー、さーかせーてー、もーもいーろーとーいきー・・・」保育園児には、歌詞の意味など全く理解できるわけもなく、ただ好きで歌っていたのですが、父はずいぶん困ったようです。やはり叱るわけにもいかず、「桃色吐息」はやめてくれと言われたような気がします(が、あまり記憶は定かでありません)。父は相当恥ずかしかったようですが、今となっては笑い話です。

 理不尽なことも、つらいことも、困ったことも、喉元すぎればなんとか、と、あとで振り返れば、思い出になってしまうことはたくさんあります。どんなときも、なるべく広い心をもって、おおらかに対処できるようにありたいものです。そして、暑さを忘れた頃に、思い出話ができるように(かつ、同じ苦しみを二度と味わうことのないように)しっかり記憶にとどめておけるといいのですが。


投稿者外科 大原みずほ
「夢」 佐久間 明洋
2013年12月16日
将来のではなくて、寝ているときにみる方です。
みなさんは、定番というか同じ内容で複数回みる夢はあるでしょうか。だいたいは夢をみないか、起きたときに忘れてしまうかだと思うので、何度もみた事を覚えているという点で、よろしくない内容のものが多いと思います。
私の定番の夢は、大学の時の試験前日で、全く準備をしておらず、試験開始までに覚えきれないよ、と途方に暮れるというもの。大学を卒業してから10年以上たつのにあれな感じですが。
少し前になりますが、ある掲示板でこの話題が出ていて、自分だけじゃないんだなーと少し安心。今回他に話題もなかったので告白してみました。
ちなみに、夢占い・試験で検索したところ、
【試験】試験準備が出来ていない…現在の厳しさを反映
疲れているときにみる傾向がありますが、6年間、度重なるストレスにさらされた余韻かと思っています。
ここ最近、途方に暮れるような状況ではないです、念のため。


投稿者放射線科医長 佐久間 明洋
「訪れたい場所」 松井 裕帝
2013年12月09日
先日、久々に函館を訪れた。訪れるのは12年振りのことであった。観光地としても、勤務地としても、魅力的と思っている街だが、なかなか行く機会に恵まれなかった。
その函館には訪れたい場所があった・・・。

今年の日本経済新聞に掲載された「観光で訪れたい坂の名所ベスト10」なる記事を目にした。専門家(観光のスペシャリスト達)が評価した日本の坂の名所だそうである。なんと、その1位に選ばれたのが、函館の八幡坂!!ちなみに、2位は産寧坂(三年坂)、京都の清水寺へ繋がる参拝路。3位はオランダ坂、日本最古のキリスト教建築である大浦天主堂やグラバー園近くの代表的な坂。これら有名、一流であろう坂を抑えて、堂々の一位に選ばれたとは!! 立派なものです。

さて、本題に戻ろう。八幡坂は、多くのドラマや映画、CMに引っ張りだこの人気ロケ地であるそうな・・・。私の青春時代(高校生の頃)にもテレビで見たCMに使われていた。それはグリコポッキーのCMで、吉川ひなのさんと鳥羽潤さんの“爽やかな恋”の一場面をシリーズ化し、その当時、大人気となった!!(と記憶しているが!?)と言えば、納得される方もおられよう。
この度、函館を訪れた際に、やはり立ち寄ってしまった・・・、八幡坂。
以前訪れたのは、夏の爽やかな晴れの日であったが、今回は、冬へと一直線に加速している今日この頃。歳を重ねて、爽やかとは対局にこれまた一直線に向かっている今の自分には、この時期がピッタリかなとか思いつつ、その場所には“個人的な”思い出など何もないが、丘から海へと続く坂をゆっくりと眺めたのである。こんな恋がしてみたいと、テレビ画面に映る主人公の少年である鳥羽潤さんに憧れた自分がいた。

CMのワンシーンを紹介。
八幡坂を歩きながら、以前、少年(鳥羽潤さん)に一目惚れだと告白した少女(吉川ひなのさん)が坂を登りながら、その答えを促す場面。
少年      しつこい催促に、「うるさいなぁ…」
少女      早く告白の答えを知りたくて、「はっきり言ってよ!!」
少年      彼女から去り際に、振り返って「男は、好きだなんて言わないんだよ!!」
少女      「きゃー、きゃー、きゃー…」と言って彼を追う。更に好きになった?

鳥羽潤さんの爽やかさと、こんなセリフを言える度胸とボキャブラリーがあれば、人生変わったかもなぁと、妙にセンチメンタルになる今日この頃です。
CMをご覧になりたい方は、You Tubeで検索して頂きたい。



投稿者外傷センター医長 松井 裕帝
「寝ぼけながら鼻をかむ」 大島 美保
2013年12月02日
 リレーエッセイに際し、気が利いた面白い話を書いてみようと思いを巡らすものの、これといって思い浮かばない。そんな中、中学時代の友人の話はインパクトが強く、今でもいの一番に思い出す……とは言っても些細なところはどうだったかしら。でも懐かしいので紹介しようと思う。

 彼女は寝苦しいある日の夜、鼻水が止まらなかった。暗がりの中、枕元のティッシュを手探りする。鼻をかんではゴミ箱へ。かんではゴミ箱へ。眠気もありぼーっとする中、いつしか止まったのか。
 翌朝、ゴミ箱には鼻をかんだたくさんのティッシュ。しかし、なぜかふとんに散乱するパンくずに首をひねる。そういえば昨日、給食のあまったパンを持ち帰ったっけ。おや?袋が開いて半分くらいに減っている。さては妹か。姉が寝ているすきにこっそりつまみ食いをしたに違いない。ちょっと叱ってやらねば……と鼻頭をかく彼女の鼻には大量のパンが詰まってましたとさ。

 この話をバスの中で友人に聞かせていた彼女は、近くの乗客をも爆笑に誘ったことがたいそう楽しかったらしい。聞くまい聞くまい、と思いながらも耳をそばだてる見ず知らずのお客さん。話の佳境でこらえきれずにいっしょに吹き出すなんぞはコメディー映画の一コマみたい。
 そんな彼女は今や世界で活躍するお医者さん。大物はひと味違う。心から尊敬します。

投稿者小児科医長 大島 美保
「ピロリ菌のお話」 佐藤 康永
2013年11月25日
ピロリ菌・・・可愛らしい名前の細菌ですが、実は怖い細菌です。

ピロリ菌に免疫力の弱い5歳頃までの間に起こるとされており、日本では人口の約半分の6000万人が感染しているといわれています。年代別では高齢者ほどピロリ菌に感染している方は多い傾向にありますが、これは加齢によるものではなく幼児期の下水道の発達等の生活環境が影響していると考えられています。

ピロリ菌が胃にとりつくと、繰り返し炎症を起こし(慢性胃炎)、長い年月の後にピロリ菌に感染している一部の患者さんが胃潰瘍や十二指腸潰瘍・胃癌等を発症するといわれています。

ピロリ菌に感染していると、上記のような危険があることから、12年くらい前からにピロリ菌の除菌治療が行われるようになりました。最初は(除菌を行う際の)保険診療が認められていたのは胃・十二指腸潰瘍のみでしたが、 慢性胃炎の状態で除菌治療を行うことで、より胃癌の予防に繋がることが以前よりいわれており、今年の春からは慢性胃炎にも保険診療の適応範囲が拡がりました。

ピロリ菌に感染しているかどうかの検査は、胃カメラをお受け頂かなくても呼気(口から吐く息)を利用してできる簡単な検査で分かります。但し保険診療上、ピロリ菌に感染を起こした胃の状態を見つけるためには胃カメラが必要です。

検査を行った結果、ピロリ菌の感染していることが分かった場合に行う除菌治療は胃薬1種類と抗生物質2種類の計3種類の飲み薬を1週間内服して頂くだけの簡単な方法です。除菌治療の効果は90%程度といわれています。

最後まで読んで頂いて有り難うございました。ピロリ菌感染が心配になられた方は、消化器内科外来を受診して下さい。
投稿者消化器内科医長 佐藤 康永
「最近の喘息治療薬の進歩」 伊藤 喜代春
2013年11月18日
喘息の治療は、1990年前後に各国よりガイドラインが発表され、日本も1993年に喘息管理のガイドラインが発表された。喘息の病態が、慢性の気道炎症と定義され、吸入ステロイド薬が軽症から重症まで有効であると明記した。難治性喘息は別にして、一般内科医もガイドラインに沿って治療すれば、喘息の治療もそれほど難しくないと思われた。しかし、吸入ステロイド薬が一般の内科医に定着するには、それなりに長い年数を要した。
ガイドライン発表から20年ほど経過したのであるが、確かに吸入ステロイド薬の効果は絶大なもので、導入以来、喘息死は、1960年代には、1万人を超えていたのであるが、2012年の死亡者数は、2000名をきった。約5分の1に激減したのである。
吸入ステロイド薬の進歩は、目に見張るものである。吸入ステロイド単剤は、アルデシンに始まり、キュバール、パルミコート、フルタイドと進化し、2006年には、吸入ステロイドとβ刺激薬配合剤のアドエアが発売され、その後、2010年1月に、シムビコートが日本で販売開始された。アドエアとシムビコートの違いは、後者のほうが、気管支拡張作用が強く、親水性の高いブデソニドは、粘液層を通過しやすいため、粘液分泌亢進していても効率良く気道組織の炎症細胞に到達することである。しかし、高価であることがネックである。アドエアが使用されるようになって、難治性の喘息患者を除いてほとんどの喘息患者さんのコントロールは、容易になった。それでもやはり、内服のステロイドから離脱できず、日常の活動が制限されている患者さんが少なからずいた。
そこにシムビコートが登場し、高用量ではあるが、日常生活が制限されていた患者さんが、内服のステロイドより離脱し、ウオーキングもできるようになったと喜んだ患者さんもおり、アドエアでコントロール不良の患者さんは減少した。シムビコートでコントロールが良好になったとはいえ、極めて難治性の患者さんもいる。
最近も喘息発作を頻回に起こし、今年だけでも5回も入院した20代歳の男性がいた。
7月よりゾレア(ヒト化抗ヒトIgEモノクローナル抗体製剤)勧めていたが、高額薬品のため治療に踏み切れないようであった。
もう4年前になるが、頻回に入退院を繰り返し、途方に暮れていたが、56歳の女性に
ゾレア治療を勧め大学病院に紹介した。ゾレアが著効したようで昨年1度入院し、1度外来で点滴しているが、今年は受診していない。2週間に1度の皮下注射と高額医療がかかるが、頻回の喘息発作に苦しみ、われわれの精神的負担を考えるとよいであろうと20代の男性患者に勧めたのである。
10月の下旬に難治性喘息の講演会に出席し、東京のある大学病院では、3000名ほどの喘息患者を治療しており、ゾレア治療患者が、100名以上おり、内服のステロイドはあまり処方していないとの報告を聞いてゾレア治療の敷居が低いのには驚いた。医療費が膨大にかかるが、東京の富裕層か医療費のかからない患者さんに治療しているのであろう。ゾレア治療患者さんは、北海道では、おおよそであるが、30名未満であろうと思われる。札幌の演者からは、頻回に喘息発作を起こし、ゾレア治療の選択肢しかないと考え、2例に試みともに、著効した症例が発表された。
先日、喘息の専門医にまだ治験段階であるが、月に1度入退院を繰り返していた患者さんに抗インターロイキンー5抗体(メポリズマブ)で治療し、著効したとの話があった。今後、ますます、喘息の治療が進歩していくことを期待する。
投稿者内科医師 伊藤 喜代春
「私のナンバーワン映画」 倉 秀美
2013年11月11日
映像技術の著しい進歩により、最近の映画はハラハラドキドキが中心で観終わった後の
なんとも切ない気持や放心状態になり、暫く現実から逃避してしまいそうになるあの
特別な感情にひたることはなくなってしまったように感じる。
初めて映画で衝撃をうけたのは小学校5年生の時に新宿ピカデリーで観たサウンドオブ
ミュウジックである。突然大スクリーンに両手をひろげジュリー=アンドリュースが
出現し、美しい歌声で歌い始めたのである。こんな美しい人がいるんだと感激しまた
数々の有名な歌に感動し、多くの優しい人々の出会いや家族愛に心をうたれ、映画が
終わった後も暫し放心状態であったことを思い出す。その後歌を歌うのが大好きになり
合唱部に入部した。
私は基本的にはロマンス(ハッピーエンドの)映画が好きである。中学2年で観た
昼下がりの情事では駅のシーンでオードリーヘップバーンをゲーリー=クーパーが抱き寄せる場面で感激し、同じ年で観た旅情でのキャサリン=ヘップバーンが汽車から美しく
手を振るシーンで涙を流し、やはり同年に観た心の旅路でグリア=ガースンが自分の心を
押さえながらロナルド=コールマンの記憶がよみがえるのを待ちわびる心の葛藤に切なくなり、誰がために鐘はなるでゲーリー=クーパーがイングリット=バーグマンを思いながら死んでいくシーンで彼の横顔に感動し、ある夜の出来事でクラーク=ゲーブルが一生懸命クローデット=コルベールを守るシーンに感激し、(結局かなりませていた)ローマの休日でオードリー=ヘップバーンが最後にグレゴリー=ペックを見つめ涙を眼に浮かべるシーンに心をうたれ、追憶でバーバラ=ストライサンドがロバート=レッドフォードに道で偶然出会って見つめあい、バーバラの眼が涙でいっぱいになるシーンとその主題歌に深く感動し、ああ映画って本当にいいなと何度も観るたびに思った。
結局私のナンバーワン映画は何だろうと考えたときにいままで挙げた映画すべてが私にとってのナンバーワンである。最後にチャップリンの独裁者はチャップリンがその肉声を初めて映画で聞かせあの感動的な演説をし、現代社会にも十分あてはまる意味で忘れることのできない映画である。映画って本当にいいですね。
投稿者整形外科部長 倉 秀美
「月9」 長尾 知哉
2013年11月02日
 学生時代は友人たちと酒をそれなりに飲んでいたつもりだったが、研修医になってから飲む機会が減ってくると、やがて飲めなくなってしまった。今となっては酒をたしなむのは年に数回である。研修医のころは「ベロベロに酔っぱらって手術をした」とか「当直でしこたま飲んで心臓マッサージをして救命した」という「武勇伝」をよく先輩医師から聞かされたものだが、今頃そのような医者はもういないし、世間が許してくれない。

 ある月曜日に家でテレビをつけると、ベレー帽をかぶったあやしいおじさんが下町の小汚い居酒屋でただ酒を飲んで煮込みを喰らっていた。ちょっといいことや講釈を垂れることもなく酔っぱらい、「ご常連」と乾杯ばかりし、自作の句を披露して番組は終わった。

 以来月曜夜はこのおじさんのトリコである。週初め「月9」に恋愛ドラマでヤキモキしたり政治番組で世を憂うこともなく、ただ初老のおじさんが酔っぱらっている姿を眺めている。ろれつが回っていない回は、「この店ははまったな」と見ているこちらがうれしくなる時もある。


 吉田類。『「無縁社会」から「酒縁社会」』を提案し、全国の居酒屋を旅している「酒場詩人」。北海道でもおなじみで、ただみんなと乾杯するだけのディナーショーにパークホテルが道内各地からの人でいっぱいになってしまう。

 「吉田類の酒場放浪記」はBS-TBSで月曜夜9時から放映している。浮世を気にせずただ酔っぱらいたいが、やはり気になり酔いきれない、という世知辛い世の中に生きる多くの人が酒場で出会う他人とのあたたかさを求め、一人のおじさんが酔っぱらっていく様に自らを映しているのかもしれない。


投稿者外科医長 長尾 知哉
「子守唄」 中川 麗
2013年10月21日



ガリッ・・・ガリッ・・・ガリッ・・・
日の出を待たずに引っ越しが始まった。

まだ若かった夫婦は、家族が増える日に備え、ハイハイをしても膝にトゲがささらない新居に向けて出発した。全財産は直径1mのちゃぶ台を裏返した中に収まった。路面をツルツルに覆う氷が溶け出す前に移動を完了する予定だった。

前方2つの脚に結んだヒモは夢見る青年が引き、後ろは不安をぐっとこらえる母親が押した。

お腹の中ではのんきな私が朝寝坊をしていた。



Ombra mai f醇・
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave pi醇・lt;br />

かあちゃんが歌ってくれた子守唄。つぶやくように、ささやく歌声に誘われてまぶたを閉じる、のどかな子供時代を送った。

中学校という反抗期を卒業した日、「こんなに優しい木陰はない・・・」と、繰り返す歌詞だと知った。



あれから40年近くがたつ。家族も増えた。何度か引っ越しが繰り返され、少しずつ自宅も広くなった。青年も娘達に薄くなった頭をなでられ、「とうちゃん」と冷やかされる。まんざらでもなさそうだ。

かあちゃんの頭もだいぶ白くなった。

かあちゃんは、ずっと一生懸命だった。怒って、泣いて、笑って・・・。かあちゃんには、驚かされることも多かったし、振り回されてばかりだ。たくさん喧嘩もした。

でも、私達にとっては、これからもずっと、かあちゃんだ。

かわらず我が家は、かあちゃんにつつまれ、後押しされ、見守られている。



元院長の森先生が退職される時、「札幌徳洲会病院は僕にとってお母さんです。」と話されたのを思い出す。病院設立前、更地に立つプレハブの中、就職面接を受け、初めての研修医としてこの病院に勤務したそうだ。病院の成長と共に医者人生を送ってこられた思い出話しを聞かせてもらえる機会に恵まれた。その時間が好きで、ここに就職することに決めた。お母さんは単純にお母さんであり、良いも悪いもない。誰かにとって、そんなところで働くことができることを単純に幸せに思った。その歴史の一部になることも嬉しかった。



Ombra mai f醇・ …..

今日も院内には、あの頃、かあちゃんが歌ってくれた子守唄が流れる。最近、院内BGMとしてよく耳にするように思う。それは、期待して耳を澄ませてしまうからだろうか。

急な病気に耐える方、人生の雨宿り中の方、その行方への不安に耐えて寄り添う方や、必死の職員・・・。みな、そのかすかに聞こえる子守唄の中、今日も明日に向かってもがいている。できる事が少ない現実に無力さを感じない日はないが、木陰は今日も優しく包んでくれている。


安心してがんばろうと思う。


投稿者総合診療科医長 中川 麗
「頭の体操。中学入試の算数問題でリフレッシュ」 紀野 泰久
2013年10月07日
ここの所、本屋さんに行くと小学校の「算数」を取り扱った本をよく見かけます。息子が小学生で塾に行っている関係もあるのかもしれませんが目につきます。

「小学校の算数なんて簡単じゃない」という声も聞こえてきそうですが、算数といっても中学受験の算数は非常に難しいです。一筋縄は行きません。こういう問題を集めて算数パズルとして本が出ています。

ただ算数の問題を解くときの縛りがあります。算数というからには小学校で習った知識で解かなければいけません。つまり中学校以上の知識を使ってはいけないと。

有名なものに「つるかめ算」というものがあります。たとえば
つるは足2本、かめは足4本。つるとかめ合わせて10匹いて、足の数の合計は30本。つるは何匹、かめは何匹。といった問題です。

これを中学校の知識で解くと二元一次方程式を使います。「え、なにそれ。そんなこと習ったっけ」という人もいるかもしれませんが・・・。

つるをx匹、かめをy匹とすると、つるとかめ合わせて10匹なので
    x+y=10 …… ?
つるの足は2本で、かめの足は4本。足の数の合計は30本なので
    2?x+4?y=30 …… ?
????2をすると
    2y=10
     y=5
?にy=5を代入して
    x+5=10
    x=5
つるは5匹、かめも5匹

となります。しかし小学校では方程式は習いません。小学校レベルで解くとするといろいろな解き方がありますが

解答?
10匹全部がつるだとすると、足の合計は20本。足の合計は30本なので10本はかめとつるの足の差になる。かめとつるの足の数の差は2本なので
    10÷2=5
かめは5匹。つるとかめ、あわせて10匹なのでかめは5匹

解答?
中学入試のテクニックに面積図というものがあります。色々使えるのですがここではつるかめ算で使ってみます。




斜線部の面積は40(全体の面積)?30(足の合計)=10
斜線部の縦はかめの足の数とつるの足の数の差で2
よって横は10÷2=5。かめは5匹。つるは10?5=5で5匹

ということで、方程式を使わずとも解けてしまいます。でも算数で解くという縛りは結構厳しい物があります。パズルとして解くには頭の体操としてはいいかもしれません。

今回はつるかめ算でしたが中学入試の算数は手強いです。特に図形問題はパズルの領域に入っています。ちなみに次の問題は有名な問題ですができますか?

問題:斜線部の面積を求めなさい。円は外側の10x10cmの正方形に内接する円です。斜線は正方形です。



答えは50cm2ですが出来ました?ヒントは斜線の正方形を回転させると・・・。
小学校の算数はパズルです。頭を軟らかくして挑みましょう。


最近気に入っている小説は「浜村渚の計算ノート」青柳碧人著。このシリーズ、実は第5作目まで出ています。計算ノートということから算数、数学関連ですが基本は推理ミステリーです。ただ高度な数学の話が出てくるので文系には辛いかも。でも数学の知識がなくても楽しめるとは思っています。

ではではまたお会いできることを祈って
投稿者外科部長 紀野 泰久
「お酒」 東 直樹
2013年09月30日
お酒は、百薬の長といわれるが、飲み過ぎると失敗することがあります。
かなり昔の学生時代の話です。
S医科大学入学後、母校のK高のOBによる新入生歓迎会があった。当時、私はほとんどお酒を飲む機会がありませんでした。
歓迎の乾杯後、酒をつがれて少しずつ飲んでいました。
・・・・・
ひんやりした広い体育館?に運ばれて・・・、
遠くから声が聞こえる
「おい!」
「おい!」
「おい!」
「返事しないな」
「まずいぞ?・・・」と声が聞こえたとたん
「うっ・」
と私が吐いた瞬間に
「たいじょうだ!」「生きてる!」
と自宅に送り帰されました。飲んでいるうちに酩酊して気を失ったのである。いわゆる一種の急性アルコール中毒である。
翌日は一日自宅で吐いては寝ており、翌々日二日酔い(?)の頭痛で寝ており、親にあきれられました。後日、弓道場の謎のゲロ事件と噂されました。

大学6年になると、各医局の先生方がポリクリ実習中の6年生と来年度の医局の勧誘(?)を兼ねて飲み会がよく行われました。その頃、私は第3内科で実習中でしたが、第4内科に実習中の同期の友人から「第4内科の飲み会で人が足りないから、飲みに来ないか」と言われ、ワインバーに連れられていかれました・・。
翌日、第3内科のS教授外来で教授の診療を見学中でした。午前10時頃、突然の悪寒・震えの後、猛烈な嘔気が出現しました。診療中のS教授と診療を受けている患者さんの真横を脱兎の如く横切って、外のトイレに駆け込みました。二日酔いである。
いい加減吐いた後に、そーとS教授外来にいくと、S教授が「東くん、二日酔いかい?」ぽーんと軽く肩をたたいてあきれて?笑って?私の非礼を許してくれました。S教授、誠にすみませんでした。今思い返すと寒気がします。
お酒はくれぐれも飲み過ぎないように・・・・。
投稿者消化器内科部長 東 直樹
「スペース・オペラはいかが?」 小谷 裕美
2013年09月02日
最近、エリア51と呼ばれる、ネバダ州にあるアメリカ空軍の基地について、米中央情報局(CIA)はこれまでの機密を解除しました。ここは、1947年にアメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近に墜落したUFOに関連した施設といわれており、墜落したUFOが運び込まれた、とか、グレイと呼ばれる宇宙人が住んでいる、あるいはUFOから得た技術によって、秘密兵器を開発している、などとされてきた場所です。残念ながら公式には、インタビューに応じた元職員5名が、「エリア51にUFOは無い」と、UFOの存在を全面的に否定する証言を行っています。
 と、ここで、私の好きな宇宙人を紹介したいと思います。惑星ハルト出身のイホ・トロトです。身長は約3.5メートル。肩幅は約2.5メートルで、体重は約2トン。胸には1対の長い行動用アームとその内側に短い跳躍アームを持ち、短い足と跳躍アームを使い、時速120キロメートル以上で15時間走ることができます。頭は半球型で頸はなく肩につながっており、頭髪はなく、目は3つ。そのうち2つは、頭の側面にある通常の目で、ひとつは額にある赤外線に反応できる目です。両耳は閉じることができます。また、 ふたつの脳の一方は高性能コンピュータ以上に正確、迅速、創造的な計画脳で、強靭な肉体は細胞転換、あるいは構造転換能力をもっており、意志の力で肉体の分子構造を変えて結晶化し、通常の武器では破壊できない、真空中や高放射線下でも一定時間は行動できる身体にできます。 消化器官は、どんな物質でもエネルギー化できるコンヴァータ・システムとなっています。彼は、西暦1180年生まれで、本能である冒険欲を満たすために他種族に介入。西暦2400年8月15日にはじめて人類の前に姿を現し、銀河中枢部の恒星六角形の存在を示して、人類とともにアンドロメダ星雲を目指すのです。
 この宇宙人は、ドイツで、1961年に月刊誌として発刊され、日本でも1971年から1巻2話の掲載で450巻(ドイツ本国では900巻以上)が発行されており、今も続いている、宇宙英雄ロダンシリーズの登場人物の1人です。物語は、1971年、人類初の有人月宇宙船スターダストで、ペリー・ローダン少佐をはじめとする4名の宇宙飛行士達が、月面に不時着していた高度な文明を持つ異星種族アルコン人と遭遇するところから始まります。ペリー・ローダンは、アルコン人の技術力を手に入れて地球を統合。さらに不死の身体を得たペリーローダンは大宇宙に進出し、活躍します。西暦3588年に新銀河歴が始まり、新銀河歴1470年代まで話は進んでいるようです。高校時代に第1巻を読み始めて以来、折に触れ、所蔵している文庫本を読み始めるのですが、数十巻読んでは中断する、の繰り返しで、なかなか最新刊に近づけず、昨年も第100巻(イホ・トロトが登場し、銀河系からアンドロメダへの進出が始まります)から読み返して、200巻くらいまで進んだところで留まってしまいました(現在300巻まで所蔵)。続きから読めば良いのでしょうが、ついつい第100巻から読みたくなってしまうので、先に進みません。私に大宇宙に進出したい冒険欲が生じたときは、このスペース・オペラを数日にわたり読むことにしています。いつの日か、新刊を予約注文するまでに追いつきたいと思います。
投稿者副院長・外科部長 小谷 裕美
「最近観たDVD」 小野寺 康博
2013年08月27日
たまに「GEO」とかでDVDを借りて鑑賞することがある。
最近、立て続けにサバイバルものを観ることになった。
何がきっかけでこの手の内容を観ることになったのかは良く覚えてはいないのだが、たまたま最初に「127時間」といういわば山岳遭難の内容に近い内容のものを観たことが連鎖を生んだようだ。
登山家のアーロン ラルストンの自伝「奇跡の6日間」を元にダニー ボイル監督が映画化したものだ。
大きな岩に自分の片腕が挟まってしまって身動きが取れなくなってしまい、そこから脱出するために様々な試みを行うのだが、終に彼が決断した選択肢とは。
水分の不足からくる口渇を癒したい気持ちが色々なイメージとして湧き上がって来る。生き延びるために必要な重要なもののひとつはやはり水だった。

次に観たのは、「ウェイバックー脱出6500km」。
第二次世界大戦中にシベリアの強制労働収容所から逃れる一行を描く2010年の米国のドラマ。
シベリアからモンゴル、ゴビ砂漠を経てチベットを越え、ヨーロッパに至るというとてつもない踏破行の中で、やはり水分と食料の確保に難渋する有様は鬼気迫るものがあり、かつexcitingですらある。

