Episode1
接待を伴う店
コロナウイルスが流行り始めたころ、ススキノの接待を伴う店で流行っている。と聞いた。N副院長に
「どんな店ですか?」と聞くと
「OOボーイといって、女性が抱きついて男性の膝に上に乗るようよ。」
「それは濃厚感染しますね」
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ところが、一時コロナウイルスが消退して、ススキノの時短が終了したときに、いきつけの某スナックに訪問したときのことである。
「あれ?」
「テーブル席が隅っこにおかれている?何故?店の従業員が減ったの?」
「接待を伴う店って聞いたことがある?」
以前に聞いた話をすると、
「違うよ!。」
「通常、接待を伴う店とは、隣に座って、お酌をしたり、お酒を造ったりする店すべてを示すの。」
「え?」
「カウンターでお酒を造って、渡すのは接待を伴う店とはいわないの!」
「それでOKなの!」
「それを守れば協力金3万円がもらえるの。」
「たから、テーブル席をかたずけたの」
「へーーーーーーー?」
「何かいいかげんだなあ」。
Episode2へ続く
薪を背負って歩きながら本を読み勉強をする、勤勉の象徴とされ銅像になった二宮金次郎こと二宮尊徳さん。
最近では歩きスマホを助長するとかで学校から撤去されたり、歩きながらが危ないからと座学の像に変更したりするところもあるそうで。
じゃあ座ってる時は別に薪を背負わなくても良いよねとなってただの読書像になり、さらに本がタブレットに変更された像まであるとか。
いろいろなことが時代とともに思いもしない方向へ変わっていくものです。
私自身は以前から趣味のランニングの際には音楽を聞いています。ワイヤレスイヤホンへの進化によってスポーツタイプも増え、首や腕に絡まること無く、快適に聞きながら走れるようになりました。またポッドキャストの普及によって、音楽だけでなくニュースや趣味の情報サイトの選択肢が増えました。
さらに最近はVoicyなどの音声プラットフォームが始まって、大手企業やプロダクション所属の人でなくても、気軽に頻繁に発信される情報に触れることができるようになってきています。
以前は走ること自体が目標で、音楽やニュースが耳から一方的に流れてくる状態でありました。それなりにランに集中していると内容を頭の中で受け止めることは難しくて、通り抜けていくという感じです。しかしここ最近はランニングではなくてジョギングにする時間が増え、のんびりした状況には対話形式のポッドキャストや、ちょっと考えさせる音声プラットホームを聞きながらが大変マッチしているなあと思っています。もしかしたら、ちょっと考えながらなので走りものんびりになるのかもしれません。
地下鉄通勤の際にはノイズキャンセリング付きのイヤホンをして音楽やポッドキャストを聞いています。もちろんこちらのほうが集中して聞けるのですけれど、ちょっと集中しすぎてしまうというか、なにか軽く考え事をするには軽く走ったり、歩いたりしながらが程よいのかなとも感じています。公園とか、歩行者自転車専用道路とか、河川敷などが良いですね。
屋外での運動の際には、ノイキャンのイヤホンは大変危険かなと感じます。スポーツタイプではないので走る時はしていませんが、歩いている時でも周りの音が遮断されてかつ内容に集中しすぎてしまうと事故の元。最新のイヤホンはよくできていてノイズキャンセルをオフにしたり、補聴器のように周囲音を増強してくれるものまでありますので、オンにして集中するのは安全な場所でと。耳から入る音を妨げない構造のイヤホンも良さそうですね。
骨伝導式ワイヤレスイヤホンをつけた二宮金次郎像、けっこう良いのではと思うのですが
緊急事態宣言の延長が決定した。数週間の期間を再延長するのなら、最初から月単位の期間を設定すればいいのに、とは思うがそうはいかない事情もあるのだろう。
こういったコロナ対策が行われてからは、大好きなクラフトビールも飲みに行けなくなった。そのかわり、通販サイトで購入したビールが冷蔵庫を占拠する事態となっている。冷たい視線を感じながら家でビールを飲む日々である。
そんなビールを飲みながら、昔見たテレビドラマのことを思い出した。もう20年以上前のドラマだ。ある街にウイルス感染が広がり、感染した大人たちだけが命を落とし、子供たちだけが残される。感染拡大のため街は封鎖され、子供たちだけの街を築いていくと言った内容であり、まるで現在の状況に近い内容が描かれていた。そのドラマに付けられたキャッチフレーズは「全部なくなった。みんな気がついた。やっと気がついた。」だったと記憶している。
そうならないように、コロナが収束し、多くの努力が報われる日が来るのを願うばかりである。
「ザウアー」と「クラウト」はドイツ語でそれぞれ「酸っぱい」「キャベツ」という意味らしい。酢キャベツだとあまりに身も蓋もありませんが、「ザウアークラウト」となると、何かおしゃれっぽい雰囲気を醸し出していませんか?
