「新病院」関 敏雄
2013年04月22日
新病院がオープンしてから半年が経ちました。やはり新しくきれいになるといいものです。産婦人科は3階に配置されております。病棟も外来も同じ3階になります。外来と病棟はドアにて境されていますので、医師と看護スタッフが比較的素早く移動し、対応できるようになっています。外来のスペースは旧病院よりほぼ倍になり、ややゆったりとした感じになりました。かねて希望のあったキッズルームを中に配置でき、子供達がおもちゃを相手に遊んでいる姿もよく見られるようになりました。(旧病院にはそのスペースがなく、子供連れのお母様には迷惑をかけていたと思われます。)母親の診察のとき「お子さんは?」と訊いたとき、「キッズルームで遊んでいます。」と特に心配した風でもなく返答があったり、母親と一緒に診察室に入っていた子が、終わるといち早く「おもちゃのところへ行くー。」と、せがんでいる姿を見ると、なかなか役に立つスペースができたものだと思いました。(設計を考えたのは、助産師さん方の案ですが)
ただ、医師の数は、まだ増えていないので、待ち時間が時に長くなってしまうこともあり、申し訳なく思っております。旧病院だと一旦病院を出て、生協(ルーシー)などで時間をつぶす方もおられましたが、新病院はいくつかのテーブルと椅子を置いた広めのデイルームもあったり、ローソン、タリーズ、さくら食堂などがあったり、多少院内で時間をつぶすことが可能になったようです。(それで許されるとは決して思ってはいませんが・・・)
病棟の方は、こちらもスペースが広くなり、各個室も広くなり、トイレ、シャワーを設置しております。旧病院の個室は狭く(申し訳ありませんでした。)ドアを開けたらすぐベットという感じでした。回診の時ドアを開け、顔がすぐ目に入るので、「どう?」「元気です。」「あ、そう。」と、部屋にも入らずの会話ですんでしまうこともありましたが、新病院では広くなったため、ドアを開け、「タノモー」じゃなくて「回診でーす!」と声をかけてからツカツカと中に歩み入って「イカガカナ?」じゃなくて「どうですか?」と訊く感じで、動線が長くなり、回診から戻るときはフーフーしてしまう位です。(個人的には健康のためには、いいかと思っています。)ドアを開けたらいきなり顔が、といった旧病院の狭いスペーからみると患者さんのプライバシーもかなり保たれると思います。母児同室を了承している当科では、子連れ入院した場合、子供達の自由度も多くなり、またトイレもついているので 一旦に子供を病室の外に連れて出て、トイレの場所へ行くということもなくなりました。
部屋から見る高速道路を走る車の騒音はどうかなと気になっていましたが、殆ど問題もないようで安心しました。子供達にとって高速道路を走る車を楽しく見るのだろうと思っていましたが、窓から見える外を走る車より、自分の手元にあるミニチュアカーの方がよっぽど好きのようで、予測が外れてしまいました。
ま、とにかく新しい病院の雰囲気を感じながら診療しているところです。
投稿者産婦人科部長 関 敏雄
「新人のみなさんへ」 出内 なつ子
2013年04月15日
新年度になり、新人という肩書きの職員がやってきました。
新人に、先輩方が懇切丁寧に教えています。
先輩も新人も、進むべき方向性を定め、
その方向へ向かおうとしているこの時期の空気が好きです。

この時期にピッタリとくる言葉は、なかなか探し出せませんでしたが、
新人、先輩、ここを覗きに来る人々の心に、じんわり沁みてくれればと、思います。

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新人だから、
甘えさせてもらう。
新人だから、
失敗してもいいから、
自立して頑張ってみる。

新人だから、
甘えさせてやる。
新人だから、
失敗を覚悟の上で、
一人でやらせてみる。

新人に対しては、
本人も、見守る側も、
そのサジ加減が難しいなァ…

って思います。

(「甘え」と日本人、土居 健郎)

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前を向いて歩こうとしました。
あまりに未来が遠く恐ろしくて、
前を見るのをやめました。

右を向いて歩こうとしました。
私なんかより、うまく、
速く進む人ばかり見えて、
右を見るのをやめました。

左を向いて歩こうとしました。
さまざまな誘惑に、
道が無くなってしまいそうで、
左を見るのをやめました。

後ろを向いて歩こうとしました。
人々がはやしたて、
苦しい過去に胸がキリキリと痛んで
後ろを見るのをやめました。

どこを向いても進めずに立ち止まりました。
ただ、今を歩くしかないと
いうことに気がつきました。

(引用元不明)  

