リレーエッセー初登場の岡野聡美です。昨年春から当院に勤務しています。私は社会人を経験後、医学部に入学し医師になりました。今回は学生時代の話にお付き合い下さい。
解剖学実習は御遺体にメスを入れさせて頂き、人体構造を三次元で学ぶ医学部ならではの実習です。「自分が亡き後、遺体を医学・歯学教育や研究のために役立ててほしい」という尊い志を持った方達が、生前大学の白菊会という組織に登録し、死後御遺体をお預かりする献体という制度によって実習が成り立っています。
「目の前の御遺体は、あなた達の最初の患者さんです」。解剖学実習の初日、教官は緊張して臨んだ私達にまずそう告げました。とは言うものの、学生には御遺体の名前すら知らされません。私達4人グループが担当する御遺体の覆いをそっと外すと、そこに横たわっていたのは、小柄な50代半ばの男性でした。瘦せていて腹部には胃まで貫通する小さな穴が開いていました。他の御遺体は高齢の方が殆どの中、まだ若いのに何故・・・と私達は顔を見合わせました。しかし限られた実習時間の中、躊躇している暇はありません。ホルマリンの匂いが充満する部屋で、数か月間必死に実習に取り組みました。初めて使うメスで皮膚をはがし、筋肉をわけて細かい神経の走行まで確認し、内臓を全て取り外し、骨も一つ一つバラバラにして、座学で学んだ知識を確かめさせていただきました。
最後の実習は納棺でした。大切に保管してあった御遺体の組織を一つ残らず私達学生の手でそれぞれの御棺に納め、その後火葬され遺骨が御遺族に返却されます。閉じられた御棺の蓋には「A様」とフルネームが書かれていました。ようやく、生きていた証を少しだけ知ることができました。
秋に献体をして下さった方々を弔う合同慰霊祭が行われました。実習で担当させて頂いたAさんの御遺族が名前を呼ばれ、焼香に立つのをドキドキしながら注目していました。祭壇に進んだのは、優しそうな50代と20代くらいの女性でした。すらりとした若い女性は、Aさんに似ています。Aさんの奥さんと娘さんでしょうか。慰霊祭が終わった道すがら、私は解剖学実習のお礼を言いたい衝動を抑え切れず、Aさんの御遺族を追いかけ思い切って声をかけました。御遺族は、Aさんの妹さんとその娘さんでした。Aさんは腕利きの家具職人で生涯独身だったこと、女手一つで妹さんが育てていた姪御さんを実の娘のように可愛がっていたこと、筋ジストロフィーを発症して全身の筋力が低下し、最後は腹部に穴をあけ胃瘻から流動食を摂り人工呼吸器を装着していたこと、「こんな自分でも最後に何か社会の役に立ちたい」と献体を申し出たこと等々、生前のAさんのことをたくさん話して下さいました。そして「兄はとても立派な社会貢献ができたんですね。ありがとうございます。私も亡くなったら是非献体しようと思います」と晴れ晴れとした笑顔で私にお礼を述べられたのです。隣にいた姪御さんの笑顔がAさんと重なりました。名もなき御遺体だったAさんが、人生を全うして本物の私の最初の患者さんとなった瞬間でした。あれから四半世紀経った今でも、たくさんのことを教えてくれたAさんが「努力を怠っていないか」と、初心に立ち返るよう見守ってくれていると信じています。