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「伊予国一宮 大山祇神社」 小野寺 康博

投稿日時:2017年9月5日 09:32 火曜日

今年の7月の下旬に久しぶりに「夏に夏休み」を3日間取った。
西日本を襲った長期間の記録的な大雨の後でどうなることかと思ったが、関西空港から新大阪に出て新幹線に乗り、降りた広島県福山市は正真正銘の梅雨明けの真夏だった。

福山市駅前から愛媛県今治市行きの高速バスに乗って瀬戸内海の島々を繋ぐいくつかの大橋を渡って大三島にたどり着いたが、空には典型的な夏の積乱雲が陣取って鷹揚に出迎えてくれた。
元々、神社が好きで学会等の出張の折りにも時間が取れる時は近くの由緒ありそうな神社を訪ねてはいた。
綺麗に掃き清められた境内に足を踏み入れるといつも何かしら凛とした雰囲気が漂う中で自分の中の何かが整えられて行くような感覚に浸る。

この度、大山祇神社を訪ねたいと思ったのは2冊の本がきっかけだった。
1冊目は小林 秀雄の「考えるヒント」。そして、2冊目は森沢 明夫の「海を抱いたビー玉」。
「考えるヒント」の「平家物語」の一節に那須与一が来ていた鎧についての一文があったが、「萌黄縅(もえぎおどし)」という表現があったが若武者が好むタイプの鎧の色だというのは後で調べて判った。
興味が湧いたのは、小林が大三島の大山祇神社の宝物館を訪ねた際に目の前の甲冑が小林の心のうちで捕らえている「平家物語」という文学の姿そのままだという感じだと言う下りだった。
松岡 正剛が「17歳のための世界と日本の見方」の中で、「語り部」を「物語の専門集団」と表現しているのは面白いと思ったが、盲目の琵琶法師が「平家物語」のような長い長い物語を琵琶を伴奏しながらずっと語り継いで来れたのは盲目の人は聴覚と記憶力が極めて優れていたからではないかと推測しているのは更に鋭い指摘だと思う。

「平家物語」の文体は和漢混淆文と呼ばれ、和文調と漢文調とが交錯した雑然とした奇妙な文体だと小林は言うが、「平曲」が肉声で聞けなくなり「平家物語」という活字本を目で辿るようになってから使われ出した文体には違いないとも記載しているその小林は「奇妙な文体」から彼の心の中で琵琶法師の音声をある程度以上想像あるいは再現出来ていたのではないかと思ってしまう。法師の肉声をどの程度まで再現出来ていたかは定かではないとしても、往時の鎧の色のイメージを数百年という物理的な時間が経過した後の眼前の鎧のくすんだ色からでさえも源平の時代の情景を含めてありありと再現出来ていたのではないかと思い、自分もそのまねごとをしてみたいと強く思っての愛媛行きだった。
ちなみに、私の「平家物語(上巻、下巻)」は本棚に積ん読になったままだ。
宝物館の中は冷房がしっかりと効いていて蛍光灯に照らし出された鎧や刀からは一種独特の光彩が放たれているようだった。
鹿の皮をなめして色を染め丁寧に仕上げられた鎧の精巧な造りに嘆息しながら見入っていた。数百年前の屋島の海で身に着けていた鮮やかな萌黄縅の色は勿論、那須与一が放った鏑矢の音はついにイメージ出来なかった。

もう一冊の森沢 明夫の「海を抱いたビー玉」は、久しぶりにほのぼのとし、かつある種の切なさすら感じる読後感があったが、前半部分でやはり大三島の大山祇神社が出て来る。
メルヘン的な次元を越えて心に残ったのは「主人公」のいすゞ自動車のボンネットバスと神社の「三千年も生きて来た楠たち」との対話の下りだった。
樹齢が千年以上もあると思われる大木が御神木として神社の境内に存在しているのは有名な神社では珍しくはなく、むしろ「そういうところ」が神社という聖域になっているのだろうと考えていた。
我々人間が何千年の大木と表現するのは容易いことだが、ずっと生き続けて来て今もそこに存在しているということ、生き続けて来たということは成長し続けて来たという結果の大木なのだと考えると、まだ日本という国が文字として歴史に記載される以前から「そこに在った」存在そのものに畏敬の念を抱かざるを得ない。

伝え聞いた話によると、御神木にはむやみに触れないほうが良いとのことだ。柵などでしきりがあるのは、そういう理由なのかと考え直した。敬愛して少し離れて憧れ拝するので十分だと考えた。
日本の総鎮守である大三島の大山祇神社を訪ねる事が出来たこの夏はとても印象に残る夏だった。

投稿者:副院長 小野寺 康博