「私のグルメ お気に入り」 原田 栄志
2020年09月28日

東京から転居して約12年。大学病院の医局人事で 根室市立病院に派遣され最初は新婚時代にコベン(昔の医局では3人態勢で 上からオオベン チューベン コベンと呼んでいた)として4月~6月だけ その後はオオベンとして3年間赴任。妹が教師として帯広に赴任、その後結婚しており私より先に北の大地の住人となっているが、、

札幌に来て、当初はラーメン屋、スープカレー屋、お寿司屋さん等個人でも家族連れでも、あちこちと食べ歩きをしました。が現在ではお気に入りのお店がだいたい確定してしまいました。なので今回は私のお気にいりのお店の話をしたいと思います。

1)ラーメン屋さん

札幌のラーメン屋さんはみそ、しょうゆ、塩等あり、それぞれに創意工夫されていて、どれも甲乙つけがたいですが、、個人的な好みで書かせていただきますね。

山桜桃(ゆすら) 

以前は琴似神社そばにあり、自宅から近いこともありよく家族連れでいきました。現在は西区体育館そばの宮の沢にお店があります。我が家では私が辛味噌ラーメン 奥さんが味噌ラーメン、子供は醤油ラーメンが定番です。チャーシューがものすごく柔らかくて美味しいお店です。琴似のお店は狭く、カウンターしかなく冬場はへたをすると寒空の下でしばらく立って待つのが常でした。ご主人は頑固一徹の職人気質で、お店に入っても、全然無愛想でもくもくとラーメンをゆで、盛り付け、出すという感じで、、でも宮の沢のお店に移ってからは多少愛想が出てきた感じですけどね。山の手高校出身でラグビー日本代表のマイケルリーチ選手なんかも行っていたみたいです。

けやき 

札幌味噌ラーメンの老舗、有名店です。ススキノにあり、知る人ぞ知るお店です。やはり定番ですが、ほっとする味噌ラーメンで、これぞ味噌ラーメンの本家という味です。欠点はやはりお店がカウンターのみの狭いお店で、チケットを購入して外に行列しないといけない点ですね。冬場でもみなさんススキで行列してまっていて、偉いなあと感心しております。東京の友人が来て私は空いているときに行きますけど、、

桃太郎 

今はなかなか寄りにくくなってしまいましたが、愛の里の北海道医療大学病院に毎週火曜日に診療に行く際は、ほぼ毎週火曜日のランチによっておりました。ブラックペッパーの効いた不思議な味のラーメンがお気に入りでした。野菜の多いタンメンも人気のお店で、ランチタイムは混雑すること多いお店です。

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2)スープカレー 

これも札幌発祥で 多数のお店がありますよね。昔宮の森のマンションを借り住まいしていて、西28丁目駅そば 2階にあったシャンチィが最初にスープカレーを食べたお店で、一番のお気に入りでしたが、ご主人が体調をくずされてなくなってしまいました。

SAMA 北海道神宮そばの北1条通りにあります。現在は、我が家はいつもここに食べに行きます。週末は駐車場が一杯で入れないこともありますが、トマトスープやココナツスープなどメニューが豊富で、辛さも0番から20番まで選択でき、大柄の野菜を堪能でき、ピーマンなどの苦手の野菜でも子供が食べてくれるスープカレー屋さんですね。

スープカレーではないですが、豊平峡温泉のカレー

かけ流し温泉で有名で、我が家お気に入りの温泉です。女性陣は最低1時間以上は上がってこなくなる温泉で、四季折々の風情が楽しめる温泉で、おそばも美味しいのですが、、

インド人の作る本場、ナンと食べるカレーはお勧めですね。タンドリーチキンも美味しいですよね、私はいつも一番人気のタンドリーチキンカレー 奥さんはチキンカレーが定番です。ただたまにカレーの辛さが変化するので要注意です(中辛なのに急に辛くなったことがありました。多分インド人のシェフが交代したのだと推測しておりますが、、)ここは手打ちのそばも絶品ですけど、、やはりたいていはカレーにしてしまいますね~。

