最先端24時間救急医療、外傷センター、日帰り手術の札幌徳洲会病院
札幌徳洲会病院 北海道 札幌 -最先端救急医療・新たな気持ちでここから心から

前の月へ 2010年 07月 次の記事へ
SunMonTueWedThuFriSat
1 2
3
4
5 6 7 8 9
10
11
12 13 14 15 16
17
18
19
20 21 22 23
24
25
26 27 28 29 30
31

カテゴリー

当院初期研修終了生からの手紙

投稿日時:2010年7月22日 16:31 木曜日

『榛原総合病院での応援を終えて』


医師になり今年で4年目になりました。
この三年間多くの経験をしながらも、自分の医師生活の基盤は、振り返ると徳洲会に
あるのだなと実感しています。
この数カ月の間、静岡県の榛原総合病院の立ち上げを手伝う為に、初めて本州に渡り(生まれも育ちも北海道であるためですが)、内科医として働いてきました。
立ち上げの際の病院というものは、色々なことが未確定であり、そこで働く人たちの苦労が如何程大きいかと肌で感じながらも、自分なりにできることを探し、ただひたすら働く数ヶ月でした。
医師、看護師を含めすべての職員が大変な苦労をしながら働いている中で、自分もその一助となるべく、微力ながら自分なりに役割を果たそうと務めたつもりです。
今までは、どこで働いていても研修医という名目で守られてきましたが、そのような甘えが常に許される環境ではなく、患者さんや御家族と一人でも向き合わなければならない場面に遭遇することが多かったと思います。
徳洲会で育つと、良くも悪くもそのような場面はある程度経験するのですが、それでも医師として初めて味わう不安や疲労から、逃げ出したくなることも多々ありました。

初期臨床研修医制度が確立し、そしてまたその変革を迎えようとしている時世の中、どのような医師教育が一般的なのかは自分にはわかりませんが、自分が受けてきた教育もまんざらではないのかもしれないと、この数カ月で思いました。なぜならそのような環境の中で耳から離れなかったのは、初期臨床研修時代の恩師達の声だったからです。

自分は初期臨床研修を札幌病院で過ごし、医師としてのスタートを切らせてもらいました。今でもハードワークと、やや理不尽な環境を思い出すことがあり、思い出す内容によっては苦虫を噛むような顔をしてしまうことがあります。

しかしながら、今の時世であれだけ厳しく自分達を怒ってくれた先生方に大変感謝しています。なぜなら、逃げ出したくなった場面では、必ずその先生方の言葉が浮かぶからです。
外科研修をしていた時ですが、当直明けで睡眠もとれず、そのまま何件も手術に入り、緊急オペが続いた日があり、半分閉じかけた眼をしていた自分に、その時の指導医は『頑張らなきゃいけない時はあるんだよ!』と、一喝しました。理解しながらも体力の限界を感じていた自分は、何てことを言われるんだろう、思いやりってものがないのか?と、その当時思いましたが、榛原病院で自分を支えたのは、その『頑張らなきゃいけない時はあるんだよ!』の一言でした。
自分に怠け心があるのは自覚していますし、それは油断するとすぐに顔を出してきます。ただし、今回は自分がそこで踏みとどまらなければ、冗談抜きに誰もいないのだという環境でした。頑張らなきゃいけない時だったんだと思います。

初期臨床研修が多様化してきており、医療に対する視線が厳しい昨今、徳洲会のような研修が一般的に許容されるのかどうか、その判断はできません。
しかしながら、今回自分が受け持った患者さんに向き合うことができたのは、そのような環境で育ち、少しずつですが医師としての自覚を持つようになったからだと感じています。
今は札幌東徳洲会で消化器内科の後期研修医として勉強の日々ですが、いつか自分が指導医の立場になった際に、自分についてくれた後輩医師が、医師としての自覚を持ってくれるように、古いようですが背中を見せられる姿でありたいと願います。