「子守唄」 中川 麗
2013年10月21日



ガリッ・・・ガリッ・・・ガリッ・・・
日の出を待たずに引っ越しが始まった。

まだ若かった夫婦は、家族が増える日に備え、ハイハイをしても膝にトゲがささらない新居に向けて出発した。全財産は直径1mのちゃぶ台を裏返した中に収まった。路面をツルツルに覆う氷が溶け出す前に移動を完了する予定だった。

前方2つの脚に結んだヒモは夢見る青年が引き、後ろは不安をぐっとこらえる母親が押した。

お腹の中ではのんきな私が朝寝坊をしていた。



Ombra mai f醇・
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave pi醇・lt;br />

かあちゃんが歌ってくれた子守唄。つぶやくように、ささやく歌声に誘われてまぶたを閉じる、のどかな子供時代を送った。

中学校という反抗期を卒業した日、「こんなに優しい木陰はない・・・」と、繰り返す歌詞だと知った。



あれから40年近くがたつ。家族も増えた。何度か引っ越しが繰り返され、少しずつ自宅も広くなった。青年も娘達に薄くなった頭をなでられ、「とうちゃん」と冷やかされる。まんざらでもなさそうだ。

かあちゃんの頭もだいぶ白くなった。

かあちゃんは、ずっと一生懸命だった。怒って、泣いて、笑って・・・。かあちゃんには、驚かされることも多かったし、振り回されてばかりだ。たくさん喧嘩もした。

でも、私達にとっては、これからもずっと、かあちゃんだ。

かわらず我が家は、かあちゃんにつつまれ、後押しされ、見守られている。



元院長の森先生が退職される時、「札幌徳洲会病院は僕にとってお母さんです。」と話されたのを思い出す。病院設立前、更地に立つプレハブの中、就職面接を受け、初めての研修医としてこの病院に勤務したそうだ。病院の成長と共に医者人生を送ってこられた思い出話しを聞かせてもらえる機会に恵まれた。その時間が好きで、ここに就職することに決めた。お母さんは単純にお母さんであり、良いも悪いもない。誰かにとって、そんなところで働くことができることを単純に幸せに思った。その歴史の一部になることも嬉しかった。



Ombra mai f醇・ …..

今日も院内には、あの頃、かあちゃんが歌ってくれた子守唄が流れる。最近、院内BGMとしてよく耳にするように思う。それは、期待して耳を澄ませてしまうからだろうか。

急な病気に耐える方、人生の雨宿り中の方、その行方への不安に耐えて寄り添う方や、必死の職員・・・。みな、そのかすかに聞こえる子守唄の中、今日も明日に向かってもがいている。できる事が少ない現実に無力さを感じない日はないが、木陰は今日も優しく包んでくれている。


安心してがんばろうと思う。


投稿者総合診療科医長 中川 麗
「頭の体操。中学入試の算数問題でリフレッシュ」 紀野 泰久
2013年10月07日
ここの所、本屋さんに行くと小学校の「算数」を取り扱った本をよく見かけます。息子が小学生で塾に行っている関係もあるのかもしれませんが目につきます。

「小学校の算数なんて簡単じゃない」という声も聞こえてきそうですが、算数といっても中学受験の算数は非常に難しいです。一筋縄は行きません。こういう問題を集めて算数パズルとして本が出ています。

ただ算数の問題を解くときの縛りがあります。算数というからには小学校で習った知識で解かなければいけません。つまり中学校以上の知識を使ってはいけないと。

有名なものに「つるかめ算」というものがあります。たとえば
つるは足2本、かめは足4本。つるとかめ合わせて10匹いて、足の数の合計は30本。つるは何匹、かめは何匹。といった問題です。

これを中学校の知識で解くと二元一次方程式を使います。「え、なにそれ。そんなこと習ったっけ」という人もいるかもしれませんが・・・。

つるをx匹、かめをy匹とすると、つるとかめ合わせて10匹なので
    x+y=10 …… ?
つるの足は2本で、かめの足は4本。足の数の合計は30本なので
    2?x+4?y=30 …… ?
????2をすると
    2y=10
     y=5
?にy=5を代入して
    x+5=10
    x=5
つるは5匹、かめも5匹

