最先端24時間救急医療、外傷センター、日帰り手術の札幌徳洲会病院
札幌徳洲会病院 北海道 札幌 -最先端救急医療・新たな気持ちでここから心から

当院初期研修終了生からの手紙

投稿日時:2010年9月9日 16:33 木曜日

ご無沙汰しております。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?お世話になっていた時期に比べ、様々な変化があったことでしょうが、忙しい毎日が続いているのは変わらないことと思います。

私は、初期研修の2年間を貴院で過ごさせていただいた後に、精神科医として働き始め精神科医としては今年で5年目になります。現在は、神奈川県内の単科の精神科病院に勤務しています。元々、精神科医を志していた私は、精神科医になる前に、身体に起きる疾患への対処をなるべくたくさん経験できる環境に身を置きたいという思いで、貴院での研修を希望しました。予想通りと言いますか、多忙ですが充実した日々を過ごし、当直明けの屋上での一服は「今日もがんばったなぁ」という思いに浸ることができ大好きな時間でした。上級医やベテランスタッフからの疲労困憊した中での指導も、今となっては甘酸っぱい思い出であり、現在も日々の臨床の中で血となり肉となり生きています。

初期研修を終え、満を持して新たな環境で始めた精神科医としての生活は、決して期待していた程の充実感や達成感を与えてくれるものではありませんでした。身体的な労働量は圧倒的に研修医時代のほうが多いのですが、患者さんの持っている苦痛はその場の一回の診察や薬物療法で改善されることはまず稀であり、提供するサービス(精神療法など)が確固として統一された基準にのっとったものではないことから(そこも好きで選んだのですが…)、自分の発する言葉や自分の見立てが患者さんに与える影響や、患者さんから要求されたことに応じないのは自分が怠惰だからではないのか等々、二度目の思春期のように悩みまくってしまいました。

今にして思えば、自分にとっての仕事とは何か?や、人生とは何か?といったことについて、きちんと考えたことが無かったという自分自身の問題であったように思われます。考えたことが無かった故の、我武者羅さといったものは失われてしまったような気はしますが、少しずつざわついていた気持ちは落ち着いてきているように感じています。

医師になって自分としては、まだ7年という気持ちでいましたが、まだ7年目の医者にも当然後輩ができます。貴院でいただいた諸先輩方の指導を自分なりに咀嚼し、後輩達に伝えていくことが出来ればと思う今日この頃です。

いつもは独創性に富んだ発言ですぐに理解できないことが多かった先代の院長のことばで、「(手術が難航した際に)腹をくくって、一晩でも続ける覚悟をしろ」といった内容のお話をされたのが胸に残り、「ここ覚悟かな」などと精神科医になった今でも時々思い出しています。

みなさん、くれぐれもお身体には気をつけて。いつの日かゆっくりお話しできる日が来ることを楽しみにしながら筆を置かせていただきます。それでは。

当院初期研修終了生からの手紙

投稿日時:2010年8月18日 16:32 水曜日

『私が研修医だったとき 』


私は、札幌徳洲会病院に外科後期研修の2年間を含め、計4年間お世話になりました。 あっという間に一年が経ち、愛知県がんセンターの2年目レジデントとして、癌治療の 勉強をしています。

がんセンターは学会発表が多く、年10回近くは発表があります。 文献は検索ソフトが充実しているので、困りません。医学中央雑誌やパブメドなど使っています。 ほしい文献は、図書室の秘書さんにいえば取り寄せてもらえます。 上司にあうと、いつの学会にこれを出してくれと言われるので、びくびくしています。

私が朝、7時半に子供を保育園に送っていきます。 (お迎えは、妻が6時ころに行きます。) 曜日によって違いますが、たいていは8時くらいに自宅に帰ります。そのころには、 子供は寝る準備をしています。
毎日、二人で、子供の面倒を見ないといけないので大変です。まだ、夜泣きをするので、 毎日が当直状態です。(少しずつ起こされる頻度は減ってきましたが、、、、)

名古屋は、便利がいいので、車で2-3時間あればいろいろな所に行けます。
日本三大温泉の下呂温泉が高速で飛ばせば2時間弱で行けます。そのほかにも、 日本アルプスなど自然豊かです。夏休みは、八ヶ岳に行こうと思っています。 ただ、名古屋は空気が汚いです。おかげで最近よく咳が出ます。