3)お寿司屋さん

たなべ

ミシュランガイドで三ツ星 今は札幌駅そばの六花亭ビルに移転。以前のススキ&六花亭ビルでそれぞれ1回ずつ食べにいきましたが、美味しいです。が土日など予約がないと入れないし、、それなりの値段がするのが難点。

すし善

こちらも円山にある江戸前寿司の老舗。本店で貸切で好きなものを握ってくれて、塩もこだわって美味しい。が値段が東京のお寿司屋さんと変わらない高さ。最近は円山クラス店での詰め合わせで食べることの方が多いですけどね。

回転寿司 はなまる

根室発祥の回転寿司。最初は根室でも回転寿司なんて と馬鹿にしていたが、ネタが新鮮で地元を漁師さんが食べに行くと聞いていき、我が家ではやみつきに、、

寿司屋なのになぜかざんぎや蕎麦を食べる息子もお気に入り。好きなネタが選べてお腹いっぱいに食べてしまうのが難点。土日はどこのお店も混雑しているのも、、

回転寿司 トリトン

先日テレビで紹介外来されていて、家族で初めて食べに行きました。どのネタも大きくて新鮮でした。我が家の次男坊はやはり東京の回転寿司とはネタが違うと絶賛しておりました。ちなみに次男坊は最近炙りネタ系に凝って、COVID-19の影響で回転していない寿司店で、紙に書いて頼みまくっておりましたけどね。会計で通常のカードが使用できないのが残念ですが、、

新型コロナ感染(COVID-19)が沈静化しないと、なかなか外食しにくい時代ですが、、

たまには家族でおいしいお食事もしたいですね。

投稿者整形外科部長 原田 栄志
「コロナの禍中で」 関山 伸男
2020年09月23日

 COVID-19がパンデミックに世界を席巻している。奇しくも今年はナイチンゲール生誕200年の記念すべき年である。顧みるに少なくとも人類がホモサピエンスに進化してからでも感染症による種の滅亡の危機は繰り返されてきたに違いない。いま遥か昔のそれらを考えるすべはないが、現代科学の発展から見るとずいぶん昔と思われている今から2世紀前のナイチンゲールの時代の感染症の実態と予防の手立てくらいは知ることができる。ナイチンゲールの著した看護覚え書によれば、わずか200年前のロンドンでは毎年10歳以下の子供が25千人も死亡しており、その原因はひとえに家庭衛生の欠陥であると言い切っている。それは、家庭での清潔への取り組みが不十分であること、室内の換気の不足、食事や衣服についての不注意、家の壁塗りや床の清掃の不備、などであろうと。この中で特筆すべきことは、死亡率の高さは子供病院が不足しているためではなく、この清潔への取り組みが不足しているいとの見方である。犬は犬から猫は猫から生まれてくるように病魔は病魔から生まれてくるといった、現代で言えば感染症の概念をすでに持っており、病魔を断ち切るには環境の清潔を実現することが必須であるとしている。 そして、この時代と現在の感染症予防についての方法論にほとんど違いはないのに驚くが、わずかな違いとしては現在には手洗いの代替としてのアルコールが存在していることくらいであろうか。

 現在渦中のコロナに対しての世界の対応はどうであろうか。歴史を顧みないと思われる専門家のすったもんだの結論として、ようやくマスクをかけて手洗いをして換気をよくするなどなどの予防法にたどり着き、200年前の看護覚え書をほうふつとさせる状況となっている。ちなみにマスク着用の効用は、主な感染ルートと考えられる手指から鼻や口への直接のウイルスの伝達をブロックすることにあると強調するべきである。手洗いはこのブロックを補完するもので、もし手洗いでウイルスを除こうとするならば日に何百回も手洗いをしなければならなくなるであろう。もちろん通常のマスクが直接ウイルスをブロックできる訳もないから、少しでも飛沫を避けるために人との距離を保たねばならないのは言うまでもない。