三つ目に観たものは、「生きてこそ」(原題:Alive)。
ウルグアイのラグビーチームを乗せたウルグアイ空軍チャーター機がアンデス山脈に衝突、墜落し、厳寒の山脈で72日間の生存を果たして生還した16人の事実を元にしたドキュメンタリー映画だ。死亡者の人肉を小刻みにして「蛋白源」と割り切って食する状況にまで至る人間としての倫理観と、生き抜くために必要な手段の選択との相克は、切ないものがあった。また、生き延びるために決してあきらめない意識の指向性は、どのサバイバルものにも共通している必要条件であるように思えた。
また、厳寒の山脈の中では、体温の保持を如何に行うかといった問題も重要であった。

四つ目は、「ライフ オブ パイ/トラと漂流した227日間」。
完成までに4年の歳月を費やしたという大掛かりな映画だ。時々現れる映像の美しさについ見とれてしまい、これが太平洋上での生きるか死ぬかと言った差し迫った状況から意識を一瞬遠ざけてくれる。トラという猛獣と洋上で限られた空間内で時間を共にしているという状況は十分過ぎるくらいに非日常的だ。
最後に、メキシコの岸に打ち上げられた少年は、トラが振り向きもせずに静かにジャングルの中に消えて行く姿をじっと見ていて、たとえようのない悲しみに襲われる。緊張感を伴って8か月間近く時間と場を共にしていたが、そこに人間と猛獣との間になにがしかの共有感なり意思の疎通みたいなものを期待していたのかも知れない。生死を掛けた8か月間を持って生き存えた後に残った少年の本当の悲しみとはどこにあったのだろうか?と思った点ではこの映画は単なるサバイバルものに終わらない何かがあったようだ。

最後に観たのは、「運命を分けたザイル」。2003年のイギリス映画。
アンデス山脈の雪山で遭難、生還を果たした青年登山家の実録映画だ。
骨折を起こし、クレバスに落ち込んだ後に、ベースキャンプまで這ってずってたどり着く過程の超人的な努力の有様はまさに奇跡的としか表現しようが無い。
水と食料と身体を暖めるものがあれば、人間はなんとか生き延びられるものなのか?これらの映画を通じて感じたのは、上記のものは必要条件ではあるが十分条件ではないようだということだ。この地上に生を保とうとする本能的とも言えるような強烈な意志と意思が不在ならば、映画化するだけの感動が生まれる下地はほとんどないであろうと思う。
 
さてさて、長い長~い外来診療の途中で、ふと「ここがシベリアだったら、ゴビ砂漠だったら、アンデス山脈だったら、太平洋上だったら」などと考えてしまう今日この頃。でも、タリーズでコーヒーを買えるし、プレッツエルも買えるしなあ~と思うと、まだまだ余裕あるなあ~などと思ってしまう。
日常の中で非日常を一瞬思ってみるのもいいのかも知れない。

ここで全く脈絡はないようにも思われるのだが、上記のような日常の中でのややしんどいな~と思われる状況にあると感じた時は、明治神宮を訪れた時に、「寧静」と題した昭憲皇太后御歌に接したことが思い出される。

いかさまに身はくだくともむらぎもの 心はゆたにあるべかりけり
投稿者副院長 小野寺 康博
「終戦の日」 田邉 康
2013年08月19日
ぼくは、3か月間札幌徳洲会で仕事をさせていただき、1か月間アラブの国を訪れる。 そういう生活を昨年から続けている。国境なき医師団の一員として、世界の紛争地に行かせてもらっているのです。いっぱいまわりに迷惑をかけながら、なんとも、身勝手に。


美しいシリアのまちなみ 10km先は戦場です

こういう生き方をしているせいかな、夢と現実を行き来しているかのような、妙な感覚がおそってくる。
ひと月前 戦闘で全身の大ヤケドを負った患者さんたちを必死で手術する生活にあえぐ
いまは  どこにも、そんなひどい患者さんはいない
ぼくは生死を彷徨う患者さんたちをおいてきた。
そしてビアガーデンで賑わう美しい町にポツンといるのです。


安物の燃料が爆発したため顔面がただれてしまった少年

8月15日、我が国は「終戦記念日」
でも、パキスタンもシリアもアフガニスタンもイエメンも戦争状態が続いている。
「戦争を知らない子供たち」の一人であったぼくは戦争を感じながら生きています。
ニッポンの戦争の延長上に現在の戦争もあると感じてしまいます。
戦争はけっしてなくなっても、おわってもいない、
だから、ちょっと、いや、かなり、「しゅうせん」という言葉、むなしい
「せんそう記念日」に祈ること  戦争よ!早く終わって!ばかなことだからさ


医学部の最終学年の彼、戦争のために卒業できずに手術助手として働いている。
生物学者を目指していた彼、手術後の患者さんの付き添い看護師として奮闘中だ。
アラビア語学科のエリート学生は、手術室の掃除係として汗を流している。
2年前に歯車が狂い、未だに先の見えない人生  いっぱいの笑顔、友情


ラマダンというイスラム教徒の習慣があります。1年に一度、約1か月間、太陽が昇っている間は飲み食いを一切しないのです。この夏、とびきり暑い季節にそのラマダンがやってきました。それにぼくも参加してみました。
昼間は普通に仕事をします。飲み食いしないため、目に見えて体力が弱ります。
気力を振り絞って耐え抜き、日没。待ちに待ったご飯の時間が始まります!



なんと美しい習慣でしょう。夕暮れ時の街角に三々五々、人々が集まってきます。みんなで食べ物を持ちより、円座になります。「さあ、おいで、一緒に食べよう」異教徒のぼくにも分け隔てなくあちこちから誘いの声がかかります。
透きとおった水が満ちた瓶に感謝のキスをしている女の子、そのすがた、なんてキレイ!!

最初に黒い色をした漢方薬の様なジュースを飲みほします。
手作りのパンや煮豆、卵のトマト炒め、生野菜、鶏や羊の肉、デザートへと進みます。
みんな、自分が食べる前に必ず他人に勧めます。お互いをきづかい食事に感謝しながら、大事な大事な時間を過ごすのです。


あちこちから手が伸びるのがイスラム流

ぼくのラマダンは帰国のために1週間で終了。その後は暴飲暴食が続き、あっという間にメタボのおなかに回復。食に感謝する気持ちも残ってはいるけれど、疲れてくると、やけ食いをしては自己嫌悪に陥るパターンも復活だ。


オリーブ畑がえんえんとひろがる さんさんと日の光をあびて
美しいものを美しいとかんじれる そういう人がたくさんいる世の中って
いいなあ
いいですよね
投稿者副院長 田邉 康
「新病院に移転して」 伊藤 喜代春
2013年08月12日
新病院に移転してからすでに1年以上がすぎた。あっという間の1年であったと思う。僕が、旧病院に勤務したのは、昭和62年の4月であり、それから平成24年6月末まで、急性胃腸炎で3日間ほど外来で点滴し、森先生に入院を勧められることもあったが、病欠することもなく勤務させていただいたのは、感謝の至りである。
栄通18丁目にある旧病院は、現在の新病院に位置する病院と違い、入職時は、平岸に住んでおり、現在は福住から通勤している僕にとっては非常に便利な場所であった。東北通りを抜けて左折すれば、信号待ちをせず、病院裏の駐車場についた。病院わきから裏玄関にはいり、2階に上がれば医局であった。外来も内科より外科に通じており、救急外来に通じていた。内科、外科、外傷の診察室をとうり抜ければ、救急外来に行き着いた。外来の看護婦さんも、現在と違って毎日でも顔を見合わせることができた。
新病院に勤務してからは、各部署が区分けされ、部署が違えば全く顔を合わせることもなく、突然、会えば懐かしいといった感じになる。その点は、さびしい気がする。旧病院当時の研修医の先生が、3名、内科医が、4名ほどで小世帯で内科全般を受け持ち、週2回の夕診、月5回の当直をこなしていた。あの当時は、30代半ばであり、精神的にも肉体的にもがんばりがきく年代であった。
旧病院の5階、6階からは、高層のマンションが周囲にあり、色彩のない殺風景であった。新病院は、大谷地東1丁目にあり、交通量の激しいところで、旧病院と比較すると駐車場に到着するまでには信号待ちが多く、特に冬場は通勤時間は、大幅に長くなった。駐車場も病院から離れており、利便性は悪い。良いところは、駐車場の屋上から美しい夕日が見えることであろうか。新病院は、建物全体が広く、美しく、病棟も廊下も広く、廊下を歩くとなにか快適な気持ちになる。旧病院から新病院への移転は、古いアパートから豪華なマンションに引っ越ししたような感じである。
投稿者内科医師 伊藤 喜代春
「コンサドーレを(も?)応援しましょう 2」 河原 温
2013年08月05日
私は北海道で生まれ、北海道の学校を卒業し(小・中・高・(予備校)・大学)いままでの職場も全て北海道という生粋の道産子です。したがって、北海道愛は皆さん同様にあるつもりです。政治、経済、文化等々、北海道をいつも応援しています。
前回のリレーエッセーでコンサドーレ(以下 コンサ)のJ1残留を応援することを書きましたが、予想通り(?)の連敗街道まっしぐらで再びJ2降格してしまいました。ちまたでコンサは“エレベータークラブ”といわれているそうです。要するにJ1に上がったり、J2に下がったりを繰り返すエレベーターのようなチームということです。悔しいですが事実ですので受け入れざるを得ません。そのコンサは生粋の北海道のプロスポーツクラブです。前身は東芝サッカー部でプロ化への移行期にはいろいろあったようですが、現在は親会社を持たない純粋な北海道のプロサッカークラブです。Jリーグの基本理念のため(義務ではないようですが)スポンサーは地元企業からということになっているため親会社を持たないコンサの資金繰りは北海道の経済状況に大きく左右されます。いい選手の獲得にはお金がかかるため貧乏クラブのコンサはなかなか強豪チームとなることは難しい状況です。事実、全国に散らばるJリーグチームのなかで常にJ1に名を連ねる強豪は関東、関西、東海といった地域に偏っています。したがって私見ではありますが、コンサの強さが北海道の力であるような気がして悔しい限りです。
北海道の力というならば日本ハムファイターズ(以下 日ハム)があるじゃないか!という反論は当然あるかとは思います。今年は調子が悪いようですが、日ハムは毎年のように優勝争いをして我々道民に元気を与えてくれる存在です。そのため批判するつもりはありませんが、北海道の力…とは違うような気がします。いくつかポイントがあるのですが文章が長くなってしまうのでひとつだけ、親会社が大阪に存在していることが私にとって最大のnegative pointです。コンサが強くなったときに北海道に力がついてきたといえるのではないでしょうか。
前述でコンサの資金繰りは北海道の経済状況に左右されると書きましたが、もう一つ重要な要因があります。観客動員数です。スポンサーがつかなくても観客が入ればコンサは元気づきます。そこで前回のリレーエッセーでの最後の文章を引用して…日ハムファンの方もぜひ札幌ドームや厚別競技場に足を運んでコンサの試合を観戦してみませんか?ひょっとしたら試合後には“サポーター”になっているかもしれませんよ(笑)
投稿者眼科部長 河原 温
「北海道の風景」 片田 竜司
2013年07月29日
気がつけば、7月も下旬。日差しもだいぶ強くなり、すっかり夏らしくなりました。一月、二月に降ったあの大雪がうそのようです。北海道のかたにとっては、ごく当たり前の変化なのかもしれませんが、わたしはもともと雪が降らない本州出身のせいか、北海道のダイナミックな季節の変化には毎年驚かされます。あんなに多かった雪が春先にはきれいに溶けて、初夏にかけては、野原や森だけではなく、公園や街路樹まで一気に新緑が広がり、それが秋にはこれまたいっせいに赤や黄色の紅葉になって、さらに冬にはまた雪が降って一面銀世界にと、季節によって風景が白→緑→赤/黄→白と変化し、日本の四季が強く感じることができて、北海道にきて本当によかったと思います。
そんな色彩豊かな北海道の風景で最も印象に残っているのが、十数年前のちょうどこの季節(麦を収穫する直前)にみた美瑛の丘の風景です。夕日に照らされた麦が金色に輝いて、某メーカーのアルコール飲料ではありませんが、まさに金麦でした。自然界に存在する金色をはじめて見た(そもそも自然界に金色は存在しないと思い込んでいた)のでとても感動したのをよく覚えています。ただ、残念ながらその景色を見ることができたのは、そのときの一度きりで、そのあと「金麦」を見るために何度か美瑛の丘に足を運びましたが、麦が収穫済みだったり、天候が悪かったり、夕日の時間帯にうまく合わなかったりと、なかなか条件があわず、結局、現在まで見ることが出来ていません。毎年、この時期になると、あの黄金に輝く幻の金麦を思い出します。ぜひ、もう一度見てみたい北海道の季節の色のひとつです。
投稿者放射線科部長 片田 竜司
「小児科医のアンチ・エイジング」 岡 敏明
2013年07月22日
小児科医として働いてきたため、「老化」について、真剣に考えてこなかった。しかし、自分自身が歳を重ね、最近はアンチ・エイジング関連のテレビ番組をみたり、関連本なども読むようになった。
 最近強く感じているのは、筋肉は鍛えられたこと。しかし、うっかりしていると思わぬ箇所の筋力が落ちてしまうことだ。万歩計をつけて歩いたり(目標1日1万5千歩!)、テレビの「ラジオ体操」を録画し、イチニーサン、と毎日やったりしている。犬(トイプードル)との散歩、森(野幌森林公園)の散歩も大切にしている。また、顔や口の周りの筋力も落ちやすい。しかし、しっかりと鍛えれば、これらの筋力も確実に回復することも実感した。
 ところで、最近の研究では知能や記憶力なども、実は鍛えることができるらしい。まず腦を鍛えるためには、毎日の運動、脳を適度に使うこと、などが大切らしい。東京の板橋区では自治体が、「認知症予防プログラム」を実施しているようだ。残念ながら、札幌市ではこのような取り組みはなさそうなので、とりあえずは自分で取り組むしかない。旅行を自分で計画したり、新しいことに取り組んだり、読書や歴史を学びなおしたりと、毎日脳の活性化を意識している。
 ということで、アンチ・エイジングに関して初心者であるが、今後は「更に新しいこと」にも取り組みたいと思っている。囲碁やパークゴルフ、俳句や短歌(日曜朝にテレビでも放映している)、釣り、野菜作りなど、生き生きと取り組まれている先輩も多い。これからは、仕事一筋(?)から方向を変えようと思っている。そして、「お酒や競馬は控えめに」など、あれこれ考えだしている今日この頃であります。
投稿者小児科部長 岡 敏明
「ベラルーシという国をご存じでしょうか?」片山 昭公
2013年07月16日
私はこれまで、2009年と2012年の2回に渡ってベラルーシ共和国を訪問しております。目的はNPOチェルノブイリ医療支援ネットワークによるベラルーシ共和国ブレスト地区における甲状腺癌検診団に帯同し、現地にて内視鏡補助下甲状腺手術参加するためでありました。通称ベラルーシ、正確にはベラルーシ共和国は、東ヨーロッパに位置する共和制国家。東にロシア、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニア、ラトビアと国境を接しています。首都はミンスク。「欧州最後の独裁者」の異名をとるルカシェンコが1994年より大統領を務めていることより「欧州の北朝鮮」という有り難くないニックネームもあります。もちろんチェルノブイリ原発事故の被害を最も受けた国家として有名ですが、2011年の経済危機以降もともと悪かった経済状況はさらに悪化し、1ドル=4930ベラルーシルーブルというインフレ状態で、ちょっとした買い物をするにも多量な紙幣を使い、なれない日本人には気が引けます。また、陸上の投てき種目(砲丸投げ、ハンマー投げ、円盤投げ、やり投げ)が強く、オリンピックで毎回活躍しておりますが、よくドーピング検査に引っかかり失格になっている事でも有名です。最近ではロンドン五輪女子砲丸投げ金メダリストや、室伏選手が金メダルを獲得したアテネ五輪の銀メダリストなどはメダル剥奪までされております。
被爆国であったり、貧乏な独裁国であったり、オリンピックでインチキしたり悪いことばかりですが、唯一ベラルーシが誇れるところは…..実は知る人ぞ知る”美女大国”なのであります。ターニャ・ディアヒレヴァやオルガ・シェレールなどの世界的スーパーモデルを輩出しております。実際、普通にミンスク市内を歩いていてもなんと美人の多いこと!「街中がスーパーモデル」になっております。しかし、うまい話は無いもので、そのスーパーモデルたちも30代を超えた頃には隣国ロシアと同じく雪だるまの様に肥えてゆくのであります。
投稿者耳鼻咽喉科部長 片山 昭公
「おじいちゃんの話」 執行 寛
2013年07月08日
明治生まれの母方のおじいちゃん。若い時に電線工事のため電柱に登っていた時に転落したと聞きました。それからは片足が不自由になったようです。僕が物心ついた時には遊びにいくと、いつも自室で片足を伸ばして座っていて、ヤスリなどでノコギリなどを研磨する仕事?をしていました。職人気質で頑固で寡黙であまり笑ったところもみたことがありません。おばあちゃんや私の両親も含めて親戚は社交的な人が多かったので奇異な方でした。何か恐い印象だったのか子供の私にはあまり話をした記憶がありません。ある年の正月、小学生の私が帰省先のおじいちゃんの家で扁桃炎による高熱を出した時、他の家族は温泉などに行ってしまいましたが、おじいちゃんは残ってくれました。氷枕をした私のそばでいつまでもノコギリを研いでいました。
それから月日が流れ、大好きだったおばあちゃんが先に急逝すると、おじいちゃんも後を追うように体が弱くなり、療養型の病院に入院しました。お見舞いに行くと寝たきりで痴呆もでてきているのか、口にあんこをいれたまましゃべったりする光景もありました。ある日の私が中1の夏のことでした。母に連れられて病院に行くとやはりかなり衰弱したおじいちゃんの姿がありました。すると突然、おじいちゃんが「ひろし!医者になったのか?よかったな。」と一言。私も母もびっくりです。「ひろしはまだ、中学生ですよ。おじいちゃん何言っているの?」と母。その時は痴呆も進んでいたのであまり気にも留めず帰りました。それから数日後、容態が悪くなりおじいちゃんは息を引き取りました。
現在、私は医師として働いています。その当時は坊主頭の田舎の出来の悪い中学生でした。勿論、将来像も何も考えていない、野原で草野球ばっかりの少年です。「おじいちゃん。あの時、何が見えたのですか?」「本当に未来がみえたのですか?」「おじいちゃん。あの時、僕はどんな医者に写ったのですか?」今になっていろいろ聞きたいことはありますが、もう永遠にその答えを知ることはできません。
 いま、おじいちゃんがみた医師像に近づいているかどうかわかりませんが、ただ有難うございます。感謝の気持ち、初心を忘れずいつまでも親身な医師でありたいと思っています。
投稿者耳鼻咽喉科部長 執行 寛
「覚えていますか?東日本大震災」 佐藤 康永
2013年07月01日
早いもので,未曾有の大災害といわれた東日本大震災から2年3ヶ月が経ちました.

今年2月,その被災地宮城県女川(おながわ)町を訪ねてきました.・・・女川町は,宮城県の
北東部にある震災前の人口が約1万人の町です.リアス式海岸で有名な三陸海岸の最南端
に位置し,海岸線の美しい町でした.私は当院に入職する前の3年間をこの町で過ごし
ています.2011年3月11日の震災では,震源地にも近く20メートル近い津波が襲来し町は壊滅的な被害を受けました.

私は震災から半年経った頃にも,女川を訪ねていますが,当時に比べたら震災により発生した瓦礫は,すっかり片付き被災した町の中心部にあった役場や駅等の施設の解体工事が済み,広大な更地が広がっており何処に何があったのかも分からない状態となっていました.一方では,震災により1メートル以上地盤沈下してしまった港の再建工事が始まり,町が復興に向けて,ようやく動き始めた感じがしました.ただ津波で被災した元の場所には家が建てられないため長期間掛けて高台に宅地造成が始まるという事です.現在人口は7千人まで減少し,過疎化も更に進んでしまいましたし,スーパーやコンビニ,銀行等もなくなり,毎月のように強い余震に見舞われ…と,まだまだ不自由な生活を強いられているのが現状です.

今年3月の震災関連番組の中で,60%の人が震災の記憶が風化してきているとのアンケート結果が紹介されていました.被災地では,震災の記憶を後世に伝えるために津波の到達点を表示したり,賛否両論あるところですが被災した建物を震災遺構として保存するという動きがあります.時間が経つにつれ風化が進んでいく震災の記憶・・・東日本大震災のような自然災害の発生を防ぐ事は出来なくても,災害時に発生する被害を極力抑える事は出来るはずです.この震災の記憶を教訓とするためにも,忘れないでいたいものです.


震災前の女川町



仙台空港に設置された津波到達位置表示
投稿者消化器内科医長 佐藤 康永
「四国の旅」 長尾 知哉
2013年06月24日
私はうどん県、いや香川県高松市で育ち、徳島大学を卒業しました。そういう縁で、毎年四国で行われる徳洲会の研修医募集説明会に参加させてもらっています。ちょうど、台風と梅雨の松山、高松と回って帰ってきたところです。
 私が医学生だったころは、就職先の決定(大学医局や市中病院)は6年生の秋以降に決めるのでよく、なんとなく6年生の夏休みに見学や実習に行っていました。しかし、全員が臨床研修病院での初期研修がシステムとして義務づけられている今では、6年生の夏には志望病院を決めなければなりません。早い人は4年生の夏から見学に出ています。国家試験は3日間になるわ、就職活動は前倒しになるわ、最近の医学生には同情してしまいます。
 そういう状況なので、彼らと話してみると、病院選択やキャリア形成への意欲がひしひしと伝わってくる半面、大学に残ろうか、地元に帰ろうか、初期研修後はどうなるのだろうか、などといった漠然とした不安もうかがい知れます。四国は研修病院も情報も少ないので余計に気になるようです。彼らの姿は十数年前の私の姿そのものでありました。
 ただ、自分の道は自分で切り開くしかないのは、国が決めた初期研修システムの中でも同じです。システムに与えられるだけでなく、うまく利用してほしいと思います。そのためには自らで見て、話して、聞いて、感じてほしいと思います。
 徳洲会は医学生が医師となり、初期研修を終わるころには骨太の医師になれるよう、さまざまな教育体制やサポートを用意しています。今回出会った医学生が見学に来て、いずれともに働いてくれることを楽しみにしながらうどんをすすった高松の夜でした。
投稿者外科医長 長尾 知哉
「ダイエットの話」 辻 英樹
2013年06月17日
 お恥ずかしい話であるが、私は太りやすい体質だ。現在178?で83?。何より食べることが好きだし、好き嫌いもない。朝いくら眠くても腹一杯食べられるし、風邪をひいても食欲が落ちることも無い。自分はそれ程重いとは思っていないのだが、手術室で「この患者さん体大きいね」と言った後、ホワイトボードの「78?」という文字を見て思わず赤面することがある。でも私は焦ることは全くない。なぜならダイエットの「成功体験」があるからだ。
 
 今から3年ほど前、約半年弱で13?のダイエットに成功をしたことがある。その体重を1年以上維持したが、その後徐々に増えて(5?程)現在の体重になった。最重量時には91-92?くらいになって、腹が邪魔して靴下を履くのが困難になった程だ。最近の体重増の原因は新病院に移転したこと。旧病院時代にも増して医局には(本来は)時間外に働く医師や当直医のための食べ物が沢山ある。しかもカップラーメンたっだりアイスクリームだったり炭水化物のものばかり。そんな環境だからちょっと腹が減ってはすぐにつまんでしまう。これでは余程精神的に強くないとまた太ってしまう一方だ。
 
 ではその3年前の方法とは? それは単純に「炭水化物を食べないこと」と「歩くこと」。炭水化物、すなわちご飯にパン、ラーメンやパスタ、そば等の麺類。砂糖の入ったジュース、コーヒーはもちろん厳禁だ。それだけでかなりのカロリーを減らすことができる。そしてその日に摂取したものを夜思い出して必ず書き留めることが大事。目安は朝昼で1000キロカロリー以内にとどめておき、夜500で(これは妻にも協力してもらった)一日1500キロカロリーに押さえられればまず痩せる。でも宴会は制限しないこと。ストレスがたまるのは良くないし、「歩くこと」も同じで毎日続けられることが肝心だ。「ランニング」は私の場合はダメで、仕事以外で体力的にしんどい事は続かない。歩く時間も毎日1時間位でないとこれまた続かない。歩く事はいろいろと考える時間を与えてくれる。やり始めると初めの2週間くらいは体に力が入らなくて眠くなる。ちょっと辛い日々だがそのうち胃が小さくなるのかすぐに満腹になるし、だんだん体重計に乗るのが面白くなる。こうなればもうシメタものだ。

 この炭水化物ダイエット、初めは大学3年生の時。身長の伸びが止まってちょっと横に来たのかな、と思いご飯の量を半分にしたところ、2ヵ月で4?落ちてしまった。もちろん野球をやっていて沢山運動をしていたからその効果もあったのだろうが、自分にはこれが合っていると思い込んだのがいけなかったのかもしれない。その後医師になり運動量と反比例するかのように体重が微増し始め、1年に1?ずつ増えていき気づいたら卒後15年目には卒業時より15?増となってしまった。最初の5-6年は「江川だって巨人でやっていた頃、自分の理想体重は1年に1?ずつ増えていく、って言ってたから、オレも大丈夫だ」と訳の分からぬ言い訳をしていた。だが流石に15?増えると血液検査でも異常値が出てくる。コレステロール、中性脂肪、γ-GTP。まさにメタボまっしぐらの状態だったが、体重減と共にこれらの値も正常化した。これもダイエットに拍車をかけるモチベーションになるのだ。

 実はこの2週間ほど前からプチダイエットをまたやり始めている。でも子供の少年野球に付き合わなくてはならないから、やり過ぎも良くないと思い、とりあえず夜8時以降に食べ物は口にしないことにした。でも今回はあまり落ちてこないようだ。原因は?? やはり昼間の医局でのつまみ食いらしい。自分はいつでも痩せられるぞ、という変な自信(!?)からか、今回はどうも真剣味に欠けるようである。
投稿者外傷センター部長 辻 英樹
「さよなら 747」 黒川 泰任
2013年06月10日
 かって世界中でもっともたくさんの数が日本の空を飛んでいたBoeing社の旅客機747(Jumbo)が,今では日本航空からはすでに全機いなくなり,全日空でも今年度中に姿を消すそうです.

 もともと軍用機(輸送機)として開発されましたが、ロッキード(C-5A Galaxy)との競争にやぶれ,その莫大な開発費を回収するため,民間機として改修,販売して大ヒット(1400機以上)しました.その大きさゆえ、提供座席数の需要過多という点から当初は人気なく,当時は世界一のパンナムが無謀といわれながら購入を決めたことが,結果的には大ヒットにつながりました.

 大学時代にはじめて飛行機に乗ったのがこのJumboでした.飛行機はバスや電車(汽車)みたいなものと思っていましたが,横10列の座席や二階建て構造をみたときには、その広さ,大きさにびっくりしました.しかもその造形が,特徴的で,とても美しい.印象に残る機影です.

