「北海道では」 桑原 稔
2012年10月01日
北海道では珍しい残暑も終わり短い秋がやってきました。秋といえば何を考えますか?私はスポーツの秋です。といっても、自分でやるのではなく観戦の方ですが…。この時期はプロ野球のペナントレースが大詰めを迎え、優勝争いの渦中にいる北海道日本ハムファイターズは大盛り上がりとなっております。毎試合目が離せない今日この頃です。
スポーツといえば今年は大きなスポーツイベントがありました。みなさんご存知のオリンピックでございます。4年に1回の祭典として多くの方が眠い目をこすりながら観戦したことでしょう。私もその一人で、毎晩次の日の仕事を気にしつつも夜が明けるまで手に汗を握りながら観戦しておりました。1か月以上たった今でも数多くの激闘が思い起こされます。
私個人としては日本選手の活躍が目立つ大会だったと思います。特に今まであまり注目されていなかった種目での活躍が多く、こんなに日本は強いんだと感心させられる場面が多々ありました。ボクシングでの金メダル、女子卓球団体の銀メダル、男子フェンシング団体の銀メダル、男子アーチェリーでの銀メダルなどは我々一般市民には予測もつかなかった偉業であります。そこに至るまでの苦労、努力は並大抵ではないと思います。夢をつかむためには全身全霊をかけて精進することが不可欠ということでしょう。オリンピックが終わり、ふと自分を振り返ったとき自分がはたして努力を積み重ねてきているのか?という疑問が湧いてきました。これまでの経験をもとになんとなく仕事をこなしているだけではないのか?このまま成長なしに時間だけが過ぎていくのではないのか?常に努力を重ねて日々成長していくというできた人間ではありませんが、努力を忘れかけている自分に喝を入れてくれたそんな大会だったと思います。
新病院への移転が完了し手術件数も大幅に増えてきております。私は麻酔科医として安全な全身麻酔を心がけ日々仕事をしております。業務量も多くなり疲れがたまる毎日ですが、これからも努力を忘れず皆様に満足いただける麻酔を提供できるよう精進していこうと思います。
投稿者麻酔科医長 桑原 稔
「大谷地の新病院」 城田 誠
2012年09月24日
大谷地の新病院にうつり、まもなく3ヶ月が過ぎようとしています。新病院と旧病院、大きな変化でした。良くなった点の方がはるかに多いのですが、一部不便になったり大変になったこともあります。

病院が引っ越して自分自身の変化としましては・・・
私はもともとは地下鉄通勤です。しかし病院が引っ越して今までよりも病院・自宅間距離が短くなりました。このため天気が良い日や体力に余裕があるときには徒歩で通勤することにチャレンジしています。自宅から病院までおよそ2.5km、歩いて30分くらい。今年の夏は暑かったので距離の半分を越えたあたりから汗ばんでしまいますがなかなか気分が良いものです。
日頃診療をしていて生活習慣病の患者さんに「運動をしましょう」なんて言ってはみたものの自分自身はまず運動なんてしておらず、患者さんに運動をすすめるときに声を大にしていえない自分がいました。しかしこれからは自身をもってウォーキングを勧められそうです。
ちなみに新しい病院に来てからは病院の中で歩く距離も遙かに増えています。新しい病院になると言うことは健康になるということだったのでしょうか?病院にいらしている患者さん、業者の方々、皆様のご健康をお祈り致します。
投稿者外科医長 城田 誠
「僕は」 大江 公則
2012年09月18日
僕は好きで山を下りたわけではないんだよね。人間たちに山を荒らされて、林道なんて造られて、RV車って真っ赤な牛みたいなやつがものの陰から突然やってきて、あっという間に目の前を通りすぎて行っちまうんだ。おっかないし喧嘩するのも嫌なんで普段と違うところを歩いてみたんだ。(なんでも車にぶつかったら、向こうだけが壊れてしまうらしいけど、お互いに痛いことは嫌じゃん。)
 
 日高に居る僕の仲間は悠々自適サ、日高山脈のカール(氷河が残した山の頂き下にあるお椀のような大きな凹み)で昼寝して俺は居るぞと臭い臭い置き土産して、たまにしか来ない、わざわざ山ン中までやってくる酔狂な人間どもを脅かしていれば良いんだもんな。
 