 それにしても、ナイチンゲールは、看護覚え書は看護を学ぶ教科書を目的としたものでもなく、看護をすることを教えるために書いたものでもないと冒頭に述べていて、この本は他人の健康について直接責任を持っている女性たちに考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的で書かれたものであるとも述べている。ナイチンゲールは看護に関連して膨大な著作を残していて、中でも看護覚え書は看護の本質に言及したバイブルのような位置付けにも感じられる中で、一見随分謙虚な書き方と思われる。しかしナイチンゲールは時とともに時代遅れになると思われる教科書のようなものを避けて、いつの時代にも役に立つような問題解決に対するヒントを与えるものとしての書物であることを意図しているものとも捉えることができ、この深い洞察による表現は言い得て妙である。現在も読むたびに新鮮で、現在の世の中の諸問題に照らして考えさせられるのはこのような意図によるものであろうか。

 ナイチンゲールの考え方が科学的に理論構成されて、看護が学問的な裏付けのもとに成り立ものであることを証明した科学的看護論は薄井坦子によって表出されたが、ナイチンゲールが、"医師は生きる力を患者に供給するように処方する、そして看護がそれを供給する"と言っているように、医学と看護学が医療という車の両輪とならなければならないと考える中では、この科学的看護論による看護をもう少し丁寧に実践してほしいものである。

投稿者消化器内科主任部長 関山 伸男
「世代の相違」 小野寺 康博
2020年09月14日

今年は、コロナ感染症の影響で毎年3月末に行う医局の送別会が無く、4月の歓迎会も無い春だった。

しかし、元気でやる気に満ちた研修医の先生達がいつも通り初期研修を開始した。

当科腎臓内科にも早速4月から研修医の先生方がローテーションで回って来た。

それまでにも薄々気付いてはいたので注意して言葉を選んではいたのだが、思わず知らず出てしまう喩え話とか四文字熟語が、その場の理解を助ける為にと思って言ったつもりでも実はあまり良く理解されていないのだということが判って来た。

つい国語の説明に入ってしまうことがある。

今年の6月末で私も満65歳を迎え、無事定年退職の身となった。

幸か不幸か絶滅危惧種扱いの科に数えられる独り科で、業務を引き継ぐべき後継もいなかったため、また私自身も仕事を辞めるという気も全然していなかったため、当初から再雇用の道を当然のように受け入れていた。

勤務時間も出勤日数も受け持つべき患者さんの範囲(病棟、外来、透析)も、今のところは従来と何も変わりは無い。

受け取った書類上は、「定年退職」ではあるのだが、上記の事情で1年毎の更新を前提にこれからも可及的に仕事の継続と研修医の先生方や医学生の方達の教育指導を継続する機会が与えられた。

個人的には大変有り難いことだと思っており、徳洲会に深く感謝している。

こういった調子で仕事を続けることが決まったものの、最近ふと考えることがある。

昨年職員の結婚式に招待された際に、新郎新婦のご両親が私よりお若いのだという事実に今更のように気付いたのが始まりだった。

病棟で一緒に仕事をする看護師さん達も私の子供より若い人達が増えている。

SNSでの短文でのコミュニケーションに慣れているのか、長い話は好まれない。

なるべく簡潔に理解し易くという方向で伝えようと努力している。

元号が令和になって2年目。

私が生まれた昭和は、昭和の世代から見たら明治に該当する。

明治31年生まれの私の祖父が、「一銭」で買えた飴玉の大きさのことや、日露戦争に勝利した時の提灯行列の盛大であったことなどを孫の私に伝えようとしていた時は、はるか昔の事のように感じて聴いていたが、今は私自身が私の祖父の立場になって若い人達に話しているのだなと実感する時がある。