 Jumboは あまりに広くて、真ん中に座っていたら外も見えないので、恐怖感が全くありませんが(外が丸見えのジェットコースターは絶対に乗れない),実はjumboの安全性の最大のポイントは4発エンジンにあります.
 太平洋や大西洋をまたいで飛行するようになると,かってはすべてが4発機でした.いうまでもなく,エンジンが止まってしまえば,車はそのまま止まって何の問題もありませんが,飛行機は,それこそたくさんの要因でエンジンが止まってしまう確率は実は低くはありません.そんなときに4発の安心感は絶大です.実際Jumboは1つのエンジンだけで安全に飛行できます.現在の主流は双発機(2発)となりましたが,では,それほどまでにエンジンの信頼性が向上したのでしょうか.もし,かってのエンジンと最新のエンジンの停止する確率が同じで1/nとすると,4発機で単発になる確率は,(1/n)3,双発機では1/nとなります.すなわち現在のエンジンの信頼度はn2倍も高くなったということになります.このnが10などということはないでしょうから,例えば100 つまり,エンストの確率が1%とすると,最新のエンジンはかってのものより,この45年間で1万倍も信頼度が上がったことになります.驚異的な技術力です.

 一方同じ45年間でも,同じような別の巨大システムです.構成する部品の数でいえばむしろ少ないかもしれません.電気を起こすのが仕事なのに,その自分が他からの電気の供給がなければ(津波はきっかけにすぎません)爆発してしまうなんて,そもそも機械,システムとして,欠陥以外の何者でもありません.このような技術者の怠慢がまかり通り,目先の経済効率だけ求めるシステムは社会構造の基本にはなり得ないのです.GEがすばらしいエンジンを作り上げてきた一方で,同じGEの原子炉を改善できなかったことは,極めて残念です.
 雨が降るたびにダムが決壊していたり,スイッチを入れるたびにテレビが火を噴いていたら,とても使い物にはなりません.

 完成されたシステムはJumboのように造形も美しいですが,原子力発電所は,いつ,どれをみても,不気味で「美」を感じません.
投稿者脳神経外科部長 黒川 泰任
「全然食べれる?」 三浦 美文
2013年06月03日
日本語はあいまいと言うか難しいですね。特に問題ないのかも知れませんが、以前から私にとって少し違和感を覚える言葉があります。それは「全然」と「ら抜き言葉」です。「全然」は後に否定の言葉がくると思っていました。それと、いわゆる「ら抜き言葉」も良く耳にすることがあります。例えば「食べれる」ですが、これも「ら抜き言葉」だと思っていました。
実際パソコンで「全然食べれる」を打ち込むとチェックが入り、くだけた表現(全然+肯定文)断然、非常にと出ます。修正を押すと次に、「ら抜き言葉」ということで「断然(非常に)食べられる」に変わります。全然+肯定は若者言葉、はなし言葉とも出ていたので少し調べてみました。
「全然」や「ら抜き言葉」の使い方に関して、違和感を覚える人は結構いるようです。全然+肯定はかなり昔から非常にという意味で使われていたようで、俗な言い方と書いてあるものもありますが、間違いではないようです。「ら抜き言葉」は可能の意味にしか使わず、「書ける」のような「可能動詞」を作ることができるのは 「五段活用」する動詞だけで、「食べる」のような「下一段活用」する動詞や 「見る」のような「上一段活用」する動詞は、助動詞「られる」を使って 「食べられる」「見られる」としなければなりません・・・・とも書いてあります。「五段活用」、「上一段活用」、「下一段活用」などという、昔習った単語が並んでいました。結局、文法はその時の使い方によって変化するため間違いと言う訳ではないようです。言葉は生き物なので、その場の雰囲気で通じるのであれば問題ないとしているようです。しかし、公式的なものには使用しないほうが良いようです。

新しい義歯を入れた後
私「入れ歯の調子はどうですか?」
患者さん「全然」
私「そうですか(否定されたと思いがっかり)」
患者さん「大丈夫、全然食べれるよ」
私「それでは確認させてください(一安心)」
意味は通じますね。
投稿者歯科部長 三浦 美文
「おすすめの本」 倉田 佳明
2013年05月27日
独身時代、年に一度の休み(=夏休み)には南の島にバックパッカー的な旅行をしていました。海外に行くので、どうせなら旅行中は英語にどっぷり浸かろうと思い、英語の単行本を1冊持って行き、旅行中にそれを読み切るのが決まりでした。本の選び方はいつも適当で、空港の本屋さんでちょっと目についたものを買います。
 確かニューカレドニアの離島に行った年、その時はNicholas Sparksの“A Walk to Remember”という本を成田空港で買いました。飛行機の中、宿などで少しずつ読み進めて行くと、高校生の恋愛もので、序盤は「大して面白くないなぁ」という感じでした。
 ところが後半、ネタばれになってしまうので詳しくは書きませんが、グイグイと話の中に引き込まれていきます。高校生の頃の自分を主人公に重ね合わせ、笑ったり、わくわくしたり、泣いたり、泣いたり、泣いたり… 実は涙々の感動ものだったのです。まるで絵葉書のような真っ白なビーチで、一人本を読みながら号泣する東洋人の男は異様だったに違いありません。
いつもは1週間の旅行で1冊読むペースなのですが、割合分かりやすい英語だったこともあり、3日で読みきってしまいました。後で知ったことですが、この作家は女性向けの?ロマンス小説を主に書いています。でもこの本は男でも問題なく読めます。また映画化もされています。(原作が良過ぎて、見ませんでしたが)
本で泣きたい方、“A Walk to Remember”、いかがでしょうか。
投稿者外傷センター部長 倉田 佳明
「看護週間によせて」 関山 伸男
2013年05月20日
 厚生省は1990年に、5月12日のナイチンゲールの誕生日を含む1週目を看護週間として制定しました。制定に際して日本看護協会が提出した要望の趣旨は、看護と看護職に対する理解を深めてもらうとともに、その社会的評価を高めていくための週間としています。以後、毎年多くの病院で、この週間を通して看護に関わる多彩なイベントが開催されています。一方、看護職ではない方々が中心となっての“看護の日の制定を願う会”の趣意書では“看護の心をみんなの心に”をスローガンに掲げています。しかし、これらの趣意書には“看護とは”を解説する内容は含まれていません。

 このように一般社会への啓蒙は、厚生省、日本看護協会、著名人、等の方々によってなされてきておりますが、いま看護ということについてもっとも理解を深めなければならないのは医師達の理解であろうと考えます。病院という機能的な組織の中で医師と看護師は医療という車の両輪にもたとえられており、お互いに大きな役割を担っているとともに、極めて身近な存在でもあります。看護師は、医師の役割や仕事をある程度理解していると思われますが、今に至っても、医師は看護師が行う看護の本質をある程度でも理解しているとは思われません。

 私の勤務していた前病院で、長い時間をかけて、日常の看護の際に看護理論を実践する試みを続けました。このような試みによって、私たちの病院は良い医療を提供する病院として信頼を得て地域の中で次第に発展して、結果として病院の財務状況も著明に改善しました。看護体制の充実が多額の負債の返済の大きな要因となっていたのです。一方、医師の頭を看護の本質の理解に向ける時間はありませんでしたが、医師と看護師が医療という車の両輪を担うといった体制を構築すると、良い医療が実現されるという確証を得ました。

 医学教育のどこかで、看護学という、医学とは異なる体系を構築している学問が存在するという認識をいだくことが出来れば、良い医療の実現に向けての手がかりとなるような気がします。しかし、このような体制の構築が無くても、日本の近代的医療の発展の歴史の中で、医師が看護を理解して純粋に看護の発展のために力を注いだ経緯はいくつか見受けられます。

 イギリスでは近代看護学を創設したF.ナイチンゲールが、1860年にロンドンのSt.トーマス病院内に看護婦養成学校を設立しました。一方、日本では慈恵医科大学を創設した高木兼寛が1886年に始めて看護婦養成所を立ち上げました。これには、多くの著名な婦人慈善会会員の支えがあったことも事実ですが、彼の留学先であったSt.トーマス病院での有能な看護師たちの姿を目にして、医療には医師と肩を並べるような看護師が必須であるとの信念を抱いての設立であったものです。高木兼寛は宮崎県の出身で、若くして明治維新の動乱の渦中を生き抜き、海軍軍医としてSt.トーマス病院に留学をして、在学中も内科学および外科学ともに首席あるいは首席に近い成績で注目され、日本人の誉れとも言われた秀才でした。この間に、医師としての学問の修得ばかりではなく、医療の中での看護師の役割にも深い関心を示していたと思われます。

 ちなみに高木兼寛は、後に海軍軍医総監に就任していますが、それに先立って当時陸海軍に猛威を振るっていた脚気の成因を追求するにあたり、統計的手法を取り入れて、理論的にも脚気が食事の成分による病気との考えに至り、海軍の食事内容の変更を図った結果、海軍の脚気の発症は大幅に減少しました。一方、森鴎外を軍医総監とする陸軍は、脚気の感染症説の立場を主張して譲らず、以後も多くの死者を出し続けたのは、医学史上の有名なエピソードとなっております。今日の医療においても、エビデンスを金科玉条とする風潮に対して三分の理とまではいかなくても、一分の理くらいは持たなくてはと思われます。

 高木兼寛が留学中に看護師に目を向けていたとすれば、もしかしてF.ナイチンゲールを目にしていたかもしれません。願わくば、秀才の誉れ高い高木兼寛が感心するような、すばらしい看護師を育てたF.ナイチンゲールの信条をも、もたらしてほしかったような気がします。いずれにしても高木兼寛は日本の看護師養成の基礎を作り、その精神は現在の慈恵医大の看護教育と医療に受け継がれているものと思います。

 もうひとかた、看護を真に理解しようとしていた医師を上げるとすれば、武見太郎であろうと云われています。1957年から1982年の25年間の長きにわたって日本医師会長を務めたといった面だけでも間違いなく有名人でありますが、有能な臨床家でもあったようです。おそらく日々の医療の中での仲間としての看護と看護師にも深い関心を示していたものと思われます。彼は、1961年になって、ついに“看護とは何か”という問いに答えうる人材を得ました。薄井坦子です。

 奇しくも、高木兼寛と同郷の宮崎県に生まれた薄井は、御茶ノ水女子大を卒業後に東京大学医学部衛生看護学科に学び、卒業後に日本医師会病院課に勤務しました。武見太郎との出会いでありました。薄井は武見の問いかけた“看護とは何か”を知るために、自ら現場に出向いて看護師の行動をつぶさに記録して分析し、“看護の必要度に関する実験的調査”としてまとめて、武見に報告をしました。報告を受けた武見は、直ちに看護師の専門性を認めたとの事です。研究の開始にあたって、もちろん武見は薄井に十分な時間と研究費を提供して、支えをおろそかにすることはなかったとも云われております。

 その後薄井は、日本医師会での研究を足がかりに本格的に看護学の研究に没頭することになります。武見太郎の看護に対する真摯な取り組みが薄井のその後の看護研究に、大いなる後押しとなったことは間違いないことのようです。薄井は、その後、東京女子医大看護短期大学教授、千葉大学看護学部教授、宮崎看護大学学長を歴任していますが、東京女子医大在任中の1974年にかの有名な“科学的看護論”を上梓しています。看護の現象レベルでの多くの問題が、ナイチンゲールの著作の中に解決の糸口を見つけることが出来ることを知り、看護現象を理論的に再構築してサイエンスとしての学問に仕上げました。ナイチンゲールの膨大な著作の中から、看護とは“生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえる”ことであるという言葉を見い出して、サイエンスとしての看護の原理としたことは、まことに慧眼であったかと思います。

 薄井の「科学的看護論」は整然と体系化されたすぐれた理論である一方、サイエンスに馴染まない人にとってはなかなか敷居が高い理論と思われています。しかし、武見も認めたように看護に専門性があるとするならば、このような学問体系の習得は必ずやクリアされなければならないものと思われます。
医師で日本理論医学研究会代表幹事の瀬江千史は、科学的看護論を以て看護は学問となり、理論としての体系を整えたとしています。看護学は、むしろ医学よりも理論体系が整った学問といえるかもしれないとも述べています。サイエンスを掲げている医師には看護学はむしろ分かりやすいのかもしれません。

 高木兼寛が、ロンドンのSt.トーマス病院で垣間見たすばらしい看護師を日本でも育てようとして、日本で始めての看護師養成施設を作って以来、その精神は代々慈恵医大に受け継がれて、すばらしい看護師が輩出したと聞いています。最近、看護理論に基づいて看護を理論的に実践する機運が高まってきておりますが、慈恵医大付属病院でも薄井の科学的看護論の実践に真剣に取り組み始めていると聞きます。百年の時を経て、高木兼寛が目にしたF.ナイチンゲールの教えによるすばらしい看護師が、新たな装いをもって現実のものとなりつつあるということでしょうか。

 ちなみに、私は、科学的看護論を学んで実践する看護師の方々と多くの事例を検討する中で、医学と看護学は学問体系が異なるものであり、同じ患者でも異なる目で見なければならないことに気づかされました。その後、多くの方々からの示唆を頂きまして、看護学の目的に沿ったからだの見方として“器官レベルでのからだの見方”を提案いたしました。従来の臓器や病名に注目するからだの見方から、新たにからだの中の繋がりに注目して全身の状態を把握するといった見方を取り入れたもので、仲間からは看護理論の実践に合ったからだの見方ができるとの評価を頂いております。

もう少し詳しいことを知りたい方のための資料:
1)科学的看護論(第3版) 薄井坦子 著(日本看護協会出版会)
2)フロレンス ナイチンゲール 看護覚書  湯槙ます 薄井坦子 他訳 (現代社)
3)ナイチンゲール著作集(第一巻?第三巻)湯槙ます 監修(現代社)
4)実践から学ぶ看護学 ?科学的看護論と省察的実践論? 椙山委都子 著(鳳書堂)
5)看護の原点を求めて ?よりよい看護への道? 薄井坦子 著(日本看護協会出版会)
6)看護学と医学(上下巻) 瀬江千史 著 (現代社)
7)白い航跡(上下巻) 吉村 昭 著 (講談社文庫)
8)器官レベルでの病態の把握 関山伸男 綜合看護:41巻(3)?43巻(3) (現代社)
投稿者内科診療科部長 関山 伸男
「いるんですね、ピロリって。」 斎藤 琢巳
2013年05月13日
私事であるが、昨年8月に人間ドックを受けた。40歳も過ぎたことだし、胃カメラでも飲んでみようかな?という気になった。小生、医師となって17年以上が経過し、胃カメラも多少は出来るようになって久しいが、恥ずかしながら胃カメラを飲んだ事がない。今まで小生に胃カメラされた方々には大変申し訳ないのだが・・・。さてその胃カメラの結果は軽度の胃炎のみであった。折悪しく前日に病棟の宴会があり、そこそこ飲んでいたのでそのせいだろうと思っていた。しかし、2?3ヶ月たった頃だろうか、空腹時の胃痛の程度が強い。なんか変だなと思いながらも1カ月ほど様子をみていた。が、やっぱり調子が悪いということで、消化器内科のS先生に胃カメラ再検をお願いした。不安な気持ち(胃癌だったらどうしよう?)を抱えながらも気丈に(自分で言うか?)検査を受けた。検査中はじっと目をつぶっていることしか出来なかったのだが、生検鉗子を出せとか、ヒスト(止血硬化剤)出しますか?とか聞こえてきてかなり不安な気持ちになった。結局はピロリ関連の胃潰瘍と診断され、除菌療法を受け、めでたく除菌された。今回はめずらしく患者の立場になり、思うところがかなりあった。特にカメラ中に背中をさすってくれるナースの存在は大変ありがたかった。消化器内科のS先生、F先生、内視鏡室の皆様、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。今年もドックの時期が近づいて参りました。またお手柔らかにお願い致します。
投稿者外科医長 斎藤 琢巳
「新病院」関 敏雄
2013年04月22日
新病院がオープンしてから半年が経ちました。やはり新しくきれいになるといいものです。産婦人科は3階に配置されております。病棟も外来も同じ3階になります。外来と病棟はドアにて境されていますので、医師と看護スタッフが比較的素早く移動し、対応できるようになっています。外来のスペースは旧病院よりほぼ倍になり、ややゆったりとした感じになりました。かねて希望のあったキッズルームを中に配置でき、子供達がおもちゃを相手に遊んでいる姿もよく見られるようになりました。(旧病院にはそのスペースがなく、子供連れのお母様には迷惑をかけていたと思われます。)母親の診察のとき「お子さんは?」と訊いたとき、「キッズルームで遊んでいます。」と特に心配した風でもなく返答があったり、母親と一緒に診察室に入っていた子が、終わるといち早く「おもちゃのところへ行くー。」と、せがんでいる姿を見ると、なかなか役に立つスペースができたものだと思いました。(設計を考えたのは、助産師さん方の案ですが)
ただ、医師の数は、まだ増えていないので、待ち時間が時に長くなってしまうこともあり、申し訳なく思っております。旧病院だと一旦病院を出て、生協(ルーシー)などで時間をつぶす方もおられましたが、新病院はいくつかのテーブルと椅子を置いた広めのデイルームもあったり、ローソン、タリーズ、さくら食堂などがあったり、多少院内で時間をつぶすことが可能になったようです。(それで許されるとは決して思ってはいませんが・・・)
病棟の方は、こちらもスペースが広くなり、各個室も広くなり、トイレ、シャワーを設置しております。旧病院の個室は狭く(申し訳ありませんでした。)ドアを開けたらすぐベットという感じでした。回診の時ドアを開け、顔がすぐ目に入るので、「どう?」「元気です。」「あ、そう。」と、部屋にも入らずの会話ですんでしまうこともありましたが、新病院では広くなったため、ドアを開け、「タノモー」じゃなくて「回診でーす!」と声をかけてからツカツカと中に歩み入って「イカガカナ?」じゃなくて「どうですか?」と訊く感じで、動線が長くなり、回診から戻るときはフーフーしてしまう位です。(個人的には健康のためには、いいかと思っています。)ドアを開けたらいきなり顔が、といった旧病院の狭いスペーからみると患者さんのプライバシーもかなり保たれると思います。母児同室を了承している当科では、子連れ入院した場合、子供達の自由度も多くなり、またトイレもついているので 一旦に子供を病室の外に連れて出て、トイレの場所へ行くということもなくなりました。
部屋から見る高速道路を走る車の騒音はどうかなと気になっていましたが、殆ど問題もないようで安心しました。子供達にとって高速道路を走る車を楽しく見るのだろうと思っていましたが、窓から見える外を走る車より、自分の手元にあるミニチュアカーの方がよっぽど好きのようで、予測が外れてしまいました。
ま、とにかく新しい病院の雰囲気を感じながら診療しているところです。
投稿者産婦人科部長 関 敏雄
「新人のみなさんへ」 出内 なつ子
2013年04月15日
新年度になり、新人という肩書きの職員がやってきました。
新人に、先輩方が懇切丁寧に教えています。
先輩も新人も、進むべき方向性を定め、
その方向へ向かおうとしているこの時期の空気が好きです。

この時期にピッタリとくる言葉は、なかなか探し出せませんでしたが、
新人、先輩、ここを覗きに来る人々の心に、じんわり沁みてくれればと、思います。

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新人だから、
甘えさせてもらう。
新人だから、
失敗してもいいから、
自立して頑張ってみる。

新人だから、
甘えさせてやる。
新人だから、
失敗を覚悟の上で、
一人でやらせてみる。

新人に対しては、
本人も、見守る側も、
そのサジ加減が難しいなァ…

って思います。

(「甘え」と日本人、土居 健郎)

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前を向いて歩こうとしました。
あまりに未来が遠く恐ろしくて、
前を見るのをやめました。

右を向いて歩こうとしました。
私なんかより、うまく、
速く進む人ばかり見えて、
右を見るのをやめました。

左を向いて歩こうとしました。
さまざまな誘惑に、
道が無くなってしまいそうで、
左を見るのをやめました。

後ろを向いて歩こうとしました。
人々がはやしたて、
苦しい過去に胸がキリキリと痛んで
後ろを見るのをやめました。

どこを向いても進めずに立ち止まりました。
ただ、今を歩くしかないと
いうことに気がつきました。

(引用元不明)  

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あなたの敵から、
目を離さないようにしなさい。
だって、あなたの欠点を
最初に見つけてくれる人達なんだから…
(アンティステネス)

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余談ですが、
先日、新院長就任と麻酔科部長昇格のお祝いをしていただきました。
手術室スタッフ&麻酔科スタッフの皆、アリガトォーーー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
投稿者麻酔科部長 出内 なつ子
「身近な絶景」 名和 正行
2013年04月08日
手軽な気分転換として空を眺める。見慣れた街も、地雷原も、夕日は特に表情豊か。明日もがんばろう。

 

 

 
投稿者産婦人科医師 名和 正行
「30年以上も前の事」 杉浦 千尋
2013年03月25日
テレビでTPPに関して、何処かの政治家が「アメリカと相談しながら・・・」と回答していた。何でもアメリカ、アメリカ? 医療の分野でも・・・ 何の脈絡もないが遥か彼方の記憶が突然コラージュのように蘇った。

30年以上も前の事。イスタンブール郊外を走る電車の中で、突然男が大声を上げ始めた。それと同時に白い布を広げて回りの乗客に何やら熱心に説いている様子。はじめはカーテンでも売っているのかと思った。連れの地元の男に何を行っているのか聞いたら、「アメリカではどこの家庭でもテーブルにこんなテーブルクロスをしている。あなた達も最先端の文明国と同じようにテーブルクロスを使って見ませんか?」と行商しているとのこと。残念ながら我々が目的の駅を降りるまでテーブルクロスを買った人は一人も居なかった。

30年以上も前の事。ギリシアでヒッチハイクした運転手は保険の外交員と言っていた。フランス大統領になったばかりのミッテランについて熱く語っていた。他国のリーダーに関して自説を熱く語れる日本人が何人いるだろう。地続きゆえの当たり前の感覚なのかしらと思った。その彼の希望は40歳になったら引退して、島で悠々自適の生活を送ることだった。そんな発想は初めてだったが、ひょっとしたらギリシアの経済危機はその頃から忍び寄っていたのかもしれない。

30年以上も前の事。ギリシア・ブルガリア国境では車と人は別々に入国手続きが行われていた。そのうち大勢が騒ぎ始めた。アテネ発ソフィア行きの国際バスの乗客達だった。事の顛末は国境まで行ったバスが通関、入国のため乗客を下ろした後、そのままUターンして荷物を持ち逃げしたということらしかった。乗客はギリシアの出国手続きを済ませ、ブルガリアに入国してバスが来るのを待っていたが、何時まで経ってもやって来ない。騒ぎ始めて判った、乗客の荷物を全て持ち去って行った大胆な窃盗。セ・ラ・ヴィ。その後の乗客たちの顛末は知らない。

30年以上も前の事。スペインのアルヘシラス(アルジェシラス)からモロッコのタンジェ(タンジール)に渡るフェリーの中、一人の若者が居た。見るからに擦れていない両家のご子息と言った印象。聞くとイタリアの農場の息子とのこと。モロッコへは「ハッシッシを買いに行くのだ。」と顔を輝かせていた。フェリーは夜中ににタンジェに到着した。彼の地では同じような旅行客が多いものと見えた。夜中でもありとりあえず一晩の宿をと、右も左もわからずホテルの客引きの言うがまま宿を決めた。部屋に荷物を下ろすと、早速同じ客引きがハッシッシは要らないかと青年に声をかけた。青年は願ってもないことと、客引きに付いて薄暗い路地の中の一室へと案内された。色々な種類の「物(ブツ)」を出されたが、どれが良いのか判らない。変なものを掴まされないかとひと通りの用心はしていたつもりが、「品質を疑うなら色々試しても良い」とのことで安心したのが運の尽き。お試し品ですっかりハイにってしまった彼は、後は売り手の言うがまま、上手く丸め込まれて何がしかを手に入れた。多分お決まりのように品質も値段もボラレたれたのであろう。
話はこれからである。翌朝カサブランカに行こうとタンジェの駅に行った彼のもとにどこからともなく人が集まりはじめた。見ると彼は困惑している様子。どうやら集まってきた誰もが皆、彼がハッシッシを買って持っていることを知っており、それをネタにゆすっているらしい。「警察に通報されたくなければ持ち物の一つをよこせ(くれたら黙っていてやる)」と。はじめはそれに従っていた彼もそのうち状況が理解できたようで、せっかく購入した「物」をゴミ箱に捨てて、身の潔白をアピールし始めた。ところが回りの連中はゴミ箱から捨てたはずの「物」を拾い出すと「これはお前が買った物だから、お前の物だ。」と彼に押し付け、再び持ち物要求が始まった。皆あたかも自分のバックパックのように勝手に中身を確認し、それぞれが好き勝手にひと品づつ手にしていた。彼がスッテンテンに身ぐるみ剥がれるまでにはそれほど時間はかからなかった。彼はタンジェ一泊、滞在時間12時間そこそこで、体一つでイタリアへ帰っていった。彼が再び彼の地を踏んだかどうかは知らない。
そういえば、アルヘシラスに向かう電車の中、彼の地から帰ってきたと言うパンク風のイギリス人の二人組はモロッコの感想を「Wild country」と言っていた事を思い出した。

30年以上も前の事。マドリッドの公園で見知らぬ若い日本人女性に声をかけられた。旅先で馴れ馴れしく声をかけてくる者にろくな奴は居ない。と適当にあしらったが・・・。変な下心を起こしていたらひょっとして今頃北緯4?度東経12?度辺りに居たかもしれない。

30年以上も前の事。ドイツの駅で始発列車を待つための駅のコンコースの片隅で寝ていたら警察に蹴飛ばされ身元確認をされた。どうやら不法移民狩りをしていたらしい。フランスではポンピドーセンターの階段の下で野宿していたら、ここは警察が来るからあそこに移動した方が良い行きすがりの人にアドバイスされた。ガール・ド・リヨン(リヨン駅)周辺の打ち捨てられたシトロエンが周りの景色に溶け込んでいた。ドイツの市場で野菜、果物の品定めをしていたら触って選ぶなと叱られた。台所が汚れるからと油を使った料理はしないとか。フランスでは・・・。お国柄?

