「緩和ケアについて」 田中 正臣
2015年12月17日
薬局の田中と申します。お題はフリーということですが、薬局のスタッフはきっとファイルメーカーがどうだとかIT関連のこと書くんだろうと予想していると思いますが、緩和ケアについて書かせていただきたいと思います。

自分は今年より緩和ケア委員会に参加させていただいております。前の職場でがんの患者さんとはたくさんお付き合いをしてきました。でも実は緩和ケアを受ける側という立場も2度ほど経験しました。自分の母と義父ががんで亡くなっています。母は20代の時でまだ学生でした。緩和ケアという定義も方法も確立していなかった時期だと思います。ベットから動けなくなっても一度家に帰りたいとずっと言っていました。その時の受け持ちの看護師さんが尽力してくれて、亡くなる前の日に非番の看護師さんが付き付き添ってくれて家に連れていくことができました。それまでは意識もはっきりしない状態だったのに家に帰るとはっきりし不出来な二人の息子のために残したもの場所を教えてくれました。滞在は30分もなかったかと思いますが、家についた途端に目に力が戻ったのが今でも忘れられません。義父は前の職場に勤めていた時でした。痛みのコントロールで1週間ほどの入院予定が2か月に延び最後の入院となりました。痛みが強くあっという間にベッドから動くこともままならないようになって、本人もこんなはずではなかったとかなりつらかったと思います。義父は愛猫家で飼い猫に最後まで会いたがっていました。やはりその時の受け持ち看護師さんが尽力してくれてなんとか飼い猫たちに会わせてあげることができました。その時の義父は泣きながら猫たちを抱き、猫たちもずっと満足そうな顔をしていました。この二つの経験は今になって思うのですがすごい緩和ケアだと思います。

今年は芸能人のがんでお亡くなりになった人でぎりぎりまでメディアで見かけた人が多かった気がします。緩和ケアとは体の痛みを取るだけではなく心や社会的な痛みや辛さもケアをします。痛みだけではなく私の家族の苦痛に思っていることをくみ取り最大限の援助をしてくれました。きっと芸能人の方も医療者がいろいろ裏でサポートをしていたのだろうなと思います。当院の緩和ケア委員会では緩和ケアの知識普及のために朝の勉強会や毎月研修会を行っていますので興味のある職員の方はぜひ参加してください。
長文お付き合いありがとうございました。


投稿者薬局主任 田中 正臣
「リレーエッセー」 佐久 恵子
2015年12月09日
私には、尊敬する上司がいます。この上司に出会うことのできた私の人生は、本当にツイテイルと思っています。
ソーシャルワーカーは、福祉が専門の仕事です。病気や怪我をもちながら、頑張っておられる患者様やご家族をお手伝いする相談係です。
私は幼少期、寝たきりで入退院を繰り返していた祖父の療養生活に接しながら育ちました。その中で出会ったソーシャルワーカーの方に魅せられ、ソーシャルワーカーになることが私の夢になりました。

福祉の勉強を積んで、社会福祉士の国家試験に合格。学校卒業後、当院に入職できたものの、ソーシャルワークがわからず悩む日々。自分の力量不足が原因で、患者様にご迷惑をかけているのではと何度泣いたことか。当時、上司と私2人きりの相談室で、夜な夜な厳しくも親身に指導を続けて下さいました。なかなか成長できない私を見捨てず育てて下さいました。上司は、患者様からたくさん教えてもらうことのできるソーシャルワーカーの仕事は幸せである、と言います。その通りだと私も思えるようになりました。

上司の背中を追いながら、気付けば11年の月日が流れました。今日も上司は息を切らして院内を駆け回っています。こんなにベテランソーシャルワーカーでも、決して学ぶことを止めません。研修参加、学会発表…。決して若くないので倒れないだろうか、体が心配です。
こんな事を書いたと知れたら怒られるんだろうな。でも言わせて下さい。上井ボス、大好きです!!!


投稿者医療福祉連携室副主任 佐久 恵子
「リレーエッセー」 板谷 真理恵
2015年12月02日
平成13年より、厚生労働省は事故防止を推進すべく、「医療安全週間」をもうけています。今年度も、11月22日から11月27日が「医療安全週間」でした。徳洲会病院では、どのような対策を行っているか、当院での取り組みを紹介するために、ビデオ上映したり、ポスターを提示したりしました。その他、病院職員同士や患者との、コミュニケーションを深めようとあいさつ運動を行いました。

「コミュニケーション」と聞くと、あまりにも当たり前で、「今さら?」と思われるかもしれませんが、実践しようとするとなかなか難しい事です。自分は伝えたつもりなのに、正しく理解されていなかった。なんてことを経験したことはありませんか?
「誰かに何かを正しく伝え、かつ正しく理解してもらう」という事は、至難の業です。それにはまず挨拶から。
目を合わせて挨拶する事で、相手に自分の存在を知ってもらい、誰もが伝えたいことを声に出して、話しやすい環境にすることが大切です。

