我が家の庭の一部分を畑にして家庭菜園をしています。
よく聞かれるのですが、決して趣味にはしていません。
収穫したものを食べた時に意外においしかったのと家族に高評価だったので続けています。
毎年、トマト、なす、ピーマン、キュウリなどの定番的な夏野菜を中心に作っています。できるだけ長い期間で収穫が出来るものが定番となっています。
余った場所があれば、定番もの以外にスナップエンドウ、ズッキーニ、トウガラシ、大葉などを植えて少し違うものも育てています。
過去にはジャガイモや大根、トウキビなどと色々なものを植えてきましたが、畑の広さや収穫量などの諸事情でそれきりになってしまったものもあります。
その中でも機会があれば、また育ててみたいと思っているものがありましたが、葉野菜系はプランターでも育てられることを知り、ここ数年はベランダを利用してプランター栽培も始めてみました。
簡単なのはフリルレタスで種を植えてから1ヶ月半くらいでサラダ用のレタスが収穫できました。
ブロッコリーを畑に露地栽培で挑戦した時は、青虫との死闘の末、惨敗した過去があったのですが、虫が寄りつかないように注意してプランター栽培なら上手に栽培できました。最近はスティックブロッコリーをプランター栽培でおいしく頂いています。
ここまでの書かれた内容をみると楽しくやっているように思われるでしょうが、意外とマメに世話をしないとうまくいかないことが多く、時間がとられるので趣味の一つとは自分では認めていません。
しかし、収穫のよろこびのようなものを感じるたびに、次はもう少し良くなるように何が出来るかを考えている自分がいるので、野菜作りもしくは畑仕事が好きなのかもしれません。
今年はあまり手がかけられず、今一な出来だったので来年はしっかり出来たらいいなと思っています。
「お父さんは将来何になりたいの?」
私には年の2つ離れた二人の息子がおり、それぞれが年中組なった頃、全く同じ質問をされて、少し驚いた記憶があります。その時の質問が冒頭のそれです。
毎晩風呂上がりに「コイツの為に生きてるってもんよ」などと江戸っ子でもないのに、べらんめぇ口調でビールを煽り、休みの日にはソファに寝そべって、野球中継相手にボヤき、なんとも張りのない生活を送っている五十路手前な父の将来を悲観しての言葉かはわかりませんが、少し逡巡してこう答えました。
「漫画家だよ」
高額当選者として悠々自適に暮らすといった夢もへったくれもない、ましてや叶いそうもない答えを伝えて、息子たちや嫁から軽蔑の視線を浴びるもの一興かとも考えましたが、そこは偉大な父親をあえて演じ、自分の子供の頃の夢を咄嗟に口走りました。
叶っていないので偉大であるかどうかは別として、子供の頃は本当に漫画家を目指していました。人より少しだけ体が大きく、人より少しだけ足が早かったので、周りからは体育会系の部活を強いられ「面倒くさい」と心のなかで呟きながら仮面部員を演じておりましたが、本音は家で漫画を読んでアニメを見て、映画を見て、絵を描いて、プラモデルを作るインドア生活に強く憧れ、実際部活が終わったあとや休みの日には、部屋にこもって絵を描くのが何よりも幸せな時間でした。当時、アニメや漫画愛好者は今ほど市民権を得ておらず、ひっそりと楽しむことを常とされておりましたので、(少なくとも自分の周りは)、ネット配信等で自由に鑑賞できる環境や、自慢気にコミケの戦利品を紹介する戦士の姿が夕方のニュースで流れたり、ジャパニメーション羨ましいぞと海外のギーグたちから羨望の眼差しを向けられる現在の環境の、なんと幸せなことよと思ったりして、今の若人達が堂々とアニメーションを貪り消費できるのは、先人達の密やかでしかし力強い歩みが積み重ねられた歴史の賜物であると強く、強く思うのであります!!・・・・少々、話が逸れました。
当時は、藤子不二雄A先生の「まんが道」に触れ、自分で手描きの漫画雑誌を作成しようと考えたこともあります。(未遂に終わりましたが)少年ジャンプの好きな漫画を模写して学校の友人に無理やり見せたり、夏休みの自由研究で読んだ伝記や物語を一枚の大きな模造紙に漫画として描き起こし、学校の廊下に貼ってもらったことも有りました。真剣に美術を習うため、それなりの進学も考えましたが、見事親に反対され、ささやかな抵抗とばかりに大学生の頃、講談社の新人漫画賞に応募し奨励賞を受賞、その賞金でセガサターンを購入し、バーチャファイターを朝までプレイしていたというエピソードも今となっては、酔ったオヤジの与太話と息子たちや嫁に呆れられるのがオチでして、いつしか漫画家になる夢は潰え、なんとなく毎日を過ごして、気付けばサッポロクラシックとゴルフをこよなく愛するアラフィフ二児の父となっておりました。
進路を反対した親を恨んでもいませんし、波乱万丈の未来を憂いて別の道に進ませたのも、体育会系の部活を強いたのも、親の立場になった今なら理解できます。と同時に、漫画家として活躍されている(た)方々には、その強烈な才能の輝きと意志の強さ、そしてなにより良き理解者として応援した(であろう)ご家族に対して、改めて畏敬の念を抱かざるをえません。
二人の息子には、自分の夢をしっかりもって、それに向かって努力してもらいたいと思いますが、向かう先がYoutuberとかだったら、いやちょっと待てと、漫画家を夢見ていた自分が咎めるのもおかしな話でしょうか。
ホコリを被っていた、ペンタブレットをPCに接続し、Amazonで買ったドローイングソフトをインストールしつつ、ビールを飲みながら偉大な父親像について改めて考えてみました。
「お前たちの夢が叶うのを見届けるのが将来の夢だよ」
