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「私が看護師になった理由」 ICU副主任 羽場 直美

投稿日時:2011年10月4日 08:13 火曜日

以前の所属長より『8歳職業決定説』という話を聞いたことがあります。
8歳前後の経験がその後の職業選択に影響する、といわれていると・・・。
私にも、やはりその頃に看護師という道を選択したのかもしれないという出来事がありました。
私の祖父はお坊さんでしたが、私がものごころついた時、祖父は片マヒがあり、話すことができなく、お寺兼自宅のベッドにいつも座っているだけでした。広いお寺は子供にとって最高の遊び場で、本堂を走り回り、座布団の山をよじ登り、納骨堂は肝だめしの場であったのです。遊びに夢中だったその頃の私は、お寺に行くのが楽しかったのですが、祖父と話した記憶はありません。
そして何年か自宅療養ののち、祖父は療養型の病院に入院しました。
その頃私は10歳でJRに一人で乗れるようになり、ある日、入院した祖父を千歳までお見舞いに行くという一人旅にチャレンジしたのです。
20羽ほどの千羽鶴に『おじいちゃんの病気が早く治りますように』と短冊をつけた手土産を持って、突然札幌から一人でやってきた孫の私に祖父はとても驚いていました。
おやつの時間?今思えば嚥下訓練中だったのでしょう。面会に行った時、祖父はゼリーを食べさせてもらっていました。その時の付き添いの方が、「せっかくだからお孫さんに食べさせてもらったら?」と私にスプーンを渡してきました。すでに涙目だった祖父は、私の食事介助で泣きながらゼリーを飲みこみ、そして数口食べると大声を出して泣き出したのです。理由は今でもわかりませんが、その泣き声が私の記憶にある最初で最後の祖父の声です。
初めて聞いた祖父の声と泣いていた顔を今でも覚えています。もらい泣きしながら、何度も祖父に早く良くなってと言いましたが、子供心にずっと状態の変わらない祖父の病気は治らない事も感じていました。その時「大きくなったら、私がおじいちゃんの病気を治す!」と強く思ったのを覚えています。
付き添いの方が祖父の世話をしてくれているところを見たこと、そして祖父への気持ちから看護の道に進んだのです。
時々脳梗塞の男性に接すると、自分が何もしてあげられなかった祖父を思い出します。
もしこの人が私のおじいちゃんだったら・・・。そう思って看護しています。
おじいちゃん、天国では自由に歩けていますか?
おじいちゃんが導いてくれたこの仕事が、私は好きです。

投稿者:ICU副主任 羽場 直美

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