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あなたの敵から、
目を離さないようにしなさい。
だって、あなたの欠点を
最初に見つけてくれる人達なんだから…
(アンティステネス)

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余談ですが、
先日、新院長就任と麻酔科部長昇格のお祝いをしていただきました。
手術室スタッフ&麻酔科スタッフの皆、アリガトォーーー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
投稿者麻酔科部長 出内 なつ子
「身近な絶景」 名和 正行
2013年04月08日
手軽な気分転換として空を眺める。見慣れた街も、地雷原も、夕日は特に表情豊か。明日もがんばろう。

 

 

 
投稿者産婦人科医師 名和 正行
「こどもたちの医療のために」 梶野 真弓
2013年04月01日
札幌に異動し当院小児科に勤務して8ヶ月になります。札幌という大都会にはたくさん病院がありますが、病院がたくさんあるからこその問題もあるようです。人口も少なく大きな病院もわずかという地域では、地域の患者さんはまずその病院にかかります。いつでもかかることができるという安心があります。札幌のようにたくさん病院があると、病院を選び、時には希望の医療を受ける為に全く反対の地域までいかなければいけないことも少なくありません。札幌は小さな北海道のようだと働いてみて感じました。
北海道はとても広く、医療においてはその広さが問題になる事がたくさんあります。北海道の人口は日本の総人口の4%余りですが、面積は20%を占めています。面積は東京の約25倍ですが、人口密度は1/100であり、私の前任地である上川地区などは1/400です。こういった地理的状況では、車や電車で数時間かけて専門医のいる都市部の病院に行く、時には飛行機で行く、逆に医師が何時間もかけて地方へ出張に行く、こんな事があります。
小児の患者さんの多くは発熱などのいわゆるかぜのような症状で病院を受診されますが、非常に重篤な状態のお子さん、救急患者さんもおられます。救急患者さんが適切に小児科専門医の治療を受ける、重たくない症状のお子さんも安心して病院にかかり治療を受けるにはどうしたら良いか、小児科医としてどうすべきか随分考えました。医師の集約化が進み高度医療ができる施設ができても地理的問題の解決にはなりません。
救急患者さんに適切な初期医療を行い専門医施設に送る判断をすることができる医師、スタッフ、施設を人口の少ない地域にも増やす為に質の高い小児救急の講習会を北海道で広める、そう考えるにいたりました。そのための講習会を北海道に導入してもう今年で9年目になります。日々地域のこどもたちのため良い医療を提供しようとがんばっている小児科医や救命救急医の仲間が力を合わせさらに多くの仲間を増やそうとしています。こどもたちが自分の町の病院に安心してかかることができる、それが願いです。
投稿者小児科医長 梶野 真弓
「30年以上も前の事」 杉浦 千尋
2013年03月25日
テレビでTPPに関して、何処かの政治家が「アメリカと相談しながら・・・」と回答していた。何でもアメリカ、アメリカ? 医療の分野でも・・・ 何の脈絡もないが遥か彼方の記憶が突然コラージュのように蘇った。

30年以上も前の事。イスタンブール郊外を走る電車の中で、突然男が大声を上げ始めた。それと同時に白い布を広げて回りの乗客に何やら熱心に説いている様子。はじめはカーテンでも売っているのかと思った。連れの地元の男に何を行っているのか聞いたら、「アメリカではどこの家庭でもテーブルにこんなテーブルクロスをしている。あなた達も最先端の文明国と同じようにテーブルクロスを使って見ませんか?」と行商しているとのこと。残念ながら我々が目的の駅を降りるまでテーブルクロスを買った人は一人も居なかった。

30年以上も前の事。ギリシアでヒッチハイクした運転手は保険の外交員と言っていた。フランス大統領になったばかりのミッテランについて熱く語っていた。他国のリーダーに関して自説を熱く語れる日本人が何人いるだろう。地続きゆえの当たり前の感覚なのかしらと思った。その彼の希望は40歳になったら引退して、島で悠々自適の生活を送ることだった。そんな発想は初めてだったが、ひょっとしたらギリシアの経済危機はその頃から忍び寄っていたのかもしれない。

30年以上も前の事。ギリシア・ブルガリア国境では車と人は別々に入国手続きが行われていた。そのうち大勢が騒ぎ始めた。アテネ発ソフィア行きの国際バスの乗客達だった。事の顛末は国境まで行ったバスが通関、入国のため乗客を下ろした後、そのままUターンして荷物を持ち逃げしたということらしかった。乗客はギリシアの出国手続きを済ませ、ブルガリアに入国してバスが来るのを待っていたが、何時まで経ってもやって来ない。騒ぎ始めて判った、乗客の荷物を全て持ち去って行った大胆な窃盗。セ・ラ・ヴィ。その後の乗客たちの顛末は知らない。