となります。しかし小学校では方程式は習いません。小学校レベルで解くとするといろいろな解き方がありますが

解答?
10匹全部がつるだとすると、足の合計は20本。足の合計は30本なので10本はかめとつるの足の差になる。かめとつるの足の数の差は2本なので
    10÷2=5
かめは5匹。つるとかめ、あわせて10匹なのでかめは5匹

解答?
中学入試のテクニックに面積図というものがあります。色々使えるのですがここではつるかめ算で使ってみます。




斜線部の面積は40(全体の面積)?30(足の合計)=10
斜線部の縦はかめの足の数とつるの足の数の差で2
よって横は10÷2=5。かめは5匹。つるは10?5=5で5匹

ということで、方程式を使わずとも解けてしまいます。でも算数で解くという縛りは結構厳しい物があります。パズルとして解くには頭の体操としてはいいかもしれません。

今回はつるかめ算でしたが中学入試の算数は手強いです。特に図形問題はパズルの領域に入っています。ちなみに次の問題は有名な問題ですができますか?

問題:斜線部の面積を求めなさい。円は外側の10x10cmの正方形に内接する円です。斜線は正方形です。



答えは50cm2ですが出来ました?ヒントは斜線の正方形を回転させると・・・。
小学校の算数はパズルです。頭を軟らかくして挑みましょう。


最近気に入っている小説は「浜村渚の計算ノート」青柳碧人著。このシリーズ、実は第5作目まで出ています。計算ノートということから算数、数学関連ですが基本は推理ミステリーです。ただ高度な数学の話が出てくるので文系には辛いかも。でも数学の知識がなくても楽しめるとは思っています。

ではではまたお会いできることを祈って
投稿者外科部長 紀野 泰久
「お酒」 東 直樹
2013年09月30日
お酒は、百薬の長といわれるが、飲み過ぎると失敗することがあります。
かなり昔の学生時代の話です。
S医科大学入学後、母校のK高のOBによる新入生歓迎会があった。当時、私はほとんどお酒を飲む機会がありませんでした。
歓迎の乾杯後、酒をつがれて少しずつ飲んでいました。
・・・・・
ひんやりした広い体育館?に運ばれて・・・、
遠くから声が聞こえる
「おい!」
「おい!」
「おい!」
「返事しないな」
「まずいぞ?・・・」と声が聞こえたとたん
「うっ・」
と私が吐いた瞬間に
「たいじょうだ!」「生きてる!」
と自宅に送り帰されました。飲んでいるうちに酩酊して気を失ったのである。いわゆる一種の急性アルコール中毒である。
翌日は一日自宅で吐いては寝ており、翌々日二日酔い(?)の頭痛で寝ており、親にあきれられました。後日、弓道場の謎のゲロ事件と噂されました。

