最先端24時間救急医療、外傷センター、日帰り手術の札幌徳洲会病院
札幌徳洲会病院 北海道 札幌 -最先端救急医療・新たな気持ちでここから心から

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2011年3月30日 18:30 水曜日

私がこの病院に入職したのは、今から20年前の平成3年4月1日でした。雪がうっすらと残る春間近の風景だったことを覚えています。8時までに出勤予定でしたが、7時頃についてしまい、病院の周りを時間をつぶす為に歩き続けていたのが昨日の事の様に思いだされます。
一般の社会では当然の転勤や移動なども、幸か不幸かわかりませんが札幌病院・医事課一筋、20年を迎えました。入職当時は我が医事課も現在の半数の人数(現在約30名)で業務をこなしていましたが、何せ人手が足りず激務の毎日でありました。その為か、離職率も非常に高く、志半ばで離職をされた方々を横目で見ながら、正直羨ましい気持ちになったこともありました。では何故自分がここまで頑張ってこれたのだろうと考えると、一つだけはっきりと言える事は、年中無休24時間診療を掲げ、他にはできない医療を実践しているからであると思います。24時間診療を行うと言う事は簡単なことではありません。医師はじめ看護師、検査技師、放射線技師、薬剤師、臨床工学士、そして事務とさまざまな職種で365日当直を置き業務を行う必要があります。どんなに時代が進歩してもこれだけは徳洲会が存続する以上変わらないことなのです。すなわち人材は宝です。患者さんを大切に、そして職員を大切にしていかなければ、徳洲会が存続して行くことはできないでしょう。
現在はマスコミ等でよく耳にする医師不足が話題となってなっています。当院も例外ではなく、頭を悩ませています。医師不足の為、みなさんのご希望に添えない事もあるかと思います。今は院長を中心に一致団結し、患者さんを断らない為にはどうしたら良いか、試行錯誤し頑張っております。
当院は近隣の皆さまに支えられ、新病院が建設できるまでに成長できたと考えております。新病院に移りましても変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

投稿者:医事課長 沼田 圭介

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2011年3月23日 09:17 水曜日

私が徳洲会グループに入職して今年で23年目になります。
平成元年8月、東区の札幌東徳洲会病院に入職し医事課、総務課に所属して、平成6年5月、白石区南郷18丁目の札幌徳洲会病院 総務課に転勤となり、平成16年12月に厚別区にある介護老人保健施設コスモス 総務課に転勤、平成19年6月豊平区に新規開設した有料老人ホーム、ケア付き住宅徳洲会に転勤、その後、平成20年10月に再度、札幌徳洲会病院 研修委員会事務として転勤となり、平成22年6月医療連携室に異動となり現在に至ります。札幌徳洲会病院には合わせて約13年間の勤務をしています。
私にとって「南郷18丁目の思い出」は一言で言うと「生命を生き長らえた場所」です。平成15年12月札幌徳洲会病院で勤務中に、意識喪失し倒れましたが、職員の方々に助けられ、心臓病がその時初めて分かり、ペースメーカーを体内に埋め込み一命をとりとめる事ができました。又、平成22年12月に札幌徳洲会病院で勤務中に同じように、医療連携室内で意識喪失、たまたま職員の方が部屋で倒れている私を発見していただき、左上腕骨骨折だけで一命をとりとめる事ができました。白石区南郷18丁目、札幌徳洲会病院に勤務していたからこそ、職員の皆様方に助けていただいたお陰で、今の自分が存在します。皆様、ありがとうございました。
それぞれの場所で色々な思い出はありますが、この南郷18丁目は、病院立地条件としては、色々な面でいちばんよい環境であると思います。交通面では、地下鉄南郷18丁目駅から徒歩5分、通院、入院、お見舞い、通勤にも便利である事。買い物面では、全道1位、全国2位の売り上げの生協ルーシーがあり
食事面では、病院近隣徒歩圏内にファミリーレストラン、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、居酒屋、焼肉屋、ラーメン、カレー屋とほとんど揃っています。近隣には、金融機関、郵便局もあり、患者様、ご家族、職員にとってもあらゆる面で恵まれた、他には無い最適な環境です。
又、いちばんの重要な事は、近隣、町内会の皆様方、医療機関の皆様方の多大なる、ご協力、ご理解をいただいた事が、28年間白石区南郷18丁目に札幌徳洲会病院が存続できた理由であると思います。来年6月、厚別区大谷地東1丁目に新築移転し、地下鉄は大谷地駅が近くとなります。札幌徳洲会病院が生まれ育った地域「白石区南郷18丁目」近隣の皆様方を中心に巡回送迎バスを計画しています。新転地は、一からのスタートとなりますが、これから近隣の方々、町内会の皆様方にご理解、ご協力をいただき、他の医療機関との連携を強化していきたいと考えております。どうか今後共、よろしくお願い申し上げます。

