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看護部リレーエッセー

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「私が看護師を目指した理由」 手術室副主任 岡崎 祥子

投稿日時:2011年7月6日 08:03 水曜日

私が、看護師を目指すことになった、最初のきっかけは、小学校1年生の冬休みに手術をして入院した時だったと思います。
 お腹の違和感を感じてから、数件近所の病院を受診しましたが、風邪や胃腸炎と言われ、なかなか治らず。3日目の夜に総合病院に運ばれました。診察を受けたら、即!!急性虫垂炎(盲腸)と診断され、腹膜炎も併発していて緊急手術を受けました。
この時、手術室や病棟で沢山の看護師さん達にお世話になり、白衣に自然と憧れを抱いて、看護師になってみたいなと思い描いていたように思います。
そして、看護師を本気で目指すきっかけを、私に与えてくれたのは、恩師の「看護師に向いていると思うよ。看護師を目指してみては。」という言葉でした。さらに、「これからは、看護師や介護不足の時代が来る。資格を取れば、一生の仕事にできる。」とも言われました。
私はそれから、自分の将来にはっきりとした目標を持ち、初めて強い意志で、資格を得るまではと頑張ることができました。恩師に出会いあの言葉がなかったら、私の人生は違っていたでしょう。
これからも、人と人との繋がりを大切に、感謝し、縁あったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、看護師としての粋をきわめて行きたいと思います。

投稿者:手術室副主任 岡崎 祥子

「私が看護師を目指した理由」 4階亜急性期主任 工藤 清一

投稿日時:2011年6月28日 09:32 火曜日

 私が看護師になったきっかけは親戚から病院への就職を勧められたことでした。
初めは強い野球チームを持っていて、野球部経験者を募集している病院でしたが、別に看護学校の入学試験に合格すれば准看護師の免許を取るまで面倒を見てくれると言う病院の話しが入り、男の看護師というものがどういうものかわからず不安でしたが、資格はあった方が将来のためにいいと入学試験を受け合格しこの世界に入りました。
 その病院は学生の間授業料、寮費、食費などすべて出してくれ、半日勤務分の給料も出してくれました。そのかわり卒業したら准看護師として3年勤務するのが条件でした。当時お礼奉公と呼ばれていたと思います。この制度に対し批判的な新聞報道も見た事がありますが、私は親の経済負担がないのでとても恩恵を感じました。その病院には学生時代も含め6年お世話になりました。進学のため退職してから25年経ちますが、右も左もわからない新米社会人の私を育ててくれた場所として強く記憶に残っています。その当時の先生や、同僚とは今も宴会したりキャンプをしたりして昔話に花を咲かせます。
 当院の新人さんはここをどう感じているでしょうか。大変、話しが違う、自信喪失中でそれどころじゃない、色々あると思います。
あとで振り返った時にあそこは大変だったけど多くを学んだ、懐かしいと思えるような職場であるようみんなで応援していますよ。

投稿者:4階亜急性期主任 工藤 清一

「私が看護師を目指した理由」 外来副主任 乗次 美弥子

投稿日時:2011年6月23日 08:05 木曜日

こんにちは、外来勤務の乗次です。
看護部リレーエッセイも第3段となりました(*^_^*)
今回のお題についてですが、ん?…10代だった頃を思い起こし…
私は高校生活を気ままに過ごし、進路相談の時も「将来の夢は?」と沢山聞かれましたが、漠然とした返事しか出来なかった事をよく覚えています。(^^ゞ
ちなみに、「デスクワークは嫌!どちらかというと体を動かす仕事、人と接する仕事、人の役に立つ仕事がしたい」とは小学生の頃から口にしていました。
そんな私のきっかけとは、高校3年生の時、いつものように祖母の面会(老人施設)に家族で行っていました。
いつも祖母の為に何かしてあげたいとは思っていても、何をしてあげたらいいのか
わからず、ただ顔を見に行くだけでした(??〆)
そんなある日、たまたま叔母も面会にきており、沢山の身内に囲まれた祖母の足だけが
私の目の前にあり、どさくさに紛れて私は祖母の痩せた足をチョット照れながら擦っていました。
それを見ていた叔母が、「優しいわね!看護婦にピッタリよ!その優しさがあれば看護婦になれる、看護婦に合うわ」と褒めまくりの言葉を頂戴しました。
それから単純な私は看護師もありかな!?と。
気づいたら必死に勉強をし、看護学校に入学。難しい勉強と厳しい実習にちゃっかり挫折していた私は、叔母へ電話し「おばちゃん、優しさだけでは看護師にはなれないよ!」と訴えると…大人ってコワいですね…(;一_一)   
「あら、今気づいた?そりゃそうでしょ!(笑)その気にさせるのが私の仕事だもの!」と高笑いの声。身内ながら“間違って眉毛半分剃り落としちゃえばいいのに!」と本気で思いましたよね(-。-)y-
叔母は私の単純な性格など、全て知っての策略だったのです(@_@;)  お?コワっ…
なので、看護師を目指したきっかけは、叔母の意図的な言葉による策略!
それから10数年が経ち、看護師という道を歩いていると、たっくさんの人と出会い、
お金では買えない温かい気持ちや言葉を患者様や同業の人達から頂き、自分自身
とても成長させてもらっていると感じています(^o^)丿
あ…学生の時に、優しさだけでは看護師にはなれない!と気づきましたが、今言えるのは、優しさは看護師の絶対条件だと思っています!(^^)!
これからは一層、誰に対しても感謝の気持ちと優しさを忘れず、元気を感じてもらえるような関わりを心がけ精進していきたいと思っております(*^^)v
またも 長々と失礼致しました(^^)/~~~