30年以上も前の事。スペインのアルヘシラス(アルジェシラス)からモロッコのタンジェ(タンジール)に渡るフェリーの中、一人の若者が居た。見るからに擦れていない両家のご子息と言った印象。聞くとイタリアの農場の息子とのこと。モロッコへは「ハッシッシを買いに行くのだ。」と顔を輝かせていた。フェリーは夜中ににタンジェに到着した。彼の地では同じような旅行客が多いものと見えた。夜中でもありとりあえず一晩の宿をと、右も左もわからずホテルの客引きの言うがまま宿を決めた。部屋に荷物を下ろすと、早速同じ客引きがハッシッシは要らないかと青年に声をかけた。青年は願ってもないことと、客引きに付いて薄暗い路地の中の一室へと案内された。色々な種類の「物(ブツ)」を出されたが、どれが良いのか判らない。変なものを掴まされないかとひと通りの用心はしていたつもりが、「品質を疑うなら色々試しても良い」とのことで安心したのが運の尽き。お試し品ですっかりハイにってしまった彼は、後は売り手の言うがまま、上手く丸め込まれて何がしかを手に入れた。多分お決まりのように品質も値段もボラレたれたのであろう。
話はこれからである。翌朝カサブランカに行こうとタンジェの駅に行った彼のもとにどこからともなく人が集まりはじめた。見ると彼は困惑している様子。どうやら集まってきた誰もが皆、彼がハッシッシを買って持っていることを知っており、それをネタにゆすっているらしい。「警察に通報されたくなければ持ち物の一つをよこせ(くれたら黙っていてやる)」と。はじめはそれに従っていた彼もそのうち状況が理解できたようで、せっかく購入した「物」をゴミ箱に捨てて、身の潔白をアピールし始めた。ところが回りの連中はゴミ箱から捨てたはずの「物」を拾い出すと「これはお前が買った物だから、お前の物だ。」と彼に押し付け、再び持ち物要求が始まった。皆あたかも自分のバックパックのように勝手に中身を確認し、それぞれが好き勝手にひと品づつ手にしていた。彼がスッテンテンに身ぐるみ剥がれるまでにはそれほど時間はかからなかった。彼はタンジェ一泊、滞在時間12時間そこそこで、体一つでイタリアへ帰っていった。彼が再び彼の地を踏んだかどうかは知らない。
そういえば、アルヘシラスに向かう電車の中、彼の地から帰ってきたと言うパンク風のイギリス人の二人組はモロッコの感想を「Wild country」と言っていた事を思い出した。

30年以上も前の事。マドリッドの公園で見知らぬ若い日本人女性に声をかけられた。旅先で馴れ馴れしく声をかけてくる者にろくな奴は居ない。と適当にあしらったが・・・。変な下心を起こしていたらひょっとして今頃北緯4?度東経12?度辺りに居たかもしれない。

30年以上も前の事。ドイツの駅で始発列車を待つための駅のコンコースの片隅で寝ていたら警察に蹴飛ばされ身元確認をされた。どうやら不法移民狩りをしていたらしい。フランスではポンピドーセンターの階段の下で野宿していたら、ここは警察が来るからあそこに移動した方が良い行きすがりの人にアドバイスされた。ガール・ド・リヨン(リヨン駅)周辺の打ち捨てられたシトロエンが周りの景色に溶け込んでいた。ドイツの市場で野菜、果物の品定めをしていたら触って選ぶなと叱られた。台所が汚れるからと油を使った料理はしないとか。フランスでは・・・。お国柄?

30年以上も前の事。ギリシアからヒッチハイクした車はイギリス行きのブリティッシュ・レイランドのコンテナトレーラーだった。運転手は気のいい人で、窓を全開でアレキサンドロポリス郊外の丘陵地帯を疾走していた。その時、とても爽やかでわずかに艶かしい香りが辺りを包み始めた。初めての経験である。それがオリーブの香りであることに気付いたのはややしばらくしてからだった。オリーブ畑を疾走するトラックのキャビンに流れていたのはピンクフロイドの「One of these days」だった。窓に向かって一度大きく深呼吸をしてみた。
今もピンクフロイドを聞くとあの薫りがする気がする。
投稿者歯科口腔外科部長 杉浦 千尋
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