「驚き」 関山 伸男
2021年03月22日

 "自分が死ぬことなど考えたこともなかった"と80才も過ぎた老婆は死の間際に目を大きく見開いてつぶやいた。

育ち盛りの6人の子供と夫と腰の曲がった義父といった大家族を抱えての日々を思い出しながら、当然ながらそのころには自分の死などについては少しも頭をよぎることは無かったと。

今ならばあばらやともいえる家もそのころには並の家と感じられていた。家の横に広がる畑には季節の野菜はもとよりトマトやウリやスイカが実り、秋口には数種類のリンゴや二十世紀ナシに似た北海早生などのナシや大栗、デラウエアなどのブドウが秋の冷気の中で味わえた。鶏の卵や羊のミルクも毎日のメニューであった。

子供たちはいずれもそこそこの優れもので、田舎では自慢の種であった。唯一お金はなかったが、6人の子供を大学にまで通わせた。さらにだれかが病気になった時に困らないようにと1人を医者に仕立てた。このような日々をやりくりする中ではもちろん死などを考える余裕もなかったと。

しかし夫が定年になって子供たちもそれぞれ独立して日々の生活に余裕ができたあとは、子供や孫との付き合いの中で月日を過ごして齢を重ねる中で自分の先行きを考える時間もあったとも思われるが、自分の死などには思いもおよばなかったと。

医者になった子供は医者になった時から自分の死にざまをあれこれと考えて時を重ね、今母親のいまわの際に近い齢になった。

母親が死に際に"自分が死ぬことなど考えたこともなかった"とつぶやくのを聞いた時にはとても驚いたが、自分の死ということを少しも考えずに生きてきたということの意味は本人にしか分からないこととして、この言葉をつぶやく姿を思い出すたびに今でも驚きを禁じ得ない。


ちなみに比べるべくもないことではあるがナイチンゲールについても自分の死について語ったところはまだ見たことがない。是非にも彼女の頭の中を訪ねてみたいものである。

投稿者消化器内科主任部長 関山 伸男