「終戦の日」 田邉 康
2013年08月19日
ぼくは、3か月間札幌徳洲会で仕事をさせていただき、1か月間アラブの国を訪れる。 そういう生活を昨年から続けている。国境なき医師団の一員として、世界の紛争地に行かせてもらっているのです。いっぱいまわりに迷惑をかけながら、なんとも、身勝手に。


美しいシリアのまちなみ 10km先は戦場です

こういう生き方をしているせいかな、夢と現実を行き来しているかのような、妙な感覚がおそってくる。
ひと月前 戦闘で全身の大ヤケドを負った患者さんたちを必死で手術する生活にあえぐ
いまは  どこにも、そんなひどい患者さんはいない
ぼくは生死を彷徨う患者さんたちをおいてきた。
そしてビアガーデンで賑わう美しい町にポツンといるのです。


安物の燃料が爆発したため顔面がただれてしまった少年

8月15日、我が国は「終戦記念日」
でも、パキスタンもシリアもアフガニスタンもイエメンも戦争状態が続いている。
「戦争を知らない子供たち」の一人であったぼくは戦争を感じながら生きています。
ニッポンの戦争の延長上に現在の戦争もあると感じてしまいます。
戦争はけっしてなくなっても、おわってもいない、
だから、ちょっと、いや、かなり、「しゅうせん」という言葉、むなしい
「せんそう記念日」に祈ること  戦争よ!早く終わって!ばかなことだからさ


医学部の最終学年の彼、戦争のために卒業できずに手術助手として働いている。
生物学者を目指していた彼、手術後の患者さんの付き添い看護師として奮闘中だ。
アラビア語学科のエリート学生は、手術室の掃除係として汗を流している。
2年前に歯車が狂い、未だに先の見えない人生  いっぱいの笑顔、友情


ラマダンというイスラム教徒の習慣があります。1年に一度、約1か月間、太陽が昇っている間は飲み食いを一切しないのです。この夏、とびきり暑い季節にそのラマダンがやってきました。それにぼくも参加してみました。
昼間は普通に仕事をします。飲み食いしないため、目に見えて体力が弱ります。
気力を振り絞って耐え抜き、日没。待ちに待ったご飯の時間が始まります!



なんと美しい習慣でしょう。夕暮れ時の街角に三々五々、人々が集まってきます。みんなで食べ物を持ちより、円座になります。「さあ、おいで、一緒に食べよう」異教徒のぼくにも分け隔てなくあちこちから誘いの声がかかります。
透きとおった水が満ちた瓶に感謝のキスをしている女の子、そのすがた、なんてキレイ!!

最初に黒い色をした漢方薬の様なジュースを飲みほします。
手作りのパンや煮豆、卵のトマト炒め、生野菜、鶏や羊の肉、デザートへと進みます。
みんな、自分が食べる前に必ず他人に勧めます。お互いをきづかい食事に感謝しながら、大事な大事な時間を過ごすのです。


あちこちから手が伸びるのがイスラム流

ぼくのラマダンは帰国のために1週間で終了。その後は暴飲暴食が続き、あっという間にメタボのおなかに回復。食に感謝する気持ちも残ってはいるけれど、疲れてくると、やけ食いをしては自己嫌悪に陥るパターンも復活だ。