札幌徳洲会病院にいたときは、緊急手術は当たり前で、急性虫垂炎・胆石胆嚢炎・腸閉塞など その他たくさんの疾患を見てきました。それが普通でした。
しかし、今の病院はまったく対極の位置にある病院です。緊急手術はほとんどありません。 研修医のときにビクビクしていた救急車のサイレンの音をほとんど聞くこともありません。 急性虫垂炎の患者も診察することはありません。ただただ、診断がついている胃癌の手術を 毎日行う日々です。毎日、同じ手術をしているために、非常に勉強になります。 だれでもそうだと思いますが、同じことの繰り返しをすることで、身につきます。 今、私のしていることは、消化器癌の手術の反復修行なのです。

極端な二つの病院、急性期病院の徳洲会と、癌専門病院であるがんセンター、 どちらもとても勉強になるところです。

なにを書けばいいかが、わからなくなりましたが、これは私が研修医だったときのことでしたね。

今から思えば、ためになったなぁと思います。

週2回の当直、何台も来る救急車。時には、救急車が来てないときも、自分の耳に救急車の サイレンの音が聞こえる幻聴に襲われていました。救急車が来たら、まず診察。次に検査と 上級医コンサルト。私の上級医は、1年上の偉い先生?であり、とても厳しかったことを思い 出します。(あまりにも苦い思い出が多いのでこの話しはここまでとします、、、、、)
人は、いい思い出よりも、悪い思い出を先に思い出すものでしょうか?先に、悪い思い出を 思い出してしまいましたが、徳洲会のほとんどの先生は、同じ研修を終えた経験のある 先生方で、とてもやさしく教えていただけました。医局には垣根がなく、どの科の先生にも 聞ける環境が整っており、緊急透析・緊急カテ・緊急内視鏡・緊急手術などもすぐに引き受けて いただけました。

そんなこんなで、なんとか時が過ぎ、今の自分がいます。 すべては「ご指導の賜物です。」ありがとうございました。

当院初期研修終了生からの手紙

投稿日時:2010年7月22日 16:31 木曜日

『榛原総合病院での応援を終えて』


医師になり今年で4年目になりました。
この三年間多くの経験をしながらも、自分の医師生活の基盤は、振り返ると徳洲会に
あるのだなと実感しています。
この数カ月の間、静岡県の榛原総合病院の立ち上げを手伝う為に、初めて本州に渡り(生まれも育ちも北海道であるためですが)、内科医として働いてきました。
立ち上げの際の病院というものは、色々なことが未確定であり、そこで働く人たちの苦労が如何程大きいかと肌で感じながらも、自分なりにできることを探し、ただひたすら働く数ヶ月でした。
医師、看護師を含めすべての職員が大変な苦労をしながら働いている中で、自分もその一助となるべく、微力ながら自分なりに役割を果たそうと務めたつもりです。
今までは、どこで働いていても研修医という名目で守られてきましたが、そのような甘えが常に許される環境ではなく、患者さんや御家族と一人でも向き合わなければならない場面に遭遇することが多かったと思います。
徳洲会で育つと、良くも悪くもそのような場面はある程度経験するのですが、それでも医師として初めて味わう不安や疲労から、逃げ出したくなることも多々ありました。

初期臨床研修医制度が確立し、そしてまたその変革を迎えようとしている時世の中、どのような医師教育が一般的なのかは自分にはわかりませんが、自分が受けてきた教育もまんざらではないのかもしれないと、この数カ月で思いました。なぜならそのような環境の中で耳から離れなかったのは、初期臨床研修時代の恩師達の声だったからです。

自分は初期臨床研修を札幌病院で過ごし、医師としてのスタートを切らせてもらいました。今でもハードワークと、やや理不尽な環境を思い出すことがあり、思い出す内容によっては苦虫を噛むような顔をしてしまうことがあります。

しかしながら、今の時世であれだけ厳しく自分達を怒ってくれた先生方に大変感謝しています。なぜなら、逃げ出したくなった場面では、必ずその先生方の言葉が浮かぶからです。
外科研修をしていた時ですが、当直明けで睡眠もとれず、そのまま何件も手術に入り、緊急オペが続いた日があり、半分閉じかけた眼をしていた自分に、その時の指導医は『頑張らなきゃいけない時はあるんだよ!』と、一喝しました。理解しながらも体力の限界を感じていた自分は、何てことを言われるんだろう、思いやりってものがないのか?と、その当時思いましたが、榛原病院で自分を支えたのは、その『頑張らなきゃいけない時はあるんだよ!』の一言でした。
自分に怠け心があるのは自覚していますし、それは油断するとすぐに顔を出してきます。ただし、今回は自分がそこで踏みとどまらなければ、冗談抜きに誰もいないのだという環境でした。頑張らなきゃいけない時だったんだと思います。