・・・・・偉大なる父親へ至る道のりは長く険しい。
最近、コロナ禍もあって外食が出来ず、食べたい物は自宅で作るようになりました。大好物はとりのからあげです。
自分の中でとりのからあげは、お店で食べるのが一番美味しいと思っていましたが、自宅での時間があまりにもあるので、とりの下味から揚げ方にこだわり料理することにしました。
普段味付けは目分量で適当に、揚げる時間は感覚で料理していましたが、スマホで検索し、醤油、お酒等大さじ何杯を正確にはかり、丁寧につけ込み。
衣も適当に片栗粉ではなく片栗粉と小麦粉で調整。揚げ方も低温で揚げ、高温で揚げる、二度揚製法で揚げ時間にも注意して料理しました。
なにかと大変でしたが、普段適当に作るのとは雲泥の差!肉の下味はしっかりとついているし、なんと言っても衣がカラ、サク、かみくちからは肉汁があふれ出ます。最高にジューシーです。(今まで適当に作っていてごめんなさい)ほぼお店の味、いや超えているかもしれません。(自画自賛)1キロのからあげがあっというまに食されていきます。家族に大好評でした。
ネギだれも作成しましたがこちらはいつもの適当で・・・(反省)。
今回はとりのからあげでしたが、今後はスパイスから作るカレー、スープにこだわったラーメンにも挑戦したいと思います。
地域広報室の金田と申します、しばしお付き合いください。
昭和61年から2輪車を乗り継いでいます。コロナ前はテント等を支度して
「道の駅スタンプラリー2010」を制覇し、「ダムカード収集」、「温泉巡り」
「パ酒ポートラリー」、「北海道遺産めぐり」等、色々な場所を巡りました。
その時も愛用していた白いヘルメットは※フルフェイスでありながら顎の部分
が取り外し出来る機能が気に入っていました。しかし近頃は顎のパーツのロック
が壊れ、掴む場所次第では、顎のパーツを手に残し、ヘルメット本体が地面へと
"ダイブ"します。そのため昨年、安価なフルフェイスのヘルメットを入手、
故障の経験を基に顎の部分は固定です。イメチェン目当てに黒色をポチりました。
年は明けゴールデンウィーク、バイクにはまだ寒い事もあり黒い※フルフェイス
で出かけました。しかし 冬用のウェアは上下黒、ヘルメットも黒という事で
ガラス窓に映る自分は、"ターミネーター"Or"名探偵コナンの犯人"みたいに
全身真っ黒で好みではありません。
二軍落ちすると思われた白いヘルメット。装着したまま顔の汗が拭けるし、
水分補給も問題なし、とても便利だった事を再確認しました。なにより顔に感じる
「風が心地良い」です。この夏は顎部分を外した、壊れかけの白いヘルメットで
出かけたい!と感じました。
皆さんには機能が不十分もしくは、壊れかけなのに使い続けている、そんな"相棒"
ありますか?
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
(※フルフェイス:ヘルメット、顔の大半を覆い、顎も守ってくれる種類)
オリンピックと認められている大会がいくつあるか知っていますか?
冬季と夏季のオリンピックとパラリンピックだけではありません。IOC(国際オリンピック委員会)の認めるオリンピックはまだあります。
デフリンピック(聴覚障害者のための競技会)と、スペシャルオリンピックス(知的発達障害のある人のための競技会)も入れた4つです。
デフリンピックは今年の5月ブラジルで開催されていて、たくさんメダルも取っていました。しかし、大会中に日本選手団内でコロナ感染クラスターがあり、日本選手団は途中棄権することに・・・。でも以前には、友人の出るはずだったスウェーデン大会がで中止になったこともあるんです!
スペシャルオリンピックスは、2年前に札幌で冬季ナショナルゲーム(全日本大会)が開催予定でした。南区のFu'sスノーエリアにて、たくさんのアーティストやオリンピアン達も応援に来る、大々的な大会でしたがコロナウィルス感染拡大のため中止になりました。翌年の世界大会も同じ理由で中止になっています。
実は私も競技者。冬の間はスノーボードの選手として練習をし、大会に参加しています。
(飛ぶやつではなく、スピード競技とテクニカル競技の二刀流です)
そのおかげで、各選手達とも、各大会関係者とも顔見知りが多くなりました。
スペシャルオリンピックスに出るはずだった選手とも一緒に練習し、慕ってくれていて
「おねーさん!おねーさん!GLAYが来るんだよ!」と教えてくれたりして、笑い合っていたし、大会開催にあたり多くの人が尽力していた大変さも見ていたので、大会中止はショック・・・の後に、自分の出るはずだった全日本大会も中止に!翌年は辞退。医療従事者としての狭間で諦めたことも、応援して貰って諦めないですんだことも自分自身で経験し、感謝あふれる3シーズンでした。どんな競技でも、小さな大会でも、大会中止や辞退は本当に辛い。そして、知って貰えるチャンスのはずのデフリンピックやスペシャルオリンピックスの報道が少ないのも悲しい。
これからの各オリンピック選手たちを少しでも支えて行けたらいいな。
北海道のたくさんの楽しみな仲間たちが、オリンピックの舞台に立てたらいいな。
戦争のない平和な世の中でありますように。
おまけ↓
デフの友人達がYouTubeをしています。『DS2 let's手話』で検索!
スノーボードやSUPなどをしながら、簡単な手話を教えてくれます!必見!!とかいって、わたしのできる手話は挨拶くらいで、あとは口パクと勢いでなんとかなるもんです。手話ができないからって、モジモジしなくて大丈夫です。なんとかなります。