30年以上も前の事。ギリシアからヒッチハイクした車はイギリス行きのブリティッシュ・レイランドのコンテナトレーラーだった。運転手は気のいい人で、窓を全開でアレキサンドロポリス郊外の丘陵地帯を疾走していた。その時、とても爽やかでわずかに艶かしい香りが辺りを包み始めた。初めての経験である。それがオリーブの香りであることに気付いたのはややしばらくしてからだった。オリーブ畑を疾走するトラックのキャビンに流れていたのはピンクフロイドの「One of these days」だった。窓に向かって一度大きく深呼吸をしてみた。
今もピンクフロイドを聞くとあの薫りがする気がする。
投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
「とうちゃん」 中川 麗
2013年03月11日
私のとうちゃんは幸せ者だ。

かあちゃんと呼べる人を3人もつ。

1人は、私の母でもある、かあちゃん。
ひねくれた20代、心の声に正直に、好きなことに夢中になる勇気をくれた人。
昔から、とうちゃんは暇さえあれば、いつもかあちゃんの背中を見送っていた。仕事に行くかあちゃんが、駅の階段を上りきるまで、ずっと・・・。見送る父の吐息は白かった。
振り返ったとうちゃんを「あんなに昨日けんかしてたのに~」とひやかすと、「しあわせだからな。感謝してるしな。見送らないでなんかあったら後悔するからな。かあちゃんのためじゃない。自分のためだぞ。」と照れ、笑った。

2人目は、とうちゃんを可愛がって、甘やかして育ててくれた、かあちゃん。
根っこは、けっこう頑固で、ドストエフスキーが好きなとうちゃんが、はじけるように笑い、愛情深く育ったのは、かあちゃんの影響に違いない。
とうちゃんから繰り返し聞く子供の頃の話。そこにはいつも明るいかあちゃんがいる。ある日、食卓にならんだエビの天ぷらは、とっても甘かったそうだ。「天ぷら粉がないから、ドーナツ粉であげてみたんよ。やっぱりあまくて食べられへんか?はっっはっはっ」

3人目は、とうちゃんを産んでくれた、かあちゃん。
産褥熱で亡くなったそうだ。
プリンを食べたいな。と、つぶやきながら亡くなったかあちゃんを思うのだろうか、とうちゃんのとうちゃんは、プリンを口にすることはない。

かあちゃんは、北海道に住んでいたという。
幸せな毎日の中、語られることが少ないかあちゃんはどんな人だったのだろうか。呼ばれたような気がして、北海道に来た。

そこは、緑豊かで、文化的で、すてきな人たちに恵まれていた。離れがたく、10年近く暮らしている。

もうすぐ、3月11日を迎える。故郷を離れることを余儀なくされている方も多いと聞く。残った方も、残れなかった方も、幸せになってほしい。そして、いつの日か、孫やひ孫が立ち寄った時、うっかり10年いついてしまうような、そんな素敵な土地となりますように。私や私の家族、または一緒に思い出をつくった研修医や学生さんもその日を編み出す歴史の一部にまぜてもらえますように。

そんな祈る気持ちが高まる3月11日、とうちゃんは、65回目の誕生日を迎える。

少ししわが増えた。それもまた幸せらしい。
投稿者総合診療科 中川 麗
「札幌徳洲会病院国内留学経過報告」 安田 知弘
2013年03月04日
私は、昭和大学藤が丘病院から渥美教授、小原准教授のご好意をうけ国内留学の立場にて8月から赴任させて頂いております。重度四肢外傷の骨,軟部組織再建において[皮弁,マイクローサージャリー][創外固定]の2つの技術と知識は必要であり、治療戦略において強力な武器となります。それは相対するものではなくお互いの利点を生かした治療戦略を立てるべきだと思っております。
留学先を選択する際に、元々専門としていた[創外固定]の知識を深めるためイリザロフセンターへ留学するか、触れる機会の少なかった[皮弁,マイクローサージャリー]の知識と技術を身につける為に札幌徳洲会病院へ国内留学するか迷いましたが新しい事にチャレンジする事に決めました。
(札幌徳洲会病院=外傷センター)の印象がありますが赴任して驚いたところは、森院長が昼夜問わず臨床、仕事をしている事でした。外来に、手術、当直や救急当番までしている姿は尊敬に値するものだと思いました。また、外傷センターでは完結せず内科、外科、プライマリー科の先生方の力をお借りする事が多々あり成り立っているものだと思いました。赴任後半年経過し土田先生の御指導の下、前大腿外側皮弁、VAF、指動脈皮弁、逆行性指動脈皮弁、指尖部損傷他、多くの症例を経験させて頂いております。引き続き土田先生、諸先生方のご指導を仰ぎ国内留学を有意義なものにし昭和大学藤が丘病院へ技術を持ち帰りたいと思っております。今後ともよろしくお願い致します。
投稿者外傷センター医師 安田 知弘
「野外活動のすすめ」 大原みずほ
2013年02月12日
今年の冬は雪が多く、寒い日が続いていますがいかがお過ごしですか?寒くて外にはでたくない!という方も多いのではないでしょうか。

私は東京の郊外で生まれ、海も、山も、川も、雪もないところで育ちました。大学受験ではじめて北海道へ上陸して寒さと雪に驚き、それから始まった北海道生活も、かれこれ10年以上になりました。

北海道の魅力はいろいろあると思いますが、なんといっても外遊び。大自然とダイナミックな四季の中で、遊びはつきません。
といっても、本格的なアウトドアを極める!というわけではなく、春になれば外でバーベキュー、夏にはドライブとキャンプ、野外ロックフェスティバル、冬にはワカサギ釣り、スキー、と、家族や仲間たちと気軽に、楽しんでいます。

数年前ですが、知床へキャンプに行ったときのこと。キャンプ場の周囲には、防護柵が張ってありました。鹿がキャンプ場の中に入ってこないようにするためのものです。雄大な景色を楽しみ、バーベキューをして温泉に入り、ぐっすり眠って・・・。翌朝、ガサゴソとした音で目覚めました。キャンプ場ではよくカラスが出現するので、ゴミの片づけには気をつけていたはずだけど・・・と思いながらテントから出ると、目の前に鹿が。あの柵の内側に鹿がいました。柵なんて全然役に立ってない・・・けど、熊じゃなくてよかったです。

また、野外活動はどうしても天気に左右されるので、スキー場で吹雪にあう、野外フェスで大雨にあたる、ということもしばしば。昨シーズンの2回のキャンプは、2回とも大雨に降られました。

そんな予想外のいろいろな出来事も、時間が経つと楽しい思い出になります。2005年8月のRising Sun Rock Festivalの、大雨の中のBRAHMANのライブ、服も靴もぐしゃぐしゃになって帽子もなくしたけど、最高だったな・・・とか。

何で年中、野外活動したくなるのか?と考えてみました。
1. 北海道は四季折々の外遊びが豊富である。
2. 職業柄、なかなか外に出られないので、その反動で外に出たくなる。
3. 大人数でも少人数でも大人でも子どもでも楽しめる。
4. 野外活動は体力を消耗するので、ごはんが美味しくなる。
5. 同様に、お酒が美味しくなる。
6. そして、帰ったら疲れてぐっすり眠れる。
7. リフレッシュして、また仕事への意欲が生まれる。

いろいろありますが、2番が大きいでしょうか・・・。体力づくりにもなるし、リフレッシュにもなるし、ごはんも美味しくなるし、早寝早起きになるし、いいことだらけです。

先日は札幌国際スキーマラソンでクロスカントリースキーに挑戦しました。初心者なので、メインである50kmのスキーマラソンではなく、10kmの歩くスキーコースにしました。小学生たちに抜かされながらも無事に完走。札幌市内でも、滝野すずらん丘陵公園や、白旗山にクロスカントリーコースがあり、一般開放されているようなので、また行ってみたいと思います。

寒くて引きこもりがちな冬ですが、たまには外に出てリフレッシュしてみませんか?
投稿者外科 大原みずほ
「年甲斐もなく・・・。」 松井 裕帝
2013年02月04日
皆さん、こんにちは。外傷センター 医師 松井裕帝と申します。

年甲斐もなく・・・。「大人がその年齢にふさわしくない愚かな事をする。いい年をして浅はかな行ないをする。」という意味だそうです。あまり、良いイメージの言葉ではありませんね。最近、妻から言われた一言です。僕の趣味である、プラモデル(ガンダム)を衝動買いした際に、言われました。
ふと、自分の年齢について考えてみました。3〇歳・・・。愚かな事?浅はかな行い?自分が大人子供なのかもしれません。

さて、僕の大好きなスポーツ選手である松井秀喜選手が、先日引退しました。心に大きな穴が開いた気分です。偉大な選手もいつかはこんな日が来ると、わかってはいますが・・・。さびしい限りです。
彼を悪く言うような人は一人もいないのではないでしょうか?日本人のみならず、アメリカ人(ニューヨーカー、ヤンキースの同僚であったデレク・ジーター選手、彼の代理人であったアーン・テレム‥など)にも好かれていましたね。
約20年前、彼の伝説の序章となった出来事。1992年夏の甲子園2回戦対明徳義塾戦で5打席連続敬遠、一度もバットを振ることなく大会を去ることになりました。当時18歳でだった彼の試合後のインタビューが忘れられません。大人達(マスコミ)は嫌らしい質問を投げかけます。「普通に勝負させて貰えたら、星稜が勝ちましたよね?」「対戦相手の河野投手に言いたいことはありませんか?」「高校野球らしくない作戦に腹が立ちませんか?」・・・。たくさんの陰湿な?誘導尋問?に屈せず、悔しさを押し殺し、『高校野球らしくないかもしれないが、ルールに則った中で、僕らの力が及ばなかった。ただそれだけです。』
当時18歳の松井秀喜選手は、年甲斐を超えた?発言を残しました。あまりにも対照的な自分・・・。ふと、そんなことを思い出しました。大人になりきれていない自分が恥ずかしくなる今日この頃です。
今後、どのような形で再び僕らの前に登場してくれるのか?今は、そんな楽しみを持ちながら、ただ、今はゆっくりと休んでください。お疲れ様でした!!松井秀喜選手。
投稿者外傷センター医師 松井 裕帝
「新病院移転後」 佐久間 明洋
2013年01月28日
放射線科の佐久間といいます。主に、撮像されたCT・MRIの画像に対するレポート作成、出血や肝腫瘍に対する血管内治療、透析シャントの血管形成術(狭窄の解除術)を行っています。
新病院に移転して、半年が経過しました。移転当初にみられたいろいろな問題が徐々に解決され、最近はだいぶ落ち着いた感があります。
新病院移転にあたり、自分の通常業務に関わるところでは、CT(東芝製320列マルチスライス)・MRI(フィリップス製3.0テスラ)の機器更新がありました。特に新病院のMRIは、疾患によっては旧病院で使用していたMRI以上の情報が提供できるのではないかと考えています。
撮像・読影件数は増加の一途をたどっていますが、各症例に対して丁寧に対応してきたいと思っています。
なお、読影レポートを作成するうえで、データを再構成して異なる断面の画像を追加で作成してもらう必要がある場合や、異なる条件で撮像した画像を多数組み合わせて評価する必要がある場合があります。特に外来の方については、できる限りはやくレポートを作成できるように心がけていますが、どうしても時間がかかってしまう場合がありますので、ご了承ください。
今後ともよろしくお願いします。
投稿者放射線科医長 佐久間 明洋
「整形外科外傷治療を目指して」 畑下 智
2013年01月21日
医師リレーエッセーを執筆して下さい。テーマは自由です・・・。締め切りが明日に迫っているということを、昨日気づいたわけですが、こんなこと今までで経験がないことです。何を書いたらいいのでしょうか?
過去の先生方のエッセーを見返してみると、色々おもしろく書いています。私にはこのような才能がないことは20年以上前からわかっています。日本の整形外科外傷治療、重度四肢外傷についてというテーマであればいくらでも書けそうな気がしますが、この場では不適切ですね・・・。
私は、高いレベルの整形外科外傷治療を行っている病院を求めて、ある地方都市から昨年4月よりこの病院に来ました。非常にレベルが高く、整形外科外傷治療のことばかり考える日々。きっと自分は仕事が趣味なのだと最近気づいてきました。これからも究極の整形外科外傷治療を目指して、精進していこうと思います。
投稿者外傷センター医師 畑下 智
「新設、歯科口腔外科!」 小野寺 麻紀子
2012年12月25日
新病院移転と共に新規開設した歯科口腔外科の小野寺です。
幼少時からこの札幌徳洲会病院がかかりつけ医であり、内科・小児科・救急・外科・整形外科・耳鼻科…とほとんどの科にお世話になり、あとはできればあまりお世話になりたくない科を残すのみ。そんな自分が、この度、ここ札幌徳洲会病院で勤務することになりました。今日は新設した歯科口腔外科の一部をご紹介したいと思います。
現在当科は3名の歯科医師、3名の衛生士、受付スタッフで、開設から5カ月…何とか各部署の助けも借りながらやっています。
電子カルテ一つ、検査オーダー一つとってもまだ十分なシステム化が整っておらず、患者さんにはお待たせしてしまう時間も長かったりと心苦しい思いも多く、まだまだ暖気中の状態ですが、唯一完成している仲良しドクター・トリオ(?)の和を武器に、早くフル回転できるように頑張りたいと思います。

ところで、その昔、私がまだ徳洲会病院の患者の立場だった頃―
指のガングリオンを取るため森院長に手術してもらったことがあります。手術室へ移動する前、院長が「江口みたいな人いるかもよ」とほほ笑んで送り出してくれましたが、ドキドキしながら行ってみたのに(当然)そんなことはありませんでした。最近はどのクールにも一つ以上は医療ドラマが入っていて、素敵な俳優さんや女優さんがあくせくとドラマを盛り上げていますが、実際はけしてそんなものではありません。今年の忘年会で、こういう職場につきものの医療ドラマ系余興がありましたが、やっぱり山ピーのような方はいませんでした…
そして、歯科といえばドラマにもならないくらい「マイナー」な診療科でありますので、当然、わがチームには俳優さんのような人もいなければ女優さんみたいな人もいません。救命救急のような命をかけたドラマも起こりませんし、主人公がある時突然大病で…なんてこともありません。でも、ドラマに出てくる研修医のようなちょっと暑苦しい医療魂を持って何とか患者さんの苦痛と思うことを改善したい!と思いながら働いています。こんな歯科口腔外科をこれからどうぞよろしくお願いしますー
投稿者歯科口腔外科医長 小野寺 麻紀子
「はじめまして」 續木 康伸
2012年12月17日
はじめまして
札幌徳洲会病院小児科・アレルギー外来の続木と申します。

4月から赴任し、アレルギー外来を担当させて頂いています。
アレルギー外来は火曜日、木曜日 13:00?17:00にて完全予約制で承っています。
当アレルギー外来では、子供達が自分の事は自分で出来ることを目標に、子供達への指導、説明がメインの時間になっています。

診察内容としては、気管支喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーなどの診療、吸入手技指導、スキンケア指導などや、希望により幼稚園、学校職員との相談も行っており、
アトピー性皮膚炎コントロール入院、スキンケア日帰り入院、経口食物負荷試験、気管支喘息運動誘発試験なども行っていますが、夏休み、冬休みは大変混雑致しています。

また、スキンケア入院は、日帰り、1泊、2泊3日以上の形態があります。
アトピー性皮膚炎の診断ではない乳児湿疹の方も多く希望されていますが、原則週に1人までとさせて頂いていますので、予約でご希望の日時に入れないことも多数あります。

ご予約・ご相談をご希望の方は小児科外来まで、小児科アレルギー外来予約希望とお伝えください。

平日 10:00?12:00  TEL 011-890-1110

投稿者小児科医師 續木 康伸
「時代はTANKO ? RPS?」 紀野 泰久
2012年12月10日
急に寒くなってきました。皆様方はいかがお過ごしでしょうか。

今日は外科手術のお話です。
最近の手術は腹腔鏡というおなかの中を見るカメラを使う事が増えています。お臍あたりに10mmぐらいの筒を入れ、おなかの中に二酸化炭素を送り込んで膨らませます。そして、そこからカメラを入れモニターでおなかの中を見ながら、手術操作用の10mmないし5mmの筒をおなかに数本さして長い鉗子を使って手術する方法です。この腹腔鏡の手術は大きくおなかを切ってあける開腹手術に比べ傷が小さくできるので傷の痛みが少ない、回復が早い、美容上利点があると考えられています。胆石の手術では9割以上がこの方法で行われています。昔のようにおなかを大きく開ける手術は非常に少なくなっています。お臍に10mmぐらいの傷とみぞおちから右の肋骨の下に5?6?の傷三つしか残りません。

これで十分かと思われていたのですが・・・

最近の腹腔鏡手術の流れはTANKOとRPSになってきています。TANKOとは単孔式腹腔鏡手術、RPSとはReduced Port Surgeryのことです。

お臍そのものを切ると結構傷は大きくでき3?4cmぐらいの皮膚切開ができます。その傷からカメラだけではなく手術操作用の鉗子も入れて手術するのがTANKO。最終的にお臍を縫って終わるのですがお臍のくぼみの中に傷が隠れるので全く傷が目立たない特徴があります。ただ3?4?の傷一か所からカメラ+鉗子2?3本入れて手術するので右手と左手が手ぶつかったり非常に操作がやりにくい、またお臍に負担がかかるのも事実です。

一方RPSはポート(おなかにさす筒)の数を減らしたり、サイズを減らしたりしてより傷を小さくする試みです。5mmの筒を3.5mmにしたり、4本の筒を3本に減らしたりして行う手術です。こちらはTANKOに比べて傷は残りますが今行っている腹腔鏡の手術手技をそのまま使えると利点があります。

今年初めから何とか細い鉗子でできないかと考えていたのですが、細い鉗子は短く強度がないという弱点もあり(小児外科では使っている)踏み切れずにいました。8月にTANKO + RPSの研究会が札幌で開催され、腹腔鏡関連のメーカーさんがたくさん出品してました。そこであるドイツのメーカーから長い3.5mmの鉗子が発売されたのをしりました。強度的にも十分あり。ほかの病院に勤めている先輩も使ってみて使えるとの話をきき、さっそく注文しました。
もう一つ、同じメーカーでまがった鉗子というのも注文。以前からTANKOにまがった鉗子は使われてきたのですが、鉗子のシャフト自体がまがっているので普通の筒は通らない。おなかに直刺しして使うのか普通でした。つまり一回入れたら手術中は抜き差しは基本的にできないということ。なんと今回まがった鉗子も入れることができる曲がる筒が発売されていました。ということでTANKOも始める準備が整いました。

残念ながらまだこれらは届いてませんが、TANKO、RPSともに来年には始められる体制になる予定です。
投稿者外科部長 紀野 泰久
「偉人と我々」 二村 謙太郎
2012年12月03日
順天堂大学から今年7月に国内留学というかたちで赴任してきてもうすぐ半年が過ぎようとしている。日本唯一の重度四肢外傷集約施設でマイクロ技術を駆使した機能再建を手中におさめようと各地から“ギラギラ”した奴らが集まりしのぎを削っている。月曜日から土曜日まで朝7時から、マイクロ症例に限らず一般外傷含め熱い議論がなされている。その構図はつねに『偉人と我々』である。不用意な発言や中途半端な知識は偉人の前では通用しない。創造性のない想像は思いつきと揶揄され、己の浅はかさを痛感させられる。医師になって10年たつが技術修練の日々に変わりはなく、経験不足はたゆまぬ努力の時間がいずれ解決してくれるはずである。現時点で我々が偉人に対抗できるとしたら、膨大な知識武装をすることである。しかし、こうしてる今も偉人はいつもの席で同時に3つくらいのタスクをこなしている。いったいあの数個のウインドウを同時に見て何を創造しているのだろう・・・。あのイヤホンは何を聴いているのだろう・・・。圧倒的な技術と膨大な知識に裏打ちされた強烈なカリスマをほこる異人、異人の想像力と創造力を凌駕すべく、我々は四六時中外傷のことを考えるのである。ん?、異人・・・?   イヤー、北海道、メシうまっ!
投稿者外傷センター医師 二村 謙太郎
「青森」 奥山 淳
2012年11月19日
プライベートでたまに青森に行きます。ご存知のように青森県は、本州の最北端で北海道とは青函トンネルでつながっています。いつもはJRで行きますが、飛行機を使うこともあります。JRの方が青函トンネルも通り、風情があり旅行気分が味わえて好きです。

青森に着いたら、ラーメンです。津軽ラーメンはイワシの焼き干しの出汁で、すっきりして美味しく、上品な味の中にコクがあり、札幌では味わえないので、楽しみにしています。ホテルに着いて、買い物などを終えたら温泉です。青森県は温泉が多く、青森市内でも多々あります。

夜は寿司です。青森県は日本海、太平洋、津軽海峡の三方を海に囲まれ、さらに内海的な陸奥湾もあり、4つのエリアが存在し、海が多様のため、県内でいろいろな魚が捕れます。大間のマグロは有名ですが、青森の県魚であるヒラメも評価が高く、八戸のサバも有名です。さらに、イカやホタテも漁獲量が多いです。その他の寿司ネタでは、ブリ、カンパチ、アジ、イワシ、コハダ、タイ、カレイ、キス、ソイ、アイナメ、メバル、メヌケ、キンキ、ノドグロ、イシナギ、タラ、タコ、シャコ、ボタンエビ、車エビ、アワビ、ホッキ、赤貝、ウニ、ナマコ、イクラ、トゲクリガニ、フジツボなど数多く、季節ごとにいろいろ味わえます。北海道、当然、東京よりもコストパフォーマンスのよい寿司が食べられます。

これがいつものパターンで、一人で行ったり、友人と行ったりして、年に4回くらいは、青森に出没します。
投稿者麻酔科部長 奥山 淳
「医者の不養生」 清水 恒輔
2012年11月12日
医者の不養生という言葉があります。
幸いなことに私は入院もしたことはないし、手術も受けたこともございません。そして、まだまだ若い(と自分では思っている)ので、普段の生活や自分の健康のことなど全く考えてはいませんでした。

ところが、健康診断にて異常な数値がございました。それは尿酸値です。今まで見たどの患者様よりも高い数値でした。
尿酸とはビールや肉類に多く含まれていて、痛風の原因となります。痛風とは足の関節、特に親指の付け根に発作的に痛みが出るものです。大した痛みではないだろうと考えていましたが、発症した方々の話を聞くと「痛くてトイレにも這って行かなければならない」、「足に釘を何度も打ち込まれるくらいの激痛」と聞き恐ろしくなりました。

そこでまず、毎日のように家で飲んでいたビールを飲むのをやめました。しかし、下がりはしたもののまだ正常には戻りません。そこで、心を決めて薬をのむこととしました。薬を飲んでやっと正常値に戻りましたが、やめるとまた上昇してしまいます。自分の怠惰な生活を振り返り、食事量を制限し、週に3回程運動する日を設けることにしました。そうした生活をするうちに薬を飲まなくても尿酸値は正常となりました。しかも、それだけではなく体も引き締まり、普段の生活もいきいきとしてきた気がします。週に1.2度だけ飲むビールも非常に美味しく感じられます。

検査で異常があっても、自覚症状がないものも多数あります。尿酸値は痛風という痛み、高血圧や糖尿病といったものものでは自覚症状はないものの、心筋梗塞や脳梗塞といった命に関わる病気の危険因子です。
病院や健診で異常を指摘された方は、症状を感じなくても大きな危険を背負っていることを自覚し、自己判断をせず必ず定期的に通院することをおすすめします。
(そういえば何ヶ月か前に数日間、走れないくらい足首が痛くなったことがありました。それは捻っただけだったのか、発作だったのか…)
投稿者眼科医師 清水 恒輔
「麻酔科」 工藤 雅響
2012年11月05日
もともと外傷センターでけがをした人を治療することを仕事にしていたのですが、この春から麻酔科で勉強をしています。きっかけは、とある地方の病院へ行った時、手術をしたくても『麻酔科医』がいないと手術が安心してできないという現実がありました。当院の麻酔科は部長を筆頭に軽快なフットワークを持ち懐の深いメンバーが集まっており、手術を必要とする患者様がいれば、昼夜問わずまさに24時間365日迅速適切な麻酔をかけてもらえます。しかし、こんな恵まれている環境ばかりではないと知った時から、麻酔科に興味を持っていました。この春から麻酔を勉強して思ったこと、それは、今までは手術をする医師(術者といいます)が一番患者様のことを考えていると思っていました。ところが、術者に負けないくらい熱い気持ちで患者様のことを考えている麻酔科医と手術場スタッフがいることを知りました。患者様の病気やけがについて把握し、どんな麻酔をかけたらいいかを検討する。手術前の緊張を取って安全に麻酔をかけるにはどうしたらいいか、手術中の血圧・脈拍・呼吸・体温の維持、覚醒をできるだけスムーズにするにはどうするか、術後の疼痛コントロールはどうするか、などなど考えていることは山ほどあります。患者様にとっては、麻酔科医や手術場スタッフとは手術場でしか会いません。緊張して入ってきて、眠たいまま病棟に戻るのであまり僕らのことを覚えてはいないかもしれませんが、入ってきて緑の服を着ていたらそれは『麻酔科医』です。味方を見つけたと安心してもらえたらうれしいです。
投稿者外傷センター医師 工藤 雅響
「中東いきましてん」 乾 貴博
2012年10月22日
1週間ほど中東に行きました
「アラブ首長国連邦」
サッカーのアジア予選でしか聞いたことのない国です
その中の首長国の一つ
ドバイってとこに行ってきました

みんなは夏休みだ、と言いますが断じて違います
スカイツリーより高いタワーに登ったり
ウォータースライダー乗ったり
ラクダに乗ったり
スキーしたり
・・・
いや、遊びに行ったんじゃないんですよ