大学6年になると、各医局の先生方がポリクリ実習中の6年生と来年度の医局の勧誘(?)を兼ねて飲み会がよく行われました。その頃、私は第3内科で実習中でしたが、第4内科に実習中の同期の友人から「第4内科の飲み会で人が足りないから、飲みに来ないか」と言われ、ワインバーに連れられていかれました・・。
翌日、第3内科のS教授外来で教授の診療を見学中でした。午前10時頃、突然の悪寒・震えの後、猛烈な嘔気が出現しました。診療中のS教授と診療を受けている患者さんの真横を脱兎の如く横切って、外のトイレに駆け込みました。二日酔いである。
いい加減吐いた後に、そーとS教授外来にいくと、S教授が「東くん、二日酔いかい?」ぽーんと軽く肩をたたいてあきれて?笑って?私の非礼を許してくれました。S教授、誠にすみませんでした。今思い返すと寒気がします。
お酒はくれぐれも飲み過ぎないように・・・・。
投稿者消化器内科部長 東 直樹
「スペース・オペラはいかが?」 小谷 裕美
2013年09月02日
最近、エリア51と呼ばれる、ネバダ州にあるアメリカ空軍の基地について、米中央情報局(CIA)はこれまでの機密を解除しました。ここは、1947年にアメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近に墜落したUFOに関連した施設といわれており、墜落したUFOが運び込まれた、とか、グレイと呼ばれる宇宙人が住んでいる、あるいはUFOから得た技術によって、秘密兵器を開発している、などとされてきた場所です。残念ながら公式には、インタビューに応じた元職員5名が、「エリア51にUFOは無い」と、UFOの存在を全面的に否定する証言を行っています。
 と、ここで、私の好きな宇宙人を紹介したいと思います。惑星ハルト出身のイホ・トロトです。身長は約3.5メートル。肩幅は約2.5メートルで、体重は約2トン。胸には1対の長い行動用アームとその内側に短い跳躍アームを持ち、短い足と跳躍アームを使い、時速120キロメートル以上で15時間走ることができます。頭は半球型で頸はなく肩につながっており、頭髪はなく、目は3つ。そのうち2つは、頭の側面にある通常の目で、ひとつは額にある赤外線に反応できる目です。両耳は閉じることができます。また、 ふたつの脳の一方は高性能コンピュータ以上に正確、迅速、創造的な計画脳で、強靭な肉体は細胞転換、あるいは構造転換能力をもっており、意志の力で肉体の分子構造を変えて結晶化し、通常の武器では破壊できない、真空中や高放射線下でも一定時間は行動できる身体にできます。 消化器官は、どんな物質でもエネルギー化できるコンヴァータ・システムとなっています。彼は、西暦1180年生まれで、本能である冒険欲を満たすために他種族に介入。西暦2400年8月15日にはじめて人類の前に姿を現し、銀河中枢部の恒星六角形の存在を示して、人類とともにアンドロメダ星雲を目指すのです。
 この宇宙人は、ドイツで、1961年に月刊誌として発刊され、日本でも1971年から1巻2話の掲載で450巻(ドイツ本国では900巻以上)が発行されており、今も続いている、宇宙英雄ロダンシリーズの登場人物の1人です。物語は、1971年、人類初の有人月宇宙船スターダストで、ペリー・ローダン少佐をはじめとする4名の宇宙飛行士達が、月面に不時着していた高度な文明を持つ異星種族アルコン人と遭遇するところから始まります。ペリー・ローダンは、アルコン人の技術力を手に入れて地球を統合。さらに不死の身体を得たペリーローダンは大宇宙に進出し、活躍します。西暦3588年に新銀河歴が始まり、新銀河歴1470年代まで話は進んでいるようです。高校時代に第1巻を読み始めて以来、折に触れ、所蔵している文庫本を読み始めるのですが、数十巻読んでは中断する、の繰り返しで、なかなか最新刊に近づけず、昨年も第100巻(イホ・トロトが登場し、銀河系からアンドロメダへの進出が始まります)から読み返して、200巻くらいまで進んだところで留まってしまいました(現在300巻まで所蔵)。続きから読めば良いのでしょうが、ついつい第100巻から読みたくなってしまうので、先に進みません。私に大宇宙に進出したい冒険欲が生じたときは、このスペース・オペラを数日にわたり読むことにしています。いつの日か、新刊を予約注文するまでに追いつきたいと思います。
投稿者副院長・外科部長 小谷 裕美
「最近観たDVD」 小野寺 康博
2013年08月27日
たまに「GEO」とかでDVDを借りて鑑賞することがある。
最近、立て続けにサバイバルものを観ることになった。
何がきっかけでこの手の内容を観ることになったのかは良く覚えてはいないのだが、たまたま最初に「127時間」といういわば山岳遭難の内容に近い内容のものを観たことが連鎖を生んだようだ。
登山家のアーロン ラルストンの自伝「奇跡の6日間」を元にダニー ボイル監督が映画化したものだ。
大きな岩に自分の片腕が挟まってしまって身動きが取れなくなってしまい、そこから脱出するために様々な試みを行うのだが、終に彼が決断した選択肢とは。
水分の不足からくる口渇を癒したい気持ちが色々なイメージとして湧き上がって来る。生き延びるために必要な重要なもののひとつはやはり水だった。

