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「野球観戦」 三浦 美文

投稿日時:2018年8月28日 08:59 火曜日

先日、家族で日ハムの試合を札幌ドームに観に行った。時間がある時には試合開始まで余裕を持って行き、ビールを飲みながら食事を取り練習から観ている。
 
その日もドーム前でバスを降り階段を登って北3ゲートへ向かう。あれ?いつもより並んでいる人が多い。何かを貰える日だったかな?と思いながら、時間を潰すためにグッズ☆ジャムへ入る。フラッグ、風船、帽子なんかを買い外へ出るがあまり動きがない。南ゲートの方が混んでいないと思いそちらへ向かう。北2、1ゲート、西ゲートを過ぎて南ゲートが見えた。あれ?こちらの方が凄い感じがする。しかも一部のゲートが開いていない。東ゲートは閉鎖していたので結局ドームを一周して最初にいた北3ゲートから入場した。そんな訳で、その日は入場までに少し時間がかかってしまい食べ物とビールを買って席に着いた時には試合開始までそれほど余裕がなかった。まずビールを一口飲み、食事を取っている途中で国家斉唱となった。

食事も終わり、いよいよこちらも臨戦体勢のはずが。その日はいつもと少し違う野球観戦となった。席は実況席の左横でシーズンシート用の赤いカバーが掛けてある席のすぐ上だった。我々の席の2列前にレアードと書かれた黄色いTシャツを着た外人3人組、その2つ右側にアルシアのユニホームを着た明らかに南米女性の二人連れ、さらに2例前には3番のユニホームを着た家族、その右隣りには25番のユニホームを着た家族(明らかに関係者)が座っている。ちなみに私は8番を着ている普通のおじさんですが。

その日もビールを2杯、3杯と飲みながら一喜一憂しながら盛り上がっていたのですが、どうもいつもと勝手が違う。2列前、4列前が気になってしょうがない。特に、その選手が出てくるとどんな行動を取るのか、席を立って移動しようものなら、ずっと目だけは追ってしまい何を観に来たのか分からない。私がドームで観戦する時の勝率は割と高く「勝利の女神」と呼んでいるのですが、こんな事をしていたせいか、その日は負けてしまった。

ファンの皆様、この次からは真剣に応援しますのでお許し下さい。なお8月26日の観戦時、マルチネス選手、清宮選手、鶴岡選手の活躍で勝利しました。試合も残り少なくなりましたが、最低でも2位になってクライマックスシリーズを札幌ドームで戦って欲しいものです。がんばれ僕らのファイターズ。

投稿者:歯科部長 三浦 美文 

「リレーエッセイ」 續木 康伸

投稿日時:2018年8月23日 13:49 木曜日

アレルギー科の続木です。

当科では全てのアレルギーを診療しています。

完全予約制ですので、ご希望の方は病院までお電話ください。

投稿者:小児科・アレルギー科医長 續木 康伸

「函館マラソン」 早坂 怜

投稿日時:2018年8月13日 09:36 月曜日

自分は函館が地元ですが、昔は大きなデパートがたくさんあり、よく休みになると遊びにいったものですが、数年前に西武百貨店がつぶれて、来年ついに駅前の棒二森屋もつぶれてしまいます。

また、函館は日本三大夜景の一つでしたが、日本新三大夜景では、長崎、神戸、札幌となってしまいました。人口もだんだん減ってきていて、徐々に廃れていってるなーと何だか悲しい思いをしていたのですが、この前函館マラソンに参加してみました。

函館マラソンは数年前からフルマラソンも始まったばかりですが、かなり力が入っていて、まずコースが函館中を周り、観光気分を味わえるのと、応援も湯の川近辺のホテルの応援がすごい豪華だったり、駅前の老人達の踊りがあったり、ラジオ局のDJっぽい人が選手一人ひとり応援してくれたり(多分ラジオで流れている)、エイドフードも、海鮮丼や塩ラーメン、ミルクチョコレート、抹茶ショコラ、五勝手屋の洋かん、チーズオムレット、カステラ饅頭と、函館名物がたくさんでてきます(途中でお腹が痛くなってきます)。マラソンをしていながら函館を観光しているような気分になれるので、今まで参加した大会の中でもかなり楽しい大会でした。

