「酩酊と遊び」 齋藤 誉也
2023年08月23日

"なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。子供なら、何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。"

上の文言は、かの三島由紀夫が、雑誌『婦人倶楽部』にて一年間連載していた、料理の様式になぞらえて世相を論じるコラム『社会料理三島亭』にて『折詰料理 日本人の娯楽』という副題で述べたものです。

なるほど、人生において大学のころより後について思ってみると、遊びの席に酒瓶の一本もなし、という場面には、数えるほどにも出くわさなかったような気がします。
COVIDで絶えて久しいですが、病院に勤めて知り合った皆さんとは、やはり社会人ですから遊ぼうというと主な機会はいわゆる「飲み会」になります。学生時代からの友人達については既に10年以上の付き合いなので、勝手知ったる仲ということで連れ立ってキャンプに出掛けたり、もう少し年の若いころには海に遊ぶこともありましたが、そういう席こそクーラーボックスの中は安酒の缶でいっぱいです。旅行をしてみても「名産と地酒で一杯」という時間がなければ片手落ちのような気がして宿だけでなく居酒屋の予約も取ってしまうものですから、個人的な考えとして上の文言については「至言だな」と思わずに居れません。ネット通話を繋いでゲームで遊ぶときにも、必ずだれかが「ビール取ってくるわ」と一時離席したりするのを見ると、インドア・アウトドアを問わず我々は無意識と言っていいほどに遊びに酒を必要としてしまっているようです。

私は酩酊の感覚や酒席の雰囲気が大好きですし、IPAの苦さやウィスキーの香りや焼酎のクセも好きですから、この風潮そのものについては特に物申したいとも思いません。むしろ歓迎するものです。大人に酒が必要なのは事実かも知れないが、何も悲しむ必要はないじゃないか――最初に引用した三島の言葉について、私としてはある時期までこのようにも考えていたのですが、ある出来事でこの悲しさの趣旨を痛感させられて以来、どうしても、人と会って遊ぶたびにこの言葉を強く意識してしまっております。

7年近く前にもなるでしょうか、ある夏、大学からの友人とバーベキューの準備をしていた折のことでした。
私は買い出しの方に参加したのでその場に居合わせなかったのですが、車と道具の準備のために残った友人たちが一年ぶりにアウトドア用品を取り出すべく、その内一人の家のガレージの奥をあさっていると、中学生の頃使っていた練習用のバドミントンのセットが出てきました。――今これを手に取ったら、どれくらい昔の勘が残っているだろう?持主たる彼はそう考えて、出発予定までまだかなり時間もあるということで準備を中断して皆で一つ戯れにそのまま庭で打ちあい始めてみたそうです。ルールも技巧も気にすることなく、半ば羽根つきのような感覚で中々楽しく盛り上がったということなのですが、そばを通りかかった補助輪つき自転車の子供に、次のように言われたそうです。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、何してるの?」

彼らはいたたまれず準備に立ち返ったということなのですが、車内でこの話を聞いて、私は「三島の言う『大人は遊びに酔えない』とはこのことだったんだ」と思いました。
補助輪を使っているような子供とはいえ、バドミントンを知らないということは無いはずです。ラケットと羽を使ってやることと言えばバドミントンしかないわけですから「何してるの?」という言葉の意味については、少し深い意味があったように思われます。その子が疑問に思ったのは、彼らがしている行為が何であるのかではなくて、大人同士が住宅街の真ん中でちょっとした道具を使って何か楽しそうにしているということ自体に対してだったのではないでしょうか。
近代美術の技法で、デペイズマンというものがあります。例えばどこまでも青い空の下、寂寥たる荒野の真ん中に、ソファとテーブルとテレビだけが、まるでどこかの居間から瞬間移動してきたかのようにぽつんと鎮座している様を想像してみてください。誰もが言い知れぬ違和感を覚えることと思います。これはなんだ、と、声を発さずにはいられないでしょう。デペイズマンとはこのように、物を敢えてあるべきでない、あるはずのない場所に配置・描写して受け手に強い印象を残さんとする表現を言うものなのですが、あの時、遊びに興じる私の友人達は、社会におけるデペイズマン的表象としてその子供の目に映っていたのではないでしょうか。大人が遊びそのものに酔うことは可能だけれど、遊びに酔う大人とは本来異質なものであって、己の持つ社会性ゆえにちょっとしたきっかけで容易にそこから醒めさせられてしまう。結局私たち大人が遊ぶにあたって酒を必要としがちなのは、極めて防御的な、回避的な行動と言えるのではないでしょうか。遊びに酔う大人と見られないために、自らを酒に酔う大人とする――最近の研究ではミツバチやショウジョウバエのような昆虫でさえも遊びとしか考えられない行動をとるのが確認されているそうです。人間の大人だけが社会的規範のために自由に遊ぶことができないというのならば、確かに三島の言う通り、嘆くべきことと言えます。