セミナーに出てきたんです

いぬいは英語があまり得意じゃありません
そんな先生方もいるかな、なんて気持ちでいったんです

そうしたらディスカッションのセッションで愕然
中東とアフリカの先生方は英語ぺらぺらです

なんでや?
って聞いたら

「俺らは多民族国家だから、小さい頃からみんなで集まって意味わかる言語が英語しかねーんだよ」

だそうです。
逆に
「一つでたりる、おめーら、じゃぱにーずがうらやましいぜ」
と言われちゃいました

おれは、きみがうらやましいよ

ドバイ国際空港でトランジットと思われる
平たい顔族の皆さんを1週間ぶりにみたとき
すごい安心感
自分は極東の人なんやなぁと感じたのでした

ちょっとは英語がんばるか






このおまけ画像は中東のトイレです
なんとシャワーがついとるんです
TOTOの便器の横にシャワーがついてるとこもありました
教えてあげたい
ウォシュレットってのを・・・
(※この写真の便器はTOTO製ではありません)
投稿者外傷センター医師 乾 貴博
「ブラキストン線とコシヒカリ‐やっぱり地球は温暖化?」 成田 光生
2012年10月15日
 小樽生まれで札幌育ち,いわゆるちゃきちゃきの道産子である私が少年期を過ごした昭和30年から40年代,カブトムシやカマキリやミンミンゼミは昆虫図鑑の中でしか見られない生き物だった.当時(と言うか今でも?)生態系には津軽海峡にブラキストン線というのが有って,昆虫や植物の生育域を分けている.このため内地(道産子にとって,青森より南は「内地」です)であれば普通に見られる虫が北海道には住んでいないという,虫採り坊やにとっては非常に悲しい現実が有った.ところが今やカブトムシが北海道に自生しているのはほとんど周知の事実だし,カマキリも自生していることは間違いないらしい(何という偶然か,まさに本稿執筆中,私の自宅マンションの駐車場でコカマキリを発見!!).さらにこれは私の個人的経験でまだ公には認められていないと思うが,先日大倉山ジャンプ場の横を走っていたら,間違いなくミンミンゼミと思われるセミの鳴き声が聞こえたのである.7年間土中にいて,1週間程度しか地上に現われないセミが,たまたま木材などに付いて札幌までやって来て鳴いていた,とはちょっと考え難い.やっぱり自生?そうやって見渡すと,この頃は秋の夜長も以前の札幌では聞いたことのない虫の音が聞こえたりもする.今や虫の世界ではブラキストン線を越えて内地の虫たちがどんどん北海道上陸をはたしていることは間違いない.
 そしてコシヒカリ.コシヒカリと言えば新潟県・魚沼産だが,北海道のどこかの農業試験場でもコシヒカリが育てられていて,糖度などその成分を分析すると,実は北海道産コシヒカリが「以前の」魚沼産コシヒカリにどんどん近づいており,逆に「現在の」魚沼産コシヒカリは以前のものからだんだん離れつつあるのだそうだ.つまりブランド名はともかく成分だけから言うと,コシヒカリは魚沼産より北海道産のほうが‘美味く’なりつつあるようなのだ.もともとの道産米が品種改良など実力で美味くなってきたというのは定評があるが,コシヒカリについてはどうやら年間平均気温が問題で,作付けで重要な一定時期の平均気温が新潟も北海道もコンマ何度か上がってきて,現在の北海道が以前の新潟に近づいていて逆に新潟では気温が高すぎるようになってきたというのが成分変化の原因らしい.そのうち「北海道産コシヒカリ」が全国の市場で通用する日が来るかもしれない.
 昔は北海道にいなかった虫を観察できたり,北海道のコシヒカリが美味くなったり,現象だけ見れば嬉しいことのようではあるのだが,素直に喜んでいいことなのか,やっぱりちょっと心配だなあ,とも思ってしまうのである.私はサザエよりはツブ,カツオよりはサケの方が好きなのだが,そのうちツブやサケが樺太の方に押しやられ,北海道では近海もののサザエやカツオが出回るような日が来ることないよう,祈るばかりである.
投稿者小児科医長 成田 光生
「野鳥に会える」 大島 美保
2012年10月09日
野鳥に興味のない人は、その辺にはカラスやスズメ、鳩、とんびくらいしかいないと思っているようです。でも実は、病院の近くでも結構色々な鳥たちに出会えるのです。十数年前、道東のとあるところで野鳥観察の機会があり、それからバードウオッチングが好きになりました。野鳥を見極めるのは鑑別疾患を見極めるのに通じる!とかってに解釈しています。緑や木の多いところ、ちょっとした高台や境内、公園などに双眼鏡を持って出かけると、思わぬ出会いに心が弾むことも。近所の公園でアカゲラを見つけてびっくりしたりする反面、シジュウカラやゴジュウカラ、コガラなんかはちょっとした木陰ですぐにみつかります。本格的に探したい時は近場の野幌森林公園を散策するのが楽しいですね。夏には青い鳥(オオルリ)を見つけて感動したことがありました。黄色い鳥(アオジやキビタキ)は比較的容易に見つけられます。冬にはその辺の電線やななかまどにやって来たツグミやキレンジャクの大群に、おっ!今年も来たね、なんて声をかけてみたり。川や池に浮いている水鳥も、マガモだけではありません。こんなことを書いていると、何かワクワクしてきました。最近はゆっくり探鳥する機会もありませんでしたが、美味しい空気と自由な鳥たちを求めて、ふらっと出かけてみようかな・・・
投稿者小児科医長 大島 美保
「北海道では」 桑原 稔
2012年10月01日
北海道では珍しい残暑も終わり短い秋がやってきました。秋といえば何を考えますか?私はスポーツの秋です。といっても、自分でやるのではなく観戦の方ですが…。この時期はプロ野球のペナントレースが大詰めを迎え、優勝争いの渦中にいる北海道日本ハムファイターズは大盛り上がりとなっております。毎試合目が離せない今日この頃です。
スポーツといえば今年は大きなスポーツイベントがありました。みなさんご存知のオリンピックでございます。4年に1回の祭典として多くの方が眠い目をこすりながら観戦したことでしょう。私もその一人で、毎晩次の日の仕事を気にしつつも夜が明けるまで手に汗を握りながら観戦しておりました。1か月以上たった今でも数多くの激闘が思い起こされます。
私個人としては日本選手の活躍が目立つ大会だったと思います。特に今まであまり注目されていなかった種目での活躍が多く、こんなに日本は強いんだと感心させられる場面が多々ありました。ボクシングでの金メダル、女子卓球団体の銀メダル、男子フェンシング団体の銀メダル、男子アーチェリーでの銀メダルなどは我々一般市民には予測もつかなかった偉業であります。そこに至るまでの苦労、努力は並大抵ではないと思います。夢をつかむためには全身全霊をかけて精進することが不可欠ということでしょう。オリンピックが終わり、ふと自分を振り返ったとき自分がはたして努力を積み重ねてきているのか?という疑問が湧いてきました。これまでの経験をもとになんとなく仕事をこなしているだけではないのか?このまま成長なしに時間だけが過ぎていくのではないのか?常に努力を重ねて日々成長していくというできた人間ではありませんが、努力を忘れかけている自分に喝を入れてくれたそんな大会だったと思います。
新病院への移転が完了し手術件数も大幅に増えてきております。私は麻酔科医として安全な全身麻酔を心がけ日々仕事をしております。業務量も多くなり疲れがたまる毎日ですが、これからも努力を忘れず皆様に満足いただける麻酔を提供できるよう精進していこうと思います。
投稿者麻酔科医長 桑原 稔
「大谷地の新病院」 城田 誠
2012年09月24日
大谷地の新病院にうつり、まもなく3ヶ月が過ぎようとしています。新病院と旧病院、大きな変化でした。良くなった点の方がはるかに多いのですが、一部不便になったり大変になったこともあります。

病院が引っ越して自分自身の変化としましては・・・
私はもともとは地下鉄通勤です。しかし病院が引っ越して今までよりも病院・自宅間距離が短くなりました。このため天気が良い日や体力に余裕があるときには徒歩で通勤することにチャレンジしています。自宅から病院までおよそ2.5km、歩いて30分くらい。今年の夏は暑かったので距離の半分を越えたあたりから汗ばんでしまいますがなかなか気分が良いものです。
日頃診療をしていて生活習慣病の患者さんに「運動をしましょう」なんて言ってはみたものの自分自身はまず運動なんてしておらず、患者さんに運動をすすめるときに声を大にしていえない自分がいました。しかしこれからは自身をもってウォーキングを勧められそうです。
ちなみに新しい病院に来てからは病院の中で歩く距離も遙かに増えています。新しい病院になると言うことは健康になるということだったのでしょうか?病院にいらしている患者さん、業者の方々、皆様のご健康をお祈り致します。
投稿者外科医長 城田 誠
「僕は」 大江 公則
2012年09月18日
僕は好きで山を下りたわけではないんだよね。人間たちに山を荒らされて、林道なんて造られて、RV車って真っ赤な牛みたいなやつがものの陰から突然やってきて、あっという間に目の前を通りすぎて行っちまうんだ。おっかないし喧嘩するのも嫌なんで普段と違うところを歩いてみたんだ。(なんでも車にぶつかったら、向こうだけが壊れてしまうらしいけど、お互いに痛いことは嫌じゃん。)
 
 日高に居る僕の仲間は悠々自適サ、日高山脈のカール(氷河が残した山の頂き下にあるお椀のような大きな凹み)で昼寝して俺は居るぞと臭い臭い置き土産して、たまにしか来ない、わざわざ山ン中までやってくる酔狂な人間どもを脅かしていれば良いんだもんな。
 
 今年の夏はなんなのか、だらだらした春の延長なのか判かン無かったな。本来ならばアケビやらわんさか食べるものが有るはずなんだけど、ちっとも見つからないのさ。僕は探すのが下手で、気がついたら何か周りに大きな四角い箱とか上がとがった三角形みたいなのが僕の何倍も大きいのが行儀良くとずらずら続いていて、その前を水の流れていない堅い平べったい黒い川が寝ているところへ出てきちゃったもんだから、怖くなっちゃってきちんと水のにおいがしてザアザアッて水が流れている川に向かって降りていったんだ。その川は豊平川って言うらしい。シャケって魚が上ってくると言ううわさなんだけど、その魚を僕のヒイヒイじいちゃんが好きで食べたらしいが、僕が住んでいるところまで上ってきたことはないから、見たこと無いし食べたこともないや。その魚を捕まえたら密漁って言われるんだって。僕らは普通にご飯を食べるだけなんだけど、人間って何でも自分のものにしてしまうみたいだね。千秋庵ってお菓子ってものを作っているところが、僕たちが魚を背負った姿を写したせんべいってものを売っているらしいけど、僕は歯を悪くしたくないんで食べないよ。もっとも今の人間の子供って、もっといっぱい甘くて虫歯になりやすいものがまわりにあるから、そんなお菓子があることも知らないんじゃないかな。
 
 とにかくお腹が減っているんで、ふらふらと降りて来てしまったんだけど、数年前に僕のイトコが藻岩山の東側に降りちゃったらテレビ局ってところが騒いじゃったらしい。あいつは残飯ってのを漁っていて山に戻るのを忘れたモンだから、後で剥製にされちゃったんじゃないかな。帰ってこなかったみたい。ぼくは藻岩山の南側から降りたんだけど、最近は不景気ってものなのか、それとも住民がこの札幌は熊が住むところだということにやっと気付いたのか、どこもかしこもきれいにしていて食べるものなんてないや。もっともずっと南の方の島に住んでいるひと達のいちぶは、大通公園を熊が歩いているって信じているらしい。
 
 気がついたら高いところに大きなチューブがあって、中をゴウゴウッておっきな芋虫が走ってゆくところに出ちゃった。青い服着て帽子をかぶった人と目があったもんだから、怖くなって近くの坂を笹に向かって上ろうとしたんだけど、そこの斜面って変に四角くて白くて堅い変な土から出来ていて爪が立たないもんだからパニックになっちゃった。もっとも青い服の人も何か慌てたらしくって、興奮しながら手に持った真っ黒な四角い小さな箱に向かってものすごい勢いで何かしゃべってたな。あとで笹の陰からそっとのぞいてみたら、おまわりさんと呼ばれていたその人が、何人かわーわーと騒いでいたよ。ぼくらはそっと物音を立てずに動くのが得意だから、簡単には捕まらないサ。だけどぐずぐずしてたら、僕のことを剥製にしようとするらしい。アイヌの人たちは僕たちのことを神様の使いと呼んで大事にしてくれたんだけど、いまの日本人にとってはあの人たちが”たべもの”ってよんでいた馬鹿な鹿たちのほうが、僕たちよりもかわいいんだって。あいつらなんか、明治時代にアイヌの人たちが狩りをするのを強制的に止めさせられてから、オオカミや野犬も居なくなったんでのさばっているのさ。日高地方では、「あれ?角の生えた馬だ」と思ったら、ちゃっかり牧場の草なんかを親子で漁ったりしている姿を見かけるんだ。そのくせ、車と出会ったらそのまま固まっちまって車がぶつかってくるまで動かないンんだって。さすがに増えすぎたんで、捕まえて肉を東京のフランスレストランへ出荷することを現地で考えているらしいよ。だけど僕らを害獣だなんて言うのは酷い話サ。もともと僕らが住んでいるところへやってきたのに、勝手に森を壊して、畑や牧場を作って僕らの住み処を無くしちゃって、お腹が減ってさまよっている僕らを害獣って呼ぶんだもんな。僕たちは基本的にはベジタリアンなんだよ。どっかの動物園では、人が通る通路に檻の柵をつけて、その標識にもっとも凶暴な生き物って書いてあるんだって。なんでも自分のものだと言って他の動物たちの食べ物やら済むところやらを奪うんだから、たしかに一番たちが悪い動物かもね。なんでも高利貸しとやくざと医者ってのが特に凶暴らしいね。自分の仲間が嫌がることや痛いことして威張っているんだから。
 
 これを書いている人間もその仲間なんだけど、僕の家よりもっと南の山ン中にある芸術の森ってところに居て、毎朝ひいこらバスって動く箱に乗って、その後でチューブの中の芋虫に飲み込まれながら大谷地っていう街の東外れまで運ばれてゆくらしい。人間って他の動物に飲まれても栄養にならないで生きたまま出てくることが出来るんだから、すっごいや。毎日飲み込まれては吐き出されて戻ってきても平気なんだからね。もっとも年取ってくると少しは疲れるらしいけどね。僕の方がそいつなんかよりよっぽど都会ッコのはずなんだけど、藻岩山の麓に住んでいて人からご飯をごちそうになっているタヌキや、芸術の森あたりの林道で痩せこけた姿を曝すキツネとちがって町中に居るとすぐに判っちゃう。僕って大柄だろ。人間に化けて人混みに紛れ込んでも、目立ってしまうし、第一うろうろ歩く癖があるんで不審者扱いされちゃうよ。それに体臭もすごいらしいからね。自分のことは一番判らないのが普通って本当なんだろうな、そんな臭いはしない気がするんだけどね。口の臭い人と同じかな?
 
 見つかったら剥製になるまで追っかけられてしまうから、そろそろ山に戻ろうっと。隠れているうちに天気がものすごく暑くなって、美味しそうな木の実のにおいがしてくるようになったんだ。しっかりご飯が食べられるといいな。冬眠できたらまた来年来て、今度は大通公園ってところまで行ってみたいな。
投稿者血液浄化センター長 大江 公則
「南アフリカで」 佐藤 和生
2012年09月10日
髪切ったら

こうなりました?(°□°)/









約800円(_ _)
投稿者外傷センター医師 佐藤 和生
「泥棒」 東 直樹
2012年09月03日
私は昭和63年3月に卒業し、4月に札幌医科大学第一内科入局し、1年後の平成元年年6月からM市立病院で研修を始めました。そこで、上司のF先生、一期上のS先生、二期上のK先生とよく一緒にのみに連れて行かれました。F先生は私のことはよく「あずまっち」と呼んでいました。
M市立病院に赴任して約1年後。大腸内視鏡検査(CF)を終えたある晩。「ちょっと、いくぞ。」といわれ、夜のみに生きました。「初心者のくせに、CFがうまくいきすぎる。」と叱られました。私の場合、新人デビューの第1例目から7例目まで、誰の助けもなく何とか終点の盲腸まで到達していたからです。叱咤?を受けながら、飲んでいました。F先生はいつもより酔っていました。聞くと、奥さんが明日まで実家に里帰りしていて、今晩はゆっくりできるとのことでした。
翌日の午後
「あずまっち、家に泥棒が入った。」
「え?」「何か盗られました?」
「何も盗られていない。部屋も荒らされていない。」
「どうして泥棒が入ったとわかったのですが。」
「家に帰ってきた妻が、風呂場にウンコ(便)があったからだと言うんだ。」
泥棒が入って、盗るものがなかったら、腹いせにウンコをしていくという話があるとのことでした。
「F先生のウンコでないですが?」
「?」
「夕べの夜中にウンコしませんでした?」
「した。」
「場所は広くなかったでした。」
「広かった」
「それですよ。」
「そっか。」「それなら、安心だな。」とF先生が自宅に連絡している。
「東、ま・まずいぞ、F先生の奥さんに知れたら・・・」とK先生。
「え?」
その翌日から、F先生の奥さんからのF先生の夜の外出禁止令が発令されてしまいました。F先生は性格が良く慕われるのですが、酒に飲まれる傾向があります。禁煙が成功してからその傾向がより進んだとのことでした(F先生談)。従って、飲酒後のNGがあり、時折、夜の外出禁止令が発令されることがあったそうです。
 3ヵ月後・・
「もうそろそろ、F先生飲みに行きましょうよ・・」と私とK先生。
「ん・・・ちょっと聞いてみる」とF先生が自宅に電話。
「あずまっちとKっちが、どうしても食べにいかないかと俺を誘うんだが・・」とF先生の妻に連絡中・・。
数分後。外出禁止令が解除されたようで、
「よし、いくぞ!」と満面の微笑みで、先頭を切って職員出口に出た瞬間、急に立ち止まった。
「F先生、急に止まらないでくだ・・。あ!」
偶然?F先生の奥さんが、職員出口の外にいたのです。
行くき満々のF先生が先頭で凍り付く。F先生の奥さん、改めて後ろに僕らがいるのを確かめて、ニコッと笑って「帰りはきちんと送ってくださいね。」一同ほっとして出発しました。
 F先生の奥さんはU町の馬主のお嬢さんで、聞けば、お見合いの2次会で酒に飲まれて記憶を無くしたF先生が相手(F先生の奥さん)をぼこぼこになぐったあとで「F先生は私が矯正?しなければならない」と思って結婚した奇特な偉い奥さんです。
現在、F先生はU町で開業して、夫婦仲良く必殺の漢方医?として働いているようです。
投稿者消化器内科部長 東 直樹
道民になりましてん
2012年07月10日
福井生まれの関西育ちですねん
やから関西弁おかしくても、目ぇつぶってやぁ
うそもんの関西人やぁ、ってよぉ言われてましてん
中高大と思春期はずーっと京都で暮らしてましてん
平たい顔族・はんなりの民やったんです
こんなエッセーよんでもろぅて、ごっつぅ喜んでます

ここからは、校閲により標準語変換されておりますm(_ _)m

そんな僕も、道民になり早くも1年が経ってしまいました
道民生活で気づいた京都人の叫びを徒然なるままに書きとめてみようと思います

? 道が広い
京都は道の狭さが尋常じゃありません。
先斗町なんて幅1mしかありません
常に渋滞。
渋滞しすぎて、5分間隔に来るはずのバスが15分に1回3台連なってくることもあります。
それに比べて何と走りやすいこと(^o^)ノワーイ
と思っていたら
冬になると道幅が減るんですねOTL
? カニ
福井県民にとって、カニといえばズワイガニ。
もちろん、貴重な外貨を稼ぐため「越前ガニ」は京都の料亭に売りつけて、福井人はロシア産を食べるわけですが・・・。
でも一般京都人にとってもやっぱりロシア産ズワイガニなんですけどね
カニください!
って魚屋のおっちゃんに言ったら、毛ガニが出てきたんです
これ、カニですか・・・
味が濃厚なこと知って、今は大好きですよ
? テニスコート
無類のテニスヴァカが気付いたことです
ちなみに、鈴木貴男さんや内山靖崇くんは北海道出身ですよ!!
うぇ、みんなテニスのプレーヤー知らないんですか
世の中、Kやシャラポワだけやないんです
マイナースポーツで悲しいです
閑話休題、世の中人工芝コートしか作られなくなっている中、ハードコートだらけってことに気づいたんです。
道民はアメリカンスタイルのテニスを模索してるんだね、って納得していたんです
そうしたら、冬になって気付いた。
雪に埋もれても手入れしなくていいの、ハードコートしかない・・・
? 住所
来たとき、京都と同じ碁盤目構造で、一緒やん!と浮かれていたんですが
おそらく全京都人が一度はやってしまうミスがあるんです
たとえば「北3西4のとこのビル」って言われて探す場所を間違えてしまう
北海道は通りと通りの間が○○条
京都は通りの名前が○○条
同じ碁盤目設計なのに、一つ間違えた通りを探してしまうことが頻発してしまうのです
そのせいで、勉強会に遅刻しました
誰も、理由を理解してくれませんでした・・・ちぇっ
? エスカレーター
どうしても
どうしたって
右側に立っちゃうんですよぉ
悪気はないんやでぇ
? スープカレー
どうして京都では食べられないんでしょう
僕を北海道に縛り付ける最大要因です

さぁ、今日も昼の出前はチキンココナッツ、辛さは3番、ライスは小
予定手術は・・・
朝から八時間・・・
カレー冷めちゃうな・・・
投稿者外傷センター医師 乾 貴博
移転まで
2012年06月25日
いよいよ新病院移転まであとわずかとなりました。
全職員そして患者様が長年願い続けてきたことがようやく叶います。
もちろん私もその一人です。13年前札幌徳洲会病院に入職し多くの指導医の方々に厳しい指導を受けながら何とかここまでやってきました。当直室が足りない、図書室が狭い、勉強部屋も少ない、シャワーが使いにくいなどなど数多くの問題がありながらもそれをうまくやりくりしながらの13年間だったと思います。
今は麻酔科医として手術を受ける患者様の麻酔を担当しております。年間3000件を超える手術数に対して手術室が4つというのはとても足りません。中には予定手術だったにもかかわらず緊急手術が入ったために夜7時過ぎまで待たせてしまったこともありました。大変ご迷惑をおかけしました。設備的にも足りないものが数多くあり、患者様だけでなく手術をする先生方にも不自由な面が多々あったと思われます。
新病院は手術室が10室となり1つ1つの部屋自体も大きくなります。空調も完備となり患者様にとってよりストレスの少ない手術を受けることができるようになります。また手術をする先生そして我々麻酔科医にとっても仕事が快適になります。今後ますます手術件数が増えてくることが予想されますが、それでもなお我々麻酔科医は患者様に安全な麻酔を提供することをお約束いたします。そのために自己研鑽を怠ることなく日々精進していこうと思います。

話は変わって、最近犬を飼い始めました。
私はそれほど犬を飼うことに興味はなかったのですが、娘がどうしてもほしいというので言いくるめられるような形で飼うことになりました。ポメラニアンとマルチーズの子供で愛くるしい顔つきなのですがなかなかのきかん坊です。とにかく何でも噛みます。手、足、絨毯、コード、テーブルの脚などなどかめるものは何でも噛むので注意しないとぼろぼろになっていきます。噛み方もあまり手加減しないので思わず手が出てしまいそうになることも何度かありました…
娘とは犬の面倒を必ず見るという条件で飼うことを約束したのですが、意外にもきちんと世話をしております。それほど興味が長続きしない性格なので途中で飽きるのではと思ってましたが、犬を飼うことで人として成長したのかもしれません。かくいう私もいつの間にか家に帰って犬に会うのが楽しみになっておりました。心の癒しとしてペットを飼う人の気持ちがわかるような気がします。今後どのように成長していくのか楽しみです。
投稿者麻酔科医長 桑原 稔
ファイターズはなぜ強いのか‐仲間を信頼できる組織は強い‐
2012年06月18日
ファイターズ・サード小谷野栄一の背面ジャンピングキャッチをご記憶の方も多いことと思う.平成22年9月3日,ロッテ戦7回裏,1アウト1・2塁の場面,バッター西岡の打球はサード後方からレフトへ向けてふらふらと上がった小飛球,誰もがこれはポテンヒットになってしまうと思った瞬間,背走した小谷野がジャンプ一番,自分の背中側から頭越しに落ちてくる打球を向こう(レフト側)向きで,しかも空中で,見事に捕球したのである.これだけでも超ファインプレイではあるのだが,このプレイの本当にすごいところは,このあとである.着地した小谷野は,ほとんど本能的に矢のような送球を2塁に送り,ベースに付いていたセカンド田中賢介がこれを捕球,飛び出していたセカンドランナー大松は帰塁できず,ダブルプレイが成立した.
 この2塁封殺のプレイは一見何気なく行なわれたようにも見えるが,そこには小谷野と賢介の絶大なる信頼関係が有った.このような場合,小谷野以外の野手は打球につられて寄っていったり,次に自分の行なうべきプレイを一瞬忘れて単にボールウォッチャーになってしまったりする場合も多いのだが,翌日の新聞によると,打球が上がった瞬間,賢介は「この打球ならエイイチは捕る,捕ったら必ず2塁に投げてくる.」と信じ,迷うことなくセカンドベースに入ることを選択した.一方小谷野は,「自分が捕れば賢介は必ずベースに付いてくれているはず.」と信じて,瞬間的に2塁上めがけて球を放っていたのである.ランナーもボールの行方は見ており,小谷野がベース上に野手がいることを確認するために一瞬でも投げるのを躊躇していれば,2塁は間に合わない微妙なタイミングであった.
 一方,翌年こういうプレイもあった.ランナー1塁でバッターの打球は鋭くライト前に抜けていこうかという痛烈なゴロ,これを今度はセカンド田中賢介がダイビングで見事に捕球,体勢を立て直すやいなやすぐさま2塁に投げたのであるが,これが「暴投」になり,賢介にはエラーが付いてファーストランナーは3塁に達してしまった.このプレイ,一見単なるエラーにも見えるが,私はそうは思わない.賢介の送球は,ほぼ正確に2塁ベース上を通過していたのである.このプレイについては,さすがに新聞での解説は無かったが,賢介の胸中を察するに,「自分がこのゴロを捕れば,ショートが必ずベースに付いてくれているはず.」と考え,瞬間的に安全策の1塁ではなく,より先の塁である2塁での封殺を選択したのだと思う.ところがこの時,ショートは金子が故障中で別の選手だった.この選手もベテランで,同様なプレイは何度も繰り返し練習してきたはずなのだが,残念ながらこの一瞬についてはやはりボールウォッチャーになってしまったか,あるいは賢介は捕れないと見て,そのあとの中継プレイを選択してしまったのかもしれない.いずれにしてもそれまで中々試合出場する機会が少なかったこの選手は,賢介の次のプレイを‘感じて’いなかったため2塁に入っておらず,結果として賢介の送球は無人のベース上を通過して(賢介も投げようとした瞬間,塁上に野手がいないことに気づいたかもしれないが体が止まらなかった?)エラーが記録されてしまったプレイのように思えて仕方ないのである.
 守備だけでなく攻撃にしても,自分が今ここでどんな状況になれば,仲間はこのように考えてこのように動いてくれているはずと信じる,その阿吽の呼吸と言うか信頼関係,というものがファイターズという組織に有る限り,時としてそれが裏目に出る場合があるとしても,1年間通してみると,必ずや優勝争いに加わるチームであり続けると思う.
投稿者小児科医長 成田 光生
赤ちゃん
2012年06月11日
人間も動物も赤ちゃんのかわいさは格別だ。確か動物学者デズモント・モリスだったと思うが、人間を動物学的視点で表現した著書があった。産科に関わる部分で言えば人間は特定の繁殖期が無く、しかも生まれてから歩行まで1年もかかるという極めて特殊な繁殖形態だという様な内容だったか。動物の出産シーズンは春に多いらしいが、ちょうど植物も芽吹き、餌が豊富になるため理にかなっている。その自然の摂理に反する様に今月の当院の分娩件数は記録的な少なさだ。病院移転を控え、敬遠されているものだと思われるが、その反動と新病院効果で7月以降の分娩予定は満員御礼が続いており、産婦人科一同張り切っている。いや、全職員そうだろう。
 (今もボロい訳ではないが)新装する当院をぜひご利用ください。


アルパカの授乳 生後1ヶ月



アザラシの授乳 生後1週間
投稿者産婦人科医師 名和 正行
トラオが来る!?
2012年06月04日
徳洲会病院は初期研修医の修練も担っていますので、年間を通じて道内外から医学生が実習や見学に訪れます。皆さん大学病院での「医学」とは異なる「医療」に触れ、それぞれ将来の夢に向かい国家試験の勉強に入ります。
 医療はもちろん医学が基礎にあるのですが、人々の生活や社会が密接に関係する複雑なものです。私は医学生に病気を治すことはもちろんですが、医療の向こうに見える人々の暮らしの「何か」を考える医師となってもらいたいと思っています。そこで、3人の先達医師の本を読むことを勧めています。
・私の歩んだ道-内科医六十年(日野原重明)
・村で病院とたたかう(若月俊一)
・トラオがゆく(徳田虎雄)
これらに挙げた3人の医師はそれぞれタイプや性格が異なるのですが、人々の生活や社会の向上への強い信念を持って医療を実践してきたことが共通点でしょう。
 時代背景や医療を取り巻く環境も変わり、日々の臨床に追われ医療者がその枠を突破することが難しくなってきました。おそらくこれら3人のような巨人は現れないかもしれません。私は聖路加、佐久で勤務をすることで日野原先生と若月先生に会え、もはや病院の空気と言ってもよい彼らの信念に接することができました。札幌徳洲会病院も新しい建物に信念が息づく病院にしたいものです。
 このたび、新築移転に際し徳田虎雄理事長が来札されるようです。私は3人目のLiving legend(生きる伝説)に遭遇することで何を感じるのでしょうか?やはり、「生命だけは平等だ」なのでしょうか。
投稿者外科医長 長尾 知哉
ブラジルの
2012年05月28日
安いホテルで
シャワー浴びて
体洗って
泡を流そうと思ったら
水が出なくなってました。
ウワァァァァァァァァァァン?(゜□゜)/

しょうがないから
そのまんま。
ワイルドだぜぇ~


2年前、南米とアフリカを旅してました。
いろいろありましたけど
ウガンダが一番衝撃的でした。



エイズ孤児院に10日間滞在したときの話。
子供達のお手伝いで
ヤギ小屋のヤギを外に出しました。
ヤギ小屋は大体6帖くらいの広さだったでしょうか
真ん中になんとなく重そうな丸太があって
それに10頭くらいのヤギがヒモでくくりつけてありました。


ヤギを外に出すためにはヒモをほどかなければいけません。
想像に難くないでしょうが
ヒモはヤギさん達のうんちまみれ・・・

いや
まみれ・・・
というよりはもっとジューシーといいますか
しみ込んだ感じ。
そうですね
7:3でおしっこですね。
どっぷり浸った感じでした。
ゴム手袋なんぞある訳も無く
もちろん素手でほどくわけです。


まあ
嫌だなんて言ってられないし
子供達は普通にやってる。
やらなあかん。
空気読まなあかん。


このときほど
うんちがちょっと前までは食べ物だったという
普遍的は事実を
強く自分に言い聞かせたことはありませんでした。


ヤギは英語でGoat(ゴウト)だから
まさに
ゴッドハンドならぬ
-ゴウトハンド-



して
次なる衝撃は間髪入れずにやってきました。






からの~

「お昼ご飯」


お昼ご飯は
トウモロコシの粉を練ったものを
スープにつけて食べます。
はい。
手で(._.)


