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看護部リレーエッセー

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「私が看護師を目指した理由」 4階病棟主任 竹島 裕美

投稿日時:2011年8月23日 09:10 火曜日

実はそんなに素敵なエピソードではありません。
私は、高校の3年間をバイトと部活と友達に費やしていました。
周囲のほとんどが大学受験を目指す中で、
社会と物理が苦手という理由と、3年生の選択授業で空き時間を作りたかったがために、それでもなお進学できるところは看護学校だったというだけでした。
向いてるとか向いてないとか、そんなことは全く考えもしませんでした。
そんな甘い考えで入った看護学校はつらい日々でした。
1年生の時は赤点と補習。
何度出しても返されるレポート・・・
実習では、「こんな内容、看護じゃない!!」と叱られ・・・
でも辞めなかったのは、一緒に頑張れる仲間がいたことと、
看護を学んでいく中で、「いつか絶対に看護師になりたい」
そう思えてきたからかもしれません。
今ではその看護学校の厳しさが役にたっていると思います。
・・・あの時の大変さに比べれば、たいしたことない・・・
私は壁にぶつかりそうになったときは、いつも呪文のように唱えます。
看護師になり必死に走ってきた十数年、つらいこともあったけど
看護師が職業で良かったと今は思えます。

投稿者:4階病棟主任 竹島 裕美

「私が看護師を目指した理由」 5階病棟主任 伊藤 志乃

投稿日時:2011年8月16日 13:48 火曜日

私が看護師を職業に選んだのは、高校1年生のときです。ちょうど、2年生進級にあたり選択コースを決めなくてはならないころ、私をとてもめんこがってくれていた祖父母の病院での姿が、とても寂しく見えショッキングだったのです。「病院ってこんなところ?看護師さんとかちっとも見当たらないけど何してるの?」
今思えば、20年以上前の田舎の病院での様子ですから、珍しくないことでしょうが。
そのことが私にとって反面教師となり、看護師を目指すことになりました。
私の入った看護学校は様々な学科のある専門学校でした。中庭に談話室があり、そこで看護学科に限らずあらゆる科に友人ができました。たくさんの素敵な仲間とともに、とても楽しい3年間を過ごせました。
もちろん楽しいだけではなく、最大の試練=病院実習だって乗り越えてきました。
忘れられない、最大の試練●○病棟…。私の実践能力が低かったため(?)か、実習病院の臨床指導者の思いが私に解らず、聞いても教えてもらず。レポートを何度直し出してもダメ出し。「こんなに意地悪なのに、何が白衣の天使だ。看護師なんてただの偽善者だ。こんな人ばかりなら看護師なんてなりたくない!」と本気で辞めようかと思いました。
しかし、そのつらい病棟で受け持ちをさせていただいた患者さんに、実習が終わってからも応援し続けてもらったことで、私は思い直すことができ、そして看護師になれました。
看護師になってからも、たくさんの患者さんから応援してもらい、素晴らしい先輩看護師に恵まれて、成長してきました。
そして、今でも看護師という職業が大好きです。
一人でも多くの後輩たちやこれから看護師になろうとしている学生が、「看護師」を楽しい!大好き!と言えるようになってほしいなあと願っています。

投稿者:5階病棟主任 伊藤 志乃

「私が看護師を目指した理由」 産婦人科病棟主任 澤田 和美

投稿日時:2011年8月9日 08:03 火曜日

それは私の母が看護婦だったからです。
私は世話好きでもなく、キャンディキャンディにも憧れませんでした。
現実的ですぐに損得を考えてしまうような人間です。
昔からそうだったのだと思います。
「人に依存しない堅実な生き方をしたい。資格がほしい」と思っていました。そんな子供が思いつく仕事は看護婦か教師しかなく、さらに「転勤を命じられる教師より自分で職場を選ぶことのできる看護婦がいい。自分や家族が病気になったり死んでいくとき、医療の知識があると役に立つから看護婦のほうがいいな」と10歳の時思いました。ただ、どんな働き方をしたい、どんな看護婦になりたいという中身はまったくなかったように思います。
とりあえずの目標が定まってからは、必要な勉強をするだけの10代でした。
その間も、私の母は、子供のため、親のために働き方を変えながら、結局60歳まで准看護婦として働いていました。自分の母親(私の祖母)が弱ると、地方から呼び寄せ、高度な医療を必要とするまで自宅で介護していました。女の生き方として導きとなっているといつも感じます。その姿を見続けたことで、思いは揺るぐことなく、迷わず看護師になれました。勢いで助産免許も取ってしまいました。
どんな助産師になろうかと悩むようになったのは就職してしばらくしてからのことでしたが、働き続ける中で少しずつ自分のありようが見えてきた、今日この頃です。