次に観たのは、「ウェイバックー脱出6500km」。
第二次世界大戦中にシベリアの強制労働収容所から逃れる一行を描く2010年の米国のドラマ。
シベリアからモンゴル、ゴビ砂漠を経てチベットを越え、ヨーロッパに至るというとてつもない踏破行の中で、やはり水分と食料の確保に難渋する有様は鬼気迫るものがあり、かつexcitingですらある。

三つ目に観たものは、「生きてこそ」(原題:Alive)。
ウルグアイのラグビーチームを乗せたウルグアイ空軍チャーター機がアンデス山脈に衝突、墜落し、厳寒の山脈で72日間の生存を果たして生還した16人の事実を元にしたドキュメンタリー映画だ。死亡者の人肉を小刻みにして「蛋白源」と割り切って食する状況にまで至る人間としての倫理観と、生き抜くために必要な手段の選択との相克は、切ないものがあった。また、生き延びるために決してあきらめない意識の指向性は、どのサバイバルものにも共通している必要条件であるように思えた。
また、厳寒の山脈の中では、体温の保持を如何に行うかといった問題も重要であった。

四つ目は、「ライフ オブ パイ/トラと漂流した227日間」。
完成までに4年の歳月を費やしたという大掛かりな映画だ。時々現れる映像の美しさについ見とれてしまい、これが太平洋上での生きるか死ぬかと言った差し迫った状況から意識を一瞬遠ざけてくれる。トラという猛獣と洋上で限られた空間内で時間を共にしているという状況は十分過ぎるくらいに非日常的だ。
最後に、メキシコの岸に打ち上げられた少年は、トラが振り向きもせずに静かにジャングルの中に消えて行く姿をじっと見ていて、たとえようのない悲しみに襲われる。緊張感を伴って8か月間近く時間と場を共にしていたが、そこに人間と猛獣との間になにがしかの共有感なり意思の疎通みたいなものを期待していたのかも知れない。生死を掛けた8か月間を持って生き存えた後に残った少年の本当の悲しみとはどこにあったのだろうか?と思った点ではこの映画は単なるサバイバルものに終わらない何かがあったようだ。

最後に観たのは、「運命を分けたザイル」。2003年のイギリス映画。
アンデス山脈の雪山で遭難、生還を果たした青年登山家の実録映画だ。
骨折を起こし、クレバスに落ち込んだ後に、ベースキャンプまで這ってずってたどり着く過程の超人的な努力の有様はまさに奇跡的としか表現しようが無い。
水と食料と身体を暖めるものがあれば、人間はなんとか生き延びられるものなのか?これらの映画を通じて感じたのは、上記のものは必要条件ではあるが十分条件ではないようだということだ。この地上に生を保とうとする本能的とも言えるような強烈な意志と意思が不在ならば、映画化するだけの感動が生まれる下地はほとんどないであろうと思う。
 
さてさて、長い長~い外来診療の途中で、ふと「ここがシベリアだったら、ゴビ砂漠だったら、アンデス山脈だったら、太平洋上だったら」などと考えてしまう今日この頃。でも、タリーズでコーヒーを買えるし、プレッツエルも買えるしなあ~と思うと、まだまだ余裕あるなあ~などと思ってしまう。
日常の中で非日常を一瞬思ってみるのもいいのかも知れない。

ここで全く脈絡はないようにも思われるのだが、上記のような日常の中でのややしんどいな~と思われる状況にあると感じた時は、明治神宮を訪れた時に、「寧静」と題した昭憲皇太后御歌に接したことが思い出される。

いかさまに身はくだくともむらぎもの 心はゆたにあるべかりけり
投稿者副院長 小野寺 康博
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