ブラジルの
2012年05月28日
安いホテルで
シャワー浴びて
体洗って
泡を流そうと思ったら
水が出なくなってました。
ウワァァァァァァァァァァン?(゜□゜)/

しょうがないから
そのまんま。
ワイルドだぜぇ~


2年前、南米とアフリカを旅してました。
いろいろありましたけど
ウガンダが一番衝撃的でした。



エイズ孤児院に10日間滞在したときの話。
子供達のお手伝いで
ヤギ小屋のヤギを外に出しました。
ヤギ小屋は大体6帖くらいの広さだったでしょうか
真ん中になんとなく重そうな丸太があって
それに10頭くらいのヤギがヒモでくくりつけてありました。


ヤギを外に出すためにはヒモをほどかなければいけません。
想像に難くないでしょうが
ヒモはヤギさん達のうんちまみれ・・・

いや
まみれ・・・
というよりはもっとジューシーといいますか
しみ込んだ感じ。
そうですね
7:3でおしっこですね。
どっぷり浸った感じでした。
ゴム手袋なんぞある訳も無く
もちろん素手でほどくわけです。


まあ
嫌だなんて言ってられないし
子供達は普通にやってる。
やらなあかん。
空気読まなあかん。


このときほど
うんちがちょっと前までは食べ物だったという
普遍的は事実を
強く自分に言い聞かせたことはありませんでした。


ヤギは英語でGoat(ゴウト)だから
まさに
ゴッドハンドならぬ
-ゴウトハンド-



して
次なる衝撃は間髪入れずにやってきました。






からの~

「お昼ご飯」


お昼ご飯は
トウモロコシの粉を練ったものを
スープにつけて食べます。
はい。
手で(._.)


手で食べます。
水道はありません。
バケツに水がためてあって
そのバケツの一番下についている
チクビみたいな金具をプッシュすると
水が
ちょろちょろちょろ・・・


石けんもなかったので
持っていたシャンプーを駆使して
ゴウトハンドから
可能な限りゴウトっぽさを取り除き
子供達と一緒にテーブルにつきました。
やらなあかん。
空気読まなあかん。


お前何言うてんねん!
子供達はご飯食べよう思ても、
お腹いっぱい食べられへんねんぞ!!
頭の中でもう一人の自分が
励ましてくれました。


自分の中で何かを麻痺させて
おいしくいただきました。
お昼ごはんの素材にヤギは入っていないのに
なぜかちょっぴりヤギ風味。
えへへ。
これぞまさに
やけくそ。



も一ちょいいきましょう。


ハマダラカ

知っていますか?


熱帯地域に生息する
「蚊」です。
超高感度レーダーを用いて僕らに近づき
命がけで血を吸いにくる奴らです。


ウガンダにも生息している奴らはさらに
マラリア
という兵器を隠し持っています。


当然こちらも
裸で奴らの中に飛び込んでいくわけはなく
人類はハマダラカに対抗するための秘密兵器を開発してきました。


秘密兵器その?
-かとりせんこう-


その螺旋構造は
効果の持続時間を可能な限り長くするよう緻密に設計されており
使い方を間違えなければ
人体にはほぼ無害。
それでいて蚊に対する殺傷能力は高く
安価で軽く
誰にでも使える兵器です。
寝る前に仕掛け
すべての窓をしっかり閉めれば
安眠が約束されます。
朝起きると
一晩中戦っていたかとりは
冷たい灰に変わっています。
ちょっぴりセンチメンタルな兵器です。


秘密兵器その?
-抗マラリア薬-


なんだかんだいって相当刺されるので
週に1回飲めば効く
「メフロキン」
という薬を飲んでいました。
マラリアなんて、
かかったら死んでまうやん。
そしたらお母ちゃんになんて言うねや。
ここでやられるわけにはいかへんで?(°□°)/
と思ったので
きっちり飲みました。


しかしこの薬
副作用の項目を見てみると
ガク((°□°))
ガクガクブルブル((((°□°))))
ガクガクブルブルブルガタガクガク(((((((°□°)))))))


なんと
-統合失調症-


キターーーーーーーーー!!(°▽°)
統合失調症キタ!!(°▽°)
副作用で統合失調症て(′▽`)


統合失調症って、
薬の副作用でなってええのんか?
んー?
これはこれで、
お母ちゃんになんていうねや。
いや、
言われへんやん。
隠して生きてくしか無いやん。
と思いながらも
きっちり飲みました。


結局
メフロキンを飲んだ翌日の朝だけ
毎回決まって
若干得体の知れない不安感に襲われる程度で済みました(-_-)




旅から帰ってきて変わったこと?
う~ん。
特にありませんが
敢えて言うなら
誰もいないのに時々
「飛べ!」
って聞こえるようになったことくらいです。
投稿者外傷センター医師 佐藤 和生
引っ越し
2012年05月21日
最近、たくさんの段ボールが院内に運び込まれています。新病院への引っ越しの準備が進んでいるのを実感しています。

