「これでいいのだ」 長尾 知哉
2021年03月29日

 年度末である。

 大事な仕事の一つに1年に行った手術症例を学会に報告するものがある。電子カルテを365日1日1日開けると、その時どきに手術などで縁のあった患者さんの名前が画面に出てくる。その中には終末期を迎えた患者さんもいる。

 コロナ禍の中、当院では通常の手術は滞りなく行われた。しかし、病院は治療の場であるが看取りの場でもある。「面会制限」という4文字は病院で行う緩和ケアに大きな試練を与えた。

 本来、「密」が売りの緩和ケアにとって家族との面会は重要な要素である。終末期を迎えた患者さんにとって、家族との最後の触れ合いは生きる希望でもある。医療者にとってはより良い旅立ちのために家族との連携は欠かせない。

 ホスピスが「施設」である以上、面会制限はついて回る。となれば、究極の「密」は在宅ホスピスとなる。近隣では看取りまで対応してくれるクリニックが増えた。家族は在宅ワークで家にいる時間が増えた。「少し暇になった」という家族もいる。在宅療養の条件がコロナで整った形となった。

 将来しんどくなるだろう患者さんに「しんどくなったら」とは言えない。「長尾の顔が見たくなったら戻っておいで」と言い、握手をして自宅へ送り出す。

 「戻っておいで」とは言うものの、患者さんは戻ってこない。結局それが患者さんとの最期の会話になっている。

 「家族に見守られる中、静かに自宅で亡くなられました」と訪問診療医からの手紙が届く。バカボンのパパではないが「これでいいのだ」と自分に言い聞かせる。

 手術症例を入力していくだけなのに、握手をしたままの患者さんを想い、カルテを眺めている。

 年度末までに仕事が終わらない。

投稿者外科・乳腺外科医長 長尾 知哉