投稿者:医療連携室係長 小山内 康晴

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2011年3月16日 14:07 水曜日

「南郷18丁目の思い出」・・・・・通称、「なんぱち」ですか。
地下鉄駅はよく利用しましたよ! 近隣の飲食店やコンビニ等もほぼ行きました!特に生協ルーシーのお惣菜コーナーが大好きでお弁当などよく買っていましたが、住居が18丁目付近ではないうえ、車通勤の私にとっては南郷通近辺を走ることは通勤時のみであり、土地自体にはあまり未練はありません・・・・。
 「病院」の思い出・・・・私が徳洲会グループに入職して今年で22年目になりますが、最初に入職したのが札幌徳洲会病院(昭和63年)でした。当時はもちろん新館や増改築部及び地下部もなく、立体駐車場もありませんでした。今では考えられませんが、車通勤者も病院敷地内に駐車しており、駐車場料金を給与から控除するようなこともなかった時代です。入職してまだ若かったせいもあり、当直時に事務所で焼き鳥をして食べたり(一階に焼き鳥のにおいが充満してかなりあせった)、当直明けで病院敷地内の片隅で車の改造をしたりと、ここに書けないようなことがまだまだたくさんあり、仕事は辛かったけど楽しいことがいっぱいありました。
その後、7年程勤務して他院に転勤となり(札幌徳洲会病院→静内病院→札幌南青洲病院→札幌徳洲会病院)、2年前にまた札幌徳洲会病院に帰ってきたのです。幸運にも大中小規模病院で勤務ができ、「医事課→資材課→医事課→総務課」と違う畑で仕事をさせて頂いたおかげで、その部署の大変さや施設によって異なる異常なストレスやプレッシャーを味わう事ができました。
さて、偉そうなことが言える立場ではございませんが、「南郷18丁目」の地域住民の方々、病院は、大谷地に新築移転してしまいます。受診はさることながら、皆様から接遇等色々なことを教えていただき学ばさせていただきました。皆様が当院に対する思いはさまざまかと思いますが、これからも、地域密着医療を忘れずに頑張っていきたいと思います。
今後は、地域の皆様と一緒に、「大谷地東1丁目の思い出」を・・・・・・

投稿者:総務課長 田中 文昭

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2011年3月9日 13:47 水曜日

 平成11年、ご縁があって、当院ではじめてのソーシャルワーカーとして採用して頂きました。介護保険が始まる頃で、準備を通して、院内・院外の皆様にソーシャルワーカーの存在を知っていただくことが出来ました。それから、あっという間に10年を越してしまいました。当時から、新築移転の話があったくらいで、はじめは、2階に廊下の隅を仕切った一角を作っていただきました。机と椅子しか置けない相談室でしたので、相談に来てくださった患者様には、不自由な思いをさせてしまいました。
 現在は、ソーシャルワーカーが4人となりましたが、建物が広がるわけがなく、相談のスペースがないのは同じです。患者様、ご家族様には申し訳なく思います。部屋は狭くても、心は広く!?フットワーク軽く、階段を昇り降りして、こちらから患者様のところへ出向き、お話を伺うように心がけています。もしかしたら、病院内のあちこちに出没しているのはソーシャルワーカーが一番多い?と思っています。(誰か、若くないのに・・・と言いましたか?)
 新築移転後は、正面玄関のすぐ近くに立派な相談室を作っていただく予定です。中身も立派な器に負けないよう励みます、もちろん院内、院外へ出歩きます。

投稿者:医療相談副室長 上井 奈穂美

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2011年3月2日 09:47 水曜日

20数年前の3月下旬、何日だったのかは遠い記憶の彼方ですが、まだ20代だった私は大洗?苫小牧航路のなんと就航便のフェリーで、愛車と共に南郷18丁目にある札幌徳洲会病院を目差していました。4年間勤め、第二の故郷と思えるほど好きになった湘南サウンド発祥の地、チャコ海(サザン)・烏帽子岩の茅ヶ崎を、ちょっと古くは加山雄三の茅ヶ崎を、社会人として初めて勤務し色々教えてもらった先輩や仲間達のいる茅ヶ崎病院を、感謝の気持ちと後ろ髪を引かれる思いで後にし、大洗(茨城県)からフェリーに乗船しました。就航便ということで、船内では樽酒が振舞われており、おかげでぐっすり眠ることが出来ました。 朝、目を覚まし港に近づくと、まだ明けきらぬ寒空の中、たしか地元(苫小牧)の中学生の吹奏楽部の皆さんが、演奏で出迎えてくれたのを覚えています。そして、苫小牧から、ちょっぴり不安な夏タイヤでしたが(当然冬タイヤは持っていませんでしたので)高速を通り無事病院に到着、それから今日迄、20数年間この地でお世話になりました。
茅ヶ崎時代は野球部に所属しており、まだ徳洲会が10病院だった頃の“徳洲会ソフトボール大会”の優勝ピッチャーだった(ちょっと自慢です?)私は、札幌転勤後も、ゴルフ部と野球部に入り、夜明けと共に早朝ゴルフ・早朝野球、その後に出勤ということも珍しくありませんでした。 ゴルフ部では毎年、泊りがけでゴルフツアーも開催されていましたが、その日が間近にせまったある日の早朝野球で、センターライナーを追った私は、雨降り後の凸凹のグランドに足をとられ転倒し、足を骨折してしまいました。 とても楽しみにしていたゴルフツアーの当日は、午前6時頃、病院に集合し出発していくゴルフ部の面々を、当院の病室の窓から恨めしげに見詰めていたのも、今となっては思い出の一つです。
そんな、思い出の南郷18丁目を後にしますが、大谷地に出来る新病院に向けて色々大変そうですが、もう一分張りしてみようと思います。

投稿者:ME室長 木戸 智康