「日本の土地制度史」 和田 好正
2020年03月02日

健康診断センター勤務の和田です。

皆さんは、学生時代、歴史の勉強は好きでしたか。私は大嫌いでした。私にとっては、何年に何が起こったという記憶だけの学問だったからです。歴史の面白さ、ダイナミズムに接するには、歴史の流れ、ストーリー展開を理解しなければなりません。そこで、今回は、日本の土地制度に焦点をあてて、考えてみましょう。歴史は、どの部分に焦点をあててみるかが、面白いんです。

平安時代から鎌倉時代、朝廷貴族から武士の時代への流れの中で、最も大切な事は何か、それは「公地公民制が崩れる中で、私有地獲得競争が起きてきた」ということです。はじめは、貴族の代表選手である藤原氏が、「荘園」という形で私有化を進めていました。「荘園」とは基本的に開拓地ですが、その名の通り、別荘で、税がかかりません。このため、朝廷に納められるべき税が、だんだん減っていったのです。貴族は「荘園」の私有が認められますが、武士は下級に見られ、いくら土地を開拓しても、正式な所有者になれないという不公平が生じてきます。そこで、武士の権利、つまり土地の私有権を「地頭」という形で認めさせたのが、源頼朝でした。だから、初めはその根拠地である東国(東日本)に主な勢力を持つ限定的な政権でしかなかった。だからこそ頼朝は中央(朝廷)から東国に派遣される大将、征夷大将軍であるという形をとった。その征夷大将軍が、現地の臨時基地(幕府)で軍政を敷いている、というのが幕府政治の基本形なのです。

しかし、これを不満とした後鳥羽上皇が幕府を倒そうと「反乱(承久の乱)」を起こして失敗したため、鎌倉幕府の政治は西日本にも及ぶようになった。ただし、この時点でも日本の土地はすべて武士が支配しているのではなく、荘園つまり天皇や貴族の所領もかなり多く残っていた。特に都に近い大和国(奈良県)等は、寺社の荘園のほうが多かったくらいだ。それを室町時代あたりから、武士が次々に侵蝕し奪っていった。そして、日本の土地の大半を自分の物にしたのが、戦国末期であった。だからこそ、その最終勝者である豊臣秀吉は「太閤検地」つまり全国的な土地台帳を作成することができた。

それから300年たって武士の政治(幕府政治)が終わる時に幕府側が何を行ったかと言えば、大政奉還と版籍奉還である。「大政」は「日本の統治権」、「版籍」は「土地と人民」とういうこと。いずれにしても、「(献上)差し上げる」のではなく、「奉還(天皇家にお返しする)」になっているのは、こういう経緯があるからだ。ざっとまとめてみましたが、日本の土地制度を歴史の流れで見るだけで、これだけ面白い。つまり記憶にも残りやすい。こういう歴史を学びたいものである。

投稿者健康健康管理センター医師 和田 好正