医者には言いにくいからとか、専門家でないから理解してもらえないだろう。などと考えず疑問に思ったこと、不安に思ったことは、声に出して話すことで、意思の疎通を図り、「考え(理解)のズレ」からくる間違いを少なくしていこうと考えています。


投稿者副薬局長 板谷 真理恵
「やらぬ善より」 新田 久美子
2015年11月25日
私はよく多趣味だと言われます。でもやっていることはふたつ、夏はウェイクボード、冬はスノーボードです。しかも趣味でも特技でもなく、ふたつとも本気で取り組み大会にも出ています。鍛えるためには走るしトランポリンもします。仕事が忙しくて時間がとれず、頑張っても頑張っても結果が出なくてつらいですが、仕事もウェイクボードもスノーボードも絶対諦めたくなくて、やっぱり頑張っています。

諦めなくて良かったことがふたつ。今年の成績が良かったので、来年ウェイクボードの全日本の大会にでられることになりました。来年九州行ってきます!!そしてもう一つ。東日本大震災復興支援プロジェクトの一つ、全国から寄付された毛糸を使って被災地のお母さんたちが編んだ作品を販売して支援する「ハートニットプロジェクト」の活動をしているのですが、当院のふれあい健康祭と、スノークルーズオーンズのオープニングイベントでチャリティー販売会を開催させていただきました。病院でもスキー場でも、新田が何かやってる!と言って応援しに来てくれたり、ニットを買ってくれたり、手伝ってくれたり、遠方から来てくれる方がいました。多かったのは、仕事の仲間と、ウェイクボードの仲間と、スノーボードの仲間で、私が頑張っている場所のそれぞれの仲間でした。私は感謝の気持しか出せませんので、何度もお礼を言っていたら仲間の一人が「頑張っている人の傍に居たいだけだから。」と言ってくれました。とても心に響く言葉でした。結果が全てではなく、頑張ってきた過程も大切にしてもらえた事がとても嬉しかったし、大事なことだと思いました。諦めないで何でも頑張ってきて本当に良かった!!あたたかい仲間と笑顔溢れる時間をたくさん受け取ることができました。「やらぬ善より、やる偽善」をモットーにこれからも諦めない気持ちを大切にしたいと思います。

先日、人生で初めて骨折いたしました。一年中スポーツを本気でやる私ですが、初めての骨折は「長引く咳で肋骨骨折」でした・・・。皆様、長引く咳にはご用心・・・。
Keep on smiling!

投稿者臨床検査室副主任 新田 久美子
「昔の夢、今の夢」 船越 陽子
2015年11月18日
医事課職員として勤めて、早いもので9年が経とうとしています。
祖母も母も看護師だったこともあり、ごく自然に医療の世界に憧れるようになりました。
母の勤めていた病院では定期的にボランティアが開催されており、小学5年生で初めて参加した時のこと。患者さんの話し相手になる係になり、緊張しながら患者さんとお話しをしました。最後のお別れの時、患者さんの「ありがとう」という言葉になぜか涙が溢れてきて、泣かないように必死にこらえながら病室を後にしたことを今でも鮮明に覚えています。
 
その日の帰り道、私の夢は「病院で働く人」というぼんやりとしたものから、「看護師さんになって患者さんを助けること」に変わっていました。それからは、看護師だけを目指して勉強して入りたかった看護学校に入りました。
もともと情に流されやすく患者さんに感情移入してしまうことが看護学生時代の一番の課題でしたが、実習中に受け持ち患者さんを看取る経験をして自分の家族が亡くなってしまったような悲しさから抜け出せず、この性格では看護師としてはやっていけないと考え2年生の終わりに看護学校を中退。もう一度自分が何をしたいのかを見つめ直して出た答えが、「どんな形でもいいから患者さんの助けになる仕事がしたい」というものでした。

現役生から2年遅れ、満を持しての再スタート。親に迷惑をかけないよう、アルバイトで学費を貯めて1年制の医療事務の学校に通いました。学校に入って半年、就職活動が始まり大きな病院で出来るだけ多くの患者さんに関わりたいという思いから札幌徳洲会病院に履歴書を送りました。偶然にも、徳洲会が実習の対象病院の一つになっていた為、就職担当の先生が取り計らってくれて私は就職を希望する病院で実習をすることが出来ました。
そして、実習期間中に面接を受けて、運良くそのまま入職することになったのです。

当初の人生設計からは大きく変わってしまいましたが、私は今、医療事務になって良かったと心から思っています。要領よく仕事が出来るタイプではないので、自分の未熟さを反省しながらの毎日ですが、それでも患者さんに毎日関われることが嬉しくて、好きだと思える仕事が出来て幸せだと思うのです。
「元気だった?」と声をかけてくださる大好きな患者さんとの出会いや仲良しの同期、尊敬出来る先輩がいることは私の大きな財産になりました。

そして、今の私の新しい夢は、可愛い後輩たちが同じように「病院で働けること」に楽しさややりがいを感じ、この仕事を好きになってくれること。
そんな思いを抱えながら、私は今日も病院の受付に立っています。


投稿者医事課副主任 船越 陽子