私の引っ越しというか引っ越し後の話を書こうと思います。

今住んでいる家(一軒家)に引っ越したのは去年の冬でした。前の住人が出たばかりの家。借りる前に見せてもらいましたが、家の中は使い勝手が良さそうで好印象。庭は雪が積もっておりよくわからず。庭にある大きな松の木の枝が雪の重みで数本、折れていましたが、この時は特に気にしませんでした。

引っ越し後、周囲の家に挨拶に行くと、庭の木の剪定をお願いできないでしょうか、と。そのときは松以外の木に葉がついていなかったせいか気にならなかったのですが、それほど広くない庭に2階の高さくらいの木が3本あり、どれも伸び放題で、周囲の家の敷地に張り出していました。自分の家の敷地だけでなく、周りの家の敷地への落ち葉も多かったようです。

春になり雪が溶けると、庭にはシート状の落ち葉の固まりが出現。何年かければこんなになるのか…。さらにその中から、ビニールや、小さなホタテの貝殻やその他よくわからない貝殻が、なぜ?というくらいたくさん出てきました。前の住人は庭の手入れにあまり興味がなかった、というのが周囲の住人の評価で、妻は隣の住人でない複数の人に、ここの庭の掃除大変でしょう、と声をかけられたと言っていました。

庭の落ち葉等の片付けが一段落したある日、妻が隣の住人から、お宅の屋根に木が生えているのを知っていますか?と言われたと。自分の家の敷地や道路からはみえず、隣の庭におじゃましてみると確かにみえる、と。
近くにまだ剪定のしていなかったのび放題の木があるので、それの一部をみたのだろう、と思ったものの、妻も確かに見たと言うので、屋根に登ってみました。
生えていました。自分の身長より高いやつが。屋根が谷になっている部分の一番低いところが溝になっており、そこが落ち葉等では詰まらないように木の板が敷いてあったようなのですが、それが見事に朽ちてたくさんの落ち葉とともにいい感じに栄養豊富そうな腐葉土となり、屋根の谷の部分を埋めていました。木はそこにびっしりと根をはっていました。木には毛虫も多くついており、何とも異様な風景でした。そこにあってはいけないもの見た気がして、急いで木をそこから引き抜きました。

予想外の光景に動揺し、カメラを取りに戻ろうという心の余裕をもてなかったのが残念でなりません。
投稿者放射線科医長 佐久間 明洋
『東日本大震災1年』
2012年05月14日
東日本大震災から, 1年2ケ月が経ちました.2011年3月11日14時46分当院での勤務中に幻暈を感じるような長い横揺れがありました.その後,震源地が私の郷里の宮城県沖である事を知り,時間が経つにつれて分かってきた甚大な被害状況と友人・知人の訃報に愕然とするばかりでした.

あれから1年….今年3月10日,宮城県南三陸町を訪ねてきました.
南三陸町は,宮城県北東部の震災前人口約17000人の漁業が基幹産業の町であり,
大震災により甚大な被害を来たしました.町には今でも大量の瓦礫が残り,鉄骨だけとなった建物や津波で流された自家用車が建物の屋上に残っていました.町唯一の病院であった公立志津川病院も被災し,現在は仮設診療所が設置され外来診療が行われていますが,入院診療は町から約30km離れた隣接する登米市の診療所の一部を間借りする形で行われている状況で町民の方々は震災から1年経つ今も不自由な生活を送られています.しかし,悪いことばかりではありませんでした.今年2月にはプレハブの店舗約30件からなる仮設商店街ができ威勢のいい店員さんの声が響いていました.また海には養殖筏を見ることができました.町の基幹産業の漁業が再開したのです.復興までは,相当な年月が掛かりそうですが,少しだけ明るい話題を見つけることができました.

3月11日には町主催の『東日本大震災犠牲者追悼式』に参加しました.
御遺族代表として挨拶された高校生の言葉が胸に響きました.「震災で失われた沢山の命は皆、かけがえのない大切な命です.沢山の尊い命を無駄にしないためにも、この震災を後世に伝え、二度と悲惨な目に遭わせない。それが私たちの使命です」

復興に向けて,被災地は津波対策のための住民の高台移転問題,瓦礫処理等…様々な問題を抱えています.震災から1年が経過して被災地以外では残念ながら,その記憶が風化してきているのが現状かと思います.発災当初は,余りの希望者数で断りを入れていたというボランティアの数も激減しているとのことでした.被災地を支援する方法は様々だと思います.『震災のことを記憶に留めている事』…それも一つの支援になるのではないでしょうか.どうか,この震災の事,そして現在も,なお元の暮らしに戻れず辛く苦しい状況の中,復興に向けて被災地にて頑張っておられる被災者の方々の事を忘れないでいて下さい.震災により犠牲となられた方々のご冥福を祈ると共に,被災地が災害に強い町として再生し,被災者の方々が安心して生活ができる日が来ることを祈りたいと思います.



