お盆休み
2015年08月18日
珍しくお盆に連休をいただきました。
実家が商売をしていた関係で、子供のころからお盆休みとは無縁でしたので、8月13日にお墓詣りをしたのは、実は初めてのことじゃないかと思います。
混雑を避けて朝早く出発し、お墓を掃除して線香をあげ、父・母・祖母を連れて帰ってきました。
終戦間際14歳だった父は戦況が悪化する中、少年訓練生として新潟の飛行場で生活していました。特攻隊に行く兵士の年齢がどんどん下がり、12歳くらいの子まで訓練生として集められたそうです。食糧難の時代でもあり、そこでたくさん食べさせてもらえるからと言われて志願した子もきっといたのでしょうか。
10名の少年が2列に並んで寝る宿舎では、ホームシックに泣く少年やおねしょをする子がいたそうです。上官に知られると激しい体罰を受けるので、そうならないように父が布団をカムフラージュしたりして助けていたそうです。父が他界したあと、年賀状を下さった方へご連絡した際に、初めてそんな話を聞きました。
戦争があと1年くらい続いていたら、父も空に散っていたかも知れません。
戦争に関しては多くを語らなかった両親ですが、沈黙していたからこその重みを感じる、今日この頃です。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
戦争のことや亡くなった人のことを考えるのは、「今を大事に生きる」ということですね。
実家が商売をしていた関係で、子供のころからお盆休みとは無縁でしたので、8月13日にお墓詣りをしたのは、実は初めてのことじゃないかと思います。
混雑を避けて朝早く出発し、お墓を掃除して線香をあげ、父・母・祖母を連れて帰ってきました。
終戦間際14歳だった父は戦況が悪化する中、少年訓練生として新潟の飛行場で生活していました。特攻隊に行く兵士の年齢がどんどん下がり、12歳くらいの子まで訓練生として集められたそうです。食糧難の時代でもあり、そこでたくさん食べさせてもらえるからと言われて志願した子もきっといたのでしょうか。
10名の少年が2列に並んで寝る宿舎では、ホームシックに泣く少年やおねしょをする子がいたそうです。上官に知られると激しい体罰を受けるので、そうならないように父が布団をカムフラージュしたりして助けていたそうです。父が他界したあと、年賀状を下さった方へご連絡した際に、初めてそんな話を聞きました。
戦争があと1年くらい続いていたら、父も空に散っていたかも知れません。
戦争に関しては多くを語らなかった両親ですが、沈黙していたからこその重みを感じる、今日この頃です。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
戦争のことや亡くなった人のことを考えるのは、「今を大事に生きる」ということですね。
投稿者前看護部長 工藤 昭子
