当院初期研修終了生からの手紙
2010年10月15日
卒後4年目の泌尿器科医です。

札幌徳洲会での初期研修を終えて2年目になります。初期研修時代は泌尿器科領域の疾患に関わることがほとんどなかったため、後期研修はまた一からの勉強のつもりで大学の医局に入局しました。Standardを学ぶ・情報量の多さという意味では大学に所属するのも悪くないと思います。予想通りの縦割りの社会ですが、規模の大きなカンファレンス・論文・学会発表など、初期研修時代は触れる機会が少なかったことを多く経験でき、医師として最先端を学ぶこと・発信することの重要さを今は感じております。

泌尿器科という特性上、夜間呼ばれる頻度も少なく、初期研修時代よりは比較的平穏に過ごしております。半年前から函館の市中病院に勤めておりますが、今でも休日は家族で市内を観光しています。そのぐらい観るところがたくさんあり、食べ物もおいしく函館はいい所だと思います。

函館市は2次救急当番病院が輪番制になっており、初期研修時代は幻聴まで聞こえたあの救急車の音を聞くことは少なくなりました。それでも当直の際は多科にわたる患者を診る機会が多く、札幌徳洲会病院で初期研修をしてよかったと思う事が多々あります。徳洲会初期研修の特徴の一つに救急外来がありますが、第一線で患者を診ることがやはり一番勉強になったと思います。屋根瓦式ではなく鬼瓦式だったため、大変でつらい場面も多くありましたが、非常に多くの患者を自分で診ることで、責任感・判断力など医師としての基本姿勢を学ぶことができたと感じています。自分で診断した虫垂炎を執刀させていただき退院まで診る機会も一度や二度ではなく、医師としてとても嬉しかったことを今でも思い出します。上級医の先生も札幌徳洲会出身の方が多く、他病院と比べ医局の雰囲気もよかったと思います。夜中でもすぐに対応していただき、非常に心強かったです。

初期研修制度が始まり、各病院で様々な研修が実施されています。研修医だからといって、全てが許される時代ではありません。そのためポリクリの延長となってしまう研修病院も多くあります。10年後の自分がどう感じるかわかりませんが、医師としての大事な最初の2年間を札幌徳洲会で過ごせたことは、今自分にとって大きなプラスになっています。

新病院の着工も決まったとのことで、これからも札幌徳洲会出身の研修医がどんどん増えることを期待しています。
投稿者
当院初期研修終了生からの手紙
2010年09月28日
大変ご無沙汰いたしております。近況報告、思い出話含め、お便りさせて頂きます。

まずはじめに正直申しまして、この初期研修終了生からの便り、楽しみに読ませて頂いております。 自分の先輩後輩同期とは中々連絡も取れないため、それぞれがいまどこで何をしているのか、うかがい知ることができます。ありがとうございます。便りを読み、どなたか分からない方も 何人かおられます・・・。

さて、私は大学卒業後すぐに札幌徳洲会病院に入職(入隊)し、いわゆる2年間のスーパーローテート 研修を終え、「循環器内科」を将来の専攻と決断しました。現在はとある心臓専門病院へ勤務しております。 大学医局には属しておりません。現在働いている病院は「心臓血管系」の専門病院であり、「小児循環器」 「不整脈」以外は緊急症例、準緊急症例、待機的症例ともにそれなりに多く、貴重な経験ができていると 思っております。しかし、単科の病院なので、不便な点が多いのもまた事実ではあります。

今は、夜間当直していても、レントゲン一枚のために基本的には当番の放射線技師さんを院外呼び出し しなければなりません。血液検査にしても、結果が出るまで何時間…。という環境です。日中でも夜間でも いつでも緊急検査ができる徳洲会のシステムは患者さんにとって非常に素晴らしいものだと再認識しました。

そしてその「いつでも緊急検査ができる環境」になれていた私にとって、このゆっくりの-しかし世間では普通であろう-システムに慣れるのに時間がかかりました。今では、再び徳洲会病院のレジデント当直をしてみたいとさえ思う今日この頃です。救急車が同時に何台も来る…そしてWalk in患者さんも待っている…あの刺激的かつ濃厚な生活をしてみたい衝動にかられることがあります。ちょっと機嫌の悪そうな上の先生に 症例の相談をするのがとても大好きでした。典型的「M」なのでしょうか。 それは冗談にしても、たとえメタボになろうとも体のキレがなくなろうとも「情熱」のあるうちは「救急」のある病院で働きたいと思っています。

お話かわって・・・ 僕の初期研修同期は自分を含め、7人いました。皆同時に3,4日に一回の当直から始まり、2年間終了後に病院に残った者、他施設へ羽ばたいた者それぞれでした。同じ道に進んだものは誰一人おりません。我々の原点はやはり札幌徳洲会病院にありきです。私は10年、20年先も、どこかで白衣を着、聴診器をクルクル回していると思います。

心は熱く!頭はクールに!技術と愛のある医師になっている事を誓います。

それでは。
投稿者
当院初期研修終了生からの手紙
2010年09月09日
ご無沙汰しております。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?お世話になっていた時期に比べ、様々な変化があったことでしょうが、忙しい毎日が続いているのは変わらないことと思います。

