「グルーミング」 中川 麗
2020年09月02日

 感染対策上の問題から、皆で集まることが難しい状況が続いている。たくさんのスタッフの赴任や、旅立ちがあったが、小さく挨拶をするにとどめざるをえない。苦労が大きい時代だからこそ、労い、そして、歓迎したいのに・・・。健康を大切にする今だからこそ、共に過ごせる時間に感謝するのに・・・。

残念だ。

こうして、皆で集まれた頃がいかに恵まれていたかを思い知る今、後悔することがある。それは、お世話になった師長さんが退職し、関連施設へ移動する時のお別れの会だ。まだこんな状況になるなんて予想もしていなかった頃、5階西のナースステーション横、みんなでケーキを分け合った。

その日、私は、ろくに挨拶もせず、逃げ出した。

師長さんは、温かく包み込んでくれる方だった。師長としてスタッフを抱きとめるだけではなく、看護師として患者さんとそのご家族に寄り添い、この病院が開院した時から勤務する技師さんの妻として同僚として家族ごと病院を支え・・・みんなの母だった。

日々の些細なことも含め、診療を支え、知恵を授けてくれた。患者さんがよくなり、次世代が育まれる土壌をつくってくれた。それらはもちろんのことだが、何より、この病院における定年までの最後の数年を過ごす場として、プライマリセンターを選んでくれたことが嬉しかった。

なのに・・・あの時、私は逃げ出した。

正直、ただ、別れが寂しかっただけではない。自分の不甲斐なさと、師長さんに対する畏怖の念。そんな感覚に圧倒されたのかもしれない。涙が溢れて、救急から呼び出されたフリをして部屋を飛び出した。

あの頃、自分の予想を超えるスピードで若手医師が増えた。彼らは私の想像以上に素晴らしかった。そして、瞬く間に診療の範囲は広がり、地域からの期待も高まった。何より私の度量が問われる中、私の成長は遅々と進まなかった。

もともと、器用でもなければ、視野も狭い。目の前の患者さんと自分というそれだけでやってきたのだから、時間がかかるのは当然だ。しかし、彼らは若く、せっかちだ。同じスピードで育たない10歳離れたおばさんに対して容赦ない。日々、息切れしながら彼らの後ろを追いかけることに疲弊していた。

要領が悪い私は、医者である以外は何モノでもなかった。同窓会にも出席したことはない。祖父母の葬儀も、妹たちの結婚式もすっぽかした。父が癌を患っても、見舞いの一つも行かず、初めて甥っ子に会った時には話せた。家族にとってはもはやATMでしかないが、せめて、医者としてなんとか!と、必死でやってきたこの10年分をかろやかに、あっと言う間に飛び越えてゆく次世代を目の当たりにして、自信はなくなる一方だった。

そんな中、定年退職の日を感謝と敬意に包まれて迎える師長さんは、眩しすぎた。

その人望と実績に圧倒された。

でも、全部言い訳。

ただ、ごめんなさい。

ああ、少し肌寒くなってきた。

短い夏が終わり、あっという間に雪が降るのだろう。

昨シーズン、10年ぶりにスノーボードにのってみた。

早朝、綺麗な縞模様のバーンを見るたびに、あの師長さんを思い出した。師長さんのつくってくれた病棟は、まさに、美しく快適なグルーミングバーンだった。

ちょっとコブで遊んでみたり、コース外を冒険したりしても、必ず戻りたくなるところ。安心して自身に向き合え、初心を思い出させてくれる場所。

今、新しい師長さんが、新しい日常の中で苦労するスタッフたちを束ねる。新しい時代に準備されるバーンも味わい深い素敵な場所になってきた。

さて、私には、何ができるかな。

悲しいかな、私の運転したキャタピラの後は、蛇行だらけのあぜ道だ。

でも、スタッフにも私にも目を閉じれば見える。

あの、美しく心地よい縞模様、帰る場所が。

だから、きっと大丈夫。

みんなに協力してもらい、誘導してもらいながらゆっくり運転してみようと思う。

師長さん、ありがとうございました。

投稿者副院長・プライマリーセンター長 中川 麗