手で食べます。
水道はありません。
バケツに水がためてあって
そのバケツの一番下についている
チクビみたいな金具をプッシュすると
水が
ちょろちょろちょろ・・・


石けんもなかったので
持っていたシャンプーを駆使して
ゴウトハンドから
可能な限りゴウトっぽさを取り除き
子供達と一緒にテーブルにつきました。
やらなあかん。
空気読まなあかん。


お前何言うてんねん!
子供達はご飯食べよう思ても、
お腹いっぱい食べられへんねんぞ!!
頭の中でもう一人の自分が
励ましてくれました。


自分の中で何かを麻痺させて
おいしくいただきました。
お昼ごはんの素材にヤギは入っていないのに
なぜかちょっぴりヤギ風味。
えへへ。
これぞまさに
やけくそ。



も一ちょいいきましょう。


ハマダラカ

知っていますか?


熱帯地域に生息する
「蚊」です。
超高感度レーダーを用いて僕らに近づき
命がけで血を吸いにくる奴らです。


ウガンダにも生息している奴らはさらに
マラリア
という兵器を隠し持っています。


当然こちらも
裸で奴らの中に飛び込んでいくわけはなく
人類はハマダラカに対抗するための秘密兵器を開発してきました。


秘密兵器その?
-かとりせんこう-


その螺旋構造は
効果の持続時間を可能な限り長くするよう緻密に設計されており
使い方を間違えなければ
人体にはほぼ無害。
それでいて蚊に対する殺傷能力は高く
安価で軽く
誰にでも使える兵器です。
寝る前に仕掛け
すべての窓をしっかり閉めれば
安眠が約束されます。
朝起きると
一晩中戦っていたかとりは
冷たい灰に変わっています。
ちょっぴりセンチメンタルな兵器です。


秘密兵器その?
-抗マラリア薬-


なんだかんだいって相当刺されるので
週に1回飲めば効く
「メフロキン」
という薬を飲んでいました。
マラリアなんて、
かかったら死んでまうやん。
そしたらお母ちゃんになんて言うねや。
ここでやられるわけにはいかへんで?(°□°)/
と思ったので
きっちり飲みました。


しかしこの薬
副作用の項目を見てみると
ガク((°□°))
ガクガクブルブル((((°□°))))
ガクガクブルブルブルガタガクガク(((((((°□°)))))))


なんと
-統合失調症-


キターーーーーーーーー!!(°▽°)
統合失調症キタ!!(°▽°)
副作用で統合失調症て(′▽`)


統合失調症って、
薬の副作用でなってええのんか?
んー?
これはこれで、
お母ちゃんになんていうねや。
いや、
言われへんやん。
隠して生きてくしか無いやん。
と思いながらも
きっちり飲みました。


結局
メフロキンを飲んだ翌日の朝だけ
毎回決まって
若干得体の知れない不安感に襲われる程度で済みました(-_-)




旅から帰ってきて変わったこと?
う~ん。
特にありませんが
敢えて言うなら
誰もいないのに時々
「飛べ!」
って聞こえるようになったことくらいです。
投稿者外傷センター医師 佐藤 和生
引っ越し
2012年05月21日
最近、たくさんの段ボールが院内に運び込まれています。新病院への引っ越しの準備が進んでいるのを実感しています。

私の引っ越しというか引っ越し後の話を書こうと思います。

今住んでいる家(一軒家)に引っ越したのは去年の冬でした。前の住人が出たばかりの家。借りる前に見せてもらいましたが、家の中は使い勝手が良さそうで好印象。庭は雪が積もっておりよくわからず。庭にある大きな松の木の枝が雪の重みで数本、折れていましたが、この時は特に気にしませんでした。

引っ越し後、周囲の家に挨拶に行くと、庭の木の剪定をお願いできないでしょうか、と。そのときは松以外の木に葉がついていなかったせいか気にならなかったのですが、それほど広くない庭に2階の高さくらいの木が3本あり、どれも伸び放題で、周囲の家の敷地に張り出していました。自分の家の敷地だけでなく、周りの家の敷地への落ち葉も多かったようです。

春になり雪が溶けると、庭にはシート状の落ち葉の固まりが出現。何年かければこんなになるのか…。さらにその中から、ビニールや、小さなホタテの貝殻やその他よくわからない貝殻が、なぜ?というくらいたくさん出てきました。前の住人は庭の手入れにあまり興味がなかった、というのが周囲の住人の評価で、妻は隣の住人でない複数の人に、ここの庭の掃除大変でしょう、と声をかけられたと言っていました。

庭の落ち葉等の片付けが一段落したある日、妻が隣の住人から、お宅の屋根に木が生えているのを知っていますか?と言われたと。自分の家の敷地や道路からはみえず、隣の庭におじゃましてみると確かにみえる、と。
近くにまだ剪定のしていなかったのび放題の木があるので、それの一部をみたのだろう、と思ったものの、妻も確かに見たと言うので、屋根に登ってみました。
生えていました。自分の身長より高いやつが。屋根が谷になっている部分の一番低いところが溝になっており、そこが落ち葉等では詰まらないように木の板が敷いてあったようなのですが、それが見事に朽ちてたくさんの落ち葉とともにいい感じに栄養豊富そうな腐葉土となり、屋根の谷の部分を埋めていました。木はそこにびっしりと根をはっていました。木には毛虫も多くついており、何とも異様な風景でした。そこにあってはいけないもの見た気がして、急いで木をそこから引き抜きました。

予想外の光景に動揺し、カメラを取りに戻ろうという心の余裕をもてなかったのが残念でなりません。
投稿者放射線科医長 佐久間 明洋
『東日本大震災1年』
2012年05月14日
東日本大震災から, 1年2ケ月が経ちました.2011年3月11日14時46分当院での勤務中に幻暈を感じるような長い横揺れがありました.その後,震源地が私の郷里の宮城県沖である事を知り,時間が経つにつれて分かってきた甚大な被害状況と友人・知人の訃報に愕然とするばかりでした.

あれから1年….今年3月10日,宮城県南三陸町を訪ねてきました.
南三陸町は,宮城県北東部の震災前人口約17000人の漁業が基幹産業の町であり,
大震災により甚大な被害を来たしました.町には今でも大量の瓦礫が残り,鉄骨だけとなった建物や津波で流された自家用車が建物の屋上に残っていました.町唯一の病院であった公立志津川病院も被災し,現在は仮設診療所が設置され外来診療が行われていますが,入院診療は町から約30km離れた隣接する登米市の診療所の一部を間借りする形で行われている状況で町民の方々は震災から1年経つ今も不自由な生活を送られています.しかし,悪いことばかりではありませんでした.今年2月にはプレハブの店舗約30件からなる仮設商店街ができ威勢のいい店員さんの声が響いていました.また海には養殖筏を見ることができました.町の基幹産業の漁業が再開したのです.復興までは,相当な年月が掛かりそうですが,少しだけ明るい話題を見つけることができました.

3月11日には町主催の『東日本大震災犠牲者追悼式』に参加しました.
御遺族代表として挨拶された高校生の言葉が胸に響きました.「震災で失われた沢山の命は皆、かけがえのない大切な命です.沢山の尊い命を無駄にしないためにも、この震災を後世に伝え、二度と悲惨な目に遭わせない。それが私たちの使命です」

復興に向けて,被災地は津波対策のための住民の高台移転問題,瓦礫処理等…様々な問題を抱えています.震災から1年が経過して被災地以外では残念ながら,その記憶が風化してきているのが現状かと思います.発災当初は,余りの希望者数で断りを入れていたというボランティアの数も激減しているとのことでした.被災地を支援する方法は様々だと思います.『震災のことを記憶に留めている事』…それも一つの支援になるのではないでしょうか.どうか,この震災の事,そして現在も,なお元の暮らしに戻れず辛く苦しい状況の中,復興に向けて被災地にて頑張っておられる被災者の方々の事を忘れないでいて下さい.震災により犠牲となられた方々のご冥福を祈ると共に,被災地が災害に強い町として再生し,被災者の方々が安心して生活ができる日が来ることを祈りたいと思います.



1.南三陸町中心部を対岸より望む:瓦礫が現在も大量に残っています(写真右端).
    (2012年3月11日撮影)


2.公立志津川病院(2012年3月11日撮影)


3.瓦礫の処理は, 現在も続いています(2012年3月11日撮影)
投稿者消化器内科医長 佐藤 康永
露天風呂、おしゃべり、ムショ帰り、そして傾聴
2012年05月01日
Q. 7歳くらいの女の子から、
 「おとうさんはね?、けいむしょはいってるんだけど、
  あしたかえってくるんだ?ww」
…と言われたら、あなたは次になんと言いますか?

***   ***   ***   ***   ***

これは実際に私が言われたことです。
さて、もう少しその会話に至るまでを書いてみます。

私が娘と近所の銭湯に行った時のことでした。
露天風呂に入っていたら見知らぬ7歳くらいの女の子がやってきて、
しきりに私に話しかけてきました。

そういうことは珍しくないのでおしゃべりを続けたのですが、
一つ奇妙なことがありました。
その子はうちの娘を会話に全く入れず、ひたすら私に話し続けるのです。

う?ん?

娘は一人遊びが得意なのであとでたっぷりフォローすることにして、
しばしその子につきあってみました。
いずれ母親が来るだろうと思いつつ…。

…ところがね、来ないんですよ(苦笑)。
かれこれ20分もしゃべっているのに、保護者がだーれも来ないんですよ。
この子の家って大丈夫かなぁ…?と、思ってたら、
その子が家族のことを話しだしました。


「うちはね?、ばーちゃんと、おかあさんと、おとうととわたしの、
 4にんぐらしなんだ?ww」
『そうなんだね?、4人暮らしなんだ?ww』
「おとうさんはね?、けいむしょはいってるんだけど、
 あしたかえってくるんだ?ww」

***   ***   ***   ***   ***

さて、この状況で、あなたはどうしますか?何と言いますか?

***   ***   ***   ***   ***

私は1.5秒くらいフリーズしましたが、
次のように返事しました。
『そうなんだ?、お父さん、刑務所から明日帰ってくるんだ?ww』

意識したことは1つだけです。
『よかったね』とか『大変だね』とか、自分の気持ちを言わないこと。
だから、『そうなんだね』と受け止めて、その子の言葉を繰り返しました。

するとその子は、すごく驚いた顔をしました。
それから、さっきまでとはちょっと違った表情で、
「…うん、あした、おとうさんかえってくるんだ……」
と、繰り返しました。

それで、気持ちを聞いてみることにしました。
『どんな気持ち?』
「…ちょっとしんぱい」
『そうか?、心配なんだね』
「うん、しんぱい」
それからにっこり笑ってばいばいして出て行きました。

***   ***   ***   ***   ***

その子は気持ちを聴いてもらうことがほとんどなかったのかもしれません。
今頃どうしているのかな?
誰か彼女の話を聴いてくれる人がいればいいなと思っています。
投稿者産婦人科医師 敦賀 律子
ハリーポッターのすすめ
2012年04月23日
ハリーポッター全7巻を読破した人はどれほどいるでしょうか。面白いからと勧められて手にとったのは10年以上も前のこと。児童文学?!…と躊躇もありましたが、小児科ですし、甥が夢中だったので話題を共有するつもりで読んでみたところ、つぼにはまりました。作者JKローリングさんが離婚後生活保護を受けながら、娘が寝ている間に黙々と書き綴ったデビュー作という事実も驚きです。11歳の孤児ハリーが、自分が魔法使いであることを知り、魔法学校で学びながら仲間とともに成長する姿が実に緻密に壮大に描かれます。子供が主役の魔法世界だし、悪の枢軸との決戦になる冒険だし、現実離れも甚だしい空想世界!と、思いきや単純な勧善懲悪や友情物語ではありません。世の中や身近に感じる差別や不条理、善悪ですら不動ではない戸惑いなどを絶妙にちりばめ、誰もが共感したり自問したりできる現実社会と同居した空間…児童文学と一言で片付けられない偉大なものでした。登場人物が多すぎて、誰が誰やら?!?と、挫折につながるようですが、何とか負けずに乗り越えたい。翻訳本は賛否両論で、英語が得意な人には原書がおすすめ。そこは児童書、難しくない英語のようですが、私にはハードルが高かった…。先日、電子書籍版が発売され、3日間で1億円を売り上げた世界的大ヒット作品、いずれは挑戦したいと夢は広がります。ファンタジーの世界に遊びながら、ふと現実を見つめ直す『ふわっとした心地よさ』にささやかな贅沢を感じます。おすすめです。
投稿者小児科医長 大島 美保
勝者と敗者
2012年04月16日
順番が回ってきましたが、皆さんに披露できる面白い私事もないので、
最近、私の心に余韻を残した文章を、皆さんにも読んでほしいと思い、ここに載せます。
(出典元は不明らしいのですが、色々なブログに掲載されています。)

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勝者と敗者

A Winner makes mistakes and says: I was wrong.
But a Loser says: it wasn't my fault.
勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。
敗者は「私のせいではない」と言う。

A Winner credits his good luck for winning even though it wasn't luck.
But a Loser credits his bad luck for losing, but it wasn't about luck.
勝者は勝因を「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。
敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも,運が原因ではない。

A Winner works harder than a looser and has more time.
But a Loser is always too busy too busy saying a failure.
勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。
敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。

A Winner goes through a problem and a loser goes around.
勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。
敗者は問題の周りをグルグル回る。

A Winner shows his sorry by making up for it.
But a Loser says his sorry but he does the same thing next time.
勝者は償いによって謝意を示す。
敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。

A Winner knows what to fight for and what to compromise on.
But a Loser compromise on what he should not and fights for what isn't worth fighting for.
勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。
敗者は妥協すべきでないところで妥協し,戦う価値がない所で戦う。

A Winner says I am good, but not as good as I ought to be.
But a Loser looks down at those who have not yet achieved the position he has.
勝者は「自分はまだまだです」と言う。
敗者は自分より劣るものを見下す。

A Winner respects those who are superior to him and to him and tries to learn from them.
But a Loser resents those who are superior to him and tries to find fault.
勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。
敗者は自分より勝るものを不快に思い,アラ捜しをする。

A Winner is responsible for more than his job.
But a Loser says, I only work here.
勝者は職務に誇りを持っている。
敗者は「雇われているだけです」と言う。

A Winner says, "There ought to be a better way of doing it".
But a Loser says why change it, that's the way it has always been done.
勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。
敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。

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この文章を読み、自分を振り返ってみました。
はたして自分は勝者に近いのか、敗者に近いのか?
..........
...............
...................orz
投稿者麻酔科医長 出内 なつ子
親知らず
2012年04月09日
先日、歯医者さんに行ってきました。
しばらく前から奥歯が何となく疼いていたのですが、ついに爆発、その日は未明から眠れないくらい痛み、手持ちの鎮痛剤の効果もちょびっとだけ、朝からもう、いたーくて、いたーくて、どうしようもなくなり、同僚には正露丸を詰めたらいいと昭和の格言を進められましたが、夕方に上司に相談して歯医者さんに行かせて頂きました。かかりつけの先生の言では、私の奥歯の陰でほんの少し顔を出している親知らずが虫歯になっているとのこと、しかも結構ひどいと、ちょっと大変だけど抜いたほうがいいでしょうと。何十年ぶりかで歯医者さんで歯を抜き、久方ぶりに抜歯の恐怖を思い出しました。麻酔が切れたら少し痛むよと言われておりましたが、術前の痛みに比べれば、もうなにも、全く痛くないのと同じ、まさにビフォーアフターです。歯医者さんの素晴らしさを齢40を超えて初めて認識しました。先生ありがとうm(__)m
今日は、首が痛くて手がしびれます。年は取りたくないものです
投稿者外傷センター医長 斉藤 丈太
ホームパーティ
2012年04月02日
今から約17年前にアメリカに留学した主人の後を追って生後10カ月の息子を連れて渡米しました。
着いて約3か月の間は言葉もわからず、子供もよく熱を出し救急外来に通院の連続で、ホームシックになり、アメリカに来たことを後悔しました。その後徐々に会話が出来るようになり、相手の言っている事も理解出来るようになりました。主人は苦労してアメリカ最高峰のメイヨークリニックへの留学に成功しました。メイヨーはミネソタ州ロチェスターにあり、黒人の殆どいない人口約7万の安全で静かな町で夜でも1人で買い物にも行けました。外国での生活は日本とは違うことが多々あり、羨ましく感じるものと日本の方が絶対に良いと感じるものもありました。最も感心して現在も我が家で行っているものおひとつがホームパーティです。渡米してすぐに主人のラボの教授の自宅に夕食のご招待をうけました。とても緊張してお家に伺うと玄関に入った瞬間に満面の笑みで教授夫人(昨年子宮がんで残念ながら亡くなられました)が迎えて下さり緊張は一気に吹っ飛びました。婦人お手製のお料理の数々を堪能し、素敵な調度品に感激しとても楽しいひと時でした。日本ではレストラン・料亭などにご招待することはあっても自宅になどと考えたことはありませんでした。アメリカでは外食の習慣はあまりなく、自宅へのご招待がおもてなしであるようでした。確かにご招待となると1日がかりで準備をします。相手のために楽しんでいただくために一生懸命準備をします。1年半のアメリカ生活の間、アメリカ・中国・韓国・スイスの先生のご自宅にご招待をうけ、その度に色々勉強になりました。お金をだせば高級なお寿司やステーキやフランス料理も悪いとは思いませんが私のなかでは心のこもったホームパーティが好きです。最近は手際の悪さが目立ちますが出来る限り頑張りたいです。
投稿者整形外科医師 倉 秀美
新病院に思う
2012年03月26日
新病院建築のため、用地を探しているという噂が聞こえてきたのはいつ頃だったろうか。指折り数えてみると3?4年くらい前だったと記憶している。当初より用地の選定・確保に難渋し、交渉結果の報告に一喜一憂していたように思う。用地を取得した以降も諸々の課題があり、よくここまでこぎつけたものだなと思う。そのあたりは病院幹部の尽力の賜と思う。

もう20数年前の話であるが、私は江別から札幌東高校に通っていたので、バスを利用した際は12号線経由だった。あの土地の印象といえば夏は空き地、冬は堆雪場であった印象が強い。川が近く、洪水や地盤強度がちょっぴり心配であるが、そこは最新の地盤改良と建築技術に期待しよう。

近くにスーパーマーケットが見あたらないが、院内にタリーズとローソンが入るようで嬉しい。周囲にパチンコ屋さんが多いが、私はやらないのであまり関係ないかな。好きな人には気分転換に良さそうだけど、消灯までに帰られなくなる人がでそうだな。前面道路が片側二車線の往来ということで、自家用車でのアクセスがどんな感じになるのかやや不安だが、なんとかなるだろう。

平成24年7月1日移転・開院の予定であるが、なんとかスムースに移行できるように尽力したい。いずれにせよ、新築移転は楽しみである。自身の転居は何回も経験したことであるが、職場の引っ越しは初めての経験である。引っ越しに向けて私物の分別・荷造りしなきゃ。