 今年の夏はなんなのか、だらだらした春の延長なのか判かン無かったな。本来ならばアケビやらわんさか食べるものが有るはずなんだけど、ちっとも見つからないのさ。僕は探すのが下手で、気がついたら何か周りに大きな四角い箱とか上がとがった三角形みたいなのが僕の何倍も大きいのが行儀良くとずらずら続いていて、その前を水の流れていない堅い平べったい黒い川が寝ているところへ出てきちゃったもんだから、怖くなっちゃってきちんと水のにおいがしてザアザアッて水が流れている川に向かって降りていったんだ。その川は豊平川って言うらしい。シャケって魚が上ってくると言ううわさなんだけど、その魚を僕のヒイヒイじいちゃんが好きで食べたらしいが、僕が住んでいるところまで上ってきたことはないから、見たこと無いし食べたこともないや。その魚を捕まえたら密漁って言われるんだって。僕らは普通にご飯を食べるだけなんだけど、人間って何でも自分のものにしてしまうみたいだね。千秋庵ってお菓子ってものを作っているところが、僕たちが魚を背負った姿を写したせんべいってものを売っているらしいけど、僕は歯を悪くしたくないんで食べないよ。もっとも今の人間の子供って、もっといっぱい甘くて虫歯になりやすいものがまわりにあるから、そんなお菓子があることも知らないんじゃないかな。
 
 とにかくお腹が減っているんで、ふらふらと降りて来てしまったんだけど、数年前に僕のイトコが藻岩山の東側に降りちゃったらテレビ局ってところが騒いじゃったらしい。あいつは残飯ってのを漁っていて山に戻るのを忘れたモンだから、後で剥製にされちゃったんじゃないかな。帰ってこなかったみたい。ぼくは藻岩山の南側から降りたんだけど、最近は不景気ってものなのか、それとも住民がこの札幌は熊が住むところだということにやっと気付いたのか、どこもかしこもきれいにしていて食べるものなんてないや。もっともずっと南の方の島に住んでいるひと達のいちぶは、大通公園を熊が歩いているって信じているらしい。
 
 気がついたら高いところに大きなチューブがあって、中をゴウゴウッておっきな芋虫が走ってゆくところに出ちゃった。青い服着て帽子をかぶった人と目があったもんだから、怖くなって近くの坂を笹に向かって上ろうとしたんだけど、そこの斜面って変に四角くて白くて堅い変な土から出来ていて爪が立たないもんだからパニックになっちゃった。もっとも青い服の人も何か慌てたらしくって、興奮しながら手に持った真っ黒な四角い小さな箱に向かってものすごい勢いで何かしゃべってたな。あとで笹の陰からそっとのぞいてみたら、おまわりさんと呼ばれていたその人が、何人かわーわーと騒いでいたよ。ぼくらはそっと物音を立てずに動くのが得意だから、簡単には捕まらないサ。だけどぐずぐずしてたら、僕のことを剥製にしようとするらしい。アイヌの人たちは僕たちのことを神様の使いと呼んで大事にしてくれたんだけど、いまの日本人にとってはあの人たちが”たべもの”ってよんでいた馬鹿な鹿たちのほうが、僕たちよりもかわいいんだって。あいつらなんか、明治時代にアイヌの人たちが狩りをするのを強制的に止めさせられてから、オオカミや野犬も居なくなったんでのさばっているのさ。日高地方では、「あれ?角の生えた馬だ」と思ったら、ちゃっかり牧場の草なんかを親子で漁ったりしている姿を見かけるんだ。そのくせ、車と出会ったらそのまま固まっちまって車がぶつかってくるまで動かないンんだって。さすがに増えすぎたんで、捕まえて肉を東京のフランスレストランへ出荷することを現地で考えているらしいよ。だけど僕らを害獣だなんて言うのは酷い話サ。もともと僕らが住んでいるところへやってきたのに、勝手に森を壊して、畑や牧場を作って僕らの住み処を無くしちゃって、お腹が減ってさまよっている僕らを害獣って呼ぶんだもんな。僕たちは基本的にはベジタリアンなんだよ。どっかの動物園では、人が通る通路に檻の柵をつけて、その標識にもっとも凶暴な生き物って書いてあるんだって。なんでも自分のものだと言って他の動物たちの食べ物やら済むところやらを奪うんだから、たしかに一番たちが悪い動物かもね。なんでも高利貸しとやくざと医者ってのが特に凶暴らしいね。自分の仲間が嫌がることや痛いことして威張っているんだから。
 