ネットを見ると、やはり観光名所としての意地があるようで、ランナーの意見を取り入れながら毎年より良い大会にしようとしているみたいです。

函館マラソンで函館中を走ってみて、まだまだ函館も捨てたもんじゃないなーと思ったので、人口の減少など深刻だと思いますが、何とかして盛り返してもらいたいものです。

投稿者:麻酔科医長 早坂 怜

「アジサイを見に行ってきた」 折居 史佳

投稿日時:2018年8月6日 09:32 月曜日

「そろそろリレーエッセイの順番が廻ってくるなあ」と思い「また、札幌のお花事情をレポートしようかなあ」ということで、7月中旬のある雨の日、豊平公園にアジサイを見に行って来ました。

駐車場に車を停め、ウェブサイトからプリントした園内地図を頼りにシラカバ林を目指して歩くと、すぐにたくさんのアジサイが見えてきました。
   

ネットで調べましたら、このアジサイは「ホンアジサイ(セイヨウアジサイ)」といって、日本を原産国とするガクアジサイが18世紀にヨーロッパに持ち込まれて品種改良され、その後日本に逆輸入されたもののようです。アジサイは土壌のpHによって色が変わるそうで、このことから花言葉は「移り気」ですが(花言葉はこのほかにも「乙女の愛」などいくつかあるとのこと)、この日に見たアジサイは、降りしきる雨の中、誰かが見に来てくれることを「一途に」待っているように見えました。
    

シラカバ林から緑のセンターに向かうと、そこでは別のアジサイ「アナベル」が出迎えてくれました。


アナベルは北米原産のアジサイで、色は白かピンク。こちらはホンアジサイに比べ花が大きく、はつらつとして見えました。


投稿者:IBDセンター部長 折居 史佳

「ランドールのことなど」 関山 伸男

投稿日時:2018年7月30日 16:46 月曜日

 ひさしぶりにリサ・ランドールの“ワープする宇宙”を読み返してみた。10年ほど前に初めて読んだ著作であるが、今読んでも新鮮である。それは理論物理学の歴史や方法論は普遍的な内容であるからと思われる。以前は純粋に理論物理学の体系を知るのに最適な書物として読んだが、今回読むにあたっては看護のバイブルとも云える科学的看護論(薄井坦子著)がなぜ難しいものとしてイメージされているのかを知りたい等の思いもあった。このランドールの著作は、数式等は使わずに話が進められており、多くの分野の人に理論物理学への興味を満足させるように意図している優れものである。もちろんこれを読んで理論物理学を改めて勉強しようというような大それた考えはないが、自然現象への取り組みと思考方法は多くの平易なたとえ話とともに実に思考の糧となる。

 ランドールは、自然現象を学問として捉えようとすると大きな山に例えられると説き、山を征服するルートを模索するには二つの方法が考えられるとしている。ひとつは麓から段階を追って登っていく方法で、ニュートン力学や相対性理論、量子力学、更には標準理論と呼ばれるモデルを使っての研究であり、もう一つは頂上を想定してそこから下に降りていく研究の仕方である。後者には“ひも”理論(超ひも理論)などである。現在、ようやく麓から登っていく実証的な理論と頂上から降りてくる霧の中の理論が余剰次元やブレーンワールドといった理論を仲介につながろうとしている。このような山の例えは科学的看護論でも理論の本筋として取り上げられており、この場合は山の頂上は極められており、看護の本質として“看護とは生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえることである”と掲げられている。そのすそ野から麓はナイチンゲールの看護覚え書をはじめとした著作週によってうめられている。この山登りのルートは薄井による科学的看護論によって懇切丁寧に仕上げられている。