院長先生、私物の搬入は自前でやんなさいって・・・・ホントですか?(涙)
投稿者外科医長 斉藤 琢巳
コンサートホール「kitara
2012年03月19日
欧州や北米では,大都市ではもちろん,地方の小さな都市でもご当地のオーケストラがあることがほとんどで,地元に根付いている.普段から生の振動を生み出す楽器を身をもって体験できるのはすばらしく,うらやましい.
 札幌には昨年50週年を迎えた札幌交響楽団がある.
 そして札幌にはkitaraというすばらしい音楽ホールが,今年15周年を迎えた.建築学的にも(見た目も,ホールの居住性も)すばらしいが,音の広がる感じがとても好きだ.
 いわゆる電気楽器や拡声器やマイクを通した音楽を聴くにはあまり適さないホールなのだが,生音と呼ばれるバイオリンなどの弦楽器の鑑賞にはとても心地よい.
 うまく録音され,きれいにバランスの整えられたベストセラーCDを,自由な態度で自宅で聴くのも確かに心地よいが,なにかが少々違う.
 何が違うのか考えてみると,やはり楽器から生み出される空気の振動の伝わり方なのであろう.あまり長くて大きな残響は音がまとわりつく感じがするし,残響の短いデッドなホールも味毛がない.
 kitaraの大ホールは,長い残響が小さめに聞こえて,大きめの短い残響が早めに消えていく感じで,自分で楽器を弾いているような感覚が,耳はもちろん,からだ全体にとどく.
 宮部光幸,豊田泰久さんの設計とのことだが,そのこだわりが随所に感じられる,世界に誇れるホールだ.
 一度,kitaraでの鑑賞をお勧めする.
投稿者脳神経外科部長 黒川 泰任
ブッダの教えと、「お酒」など
2012年03月12日
十数年前から、仏教にひかれている。といっても、オーム真理教や、どこかの教団に関係しているわけではない。ただ、仏教関係の本、特に「実在した」ブッダの肉声が強く感じられる、原始仏教関連の本を、繰り返し、独り、読み続けている。
 小児科医として働いているが、日々、様々なストレスも多く、ついつい、粗い言葉を使ってしまったり、怒ったりと、後々反省することが多い。
しかしブッダの教えでは、怒らないこと、言葉を慎むこと、慾を抑え少なくすることなどが、とても判り易く心に響く喩を用いて、語られている。仕事の際にも、これらの教えを守り、なるべく穏やかに子ども達への医療を実践したいと思っている。また夜、眠れない時も、ブッダの言葉や教えを思い出し、あれこれ考えていると、いつの間にか朝が来ていることが多く、健康にも良い。
 岩波文庫として出されている、中村 元先生訳「真理のことば、感興のことば」や、「ブッダのことば」など、入門書として特に「おすすめ」である。是非、ご一読を。
 ところで、仏教では、飲酒はイケナイことになっている。食事も節度を守り、わずかな量で満足せよ、と説いている。医師としても、大量、習慣性のある飲酒や食べ過ぎは、もちろん健康上も良い、と言えない。しかし、お酒を少量でも飲んではいけないと説かれると、これは辛い。困る。ただブッダ関連の本を読んでいると、ブッダその人自身は人に優しく、中庸の大切さも説いている。「琴の絃は張りすぎていても、緩すぎていても良くない」と語り、放逸も極端な禁欲も共に、避けるべきである、と仰っている。 
ということで、たぶん、きっと、仕事の後の度を越さない少量の(?)飲酒なら、きっときっと、許してくれるのではないか・・。と、あれこれ思いながら、仕事終わりの夕食時には、ワインや焼酎などのお酒も適度に嗜み、息をついている。
しかし、ついつい食べ過ぎ、飲み過ぎる事も多い。その度に、いつも後悔と反省はするのだが・・・。お釈迦様の教えの実践は、やはり、とてもとても難しい。
投稿者小児科医師 岡 敏明
香港に行ってきました
2012年03月05日
数週間前に仕事で香港に行ってきました。セミナーに参加していたので自由な時間はあまりありませんでした。それでも最終日の午後にセミナーが終わり、帰国の飛行機は次の日の朝早くでしたので、お土産でも買いに行こうとセントラルの某日系デパートまで歩いて行きました。外に出てみてびっくり。人、人、人。。。何かのイベントかコンサートでもあるのかと思うような混雑ぶり。若い女の子がほとんどなのできっと香港の人気グループでもくるのだろうと思って通り抜けました。
みんな座り込んで、ビニールシートを広げ、お弁当を食べ、おしゃべりをしている人、電話をしている人、本を読んでいる人、昼寝の最中の人。。。でもそこは公園でも広場でもなく、歩道や歩道橋。両脇にシッカリ陣取って座っています。その真ん中を申し訳なさそうにシートを飛び越えながらどうにかデパートにたどりつきました。
その時やっとその日は日曜日だということに気づいて納得。以前に何かで聞いたことがあったのですが、香港にはたくさんのフィリピンの人が出稼ぎに来ています。多くはメイドさんとして働いていて普段は住み込みで働いています。唯一の休日が日曜日で、日曜日には10万人ともいわれている香港のフィリピン人メイドさんが大勢、市内中心部の繁華街に繰り出してきます。
日本の同年代の人たちとは全く違った境遇でありながらも、笑っておしゃべりしている様子はやっぱり同じ。きっと彼女たちの生活は私たちの想像よりも大変でつらいこともいっぱいなんでしょう。でも日本の女の子たちの楽しそうなおしゃべりの様子と変わらない彼女たちを見ているとなんとなくほっとした気持ちになりました。
投稿者外傷センター部長 村上 裕子
聖地厚別
2012年02月27日
前週の河原先生がコンサドーレ札幌について書かれていたので、今週もひきつづきコンサドーレの話題でいきたいと思います。
「聖地厚別」という言葉があります。コンサドーレサポーターではなくても一度は聞いたことがあるかもしれません。これは、札幌ドームができる前からコンサドーレ札幌が厚別陸上競技場をホームグラウンドとしていたこと、そしてなによりコンサドーレが旧JFL時代に厚別で驚異的な勝率を誇っていたことで「厚別不敗神話」みたいなジンクスができて、サポーターにとって厚別は札幌ドームとは違った特別なホームグラウンドという感覚があります。ちなみに「厚別」という厚別でしか歌われない応援歌もあって、数ある応援歌のなかでも筆者はこれが一番好きです。サッカーファンではない人から見れば、厚別陸上競技場は札幌ドームと比べると、ゲームは見にくいし、風は強いし、雨降ると濡れるし、秋は寒いし、サッカー観戦の環境としては決してよいものとは言えませんが、あの厚別独特の雰囲気は、うまく表現できませんが、なんとも言えない良さがあると思います。
そんな「聖地厚別」にほど近い大谷地に新病院が7月に移転します。厚別競技場までは自転車で10分くらいの距離でしょうか。今からとても楽しみです。
「聖地厚別」にあやかって新病院にいいジンクスができますように。
投稿者放射線科部長 片田 竜司
コンサドーレを(も?)応援しましょう!
2012年02月20日
コンサドーレ(以下、コンサ)が昨年の最終戦で勝利してJ1昇格を決めました。今年は舞台をJ2リーグからJ1リーグに移しての戦いが始まります。2008年にJ1最下位を独走したシーズンを思い返すと厳しい1年になることは間違いありませんが、頑張ってJ1残留を果たしてほしいものです。
私は学生時代、野球部に所属していました(現在の細身の身体からは想像できないと思いますが、当時は今より10キロは体重がありました)。野球を通していろいろなことを学びましたし、プレーするなら楽しいスポーツだと思っています。しかし球場で観戦するとなると少し意見が変わります。野球はバッテリー(投手・捕手)が90%のウエイトを占めるスポーツだと思います。そのため私見ではありますが、プロ野球の醍醐味もそこに凝縮されていて、そこを詳しく見ることができないと楽しめません。要するに日本ハムファイターズ(以下、日ハム)でいうと球の遅い武田勝投手(←あくまでもプロレベルでの話…アマチュアなら十分速球派!)がなぜ打たれないかは札幌ドームに見に行ってもわからないでしょ?ということです。
サッカー観戦は面白いです。前述の観点から言うと、ゴールキーパー以外の10人に野球のバッテリーのような特別なポジションはありませんし、スタジアムでは個人の技術、チームの戦術、サッカーの醍醐味等がよくわかります。しかし残念ながら、テレビ中継ですとその面白みも半減です。テレビですとボール周囲のコートの一部しか映らないためです。サッカーは前の選手(フォワード(FW):キング三浦カズ選手や香川選手)と後ろの選手(ディフェンダー(DF):ボンバーヘッド中澤選手や長友選手)の間の距離を一定に保ってゴールキーパー以外の10人が動くのですが、映ってない部分での攻防や駆け引きがテレビではわかりません。その他にもポイントはいろいろあるのですが…とにかく、サッカーはプロ野球とは逆でスタジアムに行って観たほうが間違いなく楽しいと私は思います。
今年のコンサの舞台はJ1。2008年は負け試合ばかりでしたが、J2サッカーをたくさん見てきた私にとって、負けてもJ1の楽しさは十分満喫できました。今年はそれを再び札幌で見ることができます。日ハムファンの方もぜひ札幌ドームや厚別競技場に足を運んでコンサの試合を観戦してみませんか?ひょっとしたら試合後には“サポーター”になっているかもしれませんよ(笑)
投稿者眼科部長 河原 温
飛行機
2012年02月13日
学会発表で、道内外に年数回出かけることがあります。今回は10年前の出来事をお話しします。
 平成11年10月28日から31日まで、第7回日本消化器関連学会週間が広島県広島市で行われ、10月28日午前の発表予定でした。当時、勤めていた病院での出張旅費が大阪までしか出ないため、ANAの札幌―広島直行便をやめて、たまったマイレージを使おうとして、JAL/ANA(札幌―羽田―広島)を選択しました。学会の前日27日羽田行きJAL514便15時定刻通りに新千歳空港を出発。出発時に「羽田空港は雨、飛行中に前線が近づいており、少し揺れるかもしれません」とアナウンスされました。その時間札幌―羽田間のANAは豪雨の為、欠航だったので、運がいいと思っていました。離陸して30分後頃から強い雨が降ってきて、45分後、徐々に激しくなる雨と飛行機が揺れで、機内が騒然としてきたそのとき、前方右側の窓から「ピッカー」と目映うばかりの光が横切りました。
 雷(カミナリ)である。
「墜落(おちる)のかもしれない」と乗客が思ったのか、それまで騒然とした機内は急に静まりかえった。左右の窓から数回「ピッカー」「ゴロゴロ」「ドーーン」と、光と音のサラウンドの中で「当機は大丈夫です。順調に、羽田空港に向けて飛んでおります。」とのキャビンアテンダントのアナウンスは、虚しく響いていました。2時間位羽田近郊を旋回していたが、光ったあとに、機体が震えることが少なくなくなってきた。
やっぱり墜落(おちる)のか!・・・
 ふとあの坂本九が死んだ同じJALの航空機事故を思い出した頃、機長から「集中豪雨で羽田空港が閉鎖されたため、急遽関西国際空港へ向かいます。」とアナウンスされた。機内は「えー、そんな馬鹿な」と騒然となった。私の方は、おっ、関空か、どうせ羽田発乗り換えの便が無理っぽいなら、広島に近い方がラッキーと思いきや、まもなく「関西空港から名古屋空港へ変更します」とアナウンスされた。うーん残念!。世の中そんなにうまくはいかない…。
 18時31分名古屋空港到着。名古屋は雨上がり後の晴れ。すぐ降ろされると思いきや、「給油して羽田国際空港に戻ります。」え!、戻るの!、許して…。これから・・・と考えたころに「機体の点検で、飛べなくなりました。名古屋空港で解散になります。」とアナウンスされた。機外から見ると、機体のコックピットの上面が黒くなっている。やっぱり雷が飛行機にかすった?落ちたんだ!。危ない・・・。19時30分名古屋空港で解放され、20時40分発の広島行き新幹線ひかりで23時30分広島に到着した。疲れた・・。翌日の発表はたった5人(?)の聴衆で無事終了。
今年も、懲りずに次の学会「第20回日本消化器関連学会週間 (神戸)」の準備している次第です。
投稿者消化器内科部長 東 直樹
神様の気持ち
2012年02月06日
聖書の中に「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。:ヨハネによる福音書1章1節」とあります。この言とはロゴスのことでもあり、神様の御言葉でもあり、法則のことでもあります。創造主でいらっしゃる神様は宇宙、地球、全ての万物を法則を定めることで創造なさいました。万有引力、相対性理論・・・。もちろん私たち人間の中にも法則があり、その法則に基づいて生命活動が営まれています。
神様は定めた法則に基づき長い年月をかけて全ての万物を創造し、最後に私たち人間を創造なさいました。それはまるで、動物園の園長がこんな動物にはこんな檻を、あんな動物にはあんな檻を作り・・・と動物達が楽しく過ごせるように動物園を作っていき、最後に動物達を檻に入れて楽しんでいる姿を見るのを喜ぶように、愛する心で130億年以上かけて喜びながら人間を創造なさいました。聖書ではその時の神様の喜びを「はなはだ良かった。:創世記1章31節」と表現されています。
私たちは自分の気持ち、恋人の気持ち、親の気持ちはよく考えますが、自分の存在を130億年以上かけて待っていた神様の喜ぶ気持ちを考えることはあまりないように思います。医療現場で働きながら、様々な病と生死の場面に直面し、患者さん、家族さん、医療従事者などの多くの人々の間に悲しい争いや孤独を見ることがあります。私はいつもそういう時に「神様の気持ち」を知ると少し楽になるのではないかと感じています。自分と相手の体の中で営まれている生命活動は「神様の気持ち」が詰まった130億年物の愛の傑作品であり、全ての人が神様にとって大切な存在なのです。「神様の気持ち」が皆さんに届くことをお祈りしています。
投稿者内科医師 味生 洋志
建築作業現場を見学して
2012年01月30日
今年6月に当院は厚別区大谷地の新病院へ移ることになっております。国道12号線と南郷通りが接近し、高速道路高架橋がそばを走っている場所です。昨年12月に建築中の建物の一部見学が可能となり、どんなものかと思いその見学会の一人に参加させてもらいました。寒い日でした。
外来終了後午後3時半に集合し、病院の車で少し雪の舞う中、雪道と言う道路事情もあり、10分ほどで到着しました。車から降り、建物を間近に見て「デカッ!」という感じでした。コンクリートむき出しのままでしたが、その灰色の建物は近隣に大きな建物がないため、「ズドーン!」と大きく高く見えました。8階建てなので、札幌の中心街であればごく普通の高さの建物でしょうが、周りに大型建築物がなかったので、見上げればあとは空ばかりで、かなり大きく感じました。
現場監督が現れまずヘルメット使用との指示があり、初めて作業用ヘルメットなるものをかぶりました。まず玄関部分から入り、待合室とされる広い空間に案内されました。広く高く、天井がまだ出来ていないアルミホイルに包まれた大きなパイプや他の細いパイプなどが何本も頭上を走っているのが見えました。足もとにはパイプ類、木材、鉄筋、コード類などの資材や工具などが並べられており、建物の中とはいえ窓、ドアはついていないため寒風が漂っており、まさに「現場」でした。
では5階から順次見ていきましょうと、エレベーターも出来ていないため、作業用パイプが何本も組み立てられて狭くなった階段に頭をぶつけぬように肩をぶつけぬようにと身体を縮込ませながら年寄りの小生はゼーゼーしながら上がっていきました。
5階病棟部分に上がると、すでに現場監督と数人の看護師さんとMEさん達は何かを話しながら、監督は何かを答えながらすでに離れた前方を歩いていました。(マイクでも持ちながら説明してくれると良かったんだがなー)と思いながら、集団の後方でなるほどこんな感じかなと思いながらついて行きました。
いよいよ3階の産婦人科病棟スペースになり、急いで歩を進め所々説明を受けました。一番気になっていたのは、個室でした。現在の個室は狭いので、もう少しゆったりとしたスペースが欲しいと考えていました。そして図面上ではずっと広いスペースのような気がしていたのですが、各個室にトイレシャワーをつける事にもこだわったため、そのスペースが意外に大きく、ベッドスぺースがやや狭く感じられました。ただ、現在の個室はドアを開けるといきなりベッド・患者さんが目に入りますが、今度の新個室ではそのトイレシャワー部分がベッドへの死角となり、プライバシー的にはいい感じでした。また、トイレシャワーもスマートに出来ていて、他の患者さんにも気兼ねなく使用できるはずであり、新築の価値があるようでした。
窓スペースから目の前をちょうど札樽自動車道が走っており、車が次々と流れて、個人的にはいい感じを受けました。いわゆる、自然風景ではないので、きれいとか美しいとか言うものではないのですが、その風景は社会が動いている人が活動しているという感覚が何かいいように思いました。ただし、騒音としてどうなのかはこの日にはわかりませんでした。
病棟部分では食堂があり、学生指導室があり、NST専用室があり、小集会室もつくり、今まで不足していたスペースを作る事が出来、患者さんには快適な空間が出来るはずです。
今回のコンクリート打ちっ放しの状態ではなかなか実感できませんが、しかし、新しくなるというのはいいものです。動き出し開始は色々大変なことが生じてきそうですが、その変化がまた刺激となって小生の老化しつつある脳を活性化してくれるような気がしそうな思いを抱きながら現場を離れました。

追記:1/25 近くを通ったとき、薄辛子色に覆われた建物の外壁部分が作られていました。
投稿者産婦人科部長 関 敏雄
左利き
2012年01月23日
私は左利きに生まれました。妻、息子、娘の4人家族ですが娘も左利きであり家族の半分が左利きということになります。
小さい頃、右への修正訓練をうけました。この時代の左利きの同級生もそうでした。字を書くこととハサミを使うことを1年くらいかけて右になおした記憶があります。理由は左利きのままだと学校で私も、教える側の先生も大変だからだったような・・・。食べるのは私の問題なので箸は左のまま。
小さい頃国語の漢字の書き取りは苦痛でした。30分くらい頑張っていると右の手首が痛くなってくるのです。左で書いたら楽なのにな?と思い時折こっそり左で書いていました。小学校高学年になると段々慣れたのか右だけでも苦痛ではなくなりましたがそれと同時に左では書けなくなっていったのは残念なことです。
今、娘は小学5年ですが何でも左のままです。同級生の子も同様のようです。時代は変わったのですね。右利き用のハサミを左で握り器用に切っています。ピアノもうまいものです。

大人になった現在は・・・。食事の際は無意識のうち?に右利きの人の左側に座ります、箸をもつ手がぶつかるので。その他、反射的に左手がでることが結構あります。
私は外科医なので細かい作業を左手でもできることはメリットです。以前後輩の外科医に、手術がうまくなるためには日頃から左を使うことが重要で、食事も左で食べる方が良いとふざけ半分で言いました、ほ?ら私も左で食べているだろうと。
信じやすい後輩は私が左利きなのを知らずにその日以降ずっと箸を左手に食事をしていました。今ではその彼は、左手も上手に使い美しい手術ができるようになったと思います。たぶん。頑張れ!名古屋に行った「か○しろ」先生
投稿者外科医長 城田 誠
列車内での過ごし方
2012年01月16日
出張で、よく帯広に行きます。列車内でいかに有意義に過ごすか? 帯広までは、JRで2時間半の旅程、一般的には、読書か睡眠でしょう。
私の場合、映画です。日頃より、よく映画を観に行きます。2時間半は、映画1本にちょうどよい時間です。ポータブルのDVDプレーヤーは、充電すると3時間は保ち、今時は、Amazonで5?6千円で購入できます。映画を観終わったら、まもなく到着です。列車内での時間を有効かつ楽しく使えます。
投稿者麻酔科部長 奥山 淳
あけましておめでとうございます。
2012年01月06日
いよいよ2012年がはじまりました。札幌徳洲会病院にとって今年は病院の新築移転というビックイベントが控えています。泣いても笑ってもあと半年に迫ってしまいました。
大谷地に建設中の新病院は、完成にむけて着々と準備が進められ、最近ではその概要が明らかになりつつあり、近くを通るたびに身が引き締まる気持ちになります。
長年お世話になった現病院周辺のみなさまに感謝しつつ、新病院周辺のみなさまにはご挨拶の気持ちを込めて、本年もどうぞよろしくお願いします。
投稿者ホームページ委員会長 片田竜司
ある冬の日の出来事
2011年12月19日
あれはH13年の冬のある夜の出来事であった。
当時僕は旭川医大耳鼻科に助手として勤務していて、大学からの診療応援で道北にある
S市立病院にきていた。大雪の年で道の両脇には高い雪の壁ができており、その年の春に買い換えた新車に乗り、吹雪の朝にS市に到着した。通常の外来診察を夕方までこなし、コンビニで食料などを買い込み、すっかり真っ暗闇の中を、病院近くの医師住宅の自分の部屋の前に車を止めた。鍵をあけて一軒家風の古いその住宅に入り、灯りを点けて冷蔵庫に買って来たものをしまい込んだ。その時だった。帰宅してからわずか数分のことである。
『ドーン』という地鳴りのような大音響とともに住宅が揺れた。一瞬何が起きたか良く分からない。台所の所に窓があって外を見てみると、やはり暗くてよく分からないが、自分の車のルームライトが点いていた。『あれ、おかしいな。消し忘れたかな?』ということで外へ出て見てみた。車のドアを開けると内部には只ならぬ光景があった。ルームライトは勿論、点いていたのだが、それよりも大量の雪とガラスの破片が車内に散乱していたのだ。
車のフロントガラスとボーンネットに雪塊が分厚く積み重なっていて車を破壊していた。
あの地鳴りのような音は屋根にたまった雪が一塊となって、地上に落ちた音であったのだ。
そう、僕は落雪のaccidentに遭遇したのだ。
あの日の夜、もしも車の雪はらいなどをしていて数分間、時間がずれていたら、あの硬そうな雪塊を見るかぎりでは大怪我?頸損?頭部外傷?考えただけでもゾーとします。
毎年、冬になり雪が屋根に多量に積もっている光景をみると思い出すので書いてみました。
皆様もくれぐれも気をつけてください。 
人生、時として何が起きるか予測できないこともあります。『後悔先に立たず』ではありませんが、一日一日をactiveに充実した生活を是非送りたいと願っています。
投稿者耳鼻咽喉科部長 執行 寛
喘息雑感
2011年12月12日
1987年4月にこの病院に入職したが、今でも思い出されるのは、27歳のうら若き女性が、喘息の重積発作により心肺停止の状態で救急搬送されたが、救命することができなかった。その後、1年に3名程の喘息の重積患者さんが救急搬送され、気管内挿管され、人工呼吸器に装着された。幸い、救命し得た。喘息の重積患者さんの気管内挿管は、呼吸困難が強く、不穏状態で全ての症例に気管支ファイバー下でチューブを挿入した。鎮静して挿入するのだが、手間どれば、低酸素脳症をきたす。かなり緊張した。気管内挿管後、ICUに収容し、メチルプレドニンのパルス療法を施行した。3日間程で抜管するのであるが、この間、何のトラブルなく、抜管できたときはほっとした。
吸入ステロイドの治療が、確立したのは気管支喘息の病態が、慢性の気道炎症と定義されたことである。日本の喘息のガイドラインが、1993年に発表され20年程になる。軽症の喘息から難治性の喘息まで吸入ステロイドをベースにした組み立てになっている。
1990年前後は、アルデシンの吸入ステロイドであったが、効果に半信半疑で副作用も気になったが、学会での研究成果が確立し、患者さんに毎日吸入するように自信を持って説得するようになった。喘息発作で受診する回数も減少し、入院も激減していった。吸入ステロイド自体も強力になり、単剤から配合剤に変わり、よりすぐれた薬になっている。
吸入ステロイドが、普及する1995年前までは、喘息死が、7000人ほどであったが、次第に減少し現在では、2000人ほどになった。
投稿者内科医師 伊藤 喜代春
「オリオン」
2011年12月05日
11月の夜の外気は冷たく澄みきっている。吐く息が白い。
その日は思いのほか仕事が早く終わり、消灯前に家路につくことができた。
久しぶりに家族と囲む夕餉(他の二人はもう済ませた後だったが)、その3口目でけたたましい携帯の着信音がなった。
「先生、○○さん急変です。すぐ来て下さい。」
「わかった。10分以内に着く。」
 
 ・・・・幼い娘よ、そんな憐みの目で俺をみるなよ。君のパパは君が思うほど不幸じゃないよ、多分。いつか大きくなったとき、パパが使命感と誇りを持って仕事をしていたことを貴いと感じてくれるだろう。
「行ってきます!今日は帰れないからねー。」  バタン!

・・・・きっかり10分で病室に到着した。ベッドサイドでは優秀な看護師たちと先輩医師が対応してくれていた。患者さんの命の灯はまだかろうじて消えないでいた。
手を変わる。蘇生処置。自己心拍再開。血圧良好。ICUに移動する。・・・・・・

数時間後、患者さんは遠方から駆け付けた家族みんなに見守られながら、静かに息を引きとった。

・・・・現代の生活のなかで死はきれいに隔離され隠蔽され、我々は普段、それを目にすることがない。我々は生まれた瞬間から、一人の例外もなく、確実に1秒ごとに死に向かっているにも関わらず。
 しかし病院という空間では、この非日常が日常に代わる。毎日のように誰かを看取ってゆく。専門職ゆえの悲しい性か、あるいは精神の均衡を保つための無意識の保身か、我々は臨終に際して努めて理性的にふるまう。しかし同時に、一人見送るたびに、自分のこころの奥底に黒い澱のような何かがまた一つ沈降してゆくことを知っている。

 努めて理性的に、と思っていても、こみ上げてくる熱い情動を抑えきれないこともある。
切除不能の進行がんの患者さんをお看取りしたとき、患者さんの奥さんからの言葉。
「先生、治らない患者を最期まで見てくれて本当に感謝しています。ごめんなさいね。」
・・・・胸がつまり、落涙しそうになるのをこらえるのに必死で、言葉が出てこなかった。
奥さん、こちらこそ治してあげられなくてごめんなさい。今の医学ではどうしても助けてあげられないのです。そばに一緒にいることしかできないのです。

病院の外に出ると、さっきよりも一層空気は冷たく、透明度を増している。背中に張り付く寂寥感のためか、うつむいてきれいな猫背を作りながらゆっくりと家路につく。

ふと上を見上げると、あまりにも澄んだ空気のためか、札幌では珍しく、振ってきそうなほど星が近くに見える。こんな夜は、人のおごりとわかってはいても、祈らずにはいられない。

「神様、私にいま少しの叡智と閃きと、それを具現化する技を与えて下さい。それらはただ病める人々の為にのみ使われることを誓います。」
投稿者消化器内科部長 福田 一寿
「引き篭もりの皮膚科医、クラヲタへの道」
2011年11月28日
勤労感謝の日の夜、自宅にて

今日はKitaraに出向き、北大オケの第122回定期演奏会を聴いてきました。 今年はこれが最後となる予定のKitaraですが、6月以降は月2回を上回るペースで訪れている・・・ そんな私のClassic Lifeを、この機会に振り返ってみたいと思います。

06/04 札響 チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」、ブルッフVn協奏曲1番(Vn:諏訪内晶子)、他
07/10 PMFオケ ショスタコーヴィチ交響曲第10番、ラヴェル「ボレロ」、交響詩「海」
07/14 PMFファカルティ・アンサンブル演奏会?(室内楽) レーガーCl五重奏曲、他
07/16 札響 ラフマニノフPf協奏曲第1?4番(Pf:清水和音)
07/23 PMFオケ ブラームス交響曲第2番、モーツァルトCl協奏曲、他
07/28 PMFファカルティ・アンサンブル演奏会?(室内楽) ブラームスCl三重奏曲 07/30 PMFオケ マーラー交響曲第1番「巨人」、亡き子を偲ぶ歌、リュッケルトの詩による歌
08/08 西高オケ チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」、組曲「くるみ割り人形」から3曲、他
08/20 札響 ブラームス交響曲第2番、プロコフィエフPf協奏曲第3番(Pf:小川典子)、他
09/18 都響 ブラームス交響曲第1番、メンデルスゾーンVn協奏曲(Vn:松田里奈)、他
10/10 札響 ブラームス交響曲第1番、ブラームスVnVc二重協奏曲
10/30 札フィル マーラー交響曲第5番、ラフマニノフPf協奏曲第2番(Pf:東誠三) 11/23 北大オケ ボロディン交響曲第2番、チャイコフスキー 組曲「白鳥の湖」、他

如何でしょう。かなーり偏ってませんか。 チャイコ悲愴とブラ1ブラ2とラフ2(Pコン)は各々2回聴いてますし、 ロシア物が多いのはいつもの事なんですが、今年はブラームスがやたらと多い。 ブラームスは特別好きという訳でもなく、Vn協奏曲以外は断片的にしか聴いて来なかったんですが、 PMFや都響の後に札響が同じ演目を競ってますし、良い機会なので勉強させて頂きました。 「ブラームスをなめてんじゃないですヨ」と かのシュトレーゼマンも申しておりました。

「ブラームス 交響曲第1番」 全楽章を通してよく聞きました。複雑な第1第4楽章よりも第3楽章が好き。聴き比べも一番多く、 上記の都響と札響以外に、CDで ベーム/BPO/'59、ミュンシュ/パリ管/'68、ザンデルリンク/SKD/'71、 ビデオで サンティ/N響/'09、下野/サイトウキネン/'10を見聞きしましたが、ザンデルリンクのが好き。 最初の印象は「何だこれ、拍が取り難いぞ。」 理由はアウフタクトの多用とヘミオラであった、というのがお勉強の成果です。 スコア通りに拍を取っていると何かモヤモヤします。 ストラヴィンスキーのスコアに既に親しんでいる私にしてみれば、拍子を書き換えてやりたくなる のですが、それをしないのがブラームス流なんでしょうね。

「ブラームス 交響曲第2番」 ブラ1よりも好き、第1楽章は泣けるし、第4楽章は元気が出る。 交響曲の3番と4番は通しではまだ聞いていない。

「メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲」 世界3大ヴァイオリン協奏曲の一つに数えられているメンコン。私の中でもその座は揺るぎそうにありません。 聴き比べもCDで、Heifetz、Isaac Stern、Ruggiero Richi、Maxim Vengerov と行いましたが、 私はヴェンゲーロフのが良かったです。カップリングのブルッフのVn協奏曲も素晴らしい出来。 以前はチャイコフスキーのがベストと思ってましたが、最近は食傷気味で、あまり聴かなくなりました。 Vn協奏曲は地下鉄通勤の喧騒の中でもよく聞こえるのでお試しを。最近のお気に入りはハチャトゥリアン。 来年1月の札響定期で神尾真由子が演奏るのに備え、オイストラフで勉強中です。

「チャイコフスキー 交響曲第6番『悲愴』」 6月の札響の帰国記念公演はこれの第2楽章だけをお目当てに行ったようなもの。 それぐらいこの5拍子のワルツには惹かれるものがあります。 でもやっぱり2+3で振ったり3+2で振ったりしたくなるんだよね。 その後、西高オケもこれをやり名演でした。 私はフリッチャイ/RSB/'59で勉強しました。

「ショスタコーヴィチ 交響曲第10番」 これの第2楽章は百回以上聞いた。ここには年に何度か院長に対して抱くあの感情が表現されている! 第3楽章もいいが、第1第4楽章は冗長で好きになれません。 聴き比べはカラヤン/BPOとムラヴィンスキー/LPOで軍配は後者。 第3第4楽章に頻出のDSCH動機には笑わずにはいられません。

「ボロディン 交響曲第2番」 ダッタン人の踊りなどで知っていたロシアの作曲家ですが、こんなにいい交響曲書きだとは知りませんでした。 これを取り上げてくれた北大オケには感謝の気持ちで一杯です。 第3楽章の美しさもさる事ながら、何と言っても第4楽章の爽やかさと躍動感。 朝の通勤のテーマにこれ程相応しいものはないでしょう。

原稿の締切時間に追われ、尻切れトンボに終わってしまいますが、続編の予定はありません。
Kitaraに一人でいるのを見かけたら生温かく見守って下さいね。
投稿者皮膚科部長 浅賀 浩考
地方病院勤務の友人の話
2011年11月21日
彼によると近くの某公的総合病院の評判が悪いらしい。
聞けば最近外来を紹介患者のみ受付するようになったとのこと。これは最近の大病院志向を分散する政策によるもので仕方ないだろうが、救急は別と公言しながら夜間救急にも適応しているらしい。そのため直接来院の患者さんや問合せに受付で近医受診を勧め、紹介状を書いてもらい受診させるようにしていると言うのである。彼は受診を勧められる病院に勤務している。その為深夜に紹介状欲しさや某病院で断られたための受診患者、対応困難患者が増加して困ってると言っていた。
大学病院のような三次救急病院なら成り立つ論理だが総合病院とはいえ患者さんや他の病院との連係を無視した身勝手な行動と思うのは私達だけだろうか?
医療は連係、ネットワークが非常に重要であり、自分達だけで全ての患者さんの全治療ができないのだから他科や他病院との関係は持ちつ持たれつで、自分達だけの論理での行動は連係を破壊し、患者さんにも迷惑と私は思います。
事実彼の病院では某病院への紹介や紹介希望も減ったそうです。
皆さんはどのように思われましたか?
投稿者整形外科医長 大西 勉
秋の夜長は
2011年11月14日
今年の秋は週末になると天気が悪く、何にもしないうちに初雪が降りそうです。

医師リレーエッセイを見てるとなんか真面目な話ばかりでここいらで息抜きを

秋といえば、「食欲」の秋、「芸術」の秋、「スポーツ」の秋などいろんな秋がありますが、秋の夜長、「読書」の秋といったものもあります。ゆっくり読めればいいのですが、読んでる途中に携帯がなり、「徳洲会病院、事務の○○です。救急外来の△△先生におつなぎします…」。と病院に呼び出され手術。帰ってまた最初から読みなおしなんてこともままあります。まあ、それはさておき最近読んだもので面白かったものを紹介します。


「宇宙への秘密の鍵」
「宇宙に秘められた謎」
「宇宙の誕生・ビックバンへの旅」
 作 ルーシ&スティーブン ホーキング、訳 さくまゆみこ、岩崎書店

イギリスの宇宙物理学者ホーキング博士が、子供たちに宇宙の仕組みを書いた小説。三部作でここ最近三作目の「宇宙の誕生・ビックバンへの旅」の日本語訳が出版されました。

主人公ジョージはいじめられっ子の小学生。豚のペットを追って隣の家に忍び込んだところ、隣の家にはアニーという女の子とお父さんのエリック、そしてコスモスという偉大なコンピューターがいました。エリックは天文学者で第二の地球を探しています。偉大なコンピューター「コスモス」はドラえもんのどこでもドアのように、宇宙のあらゆるところに通じる窓を作ることができます。ジョージとアニーはどこでもドアを使って宇宙のあちらこちらに旅をしますが、ジョージの学校の先生は実はエリックと昔研究をしていた同僚で、コスモスを奪い取ろうと…

子供向けの本ですが、はっきり言っておもしろい。どんどん読めてしまう。途中途中にコラムがあって、やや高度なことが書いてあったりします。結局3日間で三冊読んだ。

「宇宙への秘密の鍵」は地球生誕の謎、ブラックホールなどについて、「宇宙に秘められた謎」は宇宙探査の歴史や地球外生命体の可能性、「宇宙の誕生・ビックバンへの旅」はビッグバンについて素粒子のはなしまで書かれています。