投稿者:外来副主任 乗次 美弥子

「私が看護師を目指した理由」 内視鏡室師長 中村 恵子

投稿日時:2011年6月14日 13:24 火曜日

私の勝手なイメージですが、看護師を目指した理由を聞かれ、「小さい頃から憧れて」とか「資格のある技術職を目指して」など、明確な動機を持っている方が多いのではないでしょうか。御多分に洩れず私も・・・・・・と言いたいところですが、実際には全然違うのです。
高校時代に憧れていた職業は、看護師ではありませんでした。でも、それが叶わず悩んでいた頃、部活の仲間達が看護師を目指しているのを知り、「皆が憧れるくらいなのだから、余程素敵な職業なのかも。じゃあ、私も目指してみようかな。」という、何とも短絡的な考えからでした。
そんな甘い考えですから、入学後間もなく、「あぁ、もう辞めたい!」と思いましたね。それでも、担任の先生や仲間、家族に支えられ、何とか卒業できました。しかし、その後も紆余曲折。看護師から遠ざかっていた時期もありました。縁あって、また看護師として働くようになり、久しぶりに白衣を身に纏ったときの、何とも言い難い嬉しい気持ちを昨日のことのように覚えています。
 最初はどんな動機でも構わないのです。その職業に触れながら自分なりの意味を見つけていけば、それでいいのだと思うのです。看護師生活も早20年以上が経ちました。今は、胸を張って言えます。この職業を選んでよかったと・・・・・・。

投稿者:内視鏡室師長 中村 恵子

「私が看護師を目指した理由」 産婦人科病棟副主任 竹島 奈津子

投稿日時:2011年6月8日 09:13 水曜日

私は幼稚園の時に「大きくなったら何になる?」という寄せ書きに「看護婦さん」と書いた。そのちょっと前まではパン屋さんになりたいと言っていた記憶がある。なぜパン屋さんだったかというとレジを打ちたかったのだ。今思えばパン屋さんでなくともレジ打ちはできたのに(笑)今のバーコードと違って、昔は「パチパチパチ チーン」と値段を打ち込みレジを開けてお金のやり取りをしていたものだ。それが憧れだったのに、いつのまにか「看護婦さん」に変わっていた。前回の藤原さんもキャンディーキャンディーを見てと話していたが、私も同じだ。どんな逆境にも負けずに看護婦として病人の世話をしているキャンディーがとても素敵に思えたのを覚えている。いつのまにか「大きくなったら何になるの?」という問いにはいつも「看護婦さん」と答えるようになっていた。親戚からは給料もいいし、お母さんを助けてあげられるいい職業だから是非なりなさいと言われた。もともと世話好きなこともあり何の迷いもなく中学、高校では保健委員を担い(なんとなく看護婦は保健委員につながったのだ)脇目もふらずに看護師になった。(結局は周りの人達がひいたレールにまんまと乗っかったということかな・・・と今は思う)
 看護師になってから本当に看護師を選んで良かったのか、自分には合っていないのではないか、と思い悩むことも多くあるが、患者様から「皆さんのおかげで気持良く過ごすことができました」「とても心強かったです」などの言葉をいただくと、心から「この仕事ができて良かったなぁ」と思う。きれいごとばかりの世界ではないが、間違いなくやりがいはある。勉強嫌いな私が日々向上心を持っていられるのも、患者様や周りのスタッフのおかげである。このように思い悩んだり、辛いこともたくさんあるが、自分も成長できる素晴らしい職業だと実感している。
患者様がいるかぎり、今以上に患者様を想う気持ちを大切に、できるかぎり看護師を続けていこうと思っている。

投稿者:産婦人科病棟副主任 竹島 奈津子

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