このザウアークラウト、これが実に優れモノで、毎日ランチのお供にと職場に持参するようになってもう1年近くなります。
何が優れモノかというと、先ず安い。一時キャベツも1玉300円近く値上がりした時もありましたが、たいていは200円あればお釣りがきます。
また、簡単に作れるところがこれまた素晴らしいところです。適当にザクザクと切って重量の2%程度の食塩を加え、お好みでキャラウェイシード、胡椒、クローブ、ローレル等手元にあるスパイスを加えて揉み込み、100均のガラスジャーに詰め込めば終わり。あとは待つこと2-3週。
味のバリエーションも幅があってうれしい限りです。
漬物石は使わない代わりに、しんなりしたキャベツをガシガシ圧迫して瓶に詰め込んでいきます。キャベツの一番表の硬い1,2枚は折りたたんで、最後に中蓋のようにして空気に触れないように圧迫するとよろしいようです。切り出した芯の部分は、作りながら齧っておやつ替わりになりますし、硬い元の部分はおみそ汁の具にもなって、本当にフードロスゼロの優等生でもあります。
季節によって塩もみしても水分が不足するようであれば、2%の濃さの塩水を追加してヒタヒタにしてあげるのもいいかもしれません。
キャベツ1玉が1Kg 前後ですから、500mlのジャーが2つあれば事足りることになります。毎日途切れなく楽しむのであれば、2瓶を消費中に残りの2瓶を仕込み、ジャー4瓶を使ってローテーションを組めば切らす心配もありません。
それに、見るからに食物繊維が豊富そうで、さらに乳酸発酵しているわけだから健康にもよさげな印象を受けませんか?実際の効能の有無はわからないですが...
普通にご飯の上にのせれば、キャベツ丼としても単独で十分美味しいですよ。カレーにトッピングしても邪魔しないですし、カップ麺に追加すれば罪悪感も少しは減少するかもしれません。他にも、ソーセージのスープに入れたり、ポテサラに混ぜ込んだり、サンドイッチにパスタと何にでも合う万能食材のできあがりです。
いかがですか、興味が湧いてきませんか?一度試してみたいと思いませんか?今度スーパーでキャベツと目が合ったらその時が運命の出会いです。
素敵なキャベツとの出会いができますように。
注)発酵途中は時々ガス抜きを忘れないでください。忘れていて急に開封すると吹き出してしまいますよ。
夜、子供たちを寝かす時、電気を全部消した後、時々韓国の昔話を聞かせたりしました。最近は昔話を聞かさないと、子供たちが眠ろうとしません。
その時に聞かせたりする韓国の昔話を紹介したいと思います。普段、子供たちには韓国語で話を聞かせてあげていますが、今回それを日本語で翻訳してみました。
「三年峠」
昔々、ある村に、高い峠が一つありました。
人々は、その峠を三年峠と呼びました。
この峠で転んでころころ転がるとその人は3年しか生きられないという伝説のせいでした。
ある日、腰の曲がったおじいさんが, 三年峠を恐る恐る越えて行きました。
転ぶか、転ばないか、とても気をつけて。
一歩一歩踏み出しているおじいさんの前に、うさぎ一匹がぴょんぴょん跳んで来ていました。
驚いたおじいさんはうさぎにぶつからないように避けようとしたが、後ろにばったり倒れて、坂道をころころ転がってしまいました。
「ああ、ワシははもう死ぬんだ。」
おじいさんは、地面をたたきながらわあわあと泣きました。
しばらくそうしているうちに、いつの間にか日が沈んで、おじいさんは力なく家に帰って来ました。
そしておばあさんにこう言いました。
「おばあさん、ワシはもう三年しか生きられないんだ。」
「三年峠で転んでしまった。」
一日一日を生きることの意味がなくなったおじいさんは病んでいきました。。
このうわさを聞いた隣の家の子供がおじいさんを訪ねて来ました。
「あっ, おじいさん、何をそんなに心配するんですか。」
「私がおじいさんが長く住める方法を知っています。」
「さあ、早く起きて、3年峠に行きましょう。」というと、おじいさんは、
「いや、お前のような子供が? そしてそこにはまたなぜ行くの?
「おじいさん、そこに行ってまた転ばないと」
「何だって, また転ばせって? もっと早く死ねというのかよ。」
おじいさんがとても怒りました。
「おじいさん、一度転んだら三年生きるという事ですから、二度転んだら六年ですし、三度転んだら九年じゃないですか。」
おじいさんは子供の言葉に膝をポンと打ちながら言いました。
「ああ, そうだ。すぐに行こう」。
その後、おじいさんは三年峠の上で何度もごろごろ転んだのかも分かりません。
時間が経って3年が過ぎたある日のことです。
おじいさんは三年峠を越えている途中、石につまずいてまた転びました。
「ほほう、もう50回転んだから、これから150年も生きられるね。」
三年峠でごろごろ転がったおかげか、おじいさんは本当に長く暮らしたそうです。
私たちも「三年峠」の話みたいに現在の「コロナの峠」をいつかきっとのりこえるのでしょう。