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「NO TITLE」 5階病棟副主任  山田 美樹

投稿日時:2010年2月10日 09:45 水曜日

 私が生まれたときは、両親と姉、父方の祖母と私の5人家族でした。祖母はわたしが小学校2年生のときに91歳で亡くなりました。病院嫌いの祖母は、歩けなく、寝込むようになってからも往診をしてもらいながら自宅で息を引き取りました。

私が物心ついた頃から、石炭ストーブの斜め後ろにいつも祖母は座っていました。少し腰の曲がった祖母は外出することなく、毎日、テレビを見て過ごしていました。相撲や歌番組が大好きで、私が学校で習ってきた歌を唄っていると「上手だね。いい歌だね」と、褒めてくれました。

ある日突然、祖母が居間の緑のじゅうたんをつまんで「バッタがいる」と言って自分の手のひらにのせていたり、食べたばかりの食事を「まだ、ご飯食べてない」と言ったり、自分の家に帰ると言い出し玄関まで行き、外に出ようとしていました。そんな時、母は「今日はもう遅いので泊まっていって下さい」と話し、祖母も「そうですか。ありがとうございます。お世話になります」と、答えていました。そのようなやりとりを何度か見たことがあり、その頃は認知症だと知らない私は、祖母も母も何をしているんだろう?と疑問を持ちながらも、あまり深く考えることはありませんでした。ただ、自分の家に帰ると話す祖母を見て、私は悲しい気持ちになり泣き出してしまったことがあります。

次第に祖母は、歩行も困難となり、寝たきりの生活となりました。トイレに通うことも出来ないため、布オムツを使用していました。洗濯された布オムツは、乾くのが早い居間に干してあり、洗濯したとはいえ、何ともいえない臭いがしていました。8歳の私は、食事中に「こんなおしっこ臭いなかで、ご飯なんて食べられないよ」と、母に言いました。母は「仕方ないでしょ。洗濯をしないとおばあちゃんが困るし、おばあちゃんはトイレに行きたくても行けないんだから、我慢してあげて」と言われたものの、こんな中で食事をするのは嫌だなぁ。と、心の中で思っていました。その翌朝、祖母は息を引き取りました。私は、昨日母にオムツが臭いと文句を言った自分のせいで祖母は亡くなってしまったのではないか?何で、そんなひどいことを言ってしまったんだろう・・・。そんなことを口に出してしまった自分がとても恥ずかしく後悔しました。また、祖母の死は、私が初めて人の『死』というものに直面した出来事でした。眠っているような、穏やかな表情の祖母を見ながら、私は心の中で何度も「おばあちゃん、ごめんなさい」と、繰り返していました。祖母があたりまえのように座っていた場所は、ただの空間となりました。祖母の姿がない毎日は淋しく、5人いた家族が4人となり人の命には寿命があることを知り、命の大切さを祖母が私に教えてくれたのだと思います。

祖母は、いつでも私たち家族を見守ってくれていると感じる反面、オムツのことで文句を言ってしまったことは、今でも私の心のどこかにひっかかっています。

私が看護師になろうと思ったきっかけは母の入院でしたが、今になって考えると祖母の死も、一つのきっかけになっていると思います。
母は、病院が嫌いだと言って行きたがらない祖母を、寝たきりになっても家で面倒をみて食事の支度、清拭、オムツ交換などの援助も一人で行っていたことを考えると大変だったと思います。母は、姉と私の前では祖母への不満や愚痴をこぼしているのを、聞いたことがありません。(父の前ではわかりませんが・・・。そんな母を素直に尊敬します。

母方の祖父母も亡くなっていて、私には「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼べる人がいません。友達や、職場のスタッフとの会話の中で「おじいちゃんが・・・」「おばあちゃんが・・・」と楽しい話しを聞くとうらやましく思います。
私は、看護師として、また一人の人間として、まだまだ未熟ですが、患者さんが一日でも早く元気になるよう、祖母に何もしてあげられなかった分、この仕事を通して少しでも患者さんのお役に立てれば幸せだなぁ。と考え、毎日仕事をしています。

投稿者:5階病棟副主任  山田 美樹

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