 これを書いている人間もその仲間なんだけど、僕の家よりもっと南の山ン中にある芸術の森ってところに居て、毎朝ひいこらバスって動く箱に乗って、その後でチューブの中の芋虫に飲み込まれながら大谷地っていう街の東外れまで運ばれてゆくらしい。人間って他の動物に飲まれても栄養にならないで生きたまま出てくることが出来るんだから、すっごいや。毎日飲み込まれては吐き出されて戻ってきても平気なんだからね。もっとも年取ってくると少しは疲れるらしいけどね。僕の方がそいつなんかよりよっぽど都会ッコのはずなんだけど、藻岩山の麓に住んでいて人からご飯をごちそうになっているタヌキや、芸術の森あたりの林道で痩せこけた姿を曝すキツネとちがって町中に居るとすぐに判っちゃう。僕って大柄だろ。人間に化けて人混みに紛れ込んでも、目立ってしまうし、第一うろうろ歩く癖があるんで不審者扱いされちゃうよ。それに体臭もすごいらしいからね。自分のことは一番判らないのが普通って本当なんだろうな、そんな臭いはしない気がするんだけどね。口の臭い人と同じかな?
 
 見つかったら剥製になるまで追っかけられてしまうから、そろそろ山に戻ろうっと。隠れているうちに天気がものすごく暑くなって、美味しそうな木の実のにおいがしてくるようになったんだ。しっかりご飯が食べられるといいな。冬眠できたらまた来年来て、今度は大通公園ってところまで行ってみたいな。
投稿者血液浄化センター長 大江 公則
「南アフリカで」 佐藤 和生
2012年09月10日
髪切ったら

こうなりました?(°□°)/









約800円(_ _)
投稿者外傷センター医師 佐藤 和生
「泥棒」 東 直樹
2012年09月03日
私は昭和63年3月に卒業し、4月に札幌医科大学第一内科入局し、1年後の平成元年年6月からM市立病院で研修を始めました。そこで、上司のF先生、一期上のS先生、二期上のK先生とよく一緒にのみに連れて行かれました。F先生は私のことはよく「あずまっち」と呼んでいました。
M市立病院に赴任して約1年後。大腸内視鏡検査(CF)を終えたある晩。「ちょっと、いくぞ。」といわれ、夜のみに生きました。「初心者のくせに、CFがうまくいきすぎる。」と叱られました。私の場合、新人デビューの第1例目から7例目まで、誰の助けもなく何とか終点の盲腸まで到達していたからです。叱咤?を受けながら、飲んでいました。F先生はいつもより酔っていました。聞くと、奥さんが明日まで実家に里帰りしていて、今晩はゆっくりできるとのことでした。
翌日の午後
「あずまっち、家に泥棒が入った。」
「え?」「何か盗られました?」
「何も盗られていない。部屋も荒らされていない。」
「どうして泥棒が入ったとわかったのですが。」
「家に帰ってきた妻が、風呂場にウンコ(便)があったからだと言うんだ。」
泥棒が入って、盗るものがなかったら、腹いせにウンコをしていくという話があるとのことでした。
「F先生のウンコでないですが?」
「?」
「夕べの夜中にウンコしませんでした?」
「した。」
「場所は広くなかったでした。」
「広かった」
「それですよ。」
「そっか。」「それなら、安心だな。」とF先生が自宅に連絡している。
「東、ま・まずいぞ、F先生の奥さんに知れたら・・・」とK先生。
「え?」
その翌日から、F先生の奥さんからのF先生の夜の外出禁止令が発令されてしまいました。F先生は性格が良く慕われるのですが、酒に飲まれる傾向があります。禁煙が成功してからその傾向がより進んだとのことでした(F先生談)。従って、飲酒後のNGがあり、時折、夜の外出禁止令が発令されることがあったそうです。
 3ヵ月後・・
「もうそろそろ、F先生飲みに行きましょうよ・・」と私とK先生。
「ん・・・ちょっと聞いてみる」とF先生が自宅に電話。
「あずまっちとKっちが、どうしても食べにいかないかと俺を誘うんだが・・」とF先生の妻に連絡中・・。
数分後。外出禁止令が解除されたようで、
「よし、いくぞ!」と満面の微笑みで、先頭を切って職員出口に出た瞬間、急に立ち止まった。
「F先生、急に止まらないでくだ・・。あ!」
偶然?F先生の奥さんが、職員出口の外にいたのです。
行くき満々のF先生が先頭で凍り付く。F先生の奥さん、改めて後ろに僕らがいるのを確かめて、ニコッと笑って「帰りはきちんと送ってくださいね。」一同ほっとして出発しました。
 F先生の奥さんはU町の馬主のお嬢さんで、聞けば、お見合いの2次会で酒に飲まれて記憶を無くしたF先生が相手(F先生の奥さん)をぼこぼこになぐったあとで「F先生は私が矯正?しなければならない」と思って結婚した奇特な偉い奥さんです。
現在、F先生はU町で開業して、夫婦仲良く必殺の漢方医?として働いているようです。
投稿者消化器内科部長 東 直樹
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