初期臨床研修が多様化してきており、医療に対する視線が厳しい昨今、徳洲会のような研修が一般的に許容されるのかどうか、その判断はできません。
しかしながら、今回自分が受け持った患者さんに向き合うことができたのは、そのような環境で育ち、少しずつですが医師としての自覚を持つようになったからだと感じています。
今は札幌東徳洲会で消化器内科の後期研修医として勉強の日々ですが、いつか自分が指導医の立場になった際に、自分についてくれた後輩医師が、医師としての自覚を持ってくれるように、古いようですが背中を見せられる姿でありたいと願います。

当院初期研修終了生からの手紙

投稿日時:2010年6月23日 16:30 水曜日

現在、普天間問題で話題になった島で働いています。

数ヶ月に1回、仕事の内容を変えて気分転換のはずが、毎日雨です。
今年は梅雨明けが遅れているようです。
島のあちこちには、”基地反対”の看板が立っていますが、口蹄疫騒ぎで、マスコミもまったく寄りつかなくなったようです。
もうこの話題はおわったのでしょうね。

今回は1週間の滞在。
病院の2階で生活しながら、毎日患者さんを診察し続けています。
日中は総合外来。夜は当直。時に連直。入院中の患者さんの管理もしますし、場合によっては処置を頼まれることもあります。
内科外科小児科ほか問わず、自分の能力を超える症例にももちろん出くわしますが、そんな中で学べることが多々あり、今年で3年になります。

さて、こんな総合外来ですが、もちろん医療水準なんて、都会の大病院とはわけが違い、性能のいい機械があるわけでも、気が利くコメディカルがいるわけでもありません。
病院の質としては高いなんてお世辞にも言い難いものがあります。原則自分一人でやらなければいけないですし、何より、何がどこにあるのかすらわからない、そんな状況ですが、あまり気にならず楽しんで働けたりもします。

効率や売り上げも病院には大事だとは思いますが、それ以前に病院は島内にここをいれて2つしかないので、あるべくしてある、そんな中で何でもみますよ、というのは非常にやりがいがあることだと思います。自分にできなければ、場合によっては自衛隊さんの力を借りて本土に患者さんを届けることもあります。何度か研修医のときに経験したことが実は今でもいきていたりします。

総合病院でよく見る光景、”それは本当にうちの科の患者さんですか?”
当直中によく聞かれる会話 ”それは外科系ではない”から内科の先生に診てもらえ”


うちの科も、うちじゃない科も、何を境に決まっているのか、よくわからなくなりますが、そんなぎくしゃくしないで働きたいと思います。

疲れていても、聖人君子のように振る舞うことは訓練でできるようになる、と恩師はよくカンファレンスで言います。ふり、でいいですから。

この訓練にはこのような環境は適しているのかもしれません。まだまだうまくいきませんが。

当院初期研修終了生からの手紙

投稿日時:2010年5月11日 16:29 火曜日

今年の3月に札幌徳洲会の初期研修が終わって4月からは3年目のDrです。
北海道を離れて、今は長野県内の病院で、地域医療部の後期研修が始まりました。

病院の規模が大きく全体像はまだ掴めません。
自分の属する地域医療部は、少なくとも総合診療科と地域ケア科に分かれています。
3年間のプログラムで、これから1年は、その総合診療科の医師として800床程度の本院で総合外来や病棟業務をします。余裕が出てきたら訪問診療にも出てゆきたいですが、今のところその余裕はなさそうです。

病棟では、総合外来で入院となった患者さんや地域ケア科(在宅部門で訪問診療をやっている)で入院が必要な患者さんの担当がメインです。不明熱などは若いのですが、病棟患者のほとんどは80歳越えの人生のベテランで90歳代は普通です。受け持ちの担当患者の最高齢は100歳のおばあちゃんです。大変耳が遠いですが、認知症もなく、歩けますし、回診に行くとユーモアがあふれていてこちらが元気をいただいています。高齢化社会が確実に進んでいることを実感できます。ここは時代の最先端です。

ここも例に漏れず、特老は一杯で数十人まちです。100歳のおばあちゃんは、今回の入院前は介護保険を使って自宅で過ごしていましたが、老老介護の問題があり、退院後は老健に移り、特老待ちとなりました。自分の中の驚きですが、90歳代のおじいちゃん・おばあちゃんでも、施設ではなく居宅サービスで自宅に戻っていく方が多いです。それは、まだ、わかりませんが北海道とは違う地域性があるようです。