 ランドールによれば、自然現象を観察してモデル化するには記述の手段が定式化されていなければならないとされ、理論は次元によって記述されなければならないとしている。すなわちわれわれの現実の世界は3次元空間と時間の次元を加え4次元時空で記述されている。しかし、理論物理学では山の頂上のひも理論に至るにはこの世の中を4次元では表現できなくて、10次元ある11次元の方向から見なければならず、巻き込まれた余剰次元やブレーンワールドなどの発想を取り入れて解決しようとしている。すなわち次元の考え方は、時空を離れて、ものの特性を表現する手段としても考えられる。薄井は人間の特性を捉えるためには四つの方向から見る事が必要としているが、まさしく4次元的見方と思われる。

 ランドールはまた、山を登ることはこの世の中を微細に見ていくことに通じており、新しい理論が構築されることは、その前の理論をさらに微細な世界に広げることであると言っているが、その新しい理論はそれまでの理論とは似ても似つかない中身を呈しているとしても、理論はしっかりとつながっていることのたとえとして、人間の体の構造を例に挙げており、人間は一皮剥くとその中味はまず表面の見た目とは大きく異なっていて、いくつかの器官が並んでおり、さらには臓器が器官を構成していて、もっと微細に見ると臓器は細胞からなっており、その細部をみると染色体や遺伝子に行き着くもので、いずれも各段階は前段階と見た目は大きく異なっているが、きちんと無駄なくつながっているとたとえている。

 このような考え方はとても有用で、ひとの対象特性を捉える際のからだの構造の見方といったところで多くの示唆を受けるものである。病気が起こす症状などの現象は、身体の表面を見ていてもわからないが、それを知るためには、その下の器官の状態、その器官を構成している臓器の状態、等といった段階を丁寧に追っての検討が必要であるということであろう。さらに言えば、病気を持ったひとを捉える際に臓器レベルのみを考えて検討することは、理論物理学の世界を捉えるのにニュートン力学を無視していきなり相対性理論から始めるようなものであって、説明がとても難しくなることの例えであろう。

 ランドールの解説では山の麓から登っていきつつあるニュートン力学、相対性理論、量子力学、標準理論、大統一理論、等を経て、この世を構成する粒子の超対称性と、山の頂上から下ってくる超ひも理論をつなぐ世界は、二次元膜上に展開するブレンワールドモデルによって説明している。ブレーンワールドでは重力子以外の粒子はこの膜に付着しており、この膜の表面から離れることはできないと考えられ、世の中には異なる理論体系をもつかもしれないこのようなブレーンワールドが無数に存在しており、ブレーン間ではたとえそれが重なっていても隣のブレーンを感じることも覗くこともできないとされ、唯一その間を自由に動くことのできる重力子のみがこのような世界の情報交換を担っているのかもしれないとしている。さすがにランドールもこのような考え方についての現実のわれわれの世界におけるたとえ話はされていなかったが、科学的看護論では薄井はすぐ隣のひとであっても他人の認識には見ることも入り込むこともできないととらえており、ブレーンワールドのたとえと同じような存在と考えられかと思う。しかし看護には患者の認識を知ることがきわめて大事であると説いて、それを知る対応法としては患者の認識を外から推論するのではなくて、看護師の頭の中に患者の認識を再現するといった考え方で解決を図るように説いている。

 理論物理学の世界では、新しい理論が提出されると、そこには表面からは伺い知れない人体の中を見るように、それまでとは似ても似つかない世界が展開されるとランドールは言っている。新しい理論を知ってそれを理解するには新たな言語を学ぶと同じような努力が必要ということであろうか。科学的看護論も看護学における新しい言語と受け止めて、事例検討などの実践を繰り返して学ぶことが習得への早道であり、そのような中では真に必要なものは難しくはないであろう。


投稿者:内科診療科部長 関山 伸男