『折詰料理 日本人の娯楽』は「誰かがやるから、評判が高いからやってみるというのでは所詮他人のための遊びである。日向ぼっこでも庭いじりでもとにかく自分のやりたいことをやるのが本当の娯楽、自分のための遊びではないか」という趣旨で結んでいます。世相も変わって、この夏はかつてのように対面で遊ぶ誘いも増えてきましたが......ビアガーデン然りバーベキュー然り、やはり私と友人たちの傍らには酒が常にありました。私は酒好きを自負しておりますから『対酒当歌 人生幾何』の精神で全ての席を心から楽しんで帰ってきているつもりなのですが......無意識のうちに、大人という軛のために本当の「自分のための遊び」を酩酊で覆い隠しているだけに過ぎないということもあるのでしょうか。限られた余暇と健康寿命を考えるとき、やはり、冒頭の三島の言葉は問いかけとして私の頭の中にわだかまり続けています。

さて、原稿も終わったことですし、ハイボールかビールでも一杯。

投稿者SE室副主任 齋藤 誉也
「AIと今後の仕事」 寺館 圭佑
2023年08月16日

最近AIについての議論がテレビやネットなどで大きく取り上げられることが増えました。アメリカ映画でも年老いた俳優の若い姿をAIとCGで再現するなど、今まで不可能と思われていたことが実現しています。しかし、そうしたAIの進化に対してルールの整備が追い付いていないのが現状です。

先述した若い姿を再現する技術を用いれば、一度俳優をスキャンしてデジタルデータ化すれば、本人の意思と関係なく作品に出演させ、製作者の好きなようにセリフを喋らせることも可能となってしまう。こういった懸念と現在のサブスクと呼ばれる映像配信サービスに対する俳優への還元の少なさ・不透明さに対してハリウッドで行われている大規模ストライキのニュースを目にした方も多いと思います。この騒動がどういった結末を迎えるかは不明ですが、一つの前例を作ることになり、法整備が行われていく結果となることでしょう。

これは自分たちにとっても他人事ではないと考えます。極端な話で薬剤師としても飲み合わせの問題や薬効・薬剤の重複を発見することはAIでも可能で、もしかしたらAIのほうが効率的かもしれません。他の職種の方でも同じようなことがあるかと思います。ですが、最後に責任をもって薬剤を払い出し、患者様へお渡しするのは薬剤師の仕事です。直接患者様とふれあい、適切な指導を行うことはAIや機械にはできない仕事と思っています。

AIによる労働の変化を迎えつつある新たな時代の中でも人間として、薬剤師として何ができるのか何をするべきなのかを今一度考えながら日々の業務を行っていきたいと思います。

投稿者薬剤部副主任 寺館 圭佑
「宣誓式」 S.K.
2023年07月26日

先日、看護学校の宣誓式に出席してきました。

「戴帽式」の方が聞き覚えがあるでしょうか。看護学生さんが病院実習に臨む前にナースキャップを与えられ、職業意識を高める儀式です。

今は衛生上の問題等でナースキャップが廃止されている所がほとんどなので、「宣誓式」や「継灯式」と呼び名が変更されたり、式典を行わない学校もあるようです。

私は以前テレビで戴帽式を見て、その厳粛な雰囲気に一度実際に見てみたいと思っていましたが、友人の子が通う看護学校で宣誓式が行われると聞き最初で最後のチャンス!と一緒に出席させてもらいました。

式典が始まり校長先生の式辞を拝聴したあと、いよいよ見たかった儀式が始まります。

電気の消された式場で、ステージ中央にあるナイチンゲールの像に点灯された灯を、学生さんが一人一人自身の持つキャンドルに受け取ります。これはナイチンゲールが野戦病院で夜中にランプを手に傷病者を見回ったことにちなんで、看護の灯を受け継いでいくとの意味があるそうです。キャンドルの灯る中、看護師に必要な心構えの込められた「ナイチンゲール誓詞」を学生さん全員で斉唱し、看護の道へ進む決意を新たにします。

私も病院で働く者として身の引き締まる思いがしました。この機会を与えてくれた友人家族に感謝です。

看護師は昔から3K(キツイ・汚い・危険)といわれる大変な仕事です。私も勤務の中で身を粉にして働く看護師の姿を見てきました。志を持って看護師を目指す学生さんに尊敬の念とエールを送りたいと思います。