大人にもおすすめです。


「バーにかかってきた電話」
 作 東直己、ハヤカワ文庫

大泉洋さんが主演の映画「探偵はBARにいる」の原作。札幌を舞台に、特にすすきの中心にした探偵小説です。まだ映画は見ていませんが、大泉さんはどんな演技しているのでしょうか。


「日本人なら知っておきたい日本文学」
 作 蛇蔵 & 海野凪子、幻冬社

「日本人の知らない日本語」というコミックが一時人気になり、ドラマ化もされました。蛇蔵さんの絵で、日本語学校の日本語教師、海野凪子さんが外国人に日本語を教えたときのエピソードなど面白おかしく書かれていました(現在2巻まで)。その二人が日本の古典の作者をコミックで紹介しています。清少納言が思ったことをすぐ口にするOLみたいだったり、紫式部は天才であることを隠したり、菅原孝標女(更級日記)がおたく少女だったり・・・。わらいながら読める古典人物史。


「不思議の大地 なまら北海道」
 作 千石涼太郎、廣済堂出版

今年の初めぐらいに「北海道ルール」という本が出されて、北海道に住んでいるとわからない北海道独特のことを紹介していました。千石涼太郎さんはこの本よりもずーーっと以前から、北海道人の北海道特有の気質、習慣などをエッセイにしています。
千石さんの新刊です。今回は「おばさんは美容室ではなく、理容室に行く」からはじまり、北海道に住んでいるとなるほどと思ったり、えーこれって全国区でなかったのと驚いたり。暇つぶしにはいい本です。


「昭和の名人 完結編 19 五代目三遊亭圓楽」
 小学館、サライ別冊

えーー、これは別に本というよりCDムックなんですが。「落語」です。3年ぐらい前にサライから隔週のムックとして「昭和の名人 決定版」というのがありました。昭和の落語界を背負ってたった名人たちの代表作を聞かせてくれる。三遊亭圓生、古今亭志ん生、志ん朝、柳家小さんなどなど。1年置いて第二弾の登場。毎回買っています。今回は一昨年亡くなった三遊亭圓楽師匠、笑点でおなじみの。「決定版」のときは御存命だったのですがもう登場しました。

昔から落語が好きで、STVラジオで日曜夜8時ごろ「STVホール名人会」をよく聞いてました。じかに寄席に行ったり、ホール名人会とかはいけませんでしたが落語の本など買って読んだり、カセットに撮りだめしたり。ここ最近は病院への行き帰り(車で30分ぐらいかかるので)に聞いています。人情話はなかなか30分では終わらないのですが滑稽話などちょうど移動中にはよくてハンドル握りながら車の中でばか笑い。(周りから見たらきもちわるいだろうなぁ)


さて、今回はこの辺で。おあとがよろしいようで・・・。
投稿者外科部長 紀野 泰久
I still have a dream.
2011年11月07日
人は齢を重ねる毎に夢を失っていく。殊に仕事に於ける夢は、早ければ10代で失う輩も多い。夢多き医師も例外ではない。
多くの日本の医師は大学の舞台を降りると同時に夢を諦める。
私は北海道大学を卒業したが、直ぐに道から逸れてしまい、札幌医大の録を食むことになった。私は公私共々大切なものを失ってしまった。歴史は取り返しがつかない。
しかし、私は医師人生上最も幸運な機会に恵まれた。それは札幌医大救急部での治療経験である。
私の才能は非常に小さなものである。しかしその小さな能力でも、最大限に発揮できる機会があったとすれば、それは三次救急施設における重症四肢外傷の治療現場でしかない。
私は、あの救急部での10年のなかで、「何か」を掴んだと確かに思った。
私の仕事上の世代にトップを走る医師がいた。奈良医大救命救急センターの稲田有史講師である。私は彼には遠く遠く及ばない。
しかし、「彼が掴んだものが何か」を知るところまでには到達できた、と思っている。アマデウスに対するサリエリには成れたかもしれない。
私は凡夫である。しかしだからこそ出来ることがある。
この「深淵な重症四肢外傷治療の真髄」を伝える体制を作り将来に備えること。これは天賦の才能を与えられていない凡夫だからこそ出来ることに違いない。
私には伝えたいことがある、そして伝えることがある。
私は、どうしても「重症四肢外傷治療の歩き方」を伝えなければならない。アマデウスの声を聞く凡夫は、もう現れないかもしれないからだ。
私は、札幌医大から札幌徳洲会に流れ着いた。幾人かの医師には幾許かの想いは伝えられたかもしれない。
しかし未だ私の仕事は終わっていない。私にはもうあまり時間がない。
それゆえに、私は常に仕事の「機会と場所」を求め続けなければならない。
私には未だ夢がある。
今、これからの数年、夢を伝える「窓」を開けようと思う。
そして数年後、満足してその「窓」を閉められることを、私は強く強く願っている。
投稿者副院長 土田 芳彦
医者になって思い知る男と女のちがい
2011年10月31日
医者になって20年がたつ。最初に札幌市内の外科の病院に就職し、多くの手術患者さんの治療を経験させて頂いた。そこでは、食道がんをはじめ、大手術を受ける患者さんが沢山いらっしゃった。大きな手術を受けると、最初の数日間は全身が緊急事態に対する反応を示し、1週間くらいは一刻も目を離せないくらいの不安定な時期が続き、やがて安定期を迎える。そんな患者さんたちのケアを新米の医者達が任され、かたずをのんで見守っているのである。そういう任にある我々が数年たって慣れてくると、口々にこんな事を言うようになる。
「今度の手術、男だっけ?」「そーだよ、しかも元どっかの会社のお偉いさんだったみたいだよ、、」「そうかあ、心配だなあ、やばいね。」

ICU症候群という言葉がある。重症でICU(集中治療室)に居る患者さんが精神的におかしくなり、目がぎらぎらし不眠に陥り、叫んだり暴れたりする精神的な危機的状態をさす。今風に言うと、「壊れてしまった」状態。そして、この症候群は圧倒的に男性に多いのだ。社会的地位が高く、手術前は気丈に振る舞っておられたような方に限ってプッツンと切れてしまう事が目立つ。              
女性はどうかというと、死の淵の逆境にあっても、淡々と落ち着いておられる方が多い。まさに肝っ玉母さん達だ。単に精神的な事だけでは無い。身体も含めて、手術のあとの危険な時期を安定して乗り越える力は圧倒的に女性の方が強いと思う。貧血や、低酸素状態といった危機的状態に対する耐久力が女性の方が強いという事、医者ならば誰でも感じていると思うが如何でしょう。
 
 その後、徳洲会病院で救急医療を担当する事になった私は、ここでもまた男と女の違いを思い知る事になった。
うら若き女性達が睡眠薬とか風邪薬とかをたくさん飲んでは救急車で運ばれて来る。毎晩この光景は繰り返されるほど、ありふれている。 彼女等の多くには、手首に何本もの幾何学模様の筋が刻まれていた。アフリカであれば、おしゃれでこんな模様を体に彫る女性もいるでしょう。でも、彼女達の目的はそれでは無さそうだ。いわゆるリストカットを繰り返した歴史の証明なのだ。
めったに死に至る程の重症に至らず、殆どの女性達は翌日になると、けろっと「ありがとうございました。」と、すっきりした表情で帰って行く。残された我々は、戸惑ってしまう。この幸せな日本、もっとも住みやすい街とされる札幌。人生のなかでも輝かしく、愛らしい女性の時間の真っ只中にある彼女達。何を想い、何を目的に救急車でやってくるのであろうか、、
これが、男性が薬を大量服用してやってきたとなると、ちょっと事情は違う。大抵は、ちゃんと合点がゆく事情があるのだ。リストラされた、うつ病が悪化した、彼女にふられた、等々。薬の飲み方も半端ではなく、死んでしまう確立も高くなる。リストカットの跡がみられる事は滅多になかった。

そして、今、私は北海道徳洲会外傷センターで修業させて頂いている。
その整形外科領域でも、また、男と女の違いを痛感している。
「先生、膝が随分前から痛くて、この1週間は特にひどいんですよ。」年齢はと言えば、子育ては随分前に終わったほどの女性達が大挙して外来に押しかけて来る。 
膝だけでは無い。腰やら肩やら、お尻やら、色んな所が年齢とともに痛くなる事に多分、男も女も無いでしょう。
違うのは、希望される治療の内容だ。女性患者さんの多くは注射の治療を受けることに殆ど抵抗が無く見える。膝やら肩やらの関節にヒアルロン酸なる潤滑油の様な物質を注射する治療がおおはやりである。この注射がまた、ひどく痛いのだ。どろどろしているし、針も太い。流石の女性達もじっと息をこらえて痛みに耐えている。でも、2週間もすると、また、注射にやってくる。「注射の痛みは一瞬で、数日くらいは楽だからねえ。」何と、痛い注射の効能は数日くらいしか無い、というのだ。
一方、男の患者さん達は注射されると余りの痛みに懲りてしまい、たまたまやってきても、「先生、あの注射だけはやらんでくれよ。」ってな具合。

短絡的に、だから男と女は違うでしょ、と言う事は一応科学者の端くれである医者たる者、しません。実際、上に挙げた話には例外も沢山ある。だからと言って、男女差が無くなってきている、なんて事も単純には言えない。科学的に言う為には、統計学的手法にのっとって証明しなければならない。
 私が、幸せだと思う事は、医療者と言う立場、別に科学的な研究をしようが、しまいが、こういう経験を一杯させて頂ける事。それをネタにお酒の席を大いに盛り上げるチャンスがある事、ひいてはそれがまた、男と女の諸問題を考察する貴重な経験を惹起する可能性を高める事である。
投稿者副院長 田邉 康
リレーエッセー
2011年10月24日
この夏はいろいろとやることが多くて8月に墓参りに行く時間が取れず、結局9月の後半になって郷里の十勝に私の弟と一緒に墓参りに行って来た。
母は老齢のせいで身体のあちらこちらが不調で今回は同行出来なかった。
父方の墓参りが済んでから母方の墓参りにレンタカーで向かった。
子供の頃、お盆と正月の年に2回、母の実家に兄弟皆でバスに乗って遊びに行くのがとても楽しみであった。
母の実家は開拓農家で本州から北海道に渡って来た私の曾祖父の代は大変な苦労をしたらしい。冬を生き延びることで精一杯であったようだ。
墓参りが済んだ後に母の実家に立ち寄って母の兄夫婦と従兄弟夫婦に挨拶をした。この日は、翌日に他に立ち寄るべき用件があったので母の実家に40年振りに泊めて頂いた。夜は叔父夫婦と従兄弟夫婦と久しぶりに歓談した。
子供の頃に遊びに行った折にあったいろいろな思い出話やら父方の祖父と母方の祖父の思い出深いエピソードをもとに大いに笑いこけたところもあった。
そして思い出したのは、お盆の時は8月15日の正午になると遊びに行っていた我々兄弟は勿論、従兄弟達、子沢山だった母の兄弟つまり私の叔父、叔母達も皆が一斉に黙祷を捧げた姿だった。
母の長兄はサイパン島で戦死した。次男であるこの度お世話になった叔父は海軍に志願して父島から帰還した。三男の叔父は満州の援農に行き、帰った後も兄達の留守を守って父母を助け実家の農業を一心に手伝っていたが馬橇の調整中に馬に頭部を蹴られたのがきっかけで外傷性の脳脊髄膜炎を患って死去した。既に60歳代で亡くなっている私の父も陸軍の航空隊に所属していて北海道で終戦を迎えた。
お盆に私の父も叔父達も酒を飲みながら戦争中の生々しいエピソードを語り、周囲にいた他の叔父や叔母達も熱心にそれに聴き入っていた姿を思い出した。
軍隊経験の無い年下の叔父、叔母達も母の実家で米軍の戦闘機に機銃掃射を受けた経験があったのだ。
それぞれの立場から戦争の経験と自分の考えを述べていた。母方の祖父はそれらの話をじっと聴いていたが特にコメントも反論もした様子は無かったように記憶している。
そして、この40年の歳月の間に様々なことがあったし、それぞれに年齢を重ねて来た事を実感した。叔父は下肢の血管を患って杖を使いながら歩いている。
そして翌朝に母の実家の周辺を案内してくれた叔父のその歩く姿はゆっくりとした跛行であった。十勝の農業の発展に貢献した一人としての雄々しい老兵とも映る姿をそこに見たように思った。
叔父は私の父とは数ヶ月しか誕生日が違わない。どうしても叔父と父親が重なってしまう。大切にしたい存在だ。
戦後数十年を経過して我が国は今日の繁栄を築き上げた。戦後の大変な時期を経て生き残った日本人がこの国の荒廃した国土から今日の姿にまで多くの力を注いで来た。道路も鉄道もダムも港湾も建築物も、流通も教育も医療も、国民生活を支える重要な基本を営々として築いて来たのだ。
脈々と流れ続ける先祖からの血脈は勿論、我々国民のひとりひとりが親から子へと引き継いできたたいまつは今も途絶えることなく今後へとまた引き継がれて行くものと信じる。
我が国は、世界で超高齢化社会の先頭を走っていると言われる。
外来で診察させて頂く高齢者を見る時、ついその人の誕生日をみて昭和20年8月15日にはこの人はいくつだったのだろうと考えてしまう。
私の父や母、そして叔父、叔母達の姿と重なってしまう。
大変お世話になっている人達を今診させて頂いているという想い。
この方達もかつては皆若々しく活気に満ち満ちて生活し労働していた姿を想像する時、この国を築き上げ、支えて来た数多くの名も無い日本人の先達たちに対する感謝の気持ちがいやが上にも湧いて来る。
人生の大先輩達を感謝の気持ちを込めてそして敬愛の念を持って大切に診させて頂くことが、世界のトップを走る高齢化社会の創造的先駆者としての日本が
益々世界の注目を集める試みを展開して行く上での大きな拠り所となるのではないかと思う。
認知症の問題、医療を支える経済的基盤、家族を支えるべき構成員の生活形態や恕リがり方の変化等、試みを実のあるものとして結実させて行く前に横たわる様々な障壁を如何に問題解決していくのか、我々の前には挑戦に値する未知のフロンティアが拡がっているようだ。そのフロンティアを認識出来た時こそ開拓者魂が発露して行く起点なのかも知れない。
投稿者副院長 小野寺 康博
「2001年の世界」
2011年10月17日
「かがくしゃになる」、というのが、私の小さい頃の夢でした。おそらく、テレビで1963年から1966年に放送されていた、鉄人28号の敷島博士や、鉄腕アトムのお茶の水博士(なぜか、アトムを作った天満博士よりお茶の水博士のほうが好きでした)に影響されてのことと思います。リモコンで動く鉄人は、太平洋戦争末期に作られたものでしたが、善悪の判断もできる電子頭脳をもつアトムは、2003年に誕生することになっていました。
小学校高学年になる頃のある日、よく行っていた本屋さんに、「2001年の世界」という本が置いてありました。表紙には、超高層ビルと、透明チューブの中を進む、車輪のない電車のような乗り物、宙を浮いて進む自動車がカラーで描かれていました。およそ30年後の世界です。結構立派な装丁だったので、店員さんの目を気にしながら、本をケースからだして読んでみました。2001年の乗り物、宇宙ステーション、都市の姿、海の開発の挿絵に目を引かれ、その本が欲しくなりましたが、お小遣い2ヶ月分の価格でしたので、その日には買えませんでした。その後も数日ごとにその本屋さんに行っては、売れてしまっていないかを確認していましたが、ついに、貯めたお金でその本を手に入れることができました。
二十一世紀の生活、宇宙開発、地球開発、原子力、エレクトロニクス、医療(病気のない世界、と紹介)、超スピードの時代(乗り物)、と章が進み、二十一世紀の日本が紹介される内容です。最も記憶に残ったのは、核分裂反応と違って安全・クリーンなエネルギーであるとされる核融合反応による発電計画と、ベーリング海峡(シベリアとアラスカの間)にダムを造って、北太平洋を温暖化させ、北国の農業環境を改善するアイデアです。当時はまだ、科学の進歩による人間にとっての便利な生活を求めていた時代で、それは、自然環境に対する配慮を欠く時代でもありました。
数年前に、古書店で、この「2001年の世界」を入手し、また読んでみることができました。最終章の付録に、2001年までの科学の発展の年表がありました。1980年頃に、タンパク質の合成が盛んになり、癌の良い治療薬が発見、1985年に核融合の平和利用(30年以上の遅れ)1980年代に家庭用電子計算機(実現済み)、壁テレビ実用化(15年から20年の遅れ)となっており、この本に書かれている予定からは、現実は約20から30年遅れていることがわかります。
とすると、子供の頃、心をときめかせてくれた、様々な発展、開発、発見を、まだこれから10年20年の間に体験することができるではないですか。
「2001年」は10年前のことですが、「2001年の世界」は、私にとってはまだまだ未来のお楽しみであり続けてくれることでしょう。
        (参考図書:2001年の世界、謝世輝著、偕成社版、1969年)
投稿者副院長 小谷 裕美
「医師リレーエッセイ」をはじめます。
2011年10月14日
このたび当ホームページにおいてしばらく更新が滞っていた「医師リレーエッセイ」を再開することにしました。札幌徳洲会病院に所属する医師により、週替わりで文字通り「リレー」していく予定です。当院に所属する医師が、普段どのようなことを考え、どのような事に興味をもっているのか、なるべく幅広い意見、考えをエッセイに反映するため、今回は特定のテーマに限定せずに各医師に原稿を依頼してあります。
このリレーエッセイが、当ホームページをご覧のみなさまに札幌徳洲会病院をより身近に感じてもらえるきっかけになれば幸いです。
投稿者ホームページ委員会長 片田 竜司
三上先生からのお手紙
2011年06月22日
前略

先日は突然訪問し、申し訳ありませんでした。先生にお会い出来たので大変有意義でした。

御存知のように、私は、1期目森先生、2期目佐藤先生の後に3期目として昭和62年札幌徳洲会病院で研修致しました。同期は、現副院長の小野寺先生、前野先生、富樫先生、練合先生、品田先生、そして私の妻のむつみの大量入局でした。

貴院での3年間の研修で、他のコースに進んだ同期より数倍の西洋医学的研修が出来たと思います。

縁あって八戸のA病院の開設に参加することになり、精神科160床、内科40床の内科医長(私一人しかおりませんが)として、妻と共に赴任しました。ある時、病院の事務職員が風邪をひいて、私が診察しPL?を処方しましたが、院内で何故か私に対する異様な雰囲気を感じるようになりました。後日判明したところでは、その職員にはPLが効かなかったとようで「ウチの内科の先生は、風邪も治せない(ヤブ医者)」との風評が広がっていたようでした。

大病院の内科部長や大学病院の資格というキャリアをもって赴任したのならともかく、青森県内ではほとんど認知の無い札幌の徳洲会病院から、何のツテもなくやってきた私にとっては、大変な試練でした。医学生時代に東洋医学研究会に6年間在籍し漢方の知識があったので、その後は、風邪に対して漢方治療をする事に決め、結果、失っていた院内での信頼を勝ち得たのです。

A病院勤務時代に忘れられない思い出があります。私自身が水虫に罹ってしまったのです。西洋医学の軟膏で簡単に治ると思ったのですが、数種の軟膏もまったく効果がなく、水虫に対する薬剤も経口する様になり、おかげで当時、郵便局の簡易保険に入れませんでした。経口剤も効果がなく、「今まで水虫の治療を、他の患者さんにしてきたのに、西洋医学がこんなに効かないものとは・・・」と打ちのめされてしまいました。その当時、患者さんを診察する際には右手の水虫の患部を見られないように必死で隠したり、スーパーでもレジで支払う際、店員に右手を隠して左手で支払いしたりと、そんな苦労話には言を欠きません。それより何よりも患部の炎症がひどく、夜も眠れない状態となりました。同期の皮膚科の友人に経緯を話し「炎症を抑える為だけでもステロイド軟膏を使ってもよいか」聞いたところ、「可」との事でしたので、ステロイド軟膏も使用しましたが、これもまったくダメでした。

そんな時、思いあまって使ったのが、当時A病院でたまたま採用していた漢方薬『治頭瘡一方』でした。これを一服飲んだ途端あの水虫の痛がゆみが、あっという間になくなってきたのです。
その時の顛末は、医学書院より分担執筆で『水虫の漢方治療』にまとめました。これは約20年前、京都で開かれた日本東洋医学会に、この経験を発表したところ、大変注目を浴び、医学書院からの執筆依頼でまとめたものです。
最近では慢性腎不全を漢方薬で治した例があります。これは、昨年の日本東洋医学会東北支部会にて発表し現在は学会誌に投稿準備中ですが、内容は、約10年間の経過中に、最悪時は年平均クレアチニン値が2.0?/?を超えていた患者さんが、漢方薬で最近は0.8?/?前後で安定しているというものです。漢方の世界でも当然、腎不全が治るという発表は過去にありませんでした。

現在の私のテーマは、「漢方と西洋医学の統合」です。過去の先達も多くトライしてきましたが、誰も成し遂げられていません。最近は、これに対する大まかな骨格が把握できる様になり、治療上で困る事がほとんどなくなってきています。

札幌徳洲会におかれましても、西洋医学で難渋する例には漢方の視点を持っていただければとの願いを持ちつつ雑文を閉じたいと思います。(尚、文献等希望があれば御連絡下さい)
新病院の落成を心待ちにしております。

早々

八戸市下長三丁目21-19 下長内科クリニック
三上信久
投稿者
「災害医療活動に参加して」
2011年04月27日
4月6日?11日までTMATの東日本大震災災害医療活動に参加しました。

私は宮城県古川市(現,大崎市)の出身であり,幸い身内への被害はありませんでしたが郷里の被災者の方々の少しでも力になれればと思い参加しました。

4月7日,仙台徳洲会病院の救急外来を担当後,4月8日早朝に今回の津波にて甚大な被害を来たした宮城県南三陸町に向け出発しました。同町に入ると町は瓦礫と化しており,想像以上の惨状に息を呑み,『津波さえなければ』と思うと胸が詰まる思いがしました。
避難所である『ベイサイドアリーナ』という総合体育館内に設置された仮設診療所にて,同日午後から診療を行いました。大半は高血圧症や糖尿病等の定期処方,感冒・花粉症・急性胃腸炎等の疾患が中心でした。入院の適応となる患者もおり,診療所内で可能な簡単な血液検査や胸部・腹部レントゲンといった限られた検査での確定診断は困難であり,脳梗塞や急性腹症などの疑いにて他院への搬送が必要となりました。津波のため,地元の中核病院であった公立志津川病院が壊滅的な被害を受け再開の目処が立っていない現在,入院を要するような患者においては,(救急車でも)1時間以上要するような遠隔地の病院への受診が必要な状況であり,ライフラインの途絶のみならず,医療の面においても不自由な生活を強いられている被災者の方々の現状を痛感しました。

災害医療への参加は初めてであり,当初は様々な不安がありましたが,一緒に参加した医師・看護師・薬剤師等のスタッフの方々にも恵まれ,初対面にしてはチームワークも良く,充実した仕事を行うことができました。ようやく仕事にも慣れたところで離れることとなり,最後は名残り惜しい気持ちで一杯であり,微力ではありましたが達成感からか感無量でした。このような機会を与えて頂いた病院関係者・TMAT関係者・一緒に仕事をさせて頂いたスタッフの方々に心より御礼を申し上げます。

被災地の一日も早い復興を心よりお祈り致します。
投稿者消化器内科医長 佐藤康永
がんばろう日本:徳洲会も応援します
2011年03月31日
その時私は、数時間後に迫っていた実父の通夜を家族葬にて執り行うべく、実家で最後の準備をしていた。3月11日午後2時46分、札幌でも強い揺れを感じた。早速テレビのスイッチを入れたが、緊急地震速報と津波警報が流れてきた。三陸海岸を中心とした東北地方では、8メートルにも及ぶ巨大な津波が、これから短時間で襲ってくる可能性が大きい旨の報道であった。その後札幌でも2度ほどの余震が感じられた。画面に映し出された光景は、想像を絶するものであった。幾多の町並みが,成すすべもなく瞬時に飲み込まれてゆく。さらに高台にやっとの思いで逃れる事のできた住民の呆然とした表情が映し出されていた。余りにも突然で、警報を察知できない方たちも多数居られたことであろう、病院などでは寝たきりの療養生活を余儀なくされておられる方々も少なくないであろう、学校に居る児童、生徒たちは無事避難できたであろうか、瞬時にいろいろな思いが駆け巡ってきた。翌朝僅かな時間見ることのできたニュースで、被害の甚大性を再認識した。
 
その後は亡くなられた方や行方不明の方々の人数が、日増しに多く報道されるようになった。また被災場所は十分確保できるのか、被災者の方々の食料はうまく行き渡り、健康状態は保たれるのか、病院などでの医療は少しでも本来の体制を維持できるのか、特に透析療法の如き、生命の維持に直結する医療業務の継続は可能なのか、などの不安が強くよぎって来た。 

我が徳洲会は、NPO法人TMAT(徳洲会医療救護隊)がいち早く各地より出動し、東北地方の拠点病院である、仙台徳洲会病院で現地の救援に当たり、更に被災地へと進んでいった。日々の活動は困難を極めているが、医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、事務職など多方面のエキスパートによる献身的な努力が現在も続いて行なわれている。 

被災地の透析医療は、水、電気などのライフラインが壊滅的被害を受けたため、早急に非被災地域の透析施設による代替治療が迅速に要求される。日本透析医会は、被災地の透析患者さんを、東京都、千葉県などの近隣の施設に搬送するのみでは不十分であったため、航空自衛隊の輸送機で宮城県の松島基地より北海道の千歳基地まで80余名を救急搬送していただいた。これには阪神淡路大震災の教訓が生かされた。札幌徳洲会病院は最多の8名の患者さんの入院をお引き受けし、血液透析を継続することになった。当院に長旅より到着された患者さんは、流石に疲労の色を濃くしておられたが、入浴、夕食を済ませると皆様は、久しぶりに楽になりましたと、笑顔で答えられた。病棟および透析センターの看護師、臨床工学技師、栄養士、薬剤師、事務職の皆さんも、自分たちのそれぞれの専門領域で何をすべきかを十分理解して患者さんたちに接していただいた。病院スタッフと患者さんが次第に打ち溶け合って、様々な身の上話などもできるようになり、当院に外来通院している他の患者さんたちとも交流を深めることも可能となった。 

北海道に搬送された患者さんは、長時間の移送に耐えねばならなかったため、歩行、食事および排泄、コミュニケーションがある程度自立していることが必要であった。被災地には移動もままならぬ透析患者さんも、多数居られるものと思われる。何とか全ての患者さんに対して、普段と同じような治療ができる体制を作り出して欲しいものである。また遠隔地に来られた患者さんは、長期間家族と離れて暮らさざるをえない状態を余儀なくされることになる。何とか家族も患者さんの元に参集できるように、住宅などの施設を提供することができないものかと痛切に願っている。実現するためには国家、地方自治体さらに社会の協力が是非とも必要であろう。 
 
人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちが今できること、それはこの大会を精一杯元気を出して戦うことです。がんばろう、日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。 
これは3月23日に開催された選抜高校野球での、16年前の阪神淡路大震災の年に生まれた、岡山県創志学園の野山主将の選手宣誓の一部です。宮城県の東北高校は、甲子園に出発する直前練習の最中に被災した。その後彼らは野球の練習より今やらねば成らぬ大切なことがあると、被災地でのボランティア活動に打ち込んだ。そして出発の際には多くの被災者の熱烈なエールに送られて甲子園に乗り込むことができた。 
 
 がんばろう、日本。いかなる人も一人では生きて行けないのだから。徳洲会の全ての人も皆で頑張りましょう。 
投稿者透析腎臓内科部長 横山 隆
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