最先端24時間救急医療、外傷センター、日帰り手術の札幌徳洲会病院
札幌徳洲会病院 北海道 札幌 -最先端救急医療・新たな気持ちでここから心から

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2012年5月23日 08:04 水曜日

当院のブログに「コメディカルリレーエッセー」を執筆することになったのは、森院長の提案で、平成23年の新年早々宮本事務長から始まり、以後毎週水曜日に掲載するようになった。あれから17ヶ月の間、延べ70人の職員に、今の「札幌徳洲会病院の思い出」を綴ってもらったが、今週号を以って終る。
当院は昭和58年5月「栄通り18丁目」に産声を上げてから、今年で30年目の節目にあたり、来る7月1日には大谷地に「新築移転」する。
今思えば、私が徳田虎雄理事長とお会いして、入職が決まったのは忘れもしない平成15年6月、姫路市(高砂西部病院オープン)で開催された経営セミナー終了後の懇親会場であり、その時の鋭い眼孔と温かい手の感触を今でも覚えている。
御縁があったのか、その年の7月から札幌徳洲会病院の6代目の事務部長として入職させていただいた。
前任者の白井部長(故人)より引き継ぎ受けたことは、ただ一つ「早く病院用地を取得し新病院建築に漕ぎ着けれ」であった。
それからは、江端院長(現名誉院長)共々、土地探しのため、頻繁にあちこちへ足を運んだ。この間、新病院建設候補地は18ヶ所に上った。
徳田虎雄理事長は、当院が土地選定に難渋していることから、東京本部の服部局長(不動産担当)を派遣し、一週間泊まり込みで、札幌市内の土地を探し廻り応援してくれたことが、今では懐かしく思い出される。
建設候補地は最終的に札幌市有地が残り「一般競争入札」で当院が落札し、ようやく「公有財産売買契約」を結んだのは「平成20年10月8日」記念すべき日となったが、引き継を受けてから既に5年の時が流れた。
土地取得後は「新病院建築」に進んだが、これが二転三転し、設計者・施工業者が決まって「病院新築工事請負契約」を交わしたのは「22年10月16日」土地取得から2年も経過した。
それ以降は工事も何とか順調に進捗し、待望の新病院の引き渡し日(平成24年5月31日)が目前となり感無量である。
これからも徳洲会の哲学「生命だけは平等だ」の真理を追究し「患者さんがいい気持ち、いい顔で、帰られるような病院」になるため、自分が何をしたらいいのかよく考え一つひとつ実践していこうと思う。

投稿者:事務顧問 矢野 道夫

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2012年5月16日 10:38 水曜日

札幌徳洲会病院へ 平成12年に転勤異動して、早12年も経ちました。以前の札幌南青洲病院とでは規模も違い、こじんまりとした中で色々と手づくりの物を作っていたのを思い出し、札幌徳洲会病院でも少なからず、その流れをとりいれては食事を提供していたことなども、今振り返れば思い出の一部分でしょうね。沢山の職員がおり人酔いする感じもあったことも記憶のなかにあります。栄養部門として新しい調理方法へと進化していく中で、体と頭がついていくのが必死です。聞きなれない言葉や、作業工程を把握しながらの毎日で記憶が途切れることが多々あります。現在も進行形で毎日を送っております。   ダイエタリー籍に移ってからは各地の病院や施設の立ち上げ、ダイエタリーへの業務移行にともない応援で入ることが多くなり、各県の栄養室の皆さんと知り合うことも多く、沢山の仲間がいるという力強さや連携を保ちながらきていることに感謝しています。やらなければ進まないことばかりですが、1歩前進しては立ち止まり又進むの繰り返しの12年間でしたが、楽しくすごしてきたなあーと思います。この18丁目の栄養管理室で過ごしてきた中でこんな気持ちでいられることが一番の財産と思い出でしょうか。若い仲間と叱咤激励しながら、大きな夢の実現に、全力投球していきたいです。新病院開設まで後少し、皆で手を取り合って頑張りましょう。

