- HOME
- ブログ
- コメディカルリレーエッセー
- 「~年末年始の救急車に想う~」 藤澤 久美子
新年あけましておめでとうございます。
僭越ながら、年初のリレーエッセイを勤めさせていただきます。
さて巷では、この年末年始は9連休の恩恵に預かれる方々が多かったとのこと、
羨ましく思いつつ私は元旦からの出勤が嫌ではない。いつもの出勤風景とは違う静寂が清々しく、
身が引き締まる思いがするからだ。と言うと聞こえは良いが、実のところ、年齢を重ねるにつれ、
日々の生活リズムや習慣を変えてしまうと復活が大変...という問題を解決すべく、
個人的に年末年始を通常営業としている。
今年も元旦に出勤し、普段と変わらず医師からのリハビリ処方箋をチェックする。
生活背景や病歴、救急搬送に至った経緯などをカルテから読み取っていくのだが、
その処方箋が普段とは明らかに違う毎数だった。年末年始に救急対応された関係者の方々に頭が下がる思いだ。
普段と違うのは患者様の数だけではなく、その方々の居住地である。
遠くは中山峠を越え、市内であっても厚別とは対角にある西や手稲区の住所を目にすることもある。
「遠路はるばるご苦労様でした」と心の中で思い、過去のある出来事を思い出す。
私事になるが、当職に就く前は介護施設に在籍していた。西野の山奥だ。
有料老人ホームにショートステイを併設した複合施設をオープンさせたばかりの頃、
ショートステイされていた末期癌の利用者様が突然の体調不良を訴えた。
医師の在籍しない介護施設は当然救急要請が求められる。
救急車が到着し、いざ搬送!と思いきや、施設の敷地内から救急車が一向に動かない。
救急隊はあらゆる病院に連絡をとってくれているようだが、どこも受け入れができない様子だった。
救急車が動かないまま2時間が経過、救急隊はいよいよ我々職員にもどこか病院をあたってくれと要請してきた。
我々はツテを頼るしかなく、かなり遠方だがやむなく札幌徳洲会病院へ電話、残念ながら満床とのことだったが、
代わりに南徳洲会病院に繋いでいただけた。この時の安堵といったら...。
その時すでに救急車到着から4時間が経過していた。
知人の医師から、「札幌徳洲会は最後の砦」と言われたことがある。かつて急変した患者様をお願いする
立場だった身として、そして今は「年末年始も救急を断らない病院」の一員として、誇りを持って仕事をしよう!
この想いが私の年頭所感である。