投稿者:産婦人科病棟主任 澤田 和美

「私が看護師を目指した理由」 透析室副主任 藩守 由香里

投稿日時:2011年7月20日 13:46 水曜日

こんにちは。3回目のリレーエッセイは『看護師を目指した理由』ですね。
これといった理由は残念ながらないので・・・強いてあげるなら、進学できる学校があったことと親の教育?でしょうか。
普通に進学して大学に行くのは、学力も残念な状態でしたし経済的にも厳しかったので、現実感は無かったです。将来の夢も希望してかなうものではなかったですし・・・
あとは両親・祖母から“働かざるもの食うべからず”という教えを身をもって示されていたように思います。なのでまず自分の基盤を作って、そこからやりたいことをしようと考えていましたが、国家資格を取ってから早○○年(あえて伏せ字)ほかのことをやらずに続けています。
続けられる理由があるからですね・・・やはり患者様からの言葉でしょう。
やっぱりやっててよかった!と思える出会いがあるからこそ、今看護師として働いていられるのだと思います。
今でも入職して3ヶ月目、とても辛いときに「でもあんたはきっといい看護婦さんになるよ。」と声をかけてくださった患者様の言葉が忘れられません。

投稿者:透析室副主任 藩守 由香里

「私が看護師を目指した理由」 6階病棟副主任 成田 香織

投稿日時:2011年7月12日 10:53 火曜日

看護師になった理由ですね。
困ったことに、あまり威張って言える理由はないんです。元々深く考えて行動する性格でもなく、看護師になると決めた時も、自分で振り返っても呆れる浅慮ぶりでした。
私がいた高校は9割が大学に進む進学校で、一年生の頃から進学先を見据えた単位選択をしなければいけませんでした。どんな職業に就きたいかを考えて進学先を決めるのが理想だと思いますが、学力を上げて少しでも有名な大学に入ることを第一に考える、そんな高校でした。猛勉強の末に進学したと言えるとかっこいいのですが、私は勉強嫌いの怠け者で、高校生活よりもアルバイト先の大人と話している方が楽しいという、ダメダメな受験生だったのです。3年生の夏頃までアルバイト三昧で過ごし、三者面談で進学先を三つ(三つも!)挙げなくてはいけなくなって、やっと将来の仕事を考えたのでした。
そして看護師になる大学を選んだのですが、理由は手に職がつく所が良いと思ったからでした。当時は既に良い大学を出たからといって良い職場に就けるとは限らない世情でしたから、仕事の能力が身について、就職先に困ることもない所が良いと考えたのです。計画的に単位を取っていなくて、看護系の学校では生物選択が有利なのに物理を取っていたり、勉強もかなり足りていなくて大慌ての受験でした。無事に進学できたのはラッキーでしたね。

お恥ずかしい経緯で看護師になった私ですが、たぶん選択は間違っていなかったと思っています。自分が頑張れば良いものを提供出来ますし、基本的に人に感謝して頂ける仕事です。こんな言い方だと偉そうですが、周りのスタッフは面白い人ばかりです。苦労も多いですが、良い仕事です。
看護部のリレーエッセーを見ているのは、これからこの病院に就職するかもしれない看護師の卵が多いのかなと思います。
不純な動機でもいいと思いますよ。看護師として働き始めたら、一生懸命にならざるを得ません。やりがいも、楽しさも、私は感じられています。

投稿者:6階病棟副主任 成田 香織

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