1.南三陸町中心部を対岸より望む:瓦礫が現在も大量に残っています(写真右端).
    (2012年3月11日撮影)


2.公立志津川病院(2012年3月11日撮影)


3.瓦礫の処理は, 現在も続いています(2012年3月11日撮影)
投稿者消化器内科医長 佐藤 康永
露天風呂、おしゃべり、ムショ帰り、そして傾聴
2012年05月01日
Q. 7歳くらいの女の子から、
 「おとうさんはね?、けいむしょはいってるんだけど、
  あしたかえってくるんだ?ww」
…と言われたら、あなたは次になんと言いますか?

***   ***   ***   ***   ***

これは実際に私が言われたことです。
さて、もう少しその会話に至るまでを書いてみます。

私が娘と近所の銭湯に行った時のことでした。
露天風呂に入っていたら見知らぬ7歳くらいの女の子がやってきて、
しきりに私に話しかけてきました。

そういうことは珍しくないのでおしゃべりを続けたのですが、
一つ奇妙なことがありました。
その子はうちの娘を会話に全く入れず、ひたすら私に話し続けるのです。

う?ん?

娘は一人遊びが得意なのであとでたっぷりフォローすることにして、
しばしその子につきあってみました。
いずれ母親が来るだろうと思いつつ…。

…ところがね、来ないんですよ(苦笑)。
かれこれ20分もしゃべっているのに、保護者がだーれも来ないんですよ。
この子の家って大丈夫かなぁ…?と、思ってたら、
その子が家族のことを話しだしました。


「うちはね?、ばーちゃんと、おかあさんと、おとうととわたしの、
 4にんぐらしなんだ?ww」
『そうなんだね?、4人暮らしなんだ?ww』
「おとうさんはね?、けいむしょはいってるんだけど、
 あしたかえってくるんだ?ww」

***   ***   ***   ***   ***

さて、この状況で、あなたはどうしますか?何と言いますか?

***   ***   ***   ***   ***

私は1.5秒くらいフリーズしましたが、
次のように返事しました。
『そうなんだ?、お父さん、刑務所から明日帰ってくるんだ?ww』

意識したことは1つだけです。
『よかったね』とか『大変だね』とか、自分の気持ちを言わないこと。
だから、『そうなんだね』と受け止めて、その子の言葉を繰り返しました。

するとその子は、すごく驚いた顔をしました。
それから、さっきまでとはちょっと違った表情で、
「…うん、あした、おとうさんかえってくるんだ……」
と、繰り返しました。

それで、気持ちを聞いてみることにしました。
『どんな気持ち?』
「…ちょっとしんぱい」
『そうか?、心配なんだね』
「うん、しんぱい」
それからにっこり笑ってばいばいして出て行きました。

***   ***   ***   ***   ***

その子は気持ちを聴いてもらうことがほとんどなかったのかもしれません。
今頃どうしているのかな?
誰か彼女の話を聴いてくれる人がいればいいなと思っています。
投稿者産婦人科医師 敦賀 律子
ハリーポッターのすすめ
2012年04月23日
ハリーポッター全7巻を読破した人はどれほどいるでしょうか。面白いからと勧められて手にとったのは10年以上も前のこと。児童文学?!…と躊躇もありましたが、小児科ですし、甥が夢中だったので話題を共有するつもりで読んでみたところ、つぼにはまりました。作者JKローリングさんが離婚後生活保護を受けながら、娘が寝ている間に黙々と書き綴ったデビュー作という事実も驚きです。11歳の孤児ハリーが、自分が魔法使いであることを知り、魔法学校で学びながら仲間とともに成長する姿が実に緻密に壮大に描かれます。子供が主役の魔法世界だし、悪の枢軸との決戦になる冒険だし、現実離れも甚だしい空想世界!と、思いきや単純な勧善懲悪や友情物語ではありません。世の中や身近に感じる差別や不条理、善悪ですら不動ではない戸惑いなどを絶妙にちりばめ、誰もが共感したり自問したりできる現実社会と同居した空間…児童文学と一言で片付けられない偉大なものでした。登場人物が多すぎて、誰が誰やら?!?と、挫折につながるようですが、何とか負けずに乗り越えたい。翻訳本は賛否両論で、英語が得意な人には原書がおすすめ。そこは児童書、難しくない英語のようですが、私にはハードルが高かった…。先日、電子書籍版が発売され、3日間で1億円を売り上げた世界的大ヒット作品、いずれは挑戦したいと夢は広がります。ファンタジーの世界に遊びながら、ふと現実を見つめ直す『ふわっとした心地よさ』にささやかな贅沢を感じます。おすすめです。
投稿者小児科医長 大島 美保