投稿者:栄養管理室主任 本村晴美

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2012年5月9日 08:05 水曜日

昭和63年12月7日、私は初めて地下鉄南郷18丁目駅の改札を抜けました。
そこには母校の教授が手を振り笑顔で立っていました。
私がこの札幌徳洲会病院の面接を受けると聞き、自宅が近いからとわざわざ付き添って下さったのです。駅から病院までの10分ほどの時間でしょうか。緊張で何を話したかは覚えていませんが、最後に『あなたは母校の名前を背負ってこの病院の職員となるのです。解りますね。後輩のため、少なくとも3年は頑張って下さいね。』こう言われたことだけははっきり覚えています。正面玄関の上の 札幌徳洲会病院 の文字を見ながら、『3年かぁ・・長いな・・続かないかも。』その1週間後、私と南郷18丁目の深くて長い付き合いが始まりました。たくさんの人と出会い、たくさんのことを学び、生と死と向き合い泣いたり笑ったり。人生の前半を南郷18丁目で過ごしました。少し古びた 札幌徳洲会病院 の文字を見るたび、あの頃の引きしまった気持ちに戻ります。そう、毎朝私は21歳の自分に戻れるのです。なんと素敵なことでしょう。でもそれができるのもあと2カ月。新しい病院の玄関をくぐる時、44歳の私は何を思うのでしょう。その答えは次回お話しします。

投稿者:医局クラーク副主任 山口 育子

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2012年5月2日 08:01 水曜日

平成13年4月に入職し合格が決まった時、上司から「新しく開院する帯広徳洲会病院に行ってもらうことになるかもしれない。」と言われ、いつ異動になるかビクビクしている日々でしたが、気付けば早12年札幌の地で働くことが出来ています。
当時、医事課には自分を入れて7名の新入職員がいました。アナログ時代の徳洲会病院は、今よりも遥かに忙かったように感じます。当直や、日々の業務に追われ、挫折しそうになることも多々ありましたが、同期と励ましあって頑張って乗り越えてきました。あの大変な日々を一緒に過ごし、苦楽を共にした同期職員は12年経った今でも、特別な存在です。そんな同期7名も今や半数以下となってしまい、非常に寂しい限りです。
しかし、感傷に浸っている場合ではありません。新病院開院まで、残すところあと2か月です。札幌徳洲会病院にとって、一番忙しい時期になることでしょう。移転後、病院が大きく生まれ変わるように、自分も少しでも大きく成長できるよう精進していきたいと思います。皆で頑張りましょう。

投稿者:医事課副主任 寺井 和也

南郷18丁目の思い出

投稿日時:2012年4月25日 08:01 水曜日

私もこの南郷18丁目という土地は就職するまで足を踏み入れたことがありませんでした。
札幌で生まれ、北区で育った私にとって白石区は全く未知な場所、誰かも似たようなことを書いてましたがススキノから南側へは国境を越えるぐらいの感覚でした。同じ札幌市内なのに、です。そんな閉塞的な私は当然札幌での就職を希望しており、市内の求人だけに絞った結果私は当院の面接を受けることにしました。当時地下にあった会議室での面接、ほぼ忘れていた記憶が蘇って来ると思いきや実際あまり思い出せません・・・。ですが、その後の合格内定通知に興奮したのは覚えてます。

 まず北区からの通勤方法としてバス・地下鉄を選びました。地下鉄乗車時間約30分、つい寝てしまい終点まで直行し駅員さんに起こされる・・・よくありました。次に中型二輪車を選択、天気予報と私の勘やよみが当たらず帰りは雨でズブ濡れ・・・しんどかった。次は四輪自動車を選択、冬の雪の影響で朝の大渋滞・・・いつもヒヤヒヤ。このようなエピソードがあった為仕事帰りに飲みに行った後よく職場徒歩圏内の先輩の家に泊めてもらいました。通勤でやや苦労していた私にとってその出来事はなんと言っても朝が楽!ではなくて、感謝の気持ちがとても大きく、とてもいい思い出となっております。
 そしてなんだかんだで職場付近にアパートを借り徒歩通勤(逆に遅刻ギリギリ)、2年後にはそこを離れ、今は別の区に住み再度マイカーで職場へ。

 思い出は通勤時の話ばかりですが、新病院への通勤時間が今よりも長くなってしまうので新たな苦悩が生まれそうです・・・。しかしながら移転に向けて気持ちは非常にワクワクしています。そして通勤時での思い出話もなんだか終われなさそうです。

投稿者:ME室副主任 木下 直樹