私は、初期研修の2年間を貴院で過ごさせていただいた後に、精神科医として働き始め精神科医としては今年で5年目になります。現在は、神奈川県内の単科の精神科病院に勤務しています。元々、精神科医を志していた私は、精神科医になる前に、身体に起きる疾患への対処をなるべくたくさん経験できる環境に身を置きたいという思いで、貴院での研修を希望しました。予想通りと言いますか、多忙ですが充実した日々を過ごし、当直明けの屋上での一服は「今日もがんばったなぁ」という思いに浸ることができ大好きな時間でした。上級医やベテランスタッフからの疲労困憊した中での指導も、今となっては甘酸っぱい思い出であり、現在も日々の臨床の中で血となり肉となり生きています。

初期研修を終え、満を持して新たな環境で始めた精神科医としての生活は、決して期待していた程の充実感や達成感を与えてくれるものではありませんでした。身体的な労働量は圧倒的に研修医時代のほうが多いのですが、患者さんの持っている苦痛はその場の一回の診察や薬物療法で改善されることはまず稀であり、提供するサービス(精神療法など)が確固として統一された基準にのっとったものではないことから(そこも好きで選んだのですが…)、自分の発する言葉や自分の見立てが患者さんに与える影響や、患者さんから要求されたことに応じないのは自分が怠惰だからではないのか等々、二度目の思春期のように悩みまくってしまいました。

今にして思えば、自分にとっての仕事とは何か?や、人生とは何か?といったことについて、きちんと考えたことが無かったという自分自身の問題であったように思われます。考えたことが無かった故の、我武者羅さといったものは失われてしまったような気はしますが、少しずつざわついていた気持ちは落ち着いてきているように感じています。

医師になって自分としては、まだ7年という気持ちでいましたが、まだ7年目の医者にも当然後輩ができます。貴院でいただいた諸先輩方の指導を自分なりに咀嚼し、後輩達に伝えていくことが出来ればと思う今日この頃です。

いつもは独創性に富んだ発言ですぐに理解できないことが多かった先代の院長のことばで、「(手術が難航した際に)腹をくくって、一晩でも続ける覚悟をしろ」といった内容のお話をされたのが胸に残り、「ここ覚悟かな」などと精神科医になった今でも時々思い出しています。

みなさん、くれぐれもお身体には気をつけて。いつの日かゆっくりお話しできる日が来ることを楽しみにしながら筆を置かせていただきます。それでは。
投稿者
当院初期研修終了生からの手紙
2010年08月18日
『私が研修医だったとき 』


私は、札幌徳洲会病院に外科後期研修の2年間を含め、計4年間お世話になりました。 あっという間に一年が経ち、愛知県がんセンターの2年目レジデントとして、癌治療の 勉強をしています。

がんセンターは学会発表が多く、年10回近くは発表があります。 文献は検索ソフトが充実しているので、困りません。医学中央雑誌やパブメドなど使っています。 ほしい文献は、図書室の秘書さんにいえば取り寄せてもらえます。 上司にあうと、いつの学会にこれを出してくれと言われるので、びくびくしています。

私が朝、7時半に子供を保育園に送っていきます。 (お迎えは、妻が6時ころに行きます。) 曜日によって違いますが、たいていは8時くらいに自宅に帰ります。そのころには、 子供は寝る準備をしています。
毎日、二人で、子供の面倒を見ないといけないので大変です。まだ、夜泣きをするので、 毎日が当直状態です。(少しずつ起こされる頻度は減ってきましたが、、、、)

名古屋は、便利がいいので、車で2-3時間あればいろいろな所に行けます。
日本三大温泉の下呂温泉が高速で飛ばせば2時間弱で行けます。そのほかにも、 日本アルプスなど自然豊かです。夏休みは、八ヶ岳に行こうと思っています。 ただ、名古屋は空気が汚いです。おかげで最近よく咳が出ます。


札幌徳洲会病院にいたときは、緊急手術は当たり前で、急性虫垂炎・胆石胆嚢炎・腸閉塞など その他たくさんの疾患を見てきました。それが普通でした。
しかし、今の病院はまったく対極の位置にある病院です。緊急手術はほとんどありません。 研修医のときにビクビクしていた救急車のサイレンの音をほとんど聞くこともありません。 急性虫垂炎の患者も診察することはありません。ただただ、診断がついている胃癌の手術を 毎日行う日々です。毎日、同じ手術をしているために、非常に勉強になります。 だれでもそうだと思いますが、同じことの繰り返しをすることで、身につきます。 今、私のしていることは、消化器癌の手術の反復修行なのです。

極端な二つの病院、急性期病院の徳洲会と、癌専門病院であるがんセンター、 どちらもとても勉強になるところです。

なにを書けばいいかが、わからなくなりましたが、これは私が研修医だったときのことでしたね。

今から思えば、ためになったなぁと思います。

週2回の当直、何台も来る救急車。時には、救急車が来てないときも、自分の耳に救急車の サイレンの音が聞こえる幻聴に襲われていました。救急車が来たら、まず診察。次に検査と 上級医コンサルト。私の上級医は、1年上の偉い先生?であり、とても厳しかったことを思い 出します。(あまりにも苦い思い出が多いのでこの話しはここまでとします、、、、、)
人は、いい思い出よりも、悪い思い出を先に思い出すものでしょうか?先に、悪い思い出を 思い出してしまいましたが、徳洲会のほとんどの先生は、同じ研修を終えた経験のある 先生方で、とてもやさしく教えていただけました。医局には垣根がなく、どの科の先生にも 聞ける環境が整っており、緊急透析・緊急カテ・緊急内視鏡・緊急手術などもすぐに引き受けて いただけました。

そんなこんなで、なんとか時が過ぎ、今の自分がいます。 すべては「ご指導の賜物です。」ありがとうございました。
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