戸籍上の年齢では、既に初老期に入ってはいるが、社会活動に参加し続けている限りはまだ現役だと自分に言い聞かせている。

かつて「青年医師」の定義について読んだ事がある。

それは、意外な程シンプルであった。

「自分を青年だと思っている医師」の事だそうだ。

気持ちだけは、いつまでも青年医師であり続けたいと思い、自分自身がこれまでに多くの先輩医師達にそうして頂いたように、これからもこれまでに自分の中に培って来たもののエッセンスを次代の若い人達に引き継ぎ、伝える作業を可能な限り続けたい。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。

投稿者腎臓内科部長 小野寺 康博
「同窓会」 蘆田 知史
2020年09月07日

全く私事ですが、昨年11月、静岡県熱海温泉で高校(函館ラサール高校)の同窓会があり、友人の強い誘いでわざわざ飛行機にのって参加してきました。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、高校は半分ぐらいが函館市以外のところに実家のある生徒が入学しており、一学年100人ぐらいは学校に付属している寮で生活して通学していたのです。私もそのような寮生の一人で、人生で一番元気だった3年間を男子高校の寮で過ごすという、不潔で空腹な高校生活を送りました。(中には清潔な生徒もいました)。

私は飛行機の都合で、宴会の開催時間に間に合わず、少し遅れて会場につきました。函館ラ・サール高校同窓会会場という、広間に入ると・・・

まったく会場はどこの老人会かと思うような有様で絶句しました。なかには何年かに一度あっていた友人もおり、「お~ アシダー」と声をかけてもらい、やっと我に返りました。

宴会場では高校時代に親しかったけれど、進学先や仕事がばらばらで卒業後には全く会えず、今回の同窓会で実に40年以上ぶりにあえた友人もいました。席順の名簿をみて、名前がわかる友人が多かったけれど。 3年間、寮で同じ部屋で過ごした友人からは、「いやー、電車でお前が前に立ったらおれは席をゆずるわー」とかいわれながら、気持ちはだんだん18歳のころに戻っていきます。つまらないことで笑い転げ、友人が退学するときにはおいおい泣き、くわえタバコで歩いてパトカーに追いかけられた、あの日のころへ。

そのころ私は、本当になにもわからない世間知らずの少年で、札幌やその他の都会で育った友人たちの振る舞いを眩しく感じていました。

XX君のように格好良くラグビーをしたかったし、YY君のように天文学や数学のことを語りたかったし、ZZ君のように、JAZZ に没頭したかったし。

思えば私は。コンプレックスの塊だったかもしれません。

高校卒業後、進学し、医師になり、留学したりして、私はわたしなりに頑張って、そしてプライドもできて、今を過ごしているのだけれど、高校の同級生たちの人生の、いろいろな話を聞くうちに、そうだ、私はお前らのようになりたかったんだ、ということを心の底から思いだしました。そのとき、私は60すぎのおおやじだけど、自分が何者だったか、つくづくわかった気がしました。

以後、私はこの同窓会のことを思い出し、自分がいまなにをすれば自分として満足だと思えるのか、考えてしまうことが多くなりました。

そうすると不思議なことに、本を読んでも、飯をつくっても、犬と散歩しても、これが自分の人生なんだとこころから素直に感じられることが多くなりました。そして私の人生におおきな影響を与えてくれた、友人たちに本当に感謝しています。ありがとうございます。

こんなことはこれを読んでいるみなさんには理解できない話でしょうが、私はそういうわけでまた人生を考える機会を得、友人に恥じないようにがんばって仕事をしたいと思いました。

エッセーなのでこんな妄言ですみません。

今後もIBDセンターをよろしくお願いいたします。

投稿者副院長・IBDセンター長 蘆田 知史
「グルーミング」 中川 麗
2020年09月02日

 感染対策上の問題から、皆で集まることが難しい状況が続いている。たくさんのスタッフの赴任や、旅立ちがあったが、小さく挨拶をするにとどめざるをえない。苦労が大きい時代だからこそ、労い、そして、歓迎したいのに・・・。健康を大切にする今だからこそ、共に過ごせる時間に感謝するのに・・・。