投稿者医局クラーク S.K.
「コレクション」 T.C.
2023年07月12日

札幌徳洲会病院に入職したばかりの頃、たまたま雑貨屋さんで可愛らしいムーミントロールの絵が描かれたマグカップに出会いました。(ちなみにムーミンとは、作家トーベ・ヤンソンによる物語に登場する妖精です。)

iittalaARABIA製のもので、マグカップにしては少々高額だったのですが悩みに悩んだ末、仕事を頑張っている自分へご褒美にと購入しました。物にこだわりがなく、キャラクターものにも興味がなかった私ですが、あまりにも可愛らしいマグカップだったので、これをきっかけにかれこれ十数年ムーミンマグカップを集めるようになりました。

今回はこちらの場をお借りして、私のコレクションを紹介させていただきます。

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左側がマグカップを集めるきっかけとなったムーミントロールのマグカップです。裏面にはキュートなおしりが描かれています。

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ムーミンマグカップには色々なシリーズがあるのですが、私は特に毎年冬に発売されるウインターシリーズがお気に入りです。物語の中から冬の一場面がデザインされるのですが、シックな色使いを基調とした中に躍動感あふれるムーミン谷の仲間たちが描かれておりとても魅力的です。

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2014年ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン生誕100周年を記念して作られたマグカップです。6個に1個の確率で、マグカップの内側に眼鏡が描かれたバージョンがあり、遊び心をくすぐられます。こちらはウインターシリーズではないため、色使いもガラリと変わり爽やかな仕上がりです。

今や我が家の食器棚の一画を占領しており、さらに観賞用なので使用禁止なマグカップたち。家族に多大な迷惑をかけているコレクションですが、時折テーブルに並べて眺めては可愛さに癒やされています。収納場所が限られてきたので購入頻度は減りましたが、これからも素敵なムーミンマグカップをマイペースに集めていきたいです。

投稿者医局クラーク T.C.
「Reminder」 佐藤 圭太
2023年07月05日

早いもので入職してもう12年が経過、今回初めてエッセイ執筆の順番が回ってきました。

何を書こうかな、と考えるも良いネタが思い浮かばない・・・。ここは面白みに欠けますが仕事に関して1つ。

最近担当中の業務の関係で過去の写真を見る機会があり、10年ほど前に所属していた部署の写真を発見。

やはり10年も前となると若い!今より10kg近く痩せていたこともあって、顔もすっきりしている!

そしてあの日々のことが思い出されます。(あっ、ここからはただ私の過去を記すだけなのでご容赦ください)

当時の私は職種柄、知識や技術以外に『自分自身がどのような人間なのか』という自己理解も求められていました。

自分で自分の不甲斐なさを自覚しているものの、変に頑固な性格は素直に受け入れることができなかったのです。

そこに始まる上司の指導。元々は優しい方ですが、指導となると雰囲気はそのままなのに言い方がきっつくなるお方で、

「自分の非や弱さを認められない人間が成長することはないし、ここにはいらない!」

「失敗の経験が少なすぎる。成功した方が多いように見えるけど違う。ただ失敗を恐れて挑戦することを避けてるだけ」

「あなたのプライドの根本にあるのは自分を守るためのもの。そんなくだらないものを持ち続けて何になる?」 など

(当然まだまだありますが、とても書ききれません)

オブラートに包まれることなく発せられるストレートな言葉は容赦なく心に深く刺さります。

自分でも見て見ぬふりをしていたので、言葉で核心を突かれるとさらに重みが増し、受け止めるだけで必死です。

その光景はもはや指導ではなく、叱っている親と叱られている子のようだったのかもしれません。

なんだか思い出すだけで泣きそうです。(笑)

結果、自分の力不足が原因でそこを離れて今に至るものの、元上司の言葉は未熟で生意気な私の何かを変えてくれました。

教わったことは今でも肝に銘じているつもりです。業務とはいえ、ちょっとしたことがすぐに問題となる時代にリスクを負ってまで、ここまでの指摘をしてくれる方は少ないのではないでしょうか?本当に感謝しかありません。

人は置かれる環境に影響を受けて変化する、と教わったことがあります。私の場合は環境も人も恵まれました。

そんな元上司は約2年前に長年勤めたこの病院で職を勇退。今は充実した第二の人生を過ごしていると聞いています。

いつまでもご自愛ください。

何気なく、ふっと目にした1枚の写真は様々な記憶を鮮明によみがえらせてくれるものでした。

※このご時世なので写真は載せることはできません、すみません。

投稿者広報室副主任 佐藤 圭太