心にとどく看護を札幌徳洲会病院 看護部

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看護部リレーエッセー

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「私が看護師になった理由」 手術室師長 加藤 昇

投稿日時:2011年9月27日 08: 火曜日

私が看護師になった理由は、とても単純な理由です。高校の先生に勧められたからです。
私は男なので、特にこの理由を聞かれることが多いように感じます。しかし、いつも期待はずれな答えのようで、話は盛り上がりません。そこで、僕はいつもその時のエピソードを付け加えます。そうすると、少しは話が盛り上がるように感じます。今回は、そのエピソードを紹介します。
私は高校2年生の時に大学進学を希望していました。しかし我が家の財政がかなり苦しいことを悟り、就職希望に変更する事にしました。数日後、担任の先生より呼び出され、突然「おまえ大学に行きたいんだろ、行きたいなら行け。俺が授業料免除になる学校を探してきたぞ」と紹介されたのが、「医療技術短期大学」でした。私は、はじめてこの学校名を聞いた時、レントゲン技師や検査技師等の学校なのかと思いました。しかし、よく話を聞いてみると、看護師の学校であることがわかりました。その頃の私は、男性看護師の存在すら知らなかったため、「この人は何を言ってるんだ。俺をからかっているのだろうか」と本気で思っていました。そこで、私は先生に「その学校には男はいますか?いるなら何人位いますか?」と質問してみました。先生は「少なくとも20人位はいるよ・・・」と答えました。嘘でした・・・。でも、その言葉を信じた私は、その学校に進学することを決意しました。本当の男子生徒数を知った時のエピソードもありますが、長くなりますのでまたの機会にしたと思います。
こんな理由で看護師になった私ですが、現在は、患者さんの安全を第一に考え、最高レベルの手術室を目標に、日々頑張っていきたいと思っています。

投稿者:手術室師長 加藤 昇

「私が看護師を目指した理由」 外来副主任 豊田 智美

投稿日時:2011年9月20日 16:21 火曜日

「看護師」になろうと思ったのは、2つの出来事からです。
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確か、中学生の頃でした。
父親が受診先の病院から救急車で大きな病院に転送した時です。
初めて救急車の同乗した私は、ちょっと場違いですがワクワク・興奮しました。病気をした本人でなかったからかもしれません。「TVで見る救急車だー」とか思っていました。
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高校性の頃でした。
高校2年に進路を決める際に、理数系か文系どちらかを選択しなければならないため、とりあえず理数系に進みました。理数系には、理工学や情報系の大学へ進みたい人がほとんどでした。その中に女性で看護師を目指している人が数名いました。なかなか進路を決められず、その同級生に「看護師もいいよー」と進められたのを覚えています。
さらに、親戚でも看護師をしている人が数名おり、周りの環境が「看護師になるといいよ」という雰囲気でした。
この2つの出来事で看護師になろうと決めました。

看護学生の頃、急性期病棟に実習へ行き、(この忙しさについていけない・・・)と何度思ったことか・・・。小児科病棟では、子供の病気と闘いながら笑顔を見せてくれたのを忘れられません。今も元気に大きくなっている事でしょう。

そして、看護師になり10年以上になります。
外来でいつも朝「おはよう」と声をかけてくださる患者様、痛い注射をした後も「ありがとう」と笑顔で接してくださる患者様。
この病院を利用していただいている皆様に支えられ、今の私がいます。
これからも「生涯学習」と言われる看護師、続けていこうと思っております。

投稿者:外来副主任 豊田 智美

「「私が看護師を目指した理由」」 亜急性期病棟副主任 二瓶 諭美

投稿日時:2011年9月13日 16:53 火曜日

 私が看護学校を受験しようと決めたのは高校生の時でした。実は、高校に入学した時には保健室の先生になるのが私の夢でした。中学の時に出会った保健室の先生が素敵な先生で、憧れました。そしてその時の担任の先生もとても素敵な先生で、いつか一緒に働けたら・・・。なんて、考えていました。なのに、看護学校への道を選んだのは、進路決定時に大学に進む学力がなかったから(T?T)。母や、その当時の担任の先生に、私の性格なら看護師に向いているのでは?看護学校を卒業してから養護教諭の道が無い訳ではない。と言われ。「そうか。なりたければ、看護学校を出てから考えればいいんだ」なんて・・。なんて浅はかで安易な高校生だったのだろう・・・。と、今更ながら思います。看護学校での勉強、実習、国家試験。学校に行っている間に、その先の進路を考える余裕などはありませんでした。就職したらしたで、仕事を覚える事で精一杯で、またまた考える余裕などありませんでした。看護師として働き十数年が過ぎました。時々、中学の先生や同級生と話しをすると、「あー私、保健室の先生になりたかったんだった」って思い出します。大好きだった先生と一緒に働けたらなーなんて、今でも思います。
でも、看護師になった事を後悔している訳でもなくて。気がつけば、いつのまにか看護師という仕事が辞められなくなっていました。泣きたくなるような辛い事も沢山あるけれど、
患者さんからもらう笑顔と、「ありがとう」の言葉は私を元気にしてくれます。看護師で良かったなぁ。って、思う瞬間です。

山口先生、徳田先生。二瓶は看護師で頑張っています。
保健室の先生にはなれなかったけれど、看護師さんて素敵なお仕事だな。って、感じて働いていますよ。

投稿者:亜急性期病棟副主任 二瓶 諭美

「私が看護師を目指した理由」 ICU副主任 上島 智子

投稿日時:2011年9月6日 08:02 火曜日

私が幼稚園の時になりたかったのは「八百屋さん」です。「へい、らっしゃい」と店頭で威勢よく商売がしたかったのです。
小学生になり、当時の女の子のなりたい職業ベスト3に入る「保母さん」「看護師さん」のどちらかに憧れを持ち始めました。成長していくにつれ、保母さんは「ピアノを弾きながら唄を歌う」をいう高度な技が出来なくてはなれないと知り、また、小さい時にピアノ教室を嫌で嫌で辞めた私が、なることは不可能と思い知り、残ったのが「看護師」という選択でした。
それからは憧れを持ったまま看護師を目指すことにブレることはなく、高校卒業後専門学校に入学しました。
看護学生時代は、実習と毎日のレポート三昧で、振りかえってももうあの頃には戻りたくないと思うくらいの過酷な日々でした。そんな学生時代に、指導者の看護師の何気ないけど患者さんの支えになっている看護に触れ、私の目指したい看護師像ができました。
卒業からだいぶ経ち、憧れだけでは仕事は出来ず、色んな挫折や苦悩を感じて日々働いてきましたが、それ以上に患者さんやご家族からもらう笑顔やありがたい言葉に励まされる場面もあります。
今は「八百屋さん」でも「保母さん」でもなく「看護師」になって良かったと心から思っています。憧れの看護師像目指して頑張っていきたいと思います。

投稿者:ICU副主任 上島 智子

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