残念だ。

こうして、皆で集まれた頃がいかに恵まれていたかを思い知る今、後悔することがある。それは、お世話になった師長さんが退職し、関連施設へ移動する時のお別れの会だ。まだこんな状況になるなんて予想もしていなかった頃、5階西のナースステーション横、みんなでケーキを分け合った。

その日、私は、ろくに挨拶もせず、逃げ出した。

師長さんは、温かく包み込んでくれる方だった。師長としてスタッフを抱きとめるだけではなく、看護師として患者さんとそのご家族に寄り添い、この病院が開院した時から勤務する技師さんの妻として同僚として家族ごと病院を支え・・・みんなの母だった。

日々の些細なことも含め、診療を支え、知恵を授けてくれた。患者さんがよくなり、次世代が育まれる土壌をつくってくれた。それらはもちろんのことだが、何より、この病院における定年までの最後の数年を過ごす場として、プライマリセンターを選んでくれたことが嬉しかった。

なのに・・・あの時、私は逃げ出した。

正直、ただ、別れが寂しかっただけではない。自分の不甲斐なさと、師長さんに対する畏怖の念。そんな感覚に圧倒されたのかもしれない。涙が溢れて、救急から呼び出されたフリをして部屋を飛び出した。

あの頃、自分の予想を超えるスピードで若手医師が増えた。彼らは私の想像以上に素晴らしかった。そして、瞬く間に診療の範囲は広がり、地域からの期待も高まった。何より私の度量が問われる中、私の成長は遅々と進まなかった。

もともと、器用でもなければ、視野も狭い。目の前の患者さんと自分というそれだけでやってきたのだから、時間がかかるのは当然だ。しかし、彼らは若く、せっかちだ。同じスピードで育たない10歳離れたおばさんに対して容赦ない。日々、息切れしながら彼らの後ろを追いかけることに疲弊していた。

要領が悪い私は、医者である以外は何モノでもなかった。同窓会にも出席したことはない。祖父母の葬儀も、妹たちの結婚式もすっぽかした。父が癌を患っても、見舞いの一つも行かず、初めて甥っ子に会った時には話せた。家族にとってはもはやATMでしかないが、せめて、医者としてなんとか!と、必死でやってきたこの10年分をかろやかに、あっと言う間に飛び越えてゆく次世代を目の当たりにして、自信はなくなる一方だった。

そんな中、定年退職の日を感謝と敬意に包まれて迎える師長さんは、眩しすぎた。

その人望と実績に圧倒された。

でも、全部言い訳。

ただ、ごめんなさい。

ああ、少し肌寒くなってきた。

短い夏が終わり、あっという間に雪が降るのだろう。

昨シーズン、10年ぶりにスノーボードにのってみた。

早朝、綺麗な縞模様のバーンを見るたびに、あの師長さんを思い出した。師長さんのつくってくれた病棟は、まさに、美しく快適なグルーミングバーンだった。

ちょっとコブで遊んでみたり、コース外を冒険したりしても、必ず戻りたくなるところ。安心して自身に向き合え、初心を思い出させてくれる場所。

今、新しい師長さんが、新しい日常の中で苦労するスタッフたちを束ねる。新しい時代に準備されるバーンも味わい深い素敵な場所になってきた。

さて、私には、何ができるかな。

悲しいかな、私の運転したキャタピラの後は、蛇行だらけのあぜ道だ。

でも、スタッフにも私にも目を閉じれば見える。

あの、美しく心地よい縞模様、帰る場所が。

だから、きっと大丈夫。

みんなに協力してもらい、誘導してもらいながらゆっくり運転してみようと思う。

師長さん、ありがとうございました。

投稿者副院長・プライマリーセンター長 中川 麗