オリーブ畑がえんえんとひろがる さんさんと日の光をあびて
美しいものを美しいとかんじれる そういう人がたくさんいる世の中って
いいなあ
いいですよね
投稿者副院長 田邉 康
「新病院に移転して」 伊藤 喜代春
2013年08月12日
新病院に移転してからすでに1年以上がすぎた。あっという間の1年であったと思う。僕が、旧病院に勤務したのは、昭和62年の4月であり、それから平成24年6月末まで、急性胃腸炎で3日間ほど外来で点滴し、森先生に入院を勧められることもあったが、病欠することもなく勤務させていただいたのは、感謝の至りである。
栄通18丁目にある旧病院は、現在の新病院に位置する病院と違い、入職時は、平岸に住んでおり、現在は福住から通勤している僕にとっては非常に便利な場所であった。東北通りを抜けて左折すれば、信号待ちをせず、病院裏の駐車場についた。病院わきから裏玄関にはいり、2階に上がれば医局であった。外来も内科より外科に通じており、救急外来に通じていた。内科、外科、外傷の診察室をとうり抜ければ、救急外来に行き着いた。外来の看護婦さんも、現在と違って毎日でも顔を見合わせることができた。
新病院に勤務してからは、各部署が区分けされ、部署が違えば全く顔を合わせることもなく、突然、会えば懐かしいといった感じになる。その点は、さびしい気がする。旧病院当時の研修医の先生が、3名、内科医が、4名ほどで小世帯で内科全般を受け持ち、週2回の夕診、月5回の当直をこなしていた。あの当時は、30代半ばであり、精神的にも肉体的にもがんばりがきく年代であった。
旧病院の5階、6階からは、高層のマンションが周囲にあり、色彩のない殺風景であった。新病院は、大谷地東1丁目にあり、交通量の激しいところで、旧病院と比較すると駐車場に到着するまでには信号待ちが多く、特に冬場は通勤時間は、大幅に長くなった。駐車場も病院から離れており、利便性は悪い。良いところは、駐車場の屋上から美しい夕日が見えることであろうか。新病院は、建物全体が広く、美しく、病棟も廊下も広く、廊下を歩くとなにか快適な気持ちになる。旧病院から新病院への移転は、古いアパートから豪華なマンションに引っ越ししたような感じである。
投稿者内科医師 伊藤 喜代春
「コンサドーレを(も?)応援しましょう 2」 河原 温
2013年08月05日
私は北海道で生まれ、北海道の学校を卒業し(小・中・高・(予備校)・大学)いままでの職場も全て北海道という生粋の道産子です。したがって、北海道愛は皆さん同様にあるつもりです。政治、経済、文化等々、北海道をいつも応援しています。
前回のリレーエッセーでコンサドーレ(以下 コンサ)のJ1残留を応援することを書きましたが、予想通り(?)の連敗街道まっしぐらで再びJ2降格してしまいました。ちまたでコンサは“エレベータークラブ”といわれているそうです。要するにJ1に上がったり、J2に下がったりを繰り返すエレベーターのようなチームということです。悔しいですが事実ですので受け入れざるを得ません。そのコンサは生粋の北海道のプロスポーツクラブです。前身は東芝サッカー部でプロ化への移行期にはいろいろあったようですが、現在は親会社を持たない純粋な北海道のプロサッカークラブです。Jリーグの基本理念のため(義務ではないようですが)スポンサーは地元企業からということになっているため親会社を持たないコンサの資金繰りは北海道の経済状況に大きく左右されます。いい選手の獲得にはお金がかかるため貧乏クラブのコンサはなかなか強豪チームとなることは難しい状況です。事実、全国に散らばるJリーグチームのなかで常にJ1に名を連ねる強豪は関東、関西、東海といった地域に偏っています。したがって私見ではありますが、コンサの強さが北海道の力であるような気がして悔しい限りです。
北海道の力というならば日本ハムファイターズ(以下 日ハム)があるじゃないか!という反論は当然あるかとは思います。今年は調子が悪いようですが、日ハムは毎年のように優勝争いをして我々道民に元気を与えてくれる存在です。そのため批判するつもりはありませんが、北海道の力…とは違うような気がします。いくつかポイントがあるのですが文章が長くなってしまうのでひとつだけ、親会社が大阪に存在していることが私にとって最大のnegative pointです。コンサが強くなったときに北海道に力がついてきたといえるのではないでしょうか。
前述でコンサの資金繰りは北海道の経済状況に左右されると書きましたが、もう一つ重要な要因があります。観客動員数です。スポンサーがつかなくても観客が入ればコンサは元気づきます。そこで前回のリレーエッセーでの最後の文章を引用して…日ハムファンの方もぜひ札幌ドームや厚別競技場に足を運んでコンサの試合を観戦してみませんか?ひょっとしたら試合後には“サポーター”になっているかもしれませんよ(笑)
投稿者眼科部長 河原 温
「北海道の風景」 片田 竜司
2013年07月29日
気がつけば、7月も下旬。日差しもだいぶ強くなり、すっかり夏らしくなりました。一月、二月に降ったあの大雪がうそのようです。北海道のかたにとっては、ごく当たり前の変化なのかもしれませんが、わたしはもともと雪が降らない本州出身のせいか、北海道のダイナミックな季節の変化には毎年驚かされます。あんなに多かった雪が春先にはきれいに溶けて、初夏にかけては、野原や森だけではなく、公園や街路樹まで一気に新緑が広がり、それが秋にはこれまたいっせいに赤や黄色の紅葉になって、さらに冬にはまた雪が降って一面銀世界にと、季節によって風景が白→緑→赤/黄→白と変化し、日本の四季が強く感じることができて、北海道にきて本当によかったと思います。
そんな色彩豊かな北海道の風景で最も印象に残っているのが、十数年前のちょうどこの季節(麦を収穫する直前)にみた美瑛の丘の風景です。夕日に照らされた麦が金色に輝いて、某メーカーのアルコール飲料ではありませんが、まさに金麦でした。自然界に存在する金色をはじめて見た(そもそも自然界に金色は存在しないと思い込んでいた)のでとても感動したのをよく覚えています。ただ、残念ながらその景色を見ることができたのは、そのときの一度きりで、そのあと「金麦」を見るために何度か美瑛の丘に足を運びましたが、麦が収穫済みだったり、天候が悪かったり、夕日の時間帯にうまく合わなかったりと、なかなか条件があわず、結局、現在まで見ることが出来ていません。毎年、この時期になると、あの黄金に輝く幻の金麦を思い出します。ぜひ、もう一度見てみたい北海道の季節の色のひとつです。
投稿者放射線科部長 片田 竜司
「小児科医のアンチ・エイジング」 岡 敏明
2013年07月22日
小児科医として働いてきたため、「老化」について、真剣に考えてこなかった。しかし、自分自身が歳を重ね、最近はアンチ・エイジング関連のテレビ番組をみたり、関連本なども読むようになった。
 最近強く感じているのは、筋肉は鍛えられたこと。しかし、うっかりしていると思わぬ箇所の筋力が落ちてしまうことだ。万歩計をつけて歩いたり(目標1日1万5千歩!)、テレビの「ラジオ体操」を録画し、イチニーサン、と毎日やったりしている。犬(トイプードル)との散歩、森(野幌森林公園)の散歩も大切にしている。また、顔や口の周りの筋力も落ちやすい。しかし、しっかりと鍛えれば、これらの筋力も確実に回復することも実感した。
 ところで、最近の研究では知能や記憶力なども、実は鍛えることができるらしい。まず腦を鍛えるためには、毎日の運動、脳を適度に使うこと、などが大切らしい。東京の板橋区では自治体が、「認知症予防プログラム」を実施しているようだ。残念ながら、札幌市ではこのような取り組みはなさそうなので、とりあえずは自分で取り組むしかない。旅行を自分で計画したり、新しいことに取り組んだり、読書や歴史を学びなおしたりと、毎日脳の活性化を意識している。
 ということで、アンチ・エイジングに関して初心者であるが、今後は「更に新しいこと」にも取り組みたいと思っている。囲碁やパークゴルフ、俳句や短歌(日曜朝にテレビでも放映している)、釣り、野菜作りなど、生き生きと取り組まれている先輩も多い。これからは、仕事一筋(?)から方向を変えようと思っている。そして、「お酒や競馬は控えめに」など、あれこれ考えだしている今日この頃であります。